6.戦斧使いは魔狼に吠える
20/07/10 改稿
すぐさま塀のへりを引き返したアルバは、最初にあった櫓を経由して、塀沿いの建物の屋根に跳び移った。
そこから一直線に西門を目指す。
北の大櫓ではラキアが【望遠】で周囲を俯瞰しているはずだ。
すぐ事態に気づくだろう。
それがケイティに伝われば、彼女は戦況に対して正しい判断を下す。
その点について、アルバは一切の懸念を抱かない。
残念ながら、ラキアが全魔力をつぎ込んだとしても、百匹の魔狼を足止めすることは叶わない。
範囲攻撃で一時的に勢いを削ぐのが限界だ。
まして、ユリシャとケイティに恩寵を施したとしても、塀の外を走る百匹の魔狼を阻むことはできない。
散開されて、すり抜けられるのが落ちだ。
(やはり、守るべきは西門だ)
おそらく【速さを授けよ】の恩寵を施されたユリシャが、アルバよりも先に西門に到着するだろう。
彼女の速さは恩寵なしでも【浮力】を使ったアルバに遜色がない。
ならばアルバがするべきことは何か。
少しでも早く西門に到着して、援軍が到着するまでの時間を稼ぐことか。
しかし、少ない人数で時間稼ぎが可能だろうか?
西門へと直進するアルバは、視界の隅にギルド支部の屋根を見つけた。
支部は西門からさほど離れていない。
アルバは頭の中で時間経過を計算する。
(衛兵の声で目を覚まし、仲間と会話し、装備を整え、宿を出て、ギルド支部へ走る。予想どおりなら、ちょうど今頃、ギルド支部の近くにいるはずだ。そう分の悪い賭けでもないな……)
アルバは進む方向を少しだけ変え、ギルド支部のある通りを目指した。
アルバがギルド支部の前に着くと、そこには通りでたむろする冒険者の姿があった。
アーガスの同僚である【深淵の槍】だ。
アルバは賭けに勝った。
判断に迷ったらギルドに行く。それはもはや冒険者の習慣になっている。
彼らとて、その例に漏れなかったようだ。
「西門だ! 急げ!」
アルバは屋根の上から声をかけ、そのまま西門へ向かう。
【深淵の槍】の一行の声が背後から追いかけてくる。
「え? 今の誰だ?」「上だ。【鷹の目】のアルバだ。西門へ行くぞ」「いや、だって、東からと聞いたぞ?」「いいから、急げ!」
アルバの行く先に西門が見えてくる。
スタークの街より西には小さな村しかないため、西門は裏門という位置づけだ。
それでも荷馬車一台が余裕で通れる大きさがある。
すでに西門には魔狼の群れが到達しており、門をめぐる攻防戦が始まっていた。
戦況はすこぶる悪い。
味方は最初から西門の警備を任されていたのであろう衛兵四名に、すでに到着していたユリシャを加えた五人しかいない。
ユリシャは、アルバよろしく塀のへりに上がり、塀をよじ登ってくる魔狼を二刀で追い払っている。
【速さを授けよ】の恩寵がまだ効いているらしく、丸太の突端を足場にして左右に動く様子は、速すぎて滑稽に見えるほどだ。
ユリシャに加えてふたりの衛兵が塀の内側から長槍で魔狼の侵入を牽制している。
残るふたりは門の扉を押さえるのに必死だ。
魔狼がひっきりなしに扉に体当りする音が、アルバの耳にも届いていた。
魔狼の体重は人間の成人に近く、それが四、五匹で同時に体当たりを繰り返している。
衛兵ふたりで押さえていたとしても、いずれは閂も蝶番も壊れてしまうだろう。
仮に魔狼が一匹でも塀を越えたら、扉を押さえている衛兵が後ろから襲われることになる。
衛兵がひとりでも門から手を離せば、すぐにでも扉が破壊され、魔狼が街になだれ込むだろう。
そんなギリギリの攻防戦が続く中、西門に到達する魔狼の数は増える一方だ。
それでも、百匹を越える魔狼がすべて西門に到達したわけではない。
おそらくラキアが全力で足止めした結果だ。今頃は魔力が尽きているだろう。
ユリシャに加勢すべく、アルバは門の脇の櫓を経由して、塀の上へと降り立った。
塀に爪を立ててよじ登ろうとしている魔狼へとアルバは走り寄る。
しかし、アルバがダガーを振るうより早く、魔狼が飛び退った。
アルバは別の魔狼を見つけて近づくが、やはり魔狼はすぐに逃げる。
その繰り返しだ。
数に勝る魔狼は、無理する必要がないことをわかっているのだ。
その間にも魔狼はどんどん数を増し、もはやアルバとユリシャの手には負えなくなってくる。
そこにようやく【深淵の槍】の一行が到着した。
「なんてこった! 一匹も街に入れるな!」
彼らは慌てて塀を越えようとする狼を追い払い始める。
だが、焼け石に水だ。
皮肉なことに、その名前に反して【深淵の槍】には槍使いがいない。
片手武器では塀の上に届くギリギリの長さしかなく、魔狼を追い払うには効率が悪い。
せめてもの救いは、魔術師の魔術が効果的に魔狼を牽制できていることだ。
神官はこの場で使うべき恩寵が思い当たらないのか、オロオロするばかり。
【速さを授けよ】は習得できていないようだ。
すでに百匹に近い魔狼が西門に到達していた。
限界が近づいていた。
「衛兵! 門を開けろ!」
突如響いた声の主はケイティだった。
その頭上には恩寵を施された証の光輪が輝いている。
扉を抑えている衛兵は戸惑い、ケイティの言葉に従おうとはしない。
常識的に考えて、今、門を開けるのは狂気の沙汰だ。
ケイティは衛兵の背後に近づくと、両手でひとりずつ衛兵の肩を掴み、乱暴に塀から引き剥がした。
尻餅をつく衛兵を見向きもせず、ケイティは戦斧の柄で閂を上へと弾き飛ばし、扉を外側へと蹴り破った。
すでに魔狼の体当たりでガタが来ていた蝶番が弾け飛ぶ。
同時に、扉ごと数匹の魔狼が吹っ飛んだ。
常識はずれなその威力は、間違いなく【力を授けよ】の効果だ。
ケイティが門柱の間に仁王立ちになる。
突如、扉を蹴破って現れたケイティに、魔狼も戸惑ったのか遠巻きに見ている。
その総数はすでに百を超えている。
「ぅおおおおおおー!!」
ケイティが吠えた。
同時にケイティの戦斧が空を切る。
【力を授けよ】で強化されたその一振りは、ぶんと大きな風切り音を上げ、ケイティを遠巻きにしていた魔狼の毛並みを揺らす。
魔狼が固まる。
塀をよじ登ろとうしていた魔狼ですらケイティに目を奪われている。
百を越える獣の群れが、たったひとりの人間にたじろいでいた。
「塀を越えてくる奴は任せたよん」
ユリシャが塀から降りて、尻餅をついている衛兵に声をかけた。
そのまま、ケイティの背後、門の内側に陣取る。
「後ろは任せて。影はここにいる」
ユリシャがケイティの背中に声をかけた。
ケイティは魔狼ににらみをきかせたまま、にやりと笑う。
ケイティの背後に控えているユリシャの姿は、影が本来の居場所に戻ったかのように、しっくりとそこに収まっている。
ユリシャの気配が次第に希薄になってゆくのをアルバは感じた。
今なら、ケイティの脇を抜けたり、背後を取ろうとした敵は、気づくことなくユリシャに斬り伏せられてしまいそうだ。
ほとんどの魔狼がうなるばかりでケイティとの距離を詰められずにいる中、じれた数匹の魔狼が一斉にケイティに飛びかかった。
ケイティはそれを戦斧の一振りで弾き飛ばした。
さらに返す戦斧で隙きをまったく見せない。
おそらく【速さ授けよ】も施されているのだろう。素早さも尋常ではない。
魔狼たちはケイティを攻めあぐねている。
「なんだ? 思ったよりも腰抜けぞろいだ」
ケイティは悠然と構えを解き、戦斧を肩に担いでみせた。
つられたように数匹の魔狼が駆け出す。
先頭の二匹は虚を突いてケイティの脇をすり抜け、その背後に回ろうとする。
しかし、ケイティは微動だにしない。
次の瞬間、ユリシャの二刀がひらめき、ふたつの首が宙を舞った。
野生の魔狼ですら、その瞬間、ユリシャの存在を見落としていたのだ。
先頭の二匹の後に続いた魔狼数匹は、ケイティの戦斧によって、またもや弾き飛ばされた。
「なるほど、『歩く破城槌』か」
アルバが呟いたそれは、ケイティとユリシャ、ふたり合わさた通り名のひとつだ。
その由来をふたりから聞き出したラキアは拍子抜けしていた。『内側からなの?』と。
それはそうだ。ふたりがいかに強くとも、城の防御を外側から破ることなどできはしない。
そしてラキアはさらに呆れる。『っていうか、味方も?』
ふたりにかかると、敵の城だろうと味方の城だろうと、どういうわけか内側から防御を破られる羽目になるらしい。
ケイティ曰く、『よい城には必ず隙がある』そうだ。
守り手に知恵があるなら、わざと隙を作り、そこに敵を集めてたたく。
その教えに習い、ケイティは自分が対処できる範囲内で、味方の城の防御にわざと穴を開けるそうだ。
逆に攻め手に回った場合、守り手がわざと作った隙を無視して、正面から攻める。
思惑を外された守り手が、隙を放置して正面を守ればしめたもの。
身の軽いユリシャが放置された隙をすり抜け、内側から城の防御に穴を開けるのだそうだ。
そうやってふたりは、師匠から修行の一環として参加させられた実戦で、何度も敵味方問わず内側から城の防御を破ったらしい。
そうしてついた通り名が『歩く破城槌』である、と酒の席で語っていた。
真偽のほどは不明だ。
今もケイティは、わざと西門を破ってみせた。
その思惑どおり、魔狼は塀をよじ登るのをやめ、門を抜けるべくケイティに対峙している。
アルバに言わせれば、魔狼の選択は悪手でしかない。塀をよじ登るほうがよほど楽に侵入できるはずだ。
しかし、恩寵を賜ったケイティがどれほどのバケモノなのか、魔狼が知る由もない。
(このままなら、ケイティの恩寵が尽きるまでは、なんとか持ち堪えられそうだ)
塀の上から魔狼を警戒しつつ、アルバはそのように戦況を分析した。
そして、西門に待望の援軍が到着した。
モナとアーガスである。
この時点で、勝敗の天秤はこちらに傾いた。
アルバが抱いていた最後の懸念、ケイティに施された恩寵が尽きる事態は避けられた。
モナがケイティとユリシャに施した恩寵はおそらく三つ。ふたりに【速さを授けよ】とケイティに【力を授けよ】だ。
モナは一日に六つの強化系恩寵を賜った実績がある。つまり、まだ十分に余裕がある。
到着して早々に櫓へと登ったアーガスは、ケイティと対峙して足が止まっている魔狼へと矢を放ち始めた。
アーガスの剛弓から放たれる矢は、面白いように魔狼をとらえてゆく。
矢を受けた魔狼は、絶命しないまでも、次々に倒れて戦闘力を失ってゆく。
魔狼たちはアーガスの矢から逃れるために右往左往し始め、もはやケイティの隙を探すどころではない。
そしてついには、東門から兵士たちが到着し始めた。
最初に現れたのは軽装の弓兵だ。
弓兵はすぐに櫓に登り、矢が尽きかけたアーガスの代わりに矢を放ち始めた。
次いで槍と盾を携えた兵士たちが姿を現す。
総数は三十名ほど。おそらく残りは、魔狼が取って返した場合を想定して東門に残されたのだろう。
これで、魔狼を押し止めるのに充分な戦力が集結したことになる。
魔狼による西門急襲は失敗に終わったのだ。
後は当初の手筈どおり、門を守りながら、櫓の上から矢と魔術で魔狼の数を削いでゆくだけだ。
援軍の登場に、最初から西門を守っていた衛兵たちと【深淵の槍】の一同の顔に安堵が広がる。
その直後、魔狼のものとは違う咆哮が西門に響き渡った。
魔狼が一斉に顔を上げ、耳をそばだてる。
【鷹の目】の面々はその咆哮に聞き覚えがあった。
忘れもしない獅子の咆哮だ。
次の瞬間、魔狼たちは一斉に振り返り、北の森へと駆け出した。
号令一下で退却を始める軍隊のような、引き際のよさだ。
危機は去った。
西門の外に残っているのは、傷を受けて息も絶え絶えの数十匹の魔狼のみだ。
走り去ってゆく魔狼の群れを見送りながら、その場にいた一同が胸をなでおろす。
「終わっ…た…の?」
息を切らせたラキアが、ようやく西門に姿を現した。
よろよろとモナの背中にもたれかかり、モナの肩に頭を預けて息を整えている。
「ああ。ひとまず終わった。しかし、これが最後ではない」
肩に戦斧を担ぎながら、百の敵と対峙した直後とは思えないほど落ち着いた様子でケイティが告げた。
「あら? そういえばアルバさんは?」
ラキアの頭を撫でていたモナが、アルバの不在に気づき、誰に聞くでもなく問うた。
「アルバっちなら、敵の内情を探ってくるって、もう行っちゃった」
ユリシャがこともなげに言って、北の森を指す。
「ちょっ! 大丈夫なの?」
モナの肩からがばっと顔を上げ、ラキアが懸念を口にした。
ユリシャは肩をすくめる。
「ま、敵情視察?はお手の物?じゃん? 斥候だからね、アルバっちは」
「信じよう。アルバ殿に抜かりはないさ」
北の森を見つめながら、そう断言するケイティ。
だが、その表情はどこか浮かないものであった。




