第44章 嫌だ。嫌だ。嫌だ。
今まで投稿せずに書き溜めていましたが…サイトがリニューアルして編集に戸惑っております…。
自分で編集に自爆しそうな気がするので、修正もそこそこに投稿させてもらおうと思います。
(思いつきで続けているので辻褄合わなかったりするのがたまにありますが、気付き次第修正します…)
海岸ピクニックの昼食は、手作りハンバーガーだ。
ハンバーグにシャキシャキレタス、トマト、チーズにカリカリベーコン。それを食べる直前に少し焼いたパンに挟む。
フライドポテトは冷めるとあんまり美味しくなくなるから、ジャガイモに切れ目を入れて薪オーブンで焼いた物…を小ぶりの鍋に入れて来た。
「ちょっと温め直しますね」
鍋の中に魔法で火を入れる。表面が少し焦げてくれば蓋を閉めて火を消す。そこにチーズを乗っければトロけるチーズのベイクドポテトだ。
「スレイプニル。魔法は使うな」
ローズ先生は眉を寄せて私の腕を掴んだ。
「えぇ?でも、温めた方が美味しい…」
「ダメだ。魔法師にさせろ」
先生はすでにハンバーガーにカブリついているナタル先輩を見た。
「えー…でも、先輩だと焦げ過ぎちゃうかも知れないから…」
「おい。俺を未熟者みたいな発言をしたら、手が滑っておまえを燃やすぞ」
ほ、ほらぁ!そう言うところもさぁ!それにお願いすると何かしら条件持ってきそうだもん!面倒くさいよ!
「だ、だったらタナトスに…」
まだタナトスの方が報酬がわかっている分…あ、いや、最近、噛んでくるからそれもちょっとな…。
「……。やっぱり自分でやります」
大きなポットに入れてきた、さめたお茶をコップに注ぐと私は小さな氷を作って入れた。
「おまえ、それ…そうだ!ネイロスに持って来た時もやっただろ!通りすがりの魔法師とか言って…おまえか!」
ローズ先生が気付いた。
「ぅえー…そ、そうです。通りすがりの…僕」
「誰が魔法師だ!」
「うわぁ!言葉のアヤですって!」
叩かれそうな勢いに私は頭を隠した。
「ロズ。まさか暴力で解決しようなんて思って無いでしょうね?」
マリーさんが半眼でローズ先生を注意する。
「叔母さん!こいつは不注意過ぎるんだ!」
ローズ先生はマリーさんに訴えた。
「すーちゃん。…いい?魔法は便利よ。私達は魔法無しじゃ生活が困難なくらいに魔法を頼ってる…。でもね?魔法にはそれぞれ制限とルールを設けているの。それは、無闇に使うと危ないから。そうでしょ?」
……あ。そうだ…失敗した時も…安易な気持ちだった…。
「……ごめんなさい」
「すーちゃんの「より良くしたい」って気持ち。とても良いと思うわ。でも、そこには慎重さがも必要よ?生活には魔道具だってあるんだし…魔法は本当に必要な時だけ、充分に落ち着いてから丁寧にしなさい」
「マ…マリーさぁぁん!」
叔母に泣きつくスレイプニル。叔母は母親のようにスレイプニルを抱いて背中を撫でていた。
え。俺の立場。叔母さん、そこ、俺のポジションだろ…。それをそんな横から…納得出来ない…。
「スレイプニル、おまえ…まさか、しょっちゅう魔法使っているんじゃないだろうな…?」
法術師ならやめろ。魔法に寄るな。おまえまで魔法に魅せられたら…絶対にダメだ!
「丁寧だろうが、魔法はダメだ。魔法は捨てろ!」
その言葉に叔母に抱きついたまま、イヤイヤと首を振るスレイプニル。
「ロズ…。あなたね、すーちゃんからしたら、法術よりも魔法が先なんだから。いきなり捨てろって言ったってダメよ」
叔母の言葉に、ますます黒い目を潤ませるスレイプニル。
懐柔されてないか?クソ…叔母さん、そうやって甘やかすような事言って…まるで俺が悪役じゃ無いか!
「ほらほら。せっかく美味しくしたなら、美味しいうちに頂きましょう?」
叔母が笑ってチーズの溶けたジャガイモを取り分ける。
「先生。大丈夫ですよ。こいつは法術を捨てたりしませんって。まだ」
「まだ」の言葉をやたらと強調してナタルが俺を見て薄く笑う。その顔が言葉が、不快だ。
俺、いつの間にナタルをこんなに否定的に見るようになったんだ?
自分の中の変化に戸惑っていると、ボジャーが物欲しそうに鼻を皿に近付けてくる。
「なんだ?欲しいのか?ボジャー…」
「あら。それじゃ、こっちにして。ボジャー用に用意して来たから」
ボジャーに与えられたのは、肉とパン。チーズのベイクドポテトだ。
美味そうに食べるボジャー。あっという間に平らげて、他にも無いかと探し出す。
「なんだ。こっち来んな」
ナタルの皿を狙い近付いたボジャーを、ナタルは迷惑そうに避けた。
「ボジャー。おいで。僕のジャガイモをあげる」
「良かったわねぇ。ボジャー、食べ過ぎないようにね」
「先輩。先輩は…犬が好きじゃ無いんですか?」
「好きとか嫌い以前に、興味が無い。汚されたら迷惑だ」
ナタルの言い切った言葉にスレイプニルは不思議に思ったのか、更に聞く。
「法術師は動物を飼うと良いって言いますけど、魔法師は違うんですか?」
ジャガイモをつつきながらナタルが答えた。
「まず考え方が違う。当たり前だが魔法師は動物を伴侶としてみない。伴侶は人間で良いからな。動物を飼うのは研究用か使い魔としての道具としてだ」
「道具って…そんな…」
軽くショックを受けるスレイプニル。ナタルのその話には肯定し切れない。だがそれが全てでも無い。
「それは、一部の魔法師の認識だろ。少なくとも法術師を引退した魔法師はそんな事はない」
否定すれば、スレイプニルはホッとしながらも好奇心が増したようだ。
「魔法師は動物を飼って力が強くなるって、ないんですか?」
それにはナタルが首を傾げた。
「聞かないな。…先生、そもそも、それ本当なんですか?法術師として実感はあるんですか?」
ナタルのその問いは純粋に好奇心だ。こういう時はナタルもスレイプニルと同じ目をしている。
「法術の力の源は、他者を思いやる気持ちだ。それには自分の心の安寧が最も大事だと言われている。そこで、それを担ってくれるのが犬や動物だ」
「それって猫や他の動物でも良いんですか?」
「猫でも良い。好きな奴は鳥でも良いが…犬の方が扱いやすくて、排泄やしつけがしやすい。きちんとしつけが出来ている犬は教会に連れて行っても良い。1人一匹までだがな」
「あぁ…なるほど。それで法術師は犬が多いのか」
ナタルがチラリとボジャーを見た。
「そう言えば、クロム先輩も休日に犬を連れてましたね」
「毎日連れて来て良いって訳じゃ無い。仕事の邪魔になるようではダメだ。犬が苦手な者もいるし、教会には治癒を求める者も大勢来るからな」
「へぇー。あ、そっか。クロム先輩の犬は女の子だった」
納得しているスレイプニル。
「?…なんの話だ?」
「え?だって、伴侶だから女の子なんじゃないんですか?」
なんだと?このあまりの世間知らずには本当に驚くんだが。
「別にオスでもメスでも良い。伴侶って言っても相棒の事だからな。犬と夫婦になる訳じゃ無い」
「なにアホな事言ってるんだ。おまえは」
ナタルはその顔に書いてあった事をご丁寧に読み上げ「それじゃ、食い終わったら始めましょうか」と、皿を置きお茶を飲んだ。
「え。始めるって何を…?」
キョトンとするスレイプニル。
「おまえ、まさか今日はここで飯食うだけとか言うなよ。やるだろ?対抗防御法陣」
ナタルの言葉を受け、スレイプニルがこちらを見た。まだ自信が無いんだろう。
「……やりたいのか?」
問えば、黒い目が輝いてコクコクと頷いた。
やれやれ…キャッチボールよりも、おまえはこっちか…。
教会の礼拝堂。
初等科の少年が歌う高い澄んだ声を聴きながら、気配を消して集中しても変わった様子は一向に感じられない。
記憶を消されたケビン。同じ時刻に同じように再現しても、動きは無い。
なぜ探しているあの子が教会に現れたのか?黒い死人とは何者なのか?生きているのか?そもそもケビンが言っていた宝珠のようなものが光って消えたというのは何を示すのか…?
予想される可能性が不吉なもので、パンタソスは叫びたくなる。
「…………」
もし…万が一…失っていたら…終わりだ…。全てが。何もかもが…バラバラのまま…。何一つ、守れないまま…誰も救えないまま、終わる。
それはパンタソスにとって恐怖でしか無い。自分が死ぬよりも辛く、堪え難い恐怖。
ジワジワと忍び寄る不安は、パンタソスの心を狙い喰らう獣のように隙を伺っているのがわかる。
いや、まだ決まった訳じゃ無い。それこそ諦めればそこで終わりだ。
パンタソスは大きく息を吐き、ケビンの練習の終わりと共に見張りの者を残し、馬車の手配をした。
「あ。ここで良いです」
昨日と同様、魔導協会の手前の通りで帰りの馬車を止める。今日は水属性以外の対抗防御法陣が見れた。ついでにハートのキングから氷柱弾のコツを聞き出そうとしたが、嫌がって白状しなかった。
ローズ先生の目も厳しい中では無理だな…。あいつが魔法の話をするのも嫌がる。しかし、先生…かなり警戒してんな。俺が移籍したの、かなりこたえたんだな。
「ナタル。明日は来るな」
ローズ先生が俺が馬車を降りる前に断りを入れてきた。
「……それは、俺が疑われているという事でしょうか?それとも俺が気に入らないんですか?」
「違う。明日は週末だ。宝珠の祭典で人の目が多い。おまえと我々が接触しているのが見られては厄介だ」
チッ…宝珠の祭典なんてどうでもいいモンのせいで!…まぁ、良い。ハートのキングが戻れば、学校でも出来る事はある。
「……わかりました。週明けは復帰される予定ですよね?」
「ああ。…一応、その予定だ」
先生は憮然とした様子で答えた。
なんだ?俺に対しての警戒か?それとも…メルセデス先生への?
だが、ここでゴネても不利になるだけだ。俺は素直に承諾する事にした。
「では、控えます」
「そうしてくれ」
馬車を降りる際にハートのキングが声をかけてくる。
「先輩、次は学校でですね。…giraffe病の件、くれぐれもお願いします」
言葉の途中でハートのキングの口調が切実になった。広くなった座席でジョーカーがハートのキングを押しやり、その膝で膝枕をしたからだ。
チッ!ジョーカー…おまえ、場所を選ばず好き勝手しやがるな…。
先生はジョーカーの態度に「タナトス、馬車で横になるな」と注意しているが、言って聞くような奴じゃない。
降りた馬車を横目で見送り、魔導協会を目指す。
魔法協会の学士院もあるそこには、数多くの魔法師が出入りをしている。士官学校や教会の神学校と違って学士院は基本、自由だ。ただ、時間の使い方も勉強方法も自分で決められて自由な分、結果を出さねば即、落ちる。留年だ。
魔法師にも実力にかなり細かくランクに差がある。1番下は一元素の初期しか行使出来ない。
まぁ、そんな奴、魔法師とは言えないと思うが…定義として決まっているからな。
魔導協会に入るにも厳重なチェックがある。魔法師としての身分証と、魔法石も預けなくてはならない。
それは、魔法師同士で万が一、諍いがあった時に魔法戦にならないようにだ。
魔法師は興奮すると殴るよりも、魔法でマウント取ろうとするからな…。思い出してもジョーカーのやったアレはマジで通報案件だからな!オマエの親父を訴えてやりたいわ!普段、裁く方が裁かれろ!
その点、ナイトメアをビンタで叩き落とされたのはいいザマだ。
原理は意味不明だが。…しかし、あのマリーって人…得体が知れない。要注意だ。
あんな事が出来るなんて新種のモンスターじゃねぇの?本物の先生の叔母さんはそいつに食われて…やべぇ、ビビる。
そんな事を考えながら魔導協会の受付へ向かうと、あり得ない事態になっていた。
「申し訳ありませんが、ただ今、協会内への立ち入り制限を行なっております」
「は…?」
協会内の入り口ゲートで、係の魔法師に入館を止められれば予想外の事に固まった。
「え?…なんでですか?いつから?」
こんな事、初めてだ。道理でロビーで本を読みながらたむろする奴がやけに多い。
解除待ちかよ?!ヤバイ…時間によっては帰宅時間が…レポートにも差し障る…。
「要人のご訪問がありまして、警備の都合上です。解除時間は未定です」
要人?誰だ?クッソ…こんな時に…!
「ちなみに、何時からの制限ですか?」
「そうですね…2時間くらい前からでしょうか…」
2時間…そろそろ終わるか?チッ。その間に出来る事でもするか…。
「わかりました。改めます」
素直に引き下がり、協会を出た。ゴネたって時間の無駄だ。
ロビーは人が多くて場所が無い。外ならまだマシかと思って適当な場所を探して歩いた。
「…見送りなど、珍しいな」
ふと、声がして足を止めた。
協会の裏側…普段は施錠されている裏口の馬車の待機場だ。
「おまえの記憶まで消されては目も当てられん」
これ…この冷たい抑揚の無い話し方!まさか…
物陰からそっと覗けば、間違いない。重厚な黒い官服と、同じく重厚でありながら色はその真逆の法衣をまとう人物はその身なりだけで誰かがわかる。
それぞれの周囲を複数の魔法師と法術師、聖騎士達が付き従っている。
「(協会長と教皇か…)」
そりゃ、制限されるはずだ。あんまり近付くのは不審者扱いされるな。
建物を背に身を潜め、耳だけ向けた。風向きのお陰かここからでもかろうじて会話が聞こえる。
「ああ、そうだった。こんな時についでのようでなんだが、伝え忘れていた」
「忘却魔法を必要とせずに健忘か」
「聞いて驚け。おまえの息子、親友が出来たぞ」
「…………」
「いや、本当だ。私も見た。アイツが、他人を気遣って…こう、袖を引いて危険から遠ざけたんだ。偶然じゃないぞ?どうだ?凄いだろ!」
勝ち誇ったように言う教皇。
ああ、それってもしかしてジョーカーと、ハートのキング…あいつらの話だろ?…思えば、スゲェな。あの二人、この二人と関係者だもんな。いや、まぁ、そうか。あいつらと知人の俺が凄い。
「ついに幻覚まで見るようになるとは…今日の話は妄想じゃ無いだろうな?」
「そんなわけあるか!おまえ、息子と話もしないのか?父親失格だぞ」
「……7年間、会話どころか顔も合わせない奴に言われる筋合いは無い」
「うぐッ!…違うッ!いつもいるのにすすんで会話をしないのと、我慢してたのは違うッ!我慢して我慢して我慢して我慢し続けて!ようやく会えると思ったのとは、全然違うッ!!」
「我慢をする意味がわからん。むしろ、扶養者ならば子が道を誤る事がないように、しっかり教育して管理監督すべきだろう」
「日に日に育つんだぞ!ちょっと会わないだけで凄い成長してるんだぞ!息子じゃ無い!娘だぞ!?おまえにわかるもんか!私はおまえと違ってちゃんと影で見守っていたんだ!」
あぁ、やっぱりな。教皇はちゃんと見ていたんだ。どういう理由か知らないが、あいつに気付かれないようにずっと管理していたんだな。そりゃそうだ。純血アルカティア人を手に入れておきながら放置なんてするもんか。
「そうか。確かに。再会した時の娘への言い訳も私にはわからんな」
「…言い訳…?」
「おまえは会っているつもりだっただろうが…そもそも7年間、姿を現さない者を子供が覚えているのか?」
「?!…そ、そ、そんなワケあるか…」
狼狽える教皇に対して感情が全く出ない協会長は対照的だ。
あー、教えてやりたいなー。「しっかり覚えてますよ。むしろガッツリ恨む方向で」って。
「あの子に限ってそんな事はない!いつも満面の笑顔で私に飛びついてくる子だぞ?忘れるなんて…」
教皇は、そう言いながらも動揺しているような気配がここからでも感じられた。
「覚えていたとしても、それは知人よりも薄い認識じゃないのか?」
「ッ!!」
残念。協会長、あいつのあの様子じゃ、それどころか多分、会ったら靴を投げつけられるくらいかと思うぞ。
俺ですら教皇にそんな恐れ多い事、出来ないが。
「………帰る」
教皇は言葉少なに馬車に乗った。聖騎士が馬に乗り、教皇の乗る馬車の周囲を固める。
走り出す馬車の音を聞いて、俺もその場を立ち去ろうとした時、足が動かなかった。
「?!」
は?…え。なんだ?!
「…さて、おまえは何者だ?」
ギクリとした。
自分に向けられたとわかる抑揚の無い、冷たい声。
気付かれていたのか?!魔法師の麻痺魔法…あそこから?!嘘だろ?完全に遮蔽物の影にいたのに?!
一瞬で複数の魔法師が俺を取り囲み、さらに何かの補助魔法をかけた。
ドムッ!と重い地響きがした。
「うっ!」
そしてまるで岩でも乗っかってきたように一気に身体が重くなる。麻痺した身体が受け身も取れずに地面に倒れ身体が土に食い込んでいた。
くらって気付いた。これはおそらく『地場圧縮』だ。地属性魔法で主に基礎建築に使う…はずが、まさかこういう使い方もあるのかよ!
麻痺で動けない所にきて地面を圧迫させる魔法でジワジワ締め上げるなんて、なんて効率良い魔法…
って!くっそ!重てぇ!
色んな所からメキメキと嫌な音がして、汗が滲んだ。
「さて…誰の差金だ?」
迷いなく近付いて目の前に現れたのは、彫刻のように感情の読めない男。薄金の髪に薄い水色の目が鋭利なオケアノス人…大魔法師と呼ばれる協会長だ。
「違うッ!俺はッ…通りかかっただけでッ…!」
肺が潰れて声が出せ無い。背中に汗が伝う。
協会長とは会話はもちろん、こんなに近くで会った事は無かったが、全く隙が無い上に取り囲む魔法師のレベルも高い。…悔しいが、ここから自力で逃げられる気が全くしない。
クッソ!
どうにか抵抗しようにも、指先1つ動かせ無い。
「通りかかりか…それが真実かどうかは、夢の中で自白してもらおうか」
そう言った協会長の片手に、そうそう拝めるはずもない黒紫の髑髏の顔が現れた。
悪夢魔法…それも最終形態。
マジかよ!!勘弁してくれ!今日二度目だぞ!
俺は、いい加減うんざりした。いっそ恐怖よりも自棄になる。
「あんたら…本当に親子だな…タナトスとそっくりだッ…!」
強がって虚勢を張るが、言ってから後悔もした。とにかくこの重苦しい状況から逃れたかった。
「貴様、名を名乗れ」
麻痺された体にのしかかる負荷がキツい。
「ナタル…ナタル・プロキオン… 身分証は…カバンの中にある」
「プロキオンだと?」
協会長が俺の顔をしげしげと見下ろした。
「その緑眼…確かにプロキオンだな。ナタル…そうか…おまえは、あの…」
何かに気付いたようなわずかな沈黙の後、協会長は悪夢魔法を中止した。
忌々しかったプロキオンの名と特徴が俺の命を守った。
「士官学校でダイヤのキングがここで何をしている?」
あ、俺のこと、知っているのか…!
「それは…偶然…」
大魔法師から尋問なんて嘘だろ…威圧だけで半端ねぇ…。
無言でもわかる不審者を見る空気。
「本当です!」
「ナタル・プロキオン。おまえは誰に指示された?タナトスの名を出すとは何が目的だ?」
薄い水色の目は感情が無いように冷たい。いや、敵意すら含むその目は恐怖ですらある。
威圧に気圧されるが、麻痺しているおかげで震えなくてすむ。
詳しく弁解したくても息が苦しくて、説明にも苦労した。
「…タナトスは…俺の後輩で…悪夢魔法は…さすがに…二度は、勘弁してくれッ…!」
息も絶え絶えに訴えた。
「後輩…」
無表情の協会長の声がわずかに緩んだ気がした。
すでに魔法師が俺のカバンの中をあらためていたが、そこからいくつかの身分を示す物を協会長へ差し出した。
「他に、こちらも所持していました」
それはアルカティアの書の複写本だ。
教会長は写本の中身を確認した。
翻訳中のそれは学生でも扱い可能なアルカティアの農耕知識を記されたものだ。
そしてもう一つは学校から発行された外出許可証。協会長は中身を一瞥し、問う。
「なぜここに来た?」
「協会の図書を…利用したくて来たのに…入れない…レポートを書ける…場所が無いか…探して…うぅ…」
ああ、くそ!…これいつまで続くんだ?!重てぇ!息がッ…もう…
酸欠で意識が遠くなってきた。
「……3番、補助魔法を解除」
「御意」
ふっと、体の重さが消えた。
あぁ、助かった…。
大きく息を吸い荒い呼吸を整える。だが麻痺はそのままだった。
「ナタル・プロキオン。次に見かければ偶然とは言わせない。それはプロキオンの者と言えどだ。余計な首は出さぬ事だ」
「はい」
「1ヶ月おまえの魔法を封じる」
げ!マジかよ?!
動けずに伏していた体を、魔法師に上半身だけ起こされた。麻痺された腕を掴まれると、協会長が呪を唱える。
その言語は…
「あ、アルカティア語?!」
掴まれた手首から毒虫が這い上がるような不快な感覚がした。ゾゾゾゾッと身の毛もよだつ不快感と、目に見えない圧迫感…
いや、待て?なんで感じるんだ?麻痺の魔法にかかっているのに?!
「4番、補助魔法解除」
「はい」
麻痺の魔法が解かれるとあまりの不快感で反射的に腕をさする。もちろん、こすったところで落ちやしないが。
思った以上に不快感と違和感が凄いな…。
まるで見えない手枷が張り付いているようだ。
魔法師により取り上げられていた魔法石が返された。
受け取りながら腕が気になって袖をめくれば、俺の腕には蛇のような黒い呪いの文字が絡むように張り付いていた。
「あれ…1本…?1本で良いんだ…」
いやでも、こんなのが10本?!ジョーカー、おまえ…マジかよ…。
しげしげと自分の腕に刻まれた模様を眺めて呟くと、協会長が少し驚いたようだ。
「アレの腕を見たのか?…なるほど…あいつの言うように、うまくやっているようだな」
協会長のその彫刻のような怜悧な顔に初めて人間のような表情が僅かに見えた。
その姿に人間らしさを感じて…つい、気持ちが緩んだ。
「(いや…いくらなんでも、あんな恐ろしい奴、あいつがいなきゃ近寄れな…)」
いや、軽口はダメだ。しかもハートのキングがらみは特に!黙れ俺!
「…………」
「…………」
ジッと俺を見下ろす協会長に、俺は居た堪れなくなる。
さすがに息子の悪口はマズったか!
口をつぐむ俺に協会長は無言だった。
「(会話か…)」
やがて誰に言うでもなく呟くと、官服を翻し協会長は去った。その後ろを魔法師達が付いて行く。
「…………」
それを見えなくなるまで見送ると、試しに火の魔法を行使しようと集中した。
しかしどんなに集中しても、本気で出そうにも、煙すら出ない。一切、魔力が応えない。
「…マジかよ…」
なんの魔法も使えず1ヶ月?!冗談だろ?!俺、どうすんだよ!
絶望にしゃがみこむ。
いや、待て?あいつだ!
頭に浮かんだのは、あの能天気な黒い目のアルカティア。
タナトスの封印を部分的に消したって言ってたよな?実際、タナトスはそれで魔法使えてるし!
だが、それも今からじゃ、とても間に合わない。
明日か、明後日か…幸い週末だ。
先生は来るなと言っていたが…やむにやまない理由だろ?これ。だって俺、不幸。可愛そうだもん。俺。
おっと、マズい…今はレポートを仕上げないと!日が沈む。とりあえず、もう規制解除されただろ?
俺は袖を直すと協会のロビーに走った。
「…2〜3日、尾行しろ。確認が取れるまででいい。必要とあらば第2種使い魔の使用も許す」
「御意」
モルフィネスの言葉に応え、付き従っていた魔法師の1人は静かにその場を離れた。
「ドウェル。明日、アレが屋敷に戻ったら話がある。外に出さないように繋いでおけ」
「かしこまりました」
黒ずくめの男が背後で応えた。
協会内の高官専用通路を歩きながらモルフィネスはパンタソスの言葉を思い出した。
『いや、本当だ。私も見た。アイツが、他人を気遣って、こう、袖を引いて危険から遠ざけたんだ。偶然じゃない!どうだ?凄いだろ!』
危険から遠ざけた?逆じゃないのか?…人を盾にする事はあっても、他人を気遣う?…アイツが?
誰に似たのか、他人に全く執着しないどころか、死を理解してもなお、人が死んでいくのを平気で見ていられるような子供だった奴が?…何かの間違いではないのか?
しかし、そんな奴を士官学校に入れると言ったパンタソスの言葉通り、今までに仕官学校で死者は1人も出ていないのは確かだ。
模擬戦に乱入して悪夢魔法の範囲魔法をしたと報告を受けた。
しかし、それも未遂で終わった。魔法を封じる際も、大きな抵抗もしなかった。
その時も違和感があったが、本人は平然としているようだった。
あの傲慢なアルタイルの息子と同室なのに?いや、他の誰であろうと奴の威圧に耐えられるレベルの奴は、学生にはいないだろう。
むしろ、なぜ何も起きない?隠蔽されているとも考えにくい…。
日々の多忙の中で、仕事を処理する事に重点を置いていたが…何も無い事で放置していた事に、モルフィネスはどうにも気になった。
「はて…?ナタル。今日は…これだけですか?」
メルセデス先生はいつもの細い目のまま、レポートを手に首を傾げた。
「…はい」
夕食の後、先生に呼ばれた。レポートの事だ。あれから急いで目星を付けていた図書を漁ったが、時間が足りなくて物足りない感が否めないのはわかっていた。だが、帰校の時間に間に合わない方がリスクと判断して切り上げていた。
「うーん…あなたらしく無いですねぇ。この程度ならば2時間もかからないでしょう?」
さすが先生…おおよその時間も合ってる。
「朝から出て他に何をしていたんですか?」
ジッと見つめてくる目は相変わらずの糸目だ。
「…すみません。giraffe病のヒントを得られるかと、友人と会っていました」
「友人…どなたです?」
「魔法師です」
「ええ。その人の名前です」
「……………」
「……………」
都合の良い名前を考えた時、メルセデス先生はその名前から更に詳しく、より容赦なく突っ込んで来るだろうと予想出来て、沈黙が続いた。
「ナタル。正直に言わないと、私も今後のあなたの評価を改めなくてはなりませんね?」
「すみません。…探していたんです」
「何をですか?」
「ジョーカーです」
「タナトスを?…ああ…しかし、それは難しいでしょう?現実的とは言えませんね」
「それでも、心当たりの場所に聞き込みくらいはしたかったんです。いればチャンスだと思ったんで。ジョーカーの気配は目立ちますから」
「それで?」
「いませんでした。魔法師が集まるクラブも、ショップも、レイブン通りも。奴が行きそうな場所全て…。ですが意外な人には会いました。会ってしまったというか…」
「ほう。先ほどからずいぶんと、もったいぶりますね。誰ですか?」
メルセデス先生は相槌をうちながらも、俺の処罰を考えているだろう。
学生の気の緩み。無敗のキングへの特別待遇は何でも適応されるわけがない。外出許可が特別待遇ならば、それに対して結果を出さずにサボれば処罰対象だ。
俺は袖をめくって腕を見せた。
「協会長です」
右腕に刻まれた黒い刻印。
メルセデス先生の目が見開いた。
「これは!…ナタル、何をしたんですか?!」
先生も驚くそれは、普通の魔法師が行使出来る魔法じゃない。言葉を奪わず魔法のみを封じる高度な呪い。
「何も。ただ、不運に遭遇したんです。協会に行ったら、立ち入り規制がかかっていて入れませんでした。仕方なく外で時間を過ごそうと場所を探していたら、協会長と教皇が立ち話をしていたんです」
メルセデス先生は俺の腕を掴み、刻印をしげしげと眺めながら鋭く先を促した。
「それで?」
「何となく、立ち去るタイミングを逃していたら不審者として捕まりました」
「説明はしたのでしょう?」
「しました。身分証も確認されましたが、どうも間が悪かったようで、1ヶ月は魔法を禁ずると言われて、これです」
「…ふぅむ…学生にですか?…そこまでとは…何事でしょうか…」
「聞こえた話での推測ですが、教会の式典の関連では無いかと…」
「ああ…明日からでしたね。それは警備にも目が光るでしょう」
メルセデス先生の警戒が緩んだ。そこで俺は、すかさず懐から追加のレポートを出した。
「初めて魔法封じを経験しました。これはそのレポートです。呪詛はアルカティア語でした」
出てきた新たなレポートを見てそれを受け取り、メルセデス先生は再びニコニコと笑う。
「なるほど。さすがですね。あなたは実に抜け目無い。タダでは転ばないあなたのそういう精神に免じて、今日はこれまでにしておきましょう」
「…ありがとうございます」
「ああ、ナタル。魔法を封じられてしまったわけですから、この1ヶ月はアルカティア語の翻訳の方に勤しんで下さい」
「…わかりました」
だとよ。ハートのキング。帰って来たら毎晩、付き合わせてやる。呪いを消した上でな!
「ックション!!」
「あら、やだ。体が冷えたんじゃない?すーちゃん」
マリーさんが夕食の食器を洗う中、私はそれを拭いて食器棚に戻す。
「いえ。大丈夫です。寒く無いですから」
「タルタルでも噂してるのかしら?」
「え。先輩ですか?…それなら、悪口か面倒くさい話でしょうね…」
今日も氷柱弾のコツを教えろって迫ってきたし、先生のいないところで、どうせまた聞いてくるんだろうなぁ…。
「タルタルも、見た目通りの野心家よねぇ」
笑いながらマリーさんが最後のお皿をすすいで水を切った。
「見た目に出てますか?」
「ええ。丁寧で親切な賢い青年みたいな感じだけど、どこか人を警戒する感じに加えて相手が使えるかそうじゃ無いかを選り分ける感じ。それでロズに張り合って、若々しいと言うか青々しいと言うか、叔母さん見ててなかなか面白かったわ」
そ、そうですか…マリーさん、なかなか辛辣…。でも、張り合う?
「張り合うって言っても、魔法と法術じゃ張り合いようが無いと思いますけど?」
私の質問にマリーさんは苦笑してため息を吐いた。
「男の子ってのはねぇ…何でも競い合うものなのよ。どっちが上か下かなんて関係の無いものでもね。欲しいものが、かぶれば特に」
「欲しい物?何かありました?」
昼食の時に欲しがっていたのはボジャーですが。
「叔母さんはこれからも最高の観客として欠かさず動向を見続けたいわ」
なんの?そんなドラマがどこに??…なんか、話が噛み合わないなぁ…。
「ねぇ!すーちゃん!明日、お買い物に行きましょう?」
「え。お買い物ですか?…でも、先生が式典とか…」
「式典は明後日よ。明日と明後日はお祭りなの。明日なら空いてる時間に良いでしょ?」
「僕は良いですけど…あ。でも、バイトも確認してきます」
「あら。…お祭りの日に仕事?」
「週末1日って約束のバイトなんで」
お皿を拭きあげて棚に戻すと、私は2階に上がって部屋に入ると双子光玉を取り出した。
『…ギル。いる?…ギル、聞こえますかー?』
『うお!……ちょ待て!俺、今、便所だ』
『ご!ゴメン!かけ直す!』
『あ!待て、おまえさ!それ、持ち歩いて無いだろ?!』
『……ごめん。忘れてた』
『俺、何度も呼んだんだぜ?!それをおまえ…今の今かよ』
『いや、ゴメンて。私もそっちの都合とか見えないから…』
『便所が見えたら気まずいなぁー!』
『…ちょっと…ギル…もっと品の良い感じにしてくれない…?』
『はぁ?冗談もダメなのか?おまえ厳しいなぁー』
『いや、普通だから。っていうか、このまま会話してるのもどうかと思うから!』
『そうかぁ?俺は別に見えないなら良い気もして来たんだけど…』
『私が嫌。一旦、切るから。落ち着いたら呼んで』
『落ち着いているかどうかで言ったら、今、非常に落ち着いてい…』
私は通信を切った。光玉を置いて、ベッドに座る。
あぁ…ギルはもうちょっと品と言うか、マナーと言うか…そういうの身につけてくれないだろうか…。
身代わりをお願いするにしても、見た目よりも、言動とか仕草とかそういうところでも露見しそうだ。
窓からの月明かりで部屋は薄明るい。
光玉を点けても良いけど、ムーンボウと話をすると思うとちょっと密談みたいな感じになっちゃう。私の隠れ家。
「…………」
今日もタナトス、噛んでくるかなぁ…あれ、やめてくれないかなぁ…今日のスペアリブ、あんまり気に入って無かったみたいだし。
むしろ、タナトスが残したスペアリブをボジャーが目の色変えて食べていた。
くそー!骨ほね言うからリクエストしたのに!腕くらいあった骨付きお肉を!
……あ。そーだ。腕と言えば、また消そうかな。あの入れ墨。途中だったし。
そう思っていたら双子光玉がチカチカと光った。
お。着信きたー。
『はい』
『よう!待たせたな!』
『予定の確認なんだけど…』
『ああ。ほら、明日、明後日となんか祭りがあるだろ?』
『うん。宝珠のお祭り。教会の式典には私も出るみたい』
『はぁ?教会っておまえ…あのオッサンがいるだろ?』
『そうなんだよね…でも、先生がサボらせてくれなさそう…』
『俺の出番か?』
『うーん…どうかな〜…念のため、ギルに僕の服、渡しておこうかな…』
『良いぜ。あ、それでニーナだけどな』
『うん。明日?』
『いや、二日連続』
『は?!』
『なぁ〜。良いだろ〜?実入りが良いんだよ〜。お客の方もさ、ニーナ目当てにチケットが高騰してすげぇんだよ!』
『え。ちょっとまって?お客さんって…』
『貴族連中にやった仮面の公演と前回の商人相手にやったやつ。あれで火がついちゃって、ここんところ調整が大変だったんだよ。バーディーが嘆いてたぞ。予想はしてたけど、次回公演への突き上げがすごくて厄介だって。おまえが早くウチの専属してくれたら楽になるだろーなー』
『あ、あ…そう…まぁ、パンダだもんね…』
『?…なんだそれ?』
『珍獣って事。珍しいからでしょ』
『ああ。まぁ、俺達の仕事は珍しいモノを見せる事だからな!驚かせて金を稼ぐ』
『…確かに。そうだね。じゃあ、開き直って頑張るよ…』
『よっしゃ!これで肉が食えるぜ!』
『肉?あぁ…そうなんだ…』
『明日、空いた時間に来てくれ。最低でも日暮れには集合な!石は常に持ってろよ?ハメルンも持て余して機嫌が悪くなるから早く来てくれよ』
『う、うん。わかった』
『あ、それとよー、』
ギルが世間話のような空気で話を始めた時、部屋の扉が開いた。
『最近、俺やたらと』
目をやれば黒ローブのタナトスだ。
「あれ、タナトス何か用?」
「……」
『あ?なんだ?誰か来たのか?』
頭の中で聞こえるギルの声に、私は先にギルに断りを入れようと光玉を握った。
『ごめん、また明日連絡する…うわぁー!!』
頭の中でニルの驚いた声がした。
『おい!?大丈夫か?!なんだ?!どうした?!』
ギルはテントの外で焦った。聞こえた声は悲鳴に近い。しかも直前に聞こえた名前は、ギルが直感的に絶対ヤバイ奴だとわかるあの魔王…
『だ、大丈夫…ちょっと驚いただけ…』
追加で聞こえたニルの声は落ち着いていた。それにギルはホッとした。
『な、なんだ。脅かすなよ…大丈夫なんだな?!』
『うん。…いつも通り』
『じゃあ、明日な?』
『はーい』
『おう』
通信は切れた。ギルは手に握っていた小鳥のタマゴのような石を見て、ホッとした自分に問いかけた。
その安堵は、無事だった事にか?それとも戦わなくて済んだ事にか?
もし…あいつが大丈夫じゃなかった時に、俺は何が出来た?あの魔王と対峙して、ニルを助けた上で退路を確保出来ただろうか?
ギルは考えて…舌打ちして、石をポケットに突っ込んだ。
いつも通り。そう、捕獲されて寝かされている私。
びっくりした…部屋の入り口から飛びかかられてのまさかの襲撃に殺されるかと思ったわ…。
「タナトスー、まだ寝ないよ」
「寝てた…ベッドに枕あったら寝る」
「いや、違うって〜!寝てたんじゃ無いから!座ってたのー!」
「すーちゃん大丈夫?!って、イヤー!!」
マリーさんが駆けつけて、ベッドでタナトスに捕獲された私を見て悲鳴をあげるもんだから、下でボジャーが吠えた。
「ちょい!ちょいちょい!すーちゃんを離しなさい!あんた!それでもモルフィネス様の息子と言えるの?!」
「……うるさい」
私を抱えてタナトスが言った。
「なにを騒いでいるんだ?」
2階に上がって来た先生が顔を出して呆れた。
「先生ー…僕、まだ寝ないのに、タナトスが寝る寝る言って来ますー…」
「そうか。じゃあ、寝ろ」
先生は面倒くさそうに言った。
「ええーーー!!」
「ロズ?!それでも男なの?!」
マリーさんも悔しそうにローズ先生の袖を掴んだ。
「は?…何を言ってるんだ…。ああ、ほら、これでちょうどボジャーのソファーも空いたから掃除出来るだろ?叔母さん」
そう言えば、夕食後タナトスは木屑まみれのソファーでボジャーと寝てた。
「ちょ!タナトス!そのローブ、洗濯しなよ!僕のベッド汚さないで?!」
「…………」
「おまえら、騒ぐくらいなら寝なさい」
「僕、まだ着替えて無いし!靴脱いで無いし!断固、断ります!」
靴履いたまま寝るなんて有り得ない!
「じゃあ、15分で支度しなさい」
「ええ?!」
「良いな?タナトス」
先生の提案にタナトスは抱えていた腕を解いた。
「5分だ…」
ただし、制限時間は3分の1になった。
「ご、5分て…短く無い?もっとせめて10分くらい…って言うか、まだ寝ないって…」
身を起こして先生に抗議すれば、背後でタナトスが「4分40秒…」とカウントダウンが始まっていた。
「え。え。ちょ!待って?!早いから!せめてスタートって言ってからにして?!」
私は慌てて洗面所に駆け出した。タナトスの事だ。時間になったら歯磨きの途中だろうが拉致するだろう。
それの方がもっと嫌だ。
「すーちゃん…不憫…」
目を潤ませて叔母がスレイプニルの行った先を見て呟いた。
何が不憫だ。騒ぐんじゃ無い。どうせ寮でも毎晩騒いでるんだろ。この2人が騒いでネイロスもよく文句言わないな。学生課に抗議でも入れそうだが。まさか一緒になって騒いでいるのか?
赤竜のキング、ネイロスは何かとスレイプニルと縁がある。愛想が良いとはお世辞でも言えないが、入学早々に赤竜全体を掌握して以降、うまくまとめているようだ。
ネイロスがこの2人を仕切る?…いや、我慢をしているだけなのか?相手はタナトスだし、ネイロスはスレイプニルにも決闘で負けているからな…。ネイロスの方が不憫だな。
その不憫だった奴は今、1人部屋を謳歌しているだろう。それも、今週で終わりだが。
…理事長にもきちんと謝罪と礼を言わねば。
なんだかんだあったが、この休日で俺はドーガ光玉を習得し、スレイプニルは対抗防御法陣の初期、四元素を完成させた。
そして俺はスレイプニルの考案した、他人の法術と自分の法術を干渉させるやり方にも慣れて来た。
こんな方法があったなんて法術界も驚くだろう。
出来てしまえばむしろ、なんで今までなかったんだ?と思うほど法力の伝達に効率が良い。
ああ、若いって事に嫉妬するっていうのはこういう事か?柔軟な発想と固定観念の無い素直さが羨ましい。
法術師界の新しい風に、憧れと自分が古いものになったような寂しさを感じて苦笑した。
「叔母さん、ちょっと飲まない?」
休日も終わる。普段飲まない酒でも、今日は飲みたい気分だ。
「あら。良いわよ?料理にも使うワインかブランデーになるけどね。ロズ、あなたも着替えてからにしなさい。飲んでからじゃ面倒くさくなるなるわよ?そのまま酔い潰れるのは無しね」
叔母はそう言ってボジャーの元に向かった。木屑だらけのソファーを片付けておきたいんだろう。
タナトスのカウントダウンを気にしながら大急ぎで支度するとあとは夜着に着替えるだけだ。
洗顔のために脱いだ白ローブを腕にかけてシャツのボタンを外しながら階段を上がる。
あと何分何秒?!夜着を探して部屋に戻るとカーテンを閉めた真っ暗な部屋のベッドでタナトスが横たわっていた。廊下の灯りで部屋の様子がわかる。
「あとどのくらい?!」
「35秒…」
さ、さんじゅうご?!あわわわわ!あ、あった!夜着…もういいや、ここで着替えてしまえ!暗いし!
開けた扉の影でひっ摑んだ夜着に着替えだす。
靴脱ぐ!シャツ!脱いで、夜着上着る!次!ズボン脱ぐ、夜着の下…あ。
扉が閉まり、部屋が暗転する。
「5分経った…終わりだ」
すぐ後ろでタナトスの声がした。さながらホラーハウスのように。
語彙が!怖いよ!真っ暗なんだからさ!その言い方、もうバッドエンドじゃん!
「ああああ!ちょ!!まだ下!あと少し」
夜着下!!上しか来てない!
「寝る」
脇抱えされて強制移動。 結局、夜着は上だけ。下はパンツ一丁という情けない感じで終了した。丈が長いからまだマシだけど…そうか…下から先に履いて、上は羽織っておけば後でボタンがとめられたんじゃない?うぁーッ!失敗した!
ベッドに詰め込まれると、私はすかさず自分の陣地を確保した。
もう、毎度のことだから余計な抵抗は体力の無駄だと悟った。
…ん?タナトス入って来ないな。なに?この間は。もしや!ついにタナトスさん、1人で寝る事に挑戦…
あ、違った。ちぇ。…って、ん?なにこの肌感…どこ?これ?腕?え…腕から…オイ。まさか…
「タナトス君…きみ…服…服はどうした?」
「…汚れているのが嫌なんだろ…脱いだ」
はぁ?!違う。今じゃない。
「ターナートースーーー!今じゃ無い!それ今じゃ無いんだよ!!洗濯するのにって言ったよね?!夜中に洗濯出来ないよね?!今じゃ無いんだよ?!もしそれなら代わりのを着ようよ!ローブは脱いでもシャツは着てようよ!」
まさか下まで脱いで無いよね?!怖くて確認なんかできないよ?!ちょ!寄るな!…ひぇ…おま!おまわりさぁぁん!!
「タナトス!せめてシャツは着よう?!」
「…よく考えたら…寝るのに服はいらない…」
「いや、いる。断じている。あえて言おう、服は、いる。脱がない!!」
…お、落ち着いて?冷静に…
「タナトス?よく考えずとも、寝る時にも服はいるのです。むしろ着ないという選択肢は無いっ…て!ちょっと、もう!くっ付いて来ないで!離れてくれないかなぁ!!」
う、うわぁ、見えなくてもわかる触った感じのメンズ感!ちょ!コレ、どう防ぐ?!押し返すと肌触っちゃうんですけど!!
「タナトス!!わ、わかった!こうしよう!!」
あ。今、足に布触れた。良かった。下は履いてる。なら、まぁ…ってならないから!!私、履けて無いし!
「…寝る」
「うんうん。寝なさい。僕は君の腕の封印を削るから」
「………」
「それなら良いでしょ?」
「………」
どっち?頷いたの?暗くて見えないんですけど。
「わっ!」
抱えられてゴロリと向きを変えられた。左側にいたタナトスが右側になると、右腕のタナトスの封印が削りやすい。
仰向けになったタナトスの腕が伸ばされる…感じがした。
ああ、はい。コレですね。では…
腕の所在を手で確かめて視界を照らすのにオレンジ色の小さい光玉を作ったら、隣のタナトスがビクッ!と身動いですごい勢いで布団を被った。
あ。今、一瞬、見えた。タナトスのフード被って無い顔。
スゴい…レア。なんか…カタツムリの殻が無い…ってそれ、ナメクジか。ゴメン、例えが悪かった。
タナトスの目が獣みたいに瞳孔が開いていたようにも見えたから、眩しかったんだろう。
「ご、ごめん。眩しかった?僕、全然見えないから…言えば良かったね」
「光は要らない…消せ」
布団にスッポリ収まったまま、タナトスがそう言ってきた。今では出していた腕も引っ込めて。完全に殻に収まったカタツムリだ。
「あ、そうだ」
私はベッドを出ると夜着のズボンを履いて、隣の部屋のベッドからシーツを剥いで軽くたたんだ。ベッドを直して部屋に戻ればタナトスはカタツムリ…いや、タナツムリのまま固まっていた。
床に捨てられたタナトスの黒ローブとシャツを拾いイスに掛けて、出したオレンジ光玉よりも、更に光を限局したオレンジ光玉を出して、先に出した光玉をキャンセルする。部屋はだいぶ暗くなった。
「タナトス、光弱くしたんだけど、どう?」
「…………光は要らない」
「それだと、僕が見えないんだもん。ほら、シーツ持って来たからこれで頭隠してなよ」
「…………」
タナツムリ…完全にヘソ曲げちゃったな…。
布団の上からタナトスの頭を探して、治癒の法術をかけてみた。
法術が少し反応したからやっぱり目が痛かったのかな?
「…………」
「タナトス、腕だけ出してくれたらいいよ?」
「…………」
無反応。
タナツムリ、用心深いな。…どれどれ。
「タナトスー、腕なら眩しく無いでしょー?」
殻の中…いや、布団の中に手を入れて腕を探す。
「右腕。どこだ?…あ、これ?」
引っ張り出そうとした腕に掴まれて、逆に布団の中に引きずり込まれた。
「な?!」
タナツムリ、すごい捕食能力!いや、違う。カエルじゃ無いんだから。
と、思ってたら布団の中で耳たぶを噛まれた。
「うっわ!」
耳ィィ!!食べられる!!
必死に脱出する。
「…また逃げた…」
タナトスの不満そうな声がした。
「あっぶな!耳もげたら嫌だもん!!こっわ!!」
モソモソとタナツムリが固く閉じていた布団から少し顔を出した。とは言え、布団がローブみたいになってるけど。
「…ぷにぷに…こっちへ来い」
ベッドの上で呼ぶタナトス。私はまた捕食されないように部屋の真ん中で距離を取る。
「魔法封じを消さないなら良いよ。僕、日誌書くから」
「消さないとは言っていない…」
タナトスは右腕を布団から出してその入れ墨のような文字を見せつけた。
「…………」
今度は私が用心深くなる。
「……消せるぞ」
そう言ってチョイチョイと指で呼ぶのが、なんか憎たらしい…。
「タナトス…僕はそれを別に消さなくたって、困らないんだよね」
誰の得になるって、それタナトスじゃん。私、疲れるだけ。
やっぱり、日誌書いて今日の復習をしとこうか。
机に向かって足を向ければ、タナトスは腕を出したまま「痛い…」と言った。
「痛い?なに?どこが?目?」
顔を向ければタナトスはこちらを伺いながら再び言った。
「腕が…痛いな」
はい。棒読み。絶対、痛くないそれ。
「タナトス。痛く無いでしょ」
「痛い。…腕が、痛い」
布団をかぶりながら右腕を伸ばし、左手でベッドの空いたスペースをトントンと叩く。
はやく。ここ来て。と、アピールするその手はなんなんだ。
「騙されないからね!」
「痛い、痛い、痛い、痛い」
「ちょ!」
タナトスが駄々こねだした!
「もーーー!……噛んだらダメだよ?!」
「噛まない…噛まないから、腕、やって」
子供か。タナトス。
「もう…しょうがないなー」
空いたスペースに横になって、伸ばされた腕の文字を指で撫でた。極小で放たれた法術の光は指先で淡く光り、少しづつ浮いて来た文字を消しゴムのように消していく。
チマチマ、ちまちま、浮かしては消す。今日はなかなかいい具合にはかどる。慣れて来たのもあるかも知れない。根気強くやっていると、タナトスはいつの間にか寝ていた。
私はまだ、眠く無い…もうちょっとやっとくか。
やり続けていると、指一本で消していた法術の光が中指でも出来るようになった。
やった!2倍速獲得!
そこからはかなり進んだ。けど、根気が尽きる前に腰が痛くなった。同じ姿勢で負担がかかったようだ。
うん。でも今日はスゴい!だいぶ進んだ。
消した範囲をしげしげと眺めて黒い残りが無いかチェックした。全体の半分は消えた。さすが2本消しは早い。
え、これ2倍速って言うか、もっといってる?
本物の消しゴムじゃ無いんだから消しカスは出ない。でも、仕上がりにタナトスの腕をさすって確認すると満足して布団に収めた。
それでもタナトスは起きないから結構、眠れているようだ。
「………」
小さな明かりの端でタナトス眠っている顔が見えた。目の下にハッキリとクマが出来ていたけど、お顔の作り…良いんじゃ無い?…うん。まぁ、そう。なんて言うの?
取り立てて特徴の無い顔立ちって、美形の特徴だ。全てのパーツが左右対称、寸分の狂いなく配置されている。
惜しいかなフードかぶってるからそのイケメンも全然、意味ないけど。
それよりも私が気になるのは黒い髪に金のメッシュの入った髪だった。
『染めているならあり得る』
そう言ったアイティールの言葉の通り、タナトスは髪を黒く染めているんだろうか?
…でもなんで?そんな必要ある?アルカティア…苦手なんだよね…?
それなのにオケアノス人特有の金の髪を黒く染める理由って?
そういえば、夜な夜な黒髪の白い服着た幽霊が現れるって言ってたけど、まさかこれアルカティア人に偽装して仲間だってアピール?
「…………」
え。……今も?…まさか、私が寝てて気が付かないだけで今までも実は現れてたのかな?
「…………」
ど、どどどど、どうしよう…なんか、怖くなって来た。光玉消したら、足を掴まれるとか…部屋に泣き声とか呻き声がしたら…怖い!トイレ行けない!!
「…………」
意識すると耳を澄ませて周囲をうかがってしまう。
え?!今、なんか、音した?!気のせい?!
キョロキョロと部屋を見渡す。
けど、光玉の灯りは弱いから自分の足元さえ照らせない。
とは言え、また明るくしたら、タナトスが眩しいって言うだろうし…
パキッと部屋に微かな音がしてびっくりした。
もしやこれは、幽霊が出すというラップ音?!だったりする?!あぁ!気にし出したら気になるー!
怖くてモソモソとベッドで身動いでもタナトスは寝ている。
背に腹は変えられなくてタナトスの腕を抱えた。物凄く耳に神経を集中して、また音がしないか確認する。
「…………」
うおーーい!タナトス!こんな時には起きないね!これ、もうしっかり眠ってるよね?!熟睡と言っていいレベルだと私は思うんだけど?!
窓の外でヒュォウ!と風が強く吹いた。
それだけで、古い井戸が思い出されて…そこから這い上がる白い幽霊が頭の中に浮かんでくる。
あわわわ…!ちょ!もう、寝ちゃう!寝たらわかんないもん!
私は法力を高めて圧縮していくと、寝ているタナトスに浄化の法術をかけて気力切れした。
光は嫌いだ。
刺すような痛みとなって頭に突き刺さるから。
それなのに、目が覚めて自分が寝ていたのは昼間の草原だった。陽の光を遮る為の帽子もフードも無い。
だが、不思議と頭痛がしない。
青い空に白い雲が浮かんで風に流れていた。
木々が風に揺れて葉が擦れる音と、色んな鳥がしきりに鳴いている。
身を起こすと周囲は森に囲まれていて、青紫の小さな花が群生して揺れている。
少し離れた所に一軒、家が見えた。白い壁の家には畑の庭があり、様々な植物が生えている。
家の煙突から白い煙が立ち登り、人がいるのがわかった。
「………」
ここはどこだ?
知らない場所だった。
立ち上がって見回しても、誰もいない。風が吹き抜けて草を揺らした。
白い柵を巡らせた家の木戸をくぐって入った。
丁寧に手入れのされた畑は食用の物だけでなく、薬草まで植えられているのを見ればそういう知識のある者が住人なのだろう。
小さな玄関の扉は開いていた。
家に入ると嗅いだ事のある匂いがする…けれど、それが何かはわからない。
入って右手にはキッチンがあり、たった今まで誰かが煮炊きをしていたようだ。
左側のリビングには外からの日差しが差し込み、穏やかな時間があるがやはり誰もいない。
その奥は子供の部屋だった。他の部屋…マスタールームもゲストルームも誰もいなかった。
だが今まで誰かが生活していたような感じがある。
隠れていたとしてもわかる。しかし、気配がなく誰も居ない。
無人の家を出た。
確かな生活感があるのに、人が居ない。庭にも、木々に囲まれた周囲にも。
「…………」
ただ、佇んだ。
穏やかな日差しも、鳥の声も、木々が風に揺れる音も、何も無いその穏やかな空間が、次第に恐ろしくなってくる。
まるで隔離されたような孤立感。
騒がしいよりも1人がいいはずなのに、ここは不安だ。この何でもない状況に恐怖を感じる。
…悪夢魔法?その割には緩い。これからか?
他に何か無いかと庭を区切る柵の木戸を出た時、急に背後の家から人の気配がし出した。
止まった時が動き出したように。
確かに人はいなかった。けれど、木戸から見る家には人影が、物音が現れた。女の声がした。子供の声も。そして呼ばれたような気がした。自分の名を。
再び戻ろうと木戸に手をかけようとした時、木戸が遠ざかった。いや、自分の立っていた場所が遠ざかった。
数メートル先に木戸がある。戻ろうと歩み出せば、さらに遠のく。
戻らないと。出てしまった。自らの足で。すぐに戻れる距離なのに。戻れると思った場所なのに。
木戸はどんどん遠ざかり、森の木々が景色を覆っていく。家と木戸は深くしまい込まれるように見えなくなった。
ザワザワザワザワと木々の揺れる音が大きくなる。人々の騒音が耳を刺激し、耐えられなくなって耳を塞いで意識に蓋をした。
…それから…目が覚めた。
眠っていた…眠ったと言う自覚がある。
ぐちゃぐちゃに乱れた頭の中が、澱が沈んだように穏やかな気がする。
「……………」
今のは?…ああ…そうか…魔法で見る夢では無くて…普通に…夢だ。
自然と見る夢だったと気が付くまで時間がかかった。
長い事、夢を見るという現象を忘れていた。
ありもしないデタラメな記憶。支離滅裂なストーリーなのに妙な説得力。それに伴う目覚めた時の自分のものとは異なる感情。…夢という意味の無いもの。
不思議な現象に、放心したようにまどろんでいると、たった今見た夢が溶けるように記憶から消えそうになっていて、慌てて記憶を意識する。
立ち並ぶ木々、森、緑の草原、青紫の花の群生、白い家、白い柵…家の間取り…時が止まったような空間。誰も居ない家。その間取り。
何とも言えない気分がした。
見たことも行った事も無い場所なのに、とても懐かしい…と思う。もう一度戻って、確かめたい。
そこに行けば自分のすべき事も、眠れずにただ生きている事にも、思い出せる気がする。
だが、そんな場所はおそらく存在しない。
存在しない場所だった事が…ひどく…さびしくなった。
さびしい?…さびしいって?これが?それ?
「…………」
失った喪失感。その手にあった充足が無くなる事。不足を思い知る事。
さびしい…これが…さびしい…なのか…。
夢の後には、そんな感情があった。じっくりと感じてみると、さみしい。というのは重たい。そして、さみしいというのは、面白くない。
…要らない。
タナトスはそう判断して、さみしいという感情を切った。
眠れたと言う充足感は得られていた。まだまだ全然足りないが、それでもそれが何より喜ばしい。
……頭が軽い…。
いつも脳内を烟っている濃い霧が薄くなっている。
…浄化された後…。
傍らには枕がある。今は珍しく枕の方が自分の腕にくっ付いて寝ていた。
魔法封じの刻印を消す作業は心地よい。その腕を動かせば軽くいつもの圧迫感と重厚感が…枷が外れたように、だいぶラクになっていた。
腕を持ち上げて見て、タナトスは思わず起き上がった。
夜明け前の部屋は暗くてもタナトスには昼間と変わりなく見る事が出来る。あの鬱陶しい封印の半分が、綺麗に消えていた。
いつの間にか眠りに落ちて、目覚めれば浄化も済んでいる。
素晴らしい。やはり、この枕に代えは無い。
法術でコレが出来るなら、やっぱり白のままが良い。
欲をかいて更なる熟睡を求めて交わっても…リスクをとって失くすには惜しい機能だ。
タナトスは再び横になり、枕を抱き寄せてもう一度眠ろうとして…枕カバーが気になった。
「………」
これは、要らない。
カバーを外すと本体はスベスベして気持ちいい。満足して抱えると寝直す事にした。
抱えている腕に触れる感触に眠りに落ちるまでの間、楽しむ。
張りのある弾力と滑らかな肌触り。繋ぎ目1つない完全な形状。
やはり枕はコレがいい。
「………」
なんか…スースーする…。
背中の方が…いや、肩も…寒い。布団…
潜り込もうと身じろぐと肌感が…肌感…肌…ん?…なんか…変…なんか…なっ…
「?!」
人間…真に驚いた時には、声にならない。
カーテンから朝日がさしている。明るい部屋で何も着てない自分の腕、肩。
で、隣に寝てるのは…半裸の男…
「………」
ドクドクと嫌な緊張で心臓が早打った。
私は…寝る前に…パジャマと言う夜着に着替えましたか?→YES
しかし、間に合わずに下を履けない事態になりませんでしたか?→YES
そのまま履かずに寝ましたか?→NO!!
途中で起きてちゃんと履きました。ちゃんと上下、着てました。間違いありません。刑事さん。
では、では…なぜ、私は…今…何も着てないの?!…服は??
「………」
え。待って?ま、まままま、待って?!本当に、本当に記憶に無いんです!いや、ちょっ!え?…え、ちょ!怖い怖い!怖いってぇ!!心臓バクバクいってるしぃ!
どどどど、どうして?!どにかく、どこかに、どこ行った?!服!!と、とりあえずなんか!
足から、そー…と布団を出てベッドの下の床を踏む。部屋の空気が肌に触れ、頼りなく臆病な気持ちで滑るように床に身を落とすと、そこに落ちている布の感触。
これじゃん?!なんで落ちてんの?!
大急ぎで上を羽織って…さらしを直すには時間が要る。
と、とりあえず下…どこ?!あ、あった…むこうに…
少し離れた床に落ちた夜着の下を取ろうと腕を伸ばして床から腰をあげた時、捕食されてベッドに戻された。
「ヒィ!わ!ちょ!ちょっと!……タナトス!」
「ぷにぷに…ぷにる…」
満足そうに抱えて息を吐くタナトスに、私は気付いた。
刑事さん!犯人、コイツです!逮捕して下さい!明らかにチカンです!!
「タナトス…僕の服が…」
「…寝るのに要らない」
目を閉じたまま、さも当然ように断言するタナトスに動揺して怒りがわく。
「な、な、なんで?!要るよね?!僕、ちゃんと着てたもん!」
「無い方が良いから取った」
「とっ…?!」
はぁ?!え。…はぁ?!嘘でしょ?!
「僕、もう、君とは一緒に寝ない!」
「………」
タナトスの目が薄く開いた。
「もう、浄化も、封印消しも、しない!」
誰がやるもんか!
「…なぜ」
タナトスの金色の目がゆっくり瞬いた。
「タナトスが僕の嫌な事するから!」
「…してない」
「僕の服、脱がしたの誰?!」
「…要らないから」
「いるの!勝手にしないで!こんなのッ…ひどいよ!」
「…服無い方が良い。要らない」
「いるの!寒いし!なにより僕はッ…」
タナトスが、より抱えて来た。布団を引き寄せるように。
「枕…寒いか」
うっわー、半裸…ヤメろ!違う!そうじゃない!いや、寒いとかそれだけの話じゃない!それよりももっと根本的な問題!
「もーさー…なんでそうなの?なんでわかんないのかなぁ…僕は物じゃないのに…なんで好き勝手にするの…」
あぁ…もう、悲しくなってきた。
タナトスにとって私は枕。枕に性別も意思も尊厳も無い。そういう事なわけ?
ヒドいよ…友達以前に人間でも無いよ…物扱いするなんて…。
「…僕…君を友達だと思ってたのに…」
いつだって側にいるから、私の方が勘違いしてたのかも知れない。
「…タナトス…きらい」
確固たる意識で腕を押し退けて起き上がる。
「…………」
タナトスはそのまま、黙っていた。
昨夜、持って来たシーツがあるのに気が付いて、それを巻いてベッドから出ると、タナトスが私を呼んだ。
「ぷにぷに」
「…………」
着替えを取って部屋を出ようと足を向けると、布団をかぶったタナトスがいた。
タナツムリ…殻が分厚くなったな…。いや、そんな事どうでも良い。
「どいて。部屋出るから」
「ぷにぷに。わからない。何が嫌か」
「何が…って」
「なぜ怒る?汚して無い。法術使える」
「……タナトスさ…自分が寝てる間に、着ていたローブ脱がされて洗濯されていいの?」
「…別に。眩しく無ければ違うので良い」
あ。しまった。例えが弱かった。
「じゃあ…えーと…えーと……。…寝てる間に枕交換しても良いよね?」
「それはダメだ」
「寝れてるなら良いじゃん。タナトス、眠れてるなら良いでしょ。寝ているうちにやっとくから。かわいい大きなクマちゃん置いてあげるよ。それ抱っこして寝なよ」
「ダメだ」
「その方が良いよ。ずっとは要らない。君が寝れるまで使ったら、あとはどうしようが僕の自由。だって寝てるんだから、ずっとは要らないよね」
昨夜だって起きなかったよ。
「要る。途中で起きる」
「じゃあ、起きたらまた寝るまで見てれば良いんでしょ。そしたらタナトス、一人で寝て」
クマちゃんが嫌ならウサギちゃんにする?
「断る」
「なんで?眠れるなら良いじゃん。同じ事でしょ。眠ったらあとは僕、要らない」
「ぷにぷに。寝ているうちにどこか行く」
「そう?そうだよね。僕、人間だから。行きたい所に行くよ。いたくない所には居ない。タナトスにとっては、僕はただの枕だろうけど、僕には意思があるもの。好きか嫌いかだってある。僕にとって居心地の良い所に行くんだ。僕が好きな所」
「…………嫌だ」
タナトスが呟いた。と、同時に部屋の床や壁が瞬時に凍りついた。
「うわッ!?」
冷凍庫?!あ、足!痛い!冷たい!息白いし!さっむ!!
「嫌だ。嫌だ。嫌だ」
子供が駄々をこねるみたいにタナトスが何度も言うと、言葉の度に部屋の氷は増して足が凍ってくる気がする。
ちょ!こ、これ、ちょっと!マズい!
「タナトス!寒い!部屋を氷山にしないで!」
腕の魔法封じを削ったから?!ガンガン冷えてくるんだけど!?脱出しようにもドアノブどころか、扉ごと凍ってるし!!
「足!痛ぁッ!!」
素足が氷に張り付いて冷たいを通り越して痛い!さ、さ、さっむいし!鼻が、肺が呼吸すると痛い!
痺れて、全身が刺すように痛い。
「タナトス!!本気でやめてッ!!」
し、死ぬ!!あー…まず…これ…意識遠のく…朦朧としてきた…。
『……ス』
あ…誰…女の人の声…幻聴…?
フッと氷が一瞬で消えた。
「……………」
呆然と立ち尽くすタナトスが、床に転がってる私に気付いたように呟いた。
「ぷにぷに…」
「……(さ、寒い…)」
タナトスはシーツごと持ち上げてベッドに入れた。
感覚がないほどキンキンに冷えた体に温かい布団がかかった。今になってカタカタと震えが止まらない。
タナトスが抱えて今更のようにあっためてくれる…けどさ、そもそも君の魔法のせいだから。
私は許さんよ!命の恩人って言うよりも、命の危機にさらした犯人だからね?!
しかし、あんな一瞬であそこまで大気中の水分凍結させれる?水が潤沢にあるわけじゃ無いのに。
ああ…そう言う事か…。
タナトスの腕の魔法封印…あれは、無いと危ないって…タナトスの気分で周囲が簡単に破壊されるからだ。タナトスへの罰というよりも…周囲の安全のためだったんだから…。
あぁ…また…やっちゃった…もう…かなり消しちゃったもん…。
「…タ…ナトス…し、失敗した…ぼ、く…消…さない、ほ、ほうが…良かった、んだ…」
寒さに震えて声も震える。
「………」
「ぼくが、…消えれ、ば…良かった…」
余計なことばかりして…タナトスが、周囲の人を死なせちゃったら…それは私のせいだ。
「…………さみしい」
タナトスが、呟いた。
さみ…しい?…なんで…?なんでそんな事、今言うの?なんか……なんか…それ…ズルいよ。
監獄のような長い長い苦痛を過ごして、ようやく抜け出せる鍵を見つけたのに、鍵は自分のものにならない。
殺して張り付けておけば簡単で…逃げないだろうが、そうすれば心地いい感じとは違う。
冷たくてすぐに腐って朽ちていくだろう。それに法術も使えない。
では、どうすれば手に入るのか?
命令したって是とは言わない。
1日中眠りたい自分の方が我慢して、望むようにさせている。
『…タナトス…きらい』
それなのに…拒否された。
『僕には意思があるもの。好きか嫌いかだってある』
『そしたらタナトス、一人で寝て。同じ事でしょ。眠ったらあとは僕、要らない』
眠れればそれに越したことはない。だが、それには目覚めた後の事も同時に考える。
今日眠れて、次にいつ眠れるかという不安。
目が覚めて、手元にその確証が無い不安は大きな問題だった。だから、常に確認出来るように離したくない。無くせば眠りは得られない。失えば再び出口の無い痛みと苦痛に彷徨う事になる。
『僕にとって居心地の良い所に行くんだ。僕が好きな所』
人々は眠る。生きているのに、活動しない。まるで死滅したかのような夜の静寂。
置いて行かれる。
戻れない場所。
自分だけ、疎外されて。
嫌だ。もう苦痛は嫌だ。失うのは嫌だ。
激しい感情に魔力が応える。
『ならば、凍らせておけば良い。凍らせれば腐らない。朽ちない。逃げ出せない』
水の精霊がそれが答えだと自ら進んで動いた。
『おやめなさい。凍らせたら生き物は死んでしまうのよ。わかるでしょう?……ス』
女の声がした。
その声に意識が戻った。
床に転がった枕には霜が降りていた。
しまった。これでは壊してしまう。
『…タ…ナトス…し、失敗した…ぼ、く…消…さない、ほ、ほうが…良かった、んだ…』
封印を消す事を後悔している。それは自分の存在を否定されたようだった。
『ぼくが、…消えれ、ば…良かった…』
それは困る。嫌だ。…いや、それ以上に、ああ、こういう時の感情を言うのか。
さみしい。
夢で見た、感じた、新しい感情。切って捨てたはずなのについて来た。
言葉にすれば、枕が腕を伸ばして震える体で背中を撫でてきた。
さみしい…さみしい。
言葉にするほど、増してくる。引っ付いて、広がって、答えを失う。さみしいという感情はしつこかった。
それを丁寧に払うように撫でられる手が温まって来たのを背中に感じて、タナトスは目を閉じた。




