第三章 しあわせなたぬき ③
第一章「光と影」はタヌキ達の誕生について
第二章「たぬきと戦争」はタヌキにふりかかる困難
第三章から①、②、③、④、と小分けして投稿しています。
③ではタヌキ達の危機を回避するために義明と春美は行動を起こします。
限られた時間の中で春美は夢に隠された秘密を探ります。
*
(第三章 しあわせなたぬき つづき)
春が訪れた。庭のサクラは今年も元気に咲いてくれそうだ。つぼみがふくらんできているのがわかる。少し窓をあけてみる。まだ寒い。でもすがすがしい新鮮な空気が室内をめぐり冬のなごりを一掃するかのようだ。
「まだ寒いね」
春美は窓を閉めながら足元に寄り添うタヌキ達の顔を、一匹一匹みつめた。
今日も義明がいない。
春美とタヌキ達だけで朝食をすませ、春美が洗濯機をまわしながらタヌキ達と一緒に家の中の掃除をし、タヌキ達と一緒に庭へ出る。青空の太陽がまぶしい。
昨年の秋に近隣の林から降ってきた落ち葉がまだ庭に敷き詰められている。葉が落ちたうえから雪が積もるので、秋のうちに落ち葉を拾いきれない。往々にして落ち葉拾いは春先の仕事となる。落ち葉が積み重なったところをめくりあげると中から福寿草やクロッカスの芽が「ああよく眠った」とあくびをするように顔を出す。
芽を摘まないよう、茶色い落ち葉をていねいに取り除き、地面を土の黒と緑の芽だけにしていく。
敷地の外の落ち葉もていねいにひろう。道路にむかってゆるく傾斜した先にU字溝が道路に沿って敷地と並行に走り、雨水舛に雨水を落とす。雪は完全に融けていて、溝にたまった落ち葉が「見つかっちゃった」と観念したかのようにこちらを見ている。
ゆるく傾斜したところからは雑草の芽が出始めている。除草剤をまく家もあるようだが義明が「環境に悪いから」といって除草剤は使わないことにしていた。特に粉末の除草剤は気を付けないと、風で飛ばされ庭木や近隣の家庭菜園に悪影響をきたすことがある。
「お昼にしようか」
春美は敷地内に散らばっているタヌキ達に声をかけ、居間に入れる。食卓テーブルで軽い食事を済ませるとしばらくの間お昼寝の時間となる。
「義明様はいつ帰ってくるの」
タヌキ達はもうその質問はしないことにしていた。聞いても春美が答えてくれないことをわかっていたから。
夢の中にいるようだった。
お昼寝をするのが恐かった。春美もいなくなるのではないかと、少し不安な気持ちになる。でも義明様がいないこの毎日が夢の中のことであり、今夜にでもまた以前のように義明様が帰ってきて、義明様、春美、みんなで一緒に晩御飯を囲むのかもしれないと、心の中で、少しだけ思っていた。
春美もいまのこの現実を受け止め難く、夢の中にいるようだった。昼寝をしようと言いながらソファに座って目をあけたまま宙を見つめている。
「まさか義明が先に死ぬなんて」
あっと言う間の出来事だった。
「次の休みの日はドライブにでかけよう」
義明が次の休みのおでかけを皆に提案した。お彼岸の期間でありお墓参りをしてから海岸線を走ろうという。
今年の雪解けは早く、道路はアスファルトが渇いていて、晴天の海は青くキラキラと輝いていた。丘の上の墓地はまだ雪がところどころ積もっていたが、義明の先祖が眠る墓は全体の姿を現していた。花を活け、ろうそくと線香をたてて手を合わせる。そのあとは海岸線を走り海の景色を楽しんだ。
「たぬたぬたぬたぬたぬ」わあ、カモメがたくさん飛んでる。
「だだだだだた、ぬうき」タヌタヌ、この車と同じくらいのスピードだよ
「ぽんぽんぽこぽこぽんぽこぽん」タヌタヌはどのくらいのスピードで飛べるようになるかな?
春美はもうタヌタヌに飛んではだめとは言わないつもりだった。でもまだもう少し先でもいい、お部屋の中でちょっと浮かぶくらいから始めて欲しいと思っていたが、
「鳥よりも、速く飛ぶんだ」
そう義明が運転席で叫ぶように言い放つ。
「タヌタヌが飛べるようになる頃みんなももっと強くなるから。みんな優しく、強くなって人のためになるタヌキになるんだよ」
そう言ってあとは無言で車を走らせていた。
今思えば義明はこの日はなんとなく朝から何かを思いつめた様子であった。
ドライブインに入り、土産物などをながめる。ソフトクリームを食べようということになり、人数分を義明と春美が買っているときのことだった。歩道から海をながめていたタヌキ達が散歩中らしき飼い犬が飼い主を離れ首輪にリードをつけたまま走っているのに気が付いた。タヌキ達が向こうから車がくると犬に注意を促そうとした。犬に向かって走り出したエゾtに、「危ないから気を付けて」そう声をかけようと、
「エゾt・・・」春美が声を発すると同時に、
「イヤーーーーっ」横にいた女の子が絶叫した。
飼い犬が轢かれた、かに見えたが車の前に飛び込み犬を歩道へ突き飛ばした男性が車にはねられたのを見た。義明だった。
「義明!!」
救急車がかけつけたが、義明は間もなく息を引き取った。
犬は無事だったかどうかわからない。白い洋犬だったと思う。飼い主や女の子は家に訪ねてきたようだが義明の親族が対応してくれたようだ。
通夜が営まれ会場は義明の親族と義明の会社関係者で埋め尽くされた。喪主にあたる春美は最前列の先頭に、その横に6席は空席として二列目から親族の近しい人から順に席についた。最前列の6席には他の人達からは見えないがタヌキ達が座っていた。
骨となった義明のお骨はサイドボードの上に置かれている。時々思い出したようにタヌキ達が線香に火をつけてくれている。墓地の雪が融けたころに埋葬することにしていた。
亡くなった日の一週間前、珍しく義明がタヌキ達を強く叱った。「学校はどうした!」
義明が休日なので自分達もお寺はお休みでもいいだろうと思っていたらしい。義明はタヌキ達に「さあ、早く」とせかし、学校へ行かせた。
昨年末から義明はタヌキ達に「学校は」「今日はどうだった」と、お寺できちんと学ぶことを躾していたように思う。事故の日は旗日であり春休みに入る日だった。
義明がいなくなってから、4月になってもタヌキ達は学校へ行かなくなった。春美が気になりタヌキをともなってお寺が出現するであろう場所に向かうが、お寺が出現しない。
「お寺と和尚さんは義明が作ったものだったからか・・・」
春美はこれからひとりでタヌキ達を見守り育てなくてはならない。しかしそれがいつまで可能なのか。どのようにすればよいのか。
葬儀は町内会が事務局を務めてくれたがどこかよそよそしく、隣家も向こう隣の家族も会場にはこなかった。いつのまにか両隣は空家になっている。みな誰もが我が家から遠ざかっていく気がした。
ふとめまいがした。
「あとどのくらいなのか」春美がつぶやく。
葬儀のあと体調が悪くなり病院での診察を受けた。
以前の病気が再発していた。
5月、庭のサクラが満開となり、義明が一番好きな時季となった。遠くの山々はまだ残雪を残し頂は白く、間近に見える我が家の庭は緑の草が少しずつ生え、サクラは薄いピンク色の花を盛大に咲かせている。それぞれが青い空に映え、さわやかな風があたりを吹き抜ける。
義明のお骨を助手席に乗せ、後部座席にはタヌキを乗せて墓地へ向かう。埋葬をし、僧侶にお布施を渡し、1人と6匹でしばらくお墓と向き合った。本当ならば親族も招き法事のようなことをしなくてはならなかったのかもしれないが、タヌキ達とだけで別れを告げることにした。義明の好きだった玉子焼き、稲荷寿司を供え、ろうそくと線香の火が消えるまでその場にじっとしていた。
事故のあったあのドライブインへ向かう。現場に花をたむけようかとも思ったがそれはせず、かわりにソフトクリームを7個買い求め車の中でみなで食べることにした。あの時のソフトクリームはドライブインの中で床に溶けたはず。
車の中で皆なかなか食べようとしない。そういう心境でもないのだろう。涙のように溶けたアイスがしたたっている。春美はソフトクリームの頭を一口食べ、
「供養だから、ね、みんな味わってたべようね」そう春美が言うと、
「だだだだだ」おいしいね。
しめやかな雰囲気であったが、エゾtが皆を励ますつもりであったのだろう、そんな一言を発すると、うんうん、と、みなおいしそうにバニラのソフトクリームをなめた。みなソフトクリームは気に入ったようだ。義明が好きなアイスのフレーバーはバニラだった。
ドライブインの店員さんが春美のことを覚えていたようだ。
「あの犬はどうなったのでしょう」春美が問うと、
「ああ、母親とその子がしばらく探していて、迷い犬の張り紙なんかもうちの店で貼っていましたけど、近くの漁師の家でみつけて保護してそのままそこの家で飼うことになったようですよ」
と、言う。飼い主がドライブインの駐車場に停めていた車内でその犬を留守番させていたが、飼い主が車に戻りドアを開けたときに逃げ出したようだ。犬を手放すことについて女の子はひどく落胆していたという。
「その親子、迷い犬の張り紙をはがしに来たんですけど女の子はしくしく泣いて可哀そうでしたよ」
ただ、その犬は迷子でさまよっているときにケガをしたらしい。漁師がドライブインに連れてきて女の子と対面させたときは後ろ足を少しひきずっていたという。その子の父親が重い病気らしく、共働きの母親と女の子が犬の世話をするのが困難と判断した母親が女の子に言ってきかせ、漁師に譲ったとのことだ。
「あの女の子、どこかで見たことがあるような」
春美は初対面ではない自信があったがどうしても思い出すことができなかった。
家に戻ると疲れのせいか、一区切りついての気持ちの萎えか、しばらくはソファから動かなかった。タヌキ達も春美により沿い、やがて眠った。
あの夢を見た。
「この夢は!」
忘れかけていたあの夢だった。鮮明に思い出したが、少しずつ記憶が薄れる
春美は必至にいま見た夢を思い出し、メモをとった。
カラス、悪タヌキ、不動明王、白月、黒月、巻き物、金属バット、・・・
あの時見た夢と少し違う。あの時エゾtが武器にしていたのは木の枝とうんちだった。あの時出てこなかった言葉がある。
「ゴホウセイ、ハクゲツカイとは?」
そもそも不可解なことが多い夢だった。特に義明が登場するあのあたり。
もしも義明があの夢に入って何かを変えたのだとしたら・・・
強引に夢の内容を変えたのだとしたら・・・。
焼き鳥を焼く腕を買われて徴兵されたのではない。本当は『そう』だったんだ。そのことを私にも言わなかったのは何故?
「タヌキ達にとって敵になる人物に知られたくなかったから、そして『その』役目を私とタヌキ達に託した」
あの夢には実際に未来に現れる敵がいたのだ。夢の中に出てきた場所や道具に深く関わる人物、その人物はすでにこの近辺に来ているのかもしれない。
「あの日の事故も義明が予見していたのだとしたら」
「しあわせなたぬき」
事故の際、今わの際に義明が確かにそう言った。そして夢の中でもあのトラックの中で、数度つぶやいている。
「しあわせ、な、たぬき」
タヌキ達は義明にとっても私にとっても子供のようなものだ。義明は子供を欲しがっていた。
「ハクゲツカイ、もしかすると」
夢に出てきた言葉の意味が、
「わかった・・・」
急がなくてはならない。自分に与えられた命があとどのくらいなのか。敵はもうすぐそこまでやってきている。味方になってくれる人達も・・・。
「ちょっと留守番していてね」
春美はそういうと外に飛び出し、庭のすみずみを見、あたりの林を、注意深く見た。そして、向こう隣へ行き敷地のすみずみを見、ひげのおじさんの家を見、さらに公園へ行くと、
「カラリンコ!」あのカラスを呼んだ。カラスは姿を見せなかった。
「カラリンコ、お願い、力を貸して!」カラスは姿を見せないが、
「大王様、どうしました?」
「わんこちゃん!」
春美はしゃがみこみ、泣きながらわんこちゃんを抱きしめた。
タヌキ達は春美が出ていくのを見送り、しばらくは居間のソファでかたまって座り、義明様の面影を追っていた。サイドボードの上にあった遺骨はもうない。いつも義明様が座っていた食卓テーブル、ただいま、と言いながら開けるドア、お風呂が沸いたよ、と言いながらくぐったのれん、どこを探しても義明様はいない。
人の死ほどつらい現実はない。
こんなに泣いたことはなかった。義明様が倒れた道路わきで義明様にしがみついてただただ泣いた。まだぬくもりが感じられた義明様から引き離され、義明様の身体が病院の車へ乗せられるを見守った。病院の車を春美が運転する車で追う。春美はずっと泣きながら車を運転していた。タヌキ達もずっと後ろのシートで泣き続けた。
でも春美を支えなければ
タヌキ達は春美の前で気丈に泣かないようにしていた。棺に入れられるとき、火葬の炉に入れられるとき、涙が出そうになるのを必死でこらえた。今日も墓場では春美に涙を見せなかった。
いまも、春美が出て行って帰ってこないのでは、という不安がよぎるが、しっかり家で留守を守ろうと思っていた。だが、
「たぬたぬたぬたぬ」
義明の遺影を見ていたタヌタヌがふいに泣きだした。全員こらえきれずに泣き出した。涙がとめどなくあふれ、嗚咽した。
「ごめんね、遅くなって」
春美の声を聞いてまた泣いた。居間に入るドア付近の春美に抱き着いて泣いた。
春美は5匹を抱き寄せしばらくはだまって泣かせていた。春美は泣かなかった。もう涙は枯れ果てるくらい泣いた。それに、
この子達を「しあわせなタヌキ」にしなくては
大きく重いものを背負うことになったが無駄なく日々を過ごさなくては。義明に叱られる。合わせる顔がなくなる。
わんこちゃんと会えてよかった。彼にはいろいろと面倒なことを頼んでしまったが、少し希望がわいてきた。自分は自分でせいいっぱいやれることをやっておかなくては。
それにしても、気丈なようでまだ子供だ。タヌキ達がなかなか泣き止まないのを見て切なくなる。彼らにはまず生きる糧を与えなくてはならない。てがかりはつかんだがうまくいくかはまだわからない。運をうまく導けるかどうかは自分次第だ、そう春美は思う。
わんこちゃん、くまちゃんの素性がわかって驚いた。この出会いは偶然ではなく必然だったのだ。タヌキ達は導かれるまま、運命の糸にたぐりよせられるように、いずれ「その場」にたどり着くはず。きっかけをうまく与えてあげることができるかどうかにかかっている。
「ねえ、そろそろ泣き止もうよ。義明に笑われるよ」
春美は一匹一匹の頭をなでて、
「にいいいいん」変顔をして見せた。
「みんなもやってごらん」
ひっく、ひっく、となかなか泣き止まない5匹だったが、春美の背後から悪ダヌキが現れ、
「わるわるわるわる」変顔をすると、
負けじとエゾリンが、タヌリンが変顔をし、エゾt、ポン、タヌタヌも泣きながらそれに続いた。5匹はしばらく、
ひっく、ひっく、と泣きながら変顔をしていたが、やがて笑い声に変わり、
「だだだだ」「えぞりん」「たぬりん」「ぽんぽこ」「たぬたぬ」と、競うように変顔をした。
「顔が痛くなっちゃったよ」
春美の顔に指のあとがついているのを見てみんなまた笑った。
「ふふふ、そうその調子、笑っていよう。笑っていたら義明も安心してくれるよ」
タヌキ達は涙を前足でふき、きりっとした表情になった。
「さあそれではみんな、お庭に出て落ち葉ひろいの続きをするよ」
サクラは満開だった。この日を選んで納骨をしたのだ。庭に出た春美はサクラに抱き着いた。いつもタヌキ達がしているように。タヌキ達もそれに続いた。スズメのスズリン、スズタンも義明の死を悼んで「ぴーよぴーよ」と鳴く日々だったが、いまは「ぴーよぴーよ」と元気な鳴き声で皆を励ます。
春美が花壇の落ち葉を拾うのかと思っていたタヌキ達だが、春美は敷地の外の傾斜やU字溝から始めたので、タヌキ達もそれに習った。道路と敷地の間の落ち葉はキレイにのぞかれ、次に春美は道路の向こう側に行きゴミ拾いを始め、落ち葉拾いも始め、道に沿って家からどんどんと隣家の方までそれを進めて行く。
いつもと違う春美の動きに戸惑いながらも、タヌキ達もそれに従う。春美が手にしていた落ち葉を入れたビニール袋は1つ、また1つといっぱいになり家の前に積み重ねられた。
「うーん、庭の落ち葉を拾わなくちゃね。ねえみんなにはお庭をお願いするね」
そう言われ、タヌキ達は春美から離れて庭の落ち葉拾いを精力的に行う。
町内会の人だろうか、春美に声をかけてきた。
「いやあ、感心だね。このあたりだけどんどんキレイになっていくね」
「今年は少し遅くなりましたから、草の芽が出てくる前にと思って」そう春美が答えると、
「ああ、そういえばこのあたりにビルが建つって噂、知ってます?」
「ええ、なんとなく聞いていましたが」
「立ち退きの話なんか来ているの?」
「・・・いえ、うちにはまだ・・・。」
「そう、ここに居たらいいよ、こんなところにそんな大きなの作ったって仕方ないからね」
会釈をして町内の人は満開のサクラを見上げ、「見事だねえ」とつぶやきながら向こうへ歩いていく。隣家が留守宅になったのは、立ち退きのせいだったのだろうか?
「立ち退きか・・・」
あり得る話だった。予想もしていた。その流れはくいとめなくてはならないが、運を引き寄せるチャンスかもしれなかった。
庭のほうを見るとタヌキ達が作業の手を止めてじっとこちらを見ている。何か心配しているのかもしれない。庭にもどって、
「さあ、お日様が明るいうちにお庭の葉っぱをかたずけようね」
そう言い、またもくもくと落ち葉ひろいを進めた。
タヌキ達が手伝ってくれたおかげでずいぶんはかどった。落ち葉の陰に隠れていたユリやサクラソウの芽が深呼吸をするように背筋をのばしている。
春美は去年の夏にタヌキ達が拾って集めたサクラの種を居間から持ち出した。サイドボードの引出に大事にとってあった。それをプランターに植えることにした。
思ったより数が多い。物置にあったプランターや鉢のありったけを出し、間引きしなくて済むよう間隔を開けて植えた。タヌキ達も手伝ってくれた。種を植えたあと土をかぶせジョウロで水を撒く。
全部芽が出るとは思えないが、「全部芽が出ますように」そう手をあわせ、プランターはサクラの木の根元あたりに並べた。
それでも種がだいぶあまった。去年の夏にタヌキ達が色々なところに撒きたいと言っていたのを思い出した。
「ねえ、おうちのお庭だけじゃなくて他の場所にも植えようか。どこがいい?」
「たぬたぬたぬたぬたぬ」アフリカとかインドとか、という。
思えばタヌキ達はこの近辺以外の遠くというと、海や墓地や雪まつり会場くらいしか連れていったことがなかった。どこへ?と聞かれても困るのだろう。
「ぽんぽんぽんぽこぽん」鳥さんに運んでもらえばいい。
そう言うので、「カッちゃん」心の中で呼んでみた。
カッちゃんも義明が空想で創った架空のカモメだ。お寺や和尚が出現しなくなったのと同じように現れなくなるのか、そう思っていると、
「およびですか?」
「うわっ、カッちゃん、いつの間に」
「すういっ、と飛んできました。だいぶ飛ぶの上手になりましたよ」
「カッちゃん」
春美は涙ぐみしゃがみこんでカッちゃんを抱きしめた。
「うっうっうっうっ、そんな、義明様・・・」
義明の死を知ってカッちゃんはしばらくの間、立ち直れそうになかった。タヌキ達もまた悲しくなってきたのかいまにも泣きそうな顔をしている。悪タヌキが出てきて、変顔をする。カッちゃんにも変顔をさせようとするが、カモメに変顔は少し無理があるようだ。
「申し訳ありません。皆様がたいへんなときに飛行訓練にあけくれておりました。義明様の死を感じ取ることができなかったなんて、まだまだ私は未熟で。でも悲しんでばかりはいられません。お呼びいただいた御用は何でしたか?」
涙をぬぐいながらカッちゃんが春美の顔を見上げる。
「あのね、サクラの種をあちこちに植えたいの」
そういうと、カッちゃんは急に真剣な顔をし、
「もしかしてあのサクラの種ですか」という。
「そう、うちのあのサクラの種。去年ひろってあったの」
「いいことです。ぜひやらせてください。でもうってつけの人がいます」
カッちゃんが空を見上げ、息を吸い込むと、
「コケコッコー」
みな意表をつかれてそれぞれ目を丸くする。
想定外の鳴き方だった。義明はカモメがコケコッコーと鳴くものと思っていたのだろうか。または、カモメの鳴き方がわからず、特に予定していなかったから、だいたいの鳴き方をしているのだろうか。
ヒュン
目にも止まらぬ速さで鳥が飛んできて通り過ぎ、垂直に上空を旋回して頭上からまっさかさま、まっしぐらに春美の前に舞い降りた。ハヤブサだった。
「はじめまして大王様。私はハヤブサのぴょんです」
ちらりとタヌタヌを見た。
「ぴょん先生」
タヌタヌはぴょんとは初対面だったが、すぐに自分の先生だと気が付いた。
「タヌタヌ、少し成長したな。だがもう少しだな」そう言い、
「大王様、私は手稲山に住む鳥指導員です。いつぞやはお目にかかることなく下山されていらっしゃいましたが御姿はみなで拝見しておりました」
「えっ、みなで?」
「はい手稲山には我々の仲間がたくさんおります。ただまだあの時は出番ではない判断で傍観しておりました。義明の死はイヌのわんこちゃんから聞きました。気の毒なことをしました。残念です」
そう頭を下げた。春美はイヌのわんこちゃんに手稲山の鳥たちや、その他、各地に出現するであろうタヌキ達の類縁の様子をみて欲しいと頼んでいた。さっそく手稲山を訪ねてくれていたのだ。ぴょんは義明を義明様と呼ばなかった。それには理由があるのだがみな聞き流していた。カッちゃんが
「ぴょん先生、今日はお願いがあってお呼びしました。サクラの種を適するところに撒いてほしいのです」
「ほお、それは天職だ。どの種ですか」
春美が差し出すと、
「これは・・・」
ぴょんはしばらくじっと庭のサクラをみつめた。春美が、
「タヌキ達があちこちに植えたいって、去年ひろっておいたものなの」
そう言うと、ぴょんは少し涙ぐんで見えた。
「わかりました。あちこちに植えましょう。サクラが喜びます。きっと、よいことが起きますよ」
ぴょんは種の入った袋を受け取り足でつかむと、
「タヌタヌ、待っているぞ。もっともっと強くなって義明の分も生きるんだ」
ひゅん
また目にも止まらぬ速さでぴょんは飛んでいった。カッちゃんが言うには
ハヤブサのぴょんは手稲山で鳥達に空の飛び方を教える先生のひとりだが、ふだんはどんぐりなどの木の実を適する場所に運び、森林を育てるエコな活動をしているそうだ。
「飛び方も上手ですし作業中に猛禽類に襲われる心配もありません」ということだった。
義明や春美はタヌキ達が生きていくのに不自由しないよう様々な場所に仲間を配置していた。特に手稲山は自宅からも近く、いつでも困ったときに助けに来てくれるような精鋭部隊を用意していたのだ。ただ、末っ子であるタヌタヌの成長にみあうよう、段階的な出現を計画していた。これまでは鳥といえば飛び方が下手なカモメか「ぴーよぴーよ」と鳴くスズメくらいしか出現しなかった。ぴょんが現れたということはタヌタヌの力量がそれなりのものになりつつあるということだった。
「それではまた。手稲山に行くときは、私がご案内します。お声をおかけくださいね」
カッちゃんはそう言って庭を滑走し翼を広げると普通のカモメのように安定した飛行で海のほうへ飛んでいった。
サクラに鳥が蜜を吸いにきている。ヒヨドリだ。ヒヨドリはサクラの蜜を吸いながら受粉を助ける。サクラ全体をよく見るとモンシロチョウやミツバチも来ているようだ。このサクラは隣近所のみなさんが気に入ってくれている。ひげのおじさんも「大事にしたいね」
と言っていた。
「さあ、おうちに入ろう。お風呂が沸いてるよ。湯船に入る前に泥を落として、肉球の間もきちんと洗うんだよ」
「だだだだだ」「えぞりん」「たぬりん」「ぽんぽこ」「たぬたぬ」はーい、
とみな元気な返事をして玄関から中へ入っていった。
「ワルちゃんもね」
「わるわるわるわるわる」わかってるよ、あっかんべー。
もう夕暮れ時だ。春夕焼けというがこの時季は夕日が赤く夕焼け雲も赤く染まってきれいだ。夕日に染まった満開のサクラを見る。昼間、わんこちゃんにこんなことを聞いた。
「植物が人を守るようなことはあるの?」
わんこちゃんは、
「私達もそういうことがあるのかと探ったことがあります。アイヌが魔除けにナナカマドやヨモギ使うという話を聞いたことがありますが、目に見える効果は確認していません。何より植物たちは気難しくて会話になりません。それに決して人間びいきではありません」
という。ただわんこちゃんが、このサクラの木に関して少し気になることを言った。
「大王様の家のサクラは独特なニオイがします。北海道中を旅していますが、このサクラと同じニオイがするサクラが点在しています。誰かが意図的に同じ原木から苗を育てて植えたのではないかと思っています」
と、いう。更に、
「大王様の家のサクラを見ると妙に心がなごみます。どうしてなのかはわかりませんが」
春美は夢に出てきたような戦いが起きるのは当分先であろうと思っている。それが10年先なのか、20年後なのかはわからないが、そこに至る過程はもう始まっていると思っている。その間にどれだけよい出会いに恵まれ、どれだけ良い心をもったタヌキに成長して行けるのか。自分がいなくなったとしてもタヌキ達がよりどころとできるものをひとつでも多く残しておきたかった。
自分の余命はいつまでなのか。以前は布団にもぐりこんで駄々っ子をして病院へも行かず義明を困らせていた。いまはそんなダダをこねても受け止めてくれる人がいない。義明のいない家と沈む夕日を見比べ、また涙があふれそうになるのをこらえ、
「さあ今日の晩ごはんは何かなあ」
つとめて明るい声で玄関から中へ入った。
春美が思っていたよりも自身の病状は深刻であった。以前よりもこまめに病院へは通うようにしている。わんこちゃんの情報があり、あの病院であの女の子に会えるかもしれなかったからだ。危険もある。どうやら女の子の近くには将来タヌキ達にとってあまりいい影響を与えない人間達がいるかもしれない、とのことだ。
わんこちゃんは知り合いの犬や猫から情報を集め、精力的に動いてくれている。わんこちゃんは漁師に飼われたあの犬を訪ねて、女の子のことを聞こうとしたところ、漁師の家にその犬はいなかった。その家のネズミに聞くと、よその家にもらわれて行ったということだ。また、訪ねてきた親子と漁師の会話を聞いていたというそのネズミからの情報で、義明が運ばれた病院、つまり、春美が通院している病院に、女の子の父親が通院しているらしい、とのことだった。
女の子に会ってもタヌキ達にプラスになることにはならないのかもしれない。現に良くない人間が女の子の近くにいるとなると会うべきではないのかもしれない。
だが、どうにも気になるのだ。
診察では特に良いでも悪いでもない、ただ回復の見込みはないようだ。手術はしないことに同意している。入院もしない。症状の進行を遅らせるための薬を投与されるまでだ。
今日も誰かが亡くなったようだ。待合室で遺族だろうか、悲しみにふける様子を見る。葬儀会社が個室への移動を促しプランの相談を進めるようだ。ふと、自分の葬儀はどうすればよいのか、と考える。以前は手術前も自分が死んだあとのことなど考えたりはしなかった。義明がいつも元気づけてくれていたし、自分に万が一のことがあってもタヌキやネコの世話は義明に任せればよかった。だが義明がいないいま、タヌキ達のことやネコをどうしたらよいのか、考えると切なくなる。
葬儀会社の人とご遺族は、病院が用意する個室へ移動をしましょうと待合室を立ち、「宗派を教えてください、仏様の掛け軸を用意しますので」と話している。
「そういえば・・・」
夢のメモをした手帳を見た。夢の中で「西のほとけ」とか「明王」という言葉が出てきた。援軍に来るかもしれないよその国をそう呼んでいたようだが。
「愛別離苦・・・」
仏教の教えについてはあまり詳しくない春美である。なにしろ年末はジングルベルに除夜の鐘に初詣では鈴緒に柏手、である。義明の葬儀の際には悲しみのあまりお坊さんの法話はほとんど耳に入らなかったものの、義明が仏教で葬られることへの抵抗はなく、それは春美自身も幼い頃から仏教に親しんできたからである。
経営学者も、結果とプロセスが大事などというが、幸せを求めてやまない人の一生、求める幸せは人生の目標と、その間をどう生きるかであり、どう生きるかの教えが仏教なのだと聞く。繰り返し繰り返し、幸せになるための課題克服を繰り返しながら生きて行く。その先にあるもの。達成感、満足感、なんだろう?
タヌキ達は人を幸せにするのが使命と義明は言った。
仮に義明や自分がその役目「タヌキを幸せにすることが天命」だとしたら。自分はタヌキ達を幸せにして消える。自分が消えることはタヌキ達にとって幸せではないと思うが、できる限りのことをタヌキ達にしてから消える。それはタヌキのために尽くしたという、自己満足にしかならないのではないのか?
タヌキ達が人生の目標に向かい、目標をやり遂げることができて、タヌキ達へ尽くした甲斐があった、という満足感になる?いや、それでは足りない。
「しあわせなたぬき、とは」
春美がはっとする、何か大きな勘違いをしていたのではないか。
タヌキ達を守るだけではだめなのだ。
そしてタヌキ達が人生の目標を達成するだけではだめなのだ。
タヌキ達が幸せにする誰かがまた他の誰かを幸せにできるようなチカラを身につけることを見届けて初めてタヌキは幸せになれるのではないのか。
あの戦争にタヌキ達が勝って幸せになれるのか。そうではない、相手の子供達はどうなる。タヌキ達は勝ってはいけないのだ。相手の将軍が言っていた、勝っても勝利者にはなれない、と。
ではどうすればよいのか。みなが幸せになれるようなプロセスをタヌキ5匹は作れるのだろうか。いや、そこまで重い課題を背負わせることはできない。協力してくれる人達も必要だ。
でもタヌキ達にはあんな悲惨な死に方はさせない。戦いに巻き込まれるのであれば、それを回避するのがベストだ。でも回避して身近な人達を幸せにできるのか。
「もしも避けられない戦いなら、タヌキ達はどうする」
圧倒的なパワーが必要。でもそれは相手を傷つけるものではない。5匹の大ダヌキはどうだ。一見大きくて強そうだが決して戦わない。飽くまでも先生役だと義明は言っていた。
「パワーとは何か」
義明の言葉を思い出した。生きていくために必要な5つのチカラ。
「ゴホウセイ、白き勇者、ハクゲツカイ・・・」
「ふぅーっ」と春美はため息をつき、
「いろいろ考えても、結局はタヌキ達の成長を信じるしかないかな。彼らならできる、信じよう。きっかけも彼らなりにつかんでくれるかもしれない」
焦りすぎていたかもしれない。春美は思った。
「仏像を見に連れていこうかな。精霊に偶像崇拝はないかもしれないけど」
ちょうど春美の視線の先、待合室の掲示板に美術館で行われている仏像展のポスターが貼られていた。タヌキ達には特定の宗教に入信させるつもりはなかったが、芸術としての仏像は、このさき生きていくうえで何等かのヒントを見せてくれるかもしれない。
翌日さっそく、タヌキ達をともなって美術館へ向かう。義明も春美もあまり芸術には興味がなく、美術館に足を運んだことはなかった。特に絵画などは作品の良しあしを評論する専門家の考えが理解できないことが多い。テレビ番組で絵画や掛け軸の評価価格が数百万、数千万であったりするのに驚いたりする。
受付で申し訳ないが「大人一枚」で切符を買い、タヌキ6匹と一緒に中へ入る。入口から絵画や彫刻が並び、一点一点を注意深く見る。
平日であるためか来客はまばらでゆっくり見ることができる。仏像展示は奥の特設会場らしい。悪タヌキが飽きてきたのかそのあたりを走り回り、ツルツルの床を
スーッと「滑り込み」して遊んでいる。
「ポンちゃんどう?」
ポンは芸術家肌だと思っていた。お絵かきは独創的なものを描く。ガラスケースに収まっている作品の前で止まり、じっと見ている。果物が描かれている。
「ぽんぽんぽんぽこぽこぽんぽん」お腹がすいたときにひとつ食べちゃったみたいだね、
という。解説にはなるほど、筆者が生活困窮時に描いたもの、と、書かれているし、なるほど、構図的にリンゴか梨か、何かが一個足りない気がする。ただ、一個不足しているのがこの絵のいいところだと、ポンは解説する。
ポンが彫刻の前で足を止めた。春美の背丈ほどもある金属製のものだが、春美には何を表現しているのかわからない。
「ぽんぽこぽこぽんぽこぽんぽん」これは季節の移り変わりを表現したものだよ、
という。解説にはなるほど、冬が終わり春が訪れたときの喜びを表現している、というようなことが書かれている。ただ、
「ぽんぽんぽんぽこぽん」上と下を逆に展示したほうがいい、という。
決して係員さんが間違って展示したのではないと思うが、皆「うんうん」うなずいている。春美も内心そう思う。
仏像展のフロアにきた。本州や北海道内から運ばれた古いものもあり、北海道の著名な彫刻家が掘ったものなどあり、会場全体重々しい雰囲気を漂わせている。このフロアに入るとタヌキ達はみな少し真摯な姿勢で一点一点を見ているようだ。春美も何か心がつかまれるような畏敬の念を覚える。
大日如来、普賢菩薩、阿弥陀如来、それぞれの穏やかな、または厳しさの中に優しさがひそむような姿、まなざしに思わず足を止めて向き合う。
順路を進んでいく。タヌキ達はひとつひとつの仏像をじっくり見ている。少し照明が薄暗くなり、一番奥のほうに少し大き目の像が見えてきた。タヌキ達が注視している。近づきながら春美が、
「不動明王よ。二人の童子を従えている」
春美は不動明王について少しだけ知識があった。札幌から小樽方面へドライブするといつも左手に目にする大きな不動明王の像があり、何だろうか、と気になって調べたことがあった。恐い顔でいつも見られている気がしていたが、どんな仏なのかがわかると畏怖も畏敬へと変わり、親しみも沸く。
「たぬりんたぬりんたぬりん」刀やロープを持っているね。
「そう、三鈷剣と羂索ね。魔物を羂索という縄で縛ってあの剣で・・・」
「だあだたぬうき」やっけるの?
「ううん」と春美は首を振り、
「こらしめるの」
そう優しく強く言った。仏教の教えがそれで正しいかどうかはわからない。春美としては大事なことだった。あのとき、あの公園で学んだ。悪タヌキから学んだ。豆まきでエゾリンから学んだ。
相手が善悪の分別がつく人間ならば、やっつけるだけが戦いではない、勝利にはならないのだ。病院で手術のときに出てきたような魔物ではない限り、100%の悪にも1%の善を見出し100%の善へ共に向かうことが戦いだと春美は思っている。
タヌキ達も何か悟ったのか、春美の顔をみつめ、そして不動明王を見つめた。
*
死期が迫る春美はタヌキ達の未来をタヌキ達に託すことにしました。
幸せとは人生の目標をもっていかに生きるか。
ただ、まだ幼いタヌキ達にはできることは限られていました。
次回はタヌキ達にとって最大の試練が訪れます。