8.斥候は魔獅子と対峙する
20/07/10 改稿
20/10/08 微修正
自らを魔獣帝と名乗った魔獅子に、アルバは半ば呆れる。
自らを矮小と称しながら、『王』よりも位の高い『帝』を名乗る。さきほどは『支配者たる我』とも言っていた。
この魔獅子はどこまでも不遜だ。
(厄介だな。だが、付け入る隙にはなるか)
不遜を隠れ蓑に用心深く立ち回る者は、敵に回すと厄介だ。
一方で、心底から不遜な者は増長して周囲に損害を撒き散らす。これもまた厄介。
さきほどから魔獅子は、語らなくていいことまでアルバに語っている。用心深い質とは思えない。
つまり後者の心底不遜な輩であり、増長により口が軽くなっている可能性が高い。
あるいは『他者に言葉を届ける魔法』とやらの弊害で、考えていることが相手に伝わりやすいだけかも知れない。
いずれにしろ、情報収集の相手としては好都合だ。
アルバは期待を込めて魔獅子に問いかける。
「なぜ、獣が人間の言葉を理解できる? 神獣か何かか?」
『神獣か。はっ、我から最も遠い存在だな。さて、何と答えたものか? ああ、こういうときの常套句がある。神がそのように造り給うた、とな。あるいは、神にとっても誤算であったかも知れぬが』
頭の中に響く声色から魔獅子の愉悦が感じ取れる。
神の誤算、というのがよほどうれしいらしい。
「なぜ、スタークの街を襲った」
『目の前にあったからだ。その不運を呪うがいい。一応聞いておいてやろう。あの街に神殿はあるか?』
「……ある」
『ならば、それが理由だ』
「神殿を破壊するのが目的か?」
『いや、違う。街を破壊する。ただそれだけだ』
「そうか」
それきり、アルバは沈黙する。
手段はわかった。目的も知れた。
動機についてははぐらかされた形になるが、一度はぐらかした事柄についてそうそう口は割るまい。
モナに確認する必要はあるが、今の会話で正体もほぼ確定だ。正体が知れれば、おのずと動機も推察される。
これ以上、聞き出せる情報はないだろう。
『どうした? もう質問は終わりか』
「ああ。もう回復したしな」
その言葉と同時に、アルバは【浮力】を発動した。
【消音】で消費していた魔力は会話の間に完全に回復していた。
一瞬腰を落とし、アルバは地面スレスレに跳ぶ。
最も高速で動け、かつ、いつでも地面を蹴って方向転換が可能な跳躍だ。
ただし障害物に触れやすく、そうなれば体勢を崩して転倒は免れない危険な移動方法でもある。
魔獅子の追跡を避けるため、アルバは木々の隙間を縫うように進む。
進路にある木々の位置を瞬時に見極め、跳躍を繰り返す。
何かがアルバの脇を通り過ぎ、木の幹に当った。
(ちっ! やはり、魔力弾も撃てるのか)
それは魔物の魔法使いがよく使う、原始的な魔法だ。
冒険者の間では【これでも喰らえ!】あるいは【こいつを喰らいな!】というふざけた名前で呼ばれている。
この魔法を喰らうと、そういった強烈な敵意を感じるのだ。
破壊系魔術では魔力に破壊的な効果を付与するが、この魔法では純粋な害意が付与されている。
これを喰らうと、外傷は受けないのに、ごっそりと体力、気力を奪われ、最悪の場合はショック死する。
ただし生命を持たないものに対しては、害意も無効らしく、効果を発揮しない。
魔獅子の放った魔力弾はひとつではなかった。
複数の魔力弾が連続してアルバに迫る。
アルバは地面を蹴り、幹を蹴り、細かく跳躍の方向を変えて、なんとかすべての魔力弾を避けた。
方向転換のたびに体勢が急激に変化し、見えている風景が目まぐるしく移り変わる。
終いにはアルバ自身にも進んでいる方角がわからなくなりかける。
木に激突せずに済んでいるのが不思議なほどだ。
(なんて攻撃だ!)
魔物がこの魔法を使う場合、一発にありったけの魔力を込めて、大雑把な狙いで撃ってくることが多い。
本当に『これでも喰らえ!』とばかりに、怒りに任せて攻撃してくるのだ。
一方で、魔獅子が使う魔力弾は、一発の威力は低そうだが、そのぶん弾数が多く、狙いも正確だ。
相手を執拗に追い詰めようという執念を感じる。
(それでも、確実に魔獅子を引き離している)
アルバがそう確信した瞬間、アルバの視界に何者が割り込んできた。
魔鹿だ。
魔鹿の角をすんでのところで避けたアルバは、体勢を崩し、それでもなんとか足から着地しようとする。
その足を伸ばした先に、何匹もの魔兎が飛び込んできた。
「くそっ!」
魔兎が足にぶつかり、アルバは着地に失敗する。
体を回転させてどうにか受け身を取ったが、その背中を魔力弾が撃ち抜く。
「がっ!」
一撃で意識が飛びかける。
どうにか意識をつなぎとめるが、体力をごっそりと奪われ、体がいうことを利かない。
意識が薄れたことで【浮力】も解除された。
アルバは木々に囲まれた草むらに横向きに崩れ落ちた。
『手間をかけさせる』
森の中を魔獅子が近づいてくる。
その体の周りには、いくつもの魔力弾が浮いていて、いつでもアルバに止めを刺せる構えだ。
アルバは一切の身じろぎをやめ、魔力と体力の回復に務める。
目の前にまで近づいた魔獅子は、その前足をアルバの肩の上に乗せ、動きを封じてきた。
『お前はここで死ぬ。どうだ? 悔しいか?』
「ああ。……情報を持って帰れないのは斥候としては口惜しい限りだな」
どうやら魔獅子はまだ話し足らなかったらしい。
時間稼ぎのため、アルバはそれに付き合ってやる。
『ふむ。ひとりで死んでゆく恐怖はないのか?』
「斥候だからな、俺は。死ぬときは、今のようにヘマをやって、ひとりで死んでゆく。無事に戻らなかった事実が、皆に残す最後の情報だ。死なない斥候が一流、ひとりで死ぬ斥候が二流、仲間と一緒に死ぬ斥候は三流以下だ。そいつは仲間を死地へと誘導したことになるんだからな」
『ふむ。なるほど、それが斥候の矜持というものか。面白い。ところで、殺す前にひとつ尋ねたいことがある』
「その斥候の矜持とやらを持っている俺が、味方の情報をしゃべると思うか?」
『魔狼を退けた赤毛の戦斧使いがいたな? お前もあの場にいたはずだ。あれは何者だ?』
「……」
アルバは沈黙で答えた。
『ふむ。では、我があれの正体を知っているとしたら何とする? あれは人間ではない。違うか?』
「……」
『そうか、お前はあれの素性を知らぬのだな。表情を見ればわかる』
魔獅子の前足がアルバの体の上から離れた。
とはいえ、魔力弾に狙われているため迂闊には動けない。
「何の真似だ?」
『ひとつ伝言を頼みたい。それだけでお前は生きて帰れる。お前の言う斥候の矜持が本物なら、敵に情けをかけられる屈辱よりも、味方に情報を持ち帰ることを優先する。違うか?』
「話せ」
アルバは即答した。
『あの、赤毛の戦斧使いに伝えよ。復讐者が戻った、とな。それと、そうだな、次はちゃんと殺してみせろ、と我が言っていたとな』
「それだけか? それだけのことで、俺に自軍の情報を持ち帰らせると?」
『お前が持ち帰る情報に何の意味がある。この魔獣の大群を持って、あの街を蹂躙する。止められはしない。うむ、今の言葉をもって、我からあの街への宣戦布告としよう』
「いいだろう。分のいい取引だ」
『ならば、今からお前は宣戦布告の使者だ。配下にも手出しはさせぬ。安心して帰るがいい』
満足げにそう告げると、魔獅子は森の中を引き返していった。
いつの間にか魔鹿や魔兎の気配も遠のいている。
(切り札を一枚も切らずに済んだか。我ながら強運だな)
寝転がって体力を回復させつつ、アルバは手の内の切り札を数える。
最初の三枚で命をつなげば上々くらいには考えていたが、すべてを温存できた。
どのみち最後の一枚が強力すぎるので、どうとでもなるのだが。
アルバは身を起こし、魔獅子の去った方向を見つめた。
(あの様子では、自分が敗北につながる言葉を吐いたことにも気づいていないのか? 自殺願望のある阿呆か? さもなきゃ、哀れになるほどの傲慢さだ)
充分な情報も得た。魔獅子の戦闘力も知れた。
もっとも、魔獅子がまだ奥の手を残している可能性もあるが。
逆に敵に与えてしまったものは何か、とアルバは思索を巡らせる。
敵の斥候を一度は捕らえ、あえて逃してみせた優越感?
お笑い草だ。
宣戦布告の使者?
そもそも、大義名分を必要とする戦争ではない。宣戦布告されたところで、こちらは準備を万全にするだけだ。
いち斥候が仲間であるケイティの素性を知らない、という情報?
それに何の意味がある。
ケイティへの伝言を伝える使者?
おそらくこれが魔獅子にとっては重要だったのだろう。
そのために、わざわさアルバを追ってきたのだ。
(ケイティが人間ではない、と言っていたか?)
アルバはケイティを思い浮かべ、彼女が人間ではなかった場合を想像する。
「……なんだろう? ケイティがバケモノだろうと戦女神だろうと、あんまり違和感がないな」
アルバは腕を組んで、けなしているのか褒めているのか自分でも判別がつかない、しかし偽らざる本音をつぶやいた。




