5.斥候は魔狼と遭遇する
20/07/09 改稿
20/10/07 改稿
アルバは冒険者ギルドへと続く道沿いに屋根の上を移動してゆく。
道の先に、ひとりでこちらへと駆けてくるユリシャの姿が見えた。
ほかのメンバーを引き離して先行してきたようだ。
ユリシャが目ざとくアルバを見つけ、手を振ってくる。
「全員で北の大櫓へ向かってくれ! そこを手伝う!」
「りょうかーい!」
屋根から身を乗り出して叫ぶアルバに返事して、ユリシャはすぐさま道を引き返してゆく。
アルバが北に視線を向けると、背の高い建物が立ち並ぶその先に、北の大櫓が見えた。
一基の物見櫓と左右二基の射手用櫓を梯子で連結した構造物だ。
北の大櫓を目指し、アルバは屋根の上を一直線に進む。
大櫓に近づいたアルバは、ひときわ高い建物を見つけ、その屋根を経由して、物見櫓の足場へと跳躍した。
物見櫓では、弓兵のジグルがアルバを待ち構えていた。
「さっきから何かが屋根の上を動き回っていると思ったら、お前だったのか!」
足場にはジグル以外に兵士の姿はない。
櫓の下で数名の槍兵が待機しているだけだ。
仮に魔狼本来の群れである十匹程度を相手取るにしても、心もとない人数だといえる。
マグノがここに【鷹の目】を寄越したのもうなずける話だ。
「マグノに言われて手伝いに来た。おいおい、魔術師と狩人がひとりずつ到着する」
「じゃあ、ラキア殿が来てくれるのか。そりゃ、頼もしい」
「狩人のほうも魔獣狩りに関しては凄腕だ」
「なら、こっちの射手は足りそうだな。助かるよ」
迷宮で【鷹の目】の女性陣と打ち解けていただけあって、ジグルの態度は好意的だ。
マグノもそれを見越して【鷹の目】をここへ配置したのだろう。
そうしている間に、櫓の下が騒がしくなった。
どうやら【鷹の目】の女性陣が到着したようだ。
「来たみたいだ。なんだ? ああ。ちょっと迎えに行ってくる」
アルバが下をのぞくと、ラキアが息を切らして地面にへたり込んでいるのが見えた。
櫓を見上げたその顔には、絶望がありありと浮かんでいる。
アルバは【浮力】を発動したまま、四階分の高さから地上へと飛び降りた。
「わ! びっくり…した。大丈夫だと…わかっていても…心臓に…悪いわね」
突然、目の前に降り立ったアルバを見て、ラキアが息も絶え絶えに言った。
「またケイティに担いでもらえばよかっただろうに」
呆れたように言うアルバに、ラキアが顔をしかめる。
「冗談…でしょ? 町中で…あんな格好…恥ずかしすぎ…」
あんな格好とは、ユリシャの言うところの『お姫様抱っこ』のことだろう。
「手伝ってやる。【浮力】を自分にかけろ。魔力も体力も櫓の上で回復すればいい」
「ちょっと待って! まさか……いや、やっぱそうよね。大丈夫……少し休んだら自分で登るから」
「魔狼は待っちゃくれないぞ? 【浮力】を使って梯子を登るつもりなら、魔力を回復させる時間も必要だ。早いに越したことはない。それとも【浮力】なしでこの高さを登るか?」
仮に【浮力】を自身にかけて梯子を登るにしても、手足を動かす必要があることに変わりはない。
それどころか、バランスを崩さないように、しっかりと梯子を握り、踏ん張りながら登る必要がある。それほど楽はできないのだ。
当のラキアは立ち上がるのも辛そうな状態で、【浮力】を使ったとしても梯子を登れそうにない。
勝ち気な表情を崩すことが少ないので忘れがちだが、魔力が多い分、ラキアは驚くほど筋力に乏しい。
「……私、そっちの低いほうの櫓でよくない? 魔術撃つだけなら」
「駄目だ。【望遠】が使えるだろう? 上から戦場の全体把握を頼む」
「うぐっ。仕方ないわね」
ラキアの体が魔力光に包まれる。
アルバはケイティを真似て、ラキアの背中とひざ裏に腕を回して抱え上げた。
ラキアの装備は服だけなので、【浮力】を発動すれば体重はほとんど感じられない。
「あら、うらやましい」
アルバに抱えられているラキアをモナが笑顔で茶化した。
「うっさい!」
「では、モナとアーガスは射手用の櫓へ。アーガスは狙撃。モナは状況を見て恩寵を。吾とユリシャは下で待機。塀を越えてくる魔狼に対処する」
周囲を見渡しながらケイティが指示を出した。
「えー、私も高いとこに登りたい。ほら、雲となんとかは高いところが好き?って言うし?」
ユリシャが梯子に足をかけながら不平をもらす。
「自分で言うな馬鹿。下で待機だ」「ぶーぶー」
ぶーたれるユリシャの首根っこをケイティが引っ張って、梯子から引き剥がした。
アルバは大櫓を見上げて位置を確認すると、ラキアに声をかける。
「いくぞ」
「はぁ。最近こんなのばっかりだわ。って、わきゃあ!」
ラキアを抱えたまま跳び上がったアルバは、いったん射手用の櫓に着地し、そのままの勢いで物見櫓の足場まで上昇した。
「へえ、大したものだな。そういう魔術もあるんだな」
物見櫓の足場でアルバとラキアを出迎えたジグルが感心してみせる。
アルバがラキアの足を床に置いた途端、ラキアは【浮力】を解除してぱっと身を翻し、アルバの腕の中から脱出した。
「ま、思ったより面白いわね、こうやって跳ぶのも」
そっぽを向くラキアの口調は本気とは思えない。
「そりゃよかった。見張りは頼んだぞ。俺は少し様子を見てくる」
アルバは物見櫓の上から空中に身を躍らせた。
射手用の櫓を経由して、塀を形作る丸太の上に乗る。
先を尖らせた丸太の先端に立つアルバの姿は、はたから見るとかなり危うい。
だが【浮力】の発動中は、常に突端に立っているようにバランスを取り続ける必要がある。
今のアルバにとっては、丸太の先端も地面の上も似たようなものだ。
アルバは丸太の先端を軽く蹴りながら塀のへりにそって走り始めた。
「あ、あれ面白そう! 私もやりたい!」
「ああ、お前なら同じような真似もできそうだが、今はやめておけ」
ユリシャとケイティの声を背後に聞きながら、アルバは東門へと進む。
塀の上を進路に選んだのは、塀の外側を確認するためだ。
塀沿いの建物の屋根からだと塀の陰にいる敵が見えない。
塀の内側に配置された櫓の上からなら塀の外も見渡せるが、跳び移るには櫓同士の距離が離れすぎている。
北の大櫓と東門の中間地点に差しかかったころ、アルバは塀の外を駆けてくる三匹の魔狼を発見した。
魔狼は普通の狼をひと回り大きくしたような姿だが、魔獣化の影響で毛並みが長く強張っており、その目は赤く輝いている。
魔狼はちょくちょく塀に視線を向けながら駆けてくる。
おそらく、街に入り込めそうな場所を探しているのだろう。
しかし、街の兵士たちによって塀の保守は徹底されている。
魔狼の体格で通り抜けられる隙間などあるはずもない。
アルバは塀の上で立ち止まり、投剣に手を伸ばした。
しかし、そこで攻撃を躊躇する。
(背中に投剣を放ったところで、大した傷は負わせられないな)
魔熊ほどではないが、魔狼の毛並みもかなり強靭だ。
しかも、【浮力】の発動中は踏ん張りが利かないため、投剣の威力が落ちる。
仮に投剣で魔狼を無力化しようとするなら、【浮力】を解除して塀の外に降り、正面から顔を狙うか、側面から腹を狙う必要がある。
だが魔力の少ないアルバの場合、いったん【浮力】を解除すると、魔力が完全に回復するまで【浮力】を再発動できなくなる。
投剣を使うためだけに、いちいち解除などしていられないのだ。
(発動したまま効力だけを消せないってのは【浮力】の欠点だな)
【浮力】の魔術は、発動時に物体を包み込むための大量の魔力を必要とする。
いったん発動してしまえば、あとは微量の魔力消費で水中と同程度の浮力を維持できる。
反面、それ以下に出力を抑えることは難しい。
仮に低出力で【浮力】を発動できたなら、自分の体重を軽減して運動時の負荷を減らす、という方法で多くの魔術師に使われたことだろう。
現実には、自身に発動した途端に体重がほぼなくなり、立っていることすらままならなくなる。
【浮力】を前提に体重の半分ほどの重りを身に着ける、という選択肢もなくはない。
しかし【浮力】使用時の前後を考えれば、筋力に乏しい魔術師にその選択肢は無謀である。
アルバが躊躇している間に、魔狼がアルバの存在に気づいた。
こちらをにらみながら、うなり声を上げている。
(にらみ合っているだけでも時間は稼げる。あるいは後方に誘導して、アーガスかラキアに狙撃してもらうか)
だが次の瞬間、アルバの思惑を吹き飛ばす事態が発生した。
数十匹という魔狼の群れが東門の方角から塀の外を走ってきたのだ。
明らかに敵の本隊と思わしき規模であり、しかも全速力に近い。
(まさか、最初から東門は無視か?)
アルバは自分の想像に戸惑った。
魔狼の到着が遅すぎることに違和感はあった。
ギルドで第一報を聞いてから、すでに結構な時間が過ぎている。
(歩きやすい街道をゆっくり進んで体力を温存した? 東門にこちらの戦力が集まるのを承知の上で?)
最初にアルバが発見した三匹は、東門以外で突入できる場所を探す先遣隊に違いない。
しかし、東門から西門に至る間に守りの穴はない。
魔狼の群れは、そのまま塀の外を西門まで回ることになる。
(西門の守りは……だめだ! 大した数はいないはずだ)
アルバは頭の中で兵士の人数を計算した。
東門に集まっていた兵士の数、そして北の大櫓に配置された兵士の数、さらに南の大櫓にも北と同数が配置されていると仮定する。
結果、西門にはほとんど兵士は配置されていない計算になる。
明らかな失態だが、西門が手薄になることは避けられなかっただろう。
すべての魔狼が一気に街の外を半周するなど、誰にとっても想定外だ。
(東門の兵士が街を横断したとしても、魔狼が西門に到着するほうが早い)
それほどに魔狼の足は速く、武装した兵士の足は鈍い。
さらにいえば、狼はもともと持久力に優れた動物だ。魔獣化しても、その特性は変わらない。
対して人間の兵士は、全速力で走った直後に戦うことなどできはしない。
(まずいな。このままだと西門が突破されるぞ)
西門が突破されれば、魔狼が街になだれ込むことになる。
裏門とはいえ、荷馬車が余裕で通れるだけの幅があるのだ。百匹の魔狼が通過するのはあっという間だろう。
(騎兵による迂回攻撃じゃあるまいに!)
だが、魔狼の行動はもはや野生動物のそれではない。
いや、ここ最近、魔獣の行動がおかしいことはわかっていたはずだ。
しかし、そうであったとしても、これではまるで知恵を持った存在が魔狼に指示を出しているようではないか。
アルバは、この最悪の事態に対処すべく、行動を開始した。




