第二章 たぬきと戦争
こちらは本編で約7万字弱になります。
小分けした第ニ章①②③④を別途掲載してあります。
幸せな家族生活が続きます。でも幸せであるが故に、
不幸な現実はショックであり、立ち直るにはどうしたらいいか、二人の夫婦にとっても試練の時が近づいています。
第二章 たぬきと戦争
手稲山は札幌市中心部から1時間とかからない市民にとっては馴染の山だ。標高は1,000メートル程度。かつてオリンピックの競技場となった斜面もあるが、夏はゴルフ場、冬はスキー場と、札幌市内に向かっては比較的なだらかな勾配となっている。車で中腹まで上がり、そのあと登山道を徒歩またはゴンドラで山頂へあがることができる。札幌市内や遠く石狩湾も一望できる観光スポットでもある。義明はここ手稲山をタヌキ達が初期段階で立ち寄る最初の修行スポットと考えていた。
「たぬたぬたぬたぬたぬ」ねえ、いつ手稲山に行くの?いつものように床に寝そべりながらタヌタヌがつぶやく。タヌキ達は少しずつであるが魔力を備えつつあるように見えた。
エゾtは人間の言葉を少しずつではあるが覚え「だあだだだだだ、たぬうき」と何か呪文のような「ダダ語」を唱える。ただし何も起きはしないが本人は手ごたえを感じているのかダダ呪文を唱えたあとは「だだだだ」よしよしとうなずくしぐさを見せる。
エゾリンはでんぐり返しをして変身をしようとする。でんぐり返しをしても何も起きないのだが、でんぐり返しをしたあと鏡に映る自分の姿を確認するようになった。何も姿は変わった様子はないが、鏡に自分の姿をみて「えぞりん」よしよし、とうなずく。
タヌリンは偉大な魔法使いになりたいと思っている。多少の予知能力があるようだ。テレビの天気予報士が今日は一日中晴れ、と言っても「たぬりんたぬりんたぬりん」お昼頃雨が降ると思うよ、と言ってその通りになったことがある。
また、春美と一緒に昼寝をしているときに見た夢が正夢になったことがある。郵便屋さんが家の前で郵便物を風で飛ばし、散歩中の犬がそれを口でキャッチして届けてくれる、という夢だ。呼び鈴の音で目が覚めた春美にタヌリンが「たぬりんたぬりんたぬりん」きっと郵便屋さんだよ、犬もくるよ、と言う。タヌリンとエゾリンと春美が同じ夢を見たと確信し玄関へ行くと、郵便屋さんが「風で郵便物を飛ばしてしまいました」と言い、郵便屋さんと春美が二人で外へ出るとイヌを連れた散歩中の男性が「風で飛んできた郵便物を思わず口でくわえてしまいました。少し汚してしまいまして」と謝っている。夢と少し違う。夢では犬が郵便物をくわえて持ってきたが、郵便物をくわえて持ってきたのはイヌではなくおじいさんだった。だがおおむね夢の通りだ。郵便物はNHK受信料のお知らせだったが、くっきりおじいさんの入れ歯の歯型がついていた。
ポンは言葉やイメージしたものを現実の世界に出す練習をしている。「ポンちゃんの花火が見たい、私の顔の花火、上げれる?」そんな春美からのリクエストもあり、夜になると庭に出て「ポン」「ポン」と空中に何かを上げる練習をしているようだった。ある夜、「ぽんぽこぽん」できたと、庭から居間へ大声を出しながら入ってきたポンが、春美に、外へ出てほしいと言う。義明と春美、タヌキ達が庭に出ると。ポンが深呼吸をし、両手を上に上げながら「ポン」そう叫ぶと、シュルシュルシュルと光が上空へ上がり、パンとはじけると変な顔をした春美のイメージが光った。すごい、やったね、と喜ぶタヌキたち、満足そうなポンを見て、「すごいねポンちゃん」そう春美がいうと「ぽんぽこぽこぽこぽんぽこ」大王様そっくり、と言ってポンは得意そうにし、タヌキたちがみな、うんうんうなずく。春美はちょっと顔をひきつらせながら、「そうだけど、もうちょっとかな。もう少し似ているといいなあ」そう言うと、ポンはうつむき、でも「ぽんぽこぽんぽこ」わかった、もっと頑張るね、と答えた。「そう、その調子、ねえ、龍のポン出してね」そういうと5匹は眼をまあるくしていた。
これまでいろいろな動物が我が家に、庭に出現しているが、他にもっと動物園のようにいろいろ出てくるものかと思えば、そうでもないということを義明と春美は分ってきた。だが春美はどうしても龍が見たかった。義明にも「龍は出てこないものかなあ」とねだるが、せいぜい木彫りの龍がお寺の軒先に出るくらい。
よく出てくるのは、キタキツネ、野ネズミ、エゾリス、スズメ、カラスと、要するにあたりに生息する生身の生き物であり、想像のたまものなのか、野生動物が立ち寄ったのかの区別に迷うこともある。
日本ザルや日本カモシカなど、本州にしか生息しないような動物は出てこない。北海道に生息する動物であってもなかなか出てこないのが、エゾシカ、野ウサギ、鳴きウサギ、クロテン、オコジョなど。ウサギは義明の「ウサギとタヌキはライバル」という固定観念が邪魔するためか、めったに出てこない。シカも主な生息地は道東と決めているせいか、イメージをしても出てこない。オコジョやエゾクロテンは義明も春美も真近で見たことがないためか、出てきても姿はおぼろで顔かたちがはっきりしない。
「動物園に行って動物を観察しようか」
と、義明が春美に持ちかかけたが、「いいよ、うちはタヌキ達だけで」と言い動物園にも当分行かないことにしている。自分たちが生み出したタヌキもこれで合っているのかどうかの自信もなかったが、「うちはうちのタヌキでいい」そう春美も義明も考えていた。いまのタヌキが一番、うちのタヌキが一番、と思っていた。
スズメが2羽、よくベランダに来ている。「ぴーよぴーよ」と鳴く。この2羽にはスズリン、スズタン、と名付けた。
「スズメってチッチッって鳴くんじゃないの?」
春美がそう言うが、野生のスズメと見分けがつくのでそれでよしとした。庭に郵便屋さんなどの来客があると、窓のほうに近寄り「ぴーよぴーよ」と鳴く。お腹をすかせた小鳥がベランダにいれば「ぴーよぴーよ」と鳴いて「エサがたりないよ」とアピールする。「ぴーよぴーよ」カモメが飛んでるよ、と、スズリン、スズタンが教えてくれる。
このところカモメが家の近辺を飛んでいるのをよく見かける。自宅はいちばん近い海から4㎞ほど。それほど近くもまた遠くもない。陸のカモメとかいうが、近年は札幌市中心部にもエサを求めてなのか、カモメがよく飛来していると聞く。だから、義明の自宅近辺にカモメが飛来してもおかしくはない。ただこのカモメはどこか野性味がなく、実は義明が出した空想の産物であった。
龍をはじめ、伝説の生き物や多種多様な生き物が出てくるということはあまり現実味がないことがわかってくると特にそのことには執着もせず、ただタヌキが居ついて懐いて、彼らとの日常生活が平穏であればほかに「どうしても出てきて」と望むものはなかった。タヌキ達のパワーアップもそれほど望んではいなかった。花火を見せてくれたりの成長はうれしいが、いつまでもいままでのままでいてくれる、ということで春美は充分だった。
まるで人の親になったようだ。子の成長はうれしいがさびしくもあるということがわかる気がする。ただ、人生には目標が必要なのだ。
花火の観賞が終わり、そろそろ中に入ろうか、と言って居間へ戻るとき、春美が
「ポンちゃんも、エゾtもタヌリンもエゾリンもタヌタヌも、いつの日か立派な龍を見せてね」そう言うと、みな立ち止まって目をキラキラさせてうんうんうなずくなか、タヌタヌが少し浮かない顔をしている。
「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」僕は空を飛びたい。龍は出せそうにない、と言う。そして、
「たぬたぬたぬたぬたぬ」ねえ、手稲山にはいつ行くの?
そう言って義明の方を向いた。義明が最初に設定したタヌタヌの能力は「空を飛ぶ」だった。空を飛びながら竜巻をだし悪いタヌキをこらしめる。タヌタヌはそれを忠実に実行しようとしているのだ。少し涙目になっているタヌタヌを見て、義明は、「よし、じゃあ今度の休みに手稲山に行こうか。そこで飛び方を教えてくれる先生から飛び方を教わるんだ」そう言うと、春美が、
「だめだめ、手稲山になんか行かないよ、さあもう中に入ろう」そう言ってひとりでベランダから居間へ入った。
春美はタヌキは空を飛べないと決めつけていた。また、仮に飛べたとしても墜落したりするのではないかと、タヌタヌの身を案じているのだ。義明は、
「タヌタヌが竜巻を出すのが見たいな、空を飛べるようになるには風を自在に操れるようにならないとね」と言うと、「たぬたぬ」風を?ぽつんとタヌタヌがつぶやく。
「そうだよ。手の平から風を出せるようになったら、魔物もびっくりして逃げ出すかもね」
「たぬたぬたぬたぬ」竜巻も龍なの?とタヌタヌは空を見上げた。タヌタヌは少し元気を取り戻したようだ。
「何してるの、外は寒いから早く入ってきて」
春美の声に5匹と義明は顔を見合わせ、内緒の話に「しーっ」と封をして居間にあがった。
外は雪が降り積もり本格的な冬が訪れた。めったに来客はない家ではあるが、玄関前はこまめな雪かきをする。冬場の運動不足解消にもなるし、春美にとっては退院後のリハビリにも丁度いい。
庭木の冬囲いは春美が入院中に義明がすませてくれていた。家の屋根には雪が降り積もっていて、この近辺を見下ろす空のカモメからは、スコップを持った春美のほかは縄むしろの頭とサクラの木、そして、手つかずの真っ白な雪の平地を踏み荒らすタヌキ達しか見えないだろう。
タヌキ達にとっては初めての冬と雪。雪の中を歩くのは好きなようだ。タヌキたちは家の中の床、外の地面には触れることができる。雪の上では刹那くっきりと足跡がつき、タヌキの姿が見えない人にとっては透明タヌキが歩いているかのように映るだろう。タヌキ達は雪上を走り回り雪を跳ね飛ばし、はしゃいだ。
カモメがタヌタヌの頭上をかすめ雪煙をあげながら雪原ぎりぎりに飛んで行った。
「あのカモメさんが来ているね」
独り言を春美が言うとタヌキ達も庭を踏み荒らすのを一時やめてカモメが舞い上がった空を見る。あのカモメの目には自分達がどう映っているのだろう。
「ねえ、こっちにおいでよ」
そう春美が叫ぶと、カモメは大きく半円を描いて庭に着陸しようと試みるが、屋根にぶつかりそうになり、バランスを崩しながらあちらの方へ飛んでいき、またこちらめがけて飛んでくるが、今度はサクラの木にぶつかりそうになって、またバランスを崩しながら、海の方へ飛んでいった。どうやらまだ飛ぶのが苦手なようだ。
「たぬたぬたぬたぬ」僕も飛べるようになるかなあ、タヌタヌがそんなことをつぶやいた。春美はそんなタヌタヌの独り言を横目に聞きながら、
「さあ、みんな、クリスマスの飾りつけをするよ」
そう言って、玄関からランプ付のコードとリースを出してきた。タヌキたちはみな何が始まるのかと目をキラキラさせた。12月の夕刻、日の入りは早い。4時にもなるともうあたりは薄暗い。春美がベランダの真ん中、高いところにリースを吊り下げ、電気のコードを左右に展開させ壁のコンセントにソケットを指しこむと、チカチカと、赤、青、黄、緑のランプが点滅をはじめた。
「だだだだ」「えぞりん」「たぬりん」「ぽんぽこ」「たぬたぬ」わあっ、とみなが見入っている。
「ぽんぽんぽこぽん」とてもきれいだなあ、とポンがつぶやいた。
義明も春美もクリスマスにそんなに派手な飾りつけは好まなかった。大通公園や札幌駅前商店街など街なかには豪華な飾りつけがそこかしこにあり、クリスマスをもりたてているが、この田舎の雪深い一軒家にはこのくらいがちょうどいいし、毎年ひとつひとつ飾りつけを増やしていけばいいと思っていた。ほんの小さなこと、たった一つでもいいからずっと記憶に残るものができたら、と春美は思っていた。
雪かきの道具を物置にしまって、ベランダに戻ると、タヌキ達はまだ飽きずに電飾のチカチカを眺めていた。
「もうおうちに入るよ、おうちの中でツリーを飾ろうね」
そう言ってもなかなか中に入ろうとしないポンに「さあさあ」とうながし、春美と5匹は居間に入った。居間にはツリーの入った箱を用意していたが、悪ダヌキが先を越すようにツリーを組み立て、キッチンのたわしや義明の靴下をぶらさげていたので、
「こらっ」と春美は怒って見せると、悪ダヌキは「わるわるわるわる」いい感じでできたよ、と、いい「あっかんべー」をして二階へ駆け上がった。
「しょうがないなあ」
春美はそれでもニコニコして見せながら、箱の中から星やモールなどの小物を取り出し、興味深々のタヌキ達の前で飾りつけをはじめた。
義明も春美も年末年始はごく一般的な動きを教えるつもりであった。宗教は仏教でも神道でもキリスト教でもイスラム教でも、どれか何かということではなく、良い教えがあれば部分取りいれ、生きる糧にするというのが、義明と春美の共通する考え方であった。ただ年末年始は基本的にジングルベルのあとは寺の鐘、年始は神社で鈴緒に柏手、が恒例と決めている。
クリスマスはみんなで楽しむもの、だから悪ダヌキが多少の悪さをしたとしても笑顔で許すという寛容さはクリスマスという行事の良いところだと思っている。
「争いのない平和な世の中になりますように、って、心に念じて、平和っていいねって、みんなでお祝するんだよ」そう春美はタヌキ達に話した。
義明は小売業に従事しているため、クリスマスも大晦日も帰宅が遅い。春美は結婚してからというもの、義明の仕事の忙しさは理解しつつも、年末年始はひとりぼっちでさみしかった。今年はそうではない。
クリスマスイブの食事の支度をしていると玄関でクリスマスキャロルの歌声が響いた。「いい声」いまどき聖歌隊なんて、と、玄関のドアを開けると、
「え、はっ?」
聖歌隊の衣装をまとったタヌキ達が聖歌を歌っている。タヌキ達はカエルやセミなど動物や虫のまねをし、時にスーパーの店員や警備員などになりすましてのパフォーマンスを見せてくれるが、テレビの影響だろうか、生まれもっての才能だろうか、絶対音感があるらしく、コーラスのものまねはとても上手で、コーラスの時だけは「ダダ語」や「ポンポコ語」などではない、正確な人間の言葉を発生する。ベレー帽をかぶって少年少女合唱団員になったり、正装をしてベートーベンの第九を歌ったりと、年末年始は家の中をタヌキの歌声が彩った。
「この子達も一緒に食べられるようになるといいのにな」
そう思いながら、クリスマスイブの日はチキンを焼き、大晦日はTVを見ながらお蕎麦を食べ、元旦はお雑煮を食べた。食卓には義明と春美の2人分のほかに、タヌキ達の分も少量ずつ盛り付けして、2人と5匹でお祝いをした。5匹はふたりと同じように食事をするパフォーマンスをし、みなでの食事を楽しんだ。タヌキ達のために取り分けた食べ物は義明がきれいに平らげる。それでも2人と5匹は満足で幸せに満ちたひとときを過ごした。
おせち料理は簡素に春美の手作りのものを中心に重箱に詰められた。義明の好きな玉子焼きを多めに、黒豆の煮つけ、きんぴらごぼう、栗きんとん、市販の蒲鉾、伊達巻などが入っている。タヌタヌが伊達巻を見て義明に、「たぬたぬたぬたぬ」それは竜巻なの?と聞くので、
「そうだよ、一番強い竜巻だよ」
「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」じゃあ伊達巻を出せるようにがんばるね、そんなことを言った。
春美があきれてそのやりとりを聞いていた。空を飛ぶよりは伊達巻を出すほうが安心か、とも思った。
神社へは混雑を避け、三が日が明けてから初詣に出かけた。さい銭箱の前で、一礼し、二礼し二拍手し、いまの幸せを感謝し、今年もよい年でありますように、と2人と5匹で願う。神社はどの宗教とも深いつながりはなく、それぞれの解釈で日頃の感謝と祈願をする神聖な場だという。それほど信心深い二人ではなかったが、クリスマスイブから大晦日を経て元旦を迎えるこの流れはとてもリフレッシュができ、新しい家族といっしょにその場をともにすることがとても幸せに思えた。
タヌキ達は何を祈ったのだろうか。変身したり呪文を唱えたり空を飛んだりしなくてもいい、ただ一緒に健康で仲良く暮らせたらいい、そう春美は思っていた。
1月は荒れた天気の日が多かった。外に出られない日は家の中で春美は5匹に絵本を読み聞かせしたり、トランプやすごろくをして遊びを教えた。タヌキ達はモノに触れることができないが、サイコロを振ったり、コマを動かしたりは春美がひとりで行い、それでもゲームは成立し、それぞれ楽しんだ。
小学生用の書道セットを買ってきて、書初めをすることにした。新学期が始まるとタヌキ達もお寺で習字をするかもしれない、などと思ったからだが、文具店で書道セットを見るついでに、色鉛筆や筆箱など、タヌキ達に必要なものを見繕っておかねばと思った。それが正しいのかどうかなどはもう考えない、人並みの教育をしなければと春美は真剣だったし、そういう道具を買いそろえるのが楽しかった。
新聞紙を敷いて半紙を並べ、それぞれに「好きなことを書いてみて」、と言う。それぞれ筆にも墨汁にも触れることはできないが、イメージのパフォーマンスでエゾtが書き始めた。エゾtは新聞を読むときも絵本を読むときも、なぜかさかさまに読むが、習字もどういうわけか逆向きだが、器用に『春美』と書いてくれた。
「すごおい、エゾt上手」
エゾtは新聞やテレビを見ながら少しずつであるが人間の言葉を理解しはじめているようだった。ポンは、というと「大王」と書いているようだ。ポンもまだ幼稚園児並みかそれ以下の文筆力ではあるがエゾtをマネて人間の言葉を形で覚えようとしているようだ。だができあがったものは『太王』だった。エゾリンやタヌリンも見よう見まねで「春美」「大王」の文字を書いている。
タヌタヌが「龍」という字を書こうとしては失敗し半紙を取替える動作をする。「タヌタヌ、龍はねえ、こうだよ」
タヌタヌと一緒に筆を持つポーズをし、一緒に書初めをした。
「たぬたぬたぬ」やったあ、とタヌタヌは満足げだった。春美も小学生以来の書道が楽しかった。みな文字を書くことに夢中になり、いろいろな文字を新聞紙をみながら書くパフォーマンスをしていた。
書初めを終えて、春美とタヌタヌが一緒に書いた「龍」の字のみがリアルに残りその他の作品は、すうっと消えてしまった。春美は龍の書初めを額縁におさめ、居間の目立つ場所に飾った。タヌキ達はうれしそうに眺めていた。
タヌキ達との生活が始まってもう1年以上が過ぎた。二回目の春。まだ遠くに見える山々には残雪が残るものの、足元には暖かな春が訪れていた。
春美が植えた多年草や球根で一番先に咲くのがエゾエンゴサク。サルビアのように突起したいくつものラッパ状の小さな花弁は水色をしていてみずみずしさを感じる。もうすぐサクラの木が満開となる。百花繚乱というが、北海道の短い春は様々な花で彩られる。
食卓テーブルに朝食の用意ができた。春美と義明は手をあわせいただきます、をする。横でタヌキたちもテーブルにつきイメージの食べ物を前にしてそれを箸を使って食べるそぶりをする。ふと春美は、義明がおいしそうに玉子焼きをほおばるのをタヌキ達がじっと見つめているのに気が付いた。タヌキ達も義明に似て、春美が作る玉子焼きが好きなのだ。ただ、このタヌキ達はモノに触れることができない。現実のものを食べることもできない。春美達もタヌキに触れたことがない。義明のお弁当箱に玉子焼きを一つ、二つ詰めながら、タヌキ達にもお弁当を持たせてあげられたら、と春美は思った。
タヌキの学校は義明がイメージしたお寺だが、「だだだだだたぬうき」新学期が始まったと、エゾtを先頭にタヌキ達は朝から出かけていった。みな黄色い帽子をかぶり、黄色いバッグを持って2本足で歩いていく。春美のイメージで子供のころの春美はそうだったらしい。もっともそれは幼稚園児の頃のことで、タヌキ達の学年はいま何学年なのかはよくわからない。お寺の学校へ行って何を学んでいるのかもおぼろげでよくわからない。
昼をすぎてタヌキ達が学校から帰ってくると、満開の桜の木にしばらく抱き着いて離れない。タヌキ達はこのサクラの木をよほど気に入っているらしい。ベランダから庭に下りて洗濯物を干している春美がそのタヌキ達の様子をにこにこしながら眺めている。ふと、タヌタヌが木に登り始めた。
「あ、また、こらっ」
一番低い枝から手足を伸ばして、飛んだつもりだったのだろうがあえなく墜落した。タヌキは人やモノに触れることはできないが、地面にはたたきつけられる。「たぬたぬたぬたぬ」痛たたた。とタヌタヌは顔をしかめた。駆け寄った春美がタヌタヌを抱きかかえる。
「はっ」
として春美はタヌタヌを見つめた。タヌタヌも春美を見、他のタヌキ達もその様子をまじまじと見ている。
「触れた」
ほんの一瞬だったが、春美は確かにタヌタヌを抱きかかえた。だがするりとタヌタヌは春美の腕やひざをすり抜け、透き通って地面に伏した。
「大丈夫?」
春美はタヌタヌがケガをしていないか、身体を触ろうとするが手がすり抜ける。
「でもいま確かに触ったよね」
そうタヌタヌ、他のタヌキ達にも確認し、タヌタヌを触ろうとするが、やはり手がすり抜ける。ポンが頭を出して「なでて」と言うようなポーズを見せる。ポンの頭を撫でようとするが、手がすり抜ける。他のタヌキも起き上がったタヌタヌも、頭を向けて「なでて」と言わんとしているかのようだったが、どのタヌキを撫でようとしても手がすり抜ける。
「まだなのかな、ここまでなのかな、パワーアップしたら撫でてあげれるのかな」
そう、春美はタヌキ達の前でひとり言を言ってため息をついた。
春美はタヌタヌが大丈夫そうなのを確認し、物干台のほうへ戻る。風が吹いた。サクラの花びらが舞い散って花びらがひとつふたつ、タヌキ達の頭に乗っていた。
町内会の役回りで義明は今年一年班長の役を担う。義明の自宅は家が点々としかないような市郊外のはずれではあるが、町内会は住宅が密集している団地の会館を拠点にしての様々な行事を行っている。これまで世帯主として町内会費は払っていたが、町内会の行事に誘われ、町内会役員の顔ぶれを確認したのは今年が初めてのことであり、町内会に関わる様々な顔を見た。
休日、外で義明が草むしりをしていると、
「はいこれ、班長グッズ一式ね」
数十メートル離れた隣家のご主人が、回覧板やら集金袋やらが入っている段ボール箱を持ってきてくれた。隣家の様子は子供のころから何となく知ってはいるが、世帯主同士での会話といえば不思議とこれが初めてであった。よく家の前を通りかかるこのご主人とは会釈程度の挨拶はしており顔は見慣れていて、そしてどこか懐かしい。このご主人もご両親から家を譲り受けた二世である。
「ああ、その木の箱はもう何年も使っていないから捨てていいって前の班長さんから言われていましたけど、まあ、お任せしますね」
口髭を蓄えた50代くらいに見えるそのお隣さんがグッズ一式の中から「投票箱」と書かれた木箱を取り出して持って見せた。
「何に使っていたんでしょうね?」
「さあね、僕も班長は一回しか経験していないものですから」
そう言って義明の庭を見て、
「お庭、いい感じになってきましたね。これからの時季、楽しみですね。野菜はやらないの?」 そう聞かれ
「ええ、まあ、何かおすすめの野菜ってありますか?」
「ここ一帯はもともと砂地だから」
そういって、口髭のおじさんはひとしきり野菜づくりのうんちくを語り、そして深呼吸をしながら、散り際のサクラに目を細めた。
「いいね、このサクラ。うちにもサクラあるけど枯れてしまったのか、芽ぶいてこないんですよ。この桜とうちの桜、たしか同じに植えたんですよ。どこかの田舎の農家さんがダンプカーに乗せて持ってきたのをうちと、お隣と、あっちの家でもらったって親父が言ってました。大事にしてたんだけどなぁ」
あっちの家とは、髭のおじさんの家と反対側の隣家のことだ。義明は子供のころは庭木や草花に全く興味はなく、それほどの執着心もなかったのだが、言われてみると両隣にはこちらと同じように似たようなサクラの木があり、花を咲かせていたような記憶がある。いまはあっちの家にサクラの木は無い。
「ねえ、今度、花が終って7月頃になったら実をつけますよね。さくらんぼみたいなのじゃないけど、黒いちいさいの。それ何個かもらえませんか。うちにもう一度同じの植えて育ててみたいんです」
「ええ、実ができるころいらしてください。お好きなのを取って行ってかまいませんから」
「どうもね~」うんうんうなずきながら、隣のおじさんは数十メートル先の自宅へと戻っていった。
「へーこれが班長グッズ。その投票箱すてる?」
奥から出てきた春美が義明が手にしている投票箱を見てから義明の顔をのぞきこむと、タヌキ達も同じように義明の顔を見上げている。
「来年の班長さんに任せるよ」
と言って苦笑いした。
春美が、「ねえ、タヌキ達には町内会ってないのかしら?」そうタヌキ達にたずねると、
「タヌキ達にも町内会の組織はある」という。タイムリーに野ネズミのおじさんが回覧板をかついで持ってきて、 ポンが「ポンポンポンポコ」ご苦労様、と言って受けとった。タヌキ達は回覧板の中身に目を通すしぐさをし、隣のウサギへ回さなければならない、という話になり、誰がウサギ宅へ行くかと、じゃんけんをはじめたが、なかなか決着がつかない。カモメの郵便屋さんを呼んで届けてもらうことにした。
「え、カモメの郵便屋さん?」
カモメが郵便屋さんになる空想はしたことはなかった。ただ、情報伝達の役目を担っているという点においては義明の想定通りではある。いずれそのカモメはタヌキ達の水先案内を務めることになるのだが。
「ねえ、来た?」
玄関先で空を見上げるタヌキ達に春美が問いかける。ふいに1羽のカモメ、あのカモメがスゥーッと頭上に、家の前の電線に止まった。
「あれあれ、普通カモメは電線になんか止まらないよ」
そう春美が叫ぶと、カモメはしまった、という顔をしてフワリと浮き上がり、どこか平な場所はないかとふらふらしながら、庭の平石に着地した。黄色い足ひれがある白いカモメ。羽のふちのほうが少し灰色がかっている。目はパチクリしてかわいらしい顔をしている。義明、春美、タヌキ達が玄関前にそろってカモメを見つめると、
「義明様こんにちは、はじめまして、大王様、タヌキのみんな、僕はカモメのカッちゃんです」
日本語をしゃべるカモメだった。これも義明としては想定外であったが、もとより、カモメが「ダダ語」や「ポンポコ語」などを話すのはおかしいし、そもそもカモメが何語を話すかなどは考えてもいなかったので日本語なのであろう。
「また私が大王で義明が義明様なの?」そういう春美や、義明やタヌキ達に丁寧におじぎをして、
「ご用件は何ですか」そう義明の方を向くと、
「カッちゃん、今日はね、タヌキ達がお手伝いをしてほしいんだって」
「だあだあだだだだだたぬうき」回覧板をウサギさん宅に届けてほしい、そういうと、
「わかりました。お安いご用ですよ」
「ぽんぽんぽこぽこぽん」じゃあ、これお願いしますね。そうポンから回覧版を渡されたカモメのカッちゃんは、いつの間にか郵便屋さんのユニフォーム姿になり、
「では回覧板をお預かりしました。また何か御用がありましたらお呼びください」そう言って、
「あれ、手に持つと飛びにくいなあ」
右の羽、左の羽、と持ち替え、あげく足でつかんでとでも思ったのか、地面に置いた回覧板を見て春美が、
「カモメは足で物を持ったりしないよ」そう言うと、
「ああ、それもそうですね」カッちゃんはくちばしに回覧板をくわえて、隣のウサギ宅へと向かったようだった。春美にも義明にも隣のウサギがどこに住んでいるのかはよくわからない。
カッちゃんを見送って、みなは家の中に入っていったが、義明がふと振り返るとタヌタヌがまだ飛んでいったカモメを見送っていた。
「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」いいな、空を飛んでみたいな、そうタヌタヌがつぶやいていた。
その夜、春美は寝室でタヌキ達を寝かしつけたあと、居間に戻って義明とお茶をすすりながら、
「あのね、カッちゃんはタヌキ達を修行の場へ案内する係なんでしょ?」そう義明に聞くと、
「うん、そういう時期に来ているのかもしれない。カッちゃんが現れたということはそういうことなんだ」
「タヌタヌ、空を飛びたそうだけど、それは・・・」
そう言いかけて居間のドアのほうを見ると、タヌキ達がドアの向こうで聞き耳を立てている。
「こら、もう寝る時間だよ。歯は磨いたの?」
そう言って春美はタヌキ達を寝室へ連れ出した。義明は残りのお茶を飲みほし、
「春美はタヌタヌが空を飛ぶのに反対なんだなあ、どうしたものかなあ」
とつぶやき、ベランダに立って手稲山を眺めた。大きなオレンジ色の三日月が、山とくっつきそうな距離にあり、義明はその月に坐ったり、滑り台のようにして遊ぶタヌキとウサギの姿をイメージした。
北海道の短い夏はあっと言う間にやってきて、庭のサクラも草木もイキイキとした緑色を誇らしげに太陽へ向けている。義明と春美はタヌキ達を連れて海へ出かけることにした。家のまわりばかりではなく、タヌキ達にはもっといろいろな世界を見せてあげよう、そう義明も春美も思っていた。自宅から北へ向かうとほどなく石狩川にかかる大橋にさしかかる。タヌキ達は橋の上を走る車から川の流れを珍しそうに眺める。やがて小高い丘の上にある義明の先祖が眠る墓地の横を通りすぎ、下り坂になると白波がたつ海岸線が見えてきた。
「えぞりん」たぬりん」「たぬたぬ」「だだだだ」「ぽんぽこ」海だ、と皆が一斉に声をあげた。駐車場に車を止めて海水浴場へ向かうと、まだ7月の初旬というのに親子連がまばらに来ていた。
タヌキ達は大はしゃぎで砂の上をかけまわり、波打ち際で水しぶきをあげた。タヌキは水はあまり恐くないようだ。犬科の動物だし義明も春美も海は好きだから、タヌキ達も当然にも海は好き、と思っていた。駐車場の係員にも、海水浴客にもタヌキ達の姿は見えない。犬を連れた海水浴客のその犬が少しこちらを気にして見ていたほか、義明と春美の二名にしては広くシートを敷いているのを違和感もって見ていた人がいるくらい、タヌキの存在は義明と春美だけのものだった。
ひとしきり遊んだそのあと、タヌキ達はそろって前足で砂をかき、砂に潜り頭だけを出して昼寝を始めた。
「顔を日焼けしないかしら」
春美がビーチパラソルを開いてタヌキに直射日光が当たらないようにしてやった。
春美は海は好きだが泳ぐことはしなかった。まだ体調が万全とはいえないし、久しぶりの海水と強い日差しで皮膚に湿疹ができるかもしれないと思ったからだ。そう思っていると、サングラスをかけたエゾリンとポンが日焼け止めのクリームを塗るしぐさをはじめた。エゾtは春美のコンパクトを借りて鏡を見、
「だあだだだだだたぬうき」目のまわりが黒く日焼けしている、と、冗談なのか本気でそう思ったのかわからない焦りのアクションをしていた。
「エゾt大丈夫、いつもと変わらないよ」そういう春美に、「だだだだたぬうき」それならいいけど、と言ってコンパクトを返してきた。春美はハッとして、
「コンパクトを手渡しで返した」
タヌキにはさわれないと思っていたが、何かモノを手渡しできるようになったのだろうか、そう思った。
お昼時、春美が手作りの弁当を広げる。春美と義明のふたり分だったが、義明が好物の玉子焼きは少し多めに作っていた。朝キッチンで玉子焼きを作っている最中、タヌキ達は食べたそうにフライパンで玉子焼きが出来上がる様を見つめていた。食べられないだろうとは思いつつ、タヌキ達のぶんも、と多めに作っていた。
広げたお弁当を「おいしそう」と見つめるタヌキ達と義明。春美はついさきほどエゾtにコンパクトを手渡しができたことからの期待をこめ、箸でつまんだタヌキ一口大の玉子焼きをエゾtの口元に運んでみた。すると、
まるでスローモーションのように義明と春美には映った。映画の一こまのような感動的な一場面であった。
「食べた」
我に返って今更のように驚き、春美の目に涙が浮かんだ。エゾtは至福の表情となり、舌なめずりをして「だだだ」もっと、と言っている。他の4匹が四つ足になり犬の子のように鼻を突きだしておねだりをしている。ビーチパラソルをななめに下げ、近くの親子や後ろのカップルに見えないよう、一匹一匹に与えようとしたが、他の子には玉子焼きも箸も通り抜けて食べさせることができない。エゾtにもう一度与えると、
「また食べた」
箸は前歯にはふれない。玉子焼きだけ口の中に入り、エゾtはモグモグと口を動かし、「だだだだだ」とてもおいしい、と言って玉子焼きが何も残っていない口の中を見せ、「だだだ」もっと、と言って真ん丸なつぶらな目を輝かせている。春美は「手で触れられるようになったか」と思い、エゾtの頭や前足に触れようとしたがすり抜ける。もう一口、他のタヌキが羨ましそうに、春美の箸の導線を追った。玉子焼きの入ったタッパからエゾtの口元まで、その三くち目の玉子焼きがエゾtの口の中に吸い込まれる様をまじまじと見ている。
太陽が輝き青い海がキラキラと反射している。義明も春美も夏の海辺でそれまでに味わったことのないキラキラとした至高のひとときを迎えていた。
エゾtは三切れの玉子焼きを平らげ、満足そうに昼寝を始めた。タヌタヌとポンは波打ち際で遊び、エゾリンとタヌリンはあたりの散策を始め、貝殻やカニの抜け殻や海水パンツを前後ろに穿いているおじさんを見つけては義明と春美に報告をしにきた。義明と春美はお弁当を食べながら、
「遠くに行かないんだよ」と、ときどき注意をしながら5匹の様子を眺めていた。
「海、また来ようね、楽しかったね」
そう言って、春美はそそくさとお弁当の容器や水筒、ビニールシート、パラソルを片付け、荷物を義明に持たせると、「さあ、行こう」そう言って海を背に駐車場へ歩いた。日は傾きかけていた。義明とタヌキ達は春美についていって、それぞれ車に乗り込み、海水浴場をあとにした。タヌキたちは名残惜しそうに車中から海をながめ、「だだだ」「えぞりん」「たぬりん」「ぽんぽこ」「たぬたぬ」またね、と、海にバイバイをしていた。
家に帰ると日は沈み、東の空から赤味がかった大きな満月が上りはじめていた。春美はすぐに「晩御飯の支度」と急いでキッチンに入り、「義明はシャワーを浴びて。タヌちゃんたちもね」
そう言って、ガサゴソとフライパンや食器を出し、冷蔵庫の中を見て思案している。
「海を出るときからなんだかせっかちだな。なにをそんなに急いでいるのかな」
義明はシャワーを浴びにバスルームへ、タヌキ達も義明に付いてバスルームへ行き、シャワーを浴びるパフォーマンスをする。パフォーマンスではなく、それぞれ湯を気持ちよさそうに浴びているのに義明は眼を見はった。
「春美、見て」
義明が春美を呼んだがこちらへは来ない。気を取り直しシャワーの続きをする。
「砂や塩水を落とさなくちゃね」
義明の手はタヌキ達に触れることはできないが、シャワーの湯は確実にタヌキ達の身体を濡らした。
「目をつぶって、頭を洗うよ」
そういうとタヌキ達は横一列に並び四つ足で頭を低くし目を閉じた。頭、背中、しっぽと湯をかけてあげる。
「お腹のほうも洗うよ」
そういうと、みな仰向けになりお腹を見せて目を閉じる。義明はタヌキ達のお腹めがけて湯をかけると、みな、うっとりと気持ちよさそうな顔をした。
シャワーが終わると脱衣所に出て、タオルで身体を拭いてあげようとすると、「プルプルプル」みな身震いをして水気を吹き飛ばし辺り一面に水しぶきが散った。「うわっ」と義明はたじろいだが、身体を拭いて、とタヌキ達がすり寄ってくる。
「触れる」
タオルを通して確かにタヌキ達の身体の骨格が毛の厚みが手に伝わる。春美がいつの間にか脱衣所に来ていて、目を潤ませている。もう一枚タオルを追加し、二人で一匹一匹、丁寧に拭いてあげた。タヌキ達も嬉しそうだった。直接手で触れることはできない。タオルを通してだった。でも確実にタヌキ達は現実に生きた生き物としてこの三次元の空間に姿を現し始めていると確信した。
春美はタヌキと義明がシャワーを浴びている間に、晩御飯の支度をしていた。テーブルには玉子焼きが大皿に盛られていた。大目に作っていたお弁当の海苔巻や稲荷寿司も並べられ、取り皿と箸は7組、春美のと義明のとタヌキ達のものが置かれていた。イスは四脚、一脚は義明、一脚はエゾtとタヌタヌ、一脚はエゾリンとタヌリン、一脚には春美と春美の横にポンが乗っている。
「いただきます」「だだだたぬうき」「えぞりんえぞりん」「たぬりんたぬりん」「ぽんぽこぽん」「たぬたぬたぬたぬ」そういうと、早速、春美は玉子焼きを箸に取り、ポンに食べさせようとした。くんくんと匂いを嗅いでいたかと思うと、パクリ、ポンはおいしそうに玉子焼きを食べ、「ポンポコポン」おいしい、と、春美の顔を見上げた。
義明もエゾt、タヌタヌに、春美はエゾリンとタヌリンに玉子焼きを食べさせる。
「みんな食べれるようになったんだね」
春美はぽろぽろと涙をこぼした。ポンが春美の膝の上に乗って、前足をテーブルに乗せ、春美に振り返りながら、「ぽんぽこぽんぽこ」もっと食べたい、と言い、春美の顔をぺろぺろなめた。
「ポンちゃん」
春美はポンをギュっと抱きしめた。エゾtが、エゾリンが、タヌリンが、タヌタヌが、僕も私もと、春美の膝に乗ってきた。タヌタヌがあぶれて床に落ち、義明の膝に乗ってきて、「たぬたぬたぬ」抱っこ、と言い、義明はタヌタヌの背中を両手で支え、目と目を合わせ、鼻と鼻を突き合わせた。
いつの間にか、悪タヌキがテーブルの上に坐り、箸も使わず大皿に顔を突っ込んで、がつがつと玉子焼きを食べている。
「あっ、こらっ!」
満月の力だろうか、海の力だったのだろうか。この日を境に少しずつ、2人とタヌキ達は本当の人間の家族のように接する日々となっていった。
義明が留守中、午前中は春美は家事に専念する。タヌキ達は午前中はお寺の学校に行っていて、午後に帰ってきてからは一緒にお昼ご飯を食べ、絵本を読み聞かせし、お昼寝をさせ、また、一緒に庭木の手入れをするなどした。
タヌキ達はあまり食べるということに執着しないようだ。たくさんの量を食べようとはしない。家の中のタンス、窓、冷蔵庫、ナベ、など、人間が使う道具を春美がどのように使うのかを気にし、いちいち春美のあとをついてくる。人間の文化を学ぼうとしている研修生のようでもあり、よくなついた子供のようでもある。家事については人間ほどの複雑な手作業はできないし、重いものを持たせたりもできない。庭木の手入れもそうだ。
エゾリンが庭木の枯れ枝の剪定や咲き終わった花の花摘みをしている春美を手伝っているときに誤ってバラの枝を折ってしまったことがある。すまなそうにタヌリンも一緒になって「えぞりんえぞりん」「たぬりんたぬりん」とバラの枝に謝り、物置の道具箱から紙製の粘着テープをみつけてきて、それを巻き付けようとするがうまくいかない。バラの小枝が一本折れたとしてもそこまでの処置を春美はしたことがないが、エゾリンの優しい気持ちは大事にしたかったので、楊枝4本を折れた部分の充て木にして、テープをぐるぐる巻きにし、
「これで様子を見ようか」
と、涙目のエゾリンの頭をなでた。バラは折れた枝を『挿し芽』に土に刺しておくと根が張ることがある。また茎の一部が宙ぶらりんに折れてでも完全に切断されていなければ再生する可能性はある。エゾリンはそのバラに毎日「えぞりんえぞりん」とつぶやき、水をあたえ、折れた部分が再生するかどうか見ていた。そのバラの折れた枝は再生し、その後も枝葉を伸ばし続けた。
タヌキ達から春美が学ぶことも多い。家の中に入ってきた虫をタヌキ達が大騒ぎで追いかけ、つぶすのかと思ったら、テッシュでやわらかくつつみ、大事そうに外へ運んで逃がしている。花の種を植えて芽が密集して生えてくると春美が間引きするが、間引きして抜いた芽を他のところへ持って行って植えている。敷地のまわりに盛んに生えるオオイタドリなどの雑草を刈っていると半ばくらいで「そのくらいにしておこうよ」と、懇願する。
「この子達は命の大切さを私達よりも知っている。」
春美はそう思った。折れたバラや抜いた草、家に侵入した虫をタヌキ達は植物、虫、などとは思っていない。「命」と考えているのだ。
そうは言っても「人間らしい」ところも見せる。このごろは、肉も魚も口にするし、就寝中に蚊の羽音を聞くと「蚊取り線香」を炊くように言うし、バラのとげが身体に刺さると「シーシー」言ってバラに文句を言う。
タヌキ達が手伝ってくれるおかげで庭木の枝や草花は紙テープだらけになった。「だだだだだ」しまった、と言っては折れた茎を紙テープで巻く。だが信じられない、と春美が毎日のようにつぶやく。全てが見事に再生するのだ。ヒマワリが幹の真ん中からぽっきり折れてしおれていたときにはさすがにダメだろうと思ったが「たぬりんたぬりんたぬりん」ごめんごめん、よくなってね、と紙テープを巻いて翌日にはしゃん、とし、葉がピンと張り、きちんと花も咲かせ、実もつけた。
この子達には癒しのパワーがある、そう春美は理解した。おいおい気が付くのだが、タヌキ達はパワーアップする毎に他者再生能力が高まっていく。再生能力は植物だけではなく動物にも働く。人間に対しては、その限りではないようだ。春美が、「いたたたた」と、園芸の作業中にとげを刺したり、軽い切り傷を負うなどしても、タヌキ達はぺろぺろなめって心配そうな顔をするまでだ。だが、そんな優しい気持ちは嬉しく、傷の痛みも軽く感じる。
サクラは旺盛に葉を茂らせている。庭はバラの花が見ごろを終えユリがつぼみを大きくしていた。庭のサクラはエゾヤマザクラで、サクランボのように人間が食するような大きな実はつけないが、サクラの花が終ったあと五ミリ程度の小さい実をつける。7月になると実が熟し赤黒くなるが、これはカラスなど、野鳥のエサとなる。
カラスは飛行距離が長いのでサクラにとってはありがたい鳥かもしれない。よくサクラの木の下にカラスのフンを見かけるが、その中にサクラの実であろう、小さい粒が混じっているのを見る。運よくその粒が条件のよいところに落下をすると芽を出し、風雪に耐えて成長すると数年後には花を咲かせる。春先に山道をドライブすると、ポッポッとサクラが山中に咲いているのを見かけるが、あれはカラスなどの野鳥が運んだ種によるものと聞く。園芸市などで売られているサクラはたいていは『接ぎ木』したものであるが、種から育てるサクラは花を咲かせるまでに成長させるにはけっこうな年月と根気が必要と、隣のおじさんが語る。
予告通り隣のおじさんがサクラの実を取りにきた。脚立が必要かと思ったが、地面に落ちているものでいいですよ、落ちているもののほうがよく熟しているから、と言い、5~6個みつくろってうれしそうにもっていった。隣おじさんの庭では野菜づくりを盛んに行っていたが、春美の庭を参考にバラやクレマチスも植えようと思っている、という。
「このサクラは大事にしたいね」何度か庭の散策におとずれては、そう言う。親の代から受け継いできたサクラだから、というふうに春美は理解していた。
このサクラの木の実は今年も去年もカラスが食べているのを見かけていた。種は運ばれやがてどこかの山で育ち花を咲かせるのだろう。そしてそこで成長した木がまた実をつけ、更に遠くまで運ばれる。
カラスやおじさんに習ってか、タヌキ達が落ちているサクラの実を拾って、春美に「とっておいて」とあずけた。春になったらあちこちに植えたい、という。
町内会の行事は、町内のゴミ拾い、古新聞などの廃品回収、公園の花壇の手入れなど、学級委員であればおよそ美化委員のようであるが、夏の終わり、町内会で一番大きな行事が七夕祭と、盆踊りである。婦人部の部長さんが春美を訪ねてきた。
「奥さん、七夕の短冊とお祭りのチラシ、お願いしますね」
仕事以外で他人とのかかわりをあまり経験してこなかった若い夫婦にとって、近所づきあいは新鮮であり、今度の七夕祭も盆踊りも楽しみにしていた。
「花火も上がるからね、ほんの2、3発だけど。旦那さんは焼き鳥を焼く係りだったよね。よろしく言っておいてね」
そんな会話をし、「それじゃあ」と言って婦人部長は庭に咲いたバラやユリを楽しそうに眺めながら道路へ出ていった。
七夕や盆踊りのようなお祭りはタヌキ達にも初めての経験だった。町内の短冊係というのは受け持ちの家々をまわって、七夕祭りのチラシを配りお祭りの概要を説明する一方、短冊に願い事を書いていただき、当日、町内会館に用意された笹の木に吊るすという役目だ。町内にどのくらいの子供が住んでいるのかわからないが、預かった短冊の束と七夕祭りのチラシを持ってさっそく町内を巡る。タヌキ達もついてきた。
回覧板の順番通りに、先ずは50メートル離れた以前の班長、髭のおじさんのところへ行く。夏草が道路脇に生い茂っている。おじさんの家の敷地も夏草に囲まれてはいるが敷地内の庭はよく手入れされ、様々な野菜が見事に成長している。髭のおじさんは散歩がてらときどき春美の元を訪れ野菜作りのうんちくを語ったり、庭を散策してクレマチスやバラをほめてくれる。すっかり顔見知りだ。
「ごめんください」とインターホンのスイッチを押すとすぐにおじさん、おばさんが出てきて、
「やあ奥さん、こないだはサクラの種をありがとうございます」とにこやかに出迎えてくれた。おばさんが、
「ああ、七夕の短冊ですね、去年やりましたけどけっこう大変でしたよ。留守の家が多くて。よかったら半分手伝いますよ」
そう言ってくれた。タヌキ達は庭のナスやトマトやインゲンを珍しそうに見ている。
「ええ、そんな、いいんですか?」
「ええ、今日は暇だし、町内会の仕事はね、お互い様ですから」
そう言いながら、春美が手に持っていた短冊を半分ほど取り上げ、
「私は回覧板の順にまわるから、そちらは回覧板と逆の家をまわってくださいね。子供がいない家はね、大人でもいいんですよ。留守宅はポストに入れて、全部配り終わったら終了でいいんですよ。それとね、短冊はその場で書いてもらわなくても『自分で持って行ってください』でいいですからね。七夕のお菓子のことはなるべく説明しておいたほうがいいですよ」
と、親切に教えてくれた。おじさんが、「畑を見ていかないかい」と、自慢の家庭菜園を案内してくれた。
「立派なトマトですね」
「ははは、そうね、今年はお天気がよかったから。トマトはね、わき目をこまめに摘むのがコツでね」と、その場でのうんちく語りが始まった。
「いつかね、私が定年退職したら、ここの家を改装してうちの奥さんと一緒にカフェでもしたいと思っているんですよ。パン焼いて、自家製の野菜やハーブを出してね、庭もイングリッシュ風のガーデンにしようと思うんだ」
「いいなあ、お店の名前はもう決めているんですか」
「そうだね、なんか横文字のカッコいいのがいいよね」
おばさんがおじさんから春美を引き離すように、
「さあ奥さん短冊を配りに行きましょうね」と促した。
ふと表札を見ると、全くの偶然であろうが、ご主人が義明、奥様が春美だった。
「気が付きました?」
「ええ、びっくりしました」
「何かの縁ですかね」ふふふ、と、隣の奥さんは笑い、私はこっち、あなたはあっち、とお互い指さし確認をして別れた。
おじさんの家を出てから、自宅の方へもどり、反対側の隣家を目指す。反対側の隣家は自宅から100メートルほど離れている。春先に通りかかったときには庭にはブランコや滑り台や鉄棒が置いてあったのを見かけた。子供がいる家なのだろう。何度か通る道ではあったが、訪問するのも家主と会話をするのも初めてだった。
この家のまわりもオオイタドリやセイタカアワダチソウなどの夏草が勢いよく生えていて、すっぽりとこの隣家を隠すかのようだ。オオイタドリは高さが2メートルにも成長する北海道では代表的な雑草だ。夏をすぎると白い花を咲かせるが園芸には向かない。どちらかといえば厄介者のイメージだ。
玄関まで来てようやく庭の奥が見えた。アーチにバラが見事な花をつけている。道路のほうとは対照的によく手入れされたガーデンだ。
「こんにちは、ごめんください」
「はーい、あら、隣の奥さん」
「七夕の短冊を持ってきました」
「あらあら、町内会のね、ありがとう。うちは子供が5人いるから、旦那と私の分と7枚もらうわね」
「えー、5人ですか」危うくうちと同じですね、と春美は言いかけて、足元のタヌキ達を見た。隣家の奥様は、
「毎年七夕と盆踊りは楽しみなの。上の子はもう来年は高校生なんだけどね。受験で合格しますように、とか書かせようかな。書いたのは直接会館に持っていくから」
と、短冊を7枚受け取ってくれた。
「アーチのバラ、素敵ですね」そう春美が庭を褒めると、
「まあ、うれしい、今年はうまく咲いてくれたの。オオイタドリのお陰かしら」
「え、オオイタドリの?」
「少し暑い日が続いたでしょ?草が家のまわりで茂っていると暑さが和らぐとかなんとか言って、うちの主人ったら、ずぼらだから、なかなか草刈りなんかしてくれないのよ。ビオトープだとか言って」
「ビオトープ、ですか?」春美には初耳であった。
「鳥や虫やいろいろな生き物が立ち寄れる場、ってことね。おかげて小鳥やらキツネやらいろいろきてくれて楽しいわ。春先は新芽を子供と一緒におやつがわりにむしゃむしゃ食べたりして」
オオイタドリって食べれるんだぁ、と思いつつ、さきほどの隣のおばさんから聞いた七夕のおやつの話を思い出した。
「あの、七夕のおやつのことはご存じでしたか?」と、春美は「この町内にきて初めての経験」だと打ち明けると、
「ろうそく出せ出せ、のでしょ?何年かぶりにやるみたいね。団地に比べたらこちらにはあまり子供は来ないから、20組くらい用意しておけば大丈夫よ。あ、でもうちの子達、そちらに行くかもしれないけど、無理なさらないでね」
ふと庭を見るとタヌキ達が滑り台などで遊んでいる。奥さんに見えないよう背中にまわした手で手まねきをし、
「それでは」と挨拶をし、隣の奥様は「ありがとうございました」と見送ってくれた。
団地のほうにさしかかると短冊とチラシは順調にはけて、町内を半周するころ向こうからやってきた「隣のおばさん」と鉢合わせになり、「終わりましたか」と聞かれ「はい、あと3枚になりました」と答えた。
「優秀ね、こっちもあと1枚。あとは自分で好きなこと書いてもっていくことにしましょう。お疲れさまでした、また遊びにきてくださいね」
そう言って二人は別れ、それぞれの家へ戻った。
町内にはいろいろな家が建ち、いろいろな人が住んでいる。庭づくりも参考になる、珍しい地植え植物や植木鉢の花があり、タヌキ達も物珍しそうに家々と住んでいる人々の暮らしを見ていた。
家に戻って短冊に何を書くか思案する。
「タヌキ達といつまでも幸せに暮らせますように 義明 春美」
「世界中に争いがなく世界中が平和でありますように タヌキ一同」
そんな風に短冊に願いをこめて書いた。タヌキ達がしげしげと二枚を見つめていた。
もう1枚はどうしようか、と思っていたら、いつのまにか来ていた悪タヌキが、
「はるみがよいこになりますように タヌキいちどう」
「こらっ!」
北海道の七夕は7月ではなく仙台などと同様、8月7日とする集落が多い。この町内ではお盆になると墓参りや里帰りで人がいなくなることから、七夕祭と盆踊りの行事をお盆前に同日に済ませてしまうことにしている。
お祭り当日、春美は午前中のうちに町内会館で短冊飾りの手伝いをし、家に帰って昼食を済ませて義明を送り出した。春美はお祭り会場では特に出番はなく、義明は焼き鳥を焼く係りになっていたため早めに家を出た。慣れない町内会の仕事で少し気疲れした春美はタヌキ達とソファでうたた寝をしていると、
「ろーそく出せ出せ出―せよ、出さぬとひっかくぞ」
と、子供が玄関口で歌っている。春美は目を覚まし、用意していた御菓子の袋を持って玄関へ出た。小学校低学年と思われる子供2名、高学年と思われる子2名、中学生と思われる子、合計5名が玄関に立っていた。
「あら怖い怖い、はい、ろうそくの代わりにおやつね」
「やったー、ありがとう」
子供たちはお菓子を受け取ると次はあっちだ、と、50メートル離れた髭のおじさんの家をめざした。
「隣のおうちの子達かしら」
御菓子はお徳用の袋菓子を何袋かスーパーで購入しておいて、小分けして袋に入れておき用意しておく。町内会の七夕マニュアルでは各家庭、30組程度を用意し、余ったらお祭り会場へ持ってくる、子供はお菓子をもらう家は5軒まで、ということになっている。
義明や春美が子供のころは夕方の薄暗い時間になってから提灯を持って各家をまわり、ろうそくをもらっては、提灯の炎を維持した。近年はろうそくはやけどや火事の元、ということで、ろうそくではなくお菓子を与えるのが主流らしい。と、いっても、ろうそく出せ出せ自体は風化して、そのような行事を行わない町村が増えていると聞く。むしろ10月のハロウィンの方が流行りのようだ。
春美は支度をして、タヌキを伴ってお祭りの会場に行く。盆踊りはすでに始まっていて、公園中央のやぐらでは、音楽にまるで調子が合わない太鼓がたたかれており、集まった子供たちからブーイングが起きていた。太鼓をたたいていた総務部長が春美を見つけ、やぐらから下りるとバチを手渡し、
「すみませんが私は音痴で、代わりに太鼓をたたいてくれませんか」と言う。
「えーっ、私でいいんですか」
「さあさあ」と、やぐらの上に上がるよう、まわりの人たちも担ぎ上げるように、春美をやぐらの上へと押し上げた。春美は、太鼓をたたこうとするが、やぐらの上に太鼓は無い。きょろきょろと探したが、やぐらの上にも下にも太鼓らしきものがなく、そのうち、やぐらに大勢の人が押し寄せ、「早くたたけ」「どうした何してるんだ」と怒り、せかす。仕方なく春美は、じゃあ、と、お腹をだし、ドンドンドンと、腹鼓をたたいた。ふと気が付くと、まわりに集まっているのは、クマ、キツネ、シカ、ウサギ、と、皆、動物の顔をし、やんややんやと喝采し、
「さすが大王様」「大王様、太鼓お上手」と、歓声を上げたところで目が覚めた。
「ハッ」隣でタヌリンがくっついて寝ている。
「また予知夢?まさか」
どのくらい寝ただろうか。さっき来た5人の子たちが最後だったと思われる。今日は20人ほどの子供が玄関先に訪れた。
春美は支度をして、タヌキを伴ってお祭りの会場に行く。会場となっている公園の横には町内会館があり、その出入口付近にはササの木ではなく柳の木が2本ほど立っていて、たくさんの短冊が飾られていた。北海道ではササの木は手に入りにくく、町内会は柳の木で間に合わせたのであろう。短冊をながめていた子供が、
「あれ、このタヌキってなんだろね、よいこになりますように、だって」
などと、春美と悪タヌキが書いた短冊3枚を不思議そうに眺めている。赤面しながら短冊コーナーを尻目に、公園に入るとおいしそうな匂いが漂う。焼き鳥や焼きイカ、タコ焼きなど町内会手製の屋台が並んでいて、その中に義明の姿もあった。
「あ、春美」
義明が春美やタヌキ達に気が付いて声をあげた。春美が屋台に近づくと横にいた町内の人が、
「いやあ、旦那の奥さんかい、ご苦労さんだね、旦那さんの焼き鳥、うまいよお、どこで習ったんだろうね、働き者でいい旦那さんだね」
旦那をこんなに褒められたのも初めてのことで、春美は赤面することしきり、タヌキ達もモジモジしている。
「これ、もっていってよ。班長さんにふるまわれているお弁当」と、義明を褒めてくれたおじさんがお弁当の入った袋を渡してくれた。
「それ春美のだよ、ベンチでいっしょに食べて」
「ありがとうございます」
春美は屋台のみなさんに礼を言って、盆踊りのやぐらや義明の屋台が見える場所のベンチにタヌキたちと一緒に坐った。義明が「いっしょに食べて」と言ったのは「タヌキ達と一緒に食べて」ということだったのだろう。お弁当のふたを開けると、屋台で売っているポテトや枝豆や焼き鳥やたこ焼きが押しくらまんじゅうのように詰め込まれている。いつのまにか悪タヌキもきていて、6匹でおねだりをする。人から変に思われないよう、こっそりとタヌキ達に一口ずつ与えていると、子供盆踊りが始まった。
北海道の盆踊りは前半が子供盆踊り、後半が北海盆歌の北海盆踊りと二部構成になっているのが普通のようだ。子供のころから慣れ親しんだメロディが流れ、子供たちがやぐらのまわりに輪を描いて踊りが始まるが、音楽にまるで調子が合わない太鼓がたたかれており、集まった子供たちからブーイングが起きた。
「へたくそだなあ」
「調子くるっちゃうね」
太鼓をたたいているのは総務部長だが、汗だくで一生懸命さが伝わるがいかにも大変そうだ。音楽は流したまま、総務部長はやぐらを降りると、春美を見つけ歩みよってくると、「すみませんが私は音痴で、代わりに太鼓をたたいてくれませんか」とバチを渡された。
「えーっ、私でいいんですか」
「さあさあ」
と、やぐらの上に上がるよう、いつのまにかまわりに人が集まり、担ぎ上げるように春美をやぐらの上へと押し上げた。義明は何が起こったのか、と、あぜんとして見ている。春美は二本のバチを持ち太鼓に向かう。太鼓などたたいたことが無い。でも子供たちが音楽だけで踊りながら太鼓の音はいつ出るのかとこちらを見ている。意を決して太鼓をたたこうか、と思った矢先、いつの間にか大ダヌキ、蝦夷亭がななめ前に立ち、「こうたたきなさい」というジェスチャーを見せる。春美は大ダヌキの振り下ろす腕にタイミングを合わせ、
ドンドンドン、ドドン・ド・ドン、ドン・ドドン・ドドン、と打ち始める。
「おお、上手だねえ」
「やっと太鼓らしい音が出たね」
みんなが褒めてくれている。春美は次第ににリズムに乗り、テンポよく、音楽に合わせて太鼓をたたいた。
やぐらにいた大ダヌキも、5匹のタヌキも下に降り、輪の外側に立って踊りに参加をした。
ドンドンドン、ドドン・ド・ドン、カッカラカッカ、ドドン・ド・ドン
春美はどんどん調子に乗ってリズムよくテンポよく太鼓をたたいた。子供のころから慣れ親しんだ盆踊りの曲と太鼓の音だ。曲調はつかんでいた。タヌキたちは人間の子供達と違って例のタヌキ踊りを踊っている。楽しそうだ。タヌキの姿は他の人の目には見えない。でも、義明も春美もタヌキ達もこの人間界で一体になり、ひとつのお祭りを楽しんでいる。
子供盆踊りが終ると、春美はお役御免となって解放された。太鼓の上手な人が大人盆踊りの太鼓を引き継いだ。義明も焼き鳥係から解放され、義明、春美、タヌキ達が北海盆踊りを踊った。公園の夜を彩る赤、黄、緑の電球、提灯が祭りのムードを盛り上げ、タヌキ達も酔いしれていた。
盆踊りの時間が過ぎると、町内会長の挨拶があり、花火大会となった。花火大会と言っても町内会の費用であげる花火だ。大きいのが3発上がるだけ。それでもみなワクワクしながら上空を見る。
ドーン、パツ
歓声が上がった。ささやかではあるが心に残る花火だ。ポンがしみじみと見つめた。早くあんなのが上げれるようになりたい、と思ったのだろう。春美はポンの背中に触れ、「ポンちゃんならできるよ」そう励ました。
「ポン!」
ポンが両手を上げ、花火を打ち上げるイメージをした。義明、春美、タヌキ達にしか見えない花火だったが、以前ポンが打ち上げた花火よりもより高く、鮮明に、春美や義明の目には映った。
短冊がたくさんぶらさがった柳の木は市のゴミ処理施設で燃やされ、短冊は近くの神社で祈祷の上お焚きあげされるという。短冊の一枚に誰が書いたのであろうか「義明と春美がいつまでも幸せでありますように」という一枚があった。
お盆になった。義明、春美はタヌキ達も連れてお墓参りに出かけた。自宅からあの海水浴場へ向かう途中にある小高い丘の霊園。義明の父母、祖父母が眠る墓に、花を活け、供物を並べ、ろうそくに火をともし、線香をたいて両手を合わせる。
先祖はタヌキ達をどう見ただろうか。墓地にタヌキ達を連れてきて大丈夫なものか、少し心配をしたが、タヌキ達はいたって平気な顔をしている。何か特別なものが見えたりしないものか、それはあえて聞かないことにしていた。
春美の両親や祖父母が眠る墓地は自宅から車で1時間ほどの山中にある。春美も義明も例の病院での一件から御礼かたがたの墓参りをしなければと、気になっていた。
「おばあちゃん、みんな、ありがとうね」
春美がつぶやき手を合わせる。義明もタヌキ達も手を合わせる。気の早いトンボが空を舞っている。お盆が過ぎると短い秋がすぐに駆け寄ってくる。
9月になると秋祭りのシーズン。敬老の日前後はあちこちの氏神様に五穀豊穣などを祈る儀式が行われる。近所の神社から出発した神輿が町内を練り歩いている。
ピーヒャラピーヒャラ ドンドン
笛や太鼓の音にあわせてタヌキ達が家の中でタヌキ踊りを踊っている。タヌキ達を境内に連れていくと、出みせがにぎやかに並んでいて、リンゴ飴やたこ焼きや焼きイカのいい匂いがしている。本堂で柏手を打って、目に見えない日ごろのご加護への感謝を伝え、めいめい願い事をする。
「ねえ、何をお願いしたの」
「だだだだたぬうき」「えぞりんえぞりん」「たぬりんたぬりん」「ぽんぽこぽこぽこ」「たぬたぬたぬたぬ」お好み焼きが食べたい、
みな願い事は示し合わせていたのだろうか、
「えー、そうなのー」
お好み焼きをひとつ買い求め、
「願い事がかなったね」
「だだだだたぬうき」「えぞりんえぞりん」「たぬりんたぬりん」「ぽんぽこぽこぽこ」「たぬたぬたぬたぬ」わーい、叶った、とタヌキ達は歓声を上げた。
境内から少し離れた公園のベンチに座り、割り箸でどうにか6等分して一口ずつタヌキに与えた。春美はあたりをきょろきょろ見回し「ワルちゃん、いないの?」
ベンチの後ろ側から「わるわるわるわる」と悪ダヌキがでてきた。一口食べて、あっかんべーをして走って行った。タヌキ達と何かおいしいものを食べるときは悪ダヌキにも声をかけることにしていた。悪ダヌキも玉子焼きが好物らしい。そしてこういうお祭りの雰囲気も好きなのだ。
タヌキ達が道路の方を注目している。御神輿が境内に入ろうとしていた。北海道神宮のお祭りは6月に行われる。神輿や山車が札幌市内を練り歩き、市内中心部に近い公園などでは、出みせが多数出て大賑わいとなる。ご近所のこの小さな神社の秋祭りは、神輿の数も出みせの数も神宮のお祭りには及ばない、素朴なものであるが、これはこれで、素朴さがいいと春美は思う。「祭りの喧騒」などというが、そういう気ぜわしさを感じない。機会があれば江差町のお祭りをタヌキ達にも見せたい。義明と結婚して一度だけ見た。小さな町だが町中が祭り一色になる。
本州に行けばもっとすごいお祭りもある。世界に目を向けると更にすごいお祭りもある。視野を広げることは大事だが、タヌキ達にはすぐ目の前にある木や草や花の美しさ、その造形の見事さ、人の優しい気持ち、お好み焼きのようにふとおとずれるささやかな幸せの瞬間を大事にしてほしいと思っていた。
桜の葉が赤く色づいた。秋が訪れたと思えば冬はもうすぐそこだ。
「ぴーよぴーよ」スズリン、スズタンが困ったものだと鳴いている。お腹が大きなネコがベランダの下に居ついたようだ。どうしようかと義明と春美は相談するが、保健所や市の環境課に連絡するようなことは考えられなかった。以前のキツネのことを思いだしていた。タヌキ達は義明に似てネコが苦手なので近づくことも様子を見ることもしない。
ネコはなんとなく春美のことが気に入ったようで、春美が植物に水をやったり、洗濯物を干したりしていると、ニャーニャーとすり寄ってくるようになった。白ベースで少し茶とグレーの色が顔や背中のあたりに入っている。
ミックスだとは思うがおそらく人間に飼われていたことがあるのだろう。頭のよさそうなネコだ。小顔で目が大きくかわいらしい。なにを食べて生きているのだろうか。ふと心配になる。お腹の子は大丈夫なのだろうか。
子供のころに世話をしていたネコを思い出していた。就寝の際にはいつも先に子供部屋の前に立って春美がドアを開けるのを待っていた。一緒に子供部屋に入るとベットにもぐりこんで添い寝をしてくれた。そのネコはもうこの世にはいない。
ネコがベランダに住み着いて二週間ほどたった。桜の葉は散って幹と枝だけになった。冬を間近にまだ葉を残しているのは、実を赤く染めているナナカマドくらいだ。敷地のまわりの木々も葉を落とし幹と枝だけになると林の向こう側まで透けて見えて北風の寒さが庭をかすめている。
「ミーミー」
かすかだが子猫の鳴き声。生まれたらしい。ベランダの下では白黒の小さいのがむずむず動いているのが見えた。おっぱいは出ているのだろうか。母猫は何か食べているのだろうか。次の日は大雨だった。雷も鳴っている。ベランダは雨ざらしであり、床面の板と板の隙間から雨が地面へしたたり落ちている。
「ぴーよぴーよ」スズリン、スズタンが「母猫が濡れている」と言っている。
母猫は子猫が雨で濡れないよう子猫の傘になっているのだろう。タヌキ達が寄ってきて、「だだだだだたぬうき」中に入れてあげたほうがいいよと言う。「たぬりんたぬりんたぬりん」きっとみんな大丈夫だから。「ぽんぽこぽんぽこぽこぽん」義明様にはよく言って聞かせるから、そういってタヌキ達が春美をはげました。
意を決して春美はベランダの下にもぐりこみ、親猫を抱きかかえて居間に入り、ラグマットの上に坐らせた。次いで、白黒の子猫をハンカチで包んでそっと親猫の顔の前に置いた。親猫は春美の顔を見、子猫を見ていたがペロっと、子猫を何度か舐めた。人間が子猫に触って「人間の匂い」がつくと母猫は子猫を見離すことがあるという。子猫を抱いて連れてくる際にはその点が不安だったが、母猫は春美が連れてきた子猫をわが子と認識をしてくれたようだ。
「よかった」
母猫もそう思ってくれているようだ。安心した顔をしている。義明はどう思うかふと不安になったが、義明はそうなる予感はしていたのか、帰宅してもイヤな顔ひとつせず、「そう、よかったね」と言ってラグマットのうえで静かに眠るネコ2匹をみつめた。タヌキ達は義明の後ろからネコの様子をおそるおそる観察しているようだった。
子猫はまだ生まれたばかりだが、2、3日もすると活発にそのあたりをうろうろするようになった。
「かわった模様」
春美がしゃがみこんで子猫のことを観察している。まるで風ぐるまのように黒地の背中に左上から右下へ、右下から左上へ、勾玉を二つ互い違いに並べたような、白い模様が入っている。腹と肢体は真っ白い。母猫は産後で疲れているのか、野良生活の疲れがたまつているのか、おとなしく食欲があまりない。
子猫がいなくなったり、誤って何かを誤飲したり、見つからないところに隠れたりしないよう、春美と義明はペットショップからゲージを買い求め、居間の窓辺にそのゲージを置いて中にネコの親子を収めた。その日、春美は親猫を「鯛」子猫を「リーフィー」と名付けた。鯛は縁起をかついだ。リーフィーは保護したときにサクラの葉を身体に着けていたからだ。庭木のサクラのようにすくすく育って欲しいと思った。
もしかしたら他人に手放すこともありうる。元の飼い主が探している可能性もある。あまり情が移ってもあとで悩むかもしれないが、保護したからにはきちんと責任もって健康に育てていこうと思った。
悪タヌキが出てきて、ゲージのまわりを行き来し、棒で親猫をつつくしぐさをしたのを見ていた春美がげんこつをはろうとするより早く、エゾリンが走ってきて悪ダヌキを突き飛ばした。悪ダヌキはあっかんべーをして逃げていった。悪ダヌキを突き飛ばしたあと、エゾリンは母猫と目が合い、あわててソファの影に隠れた。どうもタヌキ達はネコにはなかなか馴染めないようだ。
ネコ嫌いな義明もはじめのうちはあまりゲージに近づこうとはしなかったが、徐々に慣れたのか、ゲージのすきまから人差し指を入れて母猫の頭をちょっと触るようなことができるようになってきた。義明にならってなのか、タヌキ達も少しずつネコとの間合いを縮めているようではあった。
春美は子猫が気になってしかたなかった。外でアレルギー性のウィルスでももらってきたのか、鼻水が止まらず目もなかなか開かない。母猫から乳をもらう様子も少なく見えた。動物病院へ連れて行って注射を打ってもらうなどし、動物病院の医師からのアドバイスで哺乳瓶での授乳をはじめた。
タヌキ達はその様子を見、なんとなくタヌキと春美との距離が開いてきたかの感覚を受けていた。やきもちを焼いているのだ。
「ぽんぽんぽこぽこぽん」春美はネコのほうがいいのかな、そんなことを言う。出会った最初のころ、タヌキ達は義明のことを義明様、春美のことを大王様と呼んでいた。夏に食べ物をもらい、抱っこをしてもらえるようになってから、ポンやタヌタヌは春美のことを「春美」と呼ぶようになっていた。
「まあ、呼び捨て?いいけど」春美も「春美」と呼ばれることはまんざらでもなさそうだった。
だが、真夏の奇跡のような幸せ気分もつかのま、秋から冬に向かうこのときに春美はタヌキよりも子猫のほうに愛情を注いでいるかのように、タヌキ達は見えはじめていたのだった。義明はよい子達と悪い子のバランスをとるために悪タヌキを生み出したものの、こういう場合、悪タヌキがやきもちを買って出ることはない。普段から悪タヌキは悪い子の役回りだから、やきもちなど焼かない。
春美が子猫をかまっているときには、タヌキたちは二階にあがり暇をもてあますように黙って寝ていることが多くなった。ふとタヌタヌが窓から手稲山を見、
「たぬたぬたぬたぬたぬ」手稲山へ行って見る。そう言いだした。
「だだだだだたぬうき」だめだよ、春美が許さないよ。
「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」でも行ってみる。雪が積もる前に行くんだ。
そう言うとひとり立ち上がり階段を駆け下りてドアをすり抜け、四つ足になって走り出した。4匹は窓からタヌタヌが走っていき遠く小さくなるのを見ていたが、自分たちの身体がだんだん透けていくのに気が付いた。タヌタヌも走りながら自分の身体が透けていくのを感じ、また、力が抜け、走れなくなっていった。
少しすると4匹が追いついてきて、タヌタヌは力を取り戻した。
「だだだだだだたぬうき」一緒に行かなきゃだめだよ。
このタヌキ達は5匹で1体なのです。1匹でも遠く
に行くとパワーが無くなって動けなくなる、という
弱点がありました。この弱点は義明さんや春美
さんが想定したものではなく、生まれついてのもの
ですが、義明さんも春美さんもそのことには気が
付いていませんでした。
人間の足でも3、4時間かかりそうな手稲山までの道のりは遠かった。二本足で歩くのがつらくなり、タヌキ達は四つ足でトコトコと進む。手稲山のふもと、高速道路の高架橋をくぐったあたりで小休止する。まだあんなに高い、遠いい。日没近い時間になっていた。春美は自分達がいなくなったことに、気が付いているだろうか。
「タヌキがいなくなった」
あたりが暗くなった頃、春美は不安にかられた。タヌキ達を少し放っている、寂しい思いをさせているということは分っていた。生まれたばかりのネコが無事に育つようネコばかりかまつていることについてタヌキ達にはすまないと思っていた。
「タヌキ達だってまだ生まれて間もない子供だから」
泣きたくなる気持ちを抑えて、外へ出てタヌキ達がそこらで遊んでいたりしないかと探し回った。
「ぴーよぴーよ」どうしたの、と、スズリン、スズタンが春美のそばまで来て、地面から見上げている。
「スズリン、スズタン、タヌキ達を見なかった」
「ぴーよぴーよぴよぴーよ」タヌキ達なら向こうの方へ走って行ったよ。そう、手稲山の方を向いた。
「向こうの方、まさか山まで。遠すぎる。それとも神社かお寺に遊びに行ったか、もしかして家出?」
困りきった顔の春美にスズリン、スズタンも沈んだ顔になり、やがて、スウッと姿が見えなくなった。もう夜になる、鳥はねぐらに帰る時間だ。どうしよう。スズリン、スズタンが向かったという方へ歩き、ひょっとしてタヌキ達が家へ戻っているかと思い、戻って家に入るが、家の中にはネコしかいない。
悪ダヌキが出てきた。
「ワルちゃんエゾtたち知らない?」そう聞くと、
「わるわるわるわるわるわるわる」春美のしつけがなっていない、とか、そもそも甘やかしすぎだ、とか、姑か小姑のような説教が始まり春美はげんこつをはった。
「わるわるわるわるわる」暴力反対、あいつらなら手稲山に行ったよ、という。
「やっぱり」
義明が帰ってきた。涙目の春美に「どうしたの」と聞くと、タヌキ達が家出をして山へ行ったと打ち明けた。
義明はさっそく春美を連れて車で手稲山へ向かう。山への登り口に入り、高速道路の高架橋をくぐったあたりで道端に寒そうに坐りこんでいるタヌキ達を見つけた。
「あなたたち」
「だだだだ」「えぞりん」「たぬりん」「ぽんぽこ」「たぬたぬ」春美、
ひとしきり春美と5匹は抱き合って泣いていた。
「よかったな、熊が出る時間だからな。でもよくこんな遠くまで来たなあ」
車を運転しながら助手席で春美の膝に乗ったポンとタヌタヌに声をかけた。後ろの席では3匹がまだすすり泣いている。せっかくここまで来たので、と、義明は山頂手前のゴンドラ乗り場まで車を走らせた。駐車場から眼下に札幌市の夜景が美しく映えていた。本格的な冬を前にして空気が澄んでいる。
しばらく夜景を見て、
「今度のお休みに山頂まで行こうか」春美がタヌタヌを見てそう言った。
「たぬたぬたぬ」また来たい、タヌタヌがつぶやいた。
「よし、それじゃあ今度のお休みは山登りだ」義明はそう言って車のエンジンをスタートさせ家路についた。
家はストーブをつけっぱなし、灯りもつけっぱなしにしていた。ドアをあけると暖かな空気が2人と5匹を包んだ。ネコはすやすやと眠っていた。
義明が休日のこの日、春美は朝早くからお弁当を作り、暖かい飲み物をボトルに入れて山へ行く準備を整えていた。ピクニックにもスキーにも似つかわしくないこの時期である。しっかり朝食を採り、風邪をひかぬよう防寒対策を施して現地へ向かうのだ。
タヌキ達はスキーウェアの姿で登場した。イメージのものであるが触ってみるとふつうにふさふさのタヌキの毛である。それじゃ寒いかもしれないから、と、春美が買っておいた幼児用のマフラーをそれぞれの首に巻いた。タヌキ達はうれしそうにそれぞれのマフラー姿を見ていた。
車を走らせ、手稲山の山頂付近まで登るゴンドラ乗場まで行く。一般の乗用車は山頂まで行くにはそのゴンドラ乗場前の駐車場までしか上ることはできない。手稲山は、初心者から上級者までが楽しめるスキーコースが中腹から山頂まで続く。かつてのオリンピックではその一部がスキー大回転のコースにもなり、その当時の聖火台がオブジェとして残されている。
タヌキ達は初めて乗るゴンドラにワクワクドキドキし、眼下に臨む絶景に興奮気味であった。本格的なスキーシーズン前だがゴンドラが運行していてよかった。ゴンドラが無ければ山頂付近までは2時間以上かかる登山であった。
「すみませーん」ゴンドラを降りて数歩あるいたところで係員さんが、
「落としましたよ」と、マフラーを手にしている。
「はっ」義明も春美も驚いて一瞬呼吸が止まった。ゴンドラ降口にはまだ5匹が固まって立っている。そのうちのポンがマフラーをしていない。「しまった」義明も春美も他人から見えないタヌキ達に市販のマフラーをさせていたのを忘れていた。人がいるところではタヌキ達に物を持たせたり衣服をきせたりはできない、そう思っていた。
「はい、これ」そうマフラーを親切な係員さんが春美に持たせ、ゴンドラの方へもどり、「あとはお忘れ物などありませんよね~」と、降口のホーム区間でターンしながらゆっくりと動いているゴンドラの中や、義明達が降り立ったそのあたりの床面を確認している。マフラーをしているタヌキ4匹も係員の目に入る位置にいるが気に留めていない。
義明と春美はこのとき気が付いたのだが、タヌキ達は春美や義明が持たせたものはタヌキに同化し、他人からは見えないよう透き通るのだ。
「ありがとうございました」
まだ確信はなかったが、
「それなら、お弁当もおにぎりだと透明タヌキが食べているときは透明おにぎりになるから大丈夫ね」
「そうだね、お箸を使う場合はどうかな、お箸で玉子焼きを持ったときに、透明玉子焼きになるのかな」
などと話しながら、ゴンドラ山頂駅から外へ出て、義明たちはスキー場を下に見ながらゆるやかな道を進む。まだ雪もそれほど積もっていないスキー場の平日。人は誰もいない。テレビ局の鉄塔が数本そびえ立っている。
義明と春美はお弁当や水筒をつめたリュックを背に山頂へ進む。タヌキ達もその前後をトコトコついてくる。
目的の山頂へ向かっているものの、その先、どこへ行けば修行の場なのか義明にもわからなかった。お寺をイメージしてそのお寺が現れたときはイメージした当人の義明が感動したくらいである。今度は山頂付近の修行場をイメージしてその修行場が本当に出てくるのかどうか、義明は自信がなかった。
ふいに上空を見るとカモメが飛んでいる。カッちゃんだ。山頂付近には鳥に空を飛ぶ指導をする先生がいる。カモメのカッちゃんはタヌキ達をその修行場まで道案内する役目を担っている想定だった。カモメがタヌタヌの先生を紹介し、タヌタヌはそこで空を飛ぶことを覚え、空を飛べるようになるのが義明の頭の中では当初からの予定であった。ただ、春美はそれをよしとはしていない。そのため実は、今日その修行の場へ行くことについては義明もためらっていた。その修行の場が出現するかどうか自信がもてなかった。ただ、カッちゃんが現れたことにより少しその修行の場が近づいた気がしていた。
「カッちゃん飛ぶの少し上手になったかな」
春美たちは歩きながらしばらくカッちゃんの様子を見る。カッちゃんはこちらの様子に気が付いているようで、山頂までの道を滑走路に見立てて降りてこようとするがなかなかうまく軌道に乗れない。テレビ局の鉄塔にぶつからないよう何度も何度も旋回を繰り返し、ようやく義明、春美の前へ降り立ったころはもう頂上の、柵で囲われたスペースが間近に見えていた。カッちゃんが、
「義明様、大王様、ここが頂上です」
「カッちゃんありがとう。みんな、まずは頂上へ行ってみよう」義明がそう言って歩いていく。カッちゃんも「飛べばまた降りるのが大変なので」と、歩いてついてくる。
頂上につくとまさに絶景、遠くは日本海も臨めるし、札幌市が一望できる。その反対側はというと飛べばどこまで落ちようかという断崖である。スキーで滑降など容易にできまいし、ましてタヌキが飛ぶ練習をするなどもってのほか、と春美が顔をしかめている。タヌキ達は観光気分でそのあたりにある遠方の山々や札幌市の主要施設などを示す図面を見ては感心し、景色を飽きずに眺めている。
ここでお弁当を食べて帰る、ということだけでも今日一日は充実感があったであろう。いつ切り出そうかと迷っている義明の先を越すようにタヌタヌが、
「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」ねえ、カッちゃん修行の場はどこ?と切り出した。山頂には鳥居のある小さなほこらがあり修行の場らしき雰囲気はかもし出しているものの、観光客も行き交うであろうこの山頂の広場は修行の場とは思えない。
カッちゃんは「いいんでしょうか」と少し困った顔になり険しい表情の春美を横目で見、迷っている義明の顔をもう片方の横目で見つつ、おずおずと、「はい、向こうのほうなんですが」と指ならぬ羽を指した。
頂上を少し下ってけもの道のような細い道を進むと、ふいに開けた場所に出た。大きな丸い岩がドンドン、とあり、「この上から飛び降りて練習する感じなんですが」
と、大きくて平な岩まで皆を案内した。岩の真下はそれほど高低差もない、我が家のサクラの枝から飛び降りるほどの高さで、クッションになりそうな枯草が幾重にも積んであるが、その向こう側は、百獣の王ライオンも仰天しそうな断崖絶壁であり、干し草のクッションに落ちたとしてもそこからバランスを崩して転げ落ちたら二度と這い上がれないと思えるような立ちすくむ場である。
ふと気が付くと大ダヌキがヌウっと立っている。手に持つ白い徳利に「空」と黒い字で書かれている。
「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」この人が先生ですか、タヌタヌが質問する。
「え、いや、その、どうでしょうか」
カモメのカツちゃんが困って義明の方を向いた。義明が作りだした空想の大ダヌキは5匹であり、いずれも信楽焼き風のいでたちをしている。蝦夷亭、凛、金、Bigポン、空、の5匹である。いま現れたのはスカイとかジェットとも呼ばれる空飛ぶ大ダヌキである。ただ、この『空』はタヌタヌの先生ではない。想定した先生達がいない。まだタヌタヌが修行をするには早いのか。
「今日は来ていただいてありがとうございます。あの・・・」
義明が空に「タヌタヌに空の飛び方を教えてくれますか」と言いかけたが「空」は義明達にはおかまいなしに、のしのしと岩の上に立った。そのまま動かない。
カッちゃんが、
「普通は飛ぶのが上手な鳥さんが未熟な鳥さんにここで指導しています。岩の真下に何度か落ちてはまた岩に戻りしているうちに飛べるようになるんですけど」
そう説明していると、
「おおおおおおおおっ」
いきなり大ダヌキが雄叫びを上げた。みながふいをつかれてびっくりしていると、
ふっ、と大タヌキの巨体が宙に浮き、ドスンと干し草のクッションの上に落ちた。
「あんな風に練習すれっていうこと!?」
そう春美が語気荒くカッちゃんに質問していると、
「あああああああっ」
大ダヌキの空は干し草の上で起き上がろうとしてバランスを崩し、崖をまっさかさまに転げ落ちていった。何が起きたのかと、みなが崖の下の方をのぞきこむ。何も見えないし何も聞こえない。
「ちょっと見てきます」カッちゃんが飛んでいったと思ったら、
ドシュン
すごい勢いで下から大ダヌキが飛んできて、そのまま遥か上空まで上がると、穴のあいた風船のようにくるくるとまわりながらあっと言う間に地平のかなたに消えていった。
「たぬたぬたぬたぬ」よし僕の番だ、そうタヌタヌが岩に上ると、
「やめなさい!」
春美が大声で叫んだ。
「いまの見てたでしょ?落ちたらどうするの。降りておいで!」
タヌタヌは困って春美と義明の顔を交互に見た。
「早く降りなさい!」春美がどなり声をあげる。
「もう、みんな、あっちに行くよ」
春美がきた道を戻り、山頂そばにある休憩施設のほうへ向かった。
「タヌタヌ、少し休もう、一緒においで」と、義明はタヌタヌに声をかけ、
義明とエゾt、エゾリン、タヌリン、ポンが施設に入ろうとして後ろを振り向くがタヌタヌは来ない。
エゾtがさっきの修行の場へ行くが、首を振りながら戻ってきた。
「だだだだだたぬうき」その場に坐りこんで動かない、と言う。春美が、
「大王の許可なしに飛んではいけません、そう言っていたと伝えて」
もう一度エゾtにその場へ行かせると、首を振りながら戻り、
「だだだだだたぬうきだだたぬうき」タヌタヌは岩の上にうつぶせになって手足をのばしたまま動かないと言い
「だだだたぬうきだだ」春美のようにダダをこねてる、
そういうと春美はエゾtにげんこつをはるポーズをとった。
「だだだだだ、たぬうき」ごめんなさい。そううつむいたエゾtの頭をなで、
「ありがとう、しかたないね、少し待とうか」
エゾtは、「だだだだだたぬうきたぬうき」タヌタヌのそばに居るね、と言い、出て行った。
もう昼時であるが、タヌタヌ抜きにお弁当というわけにもいかない。タヌキが空を飛ぶというのは夢のある話ではあるが、ここまでドライブし、ゴンドラに乗り、山頂まで歩いて、標高1000メートルの頂きに立ってあの修行の場を見るともう、タヌタヌに飛んでもいいよ、などと言うつもりは1ミリも春美にはなかった。
エゾtが「だだだだだたぬうき」どうしても飛んじゃいけないの?とタヌタヌがつぶやいている、と報告する。
春美は、
「だめだめ、タヌキが飛べるわけないでしょ」と言い、エゾtがタヌタヌのところへ行き戻ってくると、
「だだだだたぬうき」だまって動かなくなった、という。
次に様子を見に行ったエゾリンとタヌリンが、
「エゾリンエゾリンリ」うつぶせになったままだった。
「タヌリンタヌリン」目がうつろだった。
そう春美と義明に報告をした。ふと外を見ると雪が舞っている。山の天気は変わりやすい。ちょっと見に行く、と義明が立ち上がると、ポンが戻ってきて、
「ポンポコポンポコポン」タヌタヌがまばたきもしていない。
ポンの報告を受けて義明と春美はあわてて走り出た。雪は思ったよりも降っていて、あたり一面が真っ白になっていた。
「タヌタヌ大丈夫か」と顔面蒼白になり義明と春美が岩へ駆け寄り、春美は雪が積もったタヌタヌをゆすった。
「タヌタヌ、タヌタヌ、しっかり」
予定を変えて下山することにした。リュックに用意していた毛布でタヌタヌをくるんで抱っこしながらゴンドラ乗場まで歩き、ゴンドラを降りて車に乗り込み、
「大丈夫?」春美は泣きそうになりながらタヌタヌを抱きしめた。タヌタヌからぬくもりは感じられる。でも返事はなかった。
家についてすぐにタヌタヌを寝室へ運び、布団を敷いて寝かせた。ポンやエゾtのオデコに手をあて、タヌタヌのおでこにも自分のおでこにも手を当てたが、熱は無いようだ。ただ、精神的なダメージが大きいのか、目がうつろなままだった。心配した義明、タヌリン、エゾリンもタヌタヌに寄り添った。
タヌタヌが目をさました。いつの間にかみんなで寝てしまったようだ。まだ義明様、春美は眠っている。山を歩いた疲れなのかもしれない。エゾt、エゾリン、タヌリン、ポンも起き上がって、タヌタヌと一緒に居間へ降りた。
ポンがテレビの電源を入れた。春美がよく見る夕方の番組が始まっている。お昼ご飯を食べていなかったのでお腹がすいていた。義明と春美が背負っていたリュックにお弁当があるのを思い出し、タヌキ達がリュックの中をごそごそと探っていると、あのネコ達と目があった。
「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」春美は僕たちよりネコの方が可愛いのかな。
「えぞりんえぞりんえぞりんえぞ」そんなことないと思うよ。タヌタヌのこと一生懸命介抱していたでしょ。
エゾリンがそう言ってタヌタヌをなぐさめた。
「たぬりんたぬりんたぬりんたぬりん」あの子達、お腹すいていないのかな。
ゲージの中に入れてあるエサの皿がカラになっていた。なんとなくエサはどこかな、と探していると、テレビのニュースが目に入った。
「今日のニュースです。政府は全国一斉にタヌキ狩りを始める方針を固めました。サンワ共和国周辺の戦火は日増しに激しさを増しています。日本政府は総司令部からの要請を受け、日本国内のタヌキを少なくとも5匹以上現地へ派遣することにしました。タヌキを自宅にかくまっている国民がいないか、一戸一戸の調査をするとのことです。ニュースを終わります」
「ぽんぽんぽんぽこ」何いまの、タヌキ狩りって?
皆顔を見合わせた。
「えぞりんえぞりんえぞ」タヌキを捕まえるってこと?
「だあだだだだだたぬうき」ここにいては義明様や春美に迷惑がかかるかもしれない。
だんだんだん
玄関のドアを叩く音がした。ここにタヌキはいるか、と男が叫んでいる。
「だあだだだだだ、たぬうき」まずい、逃げるんだ、エゾtとタヌリンは義明、春美のリュックを背負って引きずった。5匹一緒にそっと裏口から外へ出ると海の方へ向かう。
「シーっ、静かに」
カモメのカッちゃんが港が見える草むらに隠れているタヌキ達に近寄り、指ならぬ羽を口元に立ててそう言う。
「あれを見てください、そこの船から出てくる人たち」
草刈り機を肩から下げてモーター音を響かせ、そこら中を歩いている。
「あれは草刈り機ですが、タヌキ検知器を兼ねています。草を刈りながらタヌキを見つける恐ろしい道具です」
「えぞりんえぞりんえぞりんえぞりん」なら草むら以外のところに移動すればいいの?
そう問いかけると、
「ええそうですね、そうですよね、そうしましょう。でも北海道中、ああやってタヌキを見つけようとしています。北海道は危険です。一旦本州の方へ逃れてください」
タヌキ達は顔を見合わせた。
「ぽんぽんぽこぽこ」でも学校がと言いかけたポンに、
「私が和尚さんと義明様、大王様に伝えておきます。あそこで停泊している船は貨物船ですから安心です。あれに乗りましょう」
そう沖の方を羽さしてカッちゃんはタヌキ達を連れて港から離れ、砂浜のほうへとタヌキ達を案内する。砂浜の桟橋にはアザラシの形をした足こぎボートが5隻並んでいた。
「さあ、これに乗って」と、促し、タヌキ達はボートに乗り込んで四つ足でペダルをこいだ。潮の流れが沖へと向かっていたため、それほど労せず船についた。
「こっちへ」
カモメの船員がタヌキ達をうながし、船内に入るとほどなく船は動きだし港を離れていく。
「だだだだだたぬうき」いまなら引き返せるかも。
石狩湾をどんどん離れて行く船のデッキから、街の灯りをみて5匹は少し悲しくなってきた。
「行くあてはあるの?」
後ろから声をかけてきたのは軍服を着たウサギとジャージ姿のタヌキだった。両耳がたれているそのウサギが、
「心配しないで、私達は軍服を着ているけど民間人よ。この船は私達のものなの。困ったタヌキを助けているの」
ジャージ姿のタヌキが、
「あてがないのでしたら、東京にいる親分の所にかくまってもらいます。東京ではタヌキ狩りをしていません。北海道より安全です。親分は強くて頼りになります」
5匹は円卓で相談をし、東京へ行くことに同意した。ウサギが、
「ほんとうは私たちも北海道でのんびり暮らしたいんだけど、お姉ちゃんがいまの戦争はどちらが正しくて、どちらが間違っているか、見極めて、正しい方に味方しようって、言っているから海上で戦いの様子を見ているの。今日はあなた方を助けた。だけど次はわからないから」
タヌキ達はとりあえずウサギに助けられ、東京のタヌキにかくまってもらうことにした。
ウサギによれば、どこかの国でその国の中枢に対抗している闇タヌキとよばれる勢力がウサギと同盟を結んで革命を成功させようとしているということのようだ。世界各国が軍事介入して内戦を終結させようとするが、闇タヌキは強く、タヌキにはタヌキを、ということでタヌキ狩りをし、タヌキを戦地へ送り込んで平和な解決を目指しているらしい。日本国内のウサギはいまのところ様子見の立場をとっていて、その中でも最強の軍団を率いているウサギのお姉ちゃんが、この船の主だということのようだ。
「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」お姉ちゃんってなんて名前なの?
たぬたぬが質問すると、
「えっ、名前?名前って、そんなのないよ」
と言う。船室に案内され、タヌキ達はひとまず身体を休める。背負っていた、というより引きずってきた大人用のリュックサックからお弁当を出し、みなで分けて食べ、歯を磨いてから寝た。
翌朝早々船は東京湾に入り、船を降りて、ジャージ姿のタヌキの案内で、港のフェリーターミナルまで歩き、そこからタクシーに乗って世田谷区にあるという「タヌキの親分」のところへ行く。タクシーの運転手は人間に変身したタヌキだった。大きな衣裳ケースに身を隠し、トランクの中に入っての移動だったので、外の様子は全くわからない。タクシーが止まり、運転手がトランクをあけ、やっと外の空気を吸えた。
ジャージ姿のタヌキが昭和の匂いがする古い木造家屋の中へ案内する。通りに面した門の表札には『本田』とあった。
「ここでしばらくは生活していただきます。御手洗いは部屋を出て廊下のつきあたりです。」
3畳一間の一室に案内された。電気こたつがある。こたつに入りみかんを食べていると、その親分らしき和服を着たタヌキが入ってきた。
「寒くありませんか。はじめまして、ホンタです」
5匹はまじまじとそのタヌキを観察しているが、ホンタと名乗るこのタヌキもまじまじと、5匹を観察している。コホンと咳払いをし、
「北海道のタヌキさんを見るのは久しぶりです。本州のタヌキもめずらしいでしょう。安心してください。同じタヌキの仲間同士、この難局を乗り切りましょう」
そう言ってホンタさんはいまのタヌキが置かれている状況をとつとつと説明し始めた。
「サンワ共和国周辺の反乱についてはご存じですか」
タヌキ達が首を振る。ホンタの話はおおむねこうであった。
サンワに対して近隣諸国から合併の話があったがサンワの統領が合併に反対した。国の財政は貧しくも美しい国土とそこで暮らす素朴な民の生活は幸せであった。合併を望んでいるのはサンワの国土開発で利益を得ようという近隣諸国の統領達だった。近隣諸国は軍を組織してサンワの国へ攻め込むが、サンワの統領を中心に組織されたレジスタンスが激しく抵抗をする。もともとサンワ含め近隣諸国にも軍隊はなかった。それゆえ誰かが諸国軍の代わりに「闇兵士」を組織したのではないかといううわさもある。サンワ国内に立ち上がった民兵組織は強く、諸国軍はサンワ国内へ入り込むことすらできない。レジスタンスを守ろうと世界各国から軍が派遣されると近隣諸国軍は一時劣性となる。しかし近隣諸国軍が新たに雇った「闇タヌキ」と呼ばれる強力な魔力を持つタヌキのパワーで、諸国軍と世界軍は一進一退の攻防となっている。一方、サンワ国内では財政が潤うのなら占領されてもいい、という改革派と、昔ながらの生活を守りたい穏健派との対立があり、サンワ国内も周辺も利害関係の思惑が交錯して解決の糸口が見えない状況である。レジスタンス組織も解散消滅し、サンワ自体は中立の立場をとるようになる。諸国軍はサンワへの進行を中断し、周辺国への進行を開始した。戦争は「諸国軍」対「世界軍」の様相となり戦火は拡大の一途である。世界軍は諸国軍が強力な魔力を持つウサギも雇い攻勢に転じる作戦をたてているという情報を入手した。世界軍は諸国軍側につく闇タヌキに対抗できるタヌキを日本国内で探して味方につけようと思いたち、日本国内のタヌキ狩りを始めた。捕獲したタヌキに魔力があれば戦地へ、魔力がないタヌキは動物園へ送るという恐ろしいミッションが進行している。
話はだいたいここまでであったが、タヌキ5匹はぽかんとして聞いている。ポンが、
「ぽんぽんぽんぽんぽこぽこぽん」ホンタさん達はタヌキ狩りは大丈夫なんですか?と質問すると、
「私達は人間として生活していますから」と言ってでんぐり返ると、浴衣を着たおじさん姿になり、もう一回でんぐり帰るとユニフォームを着た野球選手になった。
「人間でいるときは漢字で本田と名乗っています。タヌキのときはカタカナでホンタです。そうですね、東京都民の5割は人間の姿をしたタヌキやキツネやクマとかですよ。いずれみんなタヌキか何かに入れ替わるでしょう」
タヌキ5匹はあぜんとしてその見事な変身ぶりに感心し、首都東京に住む人間の半数はタヌキか何かだという事実に驚かされている。
「いや、5割というのは少しおおげさですが、でもまあ、世間的にはそういうことになっているので私達は安全なのです。この家にいれば大丈夫、事が済むまでひそんでいてください。」
じゃあ私は仕事があるのでこれで、とホンタさんはユニホーム姿のまま部屋を出た。
5匹はこたつに入りながら今の話を振り返った。
「だだだだだたぬうきたぬうきだだ」あの人みたいに魔力はないから見つかったら動物園かな。
「たぬりんたぬりんたぬりんたぬ」東京にいれば本当に大丈夫なのかな。
「えぞりんえぞりんえぞりん」サンワ共和国ってどこにあるんだろうね。
「ぽんぽんぽこぽこ」このみかんおいしいね。
「たぬたぬたぬたぬたぬ」春美は元気にしてるかなあ。
タヌタヌの一言でみな表情が暗くなった。家出同然で出てきてはみたが、義明や春美は大丈夫なのだろうか。タヌキ狩りの軍人に捕まっていたりしないだろうか。そう思うとにわかに不安になってくる。
「だだだだだたぬうき」やっぱり帰ろう。
エゾtが立ち上がりみんなが続いた。あたりはもう夕暮れ時で薄暗くなっている。
クンクンクン、
匂いを頼りに元の港へ向かう。フェリー乗場に「北海道行き、タヌキ様歓迎」とある。
「たぬりんたぬりん」どうする?
円卓を出して相談が始まった。罠かもしれない。だがこんな単純な罠があるだろうか。北海道に帰りたい一心で、5匹は乗船口に向かうと、
「タヌキ発見、タヌキ発見」とサイレンが鳴り響き、すぐに軍服姿の男が走ってきて、タヌタヌを捕まえた。
「たぬたぬ」わーっ、タヌタヌが悲鳴をあげると、
「えぞりん」エゾリンがでんぐり返って耳にリボンをつけたワニに変身する。と、
「えぞりん」あぐっ、と男の足にかみついた。
「痛たたた」男は思わずタヌタヌを両手から離す。
息を大きく吸い込んだポンが、
「ポン」と発声すると、口から『ポン』の文字が出て拡大しながら勢いよく飛び、その男を吹き飛ばした。
四方から大勢の男達が走ってくる。エゾtが、
「だあだだだたぬうき」呪文を唱えると半数近くの兵士が足を上に頭を下にひっくり返った。
尚も走り寄る兵士にタヌリンが、
「たぬりんたぬりん」大きな透き通る玉をいくつも出しては兵士の方へ飛ばした。兵士は玉に飲み込まれ、動けなくなった。尚も数名走り寄る兵士にタヌタヌが、
「たぬたぬたぬたぬ」両腕を前に出すとタヌタヌのまわりの空気がゆがみ、
「たぬたぬ」ドンっと勢いよく空気を押し出すとあたりの兵士たちは四方に飛び散った。
「だだだたぬうき」「えぞりん」「たぬりん」「ぽんぽこ「たぬたぬ」やったあ、と皆で歓声をあげ、振り向いて走り出すと檻の中に入り、扉が閉められあえなく捕まってしまった。
檻ごとクレーンでつり上げられ、そのまま「サンワ行き」の船の船底までおろされた。
裸電球が等間隔で暗い船底を照らしている。
「いいタヌキが採れたって?」
部下らしき者を従えて腰にサーベルをぶらさげた将校らしき男が檻に近づいてきた。
「やあ君たち」
タヌキ達はシーシー威嚇する気にもなれない。これで動物園行きか、となかば諦め顔になる。
「悪いようにしないよ。君たちの命は補償する。ただ、少しだけ君たちの魔力を貸してほしいんだ」
部下に命じて檻の扉が開けられた。タヌキ達は外に出ようとせず、檻の隅にかたまっている。
「ここはもう洋上、君たちは私達と一緒にサンワに上陸するしかない。知っての通り、サンワは戦地となっているが、私達は戦いを望んでいない。ただ、向こうで戦争に加担しているタヌキ達と話合いがしたいんだ。君たちの力が必要だ」
「ぽんぽんぽんぽこ」戦場は危険だ。
「そう、戦場は危険だ。だから我々が君たちを守ろう。そして戦争で苦しんでいる人達を早く解放してあげることに協力してほしいんだ」
タヌキ達は本能的に困っている人達を助けたい気持ちが沸いてくる。いずれにしても、もう引き返すことはできそうにない。この人達に協力しながらも、チャンスを見て逃げ出そう、5匹は心の中でそう確認し合った。
「だだだだだたぬうき」何をしたらいいの?エゾtが聞くと、
「君たちの魔力は未知数だ。魔力を最大限に引き出すアイテムがあるからそれを身に着けてほしい。君たちの特徴を生かし、協力してもらえることを決めたうえで何をしてほしいかを具体的にお願いする」
将校はそう言い、5匹それぞれの首に首輪をはめた。ペットショップに売っているような普通の首輪に見える。
「それと万が一の時のためにこれを」
オモチャのようなピストルだった。一丁ずつそれぞれ持たされた。
「それじゃあ今夜は客室でゆっくり休んでください。明日の朝にはサンワに上陸します。食べ物も用意します。おくつろぎください」
将校は先に船底を上がり、タヌキ達も狭い階段を上がって船の上部に出る。客室はそれなりのキレイさで、普通の船旅であれば「居心地よい」という評価がされるであろうが、いまはとても船旅を楽しむような心境にはなれない。
窓から海原と海原を照らす月が見える。義明や春美が恋しくなり、タヌキ達はしくしくと泣きだした。
朝は突然やってきて、いつの間にかトラックに乗って移動をしている。凸凹の道に揺られ、降りたところは周辺が木々や雑草に囲まれ、うっそうとした中に人やトラックが往来する基地の様相であり、横にいた将校に聞くとまさに、「世界軍基地です」という。
洞窟なのだろうか、岩盤がむき出しの通路を通ると急に開けて普通のオフィスのような部屋に入る。
「連れてきました」将校がそういうと白衣姿のメガネがこちらを向き、
「それでは一人ずつどうぞ」と手招きする。
エゾtが椅子に腰かけると、白衣姿の者は聴診器をあて、「口をあーん」と言われて口を開くと平べったい金属を入れて舌に乗せ、のどの奥を見ている。一匹一匹、そんなことをして、終わりに、
「強い魔力を持っています。このタヌキ達は使えますよ」
そう将校ににんまり笑ってみせた。
「それはよかった。それではさっそく」そう言いかけたときにサイレンが鳴り響いた。
「敵襲!」
みな慌てふためいて外へと駆け出した。取り残されたタヌキ達は、「どうする」と顔を見合わせ、この洞窟のような建物が崩れたら、とまず心配になり将校たちの跡を追うくことにした。
外へ出て驚いた。兵士たちがバタバタと倒れている。「伏せろ」その声でタヌキ達は低い姿勢を取る。
ズドン、
すぐ近くに火柱が立ち、爆風でまたたくさんの兵士が倒れた。「このままでは全滅だ」そんな声も聞こえる。
「たぬたぬたぬたぬたぬ」敵はどこから攻めて来るの?
近くにいた兵士にタヌタヌが問うと、兵士がななめ前方の空を指さした。野原の上で朝日を浴びながら何かがふわふわ浮かんでいる。
「ボーンだ」
その風船のように膨らんだ太った人間のような生物が大きく口をあけ息を吸い込んでいる。「また来る」
近くにいた兵士がそう言い、タヌキ達も攻撃が来る危険を感じた。反射的にポンが息を吸う。ボーンと呼ばれる者が息を吐き出すと同時に、
「ポン!」
ボーンが放った火の玉と、ポンが放った「ポン」の文字が空中でぶつかり、幾粒もの星がきらめいてお互いのパワーが相殺された。少し驚いた表情のボーンはにやりと笑って少しずつ空中を遠ざかっていく。
一斉に兵士たちが機銃掃射をはじめたが、弾丸はとどかないようだ。
「打ち方やめ」
昨日からの将校とは違う将校らしき者がポンの前にきて、「ありかとう、助かりました」と礼を言った。
「倒れている者を救護だ、機銃はそのまま待機」そう周囲の兵士に叫び、
「タヌキさん達はこちらへ」
そう促した。おびただしい数の犠牲者が出ているように見えた。昨日の港から一緒だった将校も失神したらしくタンカで運ばれていくのを見た。
基地内に入ると、指令本部と看板がかかった部屋まで案内され、その奥の赤いじゅうたんが引かれた部屋まで通された。案内してきた将校は指令長官と呼ばれていた。
「さきほどの敵はボーンと呼ばれていますが、諸国軍が雇ったタヌキ5匹のうちの1匹です。彼らは戦いを好みません。我々も同様です。実際いまのボーンの攻撃から負傷した兵士はひとりもいないでしょう。みな失神しているだけです。私達はできれば彼らと話し合いの場を持ちたいと思っています。これから無線で敵の将軍までそのことを伝えますが、あなたたちと彼ら、タヌキ同士で話し合いをしてほしいのです。戦争をやめるにはどうしたらよいかを」
そう長官から頭を下げられた。無線の連絡がついた模様で、タヌキ同士が落ち合う場所が決められた。サンワ共和国の中でも静かな寒村で、戦争とは無縁の中立地帯だという。
「時間は15:00過ぎです。午後になったらわれわれが送りますので、それまで部屋でくつろいでいてください。着替えも用意してあります」
用意された部屋へ5匹で入り、なんとなく落ち着かない。テーブルにはおにぎりやお菓子や飲み物が置かれている。
「まあ、何か食べよう」
エゾtがコップにオレンジジュースをとりわけ、自らおにぎりを取りほおばる。他の4匹もそれに習った。
「敵のタヌキってどんな人達かな。怖い人達かな」エゾリンがそうつぶやく。
「僕らよりもきっと魔力は上だよ。さっきのボーンっていうのも空に浮かんで火を吐いていたもん」タヌリンがジュースを口に含み、天井を見上げながらそういう。
タヌタヌが思い出したようにポンの方を見て、
「でもさっきのポンのポンはすごかったよ。敵の攻撃を受け止めて星に変えるなんて、いつのまにあんなの覚えたの?」
「うん、なんだかね、こっちきたら少し魔力が上がった気がする。みんなは?」
そうポンから言われ、皆もポンも「はっ」とする。
ポンが部屋の向こうにある洗面所の鏡を見る。手で顔に触れる。ほんのわずか残った顔の毛がぱらぱらと落ちた。人間の女の子の顔になっていた。
タヌキ達5匹は、男の子3人、女の子2人になっていた。そうタヌキ達は思っているが、いまのところ兵士達の目からは引き続きタヌキに見えるらしい。先ほどのポンの活躍もあり、部屋に出入りしてお菓子やお茶を持ってくる兵士やトイレへ行く通路ですれ違う兵士から「タヌキさんタヌキさん」と、敬意を表されている。
ポンがトイレへ向かっていると、ふと、トイレの向こう側から「助けて」そんな声がしたような気がした。トイレを通り過ぎて更に奥へ進むと、突き当りに頑丈そうな鉄の扉がある。「よいしょ」と開けるとそこには体育館のような広いスペースで、おびただしい数の檻に動物が閉じ込められていた。
「あれ?タヌキ?」
新種のタヌキだろうか。いや違った。檻にいたのはアライグマだった。アライグマとエゾタヌキはよく似ている。タヌキは犬科だがアライグマはクマ、だから一番の違いは手足に爪があるかどうかだ。だが、パッと見た目ではタヌキとアライグマは瞬時に見分けはつかない。
「ああ、そいつらはね」と、ここの飼育係りであろうか、係りの兵士が、
「タヌキの嫌いな動物を集めてタヌキを困らせよう、なんて考えた、上の人達があちこちから兵士に集めさせた動物なんだ。かわいそうにね。役に立たないとわかったら殺処分待ちさ」
見ると、アライグマのほかにネコ、ヘビ、イタチ、キュウリ、ウンチや火打ち石も捉えられている。特にアライグマとネコが多い。助けて、と声を発していたのは二本足で立ち両手で檻の鉄棒をつかんでいるキュウリだった。のどが渇いているようだった。
「あの、あの人とあの人達にお水をあげてくれませんか」そう兵士に言うと、
「はいわかりました」と、兵士はジョウロでキュウリとウンチに水を与えた。キュウリとウンチ達は生きかえった、という表情をし、ポンの方をじっと見つめた。
自分たちも囚われの身のようなものであるが彼らよりはまだマシかもしれない。ポンが部屋に戻ると皆が着替えをすませていた。指令部が用意した衣服はサイズがちょうどよかった。それぞれスエットにスニーカーとカジュアルな装いだった。タヌキ達それぞれの目にはそれぞれが中学生から高校生くらいの少年少女のように見える。
「さあ出発だ。荷台から落ちないように、カーブでは四つ足を踏ん張るんだぞ」
このトラックの運転手の目にも5匹は四つ足のタヌキに見えるらしい。次第に自分達がタヌキなのか人間になったタヌキなのかわからなくなってくる。トラックが凸凹の道を進みだす。
目的の村についた。トラックの運転手は「それじゃあまた迎えにくるから」と言って走り去って行った。
「僕たちを残して兵士は誰もいない。こんなどこだかわからない国に置いてきぼりにするものなの?」
タヌタヌがあきれたように言う。
「相手との約束は『人間は入れない』ってことだったらしいから、仕方ないよ。危なくなりそうだったらすぐに逃げよう」
そうエゾtが皆に確認するように言う。
あたりには田んぼしかなく、近くに見事な花畑が見える。日本を出る時、季節は冬のはじめだったと思うが、ここの国はいったい地球のどこに位置するのだろう。田んぼに稲が生えているし、道の脇にはオオイタドリやセイタカアワダチソウなどの雑草も盛んに生えている。セミも鳴いている。
向こうから誰かがやってくる。自分たちと同じくらいの年かっこうで、男の子が2人、女の子が2人。
「こんにちは」立ち止まって向こうのひとり、ショートカットの女の子が声をかけてきた。
「私のマグマをお星さまに変えたのあなたね」
女の子はポンにそう言って、
「ありがとう、あなたのお星さまとても素敵だった。私ね、ほんとうは人を傷つけたりしたくないの。あなたに助けられた。ありがとう」
そういう女の子は少し涙ぐんで見えた。
「ねえ、あなたたち、名前、ってあるの?」もう一人の長い髪の女の子が少し前かがみになってそれぞれの顔を覗き込みながら聞く。
「教えて、なんて名前なの?」
「僕はエゾt」「私はエゾリン」「僕はタヌリン」「私はポン」「僕はタヌタヌ」
そう言うと、4人は少しだまったまま5匹を見つめ、
「いいなあ、みんな素敵な名前、私たち名前がないの、とてもうらやましい。いいなあ」
そう名前を問うてきた長い髪の女の子がいかにも羨ましそうに言う。そのあとはとりとめのない雑談になる。好きな食べ物、好きな花、住んでいる家、飼い主のこと、雪を見たことがあるか、最近楽しかったこと?
その4人にはあまり生きてきた中での思い出がないように思えた。思えばタヌキ達5匹もこの世に生まれてからそう何年も経っているわけではないのだが、義明や春美と過ごした時間はかけがえのないものであったということを改めて思う。クリスマスのこと、お正月のこと、海へ行ったこと、町内会の盆踊り・・・。
思えばいまは12月、もうすぐクリスマスやお正月がくる季節だ。タヌキ達が義明や春美と暮らした町内では人々との交流、楽しい行事があったが、この戦場といえば近隣諸国同士の確執、争いがあり、年末年始を心底楽しむ気持ちにはなれないだろう。少年少女のような動物達が戦争にまきこまれている。世界がどれほどの広さなのか、タヌキ達にはわからないが、何故みな仲良く手をとりあって生きて行こうと思わないのかと不思議に思う。
エゾリンとタヌリンが手をつないでいるように、4人のうちの2人、髪の長い女の子と、髪の長い男の子も手をつないでいる。手をつないだふた組4人は歩きだし、田んぼの向こうにある花畑まで来た。日は傾きかけ4人の長い影が並んで伸びている。
「とてもきれい」
花々はめいめい咲き乱れ、優しいそよ風が花々を、少年少女のほほをかすめる。ふんわりとした甘い香り、生きている植物のみずみずしさが伝わってくる。
「世の中にこんな美しい場所があったとは」相手の女の子、男の子がため息をついて花畑を見ている。
エゾtとタヌタヌともう一人の髪の短い男の子はタヌキ踊りを始めた。
「えー、うふふ、こう?」男の子は、エゾtとタヌタヌの踊りをまねてはしゃいでいる。ポンとショートカットの女の子と、花畑を見に行った4人も加わって、子供盆踊りを輪になって踊った。エゾtやタヌリンが太鼓や笛の値を口真似して出し、エゾリンとポンが歌を歌った。
太陽が西の山に沈み始めると盆踊りを中断して、真っ赤で大きなな太陽が沈むのを、太陽の頭が全て山に隠れるまで見つめた。東の空からは大きなオレンジ色の月が上り始めた。
ポンともう一人のショートカットの女の子は「一番星みつけた」「二番星見つけた」と星を数え、「ぽんぽん・ぽこぽん・ぽこ、ぽんぽん」肩を組んで片足を交互に上げ下げして踊ったり、歌ったりしている。女の子がポンに名前をつけてほしいと言い出した。ポンは腕組みをして考え、
「ポコ」
「ポコ?ポコ!いい名前、気に入った、うれしい、ありがとう」
ポコはポンに抱き着き、
「あなたはポン」
「あなたはポコ」
「あなたはポン」
「あなたはポコ」
そう交互に名前を呼びあい、
「ぽんぽん・ぽこぽん・ぽこ、ぽんぽん」とまた踊り出した。
ポンは他の子にも名前をつける、といい、他の子たちを手招きした。
手をつないでいる女の子には「リンリン」、男の子には「タンタン」、もう一人の男の子には「タータ」でどうか、と問うと、みな、
「やったー、いい名前、うれしい」と歓声を上げ、5匹と4人は輪になって盆踊りを踊った。4人は盆踊りの歌詞を覚え、一緒に歌いながら踊った。
あたりが薄暗くなってきた。ひとしきり踊りが終ると田圃のあぜ道に一列になって腰かけ、上がり始めた月を眺めた。
エゾリンが「ねえみんなは5人だって聞いていたけどもう一人の子は?」と聞くと、4人は少しうつむき、リンリンが、
「今日は行かないと言ってきかなくて」
タンタンが、
「世界軍の言いなりになりたくないって、でも本当は来たがっていたんだ」
ポコが、
「闇和尚がね、行くな、って言ったみたいなの」
5匹はけげんな顔をし、エゾtが聞き返す。
「え、和尚?」
ポンが、
「しおこしょう?」
皆が顔を見合わせ、エゾリンが確認するように、
「ヤミおしょう?」
タータが、
「そう、闇和尚は僕たちに指示命令する人なの。とても恐い人なんだ。ゾッティはその人に逆らえないんだ」
という。
「ゾッティ?」エゾtが、
「その子には名前があるんだね」と聞く。
「ゾッティは僕たちのリーダーでとても強い。人間達からは将軍と呼ばれている。この戦いはゾッティが首謀者のように言われているけど、陰で指示しているのが闇和尚で、その闇和尚に指示しているのが・・・」
そこまでタータが話すと、
「タータ」タンタンが強く制し、
「まずいよ、それ以上言うと僕ら殺されるよ」とぼそぼそと言う。
敵はこの少年少女のようなタヌキ、自分達と同じカジュアルな姿の少年少女のようなタヌキ、でもこのタヌキ達は戦いを好まない。リーダーのゾッティという男の子は、闇和尚、または闇和尚の背後にいる黒幕らしき者から精神的にも肉体的にも支配されているようだ。
あたりはすっかり暗くなった。しきりにカエルが泣いている。電信柱に裸電球がともった。
「もう行かなきゃ」タータが名残惜しそうに言う。
タンタンが、
「僕たちはもう元には戻れない。でも君達はまだ今なら元に戻れるかもしれない」
ポコが悲痛な声で乞う。
「人間に接していたら、戦いの道具を持っていたら、どんどん人間になってしまうの。お願い!逃げて!おうちに帰って!みんなはタヌキとして生きて」
4人が少しうつむき涙ぐみ、そしてリンリンが、
「みんな、私たち今日のこと一生忘れない。とても楽しかった。お花畑も夕日もお月様も本当にきれいだった。みんな本当にありがとう」そう言って、
「さあ帰ろう」他の3人を励まし、月を背中に田んぼの向こうへ歩いて行く。
少し歩いて、リンリンが駆け戻り、エゾリンの肩を抱いて耳元にささやいた。
「エゾリン大好き、もしも私が悪い子になったらあなたが私をやっつけてね」
リンリンは3人の元へ戻り、4人はこちらへ向かって手を振って、暗がりの中へ消えて行った。
月が高くあがった。幾万もの星がまたたいている。天の川がくっきりと見える。電柱の裸電球がひとつ、その辺りを照らしているがそれ以外は遠くに民家のあかりひとつだけが見える。カエルの鳴き声は果てしなく鳴りやまず、無言でぼーっとたたずむ5匹。ふと、向こうからトラックのエンジン音とヘッドライトの灯りが近づいてきた。
「逃げよう」そう5匹は思いながらも、この国から北海道へどうやって帰ればいいのかもわからず、無抵抗のままトラックのエンジン音を迎え、運転席からの声に大声で叫び鳴いた。
「義明様~っ」
「よかった、無事だったか。さあ横にみんな乗って」
トラックに乗り込み義明に皆が泣き崩れた。運転席の横は真ん中の席を含めても大人2名しか乗れない。5匹の少年少女が無理やり乗り込み、少女のいでたちのポンが義明の顔をペロペロ舐めた。ただ義明の目からはそれまでと同じかわいいタヌキに見えるようだった。
トラックを運転しながら義明は、タヌキ達が出会った4人のことを聞き、
「友達になれたらいいね。友達は大事にするんだ」そう言い、そして、
「これからいろいろな出会いがあると思うけれど、心の目を開いて人のいうことはよく聞くんだ。もし正しい心の持ち主から間違っているよ、と言われたら素直に受け止めるんだ。優しい気持ちや人を愛する気持ちや信じる心や、夢と勇気があれば必ず道は開ける。人を幸せにできる。何より大切なのは心なんだ」そんなことを言った。タヌタヌが、「僕達、人の役に立てるタヌキになれるかな」と言うと、
「いまは焦らないでいいからね。静かにこの戦争が終わるまで身をひそめているんだよ。タヌタヌもみんなもまわりのみんなを幸せにする素晴らしい力を持っているんだ。いつかチャンスを見つけたら、勇気を出して一歩踏み出すんだ。そこから新しい未来がひらける。正しい心で踏み出せば暗い谷底へ落ちることはない、花が咲く野原を行ける。みんなが持っているパワーは自分のためだけでなく、人や動物や植物や、生きているみんなのために使うんだ」
しみじみと義明の言葉をかみしめる5匹。ふとポンが、
「施設にたくさんの動物や植物が捕まっていた」と言うと、
「かわいそうにね。何の罪もない生き物が戦争の犠牲になる」とため息をついた。
「あのね、生きたキュウリを見た」そうポンがいうと、義明はすこし意外な顔をして、
「みんな成長したね。植物の心が見えるようになったんだね。植物にも心があるからね。モノにも心がやどることがあるんだよ。人も動物も植物もモノも、みんな大事にしたいよね」
タヌキ達のほうが意外であった。キュウリが二本足で立つことに対して義明は抵抗がないようだった。
「さあ、着いた、ここだ」
大きな家だ。農家だろうか。家の前には大きな木が立っている。玄関に入り、広い土間の向こうから人のよさそうな初老の男性が歩いてきた。
「やあ、大変だったね。ここは安全だから、ゆっくり休んでいくといい」
そうにこやかに出迎え、土間の向こう方を振り返り、
「雛、来たよ、案内してあげて」
そう言うと、まだ幼稚園くらいであろうか、女の子がピュンと走ってきて、
「こんばんは、みなさん、どうぞ、こちらへ」と、5匹を招いた。
「私は戻らなくてはなりません。統領、よろしくお願いします」
義明がそう深々と頭を下げた。土間の向こうへ進もうとした5匹が驚いて振り向き、トラックに乗り込もうとする義明にしがみつき、シャツのそでやズボンのすそやベルトに噛みつき泣きついた。その5匹に義明は優しく頭や背中をなでながら、
「共和国統領の家だ。普段は統領とお孫さん2人が暮らしている。ここでかくまってもらうんだ。統領は信頼できる人だ。みんなのことを助ける手がかりをくれるから」
うんうん、と不安そうな5匹の顔を順に見てうなずいた。
もう一度統領へ向かっておじぎをして義明はトラックに乗り込み、トラックを走らせようとし、ふと家の前の大きな木を見みつめた。何か危険なものでもあるのかと、タヌキ達がその木を見るが、義明が苦笑いし、
「あ、いや、カラスが見えた気がして。見間違いです。この木、いいですね」
そう言ってトラックを動かし暗闇の中へ入っていった。トラックを見送りながら統領が、
「みんな、義明さんはね、危険を冒して君達を逃がそうとしているんだ。でも義明さんは世界軍側の徴兵で焼き鳥を焼く係だ。大丈夫なように私のルートで根回しはしているから心配しないで。さあ、中へ入ろう」
そう5匹を促し、玄関の引き戸を閉めた。
国の元首がこんなところで孫と3人きり、素朴な生活をしているのかと感心しながら5匹は雛と呼ばれた女の子についていき、居間に通された。居間の真ん中にいろりがあり、火がとろとろと焚かれている。天井は高く、吹き抜けになっているようだ。
エゾリンが女の子に問いかけた。
「統領のお孫さんは二人いるの?」
「うーん、わからない。あのお兄さん、鳥を焼くの?」
「え、うん、お祭りで焼き鳥を焼くの上手だったよ」
「えーそうなの」
エゾリンは少し戸惑った。サンワ共和国は鳥を食べない文化かもしれない。
「雛ちゃん、私達が住んでいた北海道というところでは豚肉を串に刺して焼いても焼き鳥って言うの、おかしいでしょ?」
「えー、そうなの、ふうん、よくわかんない」
何か気分を害したのだろうか、顔をしかめてあちらの方へ駆けて行った。
「少し難しいことを言っちゃったかしら」
焼き鳥が鶏肉か豚肉か、などどうでもよいことを初対面で異国の子供に話したことをエゾリンは反省し、横のタヌリンが「だいじょうぶだよ」と慰めていた。
居間でいろり火をみながらなんとなくくつろぎ、義明様のことを想った。できれば一緒にいろりでくつろぎ、ひざまくらやだっこをしてほしかった。
車の中で聞いた義明の話では、義明様は軍施設の調理場で焼き鳥を焼くかたわら平和の象徴として桜の苗木をサンワ国内に植えたり、軍施設周辺で雑草の世話をしたり、と、何かと忙しいようだが、タヌキ達は何となく義明の言葉に違和感を覚えていた。雑草は基地の目隠しになるから大事にしているということだろうか?焼き鳥を焼くのが上手だと徴兵されるものだろうか?世界軍にうまく利用され、いいように使われているのではないか、と心配になる。
奥の座敷には客人がきていたらしい。統領と何か言い争う声が聞こえる。玄関口で客人は何か捨て台詞のような大声を出し、出ていったようだ。
「やーれやれ」
統領がため息をつきながら居間へやってきた。
「やー、ほったらかしにしてすまなかったね。改めまして私はこの国の元首です。元ちゃんとでも呼んでください」
国家元首を元ちゃんなどと呼んでよいものかどうかと思いつつ、ポンが、
「元ちゃん、今日はありがとうございます。ここに居ていいんですか?」
とお構いなしに質問すると、
「ああいいですよ。ただここも全く安全というわけでもありません。時にどこかへ隠れていただくこともあります。このいろりの下をくぐると洞窟になっていて、むこうの山まで移動することができるんですよ」
そう言っていろりの横にある床の一部を持ち上げると地下への階段があり、かなり深く続いていることがわかる。
「あなた方はこの居間でしばらくは暮らしてください。万が一のときはここから逃げて山の小屋に潜むのです。ここに滞在中は、孫の雛と、雛と、あれ、なんて言ったっけ。もう一人・・・」
統領は孫の名前を忘れたのだろうか、必死に思い出そうと顔を赤くし、
「なんかド忘れしちゃって、孫たちがお世話しますからね。ゆっくり休んでください」
そう言って、「あれおかしいなあ」と首をかしげながら居間を出ていった。
「まずは一安心だね」エゾtがそう言い、床に足を投げ出して、
「でも、義明様と一緒にいたいな。そして一緒に春美のところへ帰りたい」
テーブルに出された日本茶をすすった。皆もそれに習ってお茶をすすり和菓子を食べた。
義明の出現は夢のようだった。よもや義明が徴兵されて自分たちに会いにきたとは。春美は無事でいるのだろうか。義明と自分達と春美がバラバラな場所にいることが不安で仕方ない。せめて義明とはいつも一緒に行動したい。次に顔を見ることができるのはいつか、そんなふうに思いをめぐらせていた。
翌朝、
「ここに人が来る床下に隠れてください」
元首の孫の雛ともうひとりの子が声をそろえて居間の5匹に声をかけた。うたた寝をしていた5匹はあわてて床下にもぐりこみ、床の上の様子に聞き耳を立てた。
「いや、だからね、そんな人は来ていないって」
元ちゃんの声だ。
「いいや、確かにここに入ったって情報が入っているんだ」
相手は誰なのか。世界軍が連れ戻しに来たか。いや違う。諸国軍のほうか。
「ここか!」5匹は一瞬ドキリとしたが、元ちゃんの声で、
「そんなところに入るものか、冷蔵庫にはどら焼きしか入っていないだろう」
なんで冷蔵庫いっぱいにどら焼きなんだと、相手がぶつぶつ言い冷蔵庫をパタンと閉める音がし、相手の男が頼むような口調で言う。
「世界軍に渡したくない。こちらの味方にするべきだ」
「ここは中立地帯で私は国家元首だ。屋敷の中にいないとわかったらとっとと出ていってくれ」
ちっ、と舌うちをし、その男がこんなことを言った。
「闇タヌキどもは世界軍が呼ぼうとしているウサギには警戒しているようだ。世界軍に対抗して諸国軍もウサギの戦士に近づこうという動きがある。世界軍中枢は連れてきた5匹のタヌキが将軍に匹敵するパワーを持っていると分析している。だがこれ以上の外部戦力はこののどかな国には必要ないだろう、戦争を長引かせるだけだ。どうだ、このあたりでボスの提案を飲まないか」
「何がいいたい、もともとこの国にも周辺諸国にも軍隊などなかった。戦争をしているのは人の形をした闇兵士と、世界軍の人間だけなんだ。こんな戦争に何の意味がある。お前さんらは結局のところ金儲けをしたいだけだろう。5匹を諸国軍で雇って交渉道具にするつもりか」
男はため息をつき、
「この戦争を終わらせるためだよ。あんたはどうなんだ。どうやったらこの戦争が終わると思う」
「いずれ白き勇者が西の明王と東の神々を導き引き連れてくる」
「おとぎ話や冗談はもうたくさんだ。他の大国をまきこんでも戦火がおさまるとは限らないだろう。現実に何をたくらんでいる。世界軍関係者も知らない助っ人を集めているという噂もあるぞ」
「この世界は滅び、新しい者たちの時代となる。その時に備え中立の立場をとり静かにしているまでだ」
しばらく聞き取れない小声の会話が続いたが、意味不明な会話が続き、やがて不穏な動きとなる。
「何をする気だ」
「手荒なことはしたくない。例の謎解きをたのむ」
「私にはわからぬ」
「うそを言うな。どうしてこの国には闇兵士が近づけぬ」
「知らぬ。人を呼ぶぞ」
ちっ、と男がまた舌打ちをし、
「しかたないな、また出直してくるよ」
そう言って居間を出ていった。
何等かの複雑な人間模様があるようだ。タヌキ達にとって利害関係もおとぎ話もこの際どうでもよかった。ただただ、家に帰りたい。
男が玄関を出るのを確認し、元ちゃんは居間へ戻って床を軽くたたく。「もう大丈夫だがしばらくそこにいてください」そう言って元ちゃんは居間を出た。
どうしてよいものか、真っ暗な階段にじっとしているが、ふとエゾtがこんなことを言って皆を勇気づけた。
「不安なままおびえていても何もいいことはない。戦争を終わらせて人の役に立つ方法を考えないか。」
エゾリンが、
「そうね、このままここにかくまわれていても元ちゃんに迷惑がかかる」
タヌリンが、
「誰も望んでいない戦争なら、そのボスとか闇和尚とかいうのをやっつけちゃったらいいんだよ」
ポンが、
「昨日のどら焼きおいしかった」
タヌタヌが、
「ねえ、下の方に誰かいる」
えっ、と5匹が一斉に下を向く。タヌキであるせいか夜目は効くほうだ。やってきたのはネズミだった。
「タヌキさん達ですね、ああ、よかった。タヌキさん達がここにかくまわれていること、動物や植物の間ではけっこう有名ですよ。逃げ道を確認しておいたほうがいいです」
そう言って、頭のヘルメットについたライトをともし、タヌキ達を階段の下へ案内した。
階段が終ると長い暗いトンネルが続き、道が3方向に分かれた。
「まっすぐ進むと諸国軍の本拠地に近い、国ざかいの山に出ます。左に進むと世界軍の最前線基地に近い山に出ます。右に進むと、え、あっ、ちょっと」
タヌキ達は世界軍と聞いて左の道へ進みだした。義明がいると思ったからだ。ネズミはあわててタヌキたちの前へ進み、
「ちょっと、ちょっと、お待ちください。今日はそちらは危険です。諸国軍が総攻撃を計画しているからです。うわあ、ちょっと待ってください」
義明がいる最前線基地が攻撃にさらされると聞くといてもたってもいられない。急いで行こうとしたタヌキ達の前に先回りしたネズミが、
「攻撃を察知した世界軍は、基地を離れてあちらの方へ移動しているんです。さきほどの道を右に進むと、世界軍秘密基地近くの山に出ます。最前線基地と秘密基地から挟み打つように諸国軍基地を攻撃する作戦をたてています。どちらへ向かってもいまは危険な状況です。でも、お願いです。さきほどの道をまっすぐすすんで、私と一緒に諸国軍基地まで行ってほしいのです」
ネズミによれば、仲間が諸国軍にスパイと間違えられて捉えられたが今日釈放されると、仲間のスパイネズミから聞いた。仲間ネズミは方向音痴なので、迎えに行きたいので一緒に行ってほしいという。
「逃げ道を確認してくださいなどと言って連れ出して申し訳ありません。でも仲間を助けたいんです」
ネズミが頭を下げる。
人助けは本能的に断れない。タヌキ達はネズミについて行く。トンネルを進むと扉があり、扉を開いて山小屋に入った。山小屋は諸国軍基地が間近に見える山の中腹にある。
ネズミはガラス窓から外の様子を見、大丈夫だと言って皆で山小屋の外に出ると大勢の兵士に取り囲まれとて、あえなく全員捕まった。仲間ネズミも捕まっていた。方向音痴なので、道案内を兵士に頼んだら捕まったという。ネズミと仲間ネズミは虫かごのようなネズミかごに入り、タヌキ達は縄で前足ならぬ両手を縛られ、兵士達に連れられ山を下りる。
山の中、開けた場所に野外ステージのような演壇があり、そこで演説をしている男の話を幾人もの兵士が聞き入っている。男の顔は遠くてよくわからない。その建物の裏手の方に進み、倉庫のような場所に入るとそこは牢獄であり、仲間ネズミの仲間であるスパイネズミもすでに捉えられていた。スパイネズミの檻に、ネズミ2匹が追加され、その横のタヌキ用の檻にタヌキ達が入れられた。
皆を連行してきた兵士がいなくなると、先に捕まっていたスパイネズミが、
「ここを早く出ましょう。もうすぐ世界軍の攻撃が始まるらしい。危険です」
でもどうやって、という顔を一同が見せると、
「かじって穴をあけているところでした。ここから這い出てカギを取ってきます」
ネズミの檻の何か所かはスパイネズミがかじって削られているように見えるが、
「気が遠くなりそうだ」とネズミと仲間ネズミがため息をつく。
「え、そうかなあ」
人間の子の姿をしたタヌキ5匹が自分達が入った檻にかぶりつき、
ガリガリガリ、
あっという間に檻に大きな穴をあけた。
「はあ?」
ネズミ達があきれて見ている。エゾtが、
「歯は丈夫なんだ。毎日磨いているから」
ポンが
「あ、でも、今日も昨日も磨いていないよ」
タヌキ達が顔を見合わせてうつむいた。春美に怒られる、そう思った。
壁にかけてあった鍵を取り、ネズミ達を檻から出してあたりを見渡す。いかにも薄気味の悪い牢獄。黒い影の魔物が何匹もそのあたりをさまよっていて、タヌキ達が気にして見ている。以前、義明の家でも見かけた黒い影だ。外へ通じるドアへ歩きながら「あれは魔物の玉子みたいなものです。あの姿からいろいろと変態し、闇兵士となります」一緒にきたネズミが説明した。
そういえば、と、スパイネズミが、
「諸国軍も世界軍も、闇兵士がサンワ共和国に攻め込めない理由を探っています。答えはサンワの統領しか知らないと思っているようですが、私達にはわかります。あなた方もお気づきでしょう?」
そう言われても何が何だかわからなかった。わからないことが多すぎる。
そおっと牢獄の外に出る扉から外へ出る。建物は山と木々に囲まれている。道路は避け、木々のすきまから山を抜けようということになった。一緒にきたネズミは済まなそうにタヌキ達に頭をさげ、捉えられていた仲間ネズミもスパイネズミも深く感謝した。ネズミ達が先にスルスルと山の中へ姿を消し、あとに続こうとタヌキ達が山へ入ろうとすると、背後から、
「待て」と言われ、皆、両前足をあげて振り返ると、一人の少年がそこに立っていた。
「お前らだな、日本から来たタヌキって」
武器は持っていない。タヌキ達には本能的にその少年がタヌキであることがわかった。
「将軍のゾッティだ、ずいぶん歯が丈夫なんだな」そう言って握手を求めてきた。
エゾtが代表して握手をした。芯の強そうなしっかりとした若者だ。
「お前らがこの国にきてからの足取りから察すると、どうも世界軍にも諸国軍にもなじまないようだな。俺はお前らを捕えようとは思わない。戦おうとも思わない。そこからさっさと逃げたらいい」
さっそくポン、タヌタヌ、エゾリン、タヌリンが林の中へ入ろうとする。エゾtはそのままゾッティと向き合い、
「この戦争を終わらせることはできないの」
そう問うと、タヌキ達は林の中で立ち止まり振り向き、ゾッティは遠い目をし、
「戦うことは好まない、でも戦わなければ・・・が傷つく。だから戦わないわけにはいかないんだ。戦って世界軍に勝ったとしても勝利者にはなれないけどな」
『・・・』の部分は何と言ったのか聞き取れなかった。ゾッティは何かを守るために戦っているのだろうか。
「エゾt、みんな、4人からはお前らのことを聞いている。お前らはいいやつらだ。お前らに会えてよかった。さあ、行け」
そう言ってゾッティは諸国軍の建物へと引き返した。
けもの道をたどりながらタヌキ達はさきほどの小屋にたどり着いた。兵士はいない。暗がりの中、壁をつたってさっきの分かれ道まできた。
「どっちへ行く?」
義明様の安否は気になるが、義明様からのいいつけを守り、とりあえず元ちゃんの元へ戻ってお茶を飲むことにした。洞窟を引き返していくと、向こうから、「大変だあ」と、ネズミ三匹が走ってきて、
「雛と元首がさらわれた」という。
「おそらく世界軍でも諸国軍でもない、闇和尚に通じる連中です。闇和尚はゾッティ将軍を操り世界征服をたくらんでいる悪いやつです。サンワの元首は諸国軍にも闇和尚にも領土を譲ろうとはしませんでしたが、闇和尚が元首を手にかけたとしたら混乱は必至です。闇和尚に寝返る国も出てくるでしょう。とにかく早く世界軍へ知らせて諸国軍基地への攻撃を中止させないと。そして元首と雛を助けなければ」
そうネズミはタヌキ達に訴えた。人助けは本能的に断れない。
最初のネズミは真っ直ぐ諸国軍基地へ、スパイネズミは左の世界軍前線基地へ、仲間ネズミは右の世界軍秘密基地へ向かうこととし、タヌキ達も三方に分かれることにした。離れ離れになることはあまり本意ではなかった。パワーが減退するかもしれない。しかし、一刻も早く雛や元首を救出し、居間でお茶を飲んでどら焼きを食べたかった。義明に会えるかもしれない、という思いもあった。
左の世界軍司令部には、ポンが、真ん中の諸国軍基地へはエゾtとタヌタヌが、右の世界軍前線基地にはエゾリンとタヌリンが向かうことになった。
いつの間にかポンは軍服姿になっていた。世界軍司令部でもらったオモチャのピストルは本物の拳銃になっていた。首輪だけはそのままペットショップで売っているような首輪。
細心の注意を払い、スパイネズミと一緒にトンネルから洞窟を抜けて、山の中腹から世界軍司令部へ下る。さきほどのネズミからの情報では諸国軍の攻撃を避けるために基地を捨てて秘密基地へ移動した、とのことであったが、その通り、おおかたの撤退は完了しているようだった。軍服姿のポンは基地に通じる道に立つ見張りの兵士に、
「将校に会わせてほしい」と頼むが、兵士は、
「知らぬ顔だな。要件を言え」とぶっきらぼうに言う。
無線で何か伝えていたかと思えば、
「お前のような奴は誰もしらない。タヌキだと?何をばかなことを言う、人をばかすつもりか」と、向こうへ行け、と追いやられる。
スパイネズミに相談をしようと話しかけるが、
「チューチューチュー」と言って言葉が通じない。そして向こうの方へ逃げていった。
ふと、あのアライグマやネコたちのことが気になった。半ば土に埋まったような総司令部だが、人目を避け、密かに盛り土の向こう側に回り込んで行くとドアがあり、開けてみるとそこはあの動植物達の収容所だった。アライグマやネコやキュウリが一斉にポンの方を見て泣き叫ぶ。
「かわいそうに、置いてきぼりね。いま助けるからね」
壁にかかっている鍵を見つけ、全ての檻の扉をあけ放って、ドアから動物などを外に逃がした。
「何をしている」兵士のひとりが動物などを逃がしているポンの姿を見て大声を出した。
駆け寄ってきた兵士の中に長官を見つけると、「長官!」叫びながら走り寄ったが、
タン、タン、タン、
兵士のひとりが発砲し、一発がポンの太ももに当たった。
「うううっ」
うめき声をあげるポンに兵士が近寄り、その後ろから長官が近寄った。
「お前は誰だ」
「昨日のタヌキです。ポンです」
しばらくポンの顔と首輪をまじまじと見ていた長官は、
「信じがたいが、お前がタヌキだとして、私に言いたいことは」
痛みをこらえながらポンは、元首が闇和尚に捕まったことを伝えた。長官はポンの太ももを見て、
「弾は貫通している。止血を」と、近くの兵士に命じた。兵士がガーゼを持ってきて将校はそのガーゼを取り、ポンの足にあてがった。
長官と将校は顔を見合わせ、長官が、
「そのような情報を持っているお前はタヌキなのだろう。すまなかった。ただ、事態は深刻だ。もはや手遅れかもしれない。東のかみと西のほとけに援軍を求めているが、果たして動いてくれるかどうか」
ポンは身体を起こし、
「義明様は、義明様はどこにいますか。すぐに会いたいです。会わせてください」
将校は深刻な顔をし、
「義明様は敵地にいる。今日行われる諸国軍の式典に友好の証として苗木を運びに行った」
「ええっ、総攻撃のこの日に」
「ああ、敵を油断させるためだ。義明様は承知の上で現地へ向かった」
「なんてこと」
その時、サイレンが鳴り、「敵襲」の声があがった。敵の総攻撃が予測していた時間より早まったのか、世界軍はまだ撤退作業中であり、将校も長官もまだここにとどまっていた。諸国軍の奇襲であった。
ドーン、ドーン
ロケット包の着弾があり、あたりの建物、兵士たちが吹き飛んだ。
ヒューーーーン、「来るぞー」兵士の絶叫があがったその直後、総司令部の建物の中心付近にミサイルが命中し大爆発が起きた。
将校が、長官が倒れてうめき声をあげている。ポンが空を見、足をひきずりながら立ち上がり、つぶやいた。
「ポコ」
ポコは空中に浮かびながら大きく身体をふくらませた。
(ポン、ごめんね、もうあともどりはできないの。私、あなたとお友達になりたかった)
心の声が聞こえた。激しくまぶしい閃光がポコから発せられ、そしてあたりの地面は炎に包まれた。
洞窟の出口は世界軍秘密基地の裏手、山の斜面にあった。エゾリン、タヌリンがポンの叫びを聞いていた。その叫びをかき消すかのような大音響が目の前で繰り返されている。どこから放たれているのか敵の砲弾は雨あられのように注がれ、基地の設備は次々に破壊され、多くの兵士が倒れ息絶えている。煙や砂ぼこりがあたり一面たちこめ、
「来るぞ、危ない」
兵士の叫びに反応し、軍服姿のエゾリン、タヌリンが身をかがめる。
ドカン
洞窟の出口付近に着弾があり、エゾリン、タヌリンが吹き飛ばされた。タヌリンがエゾリンを抱き起し、
「エゾリン、エゾリン、しっかり」
エゾリンは気を失いかけていたが目を見開き、そしてそばに横たわる仲間ネズミを見た。深手を負い、血にまみれ、息耐えていた。
「ネズミさん」
仲間ネズミを抱きかかえ泣くエゾリン。また砲弾が飛んでくるのをタヌリンが察知し、「伏せて」と言いながら両手を広げ水玉をだし、あたりに飛ばすと、砲弾は水玉に吸い込まれ勢いをなくし地面に落ちた。
「戦いをやめさせるんだ」
タヌリンはそういい、前に進んだ。タヌリンの前にタンタンが立っていた。しかし、悲鳴が聞こえ、タヌリンが振り返るとエゾリンがオオカミにのど元を噛まれている。「エゾリン!」
オオカミはリンリンが変身したものだった。噛まれながら「どうして」エゾリンは涙を流し、「ウウウウウ」とうなり声をあげると全身から毛が生え、トラに変身した。鋭い爪でオオカミをひっかくが、リンリンはお構いなしにエゾリンの首を噛み続ける。次第にエゾリンの力が抜け、膝をつき、倒れかかるのを見て、タヌリンは右手に光る玉を出し、それをオオカミめがけて投げつけようとしたが、身体が動かない。
タンタンが念を発してタヌリンの攻撃を止めている。タヌリンはタンタンへと向きを変え、光る玉に全身のパワーを乗せてタンタンへ向けて飛ばした。しかし、タンタンも手の平から光る玉を出してタヌリンへ向けて発射し、双方の玉は両者の中央付近で衝突した。衝突の瞬間、辺りの空間がねじ曲がるような衝撃波が起こり、タンタン、タヌリンは後ずさった。その隙、タヌリンは両手で空をかきまわし、一瞬、時間を止めた。吹き飛んだままのがれき、舞い上がったままの砂ぼこり、銃弾を浴びて身体をななめに倒れようとする兵士、それらを横目で見ながらエゾリンの元へ走る。
すぐ近く、焼け焦げた電柱に止まっているカラスがタヌリンに声をかけた。
「おい、その技はせいぜい3秒までだぞ。それ以上続けると死ぬぞ」
そんなカラスの声を聞きながら、エゾリンにかみついたリンリンを引き離しエゾリンとともに地面へ倒れこんだ。
時間が動き出した。タンタンの声が聞こえた。
(エゾリン、タヌリン、こうするしかなかったんだ、ごめんね)
リンリンの声が聞こえた。
(エゾリン、タヌリン、さよなら。ごめんね、ごめんね)
息絶えようとしているタヌリンが息絶えようとするエゾリンに頭の中でささやいた。
(エゾリン、もうパワーが残っていないんだ。春美のところまで行けない。どこがいい?)
(あのお花畑がいいな。タヌリンそこまで行ける?)
タヌリンとエゾリンの姿は消えた。リンリンとタンタンはそこに立ちすくみひざまずいて泣き続けた。
花の香りがする。蜂が蜜を吸いにきている。エゾリンとタヌリンは戦場から瞬間移動をし、花畑に落ちた。とても静かだ。
「咲いているね、手をつないでいてね」エゾリンはタヌリンの手をしっかりと握り直し、そして動かなくなった。
諸国軍基地には激しい爆撃が続いていたが、何かのエネルギーが壁となり砲弾は建物までは届かない。基地際の山中では激しい地上戦が繰り広げられていた。ポンやエゾリン、タヌリンの鳴き声はエゾt、タヌタヌにも届いていた。二人もこのまま無事に日本へ帰れるような気はしていなかった。岩場の陰でうつ伏せになり、砲弾をかわしながら、ふたりは諸国軍基地の様子を遠目に観察していた。
「タヌタヌ」
エゾtはタヌタヌに呼びかけ、
「ほら、これ」そう言って、リュックサックからお弁当箱を取り出して見せた。もう何日か経っていて、春美の作った手製のお弁当は食べつくしていたが、容器の底に黄色いものが少しだけ残っていた。
「半分ずつ食べよう」
ほんの数ミリずつであった。傷んでいたかもしれないが、二人はおいしそうにほうばって食べるマネをした。
「おいしい」
「うまいね」
そう言って二人は笑った。
「春美の玉子焼きは本当においしかったね」
「見てくれは悪いけど世界一だよね」
ひゅるるる、ドカン
また近くで着弾があった。兵士の叫び声が聞こえる。阿鼻叫喚、この世の様ではなかった。どこかで火の手があがり煙があがり、砂ぼこりがあがる。いつどこからくるともしれない砲弾におびえながら、必死で反撃をする。どうして人間はこうまでして戦うのか。
もう5匹で無事に帰ることはできない。だが、この戦いを終わらせたい、それがいま二匹が命を使う意味だと思っていた。
「あそこにゾッティがいる。戦いを好まなかったはずなのに、どうしてこんなことに。」
エゾtがつぶやいた。誰かを守るために戦っている、ゾッティの思いを踏みにじる何かがあったのか。ゾッティが戦いの総指揮をとっているのは明らかだ。次々に伝令らしい兵士が行き、指示をあおいでいるように見える。黒い影もときおり近づいては他方へ散っている。
エゾtはゾッティにもう一度話しをしに行き、解決の道はないのか問いかける、エゾtがゾッティに話をしに行く間に、タヌタヌが雛と元首を救い出す、2匹はそのタイミングをうかがっていた。
ネズミが戻ってきた。かかんにも中の様子を探りに行っていたのだ。ネズミは、
「雛が牢屋で監禁されている。元首は見つけられなかった」
という。タヌタヌはネズミから雛がいる詳しい場所を聞きだした。
「それと」言いにくそうにネズミが少しためらうが、
「義明様がここにきているようです」と言う。ふたりは驚いて顔を見合わせた。
「どうして」
「今日は共和国の式典がある日だったのです。世界軍は攻撃の準備をしながら義明様に停戦を呼びかけるためにお祝いの苗木を届けさせようとしたのです。諸国軍にも融和ムードが漂っていたのですが、統領誘拐のニュースが飛び交って、一気に緊張感が高まって衝突が起きてしまったようです。義明様はその衝突に巻き込まれた可能性があります。闇和尚はあたかも世界軍が統領を誘拐したかのようなニュースを流したんです。施設の中にいた諸国軍施設のネズミからの情報ですが」
「義明様はどこに。苗木はどこに届けたの」
「苗木は受け取りを拒否されたようです」
二匹はそろってクンクンクンと、義明の匂いをさぐったがあたりに立ちこめる煙や火薬のにおいで義明の居所をつかむことはできない。
「うっ」タヌタヌが空を見た。
「近くにタータがいる」
空を飛びまわっているタータを見た。波動を手の平から発して地上の世界軍兵士を攻撃しているようだ。また砲弾が近くに落ちた。戦闘はますます激しくなっているようだ。
エゾtは「ネズミさんありがとう」と言い、戦地を離れるように言った。
「ネズミさん、長生きしてね。人間にはかかわらなくていいんだからね」タヌタヌがそう言って促した。
ネズミは野生のネズミに戻りチューチューと言って向こうへ駆けて行った。
「ぐずぐずしていられない、あいつに話をつけに行く」
エゾtは立ち上がり、ゾッティのいるあたりをにらみつけた。
「タヌタヌ、雛たちを頼む」
そう言って真っ直ぐにゾッティへ向かって歩きだした。
「エゾt!」
タヌタヌがエゾtの背中へ向かって叫んだ。エゾtは振り返らない。タヌタヌが、
「一緒に春美のところへ帰ろうね」
そう言うと、エゾtは軽く右手を上げて答えた。世界軍からもらったオモチャのピストルはいつの間にか本物の拳銃になっていたが捨てた。凛々しく堂々と将軍ゾッティへまっすぐに向かう少年。右手には木の枝、左手にはうんちを持っている。
ゾッティのまわりにいる兵士がエゾtに近づいてくる。ゾッティもエゾtに気が付いたようだ。空からタータがエゾtめがけて急降下をしてきた。タヌタヌが地面を蹴り、ヒュンと飛ぶとタータの飛行を妨げ軌道をそらした。タータとタヌタヌはお互い逆に大きく旋回をし、お互いめがけて空中を直進すると激しく衝突してもみあい降下し、地上すれすれで分れ、軍施設をはさむように宙に止まってにらみ合った。
ステージ前では「銃を下げろ」そうゾッティはまわりの兵士に言い、檀上にエゾtが上がるのを妨げなかった。檀上で対峙する二人。あたりには焦げた匂いがたちこめている。何か特別な仕掛けなのか魔力なのか、ここには砲弾は届かないようだ。だが数百メートル先の山々では人間同士の殺戮が繰り返されているのだ。
「どうしてこうなった」エゾtがゾッティに問うと、
「邪魔が入った。戦いになったのはそいつらのせいだ」
「中立の立場だった元首を誘拐したのはお前達だろう、闇和尚とかボスとかいうやつか」
「そうでもしなければこちらが殺される」
「元首を幽閉して諸国軍と世界軍を喧嘩させて自分達だけ勝ち残る作戦か」
「あいつらが先にしかけたんだ。元首をそそのかしてボスの計画をことごとく邪魔する」
中立の立場である共和国元首を誘拐したことは認めているようだが、似たようなことを企てた違う勢力があって、それを阻止するために元首を誘拐したとでも言うのか?
「世界軍のことか?それとも元首のことか?」
「世界軍でも元首でも諸国軍でもない。闇和尚やボスを苦しめる極悪人だ」
「闇和尚やボスの野望を阻止しようとする勢力が、世界軍以外にもあるとでも言うのか」
「野望と言ったな。そうかもしれない。だが何が悪い、世の中を幸福にするためだ。あいつらにはそれがわかっていない」
「ならば今戦っている世界軍や諸国軍は戦う必要があるのか?もうたくさんの人が亡くなっている。罪のない人達を巻き込んで何が幸福だ」
「もういい、俺はもうたくさんの罪を犯した、だが俺たちはボスを守らなくてはならないんだ」
ゾッティが刀を抜いて切りかかってきた。エゾtは危うくのがれ、向き合い、
「ゾッティ、刀をもどせ。戦いたくない、友達になろう」
「武器を取れ、友達は切りたくない」
ゾッティは再び一太刀、二太刀と切りかかる。エゾtはひらり、ひらりとかわし、
「武器」を構えた。
「それがお前の武器か」
激しいつばぜり合いとなった。右手に持つ木の枝と左手に持つうんちのみでゾッティの攻撃をかわし、間合いを取っては「シーシーシー」と威嚇する。
ズドン、ドカン
世界軍の砲撃がますます激しくなってきた。砲弾をふせぐ結界のようなものが崩れたのだろうか、砲弾は建物に着弾し、一部が崩れ、がれきや木端が二人にもふりかかる。まわりにいた兵士たちもちりぢりになる。すぐ近くでは白兵戦が展開されているのか、近距離で鉄砲を打ち合う音が聞こえる。
「知り合ったばかりじゃないか。戦いをやめよう」
そう言うエゾtにゾッティが切りかかる。ひらりと空中を舞ってゾッティと距離を置いたエゾtが、
「だあだだだだだたぬうき」呪文を唱えると閃光が走り、天空からの稲妻がゾッティに命中した。しかし、ゾッティはびくともしない。
「何のマネだ」
「お前と剣を交えてわかった。お前は電気に弱い」
「ふん、ふざけたことを言う」
ゾッティは大きく息を吸い込むと、あたりから黒い影がゾッティめがけて引き寄せられ、ゾッティはその魔物たちを取り込むと、そのエネルギーだろうか、剣に赤黒い光となって集中し、
「イヤあっ」剣を振り放つと赤黒い光のパワーがエゾtめがけて襲いかかった。
「だあだだだだだ」エゾtは二体に分裂し、一体がそのエネルギーを吸収してはねのけ、その間に一体がゾッティめがけて突進した。その刹那、
ドキュン!
ゾッティは拳銃を抜き、突進してきた少年の腹を打ち抜いた。
タヌタヌとタータは空中で激しく衝突していた、稲妻の閃光と銃声を聞いて、タヌタヌはエゾtが苦戦していると感じた。タータとの戦いも次第に疲れてきた。ターターは飛び慣れているのか、波動やパンチを自在に操り、タヌタヌはタータの攻撃をかわすのがやっとの状態だった。世界軍の爆撃機が横をかすめる。ミサイルが山の中に打ち込まれ山よりも高く黒煙が上がった。
「戦いが長引けば、雛も義明様もエゾtも救えない」
エゾtと互角以上に戦うゾッティの強さをタヌタヌは感じていた。
「ゾッティ、あいつをやっつけないとこの戦争は終わらない」タヌタヌは標的をゾッティに変え、更にエゾtを救おうと思った。
タヌタヌに向かってタータが猛スピードで向かってきた。
「できるか?」
タヌタヌは右手、左手に全神経を集中させ、息を吐き、息を吸い込んで、
「イヤーっ」
向かってくるタータへ両手を思い切り振って宙を切った。轟音とともに強い風が吹き、竜巻が起こった。
「うわあっ」
タータはバランスを大きく崩し、竜巻に巻き込まれて吹き飛んだ。空中でタヌタヌはくるりと向き直り、ステージのゾッティめがけて突進する。
「イヤーっ」
手のひらにエネルギーを集中し、波動をゾッティめがけて打ち降ろそうかというその時、
シュルル、パッ
ゾッティの手の平から放たれた白い光の線が蜘蛛の巣状に張って、檀上の宙でタヌタヌを捕えた。
「やめてくれ」
撃たれた腹を抑えながら、エゾtが叫ぶ。太い長い槍を構えたゾッティが空中にはり付けになり動けずにもがくタヌタヌに狙いを定める。
「かかったな、その呪縛は絶対に解けない。これでもうお前らはおしまいだ。これが現実だ」
「やめろーっ」
ドスン
槍はタヌタヌの胸に命中し貫通した。
「みんな、ごめん、僕のせいで」
(空を飛びたいなんて夢みて、そのせいでみんなを振り回した。手稲山になんか行くんじゃなかった。義明様、春美、みんなごめん、僕はもう・・・)
「タヌタヌー」
エゾtが泣き叫ぶ。空中の蜘蛛の巣は溶け、タヌタヌは地面にたたきつけられた。
ゾッティは再び槍を手にし、エゾtにとどめを刺そうとエゾtの胸に槍の刃をあてた。
「お前ら」
槍の刃を通してタヌキ達の幸せなひと時を見た。歌い、踊り、笑い、ときめき、必死で飼い主を守ろうと叫ぶ、抱きしめられたぬくもり、飼い主に会いたいという夢、希望、なげき、悲しみ、
「お前ら、戦う気なんてなかったんだな、どうして」
ゾッティはその場に坐りこみ、動かなくなった。
ゾッティの嘆きを、リンリン、タンタン、ポコ、タータが読み取る。それぞれの戦意は喪失されていた。なおも激しい戦闘は続き、世界軍基地、諸国軍基地のことごとくが破壊された。装甲車、ヘリコプター、トラックが炎に包まれ、世界軍、諸国軍のおびただしい兵士が死体となって折り重なる。地獄絵のような中に、ゾッティ、リンリン、タンタン、ポコ、タータがたたずんでいた。
その後、世界軍と諸国軍の間で休戦協定が結ばれた。雛は諸国軍基地の牢獄から救出されたが元首の消息は不明のまま、戦後の復興はゾッティ将軍を中心に進められた。
世界軍はサンワから撤退することとなり、周辺諸国はゾッティに従い統合の準備を平和裏に進めた。元首が管理していたサンワ領土のほとんどは周辺諸国に関係する実業家や企業に買収され、大規模な土地開発が計画された。元首が居住していたエリアの田畑や花畑のあった場所も商業施設の開発が進められることとなった。
終戦が宣言されてまもなく、ブルドーザーが花畑をつぶしていく。ふとブルドーザーが止まり、花畑の中に半ば白骨化した二体のタヌキが折り重なるように死んでいるのを見つけた。だがブルドーザーはお構いなしに進み、ほどなく、全ての花の中にタヌキの死骸はのみこまれた。
多くの負傷者はいまだこの国の野戦病院にとどまっていた。ポンは全身に大やけどを負い、余命はいくばくもなく、日本に帰ることはかなわなかった。ある寒い日の朝、たくさんの負傷者で埋め尽くされた病室の窓際、包帯で全身のほとんどがくるまれたポンは、露出した左目で窓を見ていた。窓が曇るとやっと動かせる右手をあげて、曇りガラスに人差し指で文字を書き始めた。
「だ、い、おう、さ、ま、・・・」
書き終えてポンは息絶えた。亡くなったときは少女の姿であった。ポンの遺体をストレッチャーに乗せて運ぶ看護婦が曇りガラスを見て首をかしげた。
「何この『犬玉さま』って」
身元不明者は国内に急あつらえされた空き地へ土葬にて埋葬されていたが、全身大やけどだった少女は埋葬の際にはタヌキの姿に変わっていたという。
停戦後、タータはタヌタヌの亡骸を必死で探したがついに見つけることはできなかった。おそらくがれきに埋もれ朽ち果てたのだろう。
「ごめんねタヌタヌ」
タータはタヌタヌが死んだであろう場所に歌を歌いながら花をたむけた。
子供盆踊りの歌であった。
引き揚げ船の中、船の大部屋に押し込められるようにエゾtが座っていた。ゾッティが放った銃弾も槍の穂先も急所からはずれていたようだ。奇跡的に回復し、世界軍の手配で日本行の船に乗船させられた。
日本に帰るという喜びの感情はなくただうつろな目で廃人のようであった。すぐ横の人間が見ている新聞に「ゾッティ将軍が国家元首に」という大見出しを見た。「悔い改め、全ての人が幸せになるよう導く決意」と小見出しにある。戦いに勝っても勝利者にはなれない、彼はそう言った。エゾt達5匹の理想とする幸せを彼らが受け継いでくれる、そうエゾtは信じたかった。いちるの望みであった。テレビが戦没者の名前をひとりひとり読み上げている。その中に、
「は、は、は、なんてこと、なんてこと、義明様」
エゾtは起き上がり、目を見開いてテレビを見つめた。信じられなかった、信じたくなかった。茫然と船内で立ちすくみ、動かなかった。
船が東京につき、ホンタさんが出迎えてくれた。何も会話にならなかった。ホンタさんは北海道へすぐに送り出すのが一番と考えお共に1匹のタヌキをつけて北海道行きの船に乗せた。エゾtは何も言葉を発しなかった。船が石狩湾につき、エゾtは義明や春美、5匹で過ごしたあの家をめざした。
「お気を確かに、お元気で」
お供の本土タヌキは船着場から四つ足で歩いていくエゾtを見送った。
庭の前に立つ。サクラの時季であったがサクラは死んでしまったのか、花も葉もつけていない。空も家も庭もモノクロにかすんで見える。
玄関のドアが開くと春美が無言でエゾtを抱きしめた。ながくながく抱きしめてくれた。家の中にネコはいなかった。どこかに引き取られたという。春美の叔母がきていた。食卓テーブルで春美と叔母はときおり暗い表情で話をし、春美はときおりエゾtの方を見た。
「かわいそうなことしたね。現地の子供を助けようとして撃たれたなんてね」
叔母にはエゾtは見えていないようだった。だが春美からも自分が見えている気がしなかった。もはや懐かしい大好きな春美と会話をする元気もなかった。エゾtは二人の会話に反応することもなく、ただ空気をみつめ、何もせずに過ごした。
春美が玉子焼きを作ってくれた。好物の玉子焼きだった。皿に盛られた玉子焼きを見、涙があふれた。ホークを持った手が震え、震えながら一口分を口に入れようとしたが、口から吹きこぼれ皿に戻した。戦地でタヌタヌと食べたあのひとかけらを思い出す。家出をする前に皆で食べたあのときを思い出す。エゾtは一口も玉子焼きを食べることができず、ただただ涙を皿にこぼしていた。
春美が「エゾtがいない」そう言いながら、家中を探し回り、庭を見、そして、サクラの木を見て涙をあふれさせた。エゾtの首には縄がかかり、その縄はサクラの木の枝に縛られて、エゾtの足も胴も宙に浮いていた。
涙がとめどなく流れ嗚咽し、春美は絶叫した。いや、絶叫しようとした。
「エゾt・・・」そう叫びかけて、
「エゾt―っ!いやーーーーーっ!」
春美のすぐ横で絶叫する女の子を見た。
はっ、
春美の目が覚めた。「はっ、はっ、みんな」
目が覚めると同時に寝室の布団から身体を起こし、あたりをみまわすと、エゾtは春美と同時に目が覚めたようだ。首のあたりをしきりに気にしている。エゾリン、ポン、タヌタヌ、義明はそれぞれそれより少し前に目が覚めていたようだ。最後に目を覚ましたのはタヌリンだった。エゾリンと手をつないでいるタヌリンは春美が声をあげてあたりをみまわした後に目を覚ました。タヌリンは目を潤ませている。
予知夢、「みんな同時に同じ夢を見た」
そう悟った。これは未来に起こりうることなのか。タヌリンがしばらくうつむいて何かを考えているようだった。
みんな無事だった、その幸せをかみしめている。ネコも居間のゲージでくつろいでいる。手稲山から帰って疲れて寝てからの夢だった。
タヌタヌの落ち込み方は相当なものだった。義明も春美もタヌキ達もあの夢が正夢になり実際にあのような悲惨な戦争が起きることは信じたくなかった。だがとてもリアルな夢であった。
「あの女の子は誰だったのだろう」
エゾtの死を悲しむ自分がいて、その横にエゾtの名を叫んで泣く子がいた。顔は手で覆っていてわからなかった。あれは自分の幼い頃の姿だったのか。それとも他の誰かなのか。
思えば不可思議なことが多い夢であったが、あまり思い起こしたくもなく、でも、もしも本当にそのような悲惨な現実に直面するのであれば、何等かの対策を考えなくてはならない。だがそれよりもいま目の前で沈んでいるこの子達を元気にしなくては。このままでは人を信じられない子になってしまうと思った。
義明が急に思い立ち、本州のテーマパークへ行くと言い出した。12月であり旅券が取れるのかどうか、仕事は休めるのか、と思ったが何とかどうにか旅券は取れ、仕事を休んで皆で出かけることとした。旅券は大人2名、子供6名で取った。悪タヌキも誘った。
「わるわるわるわる」どーしょうかなー、と、もったいぶった顔をしていたが、行きたいのはわかっていた。「お願いですからぜひ一緒に」と義明は頭を下げ了解してもらった。
人間世界は悪いことばかりではない、そうみんなに信じさせたかった。「人を信じてはいけない」という教えも時にタヌキ達には間違えではないかもしれないが、いまはそうは思い込んでほしくなかった。
本州への行き帰りは飛行機だ。船舶ではないので皆が恐れはしないだろうと思ったが、タヌタヌは飛行機に乗る前から降りるまで震えていた。飛行機の座席はまわりの乗客や機内スタッフの目からは変に思われたが二人は構いはしなかった。
テーマパークに着くと係員には強引に事情を説明し理解納得をしていただいた。このような事例が以前にもあったのかどうか、あったとしてもきわめて稀なケースであろうが、快く応じてくれた。
ゲート前で係員は「あ、ここにお子様が6人いらっしゃいますので」と、間を詰めて並ばないのか、という表情の後ろの客に笑顔で諭してくれた。ゲートから園内に入ると、事情を汲んだパーク事務所が特別にひとりエスコート役を付けてくれることになった。そのため、アトラクションでも、レストランでも、席の確保はスムーズであった。
キグルミならぬキャラクターがそこにタヌキの子がいるかのように声をかけてくれた。もしかすると見えていない人ばかりではないのかもしれない。タイミングよくタヌキ達にまとを得たもてなしの挨拶をしてくれる。エスコート役のスタッフも乗りに乗って、「ほら、あそこ、見てみて」と、見えるか見えないかわからないタヌキ達に声をかけてくれた。
次第にタヌキ達は気持ちがほぐれ、はしゃぎ、キャラクターと一緒に写真を撮ってと、義明にせがむようになった。写真を撮っても普通の人の目にはタヌキ達は写って見えない。だが、義明と春美とタヌキ達には確かに写真にはタヌキ達が映って見える。悪タヌキもよく笑い、はしゃぎ、写真にも行儀よくおさまってくれた。
春美はタヌタヌに、「ねえ、あれに乗ってみようか」
キャラクターを模した飛行系の乗り物を指さした。真ん中の太い柱からアームが伸び、アームの先にキャラクターがデザインされたボックスがあってそこに乗り込む。柱のまわりを上下しながらクルクル回る乗り物だ。2人と6匹は列につき、順番がきて、春美とタヌタヌは一緒に乗り込んだ。ブザーが鳴ってゆっくりと回転し、地上から数メートルのところまで上がり、地上すれすれまで下がり、を繰り返す。高いところでは園内を歩く人達や遠くのアトラクションが見え、まるで魔法の絨毯で夢の国の空を飛んでいるかのようだった。後ろの義明やエゾt、エゾリン、タヌリン、ポン、ワルちゃんも歓声を上げた。飛行の時間が終了し、係員がそれぞれのドアを開け、タヌタヌが春美と一緒に立ちあがるとき、
「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」僕この飛行機なら何回でも乗りたい。
そう言ったので、
「じゃあもう一回」
みんなは歓声をあげた。もう一度列に並び、この飛行遊具を楽しんだ。遊具に乗りながら春美はタヌタヌに言った。
「人はね、夢を形にすることができるの」
春美達が目を覚ましたあの日、ほぼ同時に東京のホンタさんも目を覚ました。ホンタさんは春美達の夢の中に出てきた本土タヌキではあるが、実際に東京に存在する精霊であった。同じ夢を見ていた。
ホンタさんが夢にうなされているのを同居のタヌキ達が心配そうに見ていたが、
うわっ、
と起き上がったとき、ホンタさんは充血した目を見開き、顔中の毛に脂汗を浮かせ、両前足を震わせるようにして興奮気味に夢のあらましをまわりの者に語った。
「これはたいへんなことだ」
と、皆は驚きと不安を隠さなかった。
「それはエゾタヌキ、北海道のタヌキさんだけのことでしょうか」
「いや、北海道では例の大戦もあった。いずれ本州にも影響が出るはず」
「すぐに手立てを」
と、配下のタヌキ達がホンタさんに進言する。少し落ち着きを取り戻したホンタさんは、
「ああ、そうだね、そうなんだけど・・・」そうつぶやきしばらく夢で見たシーンのひとつひとつを思い起こし、考えていた。
あれは本当に起きることかもしれない。だが未来は変化する。予知夢は大ごとになることも、「なあんだ、こんなことだったか」と笑い話で済む場合もある。世界中をまきこんだ戦争が本当に起こるのかどうか。起きるかどうかわからないことに対して、いまから不安に過ごしても仕方ないだろう。この世界はすでに人間の支配下にある。いま我々は人間に従って生き延びるしかない。ただ、かわいそうな状況に陥る人間や動物が少しでも少なくすむよう、打てる手があるのなら打っておくべきだ。それはそうだ。だがそれにしても、
「それにしても、あの子達・・・」遠い目をした。
あの子達の心をあのままにしておいてよいものか。まだ未来あるあの子達、一緒に暮らすあの人間達、少しでも幸福な時間を少しでも長く過ごしてほしい。わたしにできることがあるとしたら。
ひとり中庭に出たホンタさんが息を大きく吸い込むと、両手をあげ、意識を集中させ念をこめた。空がゆれ一瞬、朱色に光った。
「これで少しずつ、あの夢の呪縛は薄れるだろう。少しずつ記憶は不鮮明になり、恐れ、不安の気持ちは和らぐだろう。私にできることは、いまはこれくらいだ」
一日いっぱいパークのアトラクションや催し物を楽しみ、もう帰る時間というときに、係員さんが「みんなで集合写真を撮りましょう」と、キャラクターを総動員し、真ん中にタヌキ達、その後ろに義明と春美、まわりをキャラクターが囲み、パークの正面入り口から奥めがけての写真を撮ってくれた。
この写真はずっと永遠に義明や春美やタヌキ達の宝物になる。いつかまたこんな写真を撮ることがあるだろうか、ふと義明や春美が思った。
ふたたびこのような写真を撮るときは訪れるので
す。実に20年以上もの歳月を経て。
帰りの飛行機ではタヌタヌは震えなかった。窓から景色をながめ、眼下の雲海や街の灯りをうっとりと眺めた。春美が言ったことを思い出していた。
「人はね、夢を形にすることができるの」
いろいろありましたが、義明さん春美さん、タヌキ
達はまたもとの平穏な毎日を過ごします。でもそれ
は長くは続きませんでした。
(第三章 しあわせなたぬき)
悲惨な現実から抜け出す方法はあるのでしょうか。タヌキ達にとって、次章、最大の試練が待っています。