第42章 おおむね平和ですが?
「じゃあ、すーぷー!おまえ、絶対、戻って来いよ!」
クスト先輩は私に念を押した。
「あ。はい。クスト先輩も、わざわざありがとうございました。これ、お土産です」
「おい、それは俺のだ」
ナタル先輩が、私がクスト先輩に渡した包みに眉を寄せた。
もちろんナタル先輩にも多めに渡してあるんだけど…。
「はぁ?おまえのなんて勝手に決めんな。図々しいんだよ!強欲が!」
「それは元々、俺が発注したんだから全部、俺のだ」
「いつそんなの決めたんだよ!時効だ!時効!」
「アホが。俺のおかげでこれは出来たんだから時効も何もねぇだろうが」
あー…もう…なんで、この2人は毎回毎回…もう、いいや。
「あ、先輩、それから…」
私は手紙と小さな紙袋をバルーン光玉に包んだ。
「お、おい…それ、なんだ?」
クスト先輩がその光玉に訝しむ。
「これをアイティールに渡して下さい。手紙を確かに受け取ったと」
ハンドボールサイズの光玉に紙袋と、私が取り急ぎで書いた手紙が収められた。
「それがあの手紙に書いてあった光玉か」
ローズ先生が、すかさず覗き込んできた。
「そ、そうです。汚れたりしないように」
クスト先輩の手から光玉を取り上げて、先生はしげしげと眺める。
「これは…どうやって中身を取り出すんだ?」
ローズ先生の問いにクスト先輩が同調した。
「確かに。割るのか?」
「いえ、前回同様、受け取り人の顔が光玉に映れば、勝手に消滅するようになってます」
顔認証システムですので。
「は?!」
「マジか…」
「すーぷーちゃん…」
クスト先輩やローズ先生だけじゃ無く、ナタル先輩まで苦々しくため息をついた。
「こいつ、本当に…自覚無く常識覆すよな…」
「えー。だって、食べ物ですよ?万が一、汚れたら嫌じゃないですか」
「もういい。キリがない」
ローズ先生はクスト先輩にバルーン光玉を返した。
「いいか。おまえら。この場所は絶対に他言するな。クスト、白竜にも誰にも言うなよ。しつこく聞く奴には、教会にいると言っておけ。ナタルも迂闊な事は避けろ。メルセデスはおまえの行動に注目している。少しでも不審な言動や行動があれば突っ込んで来るからな」
「もちろん、承知の上です」
ナタル先輩が頷いた。
「それから、スレイプニル」
「はい?」
私?
「おまえは何のためにここに連れて来たと思っているんだ。不用意にナタルに居場所を伝えるな」
「えぇ?!そ、そそんな事、僕、一言も…」
「(チッ…下手くそが)」
ナタル先輩が私の態度に舌打ちした。
ええ?!なんでバレたの?!どこで?!
「どうして…僕が…」
あわあわと先生を見上げれば、先生は緋色の目をしかめて言った。
「おまえらの話を聞いていれば、気付かないわけないだろ。ナタル、おまえもだ。あまり教師を見くびるな。おまえの悪いところはそう言うところだ」
「……別に見くびってなど、いません」
あ。ナタル先輩。悔しいんじゃない?平然としてるけど。
「2人とも、また来てちょうだいね」
マリーさんは嬉しそうにクスト先輩とナタル先輩を見送った。
「はい。伺います。ご馳走様でした」
マリーさんに対してキチンと挨拶するナタル先輩。
「俺も!週末には来れるかな…先生達まだいますよね?」
クスト先輩は期待して私達を見る。
「来るな。誰にバレるか知れないだろ。特にクストは危ない」
ローズ先生が拒否すれば、クスト先輩は悲壮感で声をあげた。
「なんでですか!俺がバラすわけないじゃないですか!」
「おまえが言うんじゃ無い。王弟の息子の前で様子を見て来ると言ったんだろ?現にこうしてスレイプニルと会った事を証明もしている。お前に王族の尾行が付いたら、ここがバレるだろうが」
「あっ!あり得るかも…」
た、確かに。アイティールならあの強そうな護衛の誰かにお願いすれば、簡単に出来ちゃうだろう。
「今日は大丈夫だろうな?」
「…今日は突発的な結果だったから…大丈夫なはずです」
クスト先輩は先生の思いがけない指摘にそわそわした。
「クスト、おまえ計画も立てずに動いてんのか?アホだな」
ナタル先輩がクスト先輩を非難した。
「うっさい!そのおかげで尾行がつかなかったんだよ!おまえこそメルセデスに見張られてるんだろ?!魔法でバレるんじゃ無いのか?」
「甘いな。俺には検索魔法無効の護符がある。…いや、待て…まさか…」
ナタル先輩は何事かに気が付いた。
「…………」
「な、なんだよ…?何かしでかしたのか?」
心配そうに眉を寄せるクスト先輩。
「クスト、おまえ…役持ちが集まってハートのキングを復学させようって話、スペードのキングから誘いがあったんだよな?」
「ああ、…だから何だ?」
「スペードのキングが自主的に発案して動いたのか?」
「…だろ?」
「……。メルセデス先生が許可証を出す時に言ったんだ。そろそろ引っ張り出す効果が出るか。って」
「引っ張りだす?」
「……なるほどな」
ローズ先生は何かわかったようだ。
「え?なんですか?」
「なんの関係があるんだ?」
私とクスト先輩は顔を見合わせた。
「王弟の息子1人では大義は無いが、学校に影響力のある役持ちの生徒の総意としてハートのキングの復学要求をすれば、学校側も対応を求められるだろう。それに、ハートのキングの気持ちを動かすには教師よりも、生徒の方が伝わりやすい。それを…メルセデスが王弟の息子に吹き込んだ可能性がある」
「ぅえ?」
「引っ張りだすってそう言う事だよ。メルセデス先生は、あてもなく探すよりも戻るのを待つ方が早い。って言ってたからな」
「はぁ?!…じゃ、じゃあ…俺…」
「まんまとメルセデス先生に協力してるな。クスト」
ナタル先輩が意地悪く笑う。クスト先輩はガクッと膝が崩れた。
「…そういう所だ。下手に思い付きの自己判断で動けば事態は望まない事になりかねない」
ローズ先生も、釘を刺す。
「そ、そんな…クスト先輩は心配して来てくれたんです。それに、僕達、来週には戻る予定なんですから。変わりはありません。先輩、ありがとうございました。みんなにもよろしく伝えておいて下さい」
クスト先輩をフォローすれば、ナタル先輩はフン!と鼻息を吐いた。
「俺はそろそろ行く。図書館で調べる時間があるからな。こいつのせいで余計に時間を食った」
「んだと?!」
「ほらほら。ケンカしないのよ?クッピー、辛かったら構わずいらっしゃい。追い出したりしないから」
「マリーさん…」
「必要無いですよ。コイツんち、金持ちだし」
ケッ!と吐き捨てるナタル先輩。
「はぁ?!実家とか関係ねぇし!」
「ゆるい世界で生きてる奴の「辛い」なんて、たかが知れてるっつってんだ」
「おっまえ、本当にいい性格してんな!ナタル!」
「ああ、そうだ。俺は将来有望で性格も良いからな。モテて女にも困らない」
「クッッソ!ムカつく!そう言う事じゃねぇ!」
ナタル先輩、めちゃくちゃクスト先輩を怒らせるなぁー…。あ、でも、そっか。
「先輩、モテモテなんですね。スゴイです!」
ナタル先輩、黒竜だから別に異性と付き合っちゃいけないルール無いもんね!
「…………」
ナタル先輩はハッとしてこっちを見た。
「彼女とかいるんですか?どんな人ですか?」
ちょっと興味あるな。どんな人と付き合うんだろう?レムリア人のゆるフワ系?もちろん、先輩好みの手の人だよね。それがどんな手だか何度聞いても理解出来ないだろうけど。
「………うるさい。黙れ」
ナタル先輩は急に口が重くなった。
あれ?教えてくれないの?別に良いじゃん。からかったりしないのに。クスト先輩に聞かれたくないのかな?
「あっれー?なんで言わないんだ?ナタル。おまえ、本当の事、言えよ。実は彼女とかいないんだろ?」
今度はクスト先輩がめちゃくちゃナタル先輩に絡んでいる。
「それでは、先生。お邪魔しました」
「おい、無視かよ?!」
ナタル先輩はローズ先生に挨拶して、こっちを見た。
「おい、おまえ。迂闊な事はせずに自重しろ。いいな?」
「あ、ああ…はい…」
真面目な顔で注意された。ナタル先輩はそう言うと、構わず庭を出て行った。
「あ!おまえ。逃げんな!…それじゃ、先生、マリーさん、失礼します。…おいって!」
クスト先輩はナタル先輩を追いかけて行く。
「……なんだか、良いんじゃない?」
マリーさんが2人が去ってから呟いた。
「え。…何がですか?」
「クッピーと…タルタル」
「たッ?!…たるたる?!」
衝撃!それってナタル先輩のあだ名ですか?!
「タルタル…」
ローズ先生も呟いた。マリーさんに悪意は無い。むしろ、親しみを込めている。
「ケンカするほど仲が良いってね。好きな事を言い合えるって会話が無いより全然マシよ?」
あ、ああ…
「そ、そうですね…交流が途絶えたって言ってましたから…。…タルタル先輩と…」
そう呼ばれたナタル先輩の不機嫌な顔が容易に浮かぶ。そして、それを聞いて舞い上がるクスト先輩も。
…大丈夫かな…クスト先輩。あんまりナタル先輩をからかって魔法の餌食にならないといいけど…。
夕食の後、部屋でその手紙を読み返す。
『アイティールへ 手紙ありがとう。僕は元気です。みんなに心配してもらっちゃってるみたいで…逆に申し訳無いな。例の光玉ですが、やっぱりなかなか難しいです。先生と何度か試みているんだけど、うまくいかないんだよね…でも、諦めたく無い。きっと良い方法は見つかると思うんだけど…。もう少ししたら復帰したいと思っています。アイティールの方は変わりは無い?リリスさんへの手紙は返事が難しいよね。短くても心を込めたカードと一緒に花でも送ってみたらどうかな?ロキさんは相変わらずの厳しさのようで…アイティールも大変だね。気晴らしになるかわからないけど、また違うお菓子を送るよ。それじゃ、近いうちにまた。 スレイプニル』
丁寧に帳面から切り取られた紙。罫線が無くても行儀良く並ぶ文字は小振りで丸みを帯びている。親しみのある文字は、クセが無い分、読みやすく、筆圧のせいかどこか優しい。
白竜のダイヤのクィーンは確かにニルと接触出来た。
その衝動的な行動に、あまり期待はしていなかったが、白竜の3年で実質の白竜代表としての役割は伊達では無いようだ。これならば尾行させておけば良かったと悔やまれた。
手紙以外にニルの様子や居場所について色々と確認したかったが、クスト・ラケルは無断外出をとがめられて、規律により懲罰房に入れられた。
白竜の講師に学長室へ連行される前、彼は集まった役持ちの中でアイティールに光玉を投げて寄こした。
「すーぷーから、おまえにだ。手紙は確かに渡したぞ」
ぞんざいな受け渡しだったが、放り投げられた光玉はアイティールが難なく受け止めると、一回め同様、ポン!と音を立てて消えて、紙袋と簡単な手紙がその手に収まった。
贈り物のようなそれに、自然と顔が笑む。どんな高価な品よりもアイティールの心は弾んだ。
手紙はゆっくり読みたかったが、他の役持ちがクスト・ラケルの連行で状況を聞けない分、渡されたその品に注目が集まった。
決して長く無い手紙に目を通し、必要な情報だけ伝えた。
「…近いうちに戻るそうだ。退学にはならない」
アイティールのその言葉に、ハートのキングの意思を得られて一同がホッと息を吐いた。
皆、直接ニルと深い交流があったわけでは無い。だが、アイティールの呼びかけに否という者はダイヤのキング以外はいなかった。
応じたのは…アイティールだからではなく、ニルだからだ。アイティールを警戒する者はいても、ハートのキングの話を出して嫌な顔をするものはいなかった。
……ニル…君は、私の欲しい物を容易に持つ…だが、その足がかりは、君のおかげで得られそうだ。
だが、意外にも手に入らなかった者もいる。
アイティールとしては、1番欲しかったのはダイヤのキングだった。だが、彼は即答で断ってきた。
要望がズレていただろうか?いや、そんなはずは無い。卒業後の魔法師が求む物…それは、研究資金だ。
より良い出資者を得られるか否かで、自身の研究がゴミになるか、陽の目を浴びれるか、またその完成にいたる月日も変わってくる。
ダイヤのキングは模擬戦無敗だ。魔導協会からの期待も大きいと聞く。
では、すでに出資者を内定されているのか?…いずれにせよ交渉の余地はあるだろう。
やたらと軽い小さな紙袋を開ければ、ジャガイモ菓子では無く、白いクリームが固まったような物体だ。
ケーキの上に絞られたようなそれは、口に入れれば生クリームとは全く異なり、優しい上品な甘さが広がった。
様々な菓子、料理を口にする機会のあるアイティールですらそれは初めて食べる菓子だった。
カリッと軽い食感。フワっと広がる甘さ。そして跡形も無く消える。後味すら一切残さず。
…君は…本当に面白い。
自然と穏やかな気持ちになる。あの、教室に降り注いだ慈雨のように。
その菓子を口にするとなぜか、光玉を生み出すあの漆黒の少女を思い浮かべるようになった。
温かい光と神秘的な微笑み、そして跡形無く消える姿からだと思い至り、アイティールはニルとの再会が待ち遠しかった。わずか数日いないだけだがアイティールは物足りない。
「(…話がしたいな…)」
ルームメイトのいない部屋で呟いた。
ニルは昏睡しない限りはアイティールの元へ報告に来た。いや、本人はそうは思っていない。日々あった事を語る。思った事を語り合える存在。媚びへつらう事も萎縮する事も敵意を向ける事もない心のままに感情を伝える。打算無い優秀な得難い友人。
アイティールはそんなニルの存在が嬉しかった。大概はジョーカー…死神を連れだってはいたが。
「(まさか…タナトスは…こんな時にもニルと共にいるのか…?)」
いや、まさか。教会にいるならばいかに宰相家の人間と言えど入れないだろう。
あの死神が教会にいるなど、場違いにも程がある。下手をすれば祓われるほど不吉だ。祓われた所で消えるわけが無いが、いっそ消えてくれた方が世のため人のためだ。
おおかた、ニルが復学するまでは自宅に引きこもっているんだろう。
「(…無責任な奴だ…)」
アイティールは病にかこつけて好き勝手に生きているタナトスが不快だった。
士官学校に来ていても何かを学ぶ訳もなく、その姿勢すら無い。教師達ですらそれをまともにとがめない。しかもそんな奴が四六時中、親友に張り付いているのが不愉快だ。家同士の対立以前に、タナトス個人に一つも好意的な部分が見えない。
役持ちの総意を集めるにしても、探して打診すらする気にならない程に。
「(…退学すべきは…あいつだ)」
不快な感情に、目を閉じて整えた。
家とは違う。怒りを抑えられずに配下の支持は得られない。ニルの語った物語…獣王のように孤立し、配下は面従背側するだけだ。
アイティールは大きく息を吐き、再び手紙を読み返した。
「はぁー…ボジャー。君ってば香ばしい匂いがするねぇー…」
夕飯を終え、スレイプニルはソファーに寝るボジャーの匂いを嗅いでいた。
ソファーの定位置でボフボフと尾を振っているボジャーは腹を出して、撫でられるのを待っている。
「…この香ばしさは…眠たくなる感じだなぁ…」
どこから匂いがするのかと、嗅ぐだけ嗅がれて、一向に撫でられないボジャーは更に腹を出す。
「…うん?…あ!肉球!肉球が香ばしい!」
「………」
い、いや…スレイプニル…ボジャーが戸惑っているんだが…。
「…うわー…いいなぁー。犬っていいなぁー。僕もいつか犬を飼いたいなぁー。本物の方」
言ってボジャーの頭を撫でるスレイプニル。
いや。すーぷーちゃん。そこじゃ無いんだ。今は頭じゃ無くてボジャーは腹を撫でて欲しいんだ。
そもそも、腹出してる犬の頭は撫でづらいだろ?…それと、本物じゃない犬ってなんだ?
「でも、あんまり大きいとお世話が大変だからなぁ…そんなに大きく無くて良い…柴犬くらいが良いな…」
なに?…なにいぬ?
「あ。…でも、当分、先かなぁ…今は学校だし…」
床に膝をつき、ソファーに頬杖をついて考えるスレイプニルを、腹を出し仰向けのまま待つボジャー…。
「しつけもしなきゃなんないし…タナトスで手を焼いてるようじゃ、犬は難しいかなぁ…」
いや、おまえ…タナトスを飼い慣らすなんて誰にも無理だろ。魔獣使い(ビーストテイマー)ですら無理だ。というか、タナトスは人間だぞ。ああ、本物ってそう言う事か。番犬タナトス…。
「……ボジャーみたいにおじいちゃん犬なら良いかな…」
そう言ってスレイプニルは、ボジャーの黒い鼻をチョンチョンと突いた。
ああ。もう、ダメだ。見てられん。
「すーぷーちゃん…ボジャーは腹を触って欲しいんだ」
「え?…あ。そうだったの?ボジャー」
スレイプニルは赤ん坊をあやすように、ボジャーの腹をポンポンと優しく叩いた。
「………」
ボジャーは、待っている。その手が腹全体を撫でるのを。尾を止めて。
「………」
なんでだよ?!そこで止めるなよ!
チラチラと仰向けのまま様子を伺うボジャーが不憫で、席を立ってスレイプニルの後ろから撫でてやった。
スレイプニルは驚いて見上げてくる。
「犬は態度も指示もハッキリしてやる方が良いんだ。母犬が舐めるように面で撫でてやれ」
満足そうに腹を撫でられるボジャー。
「…あ、ああ…はい。なるほど…」
動揺し、戸惑いながらボジャーに目を移す少年は間違いを指摘されたせいか恥ずかしそうにしていた。
「………」
ボジャーの腹を撫でていると、わずかな沈黙の後スレイプニルが聞いてきた。
「せ…先生、お母さん犬って子犬が言うこと聞かないと怒りますよね?」
「まぁ…そうだな。成長過程で程度は違うがな」
昔から犬が好きで子供の頃にも近所の犬を構ってきた。メス犬は割りとしょっちゅう子犬を産んだ。
「子犬を噛んだりします…?」
「ああ。おどかすように首を噛んだりするな。だが、加減をするから、それで子犬がケガをする事は無いが」
「………あー…はい。そうですよね…」
スレイプニルは不満そうな顔で頷いた。
「なんだ。それがどうした?」
スレイプニルは近い距離に気まずいという様子で這うように場所を移動した。そして、今朝、ボジャーの予備の寝床として準備しておいた毛布の入った籠に尻を収めて座った。
…おまえ…それ、窮屈じゃないのか?足を抱えて座るともう、カゴに入ったタマゴか鳥みたいだぞ?
「…最近、タナトスが噛んでくるんです…すごい痛いわけじゃ無いけど…」
「なに…?」
…あぁ、そう言えば、今朝も肩に食いついてたな。
「おまえらもナタルやクストと同じだな。ケンカするほど仲が良いってやつか」
「…って言うか、タナトス、僕のこと子犬扱いしてる気がするんですけど…」
「はっははは!」
子犬?なんだそれ。まあ、おまえは充分、犬っぽいがな!
「先生〜…笑うなんてひどい…」
膝を抱えていじけるスレイプニル。
「枕の次は子犬か。生き物に昇格したな!」
「……ひどし」
スレイプニルは不満そうに口を尖らせた。
「え?なぁに?面白い話?」
叔母がキッチンを片付けてお茶を入れて来た。
「あらまぁ!すーちゃん。そこ、スッポリ収まってるわね!」
ボジャー用に作ったベッド。なんでおまえが使ってるんだ。
「お茶が入ったわよ。もちろんお酒は入って無いから」
「ありがとうございます」
…酒…。アレは…本当になんだったんだ?最近は特に…。俺の…思い出の願望が見せているのか…?
「タナトス。お砂糖いる?」
「……いらない…」
ダイニングテーブルで突っ伏していたタナトスに、スレイプニルがお茶を配る。
「それで?教皇様はなんて?」
叔母の問いに、身を起こしたボジャーの頭を撫で、テーブルの席につく。
「いや、お風邪を召されていて面会出来なかった」
「あら。やだ!大丈夫かしら…」
「ああ。宝珠の式典も近いし、最近、ご無理を重ねていたようだから…疲労が溜まっていたんだろうな…」
「宝珠の式典って、いつですか?」
スレイプニルがパッと黒い目を向けて来た。
…なんだ。おまえ。興味ないとか言っておいて…。
「今週末の予定だが?」
「…今週末…」
目をそらして考え込む。
「なんだ?どうした。気になるのか?」
ようやく興味が出たのか?
「えっ…と、その、そ、そうですね。まぁ、若干は…?」
……。なんで焦ってるんだ?
「いや、別に。教会に興味があるわけじゃ無いですので」
「すーぷーちゃん…式典は、全法術師が参加だからな」
「えぇ?!…じゃ、じゃあ、僕も?」
「そうだ」
「えーーー……」
なんだ。その嫌々感丸出しの態度は。
「それだけ教会にとっては大事なんだよ!法術師としての自覚を持て」
「…………」
なんだ。その納得出来ない。って顔は。
「それってどのくらいで終わります?僕、下っ端ですからどうせ隅の方ですよね…?」
「………逃げ出すなよ。絶対に。何があってもだ」
今のうちに釘をさしておこう。嫌な予感がするからな…。それから…他のやつらにも言って、こいつの周りを固めておこう。
式典には、香木が焚かれるからな。
「ぽっぽぽポテト、ぽてぽてポテポポ、ぽてぽてぽぽて…」
翌朝…朝一、私はスライスしたジャガイモを庭先に張り詰めたキレイなシーツの上に一枚づつ干していた。
何故かと言うとタナトスの「一日中寝たい」と言う要望を、ポテチを作るという理由でかわしたからだ。
「ポポポテトテト、ポテポテチー」
思い付きの歌とも言えない単語を口ずさみながら一枚一枚、並べていく。
今朝も良いお天気だからポテチも良く乾くだろう。この乾かす作業が地味に面倒くさいけど、パリッと美味しくするには仕方ない。どうせなら、たくさん作りたいし。
「うん。終わっ…」
た。と腰を伸ばした時、後ろから誰かに肩を掴まれた。
「?!」
誰?!
「おい。俺の分、あるんだろうな?」
え?あ!…なんだ。びっくりした…ナタル先輩じゃないですか…。
先輩は私の肩に肘を乗せて寄りかかってくる。なんか…近いですけど…密談するような話ですか?
「…え。先輩、なんですか?早くないですか?今、朝ですよ?」
学校はきっと朝食が始まるかってくらいだろう。
「いつ出ようが時間は自由なんだよ。俺は信頼があるからな」
眼鏡の奥の緑の目を細めてナタル先輩は得意げだ。
「…先輩、それで…何用ですか…?」
「何用もあるか。おまえらの動向を見に来たんだろ」
「えぇ…こんな朝から?」
ナタル先輩が耳元で言ってきた。
「おまえ、氷柱弾…だって?」
うっ。でた…。昨日、嫌な予感してたんだよなぁ…。
「えーと…なんの事デスカ?」
明後日の方向をむいて、とぼけてみた。
「ヘッタクソなバックれ方だな。おい。(おまえのせいで、俺がせっかくごまかしてやったのが無駄になっただろ?)」
耳打ちしてくるのは聞かれないように、万が一の自分の保身だろう。先輩って慎重…いや、ちょっと卑怯な感じするからな…。
「えぇ?それ僕のせいですか?」
そんなバカな。先生は、おまえらって言ったもん。おまえ「ら」。
「言い訳はいい。それで?どんなのだ?」
「え、えー…いやぁ…」
目をそらせば肩を抱かれてすごまれた。
「言え。と言うか、今日、見せろ」
な、馴れ馴れしいなぁ…これ、カツアゲする不良じゃ…。
「いや、ちょっと…ムリっていうか…先生にバレたら怒られますもん…」
逃げようとする足。ナタル先輩は腕を締めて私の動きを止めた。
「バレないように見せろ」
コソコソと会話をする私達は何なんだろう?ここ、体育館裏?
「そんな無茶振り…」
っていうか、先輩…近いデス。
『氷柱矢』
「?!…クソ!」
言霊が聴こえて、ナタル先輩が振り向き様に腕を振り降ろした。
ガシャンッ!と、すぐ近くでガラスの割れるような音がした。
「え…え?何?なに?」
何事ですか?!
「ちょっと?!…大丈夫?!」
音に驚いてマリーさんが庭に飛び出て来た。
「なんだ?何か割ったか?」
続いてローズ…兄さん。
「危ねぇ…間に合った…」
ナタル先輩は、フー…と息を吐いた。
あ。もしかして!
「今のって魔法相殺ってやつですか?!」
さっき冷たい破片が手に当たった。
「…危ねぇ…ガチで殺す気だろ!オマエ!」
ナタル先輩は厳しい目を、魔法を放った相手に向けた。
「………」
つられて目を向ければ、2階の窓からタナトスがこちらを見下ろしていた。
「あ。タナトス…起きたの?」
ベッドでゴロゴロしてたのを、ほっといたんだけど。
「なんだ。ナタル…おまえ、こんなに早く…」
ローズ先生の責めるような声に、ナタル先輩が「すみません…先生…」と顔を向けた…ら、固まった。
「え…え?…先生?…マジで?」
「なにがだ?」
先生は眉をしかめた。
「…ローズ…先生?」
ナタル先輩は、わずかに先生を指差して私を見た。
「(おい!なんだあれ!どこの役者だ?!)」
そうです。女神様はお化粧をしなければ、素でイケてる兄さんなのです。その動揺。わかります。女神様感が皆無ですよね。
うんうん。と頷けば、ナタル先輩は顔が引きつった。
「…マジか…」
「ナタル。おまえ、こんな朝から何の騒ぎだ。そんな事なら外出許可を取り消すように言うぞ」
ローズ先生は夜着のままナタル先輩を注意した。
「…いえ、すみません。…出直します」
大人しく引き返そうとするナタル先輩。
「あら。朝ごはんまだでしょ?食べて行きなさい」
マリーさんがご機嫌で誘った。
「い、いえ…それにはおよびません。どこかで時間を潰せば…」
辞退するナタル先輩。
「いいじゃ無いの。はいはい。入って入って」
強引に勧めるマリーさんに、ナタル先輩は先生の顔色を伺った。
「…庭で騒ぐな。頻繁に出入りすれば目立つだろうが」
そう言うと、先生は追い返す事は言わなかった。
…先生って、やっぱり無下に出来ないんだよね。白竜って世話好きだもん。
「お騒がせしてすみませんでした」
「邪魔はするな」
先生は新聞を取りに門扉へ出た。
「(…おい。おまえ…大丈夫なのか?)」
それを見送ってコソッとナタル先輩が聞いてきた。
「へ?…何がですか?」
「……。(いや、ならいい。…いや、それだけじゃ無くて、おまえの正体だよ)」
なんですか?何がいいのか悪いのか…。
「おおむね平和ですが?」
「……なんでだ…」
ナタル先輩は疑問符を付けずに眼鏡を持ち上げて、その奥の目を押さえた。
ハートのキングにかけられた魔法を見破ってからは、もうコイツをどこをどう見ても男に見えない。
せいぜい、男の服を着た女。つまり100%女。
なんで先生までコイツと寝起きしていて気が付くタイミングが無いんだ?先生の感覚はどうなっちまってんだ?ふとした時にアレ?おかしいな?って思わないのかよ?法術師って女がどう見えるんだ?
まぁ、別に俺には好都合なわけだが。
「あ。そうだ。先輩…(マリーさんには初見でバレましたよ?)」
「は?!」
耳を疑って振り返れば、話が聞こえたのかすぐ後ろで年の割にノリの良い中年女性が、自慢気な顔で親指を立てて胸を張っていた。
「………初見で…」
それもまた…なんでだ?!言ってもあの伝説の魔女の魔法だぞ?!初見で見破るって…。
「(しかも、一瞬で全バレです)」
更に追加された情報に、ハートのキングを見て、再びその人を見れば、テヘ。って顔で笑い、片目を閉じていた。
…マジで…何モンだ…このオバさん…。ふざけてんが…絶対、只者じゃねぇ…。
「えーー!なんで今日も教会なんですかー?!」
到着した馬車の中で、スレイプニルは降りるのをゴネた。
「なんでもあるか。教皇様がお風邪を召したんだ」
ご様子を確認せねば心配だ。
「(自業自得じゃ…)」
ボソッと聞こえたスレイプニルの言葉に聞き捨てならない。
「じゃあ、おまえもご挨拶に来い」
「あ。なんでもないですー」
すんなり馬車から降りる。
「…教会か…久しく来てないな…」
続いてナタルが馬車を降りる。
「そう言えば、白の宝珠が見つかったそうですね」
大聖堂を見上げてナタルが言った。
「…ああ。まぁな。教皇様がお風邪なら、その式典も予定通り出来るかわからないが…」
「魔導協会でも話題になってましたよ。白の宝珠は本当に珍しいって」
「ほぼ100年振りだからな。教会内でも瑞兆に期待が出ている」
「でしょうね。ただでさえ宝珠なんて貴重ですから」
「ナタル。…すまないが、その辺で待っていてくれ」
「わかりました。タナトスも見ておきます」
素直に応じるナタルは慎重で冷静な分、任せて不安がない。
ああ、そうだった…こいつは、目上の人間に対してそつがない。効率よく、言わなくても自ら先を読んで過不足無く動くから、求められる期待も自然と高くなる。
ナタルが白竜に在籍していた期間は長くは無い。だが、熱意と向上心と潜在能力にキングとしては大いに期待していた。
それこそ、毎日クストと時に張り合い、時に教え合っていた少年が…2年間で魔法師として、無敗のキングの異名を取るまでの立派な青年に成長した。
ナタルの過去を思い出す一方で、ソワソワと落ち着きのないスレイプニルを見た。
スレイプニルはナタルが1年生の時と熱意も向上心も潜在能力も違いは無い。むしろ、潜在能力としては、ナタルよりも底知れない。
子供子供した少年が、これからどんな風に成長して立派な青年になっていくのか、非常に興味があるし、楽しみだ。
子供を育てる親の気持ちはこんな感じなんだろうか?
「…スレイプニル。行くぞ」
タナトスの後ろに隠れるようなスレイプニルに声をかければ、渋々と歩みでた。
「タナトス…何もしちゃダメだよ?何か持ってくるとか、ナタル先輩とケンカしてもダメだからね?」
子供に言い含めるようなスレイプニルは、まるでタナトスの飼い主だな…。しかし、なんだその、持ってくるとか。道端の物を拾ってくる犬か?タナトスは。
「…………」
それに対してタナトスは無言だ。
「先輩。タナトスは急に消えたり現れたりしますけど…気にしないで下さい」
いや、それ気になるだろ。本当にそいつは何なんだ?人間だよな?
「先生、すぐ、戻りますよね…?」
不安そうに黒い目を向ける少年は、恐ろしい場所に向かうような顔だ。
「ああ。おまえもいい加減、慣れろ。教会は監獄じゃないんだぞ」
「………はぁ」
なんだ。そのため息は。失礼な奴だな。
連行されるような面持ちでハートのキングはローズ先生と共に教会へと向かった。
…あいつ、教皇と面識あるからな。うっかり会うって事は少ないだろうが、教会から手配が続いている限りあの特徴的な目の色もあって、いつバレるとも知れない…。
言ってたな。あいつそっくりの少年がいて、身代わりに教皇と会ったって。どんな奴だ?
ハートのキング…あいつの正体を知ってから、街角に貼られた手配書を見て俺は焦りが出た。
魔導協会でも噂になっている。黒い目というだけで、魔法師でなくてもアルカティアを連想しないはずはない。
手配書を見て皆が思うだろう。アルカティアの血の濃い混血…それか…もしくは…まさかの本物か。と。
特に今回、手配書には教皇から直々に保護する際には決して傷を付けないように。と厳命が出ている。
「教会…教皇秘蔵のアルカティアの血が生き残っている」その噂は信憑性を増す。
教皇は実はアルカティア人に造詣が深い…それを知る魔法師にとって、まさに黄金以上の価値がその辺を歩いているという事だ。
本当に、すごい奇跡だよな…あいつが王族の用意した偽戸籍で士官学校に来なければ、間違いなく誰かに捕獲されていたはずだ。
それは、騎士団か、教会の法術師か、魔法師か、一般人か、賞金目当ての冒険者かは知れないが、検問も設けられているようだから逃れようが無い。
それでもその中で最悪の相手は悪人はもとより個人の魔法師に捕まった場合だ。賞金よりも監禁されて研究されるだろう。
きっと、あんなことや、こんな事を試されて…
「………うらや…いや、違う」
危ねぇ。魔法師としての欲望が…。
あいつが偽名でだろうが、教会の登録票がある事が救いだ。
まさか手配人が教会に登録されているなんて誰も思わないからな。そういう面で偽の戸籍を用意した王弟の息子を褒めてやってもいい。もちろん打算だろうけどな!
そんな事を考えつつタナトスの動向をうかがった。
「…………」
ハートのキングを見送ってタナトスは教会の広場の長椅子でゴロンと横になった。
…大人しいな。
並んで置かれたもう一つのベンチの端に腰を下ろして、距離を取りつつ目深にかぶった黒いフードの男を見張った。
この距離が限界だな。これ以上、近付くのは危険だし何より嫌な悪寒がする。
「…おい…おまえ、あいつの魔法、見たんだろ?」
「…………」
「氷柱弾って、どんな感じなんだ?」
「…………」
チッ!無視かよ!
「…………」
ベンチに座って芝生の広がる広場を眺めた。
教会か…。もし、俺が…法術を捨てなければ、法術師になっていた可能性もあったわけだ。…可能性は低いだろうが。
法術師の純白の白ローブ…魔法石を必要としない法術…それは、人種を問わずに与えられる資質…。
白竜在籍中に、光玉と浄化を修めた。治癒の法術も習得寸前だった。だがそこで、メルセデス先生の魔法を見た。
全身が震えるほど興奮した。あの威力に畏怖した。そして、憧れた。自分の中にあった種が芽吹いた気がして…混血であるアルカティアの血を信じたかった。
…もし、それを見ずにいたら…俺も…復活の法術を使えただろうか?
あいつみたいに常識を覆す光玉を生み出していただろうか…?
わずかな魔法資質と法術を使い分けられたか…?
…いや、そんな事…今考えたって無駄だ。
法術を見切ったのは俺だ。それに、法術師になれば魔法石の所持は難しい。俺の魔法は魔法石が無ければ、せいぜい、植物の成長を早めたり助けるくらいだ。
…全く…地の属性ってのは地味なんだよな。こんな事、絶対、言わねぇけど。
ただ、地属性の取り柄はコツコツ続ける事が苦にならないところだ。
『…そうか。意外と無くは無いんだな。スレイプニルのさっきの魔法で俺も、ちょっと悩んでたんだ…』
『全くだ。あんな凄まじい威力の氷柱矢なんて、魔法師でも法術師でも無い』
…先生。そんなわけないでしょう。
魔法石無しで攻撃魔法なんて、いくら混血だからって使える訳がない。
それが可能だった混血の先人は、先の内戦でことごとく死んだんです。
生き残ったのは…惨めで哀れな…無力な臆病者の末裔だ…。
アルカティア人でも無い。レムリア人でも無い。オケアノス人でも無い。ただ、どこにも拠り所のない…心の故国の無い…生まれて死ぬまで一生、流浪の民だ。
混血の俺が、白いローブを与えられた事にも違和感があった。純潔という言葉を耳にするたびに、純血と言っているような気がして、疎外感があった。
ジュンケツを守れ。汚れるな。他人と交われば白じゃ無い。
マダラな俺は…白でキングをするのが辛かった。先生もクラスも俺がこんな事で悩んでいる事も知らずに、差を設けずに接した。それが、余計に不安になった。影で笑われていたら…いや、笑っているんだろ?と。
黒竜に行った今、振り返れば…俺も子供だったな。と笑える。
しかし…氷柱弾だと?…光玉をあんなにアレンジするあいつが、アレンジした魔法…どんなだ?俺にも真似出来るか?
タナトスは初見で相殺したらしいが、それも馬鹿みたいな話だ。
見た事も無い魔法を、即興で正確に複製出来るなんて有り得ない。
…って言うか、魔法封じはどうなってんだ?腕には確かに呪文が刻まれていたのに…。なんか特別な魔法石でも持ってんのか?…あり得るな。確認しよう。今がダメでもハートのキングがいれば答えるだろ。
「なぁ、おまえ…」
視線を隣のベンチへ向ければ、そこには誰もいなかった。
「は?!どこ行った?!」
そんな馬鹿な!
動けば絶対に気が付く距離だ。視界の端にだって身を起こせば気付く。奴の黒いローブは見えなかった。
『先輩。タナトスは急に消えたり現れたりしますけど…気にしないで下さい』
って事は、やっぱり…空間転移か?!…ジョーカー…タナトス…アイツも本当に何者だ…?
「ケビン、終わった?」
友達の言葉にケビンは焦った。
「あー、もうちょっと!」
算数の計算問題。
ケビンは算数が苦手だったから、いつも授業の最後、復習に出された黒板の問題を解くのに一番最後までかかる。先生の法術師は授業も終わり、少し前に講堂から一旦、去った。
これを終わらせないと昼食には行けない。他の皆はすでに解いた紙を提出箱に入れて食堂に向かった。
「手伝おうか?」
友達がケビンに声をかけてくれた。
「ううん!大丈夫!もう終わるから!」
「そっか。じゃあ、先に行ってる」
「うん」
ケビンは情けなかった。覚えの悪い自分が恥ずかしくて、友達にイチから聞くのも今更で怖かった。
トイレにも行きたかった…でも、問題が解けない。
「はぁー……」
初等科の講堂。机にかじりついてケビンはため息を吐いた。
ケビンはごく普通の子供だ。得意な事は歌が上手い事。それも、教会に来て他の友達よりも高い声が出るって事で、練習して得た事。
でも、司祭様に褒められて少し得意になった時に、別の友達が言った言葉…「上級生になったらもう初等科の歌は歌えなくなるんだ。今だけの事で調子のんなよ」って言葉に再び自信が無くなった。
取り柄の無い自分。もし、法術も出来が悪かったらどうしよう…。
いや…でも、あの人は?僕より年上だったけど、充分に歌えていたじゃ無いか。
誰にも言わない。と教皇様と約束したから、もう友達にその事を言う事も出来ない。
上のクラスに上がっても『愛しき子』を歌える先輩がいるのか、先生に聞いて安心する事も出来ない。
「…………」
あ。いや、まずはこの計算問題だ。
再び問題の書かれた黒板を眺めた。
『ほうじゅつしのパンくんが、こうぎょくを51こ、くばりました。あと29こ、のこっています。そのあと、12こ、くばりました。のこりはなんこですか?また、さいしょにはぜんぶでなんこあったでしょう?』
「……。残った数を数えればいいし、最初に何個か数えておけば良かったんだ…あーあ…答えが浮かんだら良いのにな…」
ケビンは問題に文句を言った。
その時、ふと、背後に影が出来た。
この影の大きさから子供じゃない。じゃあ、先生だ!
「うわぁ!ごめんなさい!」
反射的に机に突っ伏して謝った。
「………」
そっと、ケビンの頭に大人の手が置かれた。
「昨日の…昼過ぎ…何をしていた…?」
「え?…」
誰?
先生じゃない。知らない声だった。振り返って確認しようとしたけど、頭が動かない。
「歌…知らない者…部外者…光…宝珠…聞かれた事…全て…」
え。え?それって…教皇様に聞かれた事?
何者かによって断片的に語られた単語に対してケビンの記憶が反応した時、目の前が真っ白になった。
「…………」
寝起きのように頭と視界がボヤけた。
「…17と80…」
耳にその言葉が残った。
「…じゅうなな…と、はちじゅう…?」
ケビンは瞬いて、ゆっくりと後ろを振り返った。が、そこには誰もいなかった。
「?…えーと…あ!そうか…17個と、80個だ」
スッキリした頭で問題の答えを書き込んだケビンは、もう何も気にならなくなっていた。
これでトイレにも昼食に行ける。
答案を提出箱に入れて、ケビンは誰もいない講堂を出て行った。
「聖下、お体はいかがでしょうか?」
教皇の間の奥、私室でパンタソスは楽な服装に上着を羽織ってローゼフォンを迎えた。
「ああ、すまないな。こんな格好で。熱も下がったようだから、大した事は無い」
「お休みのところ、無理を申しまして本当に申し訳…」
「あー、いい。そう言う挨拶は省略してくれ。それで、何があった?何かあったから来たのだろ?無くても良いんだが、何か無いとなかなか来れないよな」
パンタソスは気安く言ってイスに座り、ローゼフォンにも座るように勧めた。
「聖下、病み上がりは大事ですので、要件のみ端的に申し上げます」
ローゼフォンはイスに座らず、その場で光玉を錬成した。そして出来上がったそれを手に部屋をサッと見渡して、窓を見た。
「聖下…窓を開けてもよろしいですか?」
「?…ああ。なんだ?どうした?」
ローゼフォンは窓に近付き、外を眺めた。教会の前に広がる芝生の広場、そこで子供達が走り回って遊んでいる。それを光玉に収めていると、目の前を鳩が横切った。
ローゼフォンは窓を閉めて、イスに座るパンタソスに光玉を差し出した。
「こちらを…新しい光玉です」
「新しい光玉?」
受け取り見れば、光玉の中に動く画が映った。
「なんだこれは?!」
色彩もそのままに、小さく見える子供達が芝生の上を駆けている。そして、白い鳩が横切って消えた。
「は…つまり、これは…今あった事が映し出されたのか…?」
パンタソスは目を丸くした。
「目の前にあった出来事をそのまま収める光玉です」
「はぁー!凄いな!ローズ!面白い!光玉でこんな事を成し得るとは!」
パンタソスは興奮して目を輝かせた。まるで新しい玩具を見た子供のように喜んでいる。
「……恐れ入ります。ですが、聖下、ここからが本題です」
ローゼフォンは説明した。
助祭の横暴を記録した光玉を司祭に渡して証拠とした事。それを翌日確認したら光玉の事だけ無かった事にされていた事。目撃者であり、被害を受けた法術師の記憶が消されている事。
「…記憶が…?本当か?」
「はい。今、私の所にはタナトスが滞在しています」
「タナトスが?!…あ、ああ、そうか…そうだな。すまないな…プライベートまでアイツの世話をさせてしまってしまっているとは」
ローゼフォンが休みをとっても、タナトスが浄化を希望すればせざるを得ない。何だかんだ休ませていないのは他でも無いパンタソスのせいだった。
「いえ、それは構いません。そのタナトスが件の法術師を見て言ったのです。忘却魔法の〝においがする〟と。そして、現に先ほども確認しましたが、本当に覚えていないようなのです」
「…………」
パンタソスは深刻な顔で沈黙した。
「教会内で、魔法師が…絡んでいるのか…」
「あり得るでしょうか?法術師以外が教会内に立ち入るなど」
ローゼフォンが眉を寄せる。
「あり得てはならん事だ…」
パンタソスが呻いて光玉を握った。
パラパラと図書室で対抗防御法陣の後編を読む。
マリーさんの家の部屋に、プロジェクター光玉として取り込んであるが、これはその原本だ。
2冊は要点を日誌にまとめたが、この最後はまだ途中だ。
…圧縮して入れるってのは、やっぱり先が無さそうだから…別の入れ方を考えないとなぁ…。
法力を圧縮して編み込んでいく法位陣。タナトスの言う通り、まずは自分で対抗防御法陣を行使してみない事には進まないだろう。
これって…良いんだけど、属性が限定されちゃうんだよなぁ…。
火の法陣は火属性の魔法しか守れない。魔法師が複数いた場合、またはナタル先輩みたいに四元素を自在に使える魔法師だと防ぎ切れない。
その都度、相手の攻撃に見合った新たな法陣を展開しなくてはいけないから、突発的で属性がわからない魔法には対応出来ない。
「……ん?…なにか?」
目線をあげた時に、案内で同行していたクロム先輩と目が合った。彼は閲覧席で向かいに座っている。
「あ、いや、悪い。…なぁ…おまえさ…」
クロム先輩は私を見て聞いてきた。
「はい?」
「1年で…もう、登録票が発行されたんだよな?」
「はい。これですか?」
首から下げていたチェーンを引っ張り出したら鈴が鳴った。
「…おまえ…だから首に鈴下げるの、どうかと思うぞ?犬みたいじゃ無いか」
クロム先輩は私の鈴がどうしても違和感があるみたいだ。
「鈴を付けるのは僕の中では猫のイメージなんですけど」
「猫に鈴なんか付けたらどうやってネズミを取るんだよ」
あ…この世界じゃ、猫は現役のネズミハンターなのか…。
「…それ、その本。対抗防御法陣…だろ…?」
「はい。3巻です」
「……出来そうか?」
クロム先輩が真面目な顔で前のめりに聞いてきた。
「うーん…やった事無いんで。でもまぁ…やってみないと…かなぁ?…くらいです」
1人だと無理っぽい。やっぱりローズ先生に教えてもらわないと。
「そうか!やっぱりハートのキングってそうなんだなぁ!」
クロム先輩は感心して身を引くと、背もたれに寄りかかった。
「そう…と言うのは何ですか?」
「おまえ、復活の法術、使えるんだろ?」
あ。
「え、えーと…」
…そうだった。法術の圧縮って事で、対防と復活の法術は共通しているんだっけ…。
「その…これは、あんまり言うなって言われてて…その…」
「ああ…。まぁ、一般にはな。教会内じゃ、誰が使えるかなんて知れ渡ってる。それに、ハートのキングなら出来るだろうって、みんな薄々わかってるから」
「え。そ、そうなんですか?!」
「ハートのキングは実質、トップだ」
「え。でも、スペードのキングが1番なんじゃ無いんですか?」
殿下がおりますよ?
「それは士官学校ならな。白竜でスペードのキングは出ないはずだ」
「え…なんでですか?」
「スペードのキングは魔法でも物理でも攻守に勝るリーダーだ。一方でハートのキングは守りと補助に勝るリーダーだ。法術には人間に対する攻撃は無い。だから白竜においてのトップはハートで、そのキングだ」
「へぇー…」
「おまえが学んでる士官学校ではそれが目安だがな、ここ大聖堂にある神学校にも同じような目安の序列がある」
「そうなんですか?」
「ただ、神学校では士官学校より人数が多いし、より法術を深く学ぶ。序列も多くて細かい」
「へぇー…」
「そんな中でも学生時代にずっと序列1位だったのは教皇様の御付きのアダム・ロンディウス様だ」
「そうなんですかー…」
なんか、教会内部の話になってきたなぁ…長くなるのかな…その話。
「…おまえ、興味ないのか?」
あ。バレた。
「えーと…その話、僕と関係ありますか?」
「あるだろ」
え。ある?
「どこらへんでですか?」
「次期教皇様へのご指名が、神学校から出るか士官学校から出るかで噂になっている」
はぁ?!無いナイ!!私があるわけ無いじゃん!
「あ、それ、僕は関係無いんで。次期教皇サマは、そのアダム様って方ですよ」
そんなの比べるのも間違ってるよ。
「わかんないだろ。おまえ、色々凄い話があるけど、そのどれもが真実なんだろ?」
「やだなー。噂なんて所詮は嘘も多くあるんですから。はい。無いですね」
「いや、おまえ…なんでそんな断言…」
「出来ます。僕には関係無い」
そもそも男じゃ無いんです。はい、終了です。
「スレイプニル」
あ。先生だ。
「先生、終わりました?僕、この本、しまって来ます」
クロム先輩は解せない顔で私を見ていたけど、ローズ先生が戻って来たのを見て立ち上がった。
本棚に本を戻しに行っている間、先生はクロム先輩に何事かを話していた。
教会を出て広場に戻れば、ベンチにいたのはナタル先輩だけだ。
「おまたせしま…あれ?先輩、タナトスは?」
「おまえの言う通り、いつの間にか消えた」
ナタル先輩は眉をひそめて言った。
「またか。今度はどこだ?」
ローズ先生は背後を振り返る。
「あ。…いました。木陰で寝てます」
芝生に生えている樹木。その幹の下の影に黒いローブが横になっていた。
「は?いつの間に!」
ナタル先輩は不満そうだ。見逃したのが悔しいと言うように。
「タナトスー。行くよ」
呼べばフラフラと戻って来た。
「大人しくしてたんだね。偉い偉い。何も持って来てない?」
ローブに付いた芝生のカケラを払ってあげればタナトスは「…消した」と聞こえた気がして、見上げるとフードの奥の目が憂鬱そうにゆっくり瞬き、「寝たい…」とぼやいた。
その日の昼食後、ケビンは司祭様に呼ばれた。
司祭室に入って緊張しながら要件を聞くと、ケビンは驚いた。
「教皇聖下が、またおまえの話を聞きたいそうだ」
「え?!ぼ、僕の…?」
仰天した。
なんで、僕に?!
そして、初めて訪れた部屋に緊張して、勧められたソファーに腰掛ければ柔らか過ぎる座面に、背もたれも遠く、教皇様の前で大きく仰け反る失態をした。
それよりも何よりも困ったのは、教皇様のお話が何の事を言っているのか理解出来ない事だ。
一生懸命、考えたが教皇様に嘘は言えない。
ケビンは答えられず、わかりません。を繰り返し、進退極まり、泣いてしまった。
お咎めは何も無かったが、自分が情けなくて、役に立たない自分に教皇様にも申し訳無くて、部屋に戻っても泣いた。
「よーし!それでは今日は僕が、対防をやりたいと思います!」
砂浜で張り切って手をあげるハートのキング。
「おまえな。略すんじゃ無い」
ローズ先生が咎めたら、ハートのキングが「いや、だって…ホラ、人に聞かれたら…」と、矛盾する事を言い訳する。
「今からやるっつってんのに、聞かれるも何も無いだろ…」
ハートのキングはアホなのか?
「ぼ、僕が今後、いつ口を滑らせるかわかりませんよ?!良いんですか?!」
膨らんでもいない胸を張って言うな。未成熟が。そこは今後ちゃんと育つんだろうな?
「いいから、早くしろ」
無駄な時間は嫌いだ。
「では…先生!お願いします!」
ハートのキングは自信満々でローズ先生に丸投げする。
チッ!白竜のこういう甘い所は直した方がいいんじゃねぇのか?メルセデス先生なら相手にしねぇぞ。
「すーぷーちゃん…そんな事言って、また光玉に入れようとするつもりなんじゃ…」
「あ、いえいえ。僕が先生にレクチャーした動画光玉の逆版をお願いします」
?…なんだ?何のことだ?
「……うまく出来る試しは無いぞ?」
先生は疑った目を向けた。
「だから試すんです!面白いじゃ無いですか!」
黒い目を輝かせるアルカティアは失敗に恐れがない。
ローズ先生は一瞬、面食らったように固まったが、息を吐いて渋々ハートのキングに近付いた。
「僕、途中までわかります。あやふやなところのサポート、お願いします」
ローズ先生の手を取って、向き合う二人。
「じゃあ、いきます!」
スーと深呼吸して集中し出したハートのキングに、やがて2人を中心に根を張るように黄金の光が砂浜に伸びた。
光は文字を描くように迷いなく砂浜に広がった。
「…お…おお…」
氷の上を滑るように広がる光のスピードが緩まって止まった。そこから引き継ぐように、今度は少し色味の違う光が走り出す。
光が光を…まるで親子のように先行した光を追いかける。美しく描かれる模様…そして最初の場所、2人の足元へ戻れば、光で描かれた円形の法位陣は完成を示すように一際、光った。
『…水の女神よ。我を害するなかれ。我とその愛しき人を守りたまえ』
『流れるは悠久の恵み。美しきその姿に清浄なる輝きを。女神に祝福を』
二人の言霊が紡がれれば、法位陣は輝き、青白く美しい光を放った。
「……これが…対抗防御法陣…」
すげぇ…マジで…。
「出来ました?…先生、これ、出来ました?」
先生の手を取ったまま円の中心で周囲を見るハートのキング。
「…全く…おまえに付き合っていると常識が狂う…」
ローズ先生が苦笑した。
「それってつまり…出来た…わぁ!やった!」
黒い目が輝いて、先生に飛びついた。
「………これは水の対抗防御法陣か…」
法位陣の光の模様は水の象徴が描かれている。
側で見ようと足を進めた時、黒いローブのタナトスの方から魔力が集う気がして顔を向ければ、空中に無数の氷の杭がズラリと並んでいた。
「は?!」
氷柱矢…いや、違う!なんだそれ?!
『…氷柱弾』
タナトスの言霊で、空中に待機そていた氷柱は、一斉にズガガガガッ!と、対抗防御法陣の2人に凄まじい勢いで撃ち込まれた。
な、な、なん…!!
砕ける氷の破片が勢いよく飛び散りガラスの破片のように頬をかすめた。
「うっわ…びっくりした…!!」
防御法陣の中で先生に張り付いているハートのキングが、目を丸くしている。
「タナトス!おまえ…急に撃ってくるな!」
さすがの先生も虚をつかれようで 非難する。
「あ。先生、法位陣、ちょっと欠けてます!」
ハートのキングが法位陣の光の欠けを見つけて、先生から離れてそこに駆け寄った。
「タナトスの魔法で欠けたんだな…本来なら、そうそう欠けるもんじゃ無いんだが…」
マジか…。コレ…スゲェ…。なんなんだ?コレ。こんなの魔導協会でも見られねぇ!!
「おい!今のが氷柱弾か?!」
興奮して声をあげた。
確かに氷柱矢に近い…が、打ち込まれるスピードが段違いだ!しかも1本1本の矢を短くて数を増やしたんだな!
スゲェ!!こんなの何の防御も無ければ、一帯は皆殺しだろ?!
ゾクリと身が震えた。同時にその威力に笑いが出る。しかも、その威力ですらこの対抗防御法陣は防いでいる。
スゲェ!!楽しい!こんなに面白い攻防があるか?!
欠けたという法位陣に駆け寄り、その状態を見た。
法位陣の光は確かに一部失われている。だが、他の部分は健在だ。これなら未だに魔法を防ぐことが出来るだろう。だが、あの氷柱弾ならどうだ?あと何回保つ?
地面に描かれた光の線を目で追って破損の程度を測る。その時、頬に手が触れた。
潮風に冷えた頬に、温かい手。見つめる黒い目。
『…願わくば慈悲の心に癒しの力を与え給え』
言霊に、目の下で温かい光が灯った。
同じようにしゃがみ込んで、黒い目が俺をジッと見ていた。
ケガ?…してたのか?気が付かなかった。
頬から手を離し、砂浜に手をついてこちらに身を乗り出して、顔を近付けてくる黒い目に、思考が止まる。
頬にフッと息がかかる。その息が耳と首に流れて、優しく撫でられたような感覚になった。
なッ!これは…
「んだからッ!!おまえは治癒をするなッ!!」
立ち上がって、非難した。
「ええ?!なんでですか?僕は法術師です。ケガをそのままには出来ません」
不満そうに抗議する黒い目が惜しい。今すぐ箱に入れて鍵をかけ誰の目にも触れないように、確保してアルカティアの血を、希少な存在を自分の手にしたい。
こんな媚びるような治癒はダメだ!誰かにバレてかっさらわれたらどうすする?!
「先生ッ!!コイツの治癒、何とかして下さい!!」
せめて普通の治癒に矯正してくれ!!場所によっては…いや、場所に限らず女だと知ってるとエロい!!
「クセの矯正は難しいだろうな…」
ローズ先生は諦めた口調だ。
いや、そこは本気を出してくれ!コイツの白竜人生が危ういんだ!!
あの氷柱弾と、この対抗防御法陣…相反する能力にアルカティアの神に愛された恩恵を見た。
「あ。………」
ふいに、ハートのキングが空を見上げた。
「?…なんだ?どうした?」
「雨が…降るかも…?」
「雨?」
つられて空を見上げるが、天気は良い。風が髪を強めに乱した。
「……ああ、やっぱり。雨が降りそうです」
「そんなわけあるか。風が少し強くなったくらいで。良い天気だろ」
「先生、僕、馬車を呼んで来ます。今日はおしまいにしましょう」
「なんだ。もう良いのか?」
ローズ先生もハートのキングの申し出に拍子抜けしたような感じだ。てっきり、復習か他の属性の物もやるのかと思ったんだろう。
「今日はおしまいです。もう濡れたくありませんので」
そう言ってハートのキングは舗道へと向かって、ピョーンと砂浜を鹿のように駆けて行った。
海岸で馬車を待ち、乗り込んで走り出せば馬車の窓にポツポツと雫が付いた。
「ゲ。マジで降ってきた…」
「…本当だな…。すーぷーちゃん。なんでわかったんだ?」
ローズ先生も窓の外を見て不思議そうに言った。タナトスは馬車の中でハートのキングの膝を枕にしている。
「風が教えてくれました」
「なに?」
風?どういう事だ?
「風向きが変わって、雨のにおいがしたんです」
「………しないぞ?」
そもそも海岸には潮のにおいが満ちていた。そこから雨の?…におい?
「僕にはしたんです」
苦笑して車窓を眺める黒い目。
「…………」
やっぱり、不可思議な人種だ。研究のしがいがある。
「ナタル、おまえ、魔導協会に行くんだろ?」
「え、あ。はい」
「なら、このまま寄って行く。御者には伝えてあるから」
なに?…いや、それは…好都合だが、ある意味、不都合だ。
「先生、途中までで結構です」
「遠慮するな。この雨は結構、強くなりそうだぞ?」
馬車の中、車窓から外を見れば確かに雨脚は強くなっている感じがする。
「……。いえ。それでも、途中までで構いません」
「なんだ。他にどこか寄るのか?」
「魔導協会に行けば魔法師がいます。いいんですか?こいつが興味を持つかも知れませんよ?」
正しくは、魔法師がハートのキングの漆黒の目に興味を持つ。それだけは避けたい。一瞥もさせたく無い。
「それはダメだ。途中で降りなさい」
ローズ先生はハートのキングの顔を見て、拒否した。
「先輩、ほんとに大丈夫ですか?」
「いいから。おまえは顔出すな」
席から身を乗り出す顔を掴んで押し戻す。
「うえぇ…ひどっ…」
カバンの中に収めていた簡易的な黒いローブを羽織って雨の中へ出た。
「先生、では、失礼します」
「風邪ひくなよ」
先生の声に頷き、馬車の扉を閉める。御者はすでに雨具を着込んでいた。ハートのキングが海岸で乗り込む際に、強引に強く勧めたからだ。
降りてから降り注ぐ雨に取り急ぎ店の軒先に身を寄せれば、馬車は舗道を走り出す。
…アルカティア人は、自然の動きに敏感だと言う文献があった。虫の音を声として聞き、大気を読み、動物だけでなく、物質に固有の名前を付ける。と。
大気に敏感って言うのはわかる気がする。だが、物質に固有の名前?…そんなの、なんの意味があるんだ?
本格的に降り出した雨の中、ローブのフードを被って魔導協会へ走った。
「お腹減ったねー…タナトス」
再び走り出した馬車の中、スレイプニルがそう言ってため息をついた。
「…ぷにぷに…腹がうるさい」
膝に頭を乗せたタナトスが訴えれば、スレイプニルは赤面した。
「ちょ!!…なら、頭乗っけないでよ!」
「寝たい…」
呟くタナトス。
「僕はご飯が食べたいの!」
「…飯は…ポテチ…」
「ポテチはお菓…あ!!」
スレイプニルは、声をあげた。
「なんだ。騒がしいな」
大人しくしていられないのか?
「今朝干したジャガイモ…濡れちゃったかも…あー…ポテチが…」
タナトスがムクリと起き上がった。
「ぷにぷに、ポテチ…」
「え、あ。いや…僕もさすがに今日、雨が降るとは…」
「今日は…ポテチにするから…起きると言った…」
スレイプニルを見てタナトスが淡々と責める。
「い、いや、だから、僕もね?雨が降るなんて、朝の段階じゃわからなかったわけで…おぶ!」
タナトスはスレイプニルを引き寄せて膝に乗せて抱えた。
「じゃあ、帰ったら…寝る…」
「えーーー!!僕は、ご飯が食べたいんだってば!」
「…寝る…」
「…そんなバカな…」
スレイプニルはタナトスの抱える腕を、ぐいーと押し返そうとして…一向に動かない腕に渋面で唇を噛んだ。
「…おまえらな…馬車の中で騒ぐな」
子供に注意するような事から言わなきゃならないのか?おまえらは…全く…。
「え?…ジャガイモ?雨が降る前に乾いたから取りこんでおいたわよ?」
「ま、マリーさぁぁん!」
叔母の言葉に、スレイプニルは叔母に抱き付いた。
「すーちゃぁぁぁん!」
叔母も叔母でスレイプニルをひっしと抱きしめる。
「……叔母さん…慎みを持って…」
いくら年配と言えど、少年に食い付く勢いでの抱擁はやめてくれ。
「はいはい。あなた達は本当になかなか帰って来ないんだから。お昼ご飯にしなさい。今日はラザーニャよ」
「わーい」
嬉しそうに洗面器に向かうスレイプニル。
「…どこに行くんだ?」
トイレか?
「手を洗うんです」
さも、当然と言う様子で答えてスレイプニルは手を洗いに行った。
「………」
あの几帳面な行動には感心するな…。
「おいしぃー!」
オーブンで焼きあげたパスタ生地とひき肉のミートソースとホワイトソースの重ね焼き。フツフツとトロける表面のチーズ。
ニンニクの風味もしてて、ひき肉と、みじん切りされて煮詰められた玉ねぎの甘み。しっかりした味。
パスタ生地とのミルフィーユ状の料理は完全なるラザニア。でもここではラザーニャ。
アッツアツが食べ頃。だけど、タナトスは熱いのは苦手なようだ。ジッと冷めるのを待っている。
最初、動きが無いから嫌いなのかと思ったけど、切り分けられたラザニアをさらに自分のお皿で分解して熱を取っている。
「タナトス。マリーさんがジャガイモを死守してくれたから、ご飯が終わったらポテチを揚げるね」
「…ポテチ…食べる」
フォークを置くタナトス。
「いや、ご飯も食べないとあげないよ?ポテチはお菓子だから」
「…………」
フー…とタナトスは息を吐いて渋々、フォークを再び手に取った。
「子供みたいねぇ」
マリーさんが苦笑した。
「実際、子供なんだ。こいつらは」
ローズ先生が言ってラザニアを口にする。
「ちょ!先生!僕は16才ですよ?!結婚だって出来ちゃう立派な大人ですよ!」
この世界じゃ大人なのです。
「すーぷーちゃん…それは女性に興味が出てから言いなさい。無論、結婚なんて考える前にな」
お、おーう…。それは…無いデス。
その日、礼拝堂には結局、何も起こらなかった。
パンタソスは再び礼拝堂を訪れて、周囲を見渡した。
少年ケビンの記憶も…消えた。間違いなく、何者かによって忘却の魔法をかけられた。
忘却の魔法は浄化の法術では戻らない。効力が薄くなるのを待って、繰り返し思い出してもらうしか無い。
闇の眷属では無い。これは人間、魔法師の仕業だ。この教会内で。
ローゼフォンが持って来た光玉の存在を隠し、ヴィナの痕跡を消した者が。目的は何だ?他にも消されている事があるのか?ローゼフォンの光玉とヴィナの痕跡に何の関係がある?
パンタソスはローゼフォンの言葉を思い出した。
『助祭の横暴を収めた証拠の光玉を…』
そしてアダムの報告…
『それと、法術師を殴った助祭を降格しました』
「…誰か。確認してもらいたい事がある」
パンタソスが声を出せば、すぐに控えていた法術師が足早にその足元に膝をついた。




