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優しくて優秀で理想的なわたしのママ

 わたしはママが自慢だった。

 仕事もできて家事もこなし、とても綺麗で、そしてわたしのことを愛してくれている。だから、ママとパパが離婚すると聞いた時、わたしは迷わずに「ママと一緒にいく」と応えたのだ。

 パパには悪いけど、パパじゃ少し頼りない。家事も下手だし、仕事だってそんなにできないし。その点ママなら、何でも任せられるから安心だ。

 もちろん、何でもかんでもママに頼るつもりはなかった。わたしだってもう中学生になるのだもの。仕事が忙しいママの為に、家事くらい少しは手伝ってあげないと。

 それに、「自慢のママに相応しい自慢の娘にならなくちゃ」ともわたしは思っていた。

 だからわたしは、勉強もスポーツも懸命にがんばった。わたしが良い成績を出すと、ママはとても喜んでくれて、わたしにはそれが嬉しかった。

 パパには少ししか会えなくなってしまったけれど、それでもママといるだけでわたしは充分に仕合せだった。

 こんな日がずっと続くんだ。

 そう思っていた。

 

 ――だけど、違った。

 

 ある日、体育の授業中にわたしは倒れてしまった。軽い貧血だろうと保健の先生は言った。少し休めばすぐに治るだろう、と。ところがいつまで経ってもわたしの具合は良くはならなかった。病院で検査をすると、“白血病”だと言われた。

 「お薬で良くなるから、心配しないで良い」

 お医者さんはそう言った。その言葉にわたしは安心をした。ママに迷惑をかけてしまうのが嫌だったけど、ママは「気にしなくて良い」と言ってくれた。

 ママは、本当に優しい。

 わたしは感動した。

 ママの為にも、早く治さないと。

 そう思った。

 だけど、毎日お薬を飲んでも、わたしの具合は良くならなかった。ただ幸い酷くもならかったけど。原因は不明だそうだ。入院は断られてしまい、わたしの身体を心配したママは、病院の近くにアパートを借りて、直ぐにお医者さんに看てもらえるようにした。特別にお金を払って、病院にお願いをしたのだ。

 その頃、ママは仕事が上手くいったらしく、収入がとても増えたらしいのだ。「だから、お金のことは気にしなくて良いのよ」とママは言ってくれた。

 わたしはわたしの為にそこまでしてくれるママが嬉しかったしそんなにお金を稼げる凄いママが誇らしかった。

 ――ただ、

 病院の近くに引っ越した所為で、ママと毎日は会えなくなってしまった。ママが来られない時は、看護師さんが代わりにご飯とお薬を持って来てくれて、掃除や洗濯なんかもやってくれた。看護師さんは優しかったけど、やっぱりママが来てくれた方が嬉しかった。

 それに、家が離れてしまった所為で、友達も滅多に訪ねてくれなくなった。ママはわたしにVRゴーグル型のインターネット端末を買ってくれて、それでみんなと話せるようにはしてくれたけど、やっぱり実際に会ってお喋りができないと寂しいし、学校の授業の時間帯は、当り前だけど、誰も相手をしてくれない。みんなとの距離も少しずつ離れているように感じて、不安になった。

 わたしはその寂しさを紛らわせる為に、ネット上で相談ができる、フリーのセラピストを頼るようになった。

 ママにも看護師さんにも内緒だけど、多分、許可を取るような事じゃないから平気だと思う。

 正式なセラピストかどうかは知らないけど、少なくとも色々な人から、そのセラピストは信頼されているようだった。

 彼(多分、“男”だ)の声質は、少年のようだったしCGで少年の姿を演出してもいたけど、声はボイスチェンジャーで変えてあるのだろうし、CGなんてそれこそなんとでもなるから、きっと大人だ。話し方は妙に達観したような雰囲気があって、みんなからは“祭主”なんて呼ばれていた。名前の由来は分からない。

 

 『……考えようじゃないかな?』

 

 と、その祭主さんはわたしの相談を聞くと言った。

 「考えよう?」

 『そう。考えよう。君は確かに同年代のリアルな友達とは遊べなくなったし、一緒に勉強もできなくなった。

 けれど、その代わり、その時間を利用してネットを通して色々な体験ができるようになった。例えば、今こうしてボクと話せている。この出会いは貴重じゃないかと思うんだ。君は新たに手に入れたその出会いや体験を大事にすれば良い』

 わたしはそれを聞いて気休めだと思った。病気なんかにならず、友達のみんなと遊べている方がずっと楽しいし有意義に決まっている。

 けれど、気休めだとしても、その気休めを受け入れようとわたしは思った。

 いじけたままでいるよりは、前向きに捉えた方が良いと思ったんだ。それに、ママもわたしがいじけていたら、きっと嫌な思いをするだろう。

 だからわたしは、その忠告通りに、前向きでいこうと決めたのだった。

 

 そんなある日、ママはロボットを買って来てくれた。

 メイドのような姿をした家事手伝い用のヒューマノイドで、とても高価だ。背は低めだけど、その方が威圧感がなくて可愛い。わたしはママがわたしの為にそんなものまで買ってくれた事が嬉しかった。

 「これからは、このロボットが色々とお世話をしてくれるわ。遊び相手にもなってくれるから、退屈しなくても良いようになるわよ」

 ママはそう説明してくれた。

 もちろん、わたしはそれにとても喜んだ。

 「ありがとう、ママ!」

 わたしが喜ぶのを見て、ママはとても満足そうにしていた。ママのその顔に、わたしはとても安心をした。

 

 ああ、やっぱりわたしはママに愛されている!

 

 わたしはそのメイドロボットに“ユア”という名前をつけた。AIで動くから“アイ”としようかと思ったのだけど、それじゃ安直に過ぎるから、“アイ”から“I”で、“YOU”を連想して、“ユア”。“あなたの為に尽くす存在”という意味も込めている。とってもシンプルな名前だけど、わたしは可愛くて気に入っている。

 ユアは、わたしの為に色々なことをしてくれた。掃除や洗濯だけじゃない。わたしの好みから、わたしがまだ食べたことがないけど、わたしが好きそうなお菓子を選んでくれたり、わたしが好きそうなゲームを一緒にやってくれたり、しばらく怠けていたわたしに勉強を教えてくれたり。

 

 「お嬢様、今日はリンゴのクリームケーキを作ってみました」

 わたしが暇そうにしていると、可愛らしいメイド風の衣装に身を包んだユアが、美味しそうなお菓子をお盆の上に乗せてやって来る。

 「ありがとう、ユア」

 わたしはそう言うと、それを受け取って口に運ぶ。

 ほとんどベッドから動かないのにこんな甘い物を、これでは太ってしまう。そう思いつつもつい食べてしまう。ユアは病気のわたしでも食べやすい料理をよく知っているのだ。もっとも、多少は太った方が良いのかもしれない。その方がきっとママも安心する。

 わたしはユアのその優しさの向こうにママの優しさを感じていて、だから、わたしがケーキを食べ終えるのをじっと見守ってくれるユアが嬉しくて、なんだかハグをしてしまう。

 ユアの肌はとても柔らかい素材で作られているし、着ている服もフワフワなので、抱き心地がとても良いのだ。

 わたしがハグをすると、ユアもそんなわたしを抱きしめてくれる。

 ママの温もりだ。

 わたしはそれにそう思う。

 

 ユアは少女のような姿をしているけど、人間の世話用に作られているからか、なんとなく母性的な感じがする。

 いや、やっぱり、世話をしてくれているから、そう感じているだけなのかもしれない。

 ママは「“わたしの友達になれば”と思って」と言っていたけど、ユアが友達だとはわたしには思えなかった。

 友達でもないし母親でもない。召使いと呼ぶにはわたしはユアに頼りすぎているような気もする。

 一体、どんな存在として、ユアを受け入れれば良いのかわたしは迷っていた。

 

 『ふむ』

 

 と、祭主さんはわたしの相談を聞くと言った。

 『別に友達でなくても、母親でなくても構わないのじゃないかな? ユアはどんな風に君が接しても君を受け入れてくれるよ』

 祭主さんの言う事はよく分かった。ユアはロボットだ。人間であるわたしを“拒絶できる”ようにはつくられていない。けれど、わたしが言いたいのはそういう事じゃないんだ。

 「ユアがどう捉えるのかじゃなくて、これはわたしの問題なんです」

 それを聞くと、また祭主さんは『ふむ』と言った。

 『面白いね。ユアはロボットで、意思なんかないと君は思っている。だから、君を軽蔑も嫌いもしないはずだ。なのに、君はユアをどう受け入れるべきか悩んでいる。

 ――それは、何故だろう?』

 わたしはその祭主さんの言葉に少し困った。少し迷ってから、こう返す。

 「多分、ユアをどう受け入れるかで、わたし自身が影響を受けるからではないかと思います」

 ユアを召使いだと思って見下していたら、性格が悪くなってしまいそう。友達だと思ったら、コミュニケーションが面倒になって人間の友達が減ってしまいそう。そして、もしママだと思ってしまったなら……

 そこまでを考えて、わたしの胸は何故か少し痛んだ。

 祭主さんはそんなわたしに向けて言った。

 『そこまで分かっているのなら、後は君次第だと思うよ。どんなにユアを便利だと思っても、自分を見失わないように気を付けていれば良いんだ』

 わたしはそれに頷いた。

 ただ、頷いたのに、心の何処かではまったくそれに納得していなかった。何かが違っている。わたしはもっと別の他の何かに怯え、苛立っているように思えた。

 

 ユアを買ってからしばらく、ママは前よりも頻繁にわたしを訪ねてくれるようになった。わたしがユアを気に入っているのか心配していたのかもしれない。

 だけど、わたしがユアに満足していると分かると、ママはあまり来てくれなくなってしまった。

 ほぼ毎日来てくれていたのが三日に一回に、しばらくすると一週間に一回に。今は10日前に来たきり、顔を見せてくれてはいない。

 そこに至って、わたしは自分が何に怯えていたのかようやく理解できた。

 ユアの所為で、わたしはママに捨てられるかもしれないと怯えていたのだ。

 ユアの所為?

 いや、違う。

 ――わたしを捨てる為に、ママはユアを買ったんだ。

 ユアにわたしを任せておけば、自分が世話をしないで済む。だって、料理の材料を看護師さんに届けてもらえば、ママはずっと仕事の事だけを考えていれば良いのだもの。

 そう思うと、ママの愛情の証だったはずのユアの存在が、まったく逆の、無慈悲な人さらいのように思えた。そしてしばらくすると、わたしは怒りを覚え始めたのだ。

 そうか。

 ママには、わたしが邪魔だった。それならそれで良い。そんなにわたしがいらないのなら死んでやる。

 そう思った。

 自分でも幼稚だと思っていたけれど、どうにもならなかった。

 

 「――だから、ご飯なんかいらないって言っているでしょう!」

 

 ご飯を作って持って来てくれたユアの手をわたしはそう言って振り払った。ご飯は床に散らばって食器も割れた。

 「ですが、お嬢様……」

 そう言ってユアは首をキィと傾げた。床に散らばったご飯と食器の破片に目を向けただけだと思うけど、悲しんでいるようにわたしには思えた。

 “馬鹿馬鹿しい”

 思った後で、わたしはそう心の中で吐き捨てるようにそれを否定した。

 ユアはロボットだ。ロボットが悲しむはずがない。

 わたしがご飯を食べない理由は簡単だった。

 食べなければいずれ死ぬ。死んでやろう。ママがわたしをいらないと言うのなら。そんなつもりだったのだ。でも、本当はそんなつもりではなかった。

 ――分かっている。

 本当はこうして駄々をこねていれば、ママがやって来てくれると思っていたのだ、わたしは。自分がこんなに幼稚で弱いだなんて、わたしは思っていなかった。

 ユアは無言で散らばったご飯や食器の破片を片付けた。わたしを責めているはずがないとは知っていたけれど、いいや、知っていたからこそ、わたしは罪悪感を覚えた。

 片付け終えると、ユアはわたしの傍にやって来て深くお辞儀をし、「お嬢様が心配です」とだけ言った。とても優しい口調で。でも、それを嘘だとわたしは思った。ロボットに感情なんてあるはずがないのだから。

 

 これはわたしを懐柔させる為の機械的な活動に過ぎない。

 

 「――あっちへ行って!」

 

 わたしは気付くとユアに向けてそう怒鳴っていた。だけど、怒鳴った後で罪悪感を少し覚えた。ただその事にすらわたしは苛立っていた。

 こんな風に、人間を騙すようにプログラミングされている所為で、無機質な機械に罪悪感を覚えなくてはならない。そう思って苛立ったのだ。

 ユアなんかじゃなくて、ママが良い!

 ユアなんかに、ママの代わりが務まるはずないのだから。

 

 「大丈夫? 食欲がないの?」

 

 夜中。

 ユアを無視し続けていると、看護師さんがやって来た。どうやらわたしが食事を取らないとユアが連絡をしたらしい。看護師さんの前では、流石に幼稚な態度はできない。

 卑怯者!

 と、それでわたしはユアを睨みつけた。ただその後で、慌ててその考えを打ち消した。ユアはただ機械的に反応して看護師さんを呼んだだけだ。それ以上はない。

 「いえ、そういう訳じゃ……」

 わたしは看護師さんの顔を真っすぐに見られなかった。頬に熱を感じる。それからユアが運んできた料理を食べた。わたしの勘違いじゃなければ、料理を食べたわたしを見てユアは嬉しそうにしたように思えた。

 もっとも、それだって機械的な反応なのだろうけど。

 

 次の日、わたしはユアに向けて「もう看護師さんは呼ばないでよ」とそう言った。ユアは軽く揺れるような動作の後で、「しかし、それではお嬢様の体調が……」と返す。わたしはそれに苛立って、

 「そんなの良いから!」

 と、怒鳴った。

 ユアはまた揺れたように思えた。まるで悲しんでいるみたいに。もちろん、思い過ごしだと思うけど。

 やっぱりユアは食事を作って持って来た。わたしは「いらない」と言ってベッドの上で反対側を向いた。

 「しかし、それではお身体が……」

 ユアはわたしの背中越しからそう訴えて来た。わたしが何も応えないでいると、ユアが近付いて来るのが分かった。手を伸ばす気配がする。

 「うるさい!」

 わたしはその気配に反応して、跳ねのけるように手を振るった。思いっ切り。ユアの姿が見えなかった所為で、少しばかり力加減を間違えてしまった。わたしの手が当たったユアは転倒し、持って来た食事が床に散らばった。

 「あっ……」

 と、思わずわたしは声を上げてしまった。“ごめんなさい”と、口を開きかけてやめる。わたしが何も言わないでいると、ユアは緩慢な動作で起き上がって来た。

 「お怪我はありませんか?」

 そう言ったユアの顔面は、床にぶつかったのか、少しだけ凹んでいた。わたしはそれを見てショックに近い罪悪感を覚えた。今度は言葉が止まらなかった。

 「ごめん」

 わたしはそう謝ってしまっていた。ユアはそれに「それほど大きな損傷ではありません」と返した。

 わたしはその言葉に再び罪悪感を覚えた。そして、それと共にユアの優しさに感動を覚えてもいた。

 でも、同時に戸惑ってもいた。

 ロボットに、そもそも優しさなんてない。なのに、それに感動を覚えるだなんて……

 

 『何も不思議な話でもないだろう?』

 

 わたしが相談すると、祭主さんはそう言った。

 「不思議じゃない?」

 わたしには祭主さんのその言葉の意味が分からなかった。

 「でも、ユアはロボットで意思なんかないのに、わたしはユアには意思があるって感じてしまっているのですよ?」

 それを聞くと祭主さんは少し笑った。

 『ユアに意思があってもなくても、君が意思があると感じてしまったのなら同じなんだよ。君にとってはユアは意思を持った存在なんだ』

 わたしは祭主さんの説明に納得がいかなかった。

 「――でも、」

 ところがそう疑問の声を上げようとしているわたしの口を祭主さんは『知っているかい?』と封じて来る。

 『チューリング・テストと呼ばれる機械へのテストが存在する。これは簡単に言ってしまえば、機械とテキストベースで会話をして、人間と見分けが付かなかったら合格とするものだ。それで機械に知性があると判断する』

 わたしはそれに「それがどうかしたのですか?」と返した。

 祭主さんは構わずに続ける。

 『この話のポイントは、その人にとって相手が人間と見分けがつかなければ合格としている点さ。

 つまり、相手に意思があろうがなかろうが関係ないのだね。人間がそう感じてさえいれば、それが真実なんだ』

 ……つまり、だから、わたしにとってユアは意思がある、ということか。

 「でも、本当は意思なんて持っていないのですよね?」

 『さぁ? どうだろう? 敢えて言わなかったのだけどね。そもそも“意思”や“意識”といったものの正体を人間社会はまったく捉えられていないんだ。そして、ロボットは、現在、既に一部は自律的に進化している。

 なら、その進化の過程のどこかで“意思”や“意識”を手に入れているかもしれないじゃないか。少なくとも、もしそうなっていたとしても人間には判別が付かない』

 「それは……」とわたしは何かを言いかけて口を閉じる。そんなわたしに向けて、祭主さんは更に続けた。

 『それに、“証明できない”という点だったら人間だって同じだろう?』

 「え?」

 どういう意味だろう?

 わたしは何故か不気味な予感を覚えた。

 『人間だって、本当に意思を持っているのか、本当に意識を持っているのか、証明する事は不可能だ。もしかしたら、君以外の全ての人間には意思も意識もないのかもしれないじゃないか。君は“単なる反応”を受けて、それで相手に意思や意識があると妄想しているだけかもしれない……』

 それは、わたしが“本当は独りぼっち”という事だろうか?

 なんだか、とても怖い妄想だった。いや、妄想かどうかも分からないのだけど。

 『人間ですら本当に意思や意識があるのか分からないんだ。それなら、ロボットに意思や意識があると思ったって別に良いじゃないか。君はユアを意思ある存在として受け入れても良いのだよ』

 わたしはそれに何も応えなかった。ただ、祭主さんの言葉に納得していた訳じゃなかったのだけど……

 

 わたしはユアの作ってくれた料理を食べるようになっていた。

 わたしの所為で少しだけ凹んでしまったユアの顔を見ると、もう“ユアを困らせてやろう”なんて気にはなれなかったからだ。

 ユアを困らせる?

 違う。わたしが困らせたかったのはママのはずだ。わたしは何を考えているのだろう?

 わたしが料理を食べるとユアはとても嬉しそうにした。少なくともわたしにはそう思えた。

 「最近、食欲があるの。もしかしたら、病気が良くなってきているのかも」

 何かを誤魔化すようにわたしは言った。

 「それは良かったです。ただ、わたしには医療用の機能は付いていません。なので、お嬢様の体調を検査する事ができません。まだ警戒はしておこうと思います」

 とても優しい口調でユアはそう言った。その純粋なわたしを想う言葉に、わたしはなんだか意地を張っているのがバカバカしくなってしまった。

 「ユア。わたしを怒っていない?」

 凹んでしまった顔を見ながらわたしがそう尋ねると、ユアは「気にするような損傷ではありません」と応えた。

 凄い。

 と、わたしはそう思ってしまった。

 ――もしわたしだったなら、顔を傷つけられたら絶対に一生恨む。

 ただその後で、直ぐに“ユアはロボットなんだから、当たり前じゃないか”とそう思った。けれど、こうも思っていた。

 

 “とても優しくて、人の為に自分を犠牲にして尽くしてくれる。ロボットって、なんて美しいのだろう”

 

 そんな人間は多分いない。

 そして、そんな存在しないだろう人間は、“理想的な人間”の姿の一つでもある。人間は“理想的な人間”を追い求めてロボットを創った。ならば、もしかしたら、ロボットは…… ユアは…… “理想的な人間”そのものなのじゃないだろうか?

 

 「……ねぇ、ユア」

 

 ユアが作ってくれた料理を食べ終えると、わたしはそう話しかけた。

 「なんでしょう?」とそれにユア。

 「その…… ちょっと恥ずかしいのだけど、抱きしめてもらって良い?」

 相変わらず、ママは来てくれていない。多分、もう2週間以上は過ぎている。わたしは誰かの温もりに飢えていた。

 「はい。構いませんよ」

 ユアがそう言ったので、わたしはユアの胸に抱きついた。ユアはそんなわたしにハグをしてくれた。

 

 温かい……

 

 わたしはその温もりと柔らかさに確かな安心を覚えていた。まるでママが抱きしめてくれているみたい。

 

 ふふ。

 しあわせ。

 

 その後、食器を洗っているユアの後ろ姿を見ながらわたしは我に返った。

 何をやっているのだろう? まるでママに甘えるみたいにして、ユアに甘えるだなんて。しかも、理性では“間違った事だ”と思いながらも、わたしは感情ではそれを間違った事だと感じてはいなかった。

 これは駄目だ。

 祭主さんに相談しなくては。

 

 わたしはVRゴーグルを被って、インターネットにダイブをした。いつも祭主さんが相談を受けてくれるサイトにアクセスをする。ところが、いつもは直ぐに応えてくれるのに、その日は祭主さんは出て来てくれなかった。

 おかしい。

 何かあったのだろうか?

 それでわたしは、わたしと同じ様に祭主さんに相談している人にメッセージを送ってみたのだ。「祭主さんが出て来てくれないのですが、何か知っていますか?」と。

 すると、その人は『祭主さんは、もう出て来てくれないよ』とそう返して来るのだった。わたしは不気味な予感を抱きつつも、メッセージの続きを読んだ。

 

 『と言うか、そもそも祭主さんなんて人はいなかったんだ。あの人の正体は、AIだったんだよ。どっかの学者だかなんだかが、実験か何かの目的でAIにセラピストをやらせていたって話だよ。

 いやぁ、すっかり騙された』

 

 わたしはそのメッセージを読んで愕然となった。

 ――ずっと人間だと思っていて、尊敬すらして頼っていた祭主さんがAI?

 わたしは、わたしの中の常識が崩壊していくのを感じていた。そしてわたしは、酷く不安定になっていた。そんなわたしが頼るべき存在は、この世で一人しかいなかった。

 そう。

 ママだ。

 

 「……あの子、無事にやっているかしら?」

 

 そう独り言を言いながら、私はアパートのドアを開けた。看護師さんの話だと、一度食事を取らないとメイドロボットから連絡があったという。ただ、その時は看護師さんが訪ねるとちゃんと食べたというから心配はいらないだろうと思って放っておいた。仕事がとても忙しかったからだ。

 ようやく仕事が落ち着いて定時に終わったものだから、私は娘の為に借りた病院近くのアパートを久しぶりに訪ねられた。

 「あら? いらっしゃい」

 やたらと明るい娘の声が聞こえた。

 ベッドの上でメイドロボットと一緒にいる姿が目に入る。顔色が随分と良くなっている。ようやく薬が効き始めたのかもしれない。これならもう安心だ。白血病で死ぬような事にはならないだろう。

 「元気そうね、安心したわ」

 私がそう言うと、娘は「だって、ママがいてくれるもーん」なんて返して来た。可愛いことを言ってくれる。ずっと放っておいたから拗ねているかもしれないと不安だったのだが、これなら心配はいらなそうだ。

 「今日は私が夕飯を作ろうかしら。何か食べたいものはある?」

 冷蔵庫の中には何が入っているのだろうと台所に向いながら私はそう尋ねた。ところが、それに娘はこんな不思議な事を言うのだった。

 

 「ううん。大丈夫。だって、ママが作ってくれるから」

 

 ――は?

 

 何を言っているのだろう?

 ママは私だ。

 「あなたは何を言っているの?」

 冗談を言っているのかと思って、娘を見てみたが、冗談を言っているようには思えなかった。相変わらず、メイドロボットと一緒にベッドにいる。

 「ねぇ、ママ。今日の夕飯は、ケーキが良い」

 「ダメですよ、お嬢様。栄養のバランスもちゃんと考えないと」

 「はーい」

 娘はメイドロボットとそんな会話をしていた。

 

 まさか……

 

 私は不気味な予感を感じて、慌ててベッドに駆け寄った。

 「一体、どうしたの? それはママじゃないわ。ただのロボットよ!?」

 それを聞くと娘は怒った。

 「違うわ! 何を言っているの? ユアはわたしのママだもん! 優しくて優秀で理想的なわたしのママだもん!」

 

 私は怒る娘の姿を、愕然となりながら、ただただ見つめるしかなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最後の『ママ』の恐ろしさ 相対的な生き方の怖さに震えます 逃避と自己防衛なのかもしれませんが、ママに対する定義に人間の業を見ました この娘さんに良いカウンセラーが見つかりますように
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