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しあわせのたぬき  作者: 月美てる猫
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第一章 光と影 ② (本編の章管理)

空想で産まれたタヌキ達との交流が始まりました。

わが子のようにかわいがる義明と春美。でも思いがけない事件が起こります。



(第一章 光と影 つづき)


  

 それからというもの、夫婦ふたり、妄想ではない『そのタヌキ』の出現を楽しみにするようになった。はじめのうちはタヌキが出現するときのパターンはいつも同じであり、つまり絵本を見、もじもじし、警戒する、ということの繰り返しであって出現する時間は少なかった。やがて義明と春美がタヌキはこう、という空想を働かすとそれに沿う動作やパフォーマンスをしてくれる、ということがわかった。つまり、タヌキたちはまだ未熟、というより、生まれたての赤ん坊のようなもので、育児めいたことをするほどいろいろな行動をしてくれるようになる、ということのようなのだ。義明が、

「タヌキたちがじゃれてきたとき、お腹をなでてあげると仰向けになって喜ぶんだよ」

「まあ、なんか子犬みたい」

 そんな会話をすると、次に出てきたときはおなかを見せてじゃれてくれる。春美が

「タヌキは朝晩欠かさずに歯磨きをするからとても歯が丈夫なのよ」

 そういうと、朝晩、タヌキたちは歯磨きをする姿を見せてくれて、

「歯磨きをしたらパジャマを着てお休みなさいと言って寝るんだよ」

 と言えば、歯磨き後にはパジャマ姿になって正座をし、

「ダダダダダダたぬき」「えぞりんえぞりんえぞりん」「たぬりんたぬりんたぬりん」「ぽんぽんぽこぽこぽん」「たぬたぬたぬたぬたぬ」

 と、それぞれ

「おやすみなさい」

 の意味のタヌキ語を発しながらおじぎをし、春美のそばに固まって寝る。

 義明と春美は競うように、タヌキはこうで、ああだ、と空想や想像、というよりも、創造力をはたらかせ、タヌキたちの人格形成に夢中になっていた。


 空想の具現化だけでの存在ではないようだ。タヌキたちは義明や春美の性格や知識や、それぞれのこれまで生きてきた中で学んできた世間的な常識を、ある程度とりこんでいるようだった。外へ散歩に連れ出し、春美が好きなクロッカスの花を見かけるとポンが指をさして

「ぽんぽんぽこぽこ」と「あそこに咲いているよ」と教えてくれる。

 義明は極度なネコ嫌いだった。子供のころネコに頭を噛まれたことがあるのだ。そのせいか、散歩の最中にタヌキ達がネコを見かけた際、みな春美の側に隠れ、ネコが通りすぎて少し遠くに行くと、「シーシーシーシ」とネコを威嚇した。

 春美はキュウリが苦手だ。匂いを嗅ぐのもイヤだと言う。だからタヌキ達もキュウリを見かけると口や鼻をふさぐ。もっともキュウリはめったに食卓にはあがらない。ただ義明が好きなのでたまに酢味噌和あえなどにして出されるが、その皿めがけてタヌキたちは「シーシーシー」と威嚇する。

 タヌキ達は蚊が嫌いだ。蚊の羽音を聞くと興奮する。これは義明に似たのであろう。

 タヌキ達は何故か掃除機が嫌いだがこれは謎だ。吸い込まれそうな気がするという。掃除機が動物のように見えるのだろうか。春美が掃除機のスイッチを入れると「シーシーシーシー」と言って棒でたたこうとする。

 義明も春美も自然が好きで、花や鳥や風や雲を愛でた。そのせいか、タヌキたちもサクラの花をめで、小鳥のさえずりに耳をやり、そよぐ風にここちよさを感じるしぐさをし、空の青さや星のまたたきを楽しむような表情を見せた。

 選挙カーが公園に立ち寄り、演説がはじまるとややしばらく耳を傾け、神妙な顔をして首をかしげるようなしぐさは義明そっくりだった。鮮やかな色をした毛虫が道のわきを歩いているのを見て顔をしかめるタヌキたちの表情は春美のそれにそっくりだった。

 冗談めいたこともよくしてくれる。毛虫を通りすぎたあと5匹で地面をはって毛虫のものまねをしたり、噴水のまわりに立って小便小僧のマネをしたり、春美がちょっと小石につまずいたりすると、5匹もつまずくマネをしてからかうようなちょっとした悪ふざけもした。


 ふたりには5匹が見えていたが、他の人の目にはわからないかといえば、そうとも言い切れない。なんとなくこちらを気にして振り返る人がいる。散歩中のイヌなども気にしてか、じっと見つめていることがある。義明の設定では人を幸せにするタヌキであり、人の寂しさや憂いにより生じる心の隙間を埋めるために現れる幻、だからこのタヌキ達の姿が見える人たちは何かのよりどころを求めている人達かもしれない。春美と自分は、素晴らしい心のときめきをもたらす宝物を手に入れたのだ、そう義明は思った。

「あ、カラス、こっち見ているよ」

 春美がエゾ松の枝にいるカラスを指さした。タヌキたちがおじぎをすると、カラスもおじぎをしたように見えた。

「あのカラス、カラリンコかしら」

「うんそうかなあ」

 公園には顔見知りのカラスがいるのだ。義明も春美も動物はわけへだてなく好きだ。タヌキ達もそうあってほしいと思っていた。


 義明と春美が住む住居は札幌市の郊外にある住宅街の更に外にあり、そこは自然ゆたかな場所であった。たまにキタキツネやエゾリスや野ウサギをみかけることもある。居間から外に出られるベランダには義明が作ったバードテーブルがあり、雀やシジュウカラがエサをついばみに来る。義明も春美もそんな環境を気に入っていた。タヌキ達も気に入っているようだ。タヌキ達の姿が家にないときは、タヌキ達はきっとその辺の野原や林で遊んでいるのだろうと春美は考えていた。


 タヌキ達の「人格」は、少しずつではあるが一人歩きをはじめているように見えた。ふたりの意思とは無関係な行動をとることがひとつ、またひとつ、と増えていた。

 たとえば義明が寝坊をしていると頼みもしないのに目覚まし時計がわりに、

「たぬたぬたぬたぬたぬたぬたぬたぬ」と耳元でつぶやいたり、

「ぽんぽこぽんぽこぽこぽん」誰か来たみたいだよ、と玄関を指さしたり、

 つまりこのタヌキたちはそれぞれ意思を持ち始めているのだ。


 庭に()せたキツネが入ってきたことがあった。ケガをしているのか右後ろ脚をひきずっているように見える。野生のキツネやタヌキやウサギなどは一般住宅で保護することはできない。特にキタキツネは家畜やペットにも影響する寄生虫を体内に宿していることがある。この近隣も隣近所が空き地を挟んでまばらに建っているとはいえ、ネコや犬を飼っている家主に、キツネを義明が保護していると知れたら市から指導を受けるばかりか、このキツネも殺処分とされかねない。

「可哀そうだけど放っておくしかない」そう、義明や春美が思っていると、タヌキたちがそのキツネへと近づいていって、「こっちへおいで」と誘導している。タヌキたちが戻ってくると、

「だだだだだたぬうきたぬうき」キツネを安全なところへ連れていったよ、と説明してくれた。夜露をしのげて人間に見つからない場所を教えてあげた、という。



  このお話しに出てくる、カムイ、精霊、と呼ばれる

  不思議な存在は、日本中いたるところにいて、困っ

  ている生身の動植物に力を貸すという働きをする

  のです。タヌキたちも本能的にそんな行動をとって

  いて、義明さんや春美さんを助けようとするのも、

  そのせいなのかもしれません。さらに義明さんと

  春美さんがタヌキ達の理性なり感性なりを形成する

  手助けをしていることになるのですが、そこが他の

  霊的な「生き物」と大きく違うところです。人間を

  介して派生したイキモノという点で。やがてタヌキ

  たちは自然界と向き合うようになると人間と自然界

  のはざまで大いに戸惑うことになるのです。

  自然界と向き合う人間がそうであるように。



 タヌキたちは本能的に傷ついたキツネを助けた。足をひきずり、片目をつむり、毛が生えそろわず皮膚がむき出しになったキツネは容易に元気になるはずがないのは明らかだった。どこかの病院や保健所に知らせるという方法もあったかもしれないが、義明も春美も安楽死を宣告されることを恐れた。仮に義明や春美が一時的にそのキツネを保護し、再び野生に返すとしたら、その際には人間界に馴染んでしまった野生のキツネには自然界の厳しい掟おきてが待つかもしれない。

 自然界の定めにそのキツネもタヌキたちも従いつつ、現状において最良なのが当座雨風をしのげる場に連れていく、ということまでだったことに、義明も春美も異論はなかった。キツネを保護したというタヌキ達の話を聞き、ふたりは「この子たちはいい子だ」そう感心する。


 野生のタヌキはキツネと同じイヌ科なのだが、この5匹のタヌキはイヌのような動きはしない。たまに四つ足で走り回ることはあるが、義明が「お手」をさせようとすると、春美が「犬じゃないんだからやめて」と義明を制する。春美に義明が、

「じゃあ毛づくろいとか、片足あげておしっことか?」と聞くと、

 春美がこたえる前に、

「しないしない」と、タヌキ達が首を振る。

「じゃあトイレはどこでしているの?」と義明が聞くと、

「ぽんぽんぽこぽこぽん」といってトイレの方を指さす。

「トイレの仕方を教えなきゃね」と春美が言うと、

「たぬりんたぬりんたぬりん」「えぞりんえぞりんえぞりん」二人のを見てもう覚えた、という。

「流すのはどうやっているの?」と聞くと、みなで恥ずかしそうにモジモジする。


 タヌキ達は動物の姿をしながらも擬人化(ぎじんか)の過程を経ているのだが、それは義明や春美がわが子のように接しているからだと義明も春美も思っていた。自然界のおきてを破る行為なのかもしれないなどとは考えていなかったし、世界の秩序はそれを容認していると、心の奥底から信じこんでいた。

 公園のカラスのように、あのキツネのように、タヌキ達も成長をしたらやがてそれぞれ1匹ずつ巣立っていくことになるのだろうか。できればこの家族がずっといっしょに長く暮らしていけますように、そう義明と春美は心に願っていた。


 その日、朝の散歩から帰ると、義明は春美と朝食をとり、

「行ってきます」

「だだだだたぬうき」「えぞりんえぞりん」「たぬりんたぬりん」「ぽんぽんぽんぽこ」「たぬたぬたぬたぬ」「行ってらっしゃい」

 春美とタヌキ達に見送られ仕事に出かけた。春美は掃除や洗濯を済ませ、軽い昼食をとると少し眠くなり、ソファで休んでいるとタヌキ達もそのまわりで居眠りをはじめた。触れることはできない、ただ心は通っていると春美は感じた。

 タヌキ達とは二十四時間ずつと一緒ということではない。たまに出てきてたまにいなくなるを繰り返している。今日も掃除や洗濯のときには姿はなかったが、春美がソファに座ると現れた。朝晩の歯磨きタイムもいるときといないときがある。夜もいつも一緒に添そい寝するというわけではない。ただタヌキ達が義明や春美と一緒に過ごす時間は毎日確実に増えていた。


 春美がソファにもたれて少しうとうとし始めたとき、「とんとん」ドアでノックをするような音がした。確実なトントンではなく、どちらかというと、ガサガサという弱い響き。ドアのかたわらで、エゾリンとタヌリンが「誰かきたみたいだよ」と指を指している。何かと思い、ソファで就寝中の3匹を起こさないよう立ち上がって、玄関のドアをあけると、イヌ。

「はじめまして、僕はイヌのわんこちゃんです」

「・・・」

 しばらくの沈黙(ちんもく)が続いた。今度はなに?犬、日本語をしゃべっている。昨日犬の話題が出たからか、そう思いまじまじとその犬を見つめる。声はどこから出ているのか?テレパシーのようなものなのか?

「お休みのところすみません。ご挨拶がしたくて。よろしかったら和尚さんのところへご一緒しませんか?」

 頭をなでると気持ちよさそうにした。生身の犬だ。北海道犬だろうか、きれいな赤毛、中型の賢そうイヌだ。首輪はつけていない。招かれるままサンダルをはき、「おるすばんしててね」と、家にタヌキ達を残して、その犬についていく。

 家の裏手、林の中の細い小道を進むとすぐに開けた土地に出て、お寺らしき建物が見えてきた。

「え、こんなところにお寺なんかあったかしら」

 イヌと一緒に近づくと、さい銭箱に龍の彫り物、そして鈴緒。おそらく義明がイメージしたものだ。お堂が開いて中から白いひげをたくわえた坊主頭の和尚さんらしき人間が出てきて、

「和尚です」と一言。しばらくの沈黙が続いた。

 義明がイメージしたお寺と和尚。でも本堂は鈴緒のある入口しか完成していないようだ。扉の向こう側には空き地と林が見えている。この人間は、この和尚は、生身ではない。さっきのイヌとは違う。透き通っている。触れてみようなどと思わないが、おそらく触れることはできないだろう。タヌキたちのような愛くるしさは感じない。人間の姿をしているし、会話がなりたつ。幽霊とも違う。愛くるしさはないが親しみを感じる。ひょっとしてタヌキが変装をしているのかとも思い、ひとしきりじろじろと観察をして、

「和尚さん、はじめまして。和尚さんは普段はここで何をされているんですか」

「お寺の和尚をしています。お経を読みます」

「そのほかは?」

「お寺の仕事をしていますよ。お経を読みます」

「そのほかは?」しばらく間をおいて、

「床の拭き掃除をします」

「床、まだできていないようですけど」

 しばらく無言でいると、

「お寺の仕事をしています」

 何となくかみ合わない会話をしていると、そばにタヌキ達がいることに気が付いた。

「このタヌキ達はご存じですか?」

 この質問には、よくぞ聞いてくれましたとばかりに勢いよく、

「立派なタヌキに育つように世話をしています。お寺はタヌキの学校です」

 と、言う。

「タヌキの学校ですか。それじゃあ、先生は?蝦夷亭もいるの?」

「蝦夷亭先生とBigポン先生がいます」

「え、また新しいタヌキ。あ、その大きいのがそう?」

 本堂の両脇にいつのまにか、本堂の屋根に届きそうな巨大な「信楽焼き(しがらきやき)風」のタヌキが、ぬうっと2匹立っている。微動だにしない、身じろぎもしない。頭には被り笠(かぶりがさ)、手には白い徳利を持っている。春美が前後左右から、その大ダヌキを観察する。わんこちゃんも興味深そうに春美と一緒に観察している。 

 大きなしっぽ。徳利にはそれぞれ、「八」の字とその裏、または表に「蝦夷」という文字、「Big」という文字が縦書きで入っている。

 いつのまにかタヌキたちはそれぞれ学校机の席につき、何かを学ぶような姿勢をしている。

「そうなんだ、ここでお勉強しているんだね。ん、6匹いる。後ろの席にいるのはお友達かな?」

 じっと見ていると後ろの席の子がカエルをつまんで、エゾリンの頭に乗せた。エゾリンが頭でもぞもぞしているカエルに気が付いて、泣き出すと横に座っていたタヌリンが後ろを振り向いて「シーシー」言っている。

「あらあら、一番後ろの席にいるのが悪タヌキだね?困った子。でも悪ちゃんもなかなかかわいいじゃない」

 タヌキ達のほのぼのした様子を見ていると、たたたたた、2匹のエゾリスが地面を這うようにやってきて、

「うわあ、大王様、すごい、こんな立派なタヌキ見たことない」

「は、また大王って言われちゃった。なんで私が大王なの?立派なタヌキですって?」春美の疑問には答えず、

「僕はリスリン」

「僕はリスたんです」

 と言って、すりよってくる。このリス達も生身の春美に触れることはできない、タヌキと同じ系統のようだ。

「ぼくたち本堂で和尚さんの手伝いをしています」と、説明してくれた。

「そう、おりこうさんなリスさんなんだね、よろしくね」

「はい」

 2匹一緒に元気な返事をした。このお寺、いいな、素敵、

「でも本堂が早く完成するといいのにね」そうつぶやくと、すうっと風のようにお寺もリスもタヌキ達も消えた。さっきのあの犬を探したがいない。

「床とか本堂とかがないなんて余計なこと言っちゃったかな」

 涼やかな風が春美の髪をゆらした。サクラの季節は過ぎて、新緑がかおる初夏の風が辺りをすがすがしくめぐる。「また来ようっと」春美は住宅地の方向へ歩き、少し迷いながら我が家へ着いた。家に入るとソファでタヌキ達がすやすやと寝ている。「帰っていたんだね」春美もその中に割りいるようにして座り、うとうとと寝はじめた。


 気が付くともう夕方で、キッチンには隣室の窓からの西日が差していた。ありあわせのもので夕飯の支度を整えながら、義明の帰りを待った。ふとめまいがして食卓テーブルのイスにもたれていると、タヌキ達がまわりにいて、あたりをきょろきょろと見まわしている。

 春美は何か薄気味の悪さを感じていた。何かいる。西日が落ちた隣室の窓にカーテンをかけようと窓に近寄ると、すーっ、と黒い影のようなものが敷地の外を右から左へ、左から右へと動いてみえる。家の中に入ろうとしているのか、そのままゆっくり敷地の外側をぐるりと大きくまわり、また、西日が入る部屋の前あたりにきた。 

 どうやら敷地の中には入らない、というより、「入れない」様子だ。春美の横にきていたタヌキ達は一斉に「シーシーシー」とその黒い影を威嚇した。黒い影はそのまま向こうへ向かい、林の奥へ入って行った。タヌキ達は険しい顔をしてまだ窓の向こうの林を見ている。

「何、悪タヌキなの?」春美がタヌキ達に問いかけていると義明が帰ってきた。

「ただいま、どうしたの?」と聞くと春美が、

「うん、何かね、黒い影みたいなものを見たの。タヌキ達が警戒しているみたいなの。タヌキ達のお陰なのかな、敷地の中には入れないみたいだった」と答えた。

 義明はまたあのドームのことを思い出していた。あの日、タヌキと一緒に何かよくないものを連れてきてしまったのだろうか。しかし春美が、

「でもね」少し考える様子から、

「私、この家にいると安心。この家にはあの黒い影は入ってこれない気がする」という。義明の両親やご先祖様が見守ってくれているのかもしれないと、義明も春美も思った。そして義明が仕事で外出している時間、春美がひとりぼっちでいた以前とは違う。タヌキ達がいることが義明も春美も、とても心強かった。


 タヌキ達は義明の帰宅でほっと安心したようだ。義明のほうを見、正座をしておじぎをし

「だだだだだたぬうき」「えぞりんえぞりん」「たぬりんたぬりん」「ぽんぽんぽこぽん」「たぬたぬたぬたぬ」

一斉におかえりなさいという意味のタヌキ語を発した。

 義明はにっこりしてもう一度「ただいま」と答え、

「黒い影かあ」とつぶやきながら上着を脱いでいると春美が、

「そうだ、今日ね、和尚さんのところへ行って、リスりん、リスたん、それと蝦夷亭先生と、Bigポン先生にあったよ」

「え、そうなの?」

「うん、早く本堂を作ってあげたほうがいいよ」

「うーんそうだね、まだ入り口しかイメージしていなかったっけ。でも春美ひとりでよくそこへ行けたね」

 びっくりというか、またまた意外な話に義明はあぜんとしていた。自分さえそのお寺をどの場所に建てたか正確に説明ができない。自分の想像通りのものがどこかに出現して、そこへ春美がたどりついたということなのか。

「うん、イヌのわんこちゃんが案内してくれたよ」

「え、なに?」

「だから赤毛のかわいいわんこ、お寺まで連れていってくれたの」

「犬?」

 イヌは義明は空想していない。物語にも登場しない。「どうして?」ふたりで顔を見合わせた。タヌキ達もけげんな表情になり、出現した円卓のテーブルにつき、それぞれ顔を見合わせた。


 タヌタヌが両手両足をのばして床に寝ている。本人は飛んでいるつもりで、飛ぶ練習をしているのだ。

 義明は未熟者のタヌキ達は練習を重ねて能力を身に着けていく、というストーリーを設定していた。エゾtは言葉を使って呪文を唱える、エゾリンは変身、タヌリンは超能力を使い予言や予知もできる、ポンは思い描いたものを形にする、そしてタヌタヌは空を飛ぶ。ただ、そんなに簡単に能力を身に着けることはできず、いくつかの行程を経てその域にたどりつく。修行は近隣の山中で始まり、北海道の数か所をめぐって家へ戻ったときにはパワーアップをしている。そんな少し気の長い想定をしていた。

 悪タヌキはイタズラ好きで困った子ではあるが憎めないキャラクターだ。悪タヌキも5匹に合わせて少しずつのパワーアップをし、結果として対抗する5匹は成長していく。


 更にタヌキたちには弱点を設定していた。まずウサギに弱いということ。義明が空想した近所に住む野ウサギは二本足で歩き、火打石をカチカチと鳴らして悪さをしたタヌキをこらしめる。パワーはタヌキのほうが上だが、ウサギには喧嘩(けんか)をしてもどうしても勝てない、という設定だった。

 そして義明が苦手なネコ、春美が嫌いなキュウリもタヌキたちにとっては時に脅威となる。苦手や弱点がなければ成長過程を築けないと考えたのだ。

 タヌキ達は掃除機がきらいだった。そんな設定は義明も春美もしていない。掃除機が苦手な理由はよくわからないが、これは早く克服して欲しいと思う。掃除のたびに「シーシー」言う。


 タヌキ達はけっして義明や春美に制御されるがままではない。そして、それぞれが早く能力を身に着けようと頑張っているようにも見える。この不思議な生き物にも本能のようなものがあって、時折見える黒い影はタヌキ達にとっては天敵のようなものなのかもしれない。どうしてタヌキ達が自分たちを守ろうとするような行動をとるのか、思えば不思議なことであった。逆に、義明も春美もタヌキ達を守りたいという気持ちが強くなっていた。

 悪タヌキではない違う何か。イヌの出現もそうだが、ふたりはこの先なにが現れて何が起きるのか不安であった。義明が当初考えていたストーリーに悪霊めいたものは登場しない。悪霊と戦うようなシーンも考えてはいなかった。実際に目の前にタヌキ達が登場してから義明と春美にとって彼らは大切な家族であり、道具でも戦力でもない。もちろん大判小判を掘り当てるとか、ギャンブルで勝たせてもらうような発想もしてない。ただ一緒にいて癒されているこの日々を幸せと感じている。

 タヌキ達があらわれてからの生活は楽しく、それまで生きてきたなかで味わったことのない充実感であった。特に春美は早くに両親が他界し、叔母の家に引き取られていた時期が長く、孤独であった。義明との結婚で家庭を持ったことは幸せだと思っていたが、家族を持つ喜びをいまはじめてかみしめているのだ。


「こらっ」春美がどなった。悪ダヌキがまたこっちを見て、あっかんべーをしている。

「わるわるわるわるわるわる」

 悪タヌキは「わるわる」しか言わない。悪タヌキは1匹ではあるが5匹分くらいのパワーがある、義明の設定だったが、「モノに触れることができる」のは想定外であった。いまは洋服箪笥(ようふくだんす)から義明のパンツを引っ張りだして頭にかぶって走り回っている。


 タヌキ達が出現してからタヌキ達に癒される日々ではあるが、可能であれば触れあうことができ、だっこをしたり、頭をなでてあげたりしたい、一緒に食事もしたい、と思っていたが、空想からの産物である以上はそれもかなわないものと半ばあきらめてはいた。反面、成長するにつれてそれがかなうものかもしれない、と期待もしていた。悪タヌキは成長が早く、能力が高いがゆえにモノに触れることができるのだとすれば、いずれは5匹とも触れ合うことができるのかもしれないと、ふたりは淡い期待をしていた。


 タヌリンが悪タヌキを捕まえた。エゾリンが説教をしているが、エゾリンに、あっかんべーをして、エゾリンが泣き出してしまったのを見て、春美は悪タヌキにも触ることはできないが「げんこつをはるぞ」と見せた。悪タヌキは恐れ、涙目になり、その場から逃げ出そうとしつつ、おしりぺんぺんをして、またあっかんべーをし、そして居間の窓をすりぬけて庭へ逃げたが待ち構えていた野ウサギが、

「カチカチ」

 火打石を鳴らすと錯乱(さくらん)状態になり気絶をして消えた。見ると居間の中でも5匹が悶絶(もんぜつ)している。ウサギの火打石はけっこう強力だった。

 起き上がったエゾリンをタヌリンがなぐさめている。ワルちゃんからの、あっかんベーがよほど悲しかったのか、あるいはウサギの思いがけない攻撃がこたえたのか、まだ涙をこぼしている。

 げんこつをはる動作をしたその手を春美はながめていた。体罰というほどのものでもないが、子供をなぐるというのはあまりよい気持ちではないと思った。自分の父母はどうだったのだろうか。春美は両親からたたかれた記憶がなかった。兄弟げんかもしたことがない。そして触れることはできないがエゾリンとタヌリンを抱きしめるしぐさをして、2匹をなぐさめ、

「ねえ、エゾリン、ワルちゃんはふざけただけなの。エゾリンのこと嫌いなわけじゃないんだよ。今度ワルちゃんが来たら仲直りしようね」

 横でタヌリンがエゾリンの涙をハンカチで拭くしぐさをする。エゾリンは泣き止み、「エゾリン」うん、わかった、と言ってうなずいた。

 悪ダヌキは5匹が成長する過程で必要という義明の発想で登場している。ただ、春美も義明も、悪ダヌキには悪役を押し付けてしまい少しかわいそうな気がしてきている。


 タヌキ達が落ち着いたのをみはからって、洗濯物を取り込みに外に出ると、敷地の外で「わるわるわるわる」悪タヌキが騒ぐ声がした。何を騒いでいるのかと春美とタヌキ達が道路へ出ると、さっきと少し様子が違う。1体の悪タヌキが2体、4体と分裂して10体となり、全員で

「わるわるわるわるわるわるわる」

 と、わめいて通りを走り去っていった。春美にはそのとき悪タヌキが何を言って去っていったのかがわからなかったが、エゾtがこんなことを言った。

「だだだだだだたぬうきたぬうき」

 つまり「5匹のタヌキと決闘だ、明日の夜8時にそこの公園まで来い」と言ったという。なんだか様子が変だ。時々悪タヌキはあらわれてはイタズラをするが、あのような暴力的な態度は初めてだ。5匹も少し困った表情をしている。円卓での相談が始まった。


 義明が帰ってきて、そのときの様子を話した。義明の設定ではタヌキ達は分裂をすることができる。ただ、分裂する能力を身に着けるのは少しパワーアップしてからのことと思っていたが、モノに触ることができることといい、悪タヌキの成長は5匹に比べ想定より早すぎるという。また、分裂をした場合にはそれぞれのパワーは落ちる。パワーというのはそれぞれが持つ特殊能力のことで、悪ダヌキの場合はイタズラや意地悪だ。5匹の成長が遅くバランスが崩れてきているのであれば、何等かの対策を講じなくてはならない。

 分裂したらパワーが落ちるはず、という義明の言葉に対して、春美が、

「でもさっきの感じだとよりいっそうパワーアップしたような感じだったよ。分裂してもそれぞれ弱くなったようには見えなかったけど」

 と言う。悪ダヌキには1匹で5匹のタヌキに匹敵するパワーを設定している。分裂してなおパワーが増すとしたら「決闘」させるのは5匹にとって危険かもしれない。

「明日の決闘ってどうしたらいいのかな。ワルちゃんがそんなこと言うなんて全然想定外だなあ。」義明が腕組みをして考える。

 相談中の5匹がこちらにやってきて、エゾtが

「だあだだ、だだだだ、だあだだだだ、たぬうき」

 と言う。要するに、

「受けて立つよ。ワルちゃんの身に何かあったかもしれないから確かめなくちゃ」と言うのだ。ワルちゃんの身に何か起きる、ってどういうことだ。突然変異のようなものなのか。でも「決闘」は穏やかではない。

「私も行く。あまり過激なことするようだったらげんこつはってやるんだ」

 春美が少し興奮気味に言った。だが、そう言い終わったあと、ふらり、と義明の腕に倒れこんだ。

「どうした、春美」


 義明は春美をかかえて車に乗り込むと病院へ向かった。幸い行った先の病院が救急指定日であったので宿直の医者に診てもらえた。

「先生、春美は?」

「ああ、いまは落ち着いていますし、熱もありません」

 ただ、そう言って義明の顔を神妙な顔でみつめ、

「少し症状が進行しているかもしれません」

「え、進行って?」

「私は担当医ではないので何ともいえません。明日精密検査を受けることになると思います。担当医からご主人が直接お聞きください」

 気にはなっていたが、春美はひそかに通院をしていたのだ。そして、自覚症状もあり、医師からもある程度の診断結果を聞いていたのだろう。その晩は春美を病院に置いて帰宅することにした。ベットから春美は、

「ごめんね、でも大丈夫だから」そう言って義明の手を握り、

「ねえ、私ね、あの黒い影、タヌキ達がくる前から見ていたような気がするの。もしかしたら、タヌキに似た子たちもたくさんこの世にいるのかなあって思うの」

「そういうものが見れるようになったってことだね」

「うん、でもタヌキ達と会えてよかった。明日、退院して夜8時、公園にいってみんな仲直りしてもらうね」

「うんわかったよ」

「朝ごはんとかちゃんと食べてね」

「それじゃあ、おやすみ」病室を出て宿直の看護婦によろしく伝え、入院患者の面会時間、と、書かれた掲示を見ながら、

「明日退院は無理だろうな」と義明は憂鬱(ゆううつ)だった。階段を下りるとタヌキ達が待合室で心配そうにこちらを見ていた。明日また見舞いに来ようね、と言って5匹を連れ出し車へ乗せた。車から上弦(じょうげん)の月がまぶしくみえた。澄んだ空だ。明日も天気だろうか。タヌキ達の決闘のことも気になるが、

「いまは春美を一緒に見守ろうね」と、助手席で不安そうに月を見るエゾtに声をかけた。


 家について玄関をあけ、タヌキ達を中にいれ、振り返って月と桜の木を見た。

『黒い影を前にも見たことがある』そう春美は言った。義明は春美の言う黒い影を家の中でも庭でも見たことがなかった。夜中、庭の桜にカラスがいるのを見たことがある。闇夜のカラスと言うが、夜中に庭でカラスを見てもそれほど不気味な印象は持ったことがなかった。黒い影は春美の心の中に潜むものなのか、それともタヌキ達のような存在なのか。庭に塩をまくとか、お祓いをするとか、そんなことは思いついても実行しようとは思わなかった。タヌキは心の隙間に幸せをもたらす天使と、自身で決めたし、その通りの存在なのだ。不安や恐れの気持ちは黒い影に支配されてしまう。自分がしっかりしないと春美もタヌキも守れない。義明は、恐れない、負けない、と、気持ちをふるいたたせた。


 朝、目がさめると、寝室には春美もタヌキ達もいない。台所に下りるとタヌキ達が割烹着すがたで何かしようとしていたが、

「朝食をつくってくれるのかい、ありがとう、でもいいよ、ソファに座ってテレビでも見ててね」

 食欲もなかったが、タヌキ達が朝食をしっかり食べるようにという春美の意思を受け、朝食をちゃんと食べるようにと自分に諭しているのだと思った。しっかりしなければ。独身のころはいい加減な食生活であったが、結婚をしてからきちんと三度の食事をとることは心掛けていた。主菜、副菜と我ながら整った朝食を作り、タヌキ達に、じゃあ食べるね、と言って朝食をとった。

 そういえば今朝のタヌキ達の食事は、と思っていたら、いつもの円卓に幻影ではあろうが義明がつくった朝食とほぼ同じものをならべて食べるしぐさをしている。タヌキとの生活がはじまってしばらくたった。不思議という感覚はすでになく、何か起きても「ああそうなんだ」と、それは偶然でも奇跡でも空想のたまものでもない、と思うようにしていた。奇跡という言葉は義明の頭からは消し、タヌキの存在を必然と思うようにしていた。この子たちにも、真理とか理想とか、食べ物のありがたみとか、仁義礼智とか思想めいたことも教えたほうがいいだろうか。でも、それ以前に自分自身も学習しないと、立派なタヌキになるよう導くことができない、そんなことを思いながら、たまにタヌキと視線をあわせては食事を進め、一緒に

「だだだたぬうき」「えぞりんえぞりん」「たぬりんたぬりん」「ぽんぽんぽこぽん」「たぬたぬたぬたぬ」「ごちそうさまでした」と声をそろえた。


 今日は忙しい。病院に行って先生の話を聞き、そのあと仕事へ向かって、夜8時の公園に間に合うよう帰宅するのだ。着替えをしながら、場合によっては和尚さんやウサギも助っ人に動員したほうがいいんだろうか、などと考える。

 タヌキ達の弱点、ウサギに弱いということ。これは昔話で義明が知っている事実だ。だからウサギが悪さをしたタヌキをこらしめるようなイメージは以前からしていたので通用するかもしれない。そう都合よくウサギが出現すれば、ではあるが。 

 義明はウサギの幻影をうまくイメージができなかった。イメージしても決して居間や寝室には出てこない。出てくるのは常に屋外で庭。月を眺めるウサギの親子が庭に出てきたときには春美は喜んだがタヌキ達は無関心だった。義明は同じ屋根の下でウサギとタヌキが住まうという設定はしていなかった。義明の中にウサギとタヌキはライバルという固定観念が強いからかもしれない。そしてウサギはカメに弱いということ。カメもイメージしてはいるが、カメの正しい姿を義明はうまくイメージができないので出現はしない。 

 義明が空想する登場動物は限定的ではあるものの動物関係は少しずつ交錯してゆく。ただ義明の中ではタヌキ達は基本的に動物たちと皆仲良しだ。悪タヌキが反乱を起こすのは全く予期も想定もしていなかった。


 タヌキ達はいつのまにか居間から消えていた。先に病院へ向かっただろうか。義明は車で病院へ向かうと、待合室で面会時間を待った。

 春美が入院したこの病院は、札幌市の郊外に立地しているにしては大きくて立派だ。大手のゼネコンが行政から依頼を受けて建築をしたものだ。政治的な金の動きがあったのではないか、などという噂もあった。更に次は近隣に老人福祉施設の建設も同じゼネコンで予定されているという。それはともかく、まだ開業して間もないその病院はキレイであり、設備も充実していたことについては安心感があった。ただ、郊外立地のためかあまり患者で混み合っているという様子はなく、これで採算はとれるものなのか、よい医師を確保できているのか、と、余計な心配をしてしまう。

ふとあの日のお荷物物件を思い出す。ひょっとして同じゼネコンではないのか、などとまた余計なことを考える。落ち着かない。

 春美が倒れたのはまさに青天のへきれきだった。のんき過ぎたかもしれない。ここは総合病院、産科もあれば末期症状の患者が休む病室もある。霊安室もあるのだろう。縁起でもないことを考えてしまう。ここは日常よりも生と死への時間が加速もするし鈍化もする場。相対性理論では速く進むと時間の進みが遅くなるなどというが、治療について時間を急げば春美の健康時間をゆるく長く進ませることができたのかもしれない。人生においてはふと気が付いた瞬間の急停車も急発進も予期せずに起きる。春美とはこの二年と少しの間、ゆっくりとした時間を過ごしてきたが、身体の中で知らず知らずのうちに病状だけが加速していたのだとしたら取返しのつかない過ごし方をしたと悔やまれる。春美になにごともなく、またいつもの日常に戻れることを祈らずにはいられない。


 面会をすると顔色は昨日よりもよい気がする。

「タヌキは?」と聞かれ、

「ああ、居間で寝ているよ」とうそをついた。

「そう、タヌキちゃん達は元気なの?」

「ああ、朝食をちゃんと食べなきゃだめって言われたよ、それでね、あいつらも朝食の用意をしていっしょにいただきますしたんだよ」

 今朝の朝食の説明をした。

「まあそうなの、あの子たちがいたら私いなくても安心だな」

「何を言っているの、早くちゃんとよくなって一緒に食事しようよ」

「うん、とりあえず今晩のことちょっと心配だな」

 そんな会話をしていると、医師が巡廻してきて、今日のだんどりを説明してくれた。今日のところは検査で1日を要するから、今日中に春美が帰宅することはないということが確認できた。医師を見送ると、春美が、

「義明、もう仕事に行って、8時に間に合うように帰ってきてあげて」

 そう強い調子で言われた。

「うんわかった」

「私、病院抜け出しちゃおうかな」

「それはだめだよ、任せて」

 そういうと春美はうなずき、義明は仕事へ向かった。

「仕事を完璧にこなして、職場を早めに出て病院に寄ってから7時には自宅につくようにしよう」そう言い聞かせながら病院をあとにした。


 仕事がやや荷重気味だったその日、効率よくこなすはずも焦りからか進まず、15分ほど残業をしてしまった。急いで職場を離れ、病院へ着いたのが7時15分、病室に向かうと「バスタイム」の札がベッドの頭のほうにぶらさがっていた。通りかかった看護師にここの患者は、と聞くと、

「ああ7時からお風呂の時間でしたね」

「元気そうでしたか?」

「そうですね、奥様ですよね、今日は検査だけでしたし」

 看護師は立ち去り、義明はカラのベッドを見下ろし、とりあえず家へ向かうことにした。家に着くとタヌキ達はいない。呼んでも出てこない。

「あと20分くらいしかない。公園に行ってみるか」

 悪タヌキが言ってエゾtが通訳した「そこの公園」とは義明と春美がいつも散歩をする、あのカラスがいる公園のことと思っていた。歩いて10分もかからないところにある。もしも違ったら、という疑念も頭をよぎる。行ってみると誰もいない。 

 上弦の月は昨日よりも地平に近く、木々のすきまに隠れようとしていた。街灯は薄暗く細かい虫がたかっている。


 街灯の光は不思議だ。光だけが動いているかのようで、その他の全ては時間が止まっているかのようだ。昼間はいろいろな人が通り、声をあげ、動いていたであろう、その公園の中にいまあるもの全てがその街灯の光を浴びながら当たり前のように静止している。街灯や月がまるで光を浴びせて全ての動きを止め、そこへの人の侵入を拒んでいるかのようだ。


 ひとつひとつ、淡い光に照らされ動かない遊具や花壇などを見ていると、ぽつんとタヌタヌが立っていた。タヌタヌが透き通って見える。動かない。タヌキ1匹でいるのは極めて珍しい。1匹だとパワーが薄れるのか。

「タヌタヌ、他のみんなは?」そうたずねると、

「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ、たぬたぬたぬたぬ、たぬたぬ」と説明してくれて少し義明はびっくりして心臓の鼓動が早くなった。タヌキ達は春美の面会に行き、一緒に風呂に入ろうとしたら春美がいなくなったというのだ。

「みんなこっちに近づいているよ。約束の時間に送れないように一人で先に来たんだ」ともタヌタヌは言うが、おそらく春美もここへ来るのだろう。

「たぬたぬたぬ」

「え、来たって?」


 タヌタヌが見つめるほうから、悪タヌキの一団がこちらへ歩いてきた。義明がイメージした悪タヌキはこんな険しい顔などしない。ちょっと悪い子、くらいのやんちゃな子、という想定であった。また、分裂は得意とするが、それは敵対する5匹に対し、イタズラを多方面からしかけてかく乱する戦術に使うものであり、5匹のレベルアップに呼応する進化、という予定であった。5匹はまだその域ではない。

「わるわるわるわるわるわる」

「たぬたぬたぬたぬたぬ」

「わるわるわるわるわるわる」

 タヌタヌが「1匹ではない、じきにそろう」と言うと悪タヌキが「義明様まで味方にしてずるいタヌキめ」と卑怯者のようにさげすんだ。

「たぬたぬたぬたぬたぬたぬ」タヌタヌがお前たちの目的はなんだ、というと

「わるわるわるわるわるわる」と、いつもいつもいい子ぶって気に入らない、とっちめてやる、と言う。

 何かおかしい。義明は戸惑った。悪タヌキは5匹のタヌキとのバランスを取るために必要と思って空想し、そして出現した。役回りは確かに可哀そうではあるが、悪タヌキが悪者役になるのは使命であり、もしもそれが気に入らないというのであれば義明への裏切りとも思える。それに、昨夜から悪タヌキの雰囲気がまるで異質だ。別人ではないかとさえ思う。この威圧的な空気感は何だ。そんなことを考えていると、いきなり悪タヌキは攻撃の姿勢をとった。

 それぞれ右手に木の枝、左手にうんち。うんちかどうかはわからないが、うんちの形をしている。これが武器なのか。タヌタヌも似たような姿勢をとっている。右手に木の枝、左手にうんち。武器を持つようなことは教えてはいないし、空想をしたこともないつもりであったが、札幌の円山動物園にいたゴリラがよく見物客にうんちを投げつけていたが、その感じだ。その義明の脳裏にあったイメージを悪タヌキが盗み、タヌタヌがマネたのか?


「シーシーシーシーシー」


 威嚇が始まった。武器は他愛ない、すぐに折れそうな木の枝、それにうんち。だが、10対1は多勢に無勢、タヌタヌにケガでもさせたら春美に申し訳ない。義明は間に入ろうとしたそのとき、

「だだだだだ、たぬうき」

 エゾtを先頭に、エゾリン、タヌリン、ポンが駆け寄ってきた。10対5匹、それぞれ同じ姿勢で同じ道具を持ち、

「シーシーシーシー」

 威嚇しあっていたかと思うと、悪タヌキがしかけてきた。

「シーシーシーシーシーシーシーシー」

 はげしい取っ組み合いが始まった。エゾリンだけは、

「えぞりんえぞりんえぞりん」喧嘩はやめなさい、と諭している。

 エゾリンが攻撃を受けるとタヌリンが助ける。

「たぬたぬたぬたぬうー」タヌタヌが噛まれている。ポンが加勢してタヌタヌを噛んでいる悪タヌキを噛み返す。


 想像もしないことが起こった。義明は喧嘩をやめさせようとするが、触れることができない。背が小さく、すばしっこいタヌキたちの中で地面を這いながら、

「やめろやめろやめろ」と叫んだ。

 タヌキたちは他の人からは見えない。これを誰かが見たときには、義明が泥酔でもして這いまわっている、くらいに思われたであろうか。両手にキュウリを持って振り回すが全く効果がない。


 ウサギが2体飛んできた。

「ウサちゃん!」

 一瞬タヌキ達は戦いをやめ義明とウサギを注目していると、ウサギはたもとから石をとりだし、

「カチカチ」

 突然5匹のタヌキ達はパニックになる。

「カチカチ」

 ますます5匹はパニックになるが、悪ダヌキ達は平気な顔をしている。一匹の悪ダヌキが耳に腺をしているのを義明に見せた。

「これはどういうことだ」

 悪ダヌキ達は義明の考えを読み取り、あらかじめ耳栓を用意していたということなのか。義明はウサギに向かって火打ち石を使うのを制すると、ウサギは姿を消した。 

 タヌキ達は体制を整えるが勢いを増したワル達に防戦一方になっていた。


「戦いをやめなさ~い」

 公園の向こうの住宅地にも届きそうな大音響で春美が叫んだ。病院のパジャマにカーディガンをはおっている。

「春美!」

 義明は春美のほうを見、一瞬、タヌキ達も春美のほうを見たが、すぐに戦闘は続行された。

「大王の言うことが聞けないの」

 また春美が大声で叫ぶが戦闘は止まない。

「こらああ、がおーっ」

 春美はタヌキの大王になりきって、大股で両手をあげながら戦いの真ん中へのしのしと歩く。すると、みな戦いの手を止め、恐怖にかられたように春美のほうを見た。正確にいうと、春美の背後を見た。春美のすぐ後ろで春美におおいかぶさるように、大きな影が立ち、光る眼がタヌキ達をにらみつけた。

「うおおおおお」

 その影が叫び声を上げる。驚いた春美が振り向くと、そこには見たこともないような大きな「エゾヒグマ」が立っていた。思わず春美は尻もちをつき、クマを見ながら震えた。義明も戦闘の中にあって、タヌキ達と共に身震いをした。

「うおおおおおおおお」

 クマがまた叫ぶとタヌキ達は腰を抜かし、そして、悪ダヌキは10体から5体に、5体から3体に、3体から1体にと、もとの1匹にもどった。

 すると、震えるその悪タヌキから、すうっと黒い影がぬけ、林のほうへ消えていった。

「わるわるわるわるわるわる」

 悪タヌキは何が起こったの、というパニック気味のうろたえぶりで、そのへんをうろうろし、

「わるわるわる」

 もとの茶目っ気のある表情のワルちゃんになり、四つ足になってすたすたと走り去った。

「だいじょうぶですか。」

 しりもちをついた春美の横にあの犬、わんこちゃんが近づいてきておすわりをした。5匹のタヌキと義明もしりもちをついたままだ。春美が倒れているその背後には、そのクマがまだ仁王立ちになっている。

「こないだのワンちゃん、ね。そちらは誰なの?」

 春美がやっと声をだし恐る恐る聞くとクマは仁王立ちをやめ、ふつうの四つ足になり、

「大王様はじめまして」丁寧ていねいにおじぎをし、

「私はクマさん編集局(へんしゅうきょく)くまちゃんと申します。義明さんやタヌキのみんなとも会えて、とてもうれしいですよ。イヌのわんこちゃんは私の友達です」

 みな、目をぱちくりさせてそのクマをみやった。日本語。言葉をしゃべるクマと犬。しかも犬はわかりやすい名前でクマは変な名前。

 しばらくの沈黙が続いたあと春美が起き上がり、

「ありがとう、タヌキ達を助けてくれたのね」

 おそるおそる、鼻のあたりを触ると、触ることができる。息遣いが手に伝わる。普通の生き物。

 義明とタヌキ達が立ち上がり、しばらくクマと犬を見ていると、ポンとタヌタヌがクマに近づき、珍しそうにじろじろ眺め、触ろうとした。義明が、

「ありがとうございます」と正座をし、

「あの、どちらから来たのですか、このあたりにお住まいですか」

 と、まるで近所のおじさんに話をするように問いかけるとわんこちゃんが、

「いえ、僕たちはあるものを探しに旅をしている途中です。この世界で起きていることをすべて解決に導く」そこまで言うと、

「わんこちゃん、そこまで」クマがわんこちゃんを制し、

「今日は皆さんにお会いできてよかったです。またお会いできる日を楽しみにしています」とおじぎをし、林のほうへ目をやり、

「ワルワルさん達には魔物がとりついていたようです。そもそも魔物というやつらはそこらじゅうにいて、どんな人間や動物にも入り込みます。自分を見失わない強い心を持っていれば」そう言ってクマは春美を見つめ、

「魔物にも病気にも勝てますよ」

 さあ行こう、そうくまちゃんはわんこちゃんをうながし、林の中へ姿を消した。わんこちゃんが「ワンワン」と言い、手をふるようにしっぽをふりながら、くまちゃんのあとについて林の中へ消えた。


 思い出したように、数名の人間が家路につく通り道であろうその公園へ入ってきた。もう夜も更けていく。タヌキ達はケガもなくみな無事な様子だった。義明は春美を病院へ送った。

「また大王って言われちゃった、大王みたいなクマさんから。」

 そう言って病室へ向かう春美は、少し強くなった気がする。さっきの大股で歩く春美はいままで見たことのない春美だった。タヌキ達との不思議な出会いは、きっと幸せへの通り道なのだ、そう信じようと義明は思った。ただ、タヌキ達にとって自分たちとの出会いは幸せなのだろうか、これまでのタヌキ達への関わりは結果として正しかったのか、と、省みるのであった。



  義明さん、春美さんは自分たちが悪ダヌキを作り出

  したことでタヌキ達を傷つける結果になってしまっ

  たのではないか、そう反省するのでした。

  それにしても、わんこちゃんくまちゃんはどこから

  きた誰なのでしょうか。



悪役として想定していた六匹目タヌキの反乱で、義明と春美は産み出したタヌキを

善と悪に分けたことに関して反省することになります。

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