第45章 シスター・スースー。すごく似合ってるわ!
震えも止まり、落ち着いてくると足の指がジンジンと痛くなって来た。
次第に増してくる疼くような痛みに耐えかねて、背中を撫でていた手を止めて身を起こすと自分の足を確認した。
右足の指が火傷のように赤く腫れていた。触れれば痺れるような痛みがある。
痛い。…あ。結構…いや、かなり痛い。
ジンジン、ズンズンとまるで火傷したような痛みは物に触れると痛みが増して、体重をかけるとその痛みに耐えられずに足を浮かせた。
…とりあえず…お茶飲みたい…。
シーツをまとったまま、ヒョコヒョコと足をかばって歩く。
床に落ちていた夜着の下を履いて、部屋を出ようとした。
「…ぷにぷに、どこに行く」
タナトスがベッドから布団をかぶったまま出てきた。
「なんか…足が痛いから、先生に治してもらって来る。あと、お茶飲みたい」
シーツをたたんでイスに掛けようとして、そこにはタナトスの黒いローブがあったから、それと交換する。
「タナトス。ちょうど良いからこのローブ洗濯するよ。乾いたら持って来るから」
「眩しいの…嫌だ…」
「シーツ置いとくから。それでも嫌なら布団被って降りて来な。出掛けるまでには乾くだろうから」
タナツムリの殻を交換だ。
ささやかながら、私の仕返し。眩しくなければ良いんでしょ。
部屋を出て足をかばってゆっくりと階段を降りる。
もう、起きているだろうと思った先生やマリーさんはまだ部屋から出て来ていないようだった。
テーブルの上にあるのは、空のワイン瓶とグラスが2つ。
…昨夜は大人で晩酌ですか…。
子供の時、大人が夜にお酒を飲みながら話をしていたのを何度か見た。
そんなに回数は多くなかったけど、デボラも…あの人も…夜中に小声で知らない話をしていた。
起きて一緒に居たくても、子供はダメだと寝かされる。
それがここで今回も…。お酒はともかく、仲間外れはどうかと思う!
あ…でも、マリーさんと先生の間の話なら、先生のお家の事もあるだろうから部外者がいると話にくいのかも知れないな…。
それなら仕方ない。
世話好きのマリーさんや先生は、私を気にかけてくれるけど…ちゃんとわきまえておかないと。
グラスとお皿をキッチンに片付ければ、ボジャーがついて来て裏口の扉を前足で控えめに引っ掻いた。
外に出たいんだろう。裏口を開けてあげれば庭に出て隅の方でトイレを済ませている。
まだ早いせいか起きてきそうな気配は無い。
「…待つ間にローブ洗っちゃうか…」
何もしていないと痛みが気になる。
裏口の洗濯場。足をかばいながらタライに水を張って黒いローブを洗った。
黒って、汚れがわかりにくい。まぁ、基本、白と同じようなところが汚れるだろうけど…。
洗って濯いで絞って干せば風に黒いローブが揺れた。
風の精霊を呼び止めて、手から法術の光を出せば子供みたいに喜んで遊び出す。
「さ、さむ…!」
しまった。洗濯したらまた冷えてきちゃった。足もジンジンしてるし…。
ヤカンにお湯を沸かして…お茶っぱ入れる時間も惜しくて白湯のままキッチンで飲んだ。
あ、ダメだ。足。痛い。座ろう…。
ボジャーのソファーには新しいシーツが掛けられていた。
先に庭から戻っていたボジャーがポフポフと尾を振るから、隣に座って頭を撫でた。
白湯の入ったカップを手に、足をさすった。
あぁ、痛い。ダメだ。さすると余計に痛い。
「…うぅ…痛い…」
カップを置いて足を抱えた。
先生、早く起きて来てくれないかなぁ…。
喉が渇いた。
渇きで目が覚めて、部屋を出てキッチンで水を飲んだ。
久し振りに飲んだが酔いが残るほどじゃない。
…まだ日が登ってそう経ってないか…。
ふと、朝日の差し込む窓から外に黒い物が揺れたのが見えた。
あれは…ローブ?…まさかナタルか?
来るなと言ったのに今朝も来たのか?いい加減、目に余るな。流石に追い返すか。
裏口を開けて注意しようと思ったら、ローブはローブでも洗濯に干された黒いローブが風に揺れていただけだった。
「……………」
誰のだ?
ウチの庭に黒いローブが干されている事に物凄い違和感がある。
まさか…タナトスの?
「…………」
いや、そうだろう。ナタルのじゃ無い。そもそも、あいつはウチに来る時は私服だったし。
それ以外であの黒いローブは考えられない。いや、まさかスレイプニルのイタズラか?…いや、好んでイタズラするような奴じゃ無いしな。
裏口を閉めて、考えた。
あそこにローブが干してあると言う事は…今、タナトスはローブ着てないんだよな?
そもそも、あいつどんな顔してんだ?もし起きているなら見に行くか。怖い物見たさっていうのか?これは。
好奇心に押されてキッチンを出た時、わずかな気配がしたような気がしてリビングに顔を出した。
スー、スーとボジャーが不安そうに鼻を鳴らしている。
「なんだ?どうした。ボジャー」
見に行けばボジャーが心配そうに覗き込んでいるのは、膝を抱えてうずくまっているスレイプニルだ。
?…なんだ?…なんでここで寝てるんだ?
「どうした?」
声をかければ、うずくまっていた少年は顔をあげた。
「おま…なんで泣いてるんだ?」
顔と目を赤くして途方に暮れていたその黒い目が安堵した。
「先生、足が。痛いんです…治してもらえませんか?」
足?
「?!おい!真っ赤じゃないか!どうした?!」
スレイプニルの両足…特に右足が指から甲、足裏まで真っ赤に腫れ上がっていた。
「えーと…。…いッ!!」
しゃがんで足に触れればビクリと体を強張らせた。かなり痛いんだろう。
治癒をかければ足の赤みと腫れはみるみるうちに引いて治った。
痛みが消えて少年は安堵の息を吐くと、スレイプニルは抱えた自分の膝に頭を置いた。
「はぁ…法術って凄い…」
しみじみと感想を述べるこいつは、いつからここで我慢していたんだ?
「反対も診せろ」
「え。あ、いや、コッチはそんなに…」
手で足を隠す奴を睨めば、身を縮めて大人しく診せた。右ほどじゃなくても、足の指と足裏が同じように赤く腫れていた。
「おまえ、なんでこんな事になったんだ!焼けた石の上でも歩かされたのか?」
まさか…イジメか?!いつ?!
「い、いえ!違います!」
治癒をすれば腫れ上がった足はきれいに戻った。
「感覚の痺れとか残ってないか?」
触って違和感がないか確認する。
「!な、ななないです!」
ビクリと体を震わせて否定する少年は、遠慮が過ぎて問題になるから慎重になる。
「よく確認しろ。ここは?一番、腫れてただろ」
「んんッ!」
「痛いのか?」
ソファーに座る少年を見上げれば、黒い目が見開いて更に顔が赤くなった。
「ちがっ!違います!ダイジョーブです!本当に!」
興奮して慌てる所を見ると、何か隠している気がする…。
「スレイプニル…本当は痺れとか違和感とかあるんじゃないだろうな?」
隠されて後になって発覚するなんて、冗談じゃない。
「ないです!ないです!先生、ちょっと!離れて!」
慌てるスレイプニルの様子に、ふと酒臭いのか?とも思った。
「…まさか、俺、酒のにおいがするか?」
「お酒…?いえ!そうではなくて!その…先生…今…ちょっと…ラフ過ぎるっていうか…身支度的に…その…」
ゴニョゴニョと言葉を濁す少年。
身支度?
確かに寝起きで髪も中途半端だし、寝る前に酒も飲んだから途中で暑くなって夜着のボタンも開けていた。
「……。確かに家とは言え、みっともないな」
せめてボタンくらいは止めたら良かったが、もう着替えるし今更だが…
「いえッ!先生の場合はッ!みっともないのではなくッ!非常に危険だからです!」
「…………」
生徒の悪い見本になるって事か?
「すーぷーちゃん…真面目だな」
思わず笑ってしまう。
「うあぁぁ!あ、あの…ありがとうございました…」
何が恥ずかしいのかスレイプニルは顔が真っ赤になっていた。
コイツは本当に初心だな…。
魔法師が法術師を見て、初心だ。純心だ。真っ白だ。と揶揄うが…この少年と比べたら、法術師だって汚れてるだろ。この少年はどんな法術師になるのか…成長を見守りたい。
その少年は終わった事とばかりに足を隠すように引っ込めようとする。
そうはさせるか。理由を言え。イジメは絶対放置しない。
「それで?なんでこんなにひどい状況になったんだ?」
逃げないように足を掴んだまま聞いた。
「え?!えー…と…その」
そう言って困ったように足を見ながら少年は途切れ途切れに言葉にした。
「お茶を…飲もうと思ったんですけど…その…お、お湯をこぼしちゃって…」
ローテーブルにはカップが置かれていた。
膝を抱えて申し訳無さそうに言う。
「いつだ」
「え、いつ?いつ…って言うと…今朝ですけど…」
「ここまで赤く腫れるまで、なんで我慢するんだ。ここで待たずに直ぐに言いに来れば良いだろうが」
「で、でも…その…お休み中に伺うのも…はばかりまして…」
「はばかる?」
何が、はばかるだ!言いに来いよ!なんでここまでのケガでためらうんだよ!
「おまえな…いつになったらわかるんだ!」
言葉で言ってわからないなら、刺激が必要か?さっきの様子でわかってんだぞ。おまえ。
掴んだ足を入れて蹴られないように固定すると、スレイプニルの足裏をくすぐった。
「?!ぃいゃあぁぁー!!」
甲高い悲鳴をあげたスレイプニルに、こっちが驚いた。
バタンッ!!
と、凄い勢いで扉が開く音がして、叔母が飛び出して来る。
「すーちゃん?!」
その叔母の勢いとあまりの眼光の鋭さに驚いて、スレイプニルの足を持ったまま固まった。
「…………」
叔母は、俺とソファーの上で顔を真っ赤にしたスレイプニルを見比べた。
そしてスレイプニルを見て叔母は、自らを指差す。スレイプニルは首を振った。それを確認し、うん。と頷くと叔母は何事も無かったように顔を洗いに行った。
「え?なんだ?今のは」
無言のうちに何かが終わったな?なんだったんだ?…なんか、不吉だったな…。
「せ、先生…僕…ちょっと…その…そろそろ戻っても良いですか?」
スレイプニルがおずおずと言った。真っ赤な顔を引きつらせているところを見ると、効果はてきめんのようだ。
なるほど。コイツはくすぐられるのに弱い!!
「話は終わって無いだろうが」
「お話は、靴を履いて着替えたら伺いますので!」
その焦り具合と話が弱点を裏打ちしているようなもんだろ。おまえ。
掴んだ足裏をボジャーの尻尾の先で撫でると「ひぃやぁぁぁー!!」と悲鳴をあげた。
そして大きく身を退け反らせた結果、ソファーから逃げるように落ちた。
「大げさだな。おまえ…」
いくらなんでも。
ボジャーがスレイプニルの動きと声に驚いて「ヴォフッ!」と吠えた。
「あらヤダ!…セイヤッ!」
その時、廊下で叔母が大きな声をあげ、何かを退治した。
なんだ?虫か?
床に落ちてハァハァと肩で呼吸するスレイプニルは、「すみません。許して下さい」と涙目で床にうずくまった。
「…おまえ…どんだけ弱いんだ…」
そう言えば、海岸で魔法石を所持してないか探した時もこんな状態になってたな。くすぐり耐性ゼロだな。
よし、効いてるなら今度からコレでいくか。
「ちょっと!ロズ!いい加減になさい!すーちゃんをいじめないの!」
廊下から叔母の声がした。
「いじめてない。足のケガを診てたら勝手に悶えただけだ」
「もう治ったんでしょ?!」
「……。行っていいぞ」
許可すれば、スレイプニルは脱兎のごとく逃げて行った。
「あ。タナトス。起きたの?」
廊下でスレイプニルが声をかけた。次いで叔母の声が続く。
「ねぇ、この子、布団なんか被ってどうしたの…?」
何?布団?
見に行けば、階段の途中で確かに布団を被った奴…タナトスがいた。
「今、タナトスのローブ洗濯中なんです。…ほら。もうちょっとだけ待ってようね、タナトス」
タナトスの背中を押して2階に戻るスレイプニル。
「なんだ?なんで布団なんてかぶっているんだ?」
せっかく顔でも見てやろうと思ったのに。
訝しんで廊下に出れば、叔母が声をあげた。
「あ。ロズ!ストップ!そこ、まだ踏まないでちょうだい」
指をさして注意を促された床には不気味な黒紫のシミが落ちていた。
「?…何だ。これ?」
「あー、近付かないで。汚いわよ」
え。なにそれ?…なにこぼしたの?…まさか…ボジャー…おまえか?
ソファーの上のボジャーは素知らぬ顔であくびをしていた。
新聞には宝珠についての事で特集が組まれていた。
「今日から祭りか…」
週末で学校のやつらも街に繰り出すだろう。
特に1年生はハメを外さないように、気をつけ無きゃならないが…シェダルがしっかり釘を刺してくれただろう。
アッシュは光玉が出来るようになったが、他の奴はどこまで進んだか…今年の1年生は人数は少ないが進みは早かったからな…。しかし、歴代の最速を更新したのは…。
トコトコと階段を降りる音がして足音は裏口へと出た。そして、再び裏口の開く音。
「あら。もう乾いたの?」
叔母の声がした。
「はい。フードまでバッチリです」
ああ、タナトスの黒ローブか…。
「スレイプニル」
呼べば、ひょっこりと顔を出した。
「はい。お呼びですか?」
その腕には黒いローブを掛けている。
「…おまえ、タナトスの侍従じゃ無いんだからそういう事はするな。もしくは、タナトスに家に帰るように言え」
むしろ帰らせろ。
「ああ。そうですね。週末ですから、タナトスも家に帰った方が…」
「そもそも、それも自分で取りに行かせろ」
おまえが黒いローブを持ってるだけで不快だ。
「タナトス、目が良すぎて眩しいのダメなんですよ」
「なんだそれは…」
「いつも、フードかぶってるじゃないですか。あれ、眩しくて頭が痛くなるからだそうです」
「………。それでさっきも布団をかぶってたのか?」
「はい。まぁ、寝る時もかぶってますけど。今はカタツムリになってますよ?」
カタツムリ…。
「おまえ、それで…タナトスの顔…見たのか?」
「中身ですか?ああ。はい。何度か」
中身…。
「あいつ、どんな顔してるんだ?」
タナトスはいつもフードを目深に被っているせいで顔を確認出来ていない。
普通なら学生なんだから顔の認知は必要なんだが、あいつが出す禍々しい気配だけで本人とわかる上に命の危険が伴う。
「えーと…なんか…目の下にくっきり大きなクマがあって、顔色は白いです。あと、痩せて頬がこけてて…大体は不機嫌で眼つきは鋭い感じです」
……予想のそのまんまだな。
「そうか…」
「でも、元気になったらモテると思います」
「モテる?」
なんだと?
「はい。お顔立ちは整ってますから。冷たい感じが好きな女性には堪らないんじゃ無いですか?アイティールと遜色ないと思います」
「そうか。それは…なかなかだな」
あのアイティールにも引けを取らないとは。
「他にありますか?」
「いや、いい。ローブが干してあったから気になっただけだ。その…中身にな」
スレイプニルは頷くと、再び2階に上がって行った。
タナトスの父親…宰相兼魔導協会会長のモルフィネスは眉目秀麗で有名だからな。
ただ愛想は無く、誰にでも冷淡だから近寄りがたい感じもあるらしいが…なんだ、あのタナトスもやっぱり似てるのか。
「それで、すーちゃん。お買い物はいつ行く?」
朝食時、叔母がスレイプニルを買い物に誘った。
「え…ああ。夕方まででしたら大丈夫です」
「なんでわざわざ一緒に買い物なんて…」
荷物持ちか?
「いいじゃない。別に。水入らずしたって」
叔母は少し不満そうに言った。
普段、1人で暮らしているから若い奴が来たのが嬉しいんだろうな。特にスレイプニルは童顔で気が利くからな。
「タナトスも来るよね?」
「………行く」
叔母はタナトスの言葉に一瞬「アンタも来るのか」って顔で身構えた。
さながら息子との買い物に水を差す事態だな。
「叔母さん。タナトスが一緒じゃ買い物もままならないんじゃないか?」
つい面白くて聞いてしまうな。
「ロズ。叔母は、えこひいきはしない主義よ。来たいのならば、ドンと来い」
胸を叩き深刻な顔で答える叔母に笑いを抑える。
「そうか。それは頼もしいな」
まぁ、今のタナトスなら魔法も……うん?……ちょっと待て?
「スレイプニル…タナトスの魔法は大丈夫だよな?」
「え。えーと…え、あ。ま、まぁ…そうですね」
なんだ。その歯切れの悪さは。
「タナトス、おまえ…封印は…」
まさか、また薄くなって来たんじゃ…
「問題無い」
即答。
やけにハッキリと言ったな。この様子って事は…
「スレイプニル。またコイツを浄化したのか?」
「え。…はい。昨夜」
どこ見て言ってるんだ?おまえ。明後日な方向見て…
「あの浄化を続けると、さすがの封印も薄くなるみたいだからな…ちょっと見せてみろ」
タナトスはスレイプニルに促され、素直に袖を少しめくって黒い模様を見せた。
「薄くは無い…みたいだな…じゃあ、なんであんな魔法が出来たんだ?」
「あ、アイスビュレットは…アイスアローのアレンジなんで、そんなに魔法消費しないから…じゃないでしょうか…?」
「……スレイプニル…テーブルの下がどうした?」
なんで潜り込んでるんだ?
「あ、いえ。その…ちょっと…パン屑落ちちゃったかなって…」
「すーちゃん。食事中は気にしなくていいのよ」
行儀の悪さに叔母がたしなめた。
「あ、はい、すみません…」
気まずい様子で座り直すスレイプニル。
「あんな威力で魔法消費少ないのか?」
魔法に関しては詳しく無いが…そんな感じでも無かったんだがな…。
「せ、先生はお買い物一緒じゃ無いんですか?」
「俺は教会だ。明日の調整もある」
「そうですか。じゃあ、別々ですね…タナトス、君は見たいものある?」
「無い」
「あ、そう…」
「すーちゃんは?欲しいものあるの?」
「えー…欲しいものですか?…うーん…僕も…無いかなぁ」
「まぁ。遠慮しないで」
「い、いえ、遠慮ではなくて本当に…あ。そうだ。ありました」
「ほんと?」
叔母の目が輝いた。
「えーと…でも…金額がわからないんで…まずは見るだけ…」
「ふむふむ。良いわよ。見に行きましょうね!」
なんだ?何が欲しいんだ?気になるじゃないか。
「何を見るんだ?」
「えーと…ちょっと…秘密です」
なんだと?
「なんで秘密にする理由があるんだ」
「え。だって…僕…その…自分で買った事…無いし…」
モジモジと恥ずかしそうに下を向くスレイプニルに、ピンとくる。
「…それは…おまえ…」
まさか…年齢的にそういうのに興味が出て来た。とかそういう事か?
「任せなさい!!叔母さんが何でも案内してあげるから!!」
鼻の穴を膨らませて目を輝かせる叔母に、物凄く心配になる。
「叔母さん…スレイプニルの興味のあるものが何か…」
注意しようとしたら所でスレイプニルがホッとした顔で叔母を頼った。
「あ。ありがとうございます!お願いします」
ええ…?…おい…それは…良いのか?いくらなんでも気まずいだろ?いや、じゃあ俺の勘違いか?
「すーぷーちゃん、何が欲しいのか言いなさい。今。ここで」
「え?!いや、ちょっと…無理です」
なんで顔が赤くなるんだ?おい。おまえ。何を見たいって?
「おまえ、それ…叔母さんの手に負える物じゃ無いんじゃないか?」
そっちの方なら異性に頼む物じゃ無いだろ。
「ちょっと!そんな手に負えないモノなど、私には無いわよ!?」
「いえ、マリーさんなら間違いなく僕にピッタリなのを選んでくれます!」
本気か?…え?俺が勘違いしてるのか?
「すーちゃん…任されたわ!」
「よろしくお願いします」
「………」
いや、おまえ…おまえら…知らんぞ。本当に。…いや…しかし…すごく気になる…。
「…じゃあ、俺も行こうか」
さすがに。何かあった時にな。
「あ。大丈夫です。先生は教会でお仕事頑張ってきてください」
なんだよ!思いっきり迷惑そうに辞退するな!
「ロズ。お勤め頑張ってね!お土産、買って来るから」
くっそ…!!またそうやって除け者にして!!後で絶対、何を買ったか見てやる!!
「スレイプニル…街に出るならくれぐれも気を付けるように。浄化の水も…持っているか?」
立派な法衣を着込んで教会に行く馬車を待つ先生。今日も女神様は神々しい美しさ。
「あ。はい。あります。1本」
「……。心配だ。とりあえずもう1本、渡しておく」
「え、あ。はい…」
「酒場や魔法師が出入りするような場所には近付くなよ。女性が多い場所もダメだ。人混みも避けろ。油断するなよ。いい話があるって言われても付いて行くんじゃ無い。安くするなんて呼び込みは特に絶対ダメだ。怪しい店は行くな。路地とかにも入るんじゃ無いぞ。移動はなるべく馬車にしろ」
矢継ぎ早に言われる注意事項に、反芻する暇もなく更に追加された。
「私服で行くのか?危ないからローブを着ていけ。叔母やタナトスから離れるんじゃ無いぞ。何にでも首を突っ込むな。何かあったら行動する前に叔母さんに相談しろ。学校の奴らに会っても、絶対にここの事は言うな。押しかけて来るからな」
「………」
ローズ先生って…なんて言うか…心配性だな…。
「わかったのか?」
「あ。…はい(最初と最後くらいは)」
「なんだ?不安があるのか?」
「い、いえ。無いです」
「ちょっと、ロズ。教会のお迎えの馬車来てるわよ?」
マリーさんが玄関から呼びに来た。
「……………」
「……い、行ってらっしゃい…ませ」
緋色の目の女神様に凝視され、私は侍従モードで引きつった笑顔を返した。
「……こういう時は、神のご加護を。だ」
「え。あ、はい。神のご加護を…」
なんか、宗教っぽい。そうか。やっぱり宗教だよね。
「…ロズ。馬車をお待たせするなら、」
「今行く」
マリーさんがリビングに顔を出して来た。ローズ先生は白い法衣を翻して玄関から、教会からの迎えの馬車に乗って行く。迎えに来ていた法術師は先生を見て恭しく拝礼すると先生は慣れた様子で馬車に乗り込んだ。
ふと、その時の先生の横顔が、今までの先生とも学校の時の顔とも違って見えた。
先生って…先生ってだけじゃ無いんだな…。
普段見ていたローズ先生には教会での役職や仕事がある。そっちの方が本当であるかのような姿を見て私はちょっと寂しい気持ちになった。
走り出す馬車を完全に見送って、マリーさんが拳を突き上げた。
「よっ…しゃーーー!!邪魔者はいなくなったわ!!」
「?!」
いきなり叫んだマリーさんに驚いた。
な、なに?
「マリーさん、どうしました?めっちゃ気合い入ってますけど…」
「すーちゃん!」
「は、はい?」
「お着替えよ!」
「……は?」
それから意味もわからずマリーさんは私を着替えさせた。
「やっぱり!!良いわ〜!!最高ー!!」
目を輝かせて手を合わせるマリーさん。
「…あのマリーさん…これ…なんっ…すか?」
思わず声が引きつった。
丈の長い白のワンピースに、白い顔出し帽子…そして黒い頭巾…このデザイン…これは…。
「シスター・スースー。すごく似合ってるわ!」
シスター…すーすー?……やっぱりこれ、修道女スタイル…。
「え、えぇ…な、なぜに??あのっ…いくつか質問があります」
戸惑いを隠せない私に、マリーさんはご機嫌で「いいわよん」と左右後ろまでグルグルと周囲を回って眺めながら言った。
「なぜ…この格好に…?」
「変装よ。ほら、ロズも気にしていたでしょ?黒竜対策?」
「……。なぜ、シスターに…?」
「いや、それはまぁ…丁度いいのがあったから!」
「え?なぜ丁度いいのがあったんですか?!」
どういう経緯でご家庭に修道女の服が?!それって…コス…いや、まさか。
「うーんと…ほら、私、教会の婦人会のリーダーしてるのね?」
「あ、ああ…そうなんですか…?」
言い方的に町内会の班長みたいな?
「それの修道院の方もやってるんだけど、今の修道女の服ってさ、青灰色なのよ。青灰色。わかる?青味がかった灰色」
マリーさんはスイッチが入ったかのようにとうとうと説明し始める。
「いくら白が汚れやすいからってさ、灰色は無いと思うわけ。若い子、可愛そうじゃん。それも結構、濃い灰色なのよ?もう、ねずみ色っていうの?法術師が真っ白でさ、なんで女子がねずみ色なわけ?そりゃさ、大事なのはわかるわよ?地味な色で純潔守るンダー。とか、日々の生活のしやすさガー。とかさ、色々意見はあるわよ?でもね、式典もソレってどうかと思う!せめて!せめてハレの日にはマシなのが着たい!その日くらいは素敵なのが着たい!女心じゃん!良いじゃん!別に!!教皇様が良いっつってんの!それを、伝統がどうのっていう頭の固い婆様は大好きなねずみ色着てろッ!」
マリーさんの説明は途中から愚痴になり、最後の方はほぼ全力の悪口…。
「…って、事があってね?」
興奮した状態から一息して、マリーさんは笑顔で私を見た。
「え…あ、はい…」
「新たに女子の法術士の正装法衣を作るって話が出て…そのサンプルがコレなの」
しげしげと私を眺めながら言うマリーさん。
「は、はぁ…そうでしたか…」
「うーーん。ベールは白か黒で悩んだのよねー。ベールまで白だと、全身真っ白でさ。日に当たると眩しいし、膨張色じゃん?そこを相談したら教皇様が「外ベールは黒でも良いよ。むしろ黒で」って言って下さったのね。で、作ってみたんだけど…良いんじゃなーい?!コレ、良いんじゃなーい?!」
「……。なんで、法術師でよりによって黒を入れるんですかね…?他の色でも良いのにむしろ黒って…意味わかんないんですけど…」
ローズ先生とか、嫌がりそうじゃん。
「それは…まぁ色々お考えの上でよ!」
どのようなお考えかがサッパリわからないし、そもそもわかりたくない。
「白って難しいけど、黒って誰でも似合うし知的な感じがするわね。人種を選ばないわ。肌の色や目の色が何色だろうと、黒でバッチリ補正よ!」
「はぁ…」
「特に、すーちゃんは黒に違和感無いわねぇ〜。しっくりくる〜!」
「それは…ローズ先生が聞いたら嫌な顔しますね…」
「良いの良いの。いない人の事は気にしない。あ。登録票…ちょっと出してみて?」
「え。あ…じゃあ、帽子脱ぎますんで…」
「それは内ベールよ。こっちの黒いのが外ベール」
あぁ…はい…。
「このチェーンも犬用じゃあんまりだから、新調しましょう。短すぎるわ」
脱着に耳に引っかかるチェーンはカツラにも気を使う。
「あ。ちょっと、ちょっとさ、それ取ってみて」
「?…毛ですか?」
登録票を渡してカツラを取る。むず痒くなった頭皮を掻いた。
「あーーー!そういう事か…納得!なるほどねー」
マリーさんは、私を見て何かに納得すると笑った。
「?…なんですか?何かおかしいですか?」
「やっぱり仕法の力ってあるのね。それあると無いとじゃ雰囲気、全然違うもの」
「え…。でも、この頭巾でカツラの毛なんて出てないのに…」
さすが、本物の修道女の服はコスプレと違って前髪も出さない。
「見えなくても、身につけていたら効果があるのかしらねぇ?今じゃ少年感が無くなったわ。今なら100%、どこから見てもシスター・スースーよ!」
興奮して目を輝かすマリーさん。
「そ、それはマズイ…」
「ある意味丁度いいじゃない!黒竜対策。万全よ!」
「え?!いや…でも…あ…そうか。マリーさん、今日買いたいのが婦人用なんで…」
この前みたいに不審者扱いされてもな。
「あら。あ、下着?そっか。そうね。じゃあ、そのままの方が良いわ。うふふ!嬉しい〜!娘が欲しかったのよ!」
マリーさんは私の髪を梳かして頭巾にしまうと、登録票を掛けた。
黒いベールを頭にかけて身支度を整えると、マリーさんは興奮して騒ぎ出した。
「!!…こ、光玉!!光玉はッ?!ボジャーの光玉出して!!」
マリーさんにとって、動画光玉はボジャーの光玉になっている。最初に見たのがそれだから。
「……。出しませんよ。僕は僕の姿を残したくないです」
「声も違うし!!すごーい!!」
「聞いてます?マリーさん。あの…」
あ、カツラで声も騙してるのか…すごいなデボラ。
「あら?そのカバンまで持って行くの?」
手にしたのは学校から支給された肩掛けカバン。
「一応、カツラと着替えを…」
「それ、可愛く無い。こっちにして」
渡されたのは蓋付き籐籠。
「えぇ…肩に下げれないんですが…」
「支給品持ってたら変じゃない。学校関係者が見たら変に思うでしょ。何より可愛くないし」
「…………」
可愛さは…求めて無いんですよ…。だめだ…。マリーさん、もう、すっかり着せ替え人形だと思ってないかな…。
「ヨシっ!完璧!!」
結局、マリーさんに押し切られ「修道服のサンプル」として光玉もしっかり取られた…。
支度している間、タナトスはリビングのボジャーのソファーでボジャーとゴロゴロしていた。
「お待たせタナトス。行こう」
声を掛けると、起き上がったタナトスがソファーの背もたれから頭を出した。
「……………」
深くかぶった黒いローブ。そのまま動かずにこちらの様子を伺っている。
「どうしたの?行くよ」
「……ぷにぷに…変わった…」
久しぶりのスカートがちょっと恥ずかしい。
「変…?」
タナトスはジッと見下ろしてからボソリと言った。
「構わない…」
構わない?え?どゆこと?
タナトスの感想に戸惑いながらも私たちは買い物に出かけた。
「あー…なるほど。コルセットね…」
馬車の中、マリーさんに欲しい物を告げた。タナトスは馬車の中で私を膝枕にしている。
タナトスのこれ、窮屈じゃ無いのだろうか…馬車の中、足を伸ばせ無いのに…。
「布のサラシだと調整が難しい上にズレちゃうし…その点、コルセットなら安定感ありそうで」
こんな事、先生に言える訳がない。
「どうかしらねぇ…コルセットってそもそも腰を絞る物だし、胸を持ち上げる用途はあっても…」
「先日、お店を覗いたら不審者に見られちゃいました」
「あらまぁ。そうねぇ。それは不思議でしょうね。少年が何しに?ってなるわ」
マリーさんは笑った。
「まぁ、でも見てみましょう。多分、あそこなら何かしらあるでしょうから」
さすがマリーさん。適任。
「タナトスはその辺で待っててね。終わったら呼ぶから」
ゴロリと仰向けになったタナトスは無言で馬車に揺られていた。
それからマリーさんのお目当てのお店に到着した。慣れた様子のマリーさんに連れられて行けば、かなり高級そうなお店構えだった。
「こ…ここですか?」
大丈夫かな…お金…。
「そうよ。ささ、入って」
お店に入ると上品な女性店員さんがにこやかに対応して来た。
「ようこそいらっしゃいませ。本日は何をお求めでしょうか?」
「この子用のコルセットを欲しいのだけど…胸を抑えるのはあるかしら?」
慣れた様子のマリーさん。
「かしこまりました。ではどうぞこちらへご案内致します」
私たちは品の良い個室に案内される。
「当店には様々なお客様のご要望にお応え出来るように、一流のお針子と様々なデザインを取り揃えております。コルセットをお求めの方では胸を大きく見せたいと言うお客様が多いのですが、逆に大き過ぎて抑えたいと言うご要望もございますので」
流れるような営業文句を聞きながらマリーさんはソファーに座り、お針子の女性スタッフは私の採寸を始めた。
どうやら個室なのはこの部屋全てが試着室だからのようだ。一切の躊躇なく手際よくワンピースが脱がされ、薄い試着用の衣を着せられた。
「今では脱着のしやすさ、着心地等も工夫されておりまして、素材も様々です」
様々なコルセットの商品がテーブルに並べられ、丁寧かつ簡潔に説明をされる。
「夜会用と異なり普段使いですと大体はコルセットにて身体を2ランクほどサイズを落とす仕様ですが、お嬢様ですと…まだサイズが変わるかも知れないですね。1ランク下のこちらでいかがですか?」
そうして丈の長いコルセットをあてられる。それは、腰がくびれる女性のシルエットそのままだ。
「あの、締めるのは腰じゃなくて胸です。ギッチリ絞る感じのが良いです。もっと男性並みにストーンと。もういっそ、男性的なシルエットでお願いします」
その言葉に、店員は動きを止めた。
「それは…お体に負担かと…」
眉を寄せて私を見つめる。
「それが必要なんです。服を着て、男性でも違和感ないって感じのが欲しいんです」
女性店員は私の胸に掛けられた教会の登録票を見て、ああ!と何かを察した。
「そうでしたか…それでは、生活しやすい様にこちらの素材で、デザインはこちらのコルセットでお作り致します。無理にウエストに合わせて絞るよりも、ウエスト部分にやや厚みを持たせるような形で…お着替えがしやすい様に留め具はバックではなくフロント仕様に致しましょう」
水を得た魚のようのように店員さんの提案は的確になった。
「不自然にならない程度に…世の男性が気にならないシルエットをお作りすればよろしいですね?」
「お願いします」
「フルオーダーになりますので、お渡しまで時間を頂戴いたします」
私の横でマリーさんが申し訳無さそうに追加の要望を口にする。
「あの…出来る限り本人の身体の負担にならない形で」
すると女性店員が困った顔で笑った。
「出来る限り善処致しましょう。お母様。お嬢様が安全で快適に教会でのお勤め出来るようにですね」
「!!」
マリーさんの肩が揺れた。
「お母様…」
私の呟きを耳ざとく拾い、マリーさんは私を振り返った。その目を輝かせて鼻が膨らんでいる。
「(お母様…お嬢様…お母様…)」
そして何やらぶつぶつと反芻している。
お母様か…。例え今だけでもマリーさんと親子としてお買い物できるのは嬉しい。
「嬉しいです。ありがとうございます…お母様」
改めてお礼を言えばマリーさんの目は更に輝いた。
「!!そ!そうねッ!!…ンフッ…。ここは外出着や普段着も取り扱っているかしら?」
マリーさんは呼吸を正して取り澄ました。
「はい。当店では生地からあらゆるお洋服のオーダーを承っております」
「見せて頂けないかしら?」
「もちろんでございます。奥様へのお仕立てでしょうか?」
「いいえ。ウチの…娘にッ!」
えぇぇぇぇ?!ちょっ…ちょっと!マリーさん!?
「かしこまりました。では、少々お待ち下さい」
女性店員は笑顔で応じて、不要なコルセットのサンプルを片付けた。
「(ちょっと!マリーさん!僕、服は要らないですよ!)」
「良いじゃ無いの。どうせ直すまで時間がかかるんだから。その間にどんなのがあるのか見たって良いじゃない?」
「そ、それならマリーさんのを見たら…」
「やぁね!娘用だから面白いんでしょうが!何色が好き?最近の流行ってどんなのかしら〜?」
店員さんは手に辞書のような分厚い本を手に戻って来た。
「当店は生地の色からデザインまで豊富ですので、襟袖の部分から刺繍、ボタン1つに至るまでお客さまのご希望に適ったオーダーが可能です」
自信たっぷりに広げた分厚い本は、全て服飾のカタログだった。
「ま…魔法書よりも分厚い…」
すごい分厚い…何これ…。あ。実際の生地が貼り付けられてる。
「あら〜!この生地素敵〜!」
マリーさんの目は分厚いカタログに釘付けになった。
あ…。ダメだ…。コレ…長くなりそう…。
「あ、あの…タナトスも待ってますし…僕…ちょっと出て良いですか…?」
「採寸もいたしましたし、お嬢様はお席を外して頂いても構いません」
「すーちゃん。あんまり遠くに行っちゃダメよ?」
試着着からシスター服に着替えてお店の外に出た。
シスター服は頭巾…内ベールがあるから髪色がバレなくて試着時も安心だった。
黒い外ベールを深くかぶれば目の色もバレにくいし、顔を隠す感じも不自然じゃない。そう思うとシスター服って最高じゃない?何という偶然の幸運。使えるな。これ。
「タナトスー」
お店の先で名を呼べば、路地から黒いローブのタナトスが闇から浮き出るように現れた。
なんか怪しさが凄いな…まさか誰か殺して無いよね?
「…終わったか…?」
「うん。でもマリーさんは別のを見てる。僕たち退屈だから他のお店、見てみよう?」
お祭りがあるだけあって人の出が多い。街は賑わっていた。
「…何を見る?」
「うーんと…あ。日誌に色を付けたいんだ。筆記用具に色付きあるかな?」
「………」
この世界…普通の黒インクやペンは雑貨屋で取り扱っているけど、色となると画材屋になる。画材屋は少ない。
「タナトス、画材屋さんどこか知ってる?」
「……レイヴン通り」
レイヴン通り?どこそれ?
「知ってるの?」
コクリと頷くタナトス。
「じゃあ、行こう」
タナトスに付いて歩いて行くと、徐々にこまごまとしたお店が密集する地区に入った。
馬車一台通れるくらいの石畳の道に左右びっしりと工房のような色んなお店が並ぶ。店先には様々な不思議な商品が所狭しと並べられていて、全然飽きない。
むしろ観光地のお土産みたいで目移りしてしまう。
そんなに広く無いのに人通りは多い。道行く人はローブ姿がほとんどで皆、魔法師のようだ。通い慣れているのか私のようにキョロキョロとしている人は少なく、誰もが目的地へと足速に進んでいるから、よそ見している私はぶつからないように忙しい。
キラキラと光る鉱物を置く店、様々なアクセサリーや護符が並べられたお店、やたらと枝を並べたお店、香水瓶のような小さな瓶が棚ギッシリに並べられたお店に、何故か動物の骨を売るお店…
あ。薬草のお店だ!あの草知ってる!あれも!え!スゴい!あの草、珍しいやつだ!…え?…マンドラゴラ?!嘘でしょ?!
「いらっしゃい。何かお探しですか?」
吸い寄せられるように見入ってたらお店の人に声をかけられた。
「あ。すみません、お店の品揃えに驚いちゃって…」
「そうですか。お嬢さん、王都に来たばかりですか?」
「え。…えぇ…そうですね。あの、ここではマンドラゴラって普通に売ってるんですね…」
「ああ、アレですか。まぁ、頻繁ではありませんが、取引はあります」
「へぇ…喋ります?」
「え?…ははは。お嬢さん。マンドラゴラをご存知無いですか?土から抜かれて絶叫はしますが、普段から鳥のようにお喋りするような物ではありません」
「へぇー…」
じゃあ、学校のマドラスはやっぱり変わってるんだな…。
「……ぷにぷに」
あ。そうだった。
呼ばれて我にかえる。振り返れば首の鈴がシャリンと鳴った。
「…あれ…あんた…法術士か?」
「え…ええ。そうです」
お店の人の口調が一気に砕けた感じになった。
「青灰色じゃ無いから直ぐに気付かなかったが…なんで、法術士がここに?何か探し物か?」
「ええ。お買い物です」
「そうか。まぁ、連れがいるなら、はぐれない事だ。兄さんか?」
黒いローブはここでは珍しく無い。私の背後で待つ黒いローブのタナトスを見て言った。
「違います。知人です」
「へぇ?…じゃあ、まだ友達でも無いってか」
お店の人が面白そうに笑った。
「…………」
タナトスはジー…と、こちらを見下ろしている。
いや、何か言いたげな視線を感じるけど。ここで否定はしないよ。枕だと思ってるんでしょ。友達じゃないじゃん。それ。
「お邪魔しました。…タナトス、行こう」
タナトスの黒いローブを引いて道へ戻った。
去って行く黒い頭巾に白い衣の法術士と、黒いローブの魔法師…
「ん?タナトス…?」
店の男はその名を口にして、首を傾げた。
はて?どこかで聞いた名前だな…。
直ぐにお客が来て、商品を計り、袋に入れたところでフッと思い出し「あ!」と叫んだ。
お客が驚き「なんだ?」と問うと店の男は信じられないと呻いた。
「思い出した…いや、むしろなんで思い出さなかったんだ…?」
「なんだ。なんの話だ?」
お客が眉を寄せると、男は「タナトスです」と言ったから、お客は驚いて周囲を見渡す。
「いえ、さっき通りかかったんです。ここを」
「死神が?!」
「ええ。…ですが全然、なんでもなかったんです」
「馬鹿言うな。死神が通って気が付かない訳ないだろ」
不吉な空気を思い出して「縁起でもない!」と手を払うお客に、店員は商品を渡して首を傾げた。
「ですよねぇ…名前を聞いてもピンと来ないなんて…」
そんな訳がない。名前よりも先に気配でわかる。いや、むしろ名前よりも通称が体現している。
「うたた寝して夢でも見たのか?」
「…いや…でも、法術士も来たんです」
「法術師?ケガ人でも出たのか?」
「いや、女の…法術士が1人でした」
「ほら見ろ。居眠りしてたんだ」
店員は黙った。
法術士は滅多に単独行動はしない。暴漢に襲われて貴重な法術を失う事があってはならないし、身を守る術もない法術士に事件があっては問題だ。
出歩くとしたら、どこかの家の令嬢を診たり、出産の手助けだろう。それでも必ず複数人で行動するし、場合によっては護衛も付く。
そもそも、ここは魔法師のレイブン通り。こんな場所を1人で出歩くのはやはり不自然だ。
白銀の登録票が見えたから教会の者だと思ったが、それとよく似た魔法師の持つ護符だったのかも知れない。
法術士があの死神と一緒に…?あり得ない。
「そっか…」
白昼夢を見た。
その方が腑に落ちた。
「ねぇ、タナトス。もうちょっとゆっくり歩こう」
黒いローブを掴んで訴えれば、タナトスは止まった。
「…なぜ?」
「面白そうなのがいっぱいあるから」
正直、全部のお店を見て回りたい。
左右の店にはどこも不可思議な物で溢れていて、何に使うのか、どうやって使うのか興味が尽きない。ナタル先輩の研究室に置いてあった謎の物体と同じ物が売られていたのも見た時、名前と用途を知りたくなった。
ここは玩具箱みたいに、色んな物が雑多に所狭しとお店に並んでいるのだ。1つ1つの用途が謎過ぎる。
「……面白い?」
「うん!すごい不思議!何の用途かわからないのもたくさんあるし、なんで売ってるのかわからないのもある。そもそもお店自体まで謎で、不思議なのいっぱい!」
「画材屋に行くんだろう…?」
「う、うん。そうなんだけど…」
観光地のお土産屋さんに来てるみたいなのよ。今。私は。
「………。必要無い」
「えぇ?!なんでよ?!」
「ぷにぷには白だから」
「えぇーーーー…そんなの別に…」
今は良くない?
「行くぞ」
タナトスは、用事は無い。と、さっさと歩み出す。
「ぅあー…意地悪…」
左右に見える色々な目を惹く道具や材料…それらにめちゃくちゃ後ろ髪引かれながら、私は渋々タナトスの後について行った。
しばらくして到着したそのお店は、見た目は燻んだレンガ作りで地味だ。他のお店と違って軒先に所狭しと並べられた物も無い。
「ここ?」
タナトスが立ち止まった場所は、さっきよりもかなり人通りが落ち着いている通りだ。
ショーウィンドウがあって、覗けば確かに中にはいくつかの絵画が飾られていた。
「わ!動く!」
驚いた事に油絵で描かれたようなそれらの絵画は額縁の中で動画のように動いている。それも同じ動作を繰り返して。
わー…なんか…ショート動画みたい。
しげしげとそれらを眺めてみる。
大きな額の中で綺麗なオケアノス人の貴族の女性が扇子を振って微笑みかける姿。とめどなく油絵の波が打ち寄せる海岸の風景。風に揺れる木々に馬が緩やかに尾を振って静かに佇む田舎町。
「わぁ…全部の絵が動いてる!」
凄い!なんでー?ふっしぎー!!あ、そうか、魔法だ。いや、でもすごーい!!
「どうやって作るんだろう…?」
これを魔法で、どうやって描くんだろうか?そして…雰囲気的に…ここって…画商?
「………」
見上げれば重厚なレンガ造りに蔦が数本張っていて、看板が掲げられていた。《ギャラリー・アウローラ》
「ぷにぷに、どうした?」
「い、いや。ねぇ…タナトス…ここさー、お高いんじゃ無いの?」
「………さぁ?」
だよねー。そうだよねー。タナトスが絵画とか鑑賞する感じしないもんね。まぁ、私もそうだけどさ…。
「………。ま、まぁ…ちょっとだけ?ここまで来たし?お店の人に聞いてみても…いいよね」
私は、ドキドキしながら扉に手を掛けた。と、同時に扉が勢い良く押し開けられた。
「わぁッ?!」
危っなッ!
ドアノブに手をついて無ければ扉が眉間にクリーンヒット!してた。いや、それでも正直ちょっと当たったけど!
「あ。す、すみません…大丈夫ですか?」
黒いローブは学校のとはデザインが違う。黄色味の強い金茶色の髪に茶色の目をした青年だった。
眉間を押さえる私に青年が覗き込んで来た。
「え、えぇ…」
自分の手を見ても血は出ていないみたいだ。
良かった。額から流血なんて事件だよ…おまわりさん。
「見せて下さい…あぁ…すみません。少し赤く…?!」
私の額を見た青年と目が合って、青年は目を見開いて驚いた。
「赤く…?え。血が出てます?」
もう一度、さすって見ても手には何も付かない。
「い、いえ!…血は出てません。すみません。本当に…不注意で…」
「あぁ、いえ。こちらこそ、どうぞお気になさらず…」
黒いベールを直して再びお店のドアノブを掴む。
「あの!」
扉を押さえられて青年に声をかけられた。
「…な、なにか?」
「あなた法術士ですか?!」
「ま、まぁ…」
「良かったらモデルになりませんか?!」
えぇ…なに?モデル?!
「……お断りします。すみません」
面倒くさい。パス。面が割れるのも困る。珍獣はお高いんですよ。
「そうですか…」
青年は渋々身を引いて下がった。
「タナトスは?入る?」
「…………」
タナトスは無言で付いてきた。
お店の中は画材のものなのか、独特の…土のような、紙のような油のような…独特の混ざった匂いがしていた。
棚には紙や筆、インク類からキャンバス立てまで、いろんな画材と鳥の羽、鉱石みたいな物も置かれていた。が、誰も居ない…。
「あ、もしかしてこれ…」
ショーケースの中には色とりどりの美しい色があった。
綺麗なグラデーション。美しい発色で並んでいたから、吸い寄せられるように覗いてみた。赤、橙、黄、緑、青、白、黒…濃い色から薄い色まで、そしてそのグラデーションは多彩でどれも美しい。
「うわぁ…キレイ…」
ふと、値段を見て、その価格に意識がぶっ飛んだ。
《ラピスラズリ 5000》
ご、5千?!5千てなんだ。1瓶?!こんな小さな瓶で?!…すんごく少ないよ?!
でも、色は超綺麗…。真っ青。金銭感覚に私の顔も真っ青だけどね…。
「何を御所望ですか?」
奥から店員さんが声をかけてきた。
びっくりした!!
「あ、あの…色が欲しくて…で、でも、お高いみたいなんで…」
店員さんは特別、愛想が良いわけじゃ無かったけど、迷惑そうな感じでもなかった。ただ、淡々と丁寧に応対してくる。
「あぁ…そちらは画家が使うものですので…お客様にもお求めやすいのがございますよ」
「ほ、ほんとですか?!」
どんなの?どんなの?
店員さんはタナトスをチラリと見た。
「あ。一緒です」
別のお客さんだったら放置出来ないもんね。
「では、こちらを…色を油脂で固めた物で、柔らかさが違うんですが…こちらがそうですね」
それは、クレヨンみたいなやつと、クレパスみたいなやつと、色鉛筆の芯みたいなやつだ。色は多くないし発色もショーケースの物より良くないけど、色は色だ。値段もすごく安い。安心価格。
良かった…めっちゃホッとした…。
「この1番硬いのってどうやって使うんですか?」
芯だけだから使い勝手が…
「こちらの木のホルダーに刺して使います」
店員さんが色の芯を鉛筆みたいな木のスリットに刺して、試し書きをさせてくれた。
「わぁー!描ける…うん。これ下さい!芯とホルダーも」
色鉛筆だ!
「お色はどうされますか?」
「うーん…1つ、このお値段ですよね?…じゃあ、この12色下さい」
「かしこまりました。お包みしますね」
わぁー。やった!色鉛筆〜!これで日誌がカラフル〜!!イェー!
ご機嫌で画材屋さんを出た。
「タナトスー!やったね!色が買えたよー」
包んでもらった色鉛筆を胸に抱えて足取りの軽い私。
「…………」
タナトスは無言だけど、私はご機嫌だ。
「ぷにぷに…そんなので良いのか?」
「うん。充分、充分。だって日誌に色付けるんだもん。色があった方が良いよねー!」
これ使ってお絵描きも出来るぞー。いやぁーやったね。動く絵も初めて見たし。ここって面白いなぁ!
「タナトス、ありがとね。僕、満足してる」
「…満足…」
タナトスは私を見下ろして呟いた。
「うん。買い物出来て良かったー」
軽い足取りで帰り道を歩く。
そろそろお昼だ。どこで何を食べようかな。マリーさん、もう終わってるかな?
「ぷにぷに、満足したら…」
タナトスの言葉の途中で、子犬が激しく鳴く声がした。
「うるせぇな!!コイツ!!」
そのお店はペットショップだ。檻に入れられた美しい小鳥や猛禽、カラスまで。珍しい猿も、ネズミ、猫も犬もいる。みんな小さな檻に入れられて物のように並べられていた。
そこで、モジャモジャの真っ黒い子犬がしきりにキャンキャン鳴いている。
その子犬が鳴くと他の動物まで激しく騒ぎ立てるようで、店の店主は小さな檻に入った子犬を、檻ごと壁に向かって思いっきり蹴った。
蹴り飛ばされた檻は壁に激しくぶつかった。ギャンッ!と鳴いて檻の中で転がる子犬。
「え!ちょ…ヤダ…なんで」
まるでサッカーボールみたいに躊躇なく蹴った。信じられない酷い扱いだった。
生き物を!命でしょう?!
「おい!コイツ、このまま水に沈めろ」
エッ?!ちょっと!!嘘でしょ?!
小さな檻の中でグッタリと横たわる子犬を、忌々しそうに一瞥して言う店主らしき男に、店員さんも止める…かと思いきや「わかりましたー」と、まさかの快諾。
「やめて!!なんで?!そんなのダメだ!!」
私は飛び出した。
「…なんだ?」
店主の男は、全く悪びれずに私を面倒くさそうに見た。
「今、その子を…まさか、こ、殺すわけじゃ無いですよね?!」
指差した小さな檻。
「あぁ…。うるさい奴は売れないんでね。1匹が騒げば他のも騒ぐ。しつけだよ」
店主はまるで欠陥品を捨てるかのように造作無く言った。
「そんな!あんまりです!生き物ですよ?!そんな小さな檻に入れられて、嬉しいわけ無いです!」
店主は眉にシワを寄せた。
「お嬢ちゃん…うちも商売なんよ。俺だって生き物よ。売れるモンを売って稼がにゃ生きていけんのよ?」
「でも、殺す事はありません!慣れないなら逃してあげれば良いでしょ!」
「売れないからって逃してたら、それを捕まえた奴はタダで手に入れるだろ?俺も捕まえるのに金払ってんのよ?その手間賃をどうすんだ?」
「…そ、それは…でも…」
「それとも何かい?お嬢ちゃん、この犬、買うか?お嬢ちゃんが買えば、あとは好きにするがいい。逃してやる事も出来るぜ?」
くっそー!!感じ悪いなぁ!!
檻の中で弱々しく横たわり震える子犬を見る。
「………。いくらです?」
「そうだなぁ〜…5万だな」
「ごっ?!…5万…て…売る気が無いの?!」
「い〜やぁ〜?そんな事無いぜ?俺は値段を付けただけだ」
「おかしいでしょ!!そこの子猫いくらよ?!20って書いてある!」
「あれは20。これは5万。俺がそう判断したんだ。文句あんのか?」
あるよ!!足元見てるじゃないの!!
「あるに決まってるでしょうがッ!!」
「お嬢ちゃんがどう文句言おうと、5万は5万だ。連れは持って無いのか?」
「タナトス!」
「…なんだ?」
「お金持ってる?」
貸して!!
「無い」
無いんか!!
「タナトスって、普段どうしてるの?必要な物とか…」
「言えば、持ってくる」
あーあーもー!そーうだよね!アイティールとおんなじかー!
「全然、持たないって…それが君達のスタンダードなの…?」
究極のキャッシュレス。持って無くても困らない。
うわー…グリフォンも置いて来ちゃったしなぁ…アイティールなんて、喜んで貸してくれそう…。
ジャガイモ買う時、貸してって言ったら100万か?って言って来たもん。100万て…無いわ。
「払えないな?もうさっさと帰れ。邪魔だ!」
くっそ〜〜〜!!させるかぁぁー!!
「こ、光玉!光玉は?!」
「あぁ?なに?…なんだと?」
「……。あなたは普段、光玉にいくら払っているんですか?」
「なんだぁ…?」
「さぁ!正直に言って下さい!このお店の灯り、おいくらですか?!」
電気代いくら払ってんのよ!?
店先でのやりとりに、足を止めて見ている人が増える。
「…1月9000…」
たっか!教会ぼったくりじゃないの?!悪徳ジジイ!
「では、半年。半年分の光玉代をチャラにすればお釣りが来るくらいですよね?!」
「…なんだと?…半年間、毎日お嬢ちゃんが光玉を届けるって言うのか?」
「届けるかどうかは別として、それでどうです?!同じ事でしょう?!」
「………本当に半年届けるんだろうな?」
「半年間、光玉代はかからない。と言う事です」
「フン…良いだろう。もし、1日でも違えればどうする?」
「そういう事にはなりません。なりませんが、違えれば倍払うという事でどうです?」
「ハッ!よーし!良いだろう!オイ!売買契約を書け」
店の主人が言うと店員は、羊皮紙と変わった色のインクを渡した。
「お嬢ちゃん。良いんだな?魔法契約書は絶対契約だぞ?」
「それでは、ぼ…いえ、私からも言わせて頂きます。その契約書に180日間消える事の無い光玉と引き換えに、その子を私に譲渡する。以後、一切の権利を求めない。と書き込んで下さい。もし、光玉が180日に届かなければ売買価格の2倍、10万支払う。と」
「なに?…180日間消えない…?」
「そうです。それなら毎日、届ける事もありません」
「おい、そんな約束して…ふざけてんのか?こっちは遊んでんじゃねぇんだぞ?」
「私が先にサインしますよ。ほら、早く追加で書いて下さい」
「……。おい…書け」
店主がアゴで示せば、店員が誓約文を書き込んだ。それを渡され文章に間違いが無いかを隅々まで確認する。
「………」
不備無し。サインするところで、すんなり『ニルヴィーナ』と書き込んで、はたとペンを止めた。
ほ…本名書いてしもうた…。なんで?え。本名でサインする事なんて今まで無かったのに…。
動きを止めた私に、店の店主は嘲笑する。
「なんだ?今頃、後悔か?」
「いえ、違います。どうぞ」
羊皮紙とペンを返して、今度は店主がサインする。すると、羊皮紙に書き込まれたインクは光を放って羊皮紙はクルリと丸まった。
「よし。契約成立だ。さぁ、コイツと引き換えを出せ!」
「その羊皮紙って契約が終わったらどうなります?」
「はぁ?なに言ってんだ?おまえ、今更、反故には出来ねぇぞ!」
「いえ、180日経ったら破棄して頂けますか?」
「自信がねぇんだな?」
意地悪く笑う男の顔。
ムカッ。
「わかりました。先に作ります」
私は手にしていた色鉛筆の包みを置くと、集中した。
まず1つ光玉を作る。右手で保持した光玉に左手で新しい光玉の芯とも言える光の玉を作る。それを右手の光玉へと融合させた。
「なんだ?!」
男の顔が驚きに変わり、声をあげた。
そこから私は淡々とこの作業を繰り返す。
1…2…3…4…5…6…7…8…
数を数えていく毎に左手に光が生まれ、右手に浮かぶ光玉が1つ1つ吸収していく。
いかんせん180日だから180個を融合するわけで、数えている間に見物人はどんどん集まってくる。
はーやーくー!いや、足りないと倍払うハメになるから数、間違え無いように!
人払いしてからすれば良かった…。
ドウェルは部下と共に馬で士官学校を出た。
主人であるモルフィネス様の命により、タナトス様のお迎えに来たのだが…学校で大人しくしているかと思いきや、「数日前からここには戻っていない」と有り得ない事を言う。
ドウェルは応対の事務員を、うっかり殺めそうになったのを脳内で留めた。
なぜ報告しないのか。いないならいなくなった時点で言え。
管理体制はどうなっているのか!
問いただせば「あの者を管理出来るとでも言うのか!」と反論された。腰抜けめ。そんなだから魔法師でありながら簡単で単調な仕事しか出来ないのだ。
ドウェルは部下に指示を出す。幸い魔法は封じられているようだから、まず…
「バゼッツ。屋敷に戻って使い魔を飛ばせ。急ぎ探させろ。魔法は封じられているから辺鄙な所は後で良い。私は行きそうな場所を当たる」
「ハッ」
ドウェルの指示でバゼッツは馬を屋敷に走らせる。馬車の御者には王都の中心で待機するように命じた。