第八話
「見たまえ、この惨状を。君がやったんだろう?」
冷たい視線を僕に向けながら葛城が言う。
その視線を受けながら僕は思考を纏めた。
昨夜、悪夢でフクロウが言っていた通り悪霊“ポルターガイスト”は僕の周囲から完全に消えたはずだ。
それは今朝、僕の部屋の家具が無事だった事からも明らかである。
ではこの惨状はどういう事であろうか。
それはおそらく僕から逃げて離れる直前のポルターガイストが“立つ鳥跡を濁す”べく僕に最後の嫌がらせをしてきたという事なのだろう。
混乱する頭でどうにか結論を纏めた僕に葛城が詰め寄ってくる。
「実はな、昨夜の当直の看護師が君の姿をここで見ている。何やら夢遊病の患者のような足取りでこの廊下を歩いていたのだそうだ。で、どうなのだ? これは君がやったのか?」
「……ち、違います!」
「ふん、ならば例の悪霊の仕業だというのか?」
「……」
僕は言葉に詰まり葛城の問いに返せない。
そんな僕を見て彼はため息を吐く。
「まぁ、どちらにせよ君をこれ以上私が預かる事はできん。ガラスはともかく、約束を破って新病棟に夜間に忍び込んだのは事実だろうしな。帰りのフェリーのチケットを手配するから君は本州に戻りたまえ」
その言葉を聞いて僕は慌てた。
魑魅魍魎だらけだというこの島を出たら再び“ポルターガイスト”が僕にとり憑いてくると思ったのだ。
僕は葛城を説得する。
「ちょっと待って下さい! 確かに昨晩ここに居たのは事実です。それは謝ります。でもそれは旧病棟に迷い込んだ患者さんを送り届けるためで……」
「下手な作り話はしなくていい。そんな患者を看護師は見ていない」
「でも本当なんです! それにガラスを割ったのは僕じゃないです!」
「“ポルターガイスト”とやらか? ふん、バカバカしい」
吐き捨てるように言う葛城。
僕は彼に懇願した。
「先生、お願いです。もう少しここに僕を置いてくれませんか? この島でなら僕はやり直せる気がするんです!」
「その為に病棟のガラスを犠牲にするわけにはいかんな」
葛城は割れたガラスに目を向けながら渋い顔で吐き捨てる。
そして彼は厳しい表情を崩さずに続けた。
「昨日この病院のロビーに溢れる患者を見て君は“この病院は儲かっている”などと思ったかもしれない。確かに金銭的には儲かっている。だがその実態は綱渡りだ。慢性的な人手不足により過労で倒れる看護師が後を絶たない上に、困窮した患者の診察代の未払いも表面化してきた。そんな厳しい状況で君にまで手をかけてられない、というのが正直なところだ」
「でしたら、僕もお手伝いをします。どんな雑用でも……」
「要らん。今回は窓ガラスを割っただけで済んだが、これが医療用の精密機械だったらと思うとゾッとする。“悪魔憑き”だけでもてんやわんやなのに、これ以上私の心配事を増やさないでくれ」
僕は今の葛城の言葉に違和感を覚える。
“悪魔憑き”。
オカルト嫌いの葛城らしからぬその単語に僕は聞き覚えがあった。
高校生達の会話の中で出てきた記憶がある。
僕は葛城に尋ねた。
「“悪魔憑き”? なんですか、それ?」
「……なんでもない。眠り病のように目覚めなかったりする患者の事を便宜的にそう呼んでいるだけだ。とにかく君との話はおしまいだ。フェリーのチケットは手配してやるから今度こそ旧病棟で大人しくしててくれ」
イラついた様子でその場を離れようとする葛城。
その時、僕の脳裏に昨夜のフクロウの言葉が蘇った。
“この病院……いやこの島には夢魔にとり憑かれた人間が大勢いる。オレはそれを助けて回ってるんだ。それを手伝ってくれ”
僕は離れて行く葛城の背中に言葉を投げかける。
「先生! もし……もしその“悪魔憑き”を治せるとしたら、僕をここに置いてくれますか?」
葛城は怪訝そうな表情で振り返ると僕に聞いてきた。
「治せる……だと。どんな治療法でだ?」
「それは……ここで言ったとしてもオカルト嫌いの先生はきっと信用してくれません。ですから結果で示したいんです」
「…………随分と自信たっぷりのようだな」
そう言いながら葛城は僕の事を睨みつけてくる。
だが僕は怯むことなく視線を返す。
数秒ほど僕の事を睨みつけていた葛城だったが、やがて踵を返して短く告げる。
「ついて来い」
足早に院内を歩く葛城について行くと彼の使用している院長室にたどり着いた。
そして彼は机を漁ってカルテを取り出す。
そこから二人分のカルテを選別すると、僕に見せてきた。
いずれも高校二年生で僕と同い年の人物だ。
「そこまで言うなら、この二人の患者を今夜中に治してみせろ。二人ともずっと眠りっぱなしでまだ目覚めていない」
「二人、ですか」
「ああ。“悪魔憑き”はこちらが何もしなくても急にコロっと治ったりもする。だから指定する患者が一人だけだと本当に君が治したのか、それとも自然治癒したのか区別がつかん。だから“その二人”を“今夜中に”だ。いいな?」
「はい」
「もしできなかったら即刻本州送りだ。問答無用でこの島から出て行ってもらう。いいな?」
「……はい」
「それがわかればいい。とっとと旧病棟に戻りたまえ」
僕は頷くと葛城に背を向けて扉に向かう。
その背中に彼が言葉を投げかけてきた。
「七楽君。期待しないで待っているよ」
煽るような葛城の言葉を聞いて僕は唇を噛み締めながら部屋を後にする。
今頃になって僕の胸に不安が芽生え始めてきたのだ。
先ほどは焦るあまり“悪魔憑きを治せる”などと言ってしまったが、実のところはフクロウ頼りだ。
にも関わらず葛城とあんな約束を交わしてしまったのは、悪霊“ポルターガイスト”から開放されたことで普段よりも気が大きくなってしまっていたからかもしれない。
などと考えながら院内の廊下を歩いていると一人の看護師に話しかけられる。
昨日僕に売店の商品を譲ってくれた新井貴子だ。
「晶君!」
「あ、新井さん。昨日はどうもありがとうございます」
「ああ、いいのよいいのよ。それよりさ……」
彼女は僕に耳打ちしてくる。
「昨日の夜ガラス割ったのが君っていう話、あれ本当? 院長先生がカンカンだったけど」
「違います。僕じゃないです。信じてください……」
「そっかー。良かった。じゃあ院長先生とは仲直りできた?」
「……いえ」
「え? 何でよ?」
「先生が僕の言う事を信じてくれなくて……」
「はぁ? ひどい! ちょっと私文句言ってくる!!」
そのまま院長室に殴りこみをかけようとする彼女を僕は引きとめた。
「新井さん! 落ち着いて!」
「何で止めんのよ」
「僕にも非はあるんです。約束を破って夜に新病棟に入ったのは事実ですし」
「ふうん、そうなの? まぁ君がそう言うならいいけどさ……」
しっくり来ない様子の新井。
僕は話題を変えるべく彼女にカルテを見せた。
「ところで新井さん。この二人の高校生なんですけど……」
「え? ちょっと待って。何で君がカルテなんか持ってんの?」
「あ、ええと院長先生が“この二人を治して欲しい”って……」
すると新井は感激した様子で僕の手をとってきた。
「え? ちょっと待って。“悪魔憑き”を治せるってことは晶君ってイタコさんだったの?」
「イタコさん……は霊を降ろして会話させてくれる人ですね」
「あ、そっか。なんつったっけ、悪魔を祓うやつ。映画のタイトルにもなったアレ……ええと」
「祓魔師ですか?」
「そう! それ! 晶君ってその祓魔師なの?」
「い、いや、そんな大層なもんじゃないですけど……」
「凄いじゃん! かわいい顔してやるねキミ!」
興奮した様子で僕の背中をバンバンと叩いてくる新井。
“僕は祓魔師ではない”とやんわりと否定したつもりだったが、彼女の耳には届いていなかったようだ。
彼女は僕の肩に手を掛けてきながら言ってくる。
「晶君、みんなに言いふらしていい?」
「だ、ダメですよ。っていうかホント僕は祓魔師とかじゃ……」
「そっかそっかそうだよねー。こういうのはヒミツにした方がかっこいいもんねー」
もはや何を言っても聞いてくれない新井。
僕は誤解を解くのを諦めて彼女から情報を引き出すことにした。
「ええと、とにかくこの二人の患者さんについて何か知ってますか?」
僕が問いかけると彼女は不真面目な態度を捨てて真剣な表情になる。
彼女は二枚のカルテのうちの一枚に目を通した。
それは岡島健吾という男子生徒のカルテだ。
「そうね……。まずこの男の子、岡島君なんだけど……すごくいい子よ。明るくてね、彼のお父さんは釣具屋さんをしてるのよ。以前に私一瞬だけ釣りにハマッた事があって、その時にお店を手伝ってるこの子を見たことがあるわ」
「へぇー。面識があるんですね」
「まぁ、ほんのちょっとだけね。それで岡島君は学校でも好かれてるみたいで、よくお見舞いの子たちが来るわ。私が知ってるのはこのくらいね」
「そうですか」
そして新井はもう一人のカルテに目を移す。
そちらは月見里綾という名前の女子生徒のものだ。
「こっちの子、月見里さんの事は私も良く知らないわ。でも、そうね……。こんな事を言っていいのかわからないけど……」
「何ですか?」
「ひょっとしたらご家庭に問題を抱えているのかもしれない。今までお父さんは何回かお見舞いにいらしたけど、お母さんは一回も来てないのよ。それってちょっと変じゃない?」
「たしかに……。不自然ですね」
「そうでしょ? ……まぁ何か事情があるかもしれないから私みたいな他人が口出す事じゃないんだけど、それでも心配よねえ……」
「なるほど」
二人についての情報を語ってくれた新井は僕の顔に視線を戻す。
「私が知ってる事といえばこのくらいなんだけど、役に立ったかしら?」
「はい。助かりました」
「良かった。じゃあ私はそろそろ戻らないと」
「ありがとうございます。新井さん」
「いいっていいって。そんじゃね」
こうして新井と別れた僕は旧病棟へと戻り自室のベッドに腰掛けた。
そして二人のカルテを見ながら考えを巡らせる。
この二人にも僕と同じように夢魔が憑いているのだろうか。
であるならば、彼らもきっと悪夢に苦しめられているに違いない。
是非とも早々に助けてあげたいところだ。
僕が静かに闘志を巡らせていると、窓を誰かがコンコンと叩く。
その方を見やった僕は目を見開いた。
そこには昨夜僕を助けてくれたフクロウがいた。
彼は窓の縁に立ちながらクチバシでコンコンと窓をつつく。
「おーい晶。オレだよオレ。開けろ~」
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【おしらせ】
本日は時間をずらしつつ第十二話まで投稿する予定です。