第三章 しあわせなたぬき ②
第一章「光と影」はタヌキ達の誕生について、
第二章「タヌキと戦争」はタヌキ達にふりかかる困難について、
第三章から①、②、③、④、と小分けして投稿することにしています。
①②ではタヌキを守ろうと戦いに備える人間や精霊たちの姿が描かれています。
東京から北海道へ乗り込んだ最強の本土タヌキが北海道で何を目にするのでしょうか。
*
(第三章 しあわせなたぬき つづき)
年が明けると早速ホンタさんは北海道に向う。初夢も「あの夢」だった。北海道の精霊に聞けば何か答えが見つかると思っていた。自分に足りない何かを常に補わなければ気が済まない性格のホンタである。夢の当事者に会うつもりはなかった。会ったこともないのに、夢に出てきた東京のタヌキが実際に訪ねて来たら、どんな人間でもさすがに驚くであろう。シレトコに住むと言われる最強のカムイを訪ねるつもりであった。
「親分、飛行機を使うんですか?」
ブンタが尋ねる。ホンタのチカラを使えば2、3回の瞬間移動で北海道へは行けるはずだった。飛行機に化けることもできるはずだが、
「ああ、そうだ。久しぶりにコンソメスープが飲みたい」
と言う。
出発の日、サラリーマン姿でホンタとブンタは羽田空港に入った。
「ブンタ、凶神らの動きは問題ないか」
「はい完璧です。出入口を封鎖しました」
「なあんと、怒っていなかったか?」
「平気です。念のため治安部隊を100匹投じました」
「備えは万全だな」
ホンタはうなずきながら保安検査場へ向かう。東京には都民の生活をおびやかす魔物の組織があり、ホンタはそれらを警備し駆逐するよう東京都の幹部職員から要請を受けている。東京都の幹部職員のおおかたはタヌキかキツネかクマなどが変身した者らしい。
「しっぽは隠すんだ」
サラリーマン姿のホンタが羽田空港ロビーでそう部下のブンタを叱責しつつ、ホンタが保安検査場を通過する際、ブザーが鳴って呼び止められた。人の姿をしたタヌキだと正体が見破られたかと思って焦るが、
「お客様、首から下げたものを・・・」と言われ、ハッとする。
飛行機が落ちないよう、おまじないをかけたお守りの中に金属製のものがあったようだ。ほか、クマよけの鈴やクマ撃退スプレーなどを係り員へ一旦あずけ、無事に機内へと入った。
着席してシートベルトを念入りに締め、
「酔い止めを飲んでおかなくては」
ブンタが薬をだし、ホンタに渡すと一度に十数粒手に取り飲み込む。ブンタが、
「親分、やっぱり飛行機やめましょうよ。私が鳥になって運びますから」
そういうブンタの横でホンタはいびきをかいて寝てしまった。酔い止めの薬に眠くなる成分が入っていたようだ。
飛行機は北海道の新千歳空港に着陸した。ホンタは機内サービスのコンソメスープを飲むのを楽しみにしていたが、寝ていたためスープを飲むことができずひどくがっかりしていた。
ブンタに励まされながら、女満別空港行きの飛行機に乗り換える。女満別空港からタクシーに乗りオホーツク海に面した網走市についた。厳寒の澄み切った空はオホーツクブルーと呼ばれる濃い青色をし、海岸に立つと流氷は果てしなく水平線まで続く、というより「海原を地平に変えた真っ白な氷の原野」が空の果てまで続いている、という感じだ。
「来てよかった、すばらしい景色だ」
雄大な景色に開放的な気分になった二匹はタヌキの姿で浜辺から流氷の上まで進んだ。
「親分、ここは海上です。人が見たら変に思いませんか」
「それもそうだ、ではリスに化けよう」
タヌキの精霊である自分達は通常の姿で行動する分には普通の人間からは透けて見えないはずである。仮にタヌキの姿である自分達が人に見られたとしても、浜辺でタヌキがうろうろしていたところで特に不思議には思われないだろう。もしも猟師が鉄砲で攻撃してきたとしても弾はすり抜ける。大砲に化けて反撃もできる。ただ北海道にも人に化けた精霊がいるかもしれない。人として生活している猟師が精霊であればちょっと手ごわいかもしれない。 また自分達は本土タヌキであり、縄張りに侵入したと思った生身のエゾタヌキから攻撃を受けるかもしれない。
リスに化け流氷の上を歩き景色を見ながら、ホンタさんは
「さてどうやってこのあたりに住むというカムイの長に会うか」
と考える。網走からシレトコまではまだ数十キロあるが、シレトコの精霊たちが自分達を歓迎してくれるかどうかはわからない。特に知り合いなど「つて」があるわけでもなかった。
ただ、それなりの魔力があるであろうシレトコの長はホンタが鼻を利かせればすぐに見つけ出会えると思っていた。逆にホンタはもとより供のブンタもパワーは強い。このあたりを徘徊しているうちに向こうのほうから自分達のオーラに気が付いて近寄ってくるはず、と思っていた。
「来たぞ」
氷の上をトビが数羽、少しずつ近づいてきた。上空を飛びながら様子をうかがっている数羽もいる。まじまじとこちらを見ながら近づいてくる。
「親分、大丈夫ですか」ブンタは元の本土タヌキの姿になり警戒する。
「大丈夫にきまっている」そうブンタを向き一番近くに寄ってきたトビを向いて、
「ああ、北海道のみなさん、こんにち・・・」
こんにちはと言いかけたホンタにトビはいきなり噛みつき、
「助けてくれー」
トビはリスのホンタをくわえて飛んで行ってしまった。
「うわあ、親分―――」
女満別空港から網走まで乗せてくれたタクシーが通りかかり、それに乗り込み知床半島付け根の町、斜里町を目指す。そこで情報収集をして知床の奥地へ進むことにした。
「ひどい目にあったぞ、鳥のエサになるところだった」
「親分を噛むなんて野生のトビにしてはやりますね」
「ああ、恐るべし北海道」
タクシーの中でそんな会話をしていると、タクシーの運転手がこう言った。
「このあたりでは野生の動物も精霊に攻撃ができるんですよ。気を付けないと」
「・・・」
ホンタもブンタもタクシーの運転手を人間だと思っていた。女満別から妙にねほりはほり聞く運転手だとは思っていた。素性や旅の目的を聞くので、観光でタクシーを使ってほしい営業熱心な運転手、くらいに思っていたが。車を走らせながらタクシーの運転手が言う。
「いえ、お客さんをみてすぐに本土タヌキさんだとわかりましたよ。お二人のお尻からしっぽが見えましたから」
開放的な気分になってついしっぽを見せていたのかもしれない。
「ああ、ご心配なく。人間には言いませんから。私も実はキツネなんです。知床を守るカムイ達に何か御用ですか。よろしかったらご案内しますよ」
正体がバレてこのままどこかへ連れて行かれ鳥のエサにされるのではと内心思ったが、知床の精霊達がいるところまでタクシーで案内してくれるのであれば好都合である。窓の外には雄大な景色が流れる。左手には流氷の海、右手に斜里岳が見えてきた。
「コホン。私は東京から来ましたタヌキでホンタと申します。こちらは連れのブンタです。このあたりに住むという精霊の長にお会いできるようお取り計らいいただけないものでしょうか、折り入ってお話しをしたいことがあります」
タクシーの運転手はしばらく無言であったが、無線が入り、
「ギンレイ、ホテルまでご案内してくれ。そこでお話を聞こう」
と聞くとタクシーの運転手は「了解」と答え、
「知床半島の真ん中あたりにある宇登呂のホテルまでご案内します。そこで私の父をご紹介します。父もキツネですがホテルを経営しておりまして」
と言う。
知床半島は北海道の東部にあり薬指のように北海道から突き出た半島である。宇登呂は半島真ん中あたりのオホーツク海側に位置し、反対の太平洋側に位置する羅臼町とは知床横断道路で結ばれている。横断道路以北は手つかずの自然が残されるまさに秘境であり、宇登呂はその秘境の手前に位置する集落である。
知床半島の付け根あたりから半島の海岸線を走る道に入りしばらく進むと、
「ちょっと待って、そこで止まっていただけませんか」
あと5、6キロで宇登呂に入るというところでホンタさんが車を止める。近くに滝があり駐車スペースがある。
「すみません、ちょっと降ります」
「親分、観光はあとにしませんか」
ブンタが呆れてそういい、あとについていく。ギンレイと呼ばれるタクシーの運転手は「何かありましたか?」と運転席から降りてついてくる。
滝の方から強いオーラを感じる。道路の下をくぐって海に流れ込む川の流れがある。海のほうは真っ白な流氷の世界、山のほうは、落差が2、30メートルはあろうかという美しい滝であり、観光客がぱらぱらと見える。滝のほうにそろりそろりとホンタが近づき、やがて硬直して動かなくなった。ギンレイも、ホンタのすぐ後ろでブンタも、硬直した。
(な、な、な、な、な、なんだあれは・・・)
巨大なヒグマだった。生身ではない、精霊のようだ。普通の人間には見えていない。ヒグマはホンタやブンタに気が付いてはいるが気にはならないようだ。滝からくる水の流れを見ているようだった。やがてヒグマはゆっくりと山の奥へ入って行く。
見たことも感じたこともないすさまじいパワーを持った精霊だった。クマが見えなくなってもしばらくホンタもブンタも動けなかった。まわりの人間達は硬直して動かない三人を、景色に感動している人達、くらいのの目で見ながら普通に往来している。
車を動かし、ギンレイが深呼吸をしてから説明してくれた。
「あれはこの知床の主みたいなクマで、みな大魔熊と呼んでいます。私も久しぶりに見ました」
と、ギンレイは少し声が震えている。
「悪気は感じなかった。このあたりの守り神ですか?」ホンタが務めて冷静を装い問うと、
「いえ、いえ、敵にも味方にもなりません。誰にも組みしません。カラスやオオイタドリと同じですよ」
という。「北海道ではカラスや大きいトリは中立なのか」と、ふと思ったが、そのあとは3人無言となる。あまりにもインパクトの強いモノに出くわし、頭の中がしびれている感じだ。思い出すたび身震いする。ブンタはまだ細かく震えている。
ホテルに着いた。ギンレイがホテル入口まで二人を案内すると、中からホテルのハッピを来た男性が出てきて、
「ようこそ北海道へ。私はこのホテルの支配人でハクレイと申します。さあ、どうぞこちらへ」
人間の姿をしているがハクレイもキツネの精霊であろうと二人は見抜いた。ハクレイに案内され、ホンタ、ブンタは畳が敷かれた大広間へと入る。座布団が用意され、そこに坐ると
「少しお待ちください」と、ハクレイは広間から出ていく。
ホンタ、ブンタはでんぐり返って本土タヌキの姿になり、座布団に正座した。人間であれば4~50人は座れそうな畳の大広間である。正面の床の間には羽を広げた見事なフクロウのはく製が飾られている。
「あれはシマフクロウだな」ホンタがつぶやく。
シマフクロウは羽を広げると両翼の長さが2メートル近くにもなる国内最大のフクロウであり、国の天然記念物にも指定されているはずだが、こんなホテルの一室に飾られているところを見ると、このホテルの主はよほどの実力者であり、また、この宇登呂の町にも相当の精霊が人間の生活に溶け込んでいるのだろうとみる。
どやどやと人が来る気配がし、広間は、
「え、えっ、え、っ」
と驚く光景となる。クマ、シカ、キツネ、リス、オコジョ、大鷲、トビ、と、あらゆる動物が動員されたのか、ホンタ、ブンタをはさんで両脇をずらりと固めた。
間もなく座敷の正面にさきほどのハクレイがやってくる。頭の上に葉っぱを乗せたかと思うと、ドロンと真っ白なキツネに変わり座布団に座ってホンタ、ブンタと向き合った。キタキツネだろうか。強い魔力を感じる。北海道のキツネは赤毛のはずだがカムイの称号を得たキツネは白いのかもしれない。ホテルの支配人らしい丁寧な物腰だ。
「改めまして私はキタキツネでハクレイと申します。この町では人間として生活をしておりますが、時折こうしてカムイと呼ばれる精霊たちを集めて、知床周辺の治安を守るための話し合いをする場を設けております。海ではトビが失礼なことをして申し訳ありませんでした」
ハクレイがトビを見る。トビのカムイはすまなそうな顔をし、
「さきほどは失礼しました。あまりにおいしそうだったらしく」
誰も笑わない。北海道では精霊の世界でも食物連鎖のようなものがあって、当たり前のことだから笑わないのかと思ったが、そうではなかった。この場の集まりにそれぞれ緊張しているのだ。
「私こそ失礼しました」と、ホンタがトビを見、ハクレイの方を向いて、
「私は東京におりますタヌキでホンタと申します。こちらは連れのブンタです。今日は是非、皆様からお教えを乞いたく参りました」
「教えとは?」ハクレイが問う。
「はい、実は」
ホンタは奇妙な夢を見た、という話をした。ただし「ある北海道に住む動物が」とし、具体的にどこに住んでいるどんな動物までかは言わず、その動物が人間同士の争いにまきこまれたことと、同時に自分も同じ夢を見た、ということのみを告げた。
「同時に同じ夢を見たということはどうしてわかりますか」
横に坐っていたマムシが首を伸ばして問うと、
「そう感じました。当事者が悩む姿が思い浮かびました」
「会ったこともないのに?」マムシの横に坐るエゾシマリスが尋ねる。
ホンタは、
「そうです。会いに行けば私だと彼らは気づくでしょう。その夢は起こりうる未来だと思います」
ハクレイが問う。
「我々に教えて欲しいこととはどのようなことですか?」
「白月界という言葉が夢に出てきました。私には初耳ですが何のことかおわかりであれば教えていただきたい」
みな顔を見合わせ、何のことかという顔をする。重ねてホンタが
「白月と黒月が入れ替わる」
これには少し皆もざわついた。白月界を「日月火」と誤って聞いたものが多数いたようで、
「ああ、月の満ち欠けのほうですね」とクマゲラが聞く。
「そう、月の満ち欠けは私達タヌキにとって重要な関心事です。何か大事が起きる予兆がないか、また、白月と黒月に関して何等かご存じのことがないか、お聞きしたいと思い、ここまでやってきた次第です」
ホンタが身を乗り出して左右の精霊の顔を見、
「どなたか心当たりのある方はおりませんか?」
全体がざわつくなか、正面のハクレイが明らかに顔色を変え、苦渋の表情を見せている。ホンタの視線に気が付いたハクレイが何か言いかけたとき、
「それは興味深い話ですね」
はく製のシマフクロウが突然動きだした。眼光鋭く、ホンタを見つめる。
「やはり」ホンタがシマフクロウをじっと見つめる。
会場ではく製が精霊であることを見抜いていたのはホンタだけだったようだ。
「シーマ!」「シーマだ」「あの方がシーマ!?」
どうやら登場するのは稀のようだ。みな珍しそうに見ている。
「あんなかっこうして肩がこったでしょうね」
横でささやくブンタを「こら」とホンタが制する。シマフクロウが、
「私はシーマと申します。はく製のふりをして話を聞くような失礼なことをして申し訳ありませんでした」
床の間からおりたシーマが深々と頭を下げた。ハクレイが立ち座布団をシーマに譲った。シーマは座布団の上に二本足で立ちこう言った。
「私達の中にも月にまつわる言い伝えがいくつもあります。白月は天を表し、白月界は天界を表すような昔話があります。他に白月を精霊や幽霊に、黒月を人間に例える話もあります。ご覧になった夢は精霊が人間の姿に変えられ戦争の道具にされる、そういうものだったのではありませんか?」
ホンタは深くうなずいた。おおむねその通りであった。シーマという精霊はすさまじいパワーを秘めている。自分以上の強さかもしれないとも思った。鳥でありながら重々しく、荘厳なオーラをまとっている。
両脇に集まっている動物の姿をした精霊達の空気が変わった。みなうつむいている。人間の争いに精霊が巻き込まれる、それはありうることであり、過去にそのような大きな争いがこの北海道で起きたことを皆知っているからだ。
少しの間シーマは無言で目をつぶり考えていた。事は一刻を争うことなのか、それとも多少の時間的な猶予があるものなのか。精霊のチカラだけではよこしまな人間達には勝てぬ。ただし人間に対抗できる新しいパワーを見い出すにはなお時間がかかるのだ。
シーマは知床の奥地で、じっと自身のエネルギーを蓄えながら世界を見つめていた。時折垣間見る自分達にも解明できない強いパワーの源を探っていた。
あの大戦で命からがらあの泥沼から抜け出せたのはその説明のつかない目に見えないパワーのお陰だった。それが月の満ち欠けなのか、大地のエネルギーなのか、星々から降り注ぐものなのか。未だ見つけ出せずにいる。教えを乞いたいのはシーマも同様だった。おそらくホンタもそれを知りたがっているのだとシーマは見抜いていた。
ホンタが口を開いた。
「シーマ、あなたが求めているものと私が求めているものは違うかもしれない。私は人間の争いには興味がない。ただ、夢に出てくるタヌキの子供達を救いたいだけなのです。その手がかりをご教授いただけないでしょうか」
シーマは自分の考えをホンタが見ぬいていると悟った。少し考え、シーマはこうホンタに持ちかけた。
「ホンタさんには私の思っていることが御見通しのようだ。私は人間に抗うためのパワーを求めてきた。それはその子供達を救うことにも役立てることができるかもしれない。すまぬがあなたの見た夢を私にも見せていただけないものか」
ホンタは迷った。同じタヌキとしてあの家族には平穏な暮らしを続け、あのタヌキ達には幸せを手にしてほしいと思っていた。この知床の猛者たちにその存在を知られ、利用されるようなことがあってはならない。ただ、このシーマという精霊はよこしまな人間のような考えは持たない。何等かの答えを導き出してくれるかもしれない。
「わかりました」
ホンタはシーマを信用することにした。両脇の動物たちは席を立ち、広い座敷にはシーマとハクレイ、ホンタとブンタのみとなった。
シーマとホンタが近寄り頭と頭を密着させた。あたりの空気が歪み、ホンタの頭からシーマへ、夢の記憶が映し出された。シーマの両目から涙がこぼれた。
ホンタとブンタにはホテルの最上階にあるロイヤルスイートルームが用意され、ホンタとブンタは知床の温泉や料理を満喫した。
「せっかく来たのだから」と、阿寒や摩周湖など近隣の観光地をめぐり、各地の雪まつりを見てまわった。札幌にも寄ったが義明や春美とは接触しないこととした。シーマとの取り決めであった。シーマも義明や春美、5匹のタヌキ達の生活には直接干渉しない。あの夢を見たシーマとホンタは義明と春美が5匹のタヌキを守るための決心をすでに固めていることを確信していた。5匹は自分達のチカラで幸せをつかむことができるであろうことを信じることにした。
白月界の意味するところはわからないが、仮に白月が精霊、黒月が人間であり、その両者が交わる世界が白月界であるとしたなら、そこがよこしまな心で汚染されないように守ることができるパワーが必要だ。それを探し出すことができるかどうか。知床のシーマはパワーを蓄え、次の戦いに備えながら、その新しいパワーを見つけようとしている。
しばらくは待つしかない。なりゆきを見守りながらタヌキ達の成長を信じて待つしかない、そうホンタは思った。シーマも同じ考えだ。
北海道の冬を満喫したホンタとブンタは千歳空港から羽田行きの飛行機に乗り込んだ。窓から北海道の景色を見つめ、
「ビオトープ、か」
そうつぶやいた。知床は動植物の宝庫であった。その秘境においても魔物が出入りするようになっているという。結局のところ夢の謎は解けないままであった。ただし、世界がひっくり返るほどの大きな出来事がこの先訪れるかもしれないということを自分だけではなく北海道の主も想像していて、それに備える術は見つかっていないが、それを見つけるための同志ができたことは収穫であったと、ホンタは思っていた。
知床を後にしようという日の朝、ホテルでキツネの産声を聞いた。ホンタがハクレイの寝泊まりしている部屋に案内されると、ベビーベットに白いキツネ二匹が寝ていた。
「この子達・・・」
うっすらとだが魔力を感じた。強い魔力を秘めているかもしれないと感じた。
いつ表面化するかわからない危機は少しずつ忍び寄ってきているかもしれない。ただ新しい希望はいつもどこかで生まれているのだと思った。
未来は変わります。動かなければ何も変わりませ
ん。ホンタさんの早めの行動は未来を変える
大きな一歩だったのかもしれません。
楽しかったお正月が終って厳冬期の北海道。タヌキ達は冬休みということでしばらくお寺にも行かず、家の中では習字や塗り絵やゲームなどをして過ごしたが、家の中にこもってばかりもいられないと、春美はタヌキ達を連れ出して札幌の雪まつりを見に行くことにした。
「寒いかもしれないから、みんな帽子をかぶってね。マフラーもだよ」
クリスマスでもらった手編みの帽子をみなで嬉しそうにかぶる。手稲山に行ったときに春美からもらったマフラーも首から落ちないようにまきつける。
夕方前に家を出て昼間の雪像とライトアップされた夜の雪像の両方を見に行く。迷子にならないよう、春美は長めのマフラーを腰の下まで垂らし、それをエゾtが持ち、エゾt、エゾリン、タヌリン、ポン、タヌタヌが手をつないで歩いた。
大きな雪像にタヌキ達は歓声をあげた。
「えぞりんえぞりんえぞりん」どうやってあんな大きいの作るんだろうね。
みな感心して見入っている。
市民が作ったという小さい雪像も数あり見応えがある。アニメのキャラクターやスポーツ選手、社会を風刺したようなものもあり、ひとつひとつの力作を丁寧に見た。
食べ物を売る屋台も多数出ていて、春美が、
「何かあったかいもの飲もうか」と言うと、皆で甘酒を売るテントを指さす。
「甘酒飲んでみたい?」
甘酒のような熱いものは初めて飲ませる。タヌキはネコ舌ではないのだろうか、と思いつつ、甘酒を6杯もとめ、テントの後ろのほうで人目につかないようそれぞれにコップを渡した。悪タヌキもきていると思ったらやっぱり出てきた。
「ふーふーいってさまして飲んでね」
悪タヌキが雪を舐めっている。「わるわるわるわる」あっちっちっ、
あわてて飲んで舌をやけどしたようだ。5匹がふーふー言いながら甘酒を味わっていると、
「たぬたぬたぬたぬたぬ」あの人見たことある気がする。
タヌタヌがコンソメスープを売っているテントの店員に「もっといっぱい入れてよ」とでも言っているのか、店員に詰め寄る男性を指さした。タヌキ5匹がじっと見つめている。
「えっ、どの人?」
春美がタヌタヌがさしている方を見るが、たくさんの人の波にさえぎられてよく見えない。そのうち雑踏にまぎれたのか、タヌタヌも見失ったようだが、タヌタヌ含め、みな雪像を見ながら熱くて甘い甘酒を飲むことに集中した。
ホンタさんの魔力が強烈であったため、ホンタさんが現れてもその人が夢に出てきた本土タヌキだとはタヌキ達も春美も夢にも思わないだろう。また、あまりに見事な変身ぶりなため、タヌタヌもそれが人間ではなくタヌキである、などとは夢にも思わなかった。
雪像や会場をいろどるイルミネーションには企業のスポンサーがついていることがある。どこかの会社がスポンサーについた大きな雪だるまに観光客が順番待ちをして記念写真を取っている。イルミネーションで飾り付けがされている。春美が、
「ここで写真撮ろうか」というが、タヌキ達はあまり乗り気ではないようだ。
雪だるまのそばの受付場に立つスーツにコートをはおった男性を見ていたエゾリンが、「えぞりんえぞりんえぞりん」なんかあの人感じ悪い、と言う。
「えー、そうなの、じゃあ違うところね」
春美がそう言ってその場を離れた。タヌキ達がトコトコついてくる。列に並びかけて並ぶのをやめた春美をその男はじっと見つめていた。
こんなにたくさんの人波にのまれて歩くことはタヌキ達にとっては初めてのことだ。外国人もいる、子供もいる、杖をついたお年寄りもいる。「あの人感じ悪い」などとエゾリンが言うこと自体珍しいが、これだけ大勢の人がいれば、純粋なタヌキ達の目にはひとりふたりは怪しく映る人もいるのだろう。
記念写真は信楽焼き風のタヌキの雪像の前で撮った。タヌキは縁起物だから、とみな喜んでいた。
歩き疲れたのか5匹全員が春美のマフラーにつかまって歩いた。来るときは初めて乗るバスや地下鉄に大はしゃぎだったタヌキ達だが、帰りはタクシーを使うことにした。地下鉄は大人1枚、子供6枚の切符を買い、改札口を抜けるのに少し戸惑った。バスは申し訳ないが大人1人分の運賃で乗せていただいた。タヌキ達は恐縮して席に立たず立ったままだった。
タクシーに乗るのもタヌキ達は初めてだった。
「いち、に、さん、し、ご、ろく、よしいるね」と声に出して数えてタクシーに乗りこむ。運転手さんが、
「あのう、おひとりですよね」と確認し、
「あ、そうです、人間ひとりです」
と答え、もう一度、車内を見て全タヌキが乗っていることを確認した。
タヌキ達はほっとした様子だった。外の街並みや街灯りを楽しんでいる様子だった。
春美もタヌキ達も人ごみが恐かった。年末の買い物で迷子になったことを思い出していた。バスや地下鉄は初めての体験でおもしろかったが、迷子になることが恐かった。タヌキ達はそれぞれ春美のマフラーを握り締め、タクシーの窓に流れる街の人や建物をひとつひとつ確認するように見つめながら、家に無事につくことを祈るようだった。
タクシーが家の前につくと春美が代金を払い終えるまでそのままシートに居て、春美がタクシーを降りると同時にタヌキ達もタクシーの外に出る。春美が
「いち、に、さん、し、ご、ろく、よしいるね」と声に出して数え、
タヌキ達にマフラーを握らせたまま家の中に入った。
「今日は豆まきするよー」
また何が始まるんだろう、とタヌキ達が目を輝かせる。
「でも義明が帰ってきてからね」
家主がいないときにマメをまくと家主が鬼になって帰ってくる、などという迷信を春美は信じている。鬼の役を誰にしようかと考えるが、悪タヌキが涙目になっている。もちろん春美は悪タヌキを鬼役にしようとは思わない。
「この家には鬼はいません。だから鬼ヌキで福は内のマメ撒きをしようね」
そう言ってマメを買ったときについてきたオニのお面はゴミ箱へ捨てた。
「えぞりんえぞりんえぞりん」鬼さん可哀そうだよ、そうエゾリンが言う。
えぞりんはゴミ箱から鬼のお面を取り出し、
「えぞりんえぞりんえぞりん」えぞりんが鬼の役するね、と言った。
鬼にも良い鬼がいるのだ。春美は昔話の赤鬼、青鬼の話を思い出して、タヌキ達に語った。
「たぬりんたぬりんたぬりん」それじゃあみんなで鬼の役やろう、とタヌリンが言い出し、みんながそれに賛成した。
春美は塗り絵用の画用紙を持ってきて、タヌキサイズのお面の枠を書き込み、タヌキがお面をしたときにちょうどよい目の位置に穴をあけ、その白紙の紙をそれぞれに渡して、
「これに鬼のお顔を書いてください」と言った。
めいめいのイメージで鬼の顔を書いていく。モノに触れるようになってから、習字、塗り絵は何度もタヌキ達にやらせていた。正月には書初め大会を盛大に行い、昨年からレベルアップした出来栄えに喜んだ。ただ、書き終えたあとはスウッと消えてしまう。塗り絵のクレヨンや色鉛筆も、水彩画の絵の具も、確かに消耗はするのだが、作品はというと、リアルには残らない。写真を撮っても撮影のときはタヌキ達が写って見えても、アルバムや壁に貼りだすと消えている。大晦日で悪タヌキがつけたのし餅の足跡も翌日には消えていた。ただ、義明や春美、タヌキ達が手に取ると作品も写真ものし餅の足跡もリアルによみがえる。
塗り絵や習字に関しては以前はタヌキ達のパフォーマンスであったり、義明や春美の単なる空想の産物でしかなかったものであった。今はペンやクレヨンを実際に手に持って描いている。格段の進歩である。
「これ以上の進歩はあるのかな」
食べ物は確かに消化されるようになった。だから、習字やお絵かきや悪タヌキの壁へのいたずら書きなどもそのまま残ってくれたらと思う。年賀状やクリスマスカードなど、手元に残るものは欲しかった。
鬼のお面ができあがってきた。エゾtは赤鬼。ツノは黄色く、ヒゲや頭髪もよくかけている。エゾリンはピンク色の鬼。かわいらしくお花をほっぺに描いている。タヌリンは青鬼。口のキバがバランスよく描けている。ポンは宇宙人のような顔にしたようだ。目がきらりと光っている感じ。ポンは芸術家肌だ。タヌタヌは鳥をイメージしたようだ。目つきが鋭く猛禽類のような口をしている。悪タヌキは意外にもおとなしい。優しい顔つきの鬼だ。目が垂れている。
「そうか、ワルちゃんは鬼に同情的なのかな」ふとそんなことを思う。鬼だって正義のヒーローになりたい時があるのかもしれない。ワルちゃんもそうなのだ。時々悪タヌキのことが可愛く見える。彼は5人兄弟の一員のようでそうではない。だがこの頃は以前と違って、季節の行事の時以外にもよく顔を見せてくれるようになった。我が家の一員であることは誰もが認めているのだ。
「ワルちゃんもよく描けたね。できたの?」
春美はそれぞれの作品を手に取り、穴を二か所あけて輪ゴムを通し、お面としてタヌキ達の顔にフィットするように調整した。悪タヌキのお面を手にしてふと裏側を見ると「おに はるみ」と書かれている。
「こらっ!」
義明が帰ってきた。夕食は恵方巻きと焼き魚のイワシだ。恵方巻きは恵方を向いて無言で食べると新しい年を健康で過ごせるという。節分は旧暦でいえば大晦日で翌日は立春であり、お正月である。タヌキと家族のように暮らせるようになり、幸せを感じるようになった反面、不安がよぎるこのごろであった。以前の義明と春美はどちらかというと恵方巻きはゆっくり味わって食べたいほうであったが、今年は幸せであるが故の慎重さであろうか、世間並に幸運を招く行事を行うことにした。
みなで今年の恵方と言われる方角を向き無言で海苔巻をいただく。海苔巻は春美の手作りであるが、食べやすいよう細め短めに、具は玉子焼きだけにした。もくもくとほうばる2人と5匹。悪タヌキが先に食べ終え、面白い顔をして皆を笑わせようとしている。笑いをこらえながら、吹き出しそうになりながらようやく食べ終わると「シーシーシーシーシー」「こらあああっ」5匹は悪タヌキに文句を言い、春美が大声を上げたが、そのあとは大笑いになった。
イワシも厄除けになるという。骨のある焼き魚はタヌキ達にとっては初めてであったが、みな器用に骨をよけて食べ、見事に身を残すことなく骨だけにした。
「みんなお魚食べるの上手だね」
義明と春美がてこずりながら、タヌキ達の皿を感心して見ている。春美の皿を見て悪タヌキが、
「わるわるわるわるわる」下手くそだなあ、といい、春美がげんこつをはるポーズをするかと思って身構えているが、春美は真剣に魚と向き合っていた。
タヌキ達は命を大事にする。夏の間、庭で植物を大切に扱っている姿を見て感心した。魚をきれいに食べるのも命を粗末にしない姿勢だと思った。だから春美も義明も、真剣に魚に向き合っていた。
それに節分の日に悪ダヌキにげんこつをはりたくなかった。悪タヌキがあの時のように魔物になるようなことがあってはならない。あの時、悪タヌキが魔物に同化されたのは自分達の責任のように思っていたのだ。ある意味、節分の今日は悪タヌキが主役のようにさえ思えていた。
食事が終わると豆まきだ。みな鬼の面をつけた。義明が感心して見ている。春美が、
「今日はうちには鬼さんはいないからね、みんなで福は内しよう」そう言って、マメをみなに持たせる。義明の掛け声、「せいのーで」
「福はー内」「だだだたぬうき」「えぞりんえぞりん」「たぬりんたぬりん」「ぽんぽんぽこぽこ」「たぬたぬたぬたぬ」
一斉にマメをまいた。
まいたマメは拾って食べる。まいて拾ったマメは福豆と言われ、縁起がいいと言われている。
北海道では豆まきは主に落花生を使う。食する部分はカラに覆われているから清潔であり、食べ物を無駄にすることもなく合理的なのだ。タヌキ達は器用に殻を割り、中身のマメを食べた。犬科のタヌキであるがこのタヌキ達は春美や義明が食べるものは何でも食べてくれる。
豆まきが終ると暦の上では立春、春を迎える。札幌は雪まつりが終ると春がもうすぐそこ、という目安とされる。寒さも少しずつ和らいでくる。雪解けが少しずつ進み、やがて来る春の喜びは北国ならではである。春の訪れがタヌキ達の中にわだかまる不安を雪解けと一緒にかき消すものになればよいのだが、と義明や春美は心に願う。
だが、義明は差し迫る危機を回避するために悲壮な決意をかためていた。
*
やがてタヌキの前から姿を消そうとする人間達。そして深まる謎。世界中をまきこんだ戦争は起きるのか?
タヌキ達のチカラが試されるときがきました。タヌキ達はこの困難をどう乗り切ることができるのでしょうか。