嗤う5
仕立ての良い店員を先頭に、商人の飼い犬を連れて進む。周りの子飼いは、子供が逃げ出さないかの見張りをしているらしい。
強面が目を光らせている中、子供達は脅えながらも前へと歩む。
珍しい品々が飾ってあるというのにびくびくと怯え、眺める余裕もなく誘導されるがまま従っていた。
勇者も鑑賞はほどほどに、先行く子供達に倣う。
そして、地下へと続く階段に足を踏み入れた。その瞬間、鼻をつまんだ。
不臭がすごい。僅かに血の匂いもする。
「ねえ、ここ。ゴミみたいな匂いしない? もしかして、ゴミ溜めなの?」
「……口を閉じろ」
周りを囲む男の一人が、口数少なく注意する。勇者は構わずに鼻をつまみながら、手で匂いが来ないように扇ぐ。
「えー、だってくさいじゃん」
手で扇いだところで変化はないのだが、人間らしく残った部分が気分的にやってしまう。
「……黙れっつってんだろッ」
荒々しい言葉を吐く男は話相手にもなってくれない。
「つれないなあ。まあ、いっか」
はあ、と肩を落とす勇者。楽しみに奴隷というものに身を置きに来たものの、わざわざ臭い所へ飛び込む理由はない。
だが、勇者は深く考えることを止めた。流れに任せるのも一興と、子供達の遅い足並みに揃え、黙々と下へと降りることにした。
階段がやっと終わると風景が一変する。
一階は過度な装飾品で埋め尽くされ、貴族が入っても違和感がないのに対し、地下のここは死刑囚が押し込まれるような部屋だ。
檻、檻、檻。見渡す限り鉄製の檻に囲まれており、そこに閉じ込められているのは子供達だけ。
年端もいかない子供に、成人を向かえていないような歳若い少年少女。
ただ、勇者が見詰めるのは一点のみだ。
――そこに、魔族がいた。
「ねえ、なんで? どうしてここに魔族がいるの? 不臭の匂い……こいつらかよ」
勇者の瞳が鋭くなった。視線は周りを排除し、許されざるモノだけを注視する。
子飼いの男達は勇者の豹変した表情に気付かない。
「あァ、魔族? 変なこと言ってねえでとっとと入れや」
勇者はそこで子飼いの言動に違和感を覚える。幾らなんでも呑気すぎる。
魔族とは人族がもっとも忌み嫌う生物だ。
檻に囲まれ、他の子供と同じく脅える魔族は人族と変わらない容姿であったが、その魔力は隠すことができていない。
いくら子飼いがポンコツでも、魔族は人族にとって恐怖の象徴。気付かないなんて、そんなことはあり得ない。
魔族が人族のように恐怖する姿は滑稽だったのだが――。
「おい、ガキ。入れって言ってんだろうが」
背中を押されて魔族を凝視していた視線は外れる。檻に入れられる勇者から纏う歪なものが薄れた。
奴隷となった少年少女が入れられたのは檻。ここに居るのは全員が商品。
勇者もそれに加わった。
檻へ入れられた勇者は、向かい側にある檻に視線を送る。
監禁されている魔族。
少しの音で体を縮こませ、仲間同士で集まり身を守る。
このような場に閉じ込められて萎縮している姿。
その動き、仕草がまるで人のようだ。勇者はそう思った。
「……ああ、臭い臭い臭い。ダメだ、やっぱり。鼻がもがれる」
「……臭いって言うけど、奴隷を管理するところはこんなもんだよ。ボクはクロスティ、君は?」
話しかけられた勇者は右後ろを振り向く。金髪の人族だ。
やつれている頬は痩せこけており、体格も細い。身長は勇者よりほんの少し高いぐらいか。幼さをが残る柔和な笑みからして、勇者と同じぐらいの歳だろう。
金色の長い髪の毛は目元を隠し、毛が揺れる隙間からは透き通る青の瞳が覗いている。
「……名前を聞いてるってこと?」
「うん」
頷くクロスティに勇者は人差し指をこめかみに当てた。耳付近が痛いわけじゃない。頑張って思い出しているのだ。
「名前、名前ねえ。……何だったかしら。あ、わたしは勇者よ」
名前を思い出せなかった。そもそも名前なんてあったかというぐらいに、記憶の彼方へ忘却してしまっていた。
ずっと一人でさ迷っていた影響か、人を判別する記号は特に必要なかったのだ。
人と関わり合っていた頃も皆が小さな勇者を勇者様と呼び、救世主たる少女を対等には扱わない。気安く声を掛ける存在はいなかった。
それでも、勇者は誇らしげに胸を張った。名前なんていらない。そう、わたしは勇者なのだからと。
平らな胸を張り、勇者は偉そうにクロスティの反応を待った。
「ユウシャ? 変な名前だね」
まさか人族の英雄たる勇者と伝わらず、名前だと勘違いした子供にがっくりと首を落とす。
やれやれ、子供には勇者の威光が分からないのかしら。そう肩をすくめ、勇者は訂正する。
「名前じゃなくて称号よ。お伽噺とか吟遊詩人が歌ってたりで、耳にしたことはあるでしょう。その勇者がわたしよ」
「へー、凄いんだね。で、ユウシャはどうしてここに?」
「ユウシャじゃないっての。まあ、勇者なんだけどね。ここには、起きたら連行されてたわ。どうしてでしょうね」
「うん? よく分からないけど、ボク達が売られる間だけでも仲良くしようね」
「そうね、仲良くするのは良いことだわ。――でも、その前に掃除をしないと」
「掃除? しても意味ないよ。ここじゃ、これが当たり前なんだ。ほら、この床も汚くて、ここも錆び付いてる」
「わたしはそんなところ掃除しないわ。匂いの元凶よ。みんなここに入れられて病んでるし、麻痺してるんでしょ?」
「匂いの原因?」
「ええ、魔族共。ちゃんと駆逐しないと――ね」
勇者は立ち上がる。勇者が目指すは、魔族を閉じ込めた檻。
向かい側の檻へ行くにも、自身が閉じ込められた檻が先を阻む。獣を飼っても壊れなさそうな頑丈さだ。
馬の足よりも太い鉄格子、檻の外へ出ることは普通は出来ない。
大人達でも曲げられない固さ。奴隷の少年少女では非力過ぎて曲げることは叶わず。
いっそ小柄な体を利用して、格子の間をすり抜けたほうが得策だろう。どこを見ても均一の幅で、通れる隙間はないが。
脱出不可能な檻の中で、勇者は身体強化を施した。
格子を握る。鉄に指が食い込む。
ミシリ――歪な音が鳴った。格子が簡単にねじ曲がり、人が通れる隙間が生まれる。
「は――?」
奴隷達が唖然としているところで、茫然自失なクロスティの声が皆の心を代弁した。
勇者は周りの視線を受け流し、実行する。
変な歌を歌いながら。
「おっ掃除、おっ掃除、くっさい魔族をぶっ殺しい、くっさいゴミを処理っとー。わたしは勇者、わたしが勇者ー。根絶やしにすーるー」
魔族の子供を囲っている檻は、勇者によって開けられる。余剰な強さで捻られた格子は外れ、邪魔だと放り投げる勇者。
「ひっ……!」
魔族の少女は勇者を正面から見て、泣きそうな顔で後ずさった。周りに居た魔族の子供も、次々と後ろへ後退する。
悪鬼が、目の前にいる――。
勇者の顔は嗤っていた。張りついたものは狂気のみ。