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37 目を閉じてはいけない時……そして、目を閉じてもいい時


 目を閉じるな、と僕は自分に言い聞かせた。

 恐怖のあまり目を閉じなければ、まだ、身体をひねってギリギリでかわせるかもしれない。


 僕が力を込めて目を見開くと、ほぼ同時に、ベヒーモスの突進が始まった。

 一瞬のうちに、その巨大な角が僕の胸に迫る。


 もうここまで来ると、下手に考えるだけ時間の無駄だ。

 僕はタイミングだけ合わせて、それ以上は深く考えず、身体をひねって地面を転がった。


 果たして……ベヒーモスの角は、さっきまで僕の背中があった、木の幹に突き刺さった。

 僕は、どうにか命拾いしたのだ。


 だが、状況は一向に良くなってなどいなかった。

 僕の身体は、ベヒーモスの角が突き刺さった場所の、すぐ下にあった……つまりどういうことかというと、ちょうどベヒーモスの口のあたりに、いま僕の身体がある。


「うわああああああああっ!」


 僕はまたしても情けない悲鳴を上げながら、口を開けて迫ってくるベヒーモスの頭を、両腕を突っ張るようにして防いでいた。視界いっぱいに広がる、ベヒーモスの赤い口内。その周りにズラッと並ぶ、白い歯。


 ぎゃー食われるー……なんて、実際に追い詰められてみると、叫ぶ暇もなかった。


 叫ぶ暇もなく、僕の腕の力は、あっという間にベヒーモスの巨体に負けて。

 どんなに力を込めても、僕は腕が折り曲がり、巨大な口と牙が迫ってくるのを、止められそうになかった。


(くそ、ここまでか……!)


 そうして、ついに僕が死を覚悟した……その時だった。


「うおりゃああああああああああっ!」


 どこからから、野太い野蛮な声がしたかと思うと、急にベヒーモスの身体が衝撃と共に弾かれて、僕から見て右の方向に転がっていった。


 一瞬、マキナが助けに来てくれたのかと思ったが、違った。


 どうにか一命を取り留めた僕の前に立って、ベヒーモスに向かって剣を構え直したのは……


「ドミニク隊長!?」

「カケルどの! お怪我はありませんか?」


「あ、足をくじいて歩けませんが、それだけです。それより、マキナは!?」

「マキナどのは、二体のベヒーモスを同時に相手にしておられます。我々に、カケルどのを助けに行くようにと」


 我々、と言った通り、ドミニクの後から続いてきた兵士たちが、ベヒーモスを取り囲むのが見えた。


「なんだって……?」


 僕の胸の中で、急速に心配が膨れ上がる。いくらマキナが剣の達人でも、あのベヒーモスを二体相手にして、大丈夫なのか?


 僕は、すぐにでもマキナを助けに行きたい衝動に駆られる……が、現実はそうも行かなかった。まずは、目の前にいるベヒーモスを倒さなければ。


 そのベヒーモスは、側面や背面から斬りつける兵士たちをものともせず、おもむろに、近くにあった平べったい岩を地面から剥がして、手に構えた。


 ベヒーモスはその岩を盾のように押しつけることで、正面にいて防御に専念していた兵士を、軽々と打ち倒すことに成功する。


 陣形に穴が開いた。まずい。


『グウオオオオオオオオオオッ!』

「ムッ!?」


 ベヒーモスは、僕の前に立って剣を構えているドミニク隊長に対して狙いを定めたようだった……僕のことを獲物だと思っていて、それを奪われて怒り狂っているのだ。


 すぐにベヒーモスは、四本足を重々しく地面についたかと思うと、ドミニク隊長に向かって突進を開始する。


「くっ……」


 だが、ドミニク隊長はそれを避ける素振りを見せず、剣を中段に構えて、受けて立つ姿勢を見せた。


 ……僕を背負っているから、避けられないのだ。

 それに気づいた僕が、ハッと息を呑む間も、ベヒーモスの角がドミニク隊長に迫る。


 瞬間、ドミニク隊長が吼えた。


「アリシアアアアアアアアアアアアアッ!」


「……っ!」

 産まれたばかりの娘さんの名前を叫んだドミニク隊長の背中を前に、僕は無我夢中で動いていた。


 僕は、まだ動く左足を思い切り振って、ドミニク隊長の背中を蹴り飛ばした。


「なっ!?」


 不意を突かれたドミニク隊長は、バランスを崩して転がる。これで、ベヒーモスの狙いは外れた。

 だがその代わり、今度はドミニク隊長の背中に隠れていた僕が、ベヒーモスの前に身体をさらすことになった。


 僕はもう一度、とっさに身体をひねって刺突をかわそうとする。

 ……だが、僕のその動きは、明らかに読まれていた。


 視界の端で、ベヒーモスがわずかに頭の角度を変えるのが、確かに見えた。


 顔が近づきすぎて、ベヒーモスが僕の視界から外れた、次の瞬間。

 僕の左肩に、激痛が走った。


「ああああああああああっ!」


 僕は悲鳴を上げながら、地面に倒れ込む。


 まるで、肩の肉をえぐられたような激痛。

 ……いや、「ような」ではない。


 恐る恐る目を開けて見ると、僕の肩の肉は、比喩でも何でもなく、ベヒーモスの角によってえぐり取られた後だった。ドクドクと傷口からあふれ出る生温かい鮮血で、みるみるうちに腕全体が濡れていく。


「うあっ……くっ……」


 激痛のあまり、僕はうずくまったまま動けなくなる。


 地面に横たわった僕は、痛みのせいで五感も麻痺しかかっていた。ただ、自分の上で、何か巨大なものがうごめく気配だけを、ようやく感じ取ることができた。


 ああ、今度こそ死んだな……と、頭の片隅にいる、どこか冷静な自分が言っている。


(でも、僕にしちゃ、上出来だよな……赤ん坊の父親を助けて、死ぬなんて)


 僕が自嘲気味にそんなことを考えた……その時だった。


「……<剣聖ソードマスター>!」


 聞き覚えのある声が、僕の耳に確かに届いた、次の瞬間。


 白刃がきらめいて、身体のすぐ横を疾風が駆け抜けていったような感覚がした後……僕の上に覆い被さるようにしていたベヒーモスの巨体が、軽々と弾き飛ばされていった。


『グゥオオオオオオオオオッ!?』


 戸惑ったような声を上げて倒れたベヒーモスに、真っ向から対峙する形で、僕の目の前に、青いジャケットを着た人物が着地する。


 視界がかすんでいても、すぐにわかった……男装姿のマキナだ。

 良かった、マキナは無事だったんだ……僕は自分の惨状も忘れて、そのことに深く安堵していた。


 そんな僕の耳に、怒りを含んだマキナの声が聞こえてくる。


「こいつ……よくもカケルさんを!」


 マキナはサーベルを構えつつ、ドミニク隊長たちに指示を飛ばした。


「あなたたちは応急処置を! それぐらいできるでしょう!?」

「は、はい! しかし……」

「こいつは私一人で十分です」


 マキナは、ドミニク隊長の心配を先回りして言った。


「他の二体も、私が片付けて来ましたから……はああああああっ!」


 吼えながら、目にも留まらぬ速さでベヒーモスに向かって行き、白刃を振るうマキナ。


(やっぱり、マキナはすごいな……)


 そう思って安心すると、僕の意識は、急速に遠のいていった。


 遠くで戦うマキナの背中と、慌てて僕に駆け寄ってくるドミニク隊長たち。


 その光景を最後に、僕の意識は途絶えた。


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