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しあわせのたぬき  作者: 月美てる猫
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第一章 光と影 ③ (本編の章管理)

悪タヌキの反乱から義明と春美はタヌキを善と悪に分けたことを反省します。

ただ、このとき、二人はこの世界に光と影があることに気が付き、やがて世界の構造に疑念を持つようになります。

③では影が攻撃をしかけてきます。



(第一章 光と影 つづき)


 仕事へ行く前に義明は昨日の公園へ行ってみた。いつもと変わりない、砂場も、ぶらんこも、あのエゾ松の木も、いつものままだった。クマの痕跡(こんせき)も、うんちもない。公園はなにも知らない顔で朝の光とそよふく風を気持ちよさそうに浴びているようだった。ふともう一度その松の木をみやる。

「今日は来ていないんだな。」

 よそのごみ収集場で人間の食べ残しでもあさっているのだろうか、顔見知りのカラスのことを想った。


 春美と結婚する少し前のこと、この公園に住んでいたカラスにエサを与えたことがある。カラスにエサを与えることは決してよいことではない。ただ、ポケットにあった昨日食べかけの菓子パンを、腹をすかせ弱って見えた親ガラスにちょっとだけ与えただけ、そうその時はそれだけのこと思っていた。カラスは頭がよい。そのカラスと連れのカラスは義明が通りかかるたびにおねだりをするようになった。よく見るとかわいい顔をしている。愛嬌あいきょうたっぷりにおねだりするその二羽のカラスにカラリン、カラタンと名前までつけ、毎朝のようにポケットに菓子などをしのばせて、人に見られないよう与えていた。カラリンとカラタンの見分けはついた。頭の大きい方がカラタンだ。

カラスは繁殖期(はんしょくき)になると巣の近くを通る通行人を威嚇するようになる。もちろん、人が憎くてではなく、わが子を守るためだ。義明が通勤で通りかかるその時間、たまたま通りかかった人がそのカラスの威嚇を受け、身の危険を感じたその人が公園に落ちていた棒切れをふりまわしてカラタンにケガをさせた。義明は棒切れをふりまわしている男性を制したが、間に合わなかった。やがてカラタンは息を引き取った。 

 義明は自分がエサを与えていたからそのような悲劇を生んだのだと深く後悔をした。

 ただ、もう1羽のカラリンは引き続きその公園にとどまっていた。大きなエゾ松の木に巣をつくり、そこで4羽の子ガラスをカラタンと一緒に育てていたようだ。 

 4羽の子ガラスは既にに巣立ちをしていた。秋が深まってもまだカラリンからエサを口移しでもらっているようだった。口を大きくあけてカラリンにおねだりをする。まだ口の中が赤い色をしていた。

 度重なる大雨や、カラスにとっての食糧不足のせいだろうか、4羽の子ガラスは1羽減り、また1羽減り、と最後の1羽だけが残った。カラリンが雨に打たれながら公園のベンチで動かないでいるのを見かけた。弱っているのか。気温が下がり雨は雪に変わろうかという時季だ。義明はカラリンを哀れに思い、食べ物を与えようと家に戻り、公園へ引き返したが、カラリンはベンチの上で息絶えていた。

 ふと気が付くと公園のフェンスに身体の小さな子ガラスが雨に打たれながらこちらを見ていた。カラリンの最後の子であろう、その子にはカラリンコという名前をつけた。 

 カラスの子は親から与えられる食べ物以外は警戒をして口にしないと聞いたことがある。この子も死んでしまうのか。義明はカラリンの亡骸なきがらを公園のすみ、カラタンを埋めたその近くを掘って埋めてやり、カラリンに与えようと思った菓子をその場に置いて手を合わせた。

 翌年の春、春美と一緒にその公園を散歩しているときにカラリンコらしきカラスを見かけた。カラスは一羽一羽のみわけがつきにくい。カラスのつがいは数百メートルに一組の範囲で縄張りをもつという。だからいつも同じ公園にたたずんでいるカラスは同じカラスのはずだが、そのカラスはカラリンコかもしれないし、カラリンコではなかったかもしれない。そのかたわらにはもう1羽のカラスが寄り添っていた。春美はそのもう1羽のほうに、ヨメリンコという名をつけた。

 2羽のカラスは繁殖期に入り、やはり神経質になって他の人間を襲うことがあった。カラスに注意とのポスターが公園の電柱に貼られている。そのつがいは決して散歩中の春美と義明を襲うことはなかった。

 春美と義明は頻繁(ひんぱん)にその公園へ立ち寄ることにし、棒を振り回すような人間がいたらカラスとその人間の間に入って悲劇がおきないよう気をつけることにした。この公園を散歩道によく使うのはそういうことがあったからだ。


 カラスはどちらかといえば嫌われる動物だ。人間の中にも良い人とか悪い人とか言われる人がいる。でも生まれついて悪い生き物などいるものだろうか。昨日の戦いが終わり、この公園を改めて見渡し、悪タヌキやカラタンのことを思った。 

 良いたぬき、悪いたぬき、魔物、その垣根は何なのか。自分もいつ悪者になるかもしれない。魔物にだってなるかもしれない。カラスを見て不気味とか怖いとか言う人はいるが、義明は少なくともカラスを不気味とも怖いとも思わない。

 人が食べ残したものをあさるカラスを見てあさましいと思う人はいるかもしれない。だがそもそも食べ残しをするのは人である。食べ残しをする人を忌いみ嫌う人はそうはいないだろう。カラスと人間にどれほどの差があるだろうか。義明は人間はカラスよりもよい動物だなどとは思わない。ゴミから食べ物をあさるカラスは人間の犯している食べ残しという罪を背負って悪者になっているのだ。


 悪タヌキを悪役に仕立てたのは自分だった。今回は被害者にしてしまった。少し優しくしてあげなければ、そう、義明は思う。ただ、悪タヌキをそのように産み出し、そのように(しつけ)をしたこの数か月はもう後戻りできない定めを強いてしまっていたのかもしれない。


 公園から戻るとタヌキ達はまだ寝室で寝ていた。着替えをし、朝食をとって、仕事へ向かった。見えないものが見えるようになった自分。昨日のクマの言葉、魔物はそこらじゅうにいるということ。通勤途中に見える建物、道、人、街路樹、この中によいもの、わるいものがうずまいている。自分もその中の一部である、と、義明は改めて思う。それにしても、

「それにしてもあのクマはいったい何者なんだろう?」


 病院に戻ったその夜、病室で春美も、同じようなことを少し違う視点で考えていた。

「それにしてもあのクマさんはいったいダレなの?」

 クマはワルちゃんに魔物がとりついていたと言った。昨日のワルちゃんは可哀そうだった。ワルちゃんがもしいなかったらあの子たちはどうなったのだろう。あの子たちも魔物にとりつかれ悪い子になったのだろうか。

 あの魔物はどこから来たのだろうか。「全身100%のワル」ということありうるのだろうか。よい心を1%も知らずに、悪い心ができるなんてことがあるのだろうか。魔物ははじめから魔物で、よい心を持ったことは一度もないのだろうか。そのままにしておいたらワルちゃんも100%のワルになったのだろうか。

 悪タヌキは一時的に魔物にとりつかれたかもしれない。でもよい子と悪い子の分別はついている。義明によれば、エゾリンは一生懸命喧嘩をやめるようにワルちゃんに説得していたというし、ワルもタヌキ達に「いい子ぶってかわいくない」と言っていたという。悪タヌキはいい子と悪い子の区別はついているはず。魔物はどうかわからないけど、悪タヌキは良い子になりたいのかもしれない。

 クマが言っていた。自分を見失わなければ病気にも勝てる、そうかもしれない。5匹も悪タヌキもバランスとって仲良く元気に暮らすには、特に5匹には自分を見失わない、迷わない、強い子に成長してもらわないと。

 悪タヌキのことを一番わかっているのはエゾリンだと思う。エゾリンはとても優しい。でもまだ少し泣き虫だから、タヌリンの支えが必要。エゾリンとタヌリンと悪タヌキでバランスを取りながら成長して欲しいと思う。

 義明には悪タヌキと5匹の関係についてよく聞いていなかったけれど、多分義明は悪タヌキとエゾリン、タヌリンでバランスをとろうと考えていたんだと思う。エゾリンはどこまでパワーアップできるかな。私はどうだろう。だめかもしれない。私はもうそんなに強くなれる気がしない。


 春美は自分の病状を理解していた。魔物がとりついているわけではない。ただ、病魔に打ち勝つだけの気力を出すことが無理だと決めていた。病魔によい子がいるわけがない。言ってきかせてもだめ。だからもう無理。


 窓を見やった。月夜で空気が澄んでいるからだろうか、遠くに手稲山(ていねやま)の稜線がかすかに見える。「手稲山か」春美はつぶやいた。タヌキ達には強く生きてほしい。それには生きていくための力を学ばせなければ。でももう私にはそれを伝える元気もない。

 消灯後の病院。カラカラと何かを運ぶ音、ブザー音、お年寄りが叫ぶ声、パタパタというナースの足音、自分の身体に起きていること、自分の心の中の葛藤(かっとう)、そんなことはおかまいなしに、病院の時間は何かの音とともに淡々と過ぎていく。

「ああおうちに帰りたい」

 そうつぶやきながら、ガラス窓にうつる病室の殺風景さと、外の二次元に近いパノラマを見比べ、春美はあのタヌキ達の住む家を瞳の中に映し出していた。


 朝がきて定時の問診が終わり、義明が職場へ向かっている時間のこと。春美は病院のベットを抜け出して、ひとり家へと向かった。タヌキ達が元気にしているか気になっていた。悪タヌキもケガをしていたりしないか、また魔物にとりつかれそうになっていたりしないか、見てあげなければ。


 公園にさしかかると、背後から懐かしい声が聞こえた。

「春美!」

「ああ、佑香、どうしたの?」

「元気だったぁ?」

 佑香は高校で同級生だった親友だ。結婚式には出てくれたがその後は会っていなかった。久しぶりの再開に少女のようにふたりははしゃいだ。

「突然ごめんね、ちょっと顔が見たくなって」

「うれしい、ねえ、家すぐそこなの」と、春美は佑香を家まで案内した。

「ねえどこ行ってたの」

「うんちょっとそこまで」

「ねえ体調はその後大丈夫なの、まだ薬飲んでいるの」

 佑香は義明が春美の病気のことを知りながらプロボーズして結婚に至ったいきさつを知っていた。

「うん、まあね、でも大丈夫だよ」

 入院先から抜け出してきたことは言わなければならないかなあ、そんなことを考えながら、

「そこの家よ」

「へーお庭広いね」

「何も手入れしていなくて」

 と、玄関口まで誘いキーを回しドアをあけて「どうぞ」と中へ招こうとして、一歩ためらった。居間に入るドアが開いていて、中から5匹が顔を出してこちらの様子をうかがっている。

「旦那様いるんだったの?」

 春美が一歩進むのをためらったのを見て佑香が遠慮がちに尋ねると、

「ううん、いないよ、さあさあ、どうぞ」

 と、手招きをして旧友を居間まで誘導した。

「おじゃまします」と佑香は居間に入り、少しけげんな顔をする。

「何も気にしないでおくつろぎくださいね、いまお茶出すから」

 と、佑香が借りてきたネコのように硬直しているのを見て、もしかしたらタヌキが見えているのか、と疑った。タヌキたちも硬直して見える。ソファの影からこの初対面の侵入者にタヌキ達は少し緊張気味のようだ。

 さっきまでの快活な態度とは裏腹にあたりをきょろきょろとみている佑香に、

「ねえ、こっちに来て座って、お茶をどうぞ」

 と、キッチン側の食卓テーブルを勧めた。佑香は食卓テーブルのイスにつくと、居間の方を見ながらこういった。

「ねえ、旦那様はいまもやっぱりネコ嫌いなの」

 よもやタヌキのことを聞かれはしないかとひやひやしていた春美は少しほっとして、

「そうなの、私はネコ飼いたいんだけど、旦那はだめみたいなの」

 春美は子供のころ、両親が健在であった生家のネコを可愛がり、世話をしていたことがある。

「そうかあ、春美はネコが好きだったもんね」

 お茶を一口すすった佑香が次に言った言葉に春美は硬直した。

「じゃあ、タヌキは旦那様のお気に入り?」

 やはり見えていたのだ。自分たち以外にそれほどまで鮮明に見える人物がいたとは。「何のこと?」ととぼけてもだめだと思い、春美は聞き返した。

「見える?」

「うん、でもあれ、ペットとか野生とか、じゃないよね、映像にしては立体的すぎる、不思議。いったいあれ、何?」

 春美はぽつぽつとこれまでのことを話した。とても信じてはもらえないような話だが、目の前にそれが現実に存在する以上は信じてもらうしかなかった。ふと、タヌタヌ、ポンが近寄ってきて、つんつんと佑香の太ももあたりに触れるしぐさをする。安全を確認したかのように、エゾtやタヌリン、エゾリンも近寄ってきて、物珍しそうに佑香を眺める

「うわっ」

 と、佑香が大声をあげて両手をあげてタヌキたちを驚かせると、びっくりしたタヌキ達はのけぞりながらあとずさりしてコロンと仰向けに倒れた。起き上がるとタヌキ達は、両手で顔をゆがめたり、鼻を上に持ち上げたりの変顔を佑香にしてみせると、佑香も負けじと変顔をして、

「ギャオウ」

 と変声をあげる。たぬきたちは一瞬ひるんで、

「だだだ」「えぞりん」「たぬりん」「ぽんぽこ」「たぬたぬ」と笑いころげた。

「何これ、こいつらめ」

 と、佑香がこぶしを振り上げて怒るふりをすると、タヌキ達は居間のほうに逃げて「シーシーシー」と例のポーズで威嚇するそぶりをした。

「面白いねえ、他の人たちには見えないの?」

 佑香があぜんとしている春美に問いかけた。春美は、こんなにも鮮明にタヌキが見える人物はこれまで佑香だけだと答えると、

「ふーん、そうかあ、私も幸せ未満だからね」

 居間の方を気にしながら佑香は席につき、お茶をすすってこう切り出した。

「実はね、私、結婚しようかどうか迷っていたの、彼のこと少し信じられなくて。それでね、今日は春美のところにきて相談しにきたの」

 春美が先を越すように佑香より先に結婚したあと、佑香は自分も早く所帯を、と焦ったようだ。いろいろな男性との交際を試みてやっといまの男性にたどりついたが、いまひとつ踏み切れないという。そんな打ち明け話をふと気が付くとタヌキ達が食卓テーブルの下にかたまり、メモをとるポーズで真剣に聞いている。

「うふふ、聞いているの。君たちはどう思う?」

 そう佑香がタヌキ達に問いかけると、タヌキ達はいつものように円卓をかこんで相談を始めた。いつの間にか、タヌリンが棒を持ち出し、テーブルの上で倒した。そうかと思えば、サイコロを振ったり、要するにタヌキ達にも決められない、というパフォーマンスのようだ。

「うふふ、もういいよ、ありがとう」

 佑香はその不思議な生き物たちが彼らなりに真剣に考えてくれていることがうれしかった。

「なるほど、幸せのすきまに現れるタヌキか。私はいま幸福でしょうか不幸でしょうか?」

 またタヌキ達は考えるポーズをし、コインを投げて裏か表かを5匹で確認するしぐさをしてみせた。

 春美は、

「私にはわからないけど、決めるのは佑香だから、でも佑香ならきっと正しい選択ができると思うよ」

と言い、佑香は、

「そうだね、わかった、幸せそうな春美にそう言われたら元気が出てきたよ」

 幸せそうな、と言われた春美がやや目を伏せた。その様子を佑香は見逃さなかった。

「ねえ、本当に体調は大丈夫なの?」

「うん、大丈夫、でもそろそろ病院に戻らなくちゃ」

「え、戻らなくちゃって、入院でもしていたの?」

「実はね」

 玄関先まで佑香を送った。春美は家のかたづけをしてから間違いなく病院へ向かうと佑香に約束をして見送った。佑香は、

「今度くるときはタヌキさんたちが見えないかもしれない。私きっと幸せになるからね」

 そう庭から玄関の春美やタヌキ達に告げた。

 春美も健康な身体になっていつまでも義明と幸せに暮らしたい。でも健康になって幸せいっぱいになったとしてもタヌキ達ともずっと一緒に年をとりたい、家族でいたい、そう心の中で願っていた。ただ病状は早く改善させなくては、と今更のように思う。ふいな友人の来訪と、タヌキ達の接待に春美は元気づけられていた。



  この佑香さん、後にタヌキ達にとって命の恩人とな

  ります。でも、佑香さんがタヌキ達を見るのはこれ

  が最初で最後でした。



 検査の結果はおもわしくなかった。病気は進行していて、春美には手術が必要だという診断だった。義明は医師に手術を申し出たが春美は拒んだ。

「いや」

「だめだよ、このままだと悪くなるばっかりだってお医者さんも言ってたじゃないか」

「いやだ」

 がんとして聞き入れない。いやだと言われても縄でしばりあげても手術をさせる気ではいたが、本人がその気にならないと病気に打ち勝つことはできない、義明はそう考えていた。

 春美には不安や恐怖に打ち勝つ魔法が必要。タヌキ達から応援を得ようと考えたが、空想で産み出した幻に生身の人間の病気を治療するパワーがあるとまでは思っていなかった。そしてタヌキ達はまだ未熟者だ。勇気、夢、信じる心、それらをタヌキや自分を通じて春美にどうしたら備えさせることができるだろう。

 タヌキ達の姿は春美にとってはいまやかけがえのない癒し薬だ。タヌキがいなかったら春美はますますふさぎ、よどみ、気力をなくしていっただろう。でも病気に打ち勝つためには、癒しを超えた自助努力が必要なはずだった。タヌキ達がそのきっかけを作ってくれはしないだろうか。


 その日は台風の通過で激しい雨が降り続いていた。強い風が庭の草木を揺らし、サクラの小枝が折れて道路まで散乱していた。義明は庭の植木鉢やジョウロなど風で吹き飛びそうなものを収納し、戸締りをしっかり確認して車に乗り込んだ。

 ふと車外を見るとタヌキ達はまだ雨カッパ姿で散乱したサクラの小枝を丁寧に拾うそぶりを見せていた。幹や太い枝が折れていないかを念入りに見ている。義明は車から降りてタヌキ達がするように、道路に散乱した小枝を拾って庭のほうへもどした。

 タヌキ達に車へ乗るよううながし、病院へ向かう。強い風に車はときおりあおられハンドルが微妙に揺れる。道路は冠水したかと思うほどの大きな水たまりの連続で、車は大波小波を派生させながら進んだ。天気の崩れは何かよからぬことの前触れか、と不安をかきたてる。義明はタヌキ達を連れて病室を訪れた。だが逆効果だったかもしれないと少し戸惑う。

「来てくれたのね。でもみんな涙目になっているよ。わたし、嬉しいけど悲しい」

 タヌキ達は春美に会えた嬉しさと、病気への不安で心配そうだった。タヌキ達は義明と春美の空想から生まれたものだ。それだけに二人の感情をよくとらえ、鏡のように表しているのかもしれない。

「雨風が強くて、さっきまでみんなで庭の掃除をしていたんだ」

 そういう義明は全身濡れていて、靴にズボンに頭に、サクラの小枝や葉がこびりついている。「目に風や雨が入って、ね」と義明はタヌキ達に「そうだよね」と同意を求め、身体についた枝葉を取りながら、

「ねえ、タヌキのためにも頑張ろうね」

 義明はそういって春美を慰め、勇気づけるのが精いっぱいだった。春美は義明がベッドに落とした葉のついた小枝を手にし、はかなさ、せつなさをかみしめているようにも見えた。


 消灯の時間になり、義明とタヌキ達は帰宅をしようとした。タヌキ達が病室の外を気にしている。身構えている。何かくるのか。それは例の黒いかげのような形のないものではない。透き通ってはいるがキューブ状で、目のような突起がいくつもあり、長い腕が2本ある魔物だった。魔物かどうかはわからないが、まがまがしいものには違いなかった。

 タヌキ達が身構えている。キューブ状の魔物はふわふわと浮きながら通路を移動してきて、春美の病室前で止まり、じろじろと中の様子をうかがっている。タヌキ達や義明の警戒する念が勝っていたのだろうか、病室内へ入りかけて止まりそれ以上は進めずにいるように見えた。

 魔物はタヌキたちの存在に気が付いたようだ。視線を床のほうへ向け、タヌキを一匹一匹まじまじと見つめると、向きを変えて階段のほうへ向かい、姿が見えなくなった。

 春美の病室は6人部屋だが、春美はいちばん通路側で休んでいる。向かいのおばあさんもキューブが見える位置にいるが、気が付いていないようだ。おばあさんにはタヌキ達も見えていない。

「わたし手術うける。」

 春美がふいに口をひらいた。

「私も強くなって魔物からタヌキ達を守るんだ」

 春美はそう力強く決意した。タヌキ達はますます目がうるうるとしていた。悪タヌキに魔物が乗り移ったようなことが今後もあるかもしれない。タヌキ達を守るのは自分の務め、春美はそんなふうに思ったのだ。

 あのクマが言っていた。魔物はそこらじゅうにいると。タヌキのように人を癒す精霊のようなパワーもそこら中にいるということなのかもしれないが、このタヌキ達はいまや自分に幸せな時間をくれるかけがえのない家族だ。

「自分を見失わなければ勝てる」そうクマは言った。きっと病気にも勝ち、タヌキ達を守り抜くんだ。そう春美は決心をした。

 義明やタヌキや友達が応援してくれている。さきほどのキューブや黒いかげが春美や病院の人に悪さをするかどうか、それはわからない。ただ自分にやどった病魔という確かな事実は、医学の力と自分の力で打ち消すしかない、それは春美にもよくわかっていた。


 義明とタヌキ達は、手術の日まで春美を元気づけようと必死だった。タヌキ達は家には帰らず、常に病室で春美のそばを離れなかった。



スイダムアが出た!

 生身のエゾクロテンが2匹倒れている。シカの精霊1体とキツネの精霊2体が、エゾクロテンを救い出そうとその四角い魔物に攻撃をかけているが、相手は強い。凪ないで静かな海、半月があたりを照らしている。断崖がそびえるその岩場に魔物の雄叫びがこだまする。

「キューイン」

ドシュン、

 5、6個はあろうか、突起した目からエネルギーがほとばしりキツネ1体に照射されるとキツネは数メートルほどゴムまりのように飛び、岩にたたきつけられ動かなくなった。さらに魔物は2体に分裂すると一体はシカめがけ突進しシカの身体と同化してシカを支配してしまった。魔物に支配されたシカと分裂した1体の魔物が挟み打つようにもう1匹のキツネに襲い掛かる。飛び掛かるキツネを長い腕ではたき落とし、魔物化したシカがキツネを蹴り上げる。キツネはうめき声をあげて岩場に膝をついた。魔物はもとの一体に戻ったが、魔物に支配されていたシカは気を失って岩に倒れこんだ。透き通った四角い魔物は片膝を着いたままうめき声をあげ苦しむキツネにふわふわと近寄ると、突起した目にエネルギーを充填じゅうてんし、一撃を入れる、その間一髪手前、

キィエーッ

 大鷲のカムイ一羽が飛来し、一撃でその魔物を粉々にした。

「大丈夫か、ケガは」

 大鷲はキツネに羽を載せると何かを念じ白い光をあびせた。キツネは癒され立ち上がり「はい、ありがとうございます」少し荒い息遣いで、

「でも仲間のキツネとシカと、命あるクロテンが」

「よし、手当しよう」

 そう言って大鷲は生身のクロテンと精霊のシカ、精霊のキツネに白い光を浴びせた。

「これで大丈夫だ、じきに目がさめて歩きだせるだろう」

「隊長、あの子は」

 キツネから隊長と呼ばれたその大鷲はこなごなになった魔物の中央付近に横たわるクロテンの子を見つめた。起き上がったクロテン2匹がかけよりぺろぺろと身体をなめるが、クロテンの子はうめき声をあげて苦しんでいる。大鷲が駆け寄り羽から白い光を浴びせるとクロテンの子はぐったりしたまま動かなくなった。

「いまは眠っている。今夜が山だろう。ついていてあげなさい。」

 そう2匹のクロテンを励ました。

「可哀そうに。恐ろしい魔物だ。生身の動物にも精霊にも乗り移り支配する。まだ他にいるかもしれない、気を付けて帰れ。何かあったら大声で叫べ。この半島の中であればわれわれ誰かが助けに行く」

 そう言ってシカとキツネが走り去るのを見送った。

「それにしても」大鷲は空を見上げつぶやく。

「シーマ、魔物が増えているぞ。このシレトコも安泰とはいえなくなってきた」

 シーマは洞窟の中、大鷲の目を通して、嘆き悲しむクロテンを見つめた。親子だったのだろうか。こんなことがまだまだこれからも増えるのか。だが待たねばならない。あのとき感じた光、もしイヌのわんこちゃんが言うことが事実であれば、それに賭けるべきか。だがわれわれにとっては脅威(きょうい)になるかもしれない。人間が精霊を生み出すとは。



 病院へ春美の見舞いに通うタヌキ達はいろいろなパフォーマンスをして春美をなごませた。

「カバの物まね?」

「だだだたぬうき」

「え、院長先生?ふうん、言われてみるとそうかな」

 タヌキ達が病院スタッフの物まねをしていたが、

「え、今度は?だめだよ向かいのおばあちゃんのマネなんかしちゃあ」

 小声でタヌタヌを()とす。向かいのベツトのおばあさんはひとりで立って歩くことはできないらしい。寝たり座ったりしていて92歳と高齢だ。たまにご家族にわからないことを話して困らせているが、おばあさん含めてほのぼのとしたよい家族だ。

 春美の祖父母は春美が幼少のときに亡くなっている。一緒に過ごした記憶はほとんどない。父母も春美が小中学生のときに次々と他界してしまった。だからあのように家族を見舞い、家族に見舞われるようなことはこの先訪れない。そんな後ろ向きなことを考え、暗い表情をしているときは決まってタヌキ達がいろいろと慰なぐめてくれる。そう、自分にも家族ができた。タヌキ達がいるではないか。

 悪タヌキも見舞いにくる。自宅でのタヌキ同士でのイタズラは時に笑わせてくれるが「あれ、あれ、なんだこれ、ボールペンじゃない」と、体温計を持とうとしたナースにボールペンを持たせるなど、一生懸命働いている病院スタッフへのイタズラには顔をしかめる。本物のナースキャップをして登場したときにはげんこつをはった。

「返してきなさい」

 ワルちゃんは物に触ることができる。だがふつうの人にはタヌキは見えない。だからナースキャップが空中を飛んできたことになると春美は思った。そもそもそんな大事なユニフォームを勝手に持ってきてはいけない。未熟者のタヌキ達にはまだそのあたりの思慮分別(しりょふんべつ)をつけさせることが難しい。ただ、ワルちゃんなりに自分を励まそうとしているのだろうと理解する。


 少し気になることがある。タヌキ達がしきりに出入りする者のチェックをするのだが、たまに険しい表情になるときがある。険しい表情は目に見える人間に向けてのこともあれば、空間を見つめて険しい表情になるときもある。どこに何がいるのか見えないものに春美が神経をとがらせても仕方ないが、タヌキ達が自分を守ろうとしてくれているのはとても頼もしくうれしい。

 向かいのおばあさんがゴミ箱を指さして、

「そこにほっかむりしたタヌキがいる」

 と大声を出したときには春美はびっくりしたが、

「ぽんぽんぽこぽこ」それはゴミ箱がたぬきに見えただけ、と、解説してくれてほっとした。ただ、そのおばあちゃんが春美の主治医を指さして、

「あんたはイカサマ師かい」

 と叫んだことがある。また、タヌキ達もそのひげ面の主治医が病室に入るときはどこか少し、いぶかしげな表情になる。

「ねえ、あの先生なにか問題あるの」小声でタヌキ達に問いかけると、

「たぬりんたぬりんたぬりんたぬりんりん」ふつうの人間には違いないけど、なんとなく普通じゃない気がするけど普通な気がする、という。

「だだだだだたぬうきたぬうきだあだだだたぬうきだあだあだ」魔物がわからないようにこっそり乗り移っているならわからないし、わかるように乗り移っているならわかる、などとよくわからないことをいう。

「自分を見失わなければ大丈夫」

 あのクマの言葉を信じ、また、いまはこの病院や主治医を信じ、自分の病気がよくなると信じるしかない。


 手術前、春美は一時退院の許可が出て、一泊だけ我が家で過ごすこととなった。家の中は思ったほどちらかってもいない。

「まあ感心感心」

 中に入って、

「私がいなくても義明ひとりでも大丈夫だね」

 またそんなことを言うと、タヌキ達がまた涙目でこちらを見る。エゾリンが泣き出してタヌリンが慰めている。

「あ、ごめんごめん、私大丈夫だよ、ちゃんとよくなって帰ってくるからね」

 と、タヌキ目線までしゃがんでひとりひとりに笑ってみせ、エゾリンの頭をなでるしぐさをした。

 新聞代や公共料金の支払いなど、春美にしかわからないことをひととおりチェックして、入院中に必要なことについて義明にいちいち説明した。

「お米が残り少ないから、仕入れておいてね、ちゃんと朝ご飯食べてね。退院したら一番にチェックするからね」

「うん、わかった、ちゃんと朝ご飯つくって食べるよ、ね」

 と、義明はタヌキのほうを向くと、タヌキ達はうんうんとうなずく。そうしていると、

「カサカサ」

 玄関であのノックの音がする。義明がドアをあけると、

「あ、イヌのわんこちゃん、だね」

「はい、こんにちは。覚えていてくれてうれしいです」

「こないだは助けてくれてありがとう」

「いえ、私の力ではありません」

「あの立派なクマちゃんは?」

 イヌがひとりで来訪すること自体不思議だが、出迎えた主人と親しげに会話をする様子に、タヌキも春美も目を丸くして見ている。

「くまちゃんも近くにいますよ。でも昼間は少し目立ちすぎますから、茂みの中で昼寝しています。あの、今夜、僕らもお寺にご一緒してもいいですか?」

 義明はびっくりしながらわんこちゃんを見つめた。義明は今夜サプライズで春美とタヌキ達を自分が空想でつくりあげたお寺まで案内しようと思っていたのだ。今日は満月だった。満月といえばタヌキとウサギと和尚、というのが義明のイメージだ。

「え、なんのこと」

 春美が間に入ってわんこちゃんと義明の顔をみくらべた。

「うん、いいよ」

 義明は、わんこちゃんと春美とタヌキ達を見て、

「今夜は月夜だ、みんなでお寺に行くよ」

「うわあ、それいいね、お寺でお月見みするのね」

 タヌキ達もにこにこしている。義明はタヌキ達とは相談していた。月を見ながらお寺の境内で踊りを踊るのだ。


 夕暮れどき。居間で昼寝をしていたわんこちゃん、タヌキ達が起き上がり、窓から見える大きな月を見てはしゃいでいた。

「だだだだ」「たぬりんたぬり」「ぽんぽんぽこぽん」「いいお月様ですね」

 お天気は上々、まあるい月が東からのぼってきた。寒くないよう、自分にも、そして春美にも少し厚着をさせ、義明は春美の手を引いてお寺が出現するであろう方向へ歩いた。春美も何となく記憶に残っているその方角だった。

義明と手をつないで歩くのは新婚以来久しぶりだった。義明の手の暖かさが伝わってくる。

「タヌキちゃんたちは何か芸をしてくれるのかなぁ、分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)とか」

 そう春美が問うと、

「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」春美のすぐ横を歩いていたタヌタヌが、あれは可哀そうなお話しだよ、と言い、エゾリンが

「えぞりんえぞりんえぞりんりんえぞえぞりん」茶釜に化けたり、綱渡りしたり、まるで見世物にされていたもんね。でもそこから世界的なスターに上り詰めたんだよね。

 そんなことを言っている。

「ねえ、そんなお話しだったっけ」

 春美が義明の顔を覗き込んだ。義明は実は分服茶釜のお話しをよくわかっていない。エゾリンの言っていることは義明としてはあながち間違いではなかった。正しいかどうかはわからない。

「ううん、まあ、だいたいそんな話だったかなあ」

 そう義明がいうと、うんうんと義明様の言うとおり、と、ほかのタヌキたちがうなずいている。

「ねえ、あなたたち、どうして義明は義明様で、私が大王様なの?」

「あ、大王様見えてきましたよ」


 わんこちゃんが春美の方を見てそう言ったかと思うと、あたりが急に開けて、お寺の本堂と、その前の広場が浮かび上がった。本堂の扉から和尚が出てきた。

「こんばんは、いい月夜ですね」

 春美は和尚様が以前お会いしたときとは変わり、少し威厳が出てきた気がした。本堂の奥のほうも出来上がってきているようだ。仏像が見える。阿弥陀如来(あみだにょらい)だろうか。 

リスリン、リスたんが出てきて、

「義明様、大王様」

 そういって、うれしそうにすり寄った。広場の真ん中にはいつのまにか火櫓(ひやぐら)に炎が注がれ、その向こうに大きなクマが炎を見つめていた。義明と春美が近寄り、

「クマさん、先日はありがとうございました」

 と御礼を言うと、

「くまちゃんと呼んでください、私はただ、通りすがりのクマです。ちょっと吠えてみただけですよ」

と話し、にっこり笑ったように見えた。

「さあ、皆の者、用意はいいかあ」

 和尚さんが袈裟(けさ)をぬぎ棄て、上半身が裸になると、タヌキ達はキリリとした表情になり、火櫓のまわりに立つ。本堂のわきから信楽焼き風の大ダヌキが2体、のしのしと、本堂の中から2本足のうさぎが2匹、すたすたと、出てくると、大ダヌキが「うぅぉおおおおお」

 と、叫ぶ声に春美と義明はちょっと驚き、あとずさったが、トン、トン、トントン、腹鼓(はらつづみ)を打ったのがユーモラスでかわいらしい。大ダヌキの掛け声に合わせ、和尚さんが、ボン、ボン、ボンボン、と腹鼓を打った。大ダヌキに負けていない。よい響きだ。

「はぁあああああ」

 と、タヌキ達が声をあげ、タヌキ踊りが始まった。タヌキ達は、踊りのときは「は」と言う発音ができるらしい。

ドン、ドン、ドンドン、ドン、「はっ、はっ、はっはっ、はっ、はっ」ドンドン、ドンドン、ピーヒャララララ、うさぎの横笛が響く、

「はっ、はっ、はっはっ、はっ、はっ」ドン、ドン、ドンドン、ドンドン」

 大ダヌキと、和尚さんが競うように腹鼓を打つ。踊りは極めてシンプル、踊りの輪をつくっているタヌキ達と、リスは両手を天に向け手のひらを返し、両足はすりあしで膝ひざをまげて、まるで天を支えるように一歩あるき「はっ」一歩あるき「はっ」二歩歩き「はっ、はっ」それを繰り返し、火櫓のまわりをまわる。わんこちゃんは楽しそうにわんわんと、そのまわりをまわる。義明と春美とクマちゃんは輪の外からそれを楽しそうに眺めた。

「大王様、義明様、くまちゃんもいっしょに」

 と、リスリン、リスたんが誘う。ふたりは笑いながら輪に入って、タヌキ達のあとをついて、同じようなかっこうをして火櫓をまわった。クマちゃんもタヌキの動きをマネて真剣そうな顔で踊りの輪に入った。踊りながら春美が気が付いた。

「このかっこう」公園で春美が大王になりきって悪タヌキを威嚇したときの歩き方と同じだ。

「大王様お上手ですね」

 リスリン、リスたんが褒めてくれて、春美はその気になり、気持ちを入れて踊った。いつのまにか、キタキツネ、うさぎ、オコジョ、ヒグマ、野生のエゾタヌキ、カラス、スズメ、ヒヨドリ、野ネズミ、いろいろな動物が集まってきて踊りの輪を見つめていた。

 カラスと目があった。あのカラスだろうか。動物たちは身体が透き通っている者もいる、生身のような者もいる。みな楽しそうに火櫓のほうをみつめた。


 月があがり、和尚さんが疲れたのか本堂へ上がる階段に座り込むと、みなゆっくりと姿を消し、篝火(かがりび)の火も台座も消えて、義明と春美のほかは月の光と静けさと、わんこちゃんとクマちゃんだけが残った。

 クマちゃんがゆっくりと春美に近寄り、

「今日は楽しかったですね。ありがとうございます」

 春美と義明を交互に見ながら、クマちゃんはおじぎをした。

「お体心配ですが、どうか、お気持ちを強く持って、幸せをご自身で願ってください。幸せを願う人には困難なことがおきても必ず助けてくれる者が現れますから」

 そう言ってまた茂みのほうへ姿を消した。わんこちゃんもおじぎをしながら、手を振るようにしっぽをふって、クマちゃんのほうへ向かった。

「帰ろうか、きっとタヌキちゃんたちは先に帰ってソファで寝ているよ」

 義明は春美の手をとり、家路についた。カラスがまだ広場の木に残っていた。ふたりを見送っているようだった。


 夢のような月夜だ。来月の満月はきっとおうちの窓から見よう、そう春美は思った。束の間ではあるが手術前の不安な心は高ぶる希望へと変わった。


 手術の日がきた。執刀医(しっとうい)はあのひげの主治医ではなかった。若い外科医だ。義明は医務室で主治医、執刀医のふたりから手術の説明を受け、病室へ戻るとすでに春美はストレッチャーに移り、手術室へと移動するところであった。義明が春美に付き添えるのは手術室の手前までだ。タヌキ達は手術室まで入り込めるようだが、メスで春美が切られる様は見せたくなかったので、

「いっしょに外で待っていよう」

 と()すとタヌキ達は不服そうだったが()さめた。義明は手術室の手前まで春美の手を握り、義明もタヌキも、

「だいじょうぶ」「だあだだだたぬうき」「えぞりんえぞりん」「たぬりんたぬりん」「ぽんぽんぽこぽん」「たぬたぬたぬたぬ」と励ました。

「じゃあ行ってくるね」

 そう言って春美は手術室へ吸い込まれた。「手術中」のランプが点灯した。もうすでに春美は夢の中であろう。


 タヌキ達が落ち着かない。義明はだいじょうぶ、だいじょうぶ、と自分にもタヌキ達にも言い聞かせていた。ふと目の前を見て驚いた。いつの間にか主治医がそこに立っている。どうしたのか。義明が座っている長椅子は廊下に沿って設置してある。つまり、義明は廊下の向こう側の壁を向いていた。その壁の手前、廊下の真ん中に主治医が手術室を向いて音も立てず、いつのまにか立っている。

 主治医はゆっくりと義明の方を見、何も言わず正面を向いて手術室の方へ歩きだした。

「タヌキは、どうしたんだ、みな硬直して動かない。なんだ、どうしたんだ」

 病院全体の時間が止まってしまっているようだ。そう思っていた義明自身の身体も動かない。主治医は手術室の前に立ち止まったかと思えば、そのまま扉を通り抜けて手術室へ入っていった。まずい、だめだ、春美が危ない。何とかしてもがき、動こうとするが全く動けない。

「春美~!」心の中で叫び声をあげた。


 手術室では手順通りであろうか、執刀医のオペが進行していた。ひとりで手術をしているわけではない。助手もいるし血圧などの計器を見る者もいる。もしも執刀医が魔物であったとしてもオペに異常があれば他の者が気が付くはずであるが、執刀医が魔物であることは誰も気が付くことはできない。

 春美は麻酔で眠っていたが、眠りの中、手術室に侵入した魔物がその執刀医を介して春美の中に入り込んだことに気が付いた。眠りの中でパジャマ姿の春美とその魔物が向き合っている。あのキューブ型の魔物だった。

「あなたは誰、何をする気?」

 魔物は答えなかった。長い両手が伸び春美の両肩をつかむ。春美は何もできず、目を覚まして声を出すこともできない。手術台の上に寝る春美はうめき声をあげたが、誰も何も春美の中で起きている異常に気が付かない。魔物は春美の両肩をつかんだまま、6個の突起を徐々に光らせた。殺される。そう春美が悟ったとき、

「シーシーシーシーシーシーシーシーシーシーシー」

 突然眠りの中、5匹のタヌキが現れキューブに向かって威嚇を始めた。魔物は両手を春美から放し、タヌキ達の方へ向きなおり、突起をそれぞれに向けエネルギーを放出した。

「やめてー」春美が叫んだ。

ドシュン、

 それぞれの放射がタヌキに命中し、タヌキ達は5方へ飛び散った。

「何をするの!」

 春美はキューブに向かって突進するが身体がすりぬけて向こう側へ倒れこんだ。再びキューブは春美を向き、エネルギーを放出しようとすると、

「シーシーシーシーシーシーシー」

傷ついたタヌキ達が再び春美の前に立ちはだかり、

「シーシーシーシーシーシーシーシー」

 さっきよりも鬼気迫る強い語気で、

「シーシーシーシーシーシー」魔物に迫る。

 魔物は少しあとずさりするが、ふたたび突起を光らせエネルギーを、

ドシュン、

 タヌキ達はさきほどよりも強く、深くダメージを負ったであろう、眠りの中の遠くへ吹き飛ばされた。

「なんてことを」

 春美は涙を流した。手術台の上の生身の春美も涙を流している。三たび、その魔物は春美に近寄り、照準を合わせるようかがむ。

「もうだめ、さよなら義明」

 そううなだれたその春美の前でタヌキ達がさえぎった。ただしもうタヌキ達には力が残っていないようだ。ふらふらで、

「シーシーシー」弱々しくやっとの威嚇をする。

「やめて、この子たちは傷つけないで。わたしを殺しなさい」

 タヌキ達をかきわけ、春美はキューブの前に出た。キューブは向き直り春美に狙いを定めた。そのとき、


「こおの、イカサマ師め!」


 突如現れた向かいのおばあさんが思い切り魔物にパンチを浴びせた。

どおん

 という音がして魔物は吹き飛び、粉々にくだけた。

 手術室ではみなあっけにとられていた。執刀医が突如、

「こおの、イカサマ師め!」

 と、手術室入口あたりに向かって叫んだのだ。

「え、え、僕いま何か言いましたか?」

 と、左右の助手を向き、気を取り直して術式(じゅつしき)を続行した。


 眠りの中、

「大丈夫かい?」

 向かいのおばあさんがタヌキに声をかけた。タヌキ達は痛手を負っているがみな起き上がれるようだ。おばあさんは倒れこんでいる春美を抱き起し、

「春美、大丈夫かい?」

「あなたは?」

「覚えていないだろうけど」

「え?」

「おばあちゃんだよ」

 春美の目にいっぱい涙がうかんだ。

「おばあちゃん、私のおばあちゃん」

 ひとしきり抱き合うふたり。

「いてもたってもいられなくてね。来ちゃったよ。そのタヌキさん達についてきたんだよ。あんた、幸せだよ。いい子たちだねえ」

 タヌキ達も涙をぽろぽろ流しながら見つめていた。

「さあ、もう行かなくちゃ。みんな目が覚めるころだよ」

「おばあちゃん!」

「幸せにね」

 手術台で春美の目から涙があふれていた。執刀医は、

「終わりましたよ、うまくいった。悲しい夢でも見ているのかな。でももう大丈夫だ」

 手術中のランプが消え、義明の身体の硬直は解けた。執刀医が手術室から出てきて、

「手術は成功でしたよ、麻酔が解けたらお話ししてもかまいませんから」

 そう言い残して行った。

「みんな、よかったな、心配しすぎて疲れちゃったみたいだな」

 義明の横ではタヌキ達が疲れ切って倒れこむように長椅子に横たわっていた。


 病棟のフロアに戻ると事務室がちょっとした騒ぎになっていた。春美の主治医が突然何者かに殴られたようにイスから床に飛んだと看護師がうわさしていた。

「毎日ご苦労様だなあ、疲れていたんだね、きっと」

 義明がそんなことを言うとふらふらついてきたタヌキ達がニヤニヤと笑った。

 春美が集中治療室で目を覚ました。義明が声をかけた。

「よかったね、手術、うまくいって」

「タヌキは?」

「タヌキ達は待合室にいるよ。少し疲れているみたいだ。一生懸命心配してくれていたみたいだよ」

「そうね、ほんとに、いい子たちだね。あのね」

「ん?」

「病室に行って向かいのおばあちゃん、元気そうか見てきてほしいの」

「ああ、いいけど」

 手術中に向かいのおばあちゃんの夢でも見たのかなあ、と思いながら義明は病室へ行き、向かいのおばあちゃんを見た。特に変わった様子もないが、

「右手を突き上げるようにしてこぶしを握り締めていたよ」

 と、集中治療室に戻って春美に伝えると、

「そう、よかった」

 そういってにっこりと笑ってみせた。


 退院の日、主治医と執刀医から経過を聞き、御礼を言った。春美は、

「手術の日はほんとうにありがとうございました」

 と、深々とおじぎをした。主治医は、

「僕は何もしていないけどね、なんか変な夜だったなあ。彼に殴られる夢なんか見てさ」

「それはたいへんでしたね、ふふふ」


 術後の経過はよく、退院の日がやってきた。病室の荷物をかたづけて身支度をする。向かいのおばあさんはイヤホンをしてテレビを見ていた。春美はおばあさんに挨拶をしたかった。おばあさんとは入院中とくに会話をしたことがなかった。心の中で、

「おばあちゃん、どうもありがとう」と御礼を言い、だまっておじぎをすると、

「幸せにね」

 テレビを見たままおばあさんが確かにそう言った。認知症がかった92歳にしては、はっきりとした言葉だった。春美は涙を見せぬよう、もう一度おじぎをし、病室をあとにした。


 外は雪景色に変わった。タヌキ達の待つ我が家へと向かう。敷地に入った車を降りると5匹のタヌキとワルちゃん5匹が雪合戦をしていた。タヌキ達はみな雪には触れることができるようだ。「ただいまあ」みな一斉にこちらをむいて

「だだだだだたぬうき」「えぞりんえぞりん」「たぬりんたぬりん」「ポンポンポコポコン」「たぬたぬたぬたぬ」「わるわるわるわるわる」おかえりなさい、と言って、 

 雪玉を投げてきた。

「やったなー」

春美はタヌキ達の中にはいり、地面の雪をタヌキ達に撒いてはしゃいだ。

「おうい、病み上がりなんだから」そうつぶやきながら、

 こんな幸せがいつまでも続きますように、義明は小雪が舞う空を見上げ、空と地上の間に漂う全ての幸運に「ありがとう」を伝えたい気持ちだった。



  たぬきたちも幸せをかみしめていたことでしょう。

  そしてたぬきたちはさらに強く成長をするために

  試練に立ち向かっていくことになるのです。ただ、

  その前に大きな課題をまのあたりにすることにな

  るのですが、次はそのお話しになります。


                 第一章 おわり


 

(第二章 たぬきと戦争)

タヌキ達の活躍もあり危機は回避することができました。

第二章では幸せな日々と裏腹の事件に遭遇します。

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