7.斥候は敵情を探る
20/07/10 改稿
20/10/08 微修正
魔狼の群れを追跡したアルバは、北の森に入ってすぐに異変を察知した。
魔獣の気配がそこかしこから感じられ、その密度が尋常ではない。
追跡をいったん中止したアルバは、魔獣に近づきすぎないように注意して移動しつつ、全容の把握に務める。
結論から言えば、かなり狭い範囲に異常な数の魔獣が集まっていた。
まるで広大な北の森に住むすべての魔獣がこの近辺に集結したかのようだ。
しかも、同種の魔獣が群れとしてはありえない規模で一箇所に留まっている。
(まるで、いつぞやの軍隊だな)
アルバは昔見た、とある印象的な軍隊を思い出していた。
当時の軍隊といえば、各領主が複数の兵科と召使いを束ねた部隊を持ち寄り、それらが横並びになった雑多な集団、というのが当たり前だった。
しかし、ある国の軍隊だけは違っていた。
兵士は全軍まとめて兵科ごとに効率的に配置され、兵站の管理を一括して行う部隊も別に存在していた。
今、森の中に展開している魔獣の大群は、その軍隊が陣形を維持したまま待機していたときの様子を彷彿とさせた。
たとえば、大群の南、スタークの街に一番近い側には魔猪が配置されている。
まるで突進力を活かして先陣を切る重騎兵のようだ。
アルバが追ってきた魔狼は大群の西側に留まっている。
こちらは機動力を活かして敵の側面をつく軽騎兵だろう。
魔猪の後ろ、大群の中央付近には魔熊が控えている。
こちらは戦闘力に優れた重装歩兵に当たるだろうか。
それらの配置は、どう考えても魔獣の特性を考慮しているとしか思えない。
(これが軍隊なら、スタークの街を攻略するには充分な戦力だ)
街を襲った魔狼の行動は確かに異常だった。
だが、ここ最近の魔獣全体の異常性を考えるなら、まだ説明がつかないでもない。
たとえば、こうだ。
異常行動の延長として百匹に膨れ上がった魔狼の群れが、たまたまスタークの街に到達した。
東門の向こうに大人数の気配を察知した先頭の一匹が、分の悪さを感じて塀沿いに走り出した。
それを群れ全体が追いかけ、結果として手薄な西門に到達して、これを襲った。
そして、形勢が不利になった時点で偶然にも獅子の咆哮が響き、その声に怯えた魔狼は一斉に森へと逃げ帰った。
できすぎた仮定だが、まったくありえない話ではない。
一方で、悪意を持った人間の介在も否定できない。
【消音】が魔物にも効くように、魔獣にも幻惑系魔術は効果を発揮する。
数人がかりであれば、百匹を越える魔狼を操るのも不可能ではない。
実のところ、魔狼による西門急襲を目撃したアルバは魔術師の存在を疑った。
そのほうが魔獣の異常行動で片付けるより、よほど現実的だからだ。
そして今、アルバの目の前には、どう見ても戦術的に配置された魔獣の大群がいる。
ならば、先の魔狼の襲撃は威力偵察とは考えられないか?
(やはり、何者かが魔獣を操っているのか?)
敵の総数と配置がわかっただけでも充分に収穫はあった。
しかし、できれば黒幕の正体も知りたい。
(もう少し探りを入れるべきか?)
逡巡するアルバの視線の先に、ここまで追ってきた魔狼の群れが見えた。
その様子にアルバは不自然さを感じる。
(何かおかしい。あの魔狼たちはじっとしたまま、何をしている?)
アルバは【浮力】を解除し、【消音】を発動して、風下から用心深く魔狼の群れに接近を試みた。
ただし、鼻も耳も利く魔狼相手では遠目に様子をうかがう距離が限界である。
そこでアルバが目にしたのは、魔狼が食事をする光景であった。
餌食になっているのは魔兎だ。
(悪い冗談だ。何なんだ、これは!)
魔獅子に怯えることもなく付き従う魔鹿の話をアーガスから聞いてはいた。
しかし、眼前で繰り広げられる状況の異常さは、その比ではない。
茂みの中から次々と魔兎が姿を現し、自ら魔狼の前に歩み出て、腹をさらして横たわる。
抵抗することもなく、魔兎はその身に魔狼の牙を受け入れてゆく。
そう、魔兎は自らすすんで魔狼の餌になっていた。
死へと向かう列に並び、ただ従順に己の順番を待ちながら。
そして、自ら目の前にやって来る食糧を、魔狼たちはもくもくと腹の中に収めてゆく。
アルバは吐き気を覚えた。
異常行動以前の問題だ。
この魔兎たちは、もはや生き物としての最低限の生存本能すら失っている。
(最上級の幻惑系魔術でも、こうはならない。ならないはずだ)
アルバの乏しい知識では確信を持てなかったが、幻惑系魔術で相手を自殺させることはできなかったはずだ。
幻惑系魔術を用いて自殺的な行為を強要し、結果として死に至らしめることなら不可能ではない。
しかし、その場合も、本人がそれを自殺的な行為だと気づいていない必要がある。
要するに、本人が死を確信できるような行為を強制はできないのだ。
ラキアからはそう聞いている。
魔狼の前に姿を表す時点で、魔兎は生命の危機を感じるだろう。
それでもまだ、死の確信があるとは言い切れない。
しかし、その牙を身に受けることが死につながらないと思えるはずがない。その時点で抵抗して然るべきだ。
(俺たちは、一体何に直面している?)
アルバの背筋に冷たいものが走った。
残念ながら、魔兎の行動を説明できる仮説が今のアルバには何ひとつ思い浮かばない。
状況はあまりにも不可解だ。
嫌な予感しかしない。
ここで深追いすれば、アルバ自身が危険にさらされる可能性も高いだろう。
しかし、ここで引き返せば、後々誰かが確実に危険にさらされる。
これはそういう類の脅威だと、とアルバの直感がささやく。
自らの危険を顧みて、本隊を危険にさらす斥候など、もはや斥候とは言えない。
斥候たるアルバは、この脅威の正体を探らねばならない。
(これが軍隊なら、後方には補給部隊が控えている。この場合は魔兎や魔鹿か)
自らが食われるために軍隊に付き従う補給部隊である。
冗談でもぞっとしない話だ。
(補給部隊と戦闘部隊の中間地点に本陣があるなら、後方から侵入できないことはない)
魔兎は嗅覚にも優れるが、魔鹿は聴覚に頼っている。
後方から【消音】を使って侵入すれば、魔兎には気づかれても魔鹿には気づかれずに済むだろう。
魔兎は敵を発見しても身を隠すか逃げるだけで、攻撃もしてこなければ鳴きもしない。つまり、魔兎に気づかれる分には問題ない。
そして、これが軍隊なら本陣には司令官がいる。
魔獣の大群を操っている何者かが、そこにいる可能性は高い。
アルバは森の中をいったん大きく迂回し、風下から大群の後方へと近づいた。
そこから、魔鹿の群れの脇を抜けて、大群の中心近くまで進入してゆく。
【消音】を発動し、木々の陰を利用して姿を隠し、地上を慎重に進む。
やがてアルバは、森が大きくひらけて下草だけが生い茂る空間に出た。
その中心に、大型の獣と思わしき影がひとつだけ寝そべっている。
魔獅子だ。
体格は魔熊よりやや劣る程度で、獣としては充分に大きい。
黄金のたてがみをたくわえた威風堂々たる姿は、途方もない威圧感を放っている。
魔獅子のほかには、人の気配も、ほかの魔獣の気配も一切ない。
どうやら、この魔獅子が敵の大将らしい。
かたわらに護衛を置かないとは、随分と豪胆な大将だ。
(魔術師らしき者の姿はなしか。しかし、この魔獅子を通じて魔獣を操っている何者かがいる可能性もある)
そのとき不意に、魔獅子が頭を上げ、アルバのほうを見た。
(見つかった!)
どうやら匂いで気づかれたようだ。
迂闊だった。いつの間にか風向きが変わっていた。
森はすでに逢魔が時を迎えていた。
深い森の薄暗さに目が慣れてしまい、日が暮れて風向きが変わる時間帯に差しかかっていたことに気づくのが遅れた。
アルバは自らにかけていた【消音】をすぐさま解除した。
『鼠は徴兵しておらぬはずだがな。どこから迷い込んだ?』
アルバの頭の中に何者かの声が響いた。
まるで、突如として過去に聞いた言葉を一語一句まで思い出し、しかし、その声の主が誰だったかは思い出せない、そんな感覚だ。
だが、アルバには確信があった。
話しかけてきたのは、目の前の魔獅子だ。
相手の意識に直接自分の言葉を伝える魔術は存在する。
しかし、それは魔力が届く一定範囲にいる相手にしか効果がない。
現状、周囲に魔獅子以外の気配はない。
神官が対象と意識を共有し、対象の見聞きしたものや心の声を聞く恩寵もある。
こちらは対象の同意が必要なかわりに距離による制限がない。
しかし、心の声を聞くのは神官側に限られるので、現状には当てはまらない。
つまり、今このとき、アルバの意識に言葉を伝えられる存在は、目の前の魔獅子しかいないことになる。
(ばかな! 言葉を話す魔獣だと? おとぎ話じゃあるまいに!)
神話の類には、神に仕える神獣や、神々の戦いにおいて尖兵となった怪物など、言葉を解する獣が登場する。
しかし、それらは伝説上の存在で、少なくとも現代では実在しない。
『鼠よ、自ら我の餌になりに来たか? 魔兎のように? しかし、あいにく人間を食らう趣味はない。しかもお前は、いかにも不味そうだ。まあいい、我が前に歩み出よ』
一瞬、アルバは魔獅子に歩み寄りたくなる衝動に駆られたが、思いとどまった。
まるで魔獅子が無条件に従うべき相手のように思え、しかし、そんなはずはないと心の中で否定する。
『ふむ。前に会った北方の狩人には声すら届かなかったが、お前には我の声が届いているようだ。今は魔獣に限ったこの【支配】も、慣れてくれば人間にも効くようになるのかも知れぬな』
「【支配】だと?」
『そうだ。他者に我の言葉を届け、その言葉に従わせる。支配者たる我に相応しい力だ』
つぶやくように言ったアルバの言葉は、どうやら魔獅子に届いたようだ。
獅子はもともと聴力に優れているが、この魔獅子にもそれは当てはまるらしい。
魔獅子の語る【支配】が概念的な意味ではないことがその言葉から伝わる。
それは、もっと具体的な作用を持った力を意味している。
そして、魔兎の例を見る限り、それは幻惑系魔術よりも強制力を持っている。
神であれば、そんな力をふるうこともできるだろう。
しかし『神は支配せず。ただ加護するのみ』と神典にあるそうだ。モナの言葉なので間違いはないだろう。
だとすると、残る可能性はひとつ。
「……魔法か?」
『ほう、察しがよい。いかにも魔法だ。なに、不思議はあるまい。魔物は魔法を使うという。ならば、魔物化した獣が魔法を使うのに、何の不思議があろうか』
確かに魔物は魔法を使う。
だが、相当に賢いゴブリン・メイジですら、ようやく破壊系魔術に近い魔法を使える程度だ。
それ以下の知能しか持たない魔物は、生来の特性を強化したり、魔力を直接相手にたたきつけるだけの原始的な魔法しか使えない。
言葉で相手を支配する魔法。
それを使うには、少なくとも言葉や支配という概念を理解していなければならない。
ならば、この魔獅子は人間と同等の知能を持っていることになる。
現にアルバと会話が成り立っている以上、それを疑う余地はない。
「太古の魔法使い……」
口をついて出た己の言葉に、アルバは顔をしかめた。
同時に、背筋に戦慄が走る。
同じ魔法使いでも、魔物の魔法使いと、太古の魔法使いでは、まったく意味が異なる。
後者は、人間の知能と魔法が結びついた存在だ。
太古の昔、神の如き力で人間を支配した存在。
迷宮を創造し、いつしか歴史の陰に消え去った存在。
それは災厄でしかない。
伝説上の災厄だ。
『ふむ。なるほど。太古の魔法使いか。確かに、我はそれらと同等の存在かも知れぬ。面白い。ならば、ゆくゆくは人を支配し、世界を恐怖に陥れようか。ああ、迷宮に引きこもる手もあるか』
魔獅子の口が不自然に歪む。
まるで、笑えぬ身で無理に笑おうとしていかのようだ。
その語り口から察するに、迷宮に引きこもるつもりは毛頭なさそうだ。
(最悪だ……)
得体の知れない何かを相手にしている自覚はあった。
しかし、まさか相手が、何の間違いか人間並みの知能を持ち、魔法に目覚めた魔獣だとは。
本当にこの魔獅子が太古の魔法使い並の脅威なら、個人どころか、いち辺境領が対処すべき案件ですらない。
国家が、いや、世界が対処すべき敵だ。
「何者だ、お前は」
だがなぜ、このような存在が目の前にいるのか、アルバには見当もつかない。
魔法に目覚めた人間ですら、ここ百年は歴史に登場していない。
まして、人の言葉を解する獣など神話の中にしか存在しない。
『さて、何と名乗ろうか。巷では、太古の魔法使いが復活し、世界を脅かすなら、それを魔王と称するらしいが。今の我は魔獣を従えるのみの矮小な存在。ならば、魔獣帝とでも名乗ろうか』
自らを『魔獣帝』と名乗ったその魔獅子は、口を歪ませ、不器用に笑った。




