07 最強の前衛(後編)
後方で発生した衝撃音が、僕の耳と背中を震わせる。割れた岩が、壁にぶつかったのだ。岩が水路に落ちる時の、激しい水しぶきの音。
岩を割ったのは、もちろん……。
「マキナ……!」
「ふーっ、間に合った」
さっきまでゴーレムのそばにいたマキナが、いまは僕の目の前で背中を向けていた。
なんてこった。風なんてもんじゃないぞ。
光か? 光の速さで走れるのか、この女の子は。
「すいません、カケルさん。いまのはちょっと予想外でした」
「い、いや……」
僕らがそう言っている間、ゴーレムは床の石を吸い上げて、腕を再構築している。
「んー、あの調子じゃ、何発でも撃ってきそうですね……わかりました。私はここから動きませんので、カケルさんは安心して詠唱してください」
「動かないって……それじゃ、君は攻撃を避けられないじゃないか」
「実を言えば、あんなの避ける必要もないんですよ」
なんだそれ。どんだけ優秀な前衛だよ……。
「とにかく、私がついてるんで、安心して詠唱してください!」
「で、でも……」
「……私のことが、信じられませんか?」
「……」
「無理もないですよね。ついさっき、会ったばかりですもん……でも、これだけは言わせてください」
「誇り高き自動人形として、私があなたを想う、この気持ちは本物です」
「たまにちょっとお口がおイタしちゃうのは、愛情の裏返しってことで……ほら、恋人みたいなものですよ。付き合い始めてから、四ヶ月目ぐらいの」
「な、なるほど!」
僕にはマキナのたとえ話の意味がほとんどと言っていいほど理解できなかったが、盛大にわかった振りをする。
……ま、冗談はさておき、だ。
「大丈夫!」
マキナは、剣を構え直しながら、こう言った。
「信じて!」
「……」
その時、僕は不思議と、胸の中にあった不安が、スーッと消えていくのを感じていた。
……後衛を守る前衛にとって、一番大切なことはなんだろう?
固いこと?
速いこと?
……いや、そうじゃない。
もちろん、強さだって大事だろうけど。
でも、本当に大事なのは。
……後衛を安心させる力、じゃないだろうか。
この背中になら、自分の命を預けられるという安心感。
この人なら、逃げたりくじけたりしないと思わせてくれる、精神力。
……そして何より、この人は絶対に自分を裏切らないという、信頼感。
そうやって、心から安心させてくれる前衛に出会えた時……僕のような後衛は、本当の力を発揮できる。
そういう意味じゃ、確かに僕たち後衛は、前衛の奴隷なのかもしれない。
でも……。
だったら、もし、最高の前衛に出会えた時は。
僕もまた、最高の後衛になれるんじゃないか。
ならなきゃ、ダメなんじゃないか。
……信じよう。
僕は杖を握りしめながら、そう固く心に決める。
ずっと信じていたパーティーに裏切られたばかりの僕が、またすぐに信じようなんて、お人好しにもほどがある……正直な話、そう思わなくもない。
けれど。
誰かを信じなければ、何もできない……そんな魔法使いの僕だから。
だから、僕がまた、もう一度前に進むためには。
信じることから始めよう。
この女の子の、細くて、華奢だけど、なんだかとっても頼もしい気がする背中を。
「信じて」と言って、僕を背負って、巨大な敵と向かい合ってくれるマキナを。
もう一度……僕は信じよう。
そう決意して、僕は魔法を詠唱し始める。
ファイアボールではない。
強力だが、詠唱の隙が大きすぎて、実戦ではいままで使ったことのなかった魔法を、僕は詠唱し始めていた。
詠唱が進むと、僕の周囲に、赤い光の粒が舞い始める。
だが、そんな僕を、ゴーレムが放っておくはずがない。
『グ……ウオオオオオオオオオオォォォッ!』
咆哮と共にゴーレムが両腕を上げると、それに呼応するかのように、部屋を形作っていた石材が、一斉に浮遊し始める。
その数……数え切れない。百を超えているかもしれない。
ゴーレム、両腕を勢いよく振り下ろす。
それと同時に、浮遊していた無数の巨石が、一斉に投射される。
僕たちの頭上へと降り注ぐ、視界を埋め尽くすほどの、巨石の群れ。
だが、僕はそんな光景を前にしてなお、防御の構えを取ることも、逃げることもなく、詠唱を続けていた。
目の前にある背中を……微動だにせず、僕を守るために立ち続けてくれている、マキナを信じて。
そして、マキナは剣を構えたままの姿勢で、スキルを発動する。
「<剣聖>!」
マキナの全身が、淡い光に包まれた、その時。
巨石の群れが、僕たちの頭上へと届く。
瞬間、マキナが吼えた。
「はあああああああっ!」
剣撃、一閃。
刀身が光の筋となって、空間を縦横無尽に走り、周囲の空気が震える。
次の瞬間には、僕たちの全身に強く打ちつけるはずだった巨石たちは、真っ二つに割られて遠くに落ちたり、粉々に砕かれた無害な小石となってパラパラと足元に落ちたりしていて、全く僕たちにダメージを及ぼさなかった。
全弾の迎撃に成功、だ。
……やっぱり、すごい。
この子はもしかしたら、最強の前衛なのかもしれない。
だがマキナは、そんな絶技を披露した後だというのに、浮かれることも、息を切らすこともなく、ただじっと剣を構え、僕に背を向け、目前のゴーレムへと対峙していた。
……なんて、頼もしい背中だろう。
『グッ……!?』
そのあまりの光景を前に、ゴーレムが、一瞬たじろいだ気がした。
だが、もう遅い。
詠唱は、すでに完了している。
僕はその魔法の発動の呪文を叫んだ。
「<ボルケーノ>!」
ゴーレムの足元に、赤い閃光を放つ複雑な紋様の魔方陣が出現する。
次の瞬間、その魔方陣から、轟音と共に猛烈な火柱が噴出した。
……いや、火柱なんて、そんな生やさしいものじゃない。
それは、岩をも溶かす灼熱。天に届く勢いで吹き出す、怒れる溶岩。
巨大な石造りのドーム全体が、赤い輝きに包まれる。離れてもなお、頬を火傷しそうなほどの高熱。
……そんなものの直撃を浴びていては、いかなゴーレムといえど、無事でいられるはずもなかった。
『ギ……ヤアアアアアアァァァァッ!」
断末魔の叫びと共に、火柱の中のゴーレムの影が、少しずつ溶けていき……やがて、消え去った。
それと同時に、火柱と魔方陣も消滅する。
室内に静寂が戻り、水の落ちる音と流れる音だけが、周囲に残った。
「脅威の消失を確認」
マキナが手にしていたサーベルが、光の粒となって消える。
そしてマキナは、スカートをバッと大きく翻して、僕の方に向き直り……
スカートをつまんで軽く上げ、膝を折る仕草……カーテシー……をして、深々と頭を下げた。
「お怪我はございませんか……ご主人様」
「け、怪我なんて、してないよ……君のおかげだ」
「いいえ、とんでもございません」
マキナは、さっきまでとは打って変わった丁寧な口調で言う。
「勝てたのは、ご主人様の魔法があったからです。あんな上級レベルの魔法を、いとも簡単に……さすがは、私のご主人様です」
「じょ、上級レベル? 何言ってるの……あの魔法は詠唱の隙が大きいから、実戦では使い物に……うっ……」
「いいえ、それはこれまでの前衛が無能だったからで……カケルさんっ!?」
僕は、急に全身の力が抜けて、倒れかかった。
そんな僕を、マキナが慌てて支えてくれる。
「大丈夫ですか! カケルさん!」
「ご、ごめん……安心したら、急に力が抜けちゃって」
抱きかかえられた僕は、全身にマキナの体温を感じる。
でも、いまはもう、それにドギマギしなくなっていた。
代わりに僕は……底知れない、安らぎを感じている。
「ありがとう、ありがとう、マキナ……」
僕はマキナの肩に顔をうずめながら、すすり泣いた。
正直、我ながらちょっと情けないなとは思ったけれど……僕はこの時、実はそれほどまでに追い詰められていたんだ。
「ほんとは、すごく怖かった……もうすぐ、僕は死ぬんだって思ってて……ありがとう、マキナ……君のおかげで……君が僕のところに来てくれたおかげで……僕はこれで、生きて帰れる……」
「カケルさん……」
最初、驚きに見開かれていたマキナの目は、すぐに温かい眼差しに変わる。
「大丈夫……もう、大丈夫ですよ……」
そうしてマキナは、僕が落ち着きを取り戻すまでの間、ずっと僕を抱きしめてくれていた。