38 告白
翌日の昼。
僕は、白い陽光で満たされた、明るく豪華な部屋にいた。
ベッドに横たわる僕のすぐそばには、白いドレス姿のユリアが、床に両膝をつき、祈るように胸の前で手を組んでいる。
ユリアは、頬を紅潮させ、目には一杯の涙を貯め、まさに感無量という様子だった。
そのユリアは……彼女らしくもない、おずおずとした様子で……こう言った。
「勇者さま……どうか、私と……」
ここで少し、時間をさかのぼろう。
僕がベッドで目を覚ました時、一番最初に目に入ってきたのは、心配そうに僕の顔を覗き込んでいる、マキナの姿だった。
「マキナ……」
僕は、長時間水を飲んでいないせいで喉が痛むのを我慢しつつ、こう言った。
「無事だったんだ……良かった」
「……呆れた」
心配そうな顔をしていたマキナは、一転して呆れ顔になって言う。
「それだけの重傷になっておいて、まだ人の心配をしているんですか? お人好しもいい加減にしてくださいよ」
「あはは……よかった。いつものマキナだ」
僕は少し笑いつつ、重ねて聞いた。
「あれからどうなった? 他のみんなは無事か?」
「ベヒーモスは私が討伐しました。衛兵たちもみんな無事です……カケルさんのおかげですよ」
「……僕は今回、何もしてないよ」
冗談でも何でもなく、本当に今回は何もしていないなあ……と僕は思った。魔法を一発も撃てなかったからねえ……。
「なーにを言ってるんですか」
だがマキナは、水差しでコップに水を注ぎながら、こう言った。
「カケルさんは、ベヒーモスを引きつけることで陣形の立て直しを成功させた上に、ドミニクさんの身代わりに重傷を負いました。それに、ベヒーモスをおびき出す罠を考えたのもカケルさんです」
「何よりも、私だけでは不測の事態に対応できないという、カケルさんのおっしゃったことがピタリと当たりました……もし私が言ったように、衛兵さんたちを連れていかずに二人だけで挑んでいたとしたら、私たちは二人とも死んでいたでしょう」
「だから、あなたは立派な勇者ですよ、カケルさん……魔法だけでなく、知恵も優れていると、あなたは証明したんです。あ、コップ持てます?」
「ああ、右手は動かせそうだ……」
僕は身を起こしてコップを受け取り、水を飲み干してから言う。
「ドミニク隊長は、どうしてる?」
「ベヒーモスを倒した後は『俺はいま、猛烈に感動している!』とか言って泣いてました」
「そ、そうか……」
「次に男の子が産まれたら『カケル』って名付けるそうです」
「それはやめて欲しいな……」
カケルという名前の男の子が、ドミニク隊長のことを「お父さん!」と呼ぶ場面を想像して、僕はいささか気持ち悪く……いや、むずがゆくなる。
「まあ、それぐらい感謝してる、ってことですよ」
「なんにしても、無事なのは良かった……ああ、ちなみに、ここはどこなの?」
「ユリアさんのカントリーハウスです。貴族の豪邸ってやつですね」
「あー、なるほど。道理で内装が豪華だと思った……」
「それから、カケルさんの怪我ですけど、治癒術士が言うには、全治二週間ぐらいだそうですよ」
「え? 治癒術士が来たの?」
「はい、ユリアさんが手配してくれて」
おとぎ話の世界じゃ、治癒術士が呪文を唱えるとたちまち怪我が直る、なんて描写が出てくるけど……この世界の治癒術は、そう都合の良いものじゃない。
止血ぐらいならともかく、重傷ともなると、治癒術士の治療を受けてもすぐには治らない。
そもそも、治癒系の魔法を適切に扱うには、人体の構造に関する高度な専門知識が必要だ。治癒術士の国家資格を得るには、専門の大学で五年から十年ほど学ばなければならない。そのへんにホイホイいる人材ではないのである。
それとは別に、戦場で受けた外傷の応急処置のみに役割を限定した「戦闘治癒術士」というのもいて、こちらは割と数も多いが……だがまあ、今回ユリアが呼んでくれたのは、間違いなく国家資格を持つ治癒術士の方だろう。
「ユリアか……」
不用意に借りを作りたくない相手だったんだけど……。
……いや、ここまで来れば、そんな小さなことはどうでもいい、か。
「カケルさん……」
マキナが、神妙な面持ちになって言った。
「私はこれから、カケルさんが目覚めたことを、ユリアさんに伝えに行きます。きっとユリアさんは、すぐこちらにいらっしゃるでしょう」
「……」
「……お呼びして、よろしいですね?」
「待ってくれ」
僕が、ベッド脇から立ち去りかけたマキナを呼び止めると、マキナは小さくため息をつきつつ、椅子を持ってきて、僕の前に座った。
「後でごねられても面倒だから、はっきりしておきましょう……カケルさん。ここが年貢の納め時ですよ! さあ、大人しくユリアさんと結婚しなさい!」
「どっちがご主人様だかわからない、ひどいものの言い様だな……」
僕は今さらながら、マキナの主人を主人と思わぬ態度に呆れつつ、こう言った。
「マキナ……よく考えたら、僕は一つ、大事なことを聞き忘れていたよ」
「なんですか、それは?」
「君の気持ちだ」
「……」
押し黙るマキナを前に、僕は重ねて言う。
「マキナ……君は、自動人形だから僕に尽くしてくれていただけで、本当は僕のことが嫌いなのか? ……もしそうなら、今までのことは悪かった。僕のしたことは、自分の気持ちの押しつけだ……最低のことだ」
「き、嫌いだなんて……そんなわけ、ないじゃないですか……」
「けど、好きでもない?」
「な、何度も言っているでしょう? 私は忠実な自動人形。心なんかなくて、ただ、あなたの幸せのために尽くすだけの、単なる人形……」
「人形とか人間とか、そんなのはちっぽけなことだ。それは裁判の時に、散々説明しただろ……なあ、マキナ」
僕はマキナの手を取って、握りしめて、こう願った……想いが伝わるように、と。
「もし君が、心の底から、僕の幸せを願ってくれるというのなら……その気持ちを愛と名付けることに、なんの不都合があるだろう?」
……我ながら、歯の浮くような、ひどいセリフ。
でも……僕にとっては、一世一代の告白だった。
……けれど、マキナの答えは、
「ち、違いますよ」
だった。
マキナは、赤面しつつそっぽを向いていたが、それは多分、僕の期待する気持ちによるものではないと、僕は思った。
「これは、この気持ちは、従者が主人に抱くような気持ちで……あるいは、姉が弟に抱くような、そんな気持ちで……カケルさんの言うような、異性愛とは違います……」
……それは、僕が完膚なきまでに振られた瞬間だった。