12.領主邸にて
20/10/12 改稿
「遅い!」
領主邸の玄関広間で一行を出迎えたのは、腕を組んで仁王立ちした、人間離れした美貌の少女だった。
時氏神の依代、マーキナーである。
「神たる儂を待たせるとは何たる不敬じゃ! お前らそこへ直れ!」
「げっ! じゃなくて、失礼しました、マーキナー様」
深々と頭を垂れるガットロウと違い、普段からマーキナーに絡まれることが多い【鷹の目】の一同はまったく動じない。
特にユリシャは遠慮がない。
「おっさん、都合のいいときだけ神様面すんなー。横暴だー」
「うるさい、黙れ、ユリシャ!」
「普通の人間みたく接しろと自分で言ったー。虚偽答弁?だー」
「ええい、わかった。わかったから、ほら、とっとと子爵のところへ行くぞ」
マーキナーも物怖じしないユリシャは苦手らしく、大抵はやり込められている。
マーキナーの後に続いて広い廊下を進み、一行は大きな扉の前に到着した。
領主の応接室である。
【鷹の目】がクルスターク卿に会うのは今回が初めてではない。
サバレンが死んだ後、『息子が迷惑をかけた。代わって謝罪する』と頭を下げられている。
ちなみに、サーバレン本人はよみがえった後に土下座で謝ってきた。
マーキナーからも充分に借りは返してもらっている。
豪奢というより、やたらと頑丈そうな扉をガットロウが押し開け、一行は応接室へ入った。
奥の椅子に身だしなみを整えた、体格のいい壮年の男性が座っている。
クルスターク領の領主であり、子爵のクルスターク卿だ。
「待ちかねたぞ、ガットロウ。よく来た【鷹の目】の諸君」
「は。どうやら、敵の内情について、かなり重要な情報を持ち帰ったようです」
クルスターク卿が、部屋の中にひとりだけいた護衛に目で合図を送る。
護衛は一礼して部屋を出てゆき、外から扉が閉められた。
「挨拶は抜きだ。座るがいい。む、席が足らぬか」
ガットロウに視線で長椅子を勧めた後、クルスターク卿は一同を見渡す。
左右の長椅子には、それぞれ三人しか座れそうにない。
マーキナーはクルスターク卿の許可も取らずに、ガットロウの正面にどっかと腰を下ろした。
なんとも大柄な態度だが、神の依代たるマーキナーならば許されて当然の行為である。
見れば、マーキナーの座る長椅子の背もたれに隠れて、床に腰をおろしたサーバレンが船を漕いでいる。
いくら古巣とはいえ、今はしがない新米冒険者。こちらは間違いなく無礼千万である。
「俺は立ったままでいい」
「吾も立ったままで構わない」
アルバとケイティは座るのを遠慮する。
「んじゃ、私はおっさんのとっなりー。ラキアっちもこっち来な」
ユリシャが許可も取らずにマーキナーの隣へ座り、ラキアを手招きした。
「や。最近ユリシャの手付きがいやらしい」
「がーん」
「では、私がこちらで」
クルスターク卿に一礼して、モナがユリシャの横に座り、ラキアがガットロウの隣へ座る。
ラキアに振られたユリシャは、ショックを隠せない表情でふらふらと立ち上がると、ケイティの背後に回った。
「何だ?」
「影はここにいる。ケイティの髪をいじってる」
「好きにしろ」
「あんがと」
ケイティとユリシャのやり取りと見て、クルスターク卿が笑いを堪えている。
「あいかわらず愉快な連中であるな。さて、話を聞かせてもらう」
アルバは敵の数とその配置を報告し、次いで魔獅子のもつ魔法と魔獅子の正体について【鷹の目】としての見解を述べた。
最後に、魔獣の侵攻に合わせて魔獅子を倒す計略についても説明する。
クルスターク卿は静かにそれを聞き、要所要所で確認を入れ、最後に内容を反芻するように目を閉じた。
「なるほど、獅子帝エデュか。北の帝国でそのような神罰が下っておったとは初耳だ。帝国崩壊については、その後の混乱が甚だしく、情報が錯綜しておったでな」
この国と旧ティトロフ帝国は魔素の濃い森に隔たれている。
安全に行き来できるのは東側の海岸沿いのみで、クルスターク領が位置する西側の辺境ではほぼ交流がない。
「今の話に間違いあるまい。あれは十年前になるか、娘が幽閉中の儂を訪ねてきてな。ああ、娘というのはその神罰を下した女神のことじゃ。儂も助言と、すこし力を貸してやった」
「時氏神様もご存知でありましたか」
マーキナーの発言にクルスターク卿が意外そうな表情を浮かべた。
神々は常に天界から中つ界を見守っていると言われている。
しかし幽閉されている時氏神は、ここ数百年の中つ界には疎いらしい。
クルスターク卿もそんな事情を聞かされていたのだろう。
「であれば、エデュについては、以後、確定情報として扱う。問題は、その【支配】の魔法とやらであるな。【鷹の目】の見解どおりなら、まさしく世界の脅威。早急に王都へ報告せねばなるまい」
「まあ、この国の王家は当てにはならんがな」
マーキナーの発言に場の空気が固まる。
王家に対するあからさまな不敬である。
が、神のほうが王家よりも立場は上であるため、その発言を咎める者はいない。
モナが話を逸らすように発言した。
「王都への連絡ですが、明朝には中央神殿へ連絡できると思います」
「【伝心】の恩寵か?」
「はい。ちょうど明朝がマーキナー様のご様子を報告する定期連絡日になります」
【伝心】は神官が対象と意識を共有し、対象の見聞きしたものや心の声を知ることができる恩寵である。
事前に対象の許可をとる必要があるが、距離による制限はない。
『対象が開始の合図をしてから終了の合図をするまでの間だけ許可する』といった条件づけも可能だ。
消費が少ない割に強力な恩寵である。
難点は、対象側から緊急で伝えたいことがあっても、その時点で神官側が恩寵を賜っていなければ伝わらないことだ。
逆に、神官側が恩寵を賜っても、対象側は自分の心がのぞかれていることに気づきもしない。神官側から対象に気づかせる方法もない。
そのため多くの場合は、事前に連絡する日時を決めて使用される。
「なれば、援軍要請も伝えてもらおう。内容は後で詰める。王命が下れば、おそらく辺境伯から騎馬部隊が出る。準備も入れて丸二日と言ったところか。念のため、直接辺境伯にも早馬を出そう」
「西の辺境伯か。あやつはわざわざ儂に挨拶に来たのう。王家はダメダメじゃが、あやつなら問題なかろうて」
マーキナーが満足気にうなずいた。
「宣戦布告が虚偽でないなら、近場の町や村に出払っている冒険者は明日の昼までに全員呼び戻せます。木級冒険者が三十名といったところでしょうか」
ガットロウがギルドから出せる戦力を報告した。
「エデュは宣戦布告を違えたことはない。この首を賭けてもいい」
「人伝に聞いた限りでは、獅子帝はそういう点には律儀だったと記憶している。間違いはあるまい」
ケイティの言葉にクルスターク卿も同意した。
「後は、周辺の領主どもにも声をかければ、兵を出すじゃろう。なにせ内々に臣下の礼を取っておるくらいじゃからの」
マーキナーがニヤリと笑う。
ガットロウと【鷹の目】一同の視線が一斉にクルスターク卿に注がれた。
クルスターク卿は咳払いをひとつしてから、声をひそめて言う。
「他言無用に願おう」
皆が一斉に首を縦に振った。
道すがらガットロウが話していた内容から、ことは一段階先へ進んでいたようだ。
王国西北の辺境一帯にクルスターク派閥が形成されたと見てよいだろう。
時氏神の帰還をきっかけとして、地方豪族であったクルスターク家が、数百年ぶりに本来の権勢を取り戻したともいえる。
ほかの旧地方豪族が侯爵に封じられている事実を踏まえれば、爵位だけが釣り合っていない。
「しかし、最も近い東隣のガナウ領からでも、兵の到着まで丸一日は見たほうがよい。つまるところ、明日一日は間違いなく兵力が足らぬ。どうやら、さきほどの提案に乗るしかなさそうであるな」
クルスターク卿が【鷹の目】の一同を順番に見やる。
「任せてくれ。必ずや、やり遂げよう!」
ケイティが一歩踏み出して、力強く宣言した。
アルバを含めたほかのメンバーもうなずく。
「こやつらなら大丈夫じゃろう。やらせるがいい、子爵」
マーキナーも【鷹の目】を後押しする。
「ただし、儂自身は魔獅子討伐には助力できんから、そのつもりでいろ。神界にも掟はある。神罰を下された者に、別の神が勝手に手を出すのはご法度じゃ。この街の守りに関して協力は惜しまん。あまり死人を出すなよ。マーキナーの恩寵では追いつかなくなる」
「おっさんでも掟は守るん?」
いつの間にかマーキナー座る長椅子の後ろに移動していたユリシャが、背もたれにあごを乗せて尋ねた。
「お前なぁ、儂をなんだと思っとる。儂は別に罪を犯して幽閉されたわけではないのじゃぞ?」
ユリシャに品性を疑われて、マーキナーは不満顔だ。
「ちょうどいい。お前ら、さきほど儂が王家をダメダメじゃというたら、戸惑った顔をしておったな。理由を教えてやろう。そうじゃな……ラキア、お前は儂が中つ界に干渉できなくなった理由を知っておろう?」
「え、私? ええと、ほかの神様に嘘と悪戯を重ねすぎて幽閉された、から?」
また不敬と叱られるのを恐れてか、ラキアがモナの顔色をうかがいながら返答した。
「うむ、正解じゃ。では、モナ、建前は?」
「神典には『父なる神は力を失い、天界の高みにてご隠居なされた』となっております」
「おっさん、ご隠居様? なんかかっけー。これからはご隠居様って呼ぼう」
「好きにせい。いいから頭を撫でるな、ユリシャ。その手付き、いらやしいぞ」
「がーん」
ユリシャの頭が長椅子の陰に引っ込んだ。
直後、サーバレンがうなされている声が聞こえてくる。すねたユリシャが眠っているサーバレンをおもちゃにしているようだ。
「それで話を戻すとな。王家は建前を鵜呑みにして、儂を力を失った神だとあなどったようじゃ。信じられるか? ラキアのようにちゃんと神学を学んでおれば、知ってて当然のことじゃぞ? 神官を相談役に置いてすらおらんということじゃ」
マーキナーの発言を聞いて、モナとラキアが苦い顔をした。
アルバにはピンと来ないが、どうやら王家としてはかなりまずい状態らしい。
「儂をあなどっていることは、サバレンを殺す選択をしたことからも明白じゃ。王家にも事情はあったろう。儂の存在を秘匿したまま、サバレンを殺さないという選択をすれば、信心深い貴族どもからそっぽを向かれる。『迷宮殺しを極刑に処さないとは、王家は神殿を軽視している』と言われてな」
神への信仰心は平民よりも貴族のほうが厚い。
なにしろ貴族、ひいては王族の権威は、神の加護が根幹にあるからだ。
その点に思いいたれば、王家が神学を軽んじている状況は、なるほど褒められたものではない。
自らの権威の拠り所に背を向けているようなものだ。
「最終的にサバレンを処刑したのは、『王家は神殿に対して誠意を示した』という体裁を貴族たちに示すためじゃ。当の神殿がサバレンの処刑を望んどらんのにな。なにより、クルスターク家の氏神である儂がへそを曲げる危険性を無視しておる。力を失った神じゃとあなどっている証拠じゃ」
と、そこでマーキナーが悪戯を成功させた悪ガキの笑顔になった。
「で、その後、儂がサーバレンをよみがえらせたことを知って、王家は大慌てじゃ。ようやく誰にけんかを売ったのか気づいた。ぶっちゃけ、王家は詰んだ。ざまぁみろじゃ」
「ひとつ質問していいか? サバレンの処遇を決める段階で、王家がマーキナーの存在に気づいていなかった可能性はないのか?」
頭に浮かんだ疑問をアルバは素直に口にした。
クルスターク卿がぎょっとした顔になったのを見て、マーキナーの話に疑問をはさむのも不敬に当たるのだと気づく。
当のマーキナーはまったく気にする様子もなく、アルバの質問に答える。
「仮にそうじゃとしたら、無能が過ぎる。神殿が存続の働きかけをした時点で、クルスターク家が氏子であるのは明白じゃ。神殿がいち貴族に肩入れする理由がほかにないからの。その氏子の子息が『迷宮殺し』じゃぞ? 怪しさ満点じゃろ?」
マーキナーの問いかけに、一同は顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
思うところは人それぞれだろう。サバレンがまともな貴族子息なら確かに怪しい話だ。
だが、当人の馬鹿野郎加減を知っているアルバとしては、さもありなんとしか思えない。
「王家が『迷宮殺し』の詳細を調査せなんだ、というなら問題外。調査をしたのに儂の存在に気づかぬなら、神殿相手に探り出せなかった、ということになる。あほか!? 神官は嘘がつけんのじゃぞ? それどころか神殿側は、王家が察してくれることを望んどったはずじゃぞ?」
そこで、マーキナーは一度深くため息をついた。
「この国の王家はもう駄目じゃ。神を知らぬ。知ろうともせぬ。この国の氏神は武神じゃからな。戦争がなくなって加護も無用になったか。じゃからといって過去の恩義を忘れるようでは、遠からず氏神にも見放されよう」
氏神に見放されるということは、権威を失うことである。
この国の王家は、権威なしでも揺るがないほど盤石な支配体制を敷いているとは言いがたい。
「そも、なにゆえ神殿が儂の存在を秘匿したがるか、わかるか、アルバ?」
マーキナーから唐突に問いかけられ、アルバは戸惑う。
神殿がサバレンを『神の使徒』と認識しているなら、その人物を罪人にしてでも隠したい理由があったはずだ。
しかし、それが何なのか、アルバには思い当たらない。
「……わからん」
「素直に無知をさらせるのはお前の強みじゃな」
はなから正答など期待していなかったのだろう。マーキナーはアルバの返答に笑みを浮かべた。
「いいか? 本来、依代は時代の変革期に現れる。じかに神の意思を伝える必要に迫られたときにだけ顕現する。依代が現れたと知れば、今の世を壊したいと願う者たちが動き出す。『変革のときは来た』とな」
つまり依代は、存在するだけで現体制を破壊する大義名分になりうるということだ。
「じゃが儂は例外じゃ。単に儂の楽しみのためにここにおる。それを知った神殿は、無意味に世が乱れるのを避けたかったのじゃ。しかし、この国の王家といい、獅子帝エデュといい、氏子の劣化が甚だしい。変革は避けられまいて。この時代に図らずもマーキナーがよみがえった。それもまた、時の妙よのう」
(いや、マーキナーの復活を図ったのはあんただろう?)
神妙な面持ちのマーキナーに、アルバは心のなかで突っ込みを入れた。
それから、どこまでがこのとんでもなく厄介な神の謀なのかと考えを巡らせる。
この神は、おそらく世が乱れて国が滅ぶさまを見ながら、腹を抱えて笑うに違いないのだ。
アルバの予想を裏付けるように、マーキナーが薄気味悪い笑みを浮かべてクルスターク卿に語りかける。
「さて、この国の次の王家はどこになるかのう、子爵よ。西の辺境伯か? あれはよいのう、子爵と同じ匂いがする。武人じゃ。儂にわざわざ挨拶に来る分別もある。この国の氏神も気にいるじゃろうて。仮にこの国の氏神が手を引くというなら、儂がお前を王にしてもよいぞ?」
「!? 御冗談を……」
クルスターク卿の顔がひきつっている。
おそらくこの場の誰も、マーキナーの言葉が冗談だとは思っていない。
そもそも、この時氏神に冗談と本気の境目があるのかどうかも疑わしい。
(やはり、この領は王都と戦争する羽目になるんじゃないか?)
アルバは大真面目にそんなことを心配するのだった。




