22.斥候と戦斧使いは雌雄を決す
20/10/16 微修正
日が傾き、黄昏が訪れる。
スタークの街は逢魔が時を迎えようとしていた。
領主邸の裏門を通り、ひとり路地を東門へと足早に進むケイティ。
先の戦いが西門で繰り広げられたこともあり、東門の周囲はひっそりとしていた。
普段は賑わっている門前の市場も、今はまだ戒厳令が続いてるため、閑散としている。
目に入る人影といえば、櫓の上で見張りをしている数名の兵士だけだ。
東門に着いたケイティは、櫓の上の兵士に声をかける。
「所要だ。少し外に出る。他言無用に願う」
「ケイティ殿? 承知しました」
兵士は笑顔でケイティに応じた。
ケイティの知名度と信頼度は、今や兵士の間では揺るがないものとなっている。
たびたび領主邸に招かれている上に、先の西門で魔狼を退けた活躍が決定打となった。なにしろ『戦女神』呼ばわりされるほどだ。
『他言無用』と言えば、怪しむどころか、領主直々の密命だろうと勘ぐってしまうほどに人望は高まっていた。
門の外に出たケイティは、塀の外側を少し歩いてから、森の中へと入っていった。
しばらく進むと木々が途切れ、下草が生い茂った広場に出る。
広場の中央で、しばらくたたずんていたケイティは、不意に背後に向かって呼びかける。
「そこにいるのだろう?」
木々の隙間から滲み出す影のように姿を現したのは、アルバだ。
「こんな、あからさまな誘いに乗ると思われていたのなら、心外だな」
あからさまな誘い、とはひとりで出歩いたことを指しているのだろう。
わざと単独で行動し、アルバが不意打ちを仕かけて来たところを返り討ちにする用意があった、ととらえられたようだ。
だが、それはいささか誤解を含んでいる。
ケイティは肩をすくめた。
「今のはカマをかけた。いるとは思ったが、気配はつかめなかった。恐れ入る。不意をつかれていたら、返り討ちどころか今頃は死んでいた」
「狙われている自覚はあるんだな」
「ああ。だが、隠れているのは性に合わん。アルバ殿に不意をつかれ、対処できる自信もない。ゆえに、誘いをかけた」
そう言って、ケイティは不敵に笑った。
それに対し、アルバは不機嫌な表情を隠さない。
「で? 正面から戦えと? 斥候だからな、俺は。不意を突けないなら、戦士には勝てない。勝てない勝負を挑むつもりもない」
「だが、姿を現してくれた。なぜだ?」
姿を現して欲しかったから声をかけたのに、姿を現した理由を問う。
そんなちぐはぐな自分に、ケイティは苦笑いする。
「……狙われている自覚はあるのだろう? いまだ魔獅子に女神だと認知されている自覚はあるわけだ。ケイティが女神なら、今の俺にとっては一番の標的だ。だが女神なら、一介の斥候が不意をつける道理はない」
「なるほど、矛盾だな。で、どうする?」
薄笑いを浮かべながらケイティは問うた。
「ケイティ、あんたは何者だ? なぜ魔獅子は頑なにあんたを女神だと信じている? 聞かせてもらえないか?」
アルバの問いかけに、ケイティは顔から笑みを消した。
「答えてもいい。条件がある」
「なんだ?」
「吾と立ち合え。全力でな。勝っても負けても質問に答える」
『質問に答える』ということは、話す側も聞く側も生きている必要がある。
言外に『相手を殺さない』ことを前提とした勝負をいどんでいることになる。
「それに何の意味がある?」
「マーキナー殿に問われた。正面からアルバ殿とやりあって勝てるかと。興味がある。自分の強さに。アルバ殿の強さに」
「戦士の矜持か? 俺にはわからん」
「だが、情報を得るのは斥候の本分だろう?」
ケイティはアルバに挑戦的な視線を向けた。
今のアルバにとって、ケイティの正体は喉から手が出るほどほしい情報のはずだ。
ケイティが女神ならば、魔獅子にとっては最優先すべき標的なのだから。
アルバはしばし思案する様子を見せた後、肩をすくめた。
「痛いところをつくな」
「伊達に仲間をやっていたわけではない」
「手の内は知り尽くしている、か?」
「そうだな」
「いいだろう」
アルバがダガーを構えた。
同時に、その体が淡い魔力光に包まれる。
その様子を見て、ケイティはほくそ笑んだ。
(【浮力】を発動した直後、アルバ殿の魔力は底をつく。回復には時間がかかる)
アルバを魔力切れの状態に追い込むには、戦いの寸前で【浮力】を発動させる必要があった。
【浮力】の魔力光は薄暗闇では目立つ。薄暮の中なら隠密性を確保するために【浮力】を発動せずにいる可能性が高い。
逆に日が完全に沈んでしまえば、野外での戦闘は【暗視】が使えるアルバが有利。
つまり、ケイティがアルバに対するならば、今この時間帯が最善なのだ。
(これで【遅延】は封じた)
【浮力】を用いた跳躍で、一足飛びにアルバがケイティに迫った。
それに対し、普通に戦斧を振るったのでは間に合わないと判断したケイティは、柄尻でアルバをとらえようとする。
だが、アルバはケイティの目の前で地面を蹴って横に飛び、同時に投剣を放った。
跳躍しながらの投剣にいつもの速度はない。
柄を空振りして体勢が崩れていたケイティだったが、ぎりぎりで身を翻して投剣をかわした。
アルバが距離を取って着地するのと、ケイティが再び身構えるのが、ほぼ同時。
「やはり、とらえきれんか」
ケイティは戦斧を投げ捨てた。
それを見て、アルバが表情を硬くする。
アルバにとっては、戦斧より徒手空拳のほうがはるかに厄介だろう。
両手両足、四方向からの攻撃に備えなくてはならない。
「どうした? 顔色が悪いぞ?」
ケイティが不敵に笑った。
「ああ。困った。手が出ない」
アルバが『お手上げ』とでも言いたげに、両手を広げた。
が、それがこちらの隙を誘う行為であることをケイティは見抜いていた。
次の瞬間、アルバが大きく地面を踏み込んだ。
──ドンッ!
震脚とともに、恐るべき速さで投剣が放たれた。
直後、アルバの体が滑るように地を駆け、投剣を追うようにケイティに迫る。
ケイティは上半身をわずかに後ろへそらせ、投剣を避ける。
胸当てに斜めから当たった投剣が、革を切り裂きながら上方に跳ねる。
胸当ての下はかすり傷だ。
迫るアルバの横腹目がけてケイティは蹴りを放った。
アルバの体があり得ない距離を吹っ飛び、もんどり打って草むらを転がる。
「軽い。自分で跳んだか」
ケイティが目で追った先で、アルバが平然と立ち上がった。
「腕が折れるかと思ったぜ」
どうやら寸前で地面を横方向へと蹴りながら、左腕で蹴りを受け止めたようだ。
投剣が弾かれた段階で、すでに飛び退くつもりだったのだろう。そうでなければ反応できるはずがない。
だが、あの時点でケイティが左右どちらの攻撃を放つか見極めて跳ぶ方向を決めていたのだとしたら、恐るべき反応のよさだ。
「惜しいな。もう少し筋力があれば、武芸者として大成できたろうに」
「仮定の話はいらない。これが性に合ってる。さて、もうひとつ試させてもらおう」
そう言うと、アルバは構えを解いてケイティのほうへとスタスタと歩き出した。
一見すると無防備にも思える姿だ。
ケイティは用心深く身構えた。
アルバはどんどんと間合いを詰め、互いにあと一歩踏み込めば攻撃が届く距離まで近づき、不意に止まった。
次の瞬間、ケイティは思わず後ろに飛び退いていた。
静止したアルバの様子があまりにも不自然だったからだ。
「いい勘だ」
そう言って、アルバが腰に括り付けている箱を指でつついた。
箱の蓋が開いている。
「なんだ? 魔石を入れる箱?」
アルバの意図がわからず、ケイティが疑問を口にする。
「魔獅子と戦ったときに説明したと思うが?」
「魔鹿の相手で疲れ切っていたからな。どうやって魔獅子を倒したのかも、わからずじまいだ」
「そうか。……コイツに粉末状にした魔石を詰めておいた。これを開けば、周囲に特濃の魔素が充満する。俺のささやかな魔力なら、あっという間に完全回復だ」
アルバの魔力が回復しているということは、いつでも【遅延】が使えるということだ。
その事実に、ケイティは困惑する。
「……魔獅子との戦いでも使ったと言ったな? なら、その箱は始めから空だったはずだ」
「俺が何も準備せずにこの場に立つと思うか? 街に忍び込んで、最初に向かったのは俺たちの借家だ」
ケイティがアルバと立ち合おうと決めた理由のひとつに、アルバが魔獅子を倒すのに切り札の大半を使い切ったはずだと推測したことがある。
たとえば、魔獅子と遭遇する直前の魔狼戦で【辛子玉】を使い切ったと知っているからこそ、ここまでは風上風下を気にせずに戦えていた。
アルバが装備を万全に整えた状態ならば、どんな切り札が飛び出すか、ケイティには見当もつかない。
「……ハッタリだ。借家はラキア殿が魔術で施錠済みだ」
「それがどうした。知らなかったか? 高度な迷宮は、魔術式の罠だらけだ。斥候が魔力持ちにしか務まらない理由のひとつだな。ああ。二階の男にだけ反応する結界には手を付けていないから安心してくれ」
迷宮を作ったのは太古の魔法使いだ。それなら、迷宮の仕かけは高度な魔術式であっても不思議ではない。
それを破る術を身につけているというなら、斥候の知識とはどれほどの深いのだろうか。ケイティには想像もつかない。
「……なぜ、それを吾に教える。知らせずに、いきなり【遅延】を使ったほうが得策だ」
「知らなくても、たった今、反応して見せたじゃないか」
「……」
ケイティは苦い顔をする。
さきほど飛び退いたのは、ただの偶然だ。なんとなく嫌な予感がしたに過ぎない。
しかし、これからは【遅延】を意識して行動せざるを得なくなった。
いや、それだけではない。
【辛子玉】ひとつ取っても、アルバの風下に立ち、マスクを被る時間を与えてしまった時点で、ケイティの敗北は濃厚となる。
それ以外にも、自分が知らない切り札をアルバがいくつ隠し持っているのかわからない。
そのことを想像するだけで、ケイティは目眩を覚えそうなほどだ。
今後はアルバの行動すべてに細心の注意を払わなければ、到底勝てはしないだろう。
それはあまりにも重い足かせだ。
「行くぞ」
ケイティの迷いを悟ったのか、アルバが一声発して駆け出した。
その一声がケイティの困惑を停滞させる。迷いが解消されることなくわだかまる。
慌てて身構えるケイティだったが、自分がさきほどまでの自然体とはほぼ遠いことを自覚する。
アルバがダガーを振るう。
ケイティがそれを避ける。
今までなら何も考えずに避けられていた単純な刺突に、今は全神経を持っていかれる。
自然に繰り出せていたはずの反撃が出ない。
アルバによる一方的な攻勢が続く。
今のケイティにはそれをかわすのが精いっぱいだ。
その最中、アルバの動きが不自然に止まる。
【遅延】の存在が意識をよぎり、ケイティは慌てて飛び退く。
が、飛び退いた先で動きが止まったケイティ目がけ、アルバはダガーを繰り出した。
体勢が崩れた状態で、避けきれずにダガーを手甲で受け流すケイティ。
手甲が裂け、左腕に浅い切り傷を受ける。手甲の下で血が滴る。
(惑わされるな。所詮はダガーだ。急所さえ突かれなければいい。むしろ、手足一本の犠牲で済むなら上々だ)
腹を決めたケイティは、あらためてアルバに対して構えを取る。
そこへ、アルバがゆっくりと近づいてくる。
ケイティの間合いに入る直前、アルバの動きが止まる。
(ここだ!)
ケイティはアルバと自分の間、虚空に向かって腰を入れずに素早く拳を放った。
それは、見えているとおりにアルバが動いていなければ、単なる空振り。アルバの次の動きを牽制しつつ、自らも隙を生じない軽い一打だ。
だが、アルバが【遅延】を使いすでに動いているならば、接近する速度がそのまま威力となって相手に返り、確実に相手に隙を与える一撃となる。
拳は空を切った。
アルバは動いていなかった。
ケイティの視界の中で、アルバが手放したダガーがゆっくりと落ちてゆく。
何が起こっているのか理解できず、ケイティの思考が止まる。
──パシッ
その瞬間、突き出されたケイティの手首を、ダガーを手放したアルバの右手がつかんでいた。
手首の関節が極められるのを防ぐため、身を翻そうとするケイティ。
その直後、ケイティの体が魔力光に包まれるとともに、宙に舞った。
アルバが手首だけをつかんでケイティを高々と持ち上げ、そして地面へと投げ落とす。
──ドガッ
草むらとはいえ、頭よりも高い位置から投げ落とされたケイティの意識が一瞬飛んだ。
気がつけば、アルバがケイティに馬乗りになり、ケイティの首筋にダガーを押し当てていた。
「とりあえず、ユリシャを止めてくれるか」
そう告げたアルバの首筋に、刃が迫っている。
アルバ背後で刀を握っているのはユリシャだ。
「ユリシャ、やめろ。これは決闘だ。手出し無用だ」
「知らない。ケイティを殺す者を、私は生かさない」
目に見えそうなほどの殺気を撒き散らしながら、ユリシャが言った。
「約束をした。私が話し終えるまで、アルバ殿は私を殺しはしない」
ケイティがそう告げると、ようやくユリシャは刃をアルバの首筋から離した。
それでも、いつでもアルバの首を刎ねられる位置からは動かない。
「いるのはわかっていたんだがな。ケイティが立ち合えというから、手出しはしてこないとたかをくくった。もう少し遅かったら、こっちの首が飛んでたな」
「すまない、アルバ殿。館で待機と言いつけたんだが。それにしても、今のは何だ? どうやって手首だけで吾を投げた」
「【浮力】で浮かせただけだ。人間を包むだけなら俺の全魔力で足りる。実質、革鎧だけの重さなら、俺の筋力でも持ち上がる。魔術師なら誰だってできる芸当だ」
「肉弾戦で戦う魔術師がいれば、だな。箱は本当だったか」
「ああ。魔力は全回復していた。【遅延】は知られていたから、そっちがブラフになった」
「見事だ。それに引き換え……吾は、弱いな。ああ……弱すぎる。本当に……自分で自分が嫌になる」
ケイティは頬に流れる涙を感じていた。止めようと思っても、涙がとめどなく溢れてくる。
まるで、自分の中にあった堤防が決壊してしまったようだ。
ケイティを見下ろしているアルバは、その涙に驚き、戸惑っているように見えた。
「いや、弱くはないだろう。知らない技なら、防げなくて当たり前だ。俺が魔獅子を投げ飛ばした現場を見られていたら、今のも通じなかった。魔獅子を倒した方法を知らないという話が本当で助かった」
「ああ、そうか。それも吾が自ら話してしまったか。まったく、どうしようもないな」
「いっちゃあ何だが、ケイティは正直すぎる。もっとズルくならないとな」
「ズルいさ、吾は。アルバ殿が考えている以上にな。……嘘を吐き続けて、見苦しく生きてる。だが、それも、もう終わりだ。最初から、これで終わりにするつもりだった。これ以上、吾のせいで誰かが危険にさらされるのは御免だ。ここで、アルバ殿に殺されるなら、それもいい終わり方だ」
「だめ。ケイティは死なない! 私が殺させない!」
アルバの背後で、ユリシャが悲鳴にも似た声を上げた。
「ユリシャ、もういい。そんな言いつけを、律儀に守る必要はない。もう吾から解放されていいんだ。ここで殺されても、どうせ変わらん。私は弱すぎる。今の戦いでそれがわかった。これでは、どうせ誰も救えない」
「嫌だ。私は私の意思でケイティと一緒にいると決めた。ケイティが死ぬなら、私もここで死ぬ。だって……友達でしょ?」
「……勘弁してくれ、ユリシャ」
今にも泣きそうなユリシャの声に、ケイティも声を詰まらせながら答えた。
「話せ、ケイティ。あんたは何者だ?」
アルバの問いかけに、ケイティが観念したように目を閉じた。
「ああ。約束だったな。吾は……吾の名はキャスベル・レウォト・ティトロフ。獅子帝エデュの娘だ」
(ああ。あんたが『我が愛しき娘ベル』だったか)
アルバはケイティの告白に驚きもせず、ただそれを受け入れた。




