第40章 違う…法術師を辞めたら良い
転職してたら投稿しそびれてました…。9月、10月、11月(40、41、42)分を投稿します。
死神…ジョーカーは室内にハートのキングを見ると、鼻をスンと鳴らしてこちらに顔を向けた。
「…麻痺魔法…」
「わー。凄いね!タナトス正解!」
麻痺で動けないハートのキングはフードを被ったまま喜んだ。
「…枕…汚す奴…殺す」
ジョーカーが片手に悪夢の魔法を準備した。黒紫の炎が髑髏が叫んでいるように見える。
「ま、待て!待て!違う!落ち着け!」
アレを再び食らうのは御免だ!
二度目は更に恐怖が増す。あの闇に再び落とされると思うだけで血の気が引いた。
「あ、タナトス。ナタル先輩がタナトスに聞きたい事があるんだって。先輩、コレ、もう良いですよね?解いてくれません?」
呑気な言葉に、麻痺魔法を解除すればハートのキングは息を吐いて、かぶせていたフードを取った。
「タナトス。ナタル先輩の話、聞いてくれる?」
「…………」
その言葉にジョーカーの悪夢の魔法は中止された。
内心ホッと胸を撫で下ろし、改めてイスに座る。
記録用にペンを取り、質問事項を書いた紙を積み上がった紙の隙間から引き抜いた。
「…あ」
声を上げるハートのキング。
「なんだ?」
「いえ…その紙の山…どこに何があるかって、ちゃんと把握してるんだなって思って…」
机に積まれた帳面と紙の山。
「当たり前だ。わからなければ非効率だろ」
「散らかってるのかと思って」
「違う。筋肉バカ共と一緒にするな。それに、これは散らかって無い。ちゃんと分類分けしてあるし、有機物は無い」
「そ、そうですか…失礼しました」
「それで…ああ、おまえら。その辺、適当に座れ」
「座れと申しましても…」
イスの上には本やノートが積まれている。
「退かしても良いが崩すなよ」
「えぇ…無茶振り」
なんだって?
ハートのキングは素直に本やノートを退かしたが、死神は構わずその上から座り込んだ。
オイ。オマエ。遠慮も無いのか。無いな。クソッ!
「タナトス。座りにくいでしょ。僕が持ってるから」
本の上に座るタナトスにハートのキングが気にして本を奪うと、自分の膝に乗せた。
まったく…ようやく聞ける。giraffe病患者の証言だ。メルセデス先生は意識が朦朧とした患者の証言は当てにならないと言っていたが…
「さて…まずは、確認からだが…ジョーカー、おまえ、ハートのキングといると眠れるんだよな?」
「……そうだ」
お。なんだ!素直に答えるじゃないか!よしよし。
「それで、他の人間でも試したが、眠れなかった…そうだな?」
「……あぁ」
「どう試したんだ?まさか、老若男女を寝床に引き入れたのか?」
「…触るとわかる」
触ると?触ってわかるようなもんなのか?
「どうわかる?」
「…感覚的に…眠れると」
「なるほど…それは?どの辺でわかる?触るまでわからないのか?最初に気が付いたのはいつだ?」
「…近付いた時に…眠気があった。ぷにぷにが魔力切れの時…近くにいたら眠れた」
「…へぇ…」
…あくまで感覚的なんだな。
「じゃあ、同じ部屋でも良いんだな?」
タナトスの後方に座るハートのキングが、期待を込めた黒い目をタナトスの背中に向けた。
「…違う」
違うのか。ハートのキング。ガッカリし過ぎだぞ。うなだれるな。
「それじゃ、どれくらいが良いんだ?…手を繋ぐとか、枕っていうくらいだから頭でも乗せればいいのか?」
腕枕とか?
「…近ければ近いほど良い。触れる面積が大きいほど、眠れる」
「……………」
ハートのキング…頭を抱えるな。俺も、聞いてて頭痛がするわ。
「なるほどな…だからおまえはくっ付いて寝たいのか」
症状を書き取っていく。
「大体、どれくらい眠れるんだ?有る無しで比べて」
「…30分から60分…」
「枕無しで30分、有りで60分か」
「…違う」
違う?
「枕が無いと…眠れない。時間は30分眠って60分起きている…それを繰り返す」
は?!マジか?
「無ければ一睡もしないのか?!」
「…そうだ。だから薬を飲む…」
ああ…giraffe病のアレ…。かなり毒性が強い…。
「おい。ハートのキング、これはかなりシビアだぞ?」
「ローズ先生も言ってました。タナトスは一見、平気そうでいて…数値はかなり悪いと」
「だろうな…。むしろgiraffe病は症状緩和の薬の多用で死ぬ奴が多くなっているって話もある」
「薬で…?飲まないわけにはいかないんですか…?」
「…無理だろ。完全に眠れない状態が3日も続けば、人は普通に死ぬ。それなのにコイツは生きてるんだ」
「…そんな…」
「giraffe病でも急性の症状と慢性の症状がある。急性の場合は重症度にもよるが生存は3日から4日だ。慢性でも1年…」
「え。でも、タナトスは…もう数年は…」
「コイツは本当に稀な症例なんだよ。メルセデス先生が興味を持つのもわかる」
「…ウザい」
「先生は執念が強いからな。それでも死神にはマシな方だ。先生も命の方が大事だからな」
「先輩…原因は何なんでしょうか?」
タナトスの背後の席で心配そうに聞くハートのキングは、息子の症状を心配する母親か?
「giraffe病の本によれば、過度の心労や精神的負担、挫折や過労、恐怖などの重圧って事になってる」
「…過労…精神的負担…PTSD(心的外傷後ストレス)…」
は?…なんて?
「おい、なんだ。今のは?」
「あ…いや…心の負担が大き過ぎて、後から様々な障害が出るって事です。強い恐怖や不安を感じて、それが無くなった後でも心の傷が消えなくて、眠れないとか、体調不良になるって言う…」
「おまえ、giraffe病に変なあだ名付けるなよ。ピーティー?」
「あ、どうぞ。続けてください」
「…はぁ。ただ原因は一概にそれらのせいとも言えない。患者には主婦や老人もいるからな」
「え。でも、主婦や老人だって精神的負荷はありますよね?」
「研究データでは、魔法師や法術師、有能な兵士のデータが多く使われたんだ。優秀な人材を失わないように。実際、giraffe病にはそういう役職の奴が多かったしな。まぁ…助けられなかったわけだが」
「…そうなんですか…」
「だが、タナトス。おまえはどうだ?…何か…そういう経験や、精神的にキツイ事があったのか?」
「……さぁ?」
ああ。だよな。発症はガキの頃か?…子供でgiraffe病の発症…それも珍しいな。
「だが、…亡霊は見る」
亡霊?
「黒い髪の女だ…。泣きながら…うるさい」
「黒い髪って…」
俺は思わずハートのキングに目線を移した。当の本人も初めて聞いた話のようで驚いている。俺の視線に慌てて首を横に振った。
ああ、まぁ、そうだよな。
「…心あたりはあるのか…?」
女が泣いて責めるってオマエ、どんな事したんだ。タナトス。まさか…女泣かせか?宰相家だからって、好きに遊びまくったんじゃ無いだろうな?
「…俺が殺したから…」
「は…?お、おい…。マジか?いや、お前が言うとめちゃくちゃ、あり得て冗談にならないだろ」
「ほ…ホントに?…タナトス、なんで?復活は?!」
血の気の引いたハートのキングがタナトスに聞いた。
「…血のにおいも、悲鳴も、現実に記憶にある。…だが、親父もジジィもそんな事実は無い。と言う」
俺とハートのキングは顔を見合わせた。
…揉み消しか?…さっきの光玉の話があっただけに。いや、待て。
「タナトス。黒い髪って…それ、アルカティア人だろ?」
その単語に、タナトスが拒否を示した。
「黙れ。…その言葉…聞きたく無い」
深く被ったフードの下で呻き苦虫を噛むように拒絶する。
「あ。…そうか…タナトス、その言葉嫌がってたもんね…思い出すから嫌なんだね」
合点がいったというようにハートのキングが呟いた。
いや、コイツにも怖いもんとかあるのか?!それがアルカティア人の幽霊って…
「…まぁ、じゃあ…その黒い女だが、その…昔から希少種で今じゃ絶滅したって言われてんだ。おまえの記憶はいつのなんだ?眠れなくなる前か?」
「………」
タナトスは首を傾げた。
「少なくとも、この数年じゃないんだろ?それ」
「………」
「その記憶が出来た時、おまえはいくつだ?子供で女を殺したのか?」
いや、あり得そうだけど。「そうだ」って言われたらどうする?俺は別に構わないが、おまえの後ろにいる奴が泣きそうな顔してるんだよ…。
「……昔なのに…子供じゃ…無かった…」
よし。セーフ!いや大人でもアウトだけどな。
「おまえの作り出した妄想かも知れないぞ?」
「…それでも…眠れない日は毎晩出る…」
ハートのキングが同情の目でタナトスを見た。
「え。そうなの…?オバケが…?それは嫌だね…」
「ハッ!死神がオバケ怖いとか、冗談だろ」
オバケよりもおまえの方が数十倍は怖いだろ!化け物のほうだって、おまえが怖いわ!
「先輩!先輩は黒髪女性のオバケの怖さを知りません!!白い服着て井戸とかから出て来たらどうします?!めっちゃ怖いんですよ?!」
イスから立ち上がって抗議するオマエもなんなんだ?その具体的な情景は。
まぁ、女に泣きながらしつこく責められて気持ちいい感じは全くしないが。…おまえ、自分が黒髪の白竜のくせして。
「…いいから座れ。次の質問をする」
促せば、ハートのキングは手に本を持ったまま座った。
「それで、次の質問だが…ジョーカー、おまえは今の眠りでラクになった感じはあるか?」
「…位置完璧で60分…だが…何か…足りない…」
「…なんだ?…何が足りない?」
「…………。わからない」
「それは、コイツ以外でって事か?」
「………枕に何か…足らない…?」
「え?僕?」
キョトンと黒い目が丸くなった。
「おまえ、それが何かわかるか?」
一応、ハートのキングにも聞いてみる。
「え。全然…」
「チッ。現状で何かが足りない…と。よし、じゃあ次だ」
あとこれは……。いや、聞いておくか。
机の引き出しから小さな缶を取り出してそれをハートのキングに渡した。
「え?…なんですか、これ?…コルク?」
「それ、耳に突っ込め。これから先は男のプライバシーに関わる」
「…?…はぁ…」
言われるがまま、コルクを耳に入れればちょっと大きくて違和感があるけど、完全に聞こえない。
ナタル先輩が何事か言ったようだが、聞こえなくて外そうとすれば、そのままで良いと合図された。
男のプライバシー…ってどんな事だろう?男性特有の事?まさか…あれかな?「あなたはエッチな夢をみますか?」的な?
そんな事、聞く必要あるのかなぁ?…タナトスってそういうのよりも、まず単純に眠りたいだけに尽きると思うんだけど。
あ。でも、そうか…プライバシーだから何も性的な事とかだけじゃ無いか…。
ナタル先輩はこちらをチラチラ見ながら何事かを聞いている。
二人の声は聞こえないし、タナトスは私に背中を向けて座ってるからナタル先輩の様子だけが見える。
ナタル先輩は最初の質問から、いくつか詳しく聞き取りをしているようだ。
先輩は、真面目に聞いて…頷いて、真剣に聞いていたかと思えば、たまにこちらを伺うように見た。
聴こえてませんよ。何を話しているのか知りませんけど。
何も聞こえないと、つまらない。視線をめぐらして改めて室内を見渡した。棚には新旧たくさんの賞杯が無造作に押し込められていたり、対照的にとても丁寧に収められた何に使うのかわからない道具…様々な図形の張り紙、書き殴られた術式の紙片…不思議な模型…それから複写したであろう製本の荒い帳面がズラリと本棚を圧迫して並んでいる。その全てが使い込まれているようで、くたびれていた。
これ全部、ナタル先輩が書き写したのかな…。すごい数…。やっぱりナタル先輩って努力家だよね…。
そして、再び先輩に目を向ければ、先輩はタナトスに眉をひそめて質問をしてから、立ち上がって何かを叫んだ。
え?なんだろう?…わかんないんだけど…まだダメかな?
…退屈だな…これ、どのくらい続くんだろ…。あくびが出そう…。
「よし、じゃあ始めるぞ。アイツに渡した耳栓はかなりしっかりしてるから、正直に答えろ」
「……別に」
「やりにくいんだよ。俺が。それにいちいち騒ぐだろ。白竜は」
特に、あいつは真っ白過ぎて危ない。警戒心ゼロだからな。
チラリと見れば目が合って、耳栓を外そうとしたから、取るな。と手で制止した。
「まず、ジョーカー。おまえ、白竜じゃ無いし、一応聞くぞ?おまえ、女、抱いた事あんだろ?」
「…ある」
「しかも1回じゃないな?」
「…違う」
「それで?そん時は?果てた後、眠くなら無かったのか?」
「…無い」
「そうか。それは毎回か?」
「…そうだ」
「なにしたって眠れないってのはマジなんだな…。まぁ、そうだよな。…気力が切れた時はどうだ?」
「魔力切れでもそうだ…意識は失っても眠った感じは全然無い」
「ああ、それ確認したかったんだ。…おまえ、眠りの魔法でも眠れないんだよな?無効化するって事か?」
「…意識を失うのと、眠れた実感は別だ…」
「なるほどなぁー…。一応、意識は無くなるんだな。薬ってのはどうなんだ?」
「…頭痛を緩和する。代わりに望ましく無い症状も出る…」
「望ましく無い症状?」
「発汗、震え、倦怠感、寒気…ありとあらゆる症状が出る」
「それ…おまえ…やめた方がいいだろ…」
「飲まないと頭を叩き割って脳をぶちまけたくなる…」
「そ、そんなにひどいのか…それでもスッキリしないんだろ…?」
「…薬は…意識が遠のくが…眠れた感じはしない。…怠さと、無気力感が増える」
「…そ、そうか…。ところでおまえ、アイツを枕だとか言って一緒に寝てて、手を出そうとか思わ無いのか?白でも黒でもどっちでも良いとか言ってたが…」
「…やるかやらないかは女次第だ…乞われないならする事も無い…」
「ふーん…なるほどな。…でも、マジで平気なのか?だって、あいつが隣で寝てんだろ?」
「別に…眠りたい…」
「まぁ、そうか。性欲より睡眠だよな。おまえは。…じゃあ、大げさな話、真っ裸でも平気だな」
軽い気持ちで確認すれば、そこでジョーカーは押し黙った。
「…………」
「…おい。沈黙すんなよ。例えば、だからな?」
「…服は…要らないか…」
おい。なんだと?
「待て。…ジョーカー、例え話だって言っただろうが」
「…感覚的に、遠い気がする。隣にいても、遠い。…触れる面積が大きくて肉に触れた方がまだ近い」
「いや…いやいやいや…やめとけ?それこそ、おまえ…嫌がられてたじゃないか。触って来て困るって」
「触れた肉も…まだ遠い…もっと中身が…」
「なッ!」
中身っておまえ!…それ、もうヤっちゃう前提だろうが!!
「おっま!…やめろよッ?!女が望まない限りやんないんだろ?!」
「……骨…」
は?…なんて?
「…骨がいい…。鎖骨と肋骨とくるぶし…触りたい」
「………タナトス…おまえの性癖は聞いてない」
骨が良いだなんて死神らしい性癖だな!!全くわかんねー!
「…とにかく!おまえ、本気で自制しろよ?それこそ、勢いで白を汚したらもう二度と法術は使えないんだ!現実でもおまえを泣きながら責める女が増えるぞ?!」
「…それは困る」
「枕なんて言って一緒に寝てんのも、自制あっての話だからな?!これが手ぇ出してみろ?女は最初、めちゃくちゃ痛がるって言うからな!枕どころか口も聞かないし、避けられてガチで嫌われるぞ!」
「………」
なんだ?フードで表情は知れないが…何か言いたそうな感じだな。
「なんだよ?」
「…麻痺魔法…」
「な!ばっ…俺は違うぞ!さっきのはそれ目的じゃない!そういう事は無理矢理したってダメなんだよ!」
そりゃ、麻痺魔法なら痛くない…とかそういう事じゃない!俺だってそこまでしようなんて…まぁ、同意があれば別として…無理矢理したら、そっから先が続かないだろうが!アルカティア人をヤリ捨てするなんて惜しい事、出来ないだろ!
「……………」
ジョーカーは何事かを考えているよう…な気がした。俺も、なんか、コイツに慣れてきたな。
「………嫌がるか」
「当たり前だろうが!」
無理矢理襲われて喜ぶ女なんて、それこそ打算のある女か、ヤリ慣れた女だろ!
どう考えても、そこの退屈そうなアホ面の奴は違う。
ジョーカーは首を傾げた。そして慣れた様子でサラリと言った。
「…二度目以降なら喜ぶ…」
俺は思わず立ち上がった。
「ヤメロ!!本気で!!それはどんだけ自信あってもダメだ!!いいな?!」
二度目以降なら自信あんのか!おまえ!クソ…権力者の息子が!女には困らないってのか!マジ、うらや…いや、落ち着け…冷静にだ…。
ハートのキングのあいつから法力を奪ったら、白竜にだって…それどころか教会にだって恨まれる。コイツの親父は宰相で魔導協会の協会長だ。下手すりゃ、教会VS協会って対立になっちまう。
「絶対にダメだ!最低でも、本人の同意なくヤッたらダメだ!いいな!!」
「………同意か」
全く…。危ねぇ。…おい、そこであくび噛み殺してる奴。おまえだ。おまえの話だぞ!俺のおかげだからな!敬えよ?!
「…じゃあ、許可を取る…」
「な…んだとッ?!」
違う。そうじゃ無い。いや、間違いでは無いが…許可取れんのか?!
ダメだ!ダメだ!おまえのじゃ無いから!!俺が見つけたんだ!貴重なアルカティア人なんだぞ!!
「ジョーカー…いや、タナトス…いいか?やめとけ…。おまえは、あいつの事、知らないだろ…?」
ハートのキングが言っていた。タナトスは自分が女である事に気付いても、アルカティア人である事は知らない。と。
嫌がってたって言うのはマジなんだな。幽霊?そんなもん、祓滅してもらえばいいだろ。
まぁ、そもそもそれは幽霊じゃなく、giraffe病にある幻覚症状なんだろうが。
あいつはおまえの怖がるアルカティア人なんだぞ?
あのニセモノの毛の中には、夜のような黒い長い髪があって…漆黒の目でこちらを見た時の衝撃は今でも忘れられ無い。
初めて本物を見た時…その底知れない漆黒の目が魔法の申し子のような叡智や可能性を秘めているようで、着ていた黒いローブがこれほど相応しい人種もいないと思った。
俺たちが崇拝する魔法という特殊な力は、アルカティア人にとっては下僕だ。なんの制限もなく、魔法石どころか、詠唱すらいらない…。
魔法師が黒を好むのは…合理性の中に、アルカティアにあやかる為じゃ無いかと思えたくらいに。
「…ぷにぷにの事…?」
黒髪でいいのか?おまえはダメだろ?
「そうだ。あいつはな…アル」
「ックシュン!!」
盛大なんだか控えめなんだかわからないクシャミがして、コロコロ…とコルクが転がって来た。
「あぁ。すみません…」
慌てて耳から落っこちた耳栓を拾いに腰をあげるハートのキング。
チッ…なんでクシャミなんかしてんだ。噂したらクシャミが出るって本当なのか?
「…もう、良い。質問は終わりだ」
「え。…ああ、終わりました?」
ホッとした様子でもう片方の耳栓を取るハートのキング。
「第1回目はな。この答えを元に、更に質問を精査する」
「へぇー…何かわかりそうですか?」
呑気に興味津々で聞いてくるやつに言ってやりたい…お前の隣で寝てる奴は、正真正銘、女の経験豊富な変態狼だって事実をな!
「え?何ですか?その苦虫を噛み潰したような顔ってやつ…」
「…おまえ…もっと、危機意識持った方がいいぞ…」
そんで自衛しろ。おまえをジョーカーから助けられる奴はこの世にいない。
「…タナトスってそんなに深刻なんですか…?」
「……タナトスって言うか…おまえだろ…」
そもそも、なんで平気なんだ。こんな不吉で禍々しい男に張り付かれて。よく寝れるな。鈍すぎだろ。
「え?僕?…なんでですか?giraffe病って伝染しないですよね?」
ああ、本当に…コイツはなんでこうも色々と鈍いんだ。「僕」なんて言ってるから自覚無いのか?おまえんとこの白竜が普段、どんだけ性欲コントロールに気を配ってると…ん?
「…おまえ…そう言えば、授業受けたんだよな?」
「?…なんのですか?授業?それが何か?」
…おかしい…白竜に振り分けられて、1年めで早々にあったあのインパクト大の白竜授業を受けて、危機感を感じない女がいるか…?
「いや、だから…あっただろ?授業で、その…性欲が起こった時の対象法とか」
女を前にして言いにくい話だったが、事実として聞けば不意打ちを食らったようにハートのキングは動揺した。
「な、ななな…何ですか?!それとgiraffe病となんの関係があるんですか?!」
黒目を大きくして顔を赤くされれば、やはり気まずい。
「い、いや…受けたならいいんだ」
「…受けませんよ。お断りです」
さも、当然とばかり答えたハートのキング。
「は?…な、なんでだ?…あっただろ?」
あれを聞けば、男がどんだけ突発的な性欲に理性を揺さぶられるか…それが社会的地位の喪失にとどまらず、犯罪にまで発展する危険…ひいては女としての危機感がわかるはずなんだが…。
「僕には必要無いですので」
「はぁ?!必要無いって…それでよく免除されたな」
「それが、ちょうどその授業の時に気力切れで寝てました。でも、補習もお断りしてます」
必要ない?…ま、まぁ、性欲の対処法は必要ない…ん?無いのか?女は性欲どうなんだ?全くわかんねぇ…そういう時は落としやすいよな…?本で調べられるのか?娼館で聞けばいいのか?それも調べてみよう。うん。一応。一応な?
いや、それはそれにしても…まずはこいつだ。
「………おまえ…今すぐ、その授業受けとけ」
「えぇ?!嫌です。どんな苦行ですか。それって性的嫌がらせです」
赤い顔のまま拒否されればさすがに無理強いはしにくいが…
「いや…おまえはそれを受けて危機感を持った方が良い」
「そんな事…誰に聞くんですか?ローズ先生にですか?シェダル先生にですか?…そんな話…僕、耐えられません」
赤面して目を伏せられると、こっちがいじめてるみたいじゃないか。
「…………」
やめろ。ゾクゾクさせんな。俺は自制が効く方なんだ。
「僕、別に彼氏が欲しいとか、嫁がどうとかそんな事、今はどうでも良いんです。それに僕がその対象なる事もないでしょうし。そんな事よりも大事な事があるんです。タナトスのgiraffe病もそうですけど、石化の事も…どうぞよろしくお願いします」
なに?なんだ?
「…おい、その自分が対象になる事もないってのはどんな理由だ?」
言葉の一文が気になって聞けば、さも当然だとばかりに言った。
「え。そのままです。僕みたいな珍獣を相手にしようなんて人います?世の中にはオケアノス人の金の髪、青い目の綺麗でカッコイイ美女がたくさんいますし、レムリア人の優しいユルフワの女の子だっているんですよ?黒って重たいし、地味だし、なんか暗い。…それに僕は…厄災だし…」
「…………」
何言って言ってんだコイツ…全く理解してない…なんでこんな自己評価低いんだ?過去に手酷い失恋経験でもあんのか?いや、無いな。そもそも恋愛とか、してなさそーだ。
「…おまえ…それで、俺がおまえの望みを叶えたら、俺の欲しいものくれるのか?」
「欲しいものですか?…僕、あんまりお金無くて…アイティールに借りるのも…そうか、お礼ですか…。どうしよう…分割って出来ますか?」
真面目な顔で頼まれれば、口角が上がりそうで我慢した。
アルカティア語の正式な翻訳だけで莫大な価値だ。それ以上に本物の価値は計り知れない。ハッキリ言って金で買えるような価値じゃない。教皇が隠し持つに相応しい財宝だろ。それを俺が手に入れられたら…
希少種のアルカティア人の見返りのデカさに改めて大金以上の価値を感じて唾を飲んだ。
「…あー…心配すんな。金じゃない。おまえに払える品物だ。優しいからな俺は」
「え。そうなんですか?…それならまぁ…」
禁忌の魔法の石化…かなり難しい。その文献だってgiraffe病以上に無い。あったとしても稀少なアルカティア語の古書か、禁書だ。魔導協会の図書館で閲覧ですら難しい…禁書ならば特に。
それでも…この目の前の絶滅種は…欲しい!!
「…報酬は…成功をもって成立する…」
あぁ?なんだ。ジョーカー。邪魔すんのか?余計な事言うな!
「え。…あ、ああ、そうだね。そう言う事です。先輩。期待してます」
「…役に立たない情報は…無いに等しい…」
んだとコラ!おまえこそ、そのうちガチで枕を不用品にしてやる!!眠れりゃいいんだろ?!眠らしてやんよ!永遠に!!
「…ぷにぷに…帰る」
「そうだね。お腹減ったし。帰ろうか」
ジョーカーの言葉に、ハートのキングがあっさり頷いた。
「あ。おい!…おまえら、結局、今どこにいるんだ?」
滞在先を知らずに帰せば、再び音信不通になりかねない。
「え。…ああ、ローズ先生の叔母さんの家です。先輩との連絡場所は…どこがいいですか?」
「…魔法師のいないところが良い。おまえの滞在先の住所を教えろ」
「えー…ハッキリ覚えて無いから…大体ですけど、良いですか?」
紙片とペンを渡して書かせれば、机の上の瓶を見て思い出した。
「おい。それから、あの白い菓子…」
「え?…ああ、メレンゲですか?どうでした?」
「週末までにいっぱい作っとけ」
「えぇー?!な、なんで?」
「考える時の糖分補給に丁度いい。重たくないし」
「あれは材料はそんなに必要無いんですけど…焼き加減と泡だてが…」
「うるさい。ブツブツ言うな。こっちだって調べてやってんだ。この瓶いっぱいに作っとけ」
「…先輩…ここに有機物は無いと先程…」
「だから、あの白いのは小さくて、クズがこぼれないからいいんだ。指も汚れないだろ」
「…ぷにぷに…ぽてち…」
「ちょ!タナトス、君は関係無いでしょうが!」
「おい。ぽてちも作るなら持って来いよ?」
「ぽ、ポテチはクズが出ますし、指も汚れますよ!」
「ここで食うわけじゃない。クストの前で食うんだ」
あのクストが悔しがる様は愉快痛快。
しかし、ハートのキングは苦い顔で首を振った。
「ぅあーー…そ、それじゃ僕はこの辺で」
「あ、おい」
慌てて掴んだ手首。黒い目が不満そうにしかめられた。
「まだなにかあるんですか?」
「光玉。動く画っての見せていけ」
「………はぁ」
学校でナタル先輩と別れた後、黒いローブを来たまま屋根伝いに移動していた。
白は目立つし、万が一人の目に触れた時に法術師だと言い訳が難しい。この黒ローブも役に立つなぁ。
「タナトス、ちょっと市場に寄って行くよ」
「…なぜ…?」
「先輩に言われたメレンゲの材料買わないと。タマゴが必要なんだ」
夢の中の世界ではタマゴはどのご家庭にもある。値段も手頃だし優秀食材だ。でも、この世界ではそこそこ良い値段がする。
「ぽてち…」
「はいはい。ジャガイモもね…」
ジャガイモは安い。
「…どうだった?」
報告に訪れた教会専従の騎士にローゼフォンが問うと、騎士は詳しく答えた。
「異常ありませんでした。法術師各部屋、教会内部、倉庫や、保管庫…聖域以外の場所は全て確認済みです」
「…残りは聖域か…わかった。そちらはこっちで調べる」
「はっ。失礼します」
拝礼し、部屋を去る神聖騎士に、ローゼフォンは鍵の掛かった戸棚を開けると香炉立てから香炉を取り出した。全てが黄金でできた香炉には、持ち手からチェーンで繋がれていて黄金の鈴もついている。
香の入った香舟から香炉に香を移し戸棚を閉じた。火を灯すには聖火がいる。だが、火を灯さずともその上質な香りは戸棚の開閉だけでフワリと漂った。
…帰ったらまたアイツが騒ぐな…。
香木の香り…聖域に渡る際には必ず必要だ。むしろこれが無ければ聖域には行けない。
そんな所に不審者など入れようも無いのだが…。
ケビンは未だかつて無いほど緊張していた。
壁一面の大きな窓。広くて格式の高い部屋。入ってすぐ柔らかな絨毯が敷き詰められいて、靴のまま進む事を躊躇した。
そこにあるふかふかなソファーは、ケビンの体では大きすぎてケビンが少し気を抜くと沈み込んで横に倒れてしまいそうになるし、背もたれは遠すぎて寄りかかれば足を伸ばして座る事になる。
それはダメだ。
ケビンは背筋を伸ばし、必死で倒れ込まないように力を入れていた。
教会に入り、毎日を過ごす中でも初めて入る部屋。おそらく、ケビンの同級生や上級生でも入った人はいないんじゃ無いだろうか?
ケビン達が掃除のために入室するのは助祭様か、上級生と共に入る司祭様のお部屋だけだ。
入室から感じたとても良い匂いも、このソファーに座ってから緊張が増してわからなくなってしまっていた。
どのくらい待っていたか、多分そんなに長く無いんだろうけど、緊張が過ぎて長く感じた。
不安と緊張に落ち着かずにいた時、扉の外で複数の人の気配がした。
「いたか?」
「いえ。全く」
「匂いは?」
「におい…ですか?」
大人の声がして、部屋の扉が無造作に開けられる。
「わからなかったか?廊下で花の匂いがした」
「…聖下…それは…」
「気のせいじゃない。確かにした。あの匂いだ」
「申し訳ありませんが、私には何も…」
「おまえはもう一度、あの島に行って嗅いで来い」
「聖下、ご無理をおっしゃらないで下さい」
「おっと…そうだ。ここで待たせていたのか」
その人と目があって、緊張がピークになった。慌てて立ち上がる。
「ああ、いい。すまないな。話を聞きたいんだ。…アダム、お茶と菓子でも用意しておけばいいものを」
気が利かない。と、その方は側仕えを見た。
「……。お持ちします」
教会トップの教皇様にこれだけ至近距離で対面する事になりケビンは足が震えた。
自分はこれだけの場所にいて、役に立てなかったらどうなるんだろう?
教皇様を怒らせたり失望させてしまう事が怖かった。
同じ教会にいても、お姿をお目にかかる事は稀だ。式典でもそのお姿は遠い。その人が、今、ケビンの前…低いテーブルを挟んで自分を見て向かいに座った。
「…どうした?座りなさい」
どうしよう!どうしたらいいの?!
お目にかかった直後に拝礼すべきだったのに、緊張と動揺にすっかり時期を逃してしまった。しかも、このままあのフカフカなソファーにまた腰を落とせば、間違いなく背後に倒れこんで横倒しか、踏ん反り返ってしまう事になる。
そんな無礼や醜態は晒せない。でも、座れって言っているのを逆らってもダメなんじゃ…!
「ぼ、ぼく…だいじょうぶです」
やっとの思いで口にすれば、教皇様はわずかに首を傾げた。
「あ、ああ…すまなかったな。驚いただろう…さっきは取り乱してしまって…申し訳無かった」
教皇様が謝った。
誰に?…ぼくに?!ど、どうしよう!!その言葉で神様からバチが当たったら…お母さんやお父さん、妹はどうなっちゃうの?!
ケビンは足が震えて、口が乾いて、手に汗が出て、とにかく早くここから逃げたかった。でも、そうもいかない。
頭は完全にパニックだ。
「君の名前は…ケビン・マクビー…だったね?」
「は、はい…」
直立不動のまま答えれば、教皇様は穏やかに聞いて来た。
「あの歌を聞いた。そうだね?」
「…はい」
「誰が歌っていたか見たかね?」
「…はい」
グッと身を乗り出す教皇様。
「誰だった?見た事、あった事を全て。聞かせてもらいたい」
そこに、教皇様の側仕えの青年がお茶とお菓子を持って入って来た。そして、見慣れた木製のイスも。
「…?…アダム。なんだ?」
「聖下。彼にはソファーは大き過ぎます。こちらへ座りなさい」
ホッとした。全てが見慣れない物の中で、そのイスは生徒が日常で使う見慣れたそれだ。
「あ、ありがとうございます」
「…なんだ。そうか。なんなら足を伸ばしても良いんだが」
「聖下。おやめください」
「こちらとしては全てが聞きたい。緊張しては言えない事だってあるだろう?」
「それではなおのことです。君…座りなさい。大事な話だ。口が乾くなら飲食して構わないから、きちんと全てをお話しなさい。いいね」
青い目で冷静に指示を与えられれば、その方がラクだった。
「はい」
頷いて、イスに座れば、座り慣れた感覚に少し落ち着いた。
「それでは…最初から…話してくれないか?」
促され、見た事を話した。
歌の練習をしていたら知らない黒い目の人が現れて、一緒に歌った事。それが昨日と今日の2回。黙っていてと言われて頷けば、その人は消えた事。
「昨日も?!本当か?!」
教皇様が驚いて腰を浮かせた。
「は、はい…」
「…うぅむ…。続けてくれ…」
それは夢かと思っていたけど、今日もまた突然現れて話をした事。式典で歌う事に緊張していると言ったらアドバイスをくれた事。それからオバケが現れて…
「オバケ?…それは…どんなだね?」
「真っ黒い人です…。怖い感じ。死んでる人だった…」
「…死んでる…どんな顔だった?」
「顔は見えません。フードを深くかぶっていて…急に後ろに現れたんです。怖い人…オバケが…」
今、思い出しても怖い。
その顔を…目を合わせたらきっとケビンは死んでしまうと思って見ないようにした。
「それで?」
「そのオバケは…白くて虹色の…とてもキレイな…話で聞いた宝珠みたいな物を持っていました…」
「宝珠?…まさか」
まさかと言われれば、確かにそうだ。そもそも、ケビンも宝珠の実物を見たことが無い。
うつむけば、教皇様は穏やかに促した。
「ああ、すまない…続けて」
「その…黒い目の人が、オバケに言ったんです。それを戻しなさいって。それで、あの不思議な歌を歌うと、金色の光がその人の手から弾けて…とても…キレイで…それで…」
ケビンは悩んだ。
これ、言っても良いのかな…?
「それで?どうしたんだね?」
「…あの…その…オバケの持っていた宝珠が…光って消えたんです」
「…消えた?」
「はい。その人はオバケに怒ったんですけど…その人が新しい宝珠を差し出して…オバケも、その人も消えてしまいました…」
「消えた?」
「はい。ぼく、今度はちゃんと見てました。本当に目の前で消えたんです」
教皇様と側仕えの青年は沈黙した。
「…アダム。宝珠を確認する。準備を」
「はい」
「あの…ぼく、ウソはついてません!」
必死に言えば、教皇様は頷いた。
「ああ。そうだとも。ケビン…その黒い目の人は…どんな人だった?姿は?」
「…白い…ローブを着てました。髪は茶色で…ぼくより少し年上の人だけど…歌が上手で、ぼくと同じ歌を歌える…」
「…それは…男性かな…?」
「え。…だって、礼拝堂にいたし…」
教会の内部には男の人しか入れない。お母さんも、妹も…面会は一般の治療棟でしか会えないし、法術師の資格が無いと男の身内でも気軽に外からの出入りも出来ない。それくらいケビンも知っている。
教会の入り口を守る騎士は、外からだけでなく、実際は中から外に出ようとする生徒も見張っている。
ケビンは初等科だからまだ節目や安息日に里帰り出来るが、中級生から上級生になって登録票を得るまでは完全に教会の外には出られない。
厳しいが、法術師を育成するには十代後半は大事な時期だ。
もっと規律が緩いのは士官学校だが、ケビンの親は噂に聞く多額の寄付を用意出来なかったし伝手も無い。そして完全能力制度のそこに入学したとしても、希望通り法術師になれるか確証は無い。
教会は入学する前に無料で資質を見てもらえるし、入学後も費用はかからない。
法術師になれれば結婚するまで生活に困る事も無い。結婚も、法術師として修行していれば魔法師にもなれるから安泰だ。
商家や武家以外は皆、男の子が生まれたらこぞって教会に洗礼に行く。それは健康祈願だけじゃなかった。
ケビンは思い出してみた。ニコニコと楽しそうに笑う顔は…
男の人…?え。でも、なんか違う気もする…。なんでだろう?
思い出そうとすればするほど、記憶がボヤける。
「あ、の…わかりません…。あ…でも、匂いがしました。なんか…お花の良い匂い…」
教皇様は立ち上がって、立派な机の引き出しから青紫の乾燥した小さな花を差し出した。
「これは?」
鼻を近付けて嗅げば、間違いなくそれだった。
「あ!これです。おんなじだ!」
「…ヴィナだ……」
教皇様は呟いて沈黙した。
「聖下」
部屋を出ていた側仕えの青年が慌てて部屋に戻って来て教皇様に耳打ちした。
「…今行く。…ケビン。よく話してくれたね。そのお菓子は持って行きなさい。僅かだがお礼だ。それから、また話を聞かせてもらうかもしれないが、この話は他の誰にも言ってはいけないよ?…約束出来るかね?」
「は、はい。わかりました!」
教皇様との約束は破れない。ケビンは何度も頷き、心に刻んだ。
そうして渡された菓子は、キレイに透けた色がはめ込まれた見たこともない飾り物のような焼き菓子だった。
「…………」
香炉の持ち手の先に光玉が煌々と白銀の光を放っている。
ローゼフォンは静かに耳をすませた。巨大な神殿…外の光が一切入らないこの巨大な空間に、光玉で灯された場所だけが視界の限界だ。その先は天井も壁も見えない深い闇が重くのしかかってくる。
…何か…おかしい。
いつもここに来ると、闇の中に神聖で静謐な空気があるのに…今は、ザワザワと落ち着きがない。
それどころか、闇が猛り、畏怖するような恐怖心すら伝わってくる。
やはり気のせいじゃない。
何かはわからない。だが、得体の知れない違和感に教皇様をお呼びするように指示を出した。
扉が開いて、わずかな光が差し込んだ。が、それでもこの空間を照らし出すには至らない。
ローゼフォン同様、香炉に光玉を灯した人物が現れて、ローゼフォンは手元に香炉があるため簡略の拝礼をした。
「聖下。お呼び立て致しまして申し訳ありません」
「いや…私も確認に来ようと思っていたところだったが…これは…」
教皇様はやはり何かを感じとったようだ。
「…何かあったな…」
「やはり…」
「奥は?」
「特別異常が見受けられません。ですが、聖下にもご確認頂いてよろしいでしょうか?」
教皇様は頷いて、神殿の暗く長い中央通路を共に進む。
奥にわずかに浮かぶように見えていた光は近付くにつれてその全体像が見て取れた。
幅広い段差…階段をいくつか上がり、巨大な祭壇の前に面すれば3つの聖櫃。そして、台座の上で白く七色の光を宿す宝珠。
教皇様は宝珠に触れ、確かめた。
「……ふぅむ…」
「何かありましたか?」
「いや…。傷一つ無い。聖櫃も確認したい。ローゼフォン。すまないが、少し下がってくれ」
「はい」
聖櫃の中は教皇様しか開ける事も、見ることも出来ない。
祭壇の階段を降りた所で待てば、全ての聖櫃を確認した教皇様が、首を傾げた。
「…いかがでしたか?」
段差を降りて戻って来られた教皇様が、闇の広がる天井部分を見渡した。
「いや。異常ない。だがなぁ…この空気…明らかに、竜が鳴いているな…」
「竜が鳴く…これが?」
聖域には侵入者を阻む守護者がいる。竜は侵入者を裁定し排除すると言われているが、それを防ぐのが香炉…香木の香りだ。
「…今まで竜が鳴くという現象を見た事がありませんでした」
「香炉を持たずに入れば見れるだろうが、その直後死ぬからな。やめておけよ?」
教皇様は誰もいないのをいい事にぞんざいな口調で茶化した。
「…では、何者かがやはり侵入したのでしょうか?」
「いや…侵入したらもっと騒いでもおかしく無い。それに、すぐにわかるはずなんだが…どうもおかしい…なんか、違う」
なにか違う?
「ここで殺生があった感じは無い。竜は鳴いたが裁定は行われなかった」
周囲を見渡しても、光玉の灯りが届かない場所には闇が広がるばかりだ。
「…教会内部を全て調査したところ、侵入者の発見には至りませんでした」
「…そうか…とりあえず出よう…いかな侵入者と言えど、ここには滞在出来まい」
教皇様は力なく呟いて歩を進めた。
「あーー!!腕、疲れたー!」
「よっし!おばさんと交代!」
家に帰れば、キッチンが騒がしい。
なんだ?全く…また何か作ってるのか?
法衣を脱いで襟の留め具を外す。廊下の途中でボジャーが尾を振ってこちらを見ていた。
「お。ボジャー。ただいま。…水飲んで来たのか?」
頭を撫でれば嬉しそうに目を細め、満足すると自分の居場所のソファーに戻っていく…と、そこには死神がドッカリと横になっていた。
おまえ…タナトス…そこはボジャーの居場所なんだぞ。
ボジャーはトコトコとソファーの前まで行くと、自分の居場所に人が寝ているのを見て…
あぁ…すまん。ボジャー。おまえ専用の居場所を新しくこしらえないとな。
そう思っていたら、ボジャーは死神の上に、どっこらせ。と乗り出した。
ぼ、ボジャー!おまえ…目が悪くなったとは言え、そこまで気が付かないわけじゃないだろ?!
ボジャーの身を案じて救出に動けば、タナトスはボジャーに構わず動かない。やがてボジャーが遠慮なくタナトスの足の隙間に尻を下ろして背もたれとタナトスの隙間にすっぽりと収まると、ムフー…と息を吐いて寝た。その間、タナトスも全く動かずボジャーを厭う事もない。
「…………」
ええ…。なんだ…その、慣れた感じ…。お前らいつの間にそんな…。
「わー!これ、もう、良いんじゃ無いですか?!」
「フ…これぐらいで勘弁してやっても良いわね…」
再びキッチンから何かを退治したような声がして、覗けばスレイプニルと叔母が仲良く肩を並べて何かを見ている。
……なんで、コイツはコイツで叔母とこんなに仲が良いんだ?いや、いい事だが、それにしても気を許してるって言うか…俺に頭を撫でられるのは嫌で、なんで叔母はいいんだ?差別じゃないか?
…え。俺、やっぱり嫌われて…いや、そんなはず…。
キッチンの入り口から見ていると、ピクリとスレイプニルの肩が動いた。こちらを振り返り、その警戒した黒い目が、俺を確認して緩んだのを見れば、そうじゃないとわかる。が…
「先生…僕のお鼻が…」
挨拶よりも先に鼻を押さえて言うのはそれか。ボジャーの方が愛想がいいぞ。
「あら。ロズ。帰ってたの?おかえり」
叔母が茶こしを持って迎えた。
「…何をしてるんだ?」
茶こし?その付いてる白い泡みたいなのってなんだ?クリームか?
「あ。コレ?泡だてるのに良いって。すーちゃんに教えてもらってたの」
またか。今度はなんだ。
「先生。疑うような目で見ないで下さい。コレは以前にも作りましたし、先生も食べましたよ」
「俺が?いつ?」
「救護席で。試作品をお渡ししました」
「ああ。アレか。あの恐ろしく軽いやつ…」
不思議な食感だった。
「あらやだ。ロズ。すでにもらってたの?良かったじゃない」
だからなんでそんなに嬉しそうなんだ…嫌われてるとでも思ってたのか?
「叔母さん…俺だって、指導者として真摯に指導してるんだ。それとも横暴な教師に見える?」
「…うーん…まぁ、ほら、すーちゃんって従順だから。ねぇ?」
そう言ってスレイプニルの頭を撫でると、スレイプニルは「いや、そんな…」とその手を素直に受け入れて照れた。
ほら。それ。それだ。
「すーぷーちゃん…確認したいんだが…」
キッチンに足を踏み入れれば、スレイプニルが鼻を押さえたまま逃げた。
「……おまえな…」
「あら?…香木…また祈祷?」
叔母が近付いて法衣を受け取ると、ようやく気付いた。
「スレイプニル…おまえ、いい加減、慣れる気は無いのか?」
「…不快です…」
心底毛嫌いする顔に、ため息が出る。
もしスレイプニルが教会で高位になっても聖域に入るには香炉が必要だ。香炉なしには聖域には入れない。聖域に入れなければ、聖櫃は守れない。聖櫃の保護は教会の要の1つだ。
「…叔母さん…コイツのコレ、なんとか矯正出来ないものかな?」
「え?えぇ…そうねぇ…話し合いで和解するしかないと思うけど…それには骨が折れそうね…」
話し合い?説得するって事か?…まぁ、そうだよな…。
「(…教皇様も…罪な人よねぇ…)」
叔母が頬に手を当てて何かを呟いた。
「え?なんて?」
「え。なにが?」
…いや、それ、俺のセリフ…。
「今…」
「ロズ。シャワー浴びてらっしゃい。でないとすーちゃん、外に出そうよ?」
窓を開けて半身を乗りだしているアイツは本当になんなんだ。
夕飯は、鶏むね肉のマヨパン粉焼き。スープ。パン。あと、ベビーリーフとポテトサラダ。
「すーちゃん!!このマヨネイズソースっての最高ね!」
マリーさんは卵白を取って残った黄身で作ったマヨネーズを気に入った。
「メインでもサラダでも、あえてもかけても、焼く前の油としても使えますから」
今日のメイン料理も鶏むね肉にマヨと塩コショウして漬け込んで、パン粉を付けて焼くだけだ。
「あ。タナトス。今日のポテサラにはニンジン入れて無いからね」
見ればわかるだろうけど。
目を向ければ、タナトスはすでにパンにポテサラを乗っけて食べていた。
「…おまえ…本当に、どこからこんな知恵つけてんだ?美味い」
スッピンのローズ先生…いや、ローズ兄さんが感心しながら呆れていた。
先生のシャワー上がりはめちゃくちゃ危険だった。服を着てるのに物凄く…何て言うか…色っぽい。男性に色っぽいって言っていいのかわからないけど…とにかく直視するのがはばかられる。
「メレンゲ作りでマリーさんの夕食作りを邪魔しちゃいましたから…時短料理です」
お皿に視線を固定しながら答えた。
「漬け込んで焼くくらいなのよー。乾いたパンも粉にしてかけて焼くとはねぇ…。美味しい!」
「メレンゲ、ここには絞り袋があって形良く出来そうです」
先生を視界に入れないようにマリーさんへ顔を向けた。
ちょっとでも先生を見ちゃうと、どっかの悪者みたいに目がやられちゃう。
目がーーー!
恥ずかしさで不自然に顔を押さえるのだけは避けたい。
「タマゴとジャガイモを買って来たから何事かと思ったけど…そっちの方も完成が楽しみね」
マリーさんはシャワー上がりのローズ兄さんにも全く平気だ。
まぁ…当たり前だろうけど…。ローズ先生のこうしたラフな時間には一個一個が照れる。普段、学校で見てるピシッとした姿と違った姿にこう…見ちゃいけない背徳感というか…。
「あの白くて軽い甘いやつだろ?」
先生のその声だけでドキッとしちゃう。
「は…い。メレンゲクッキーって言います」
メレンゲは今、冷蔵庫で冷やして湿気を取っている。
「買い物にも行ったのか。それで、靴は買ったのか?」
「……………あ」
忘れてた。途中でもう乾いてたし。一瞬、思い出した時には良いかなって感じだったし。
「すーぷーちゃん…なんでジャガイモとタマゴを買って靴を忘れるんだ」
「もう乾きました。まだ大丈夫です」
実は学校の寮にもアイティールの従僕用の良い靴がある。
「そうだ。先生、それよりも、クロム先輩です!」
「クロムが?…なんだ?」
「僕、教会の外でクロム先輩と会ったんですけど、クロム先輩が動画光玉の日の記憶をまるっと消されていたんです」
「なに?…どう言う事だ?」
先生は眉をひそめた。
「僕があの日の事を言っても、先輩の記憶は教会で会った1回目の記憶と模擬戦の事しか無くて…変だなって思ってこの鈴を見せたんです。2回目の時、クロム先輩、僕の鈴を見て驚いてたじゃないですか」
「ああ。それで?」
「今日もそっくりそのまま驚いていたんです。おんなじような反応で。とてもお芝居に見えなくて…先輩に最近おかしな事が無かったか聞いても、笑われて…そしたらタナトスが、忘却魔法だって言うんです」
「本当か?タナトス」
先生がタナトスを見れば、タナトスはポテサラを食べきって、オニオンスープをのんでいた。
「……。局所的な忘却魔法は、かなり慣れた魔法師だ…」
「クロムがそれをされたと…?」
「…そうだ。ニオイがした」
「におい?」
「タナトスって魔法を嗅ぎ分けるんですよ。凄い特技ですよね」
私が得意げに先生に言った。
「…魔法にニオイなんてするか?…しないだろ」
「僕も匂いはわかりません。でも、タナトスのそれは当たるんです」
ローズ先生は驚き、人外の特技に呆れていた。
「法術師に忘却魔法?そんな事…しかも魔法師が?…一体なぜ?誰が?」
マリーさんは眉をひそめた。ローズ先生も眉をしかめる。
「スレイプニル。なんで早く言わないんだ」
「いや…その、タイミングが無かったと言うか…後でも良いかなーって…」
「…………」
ローズ先生は真剣な顔でテーブルに肘をついて考えこんだ。
「ちょっと…それは食事は終わったと見て良いのかしら?」
「…………」
マリーさんがローズ先生のお行儀を咎めたが、先生は真剣に何かを考えている。
「…マリーさん。どうやら深刻なご様子です。しばしご免除下さい」
場の空気に耐えかねて私がフォローすれば、先生は数拍置いて話し出した。
「…今日、教会に侵入者が入ったと言っただろ?」
その言葉に、マリーさんの興味はそっちに移った。
「え。侵入者って?」
「教会内部で女性の声がしたんだ。いや、正確には歌声だが…」
「…………」
マリーさんは沈黙し、ローズ先生からこちらに顔を、ギギギ…と、ぎこちない動きのレバーのように向けた。
思わず俯いちゃう。
すみません。私です。それ。
「そ、それは一大事ぃ…よねぇ…。教会って声が反響するからねぇ…」
マリーさん、口が引きつってます…。
「教会内部を隅々まで探したが、結局、侵入者は見当たらない。教皇様も不審がられて…唯一の目撃者の初等科の少年に事情を聞いたんだが」
な、なんですって?!ケビン!!自供して無いよね?!
「それで?!」
そこは食いついちゃう。いや、しまった!あんまり食いつくと怪しまれちゃうよね?
「不可解過ぎるんだ。光と影が現れて、宝珠を争い宝珠は割れたが光が新しい宝珠を影に渡して消えた…と」
「……。へ…ぇ…」
口が渇く。バレたら…アカン。マズい。下手に動揺したら顔に出ちゃう。
無だ。…心を無に。絶ッッッ対!!に悟られてはならない。何か、違う事を考えろ!え、えーと!そう!対抗防御法陣の光玉への収め方だ!!
「…え?宝珠?…だって宝珠って聖域に納められているんでしょ?」
叔母は教会内部の事情を、婦人会長をしている事もあってよく知っている。
「そうだよ」
「それで、異常あったわけ?」
「いや。無い。無いけど…あった」
「どう言う事?」
「…詳しくは言えない。だが、聖域が普段の感じと違う感じがした」
「宝珠はそのままで?」
「そう。だが、聖域はいかに侵入者でも入れない。入ったら神竜の裁きにあう。そんな中から宝珠だけ奪うなんて不可能だ。だから、その少年の夢なのかも知れないが…歌は確かに多くの法術師が聞いた。俺も、教皇様も」
「…ふしぎなこともあるものねえぇー…」
「だろ?…光と影なんて、神学生が居眠りして夢を見たにしても何かの啓示じゃ無いかとも思える。白竜の宝珠なんて、それこそほぼ100年近く見つかって来なかったし…」
「きょ…教皇様は?なんて…?」
「…深刻に何かを考えていらした。もしかして、何か心当たりがあるのかも知れない」
「あ…ああ、そう…さすがね…」
「侵入者の件といい、クロムの忘却魔法の事といい…どうも教会の中が不穏だ…もしかして関連があるのかも知れない」
「あー……そー…そうねぇ…どうかしらねぇ?」
「スレイプニルが早くその事を報告していれば、教皇様にも相談出来たものを…すーぷーちゃん」
「………………」
「おい。聞いているのか?」
あさってな方向を見ながらスレイプニルは沈黙していた。
おい、おまえ。無視するとか、いい度胸だな。
「スレイプニル!」
「え?あ。はい。僕はやっぱり圧縮方式が良いかと」
は?なんの話だ。
「…なにがだ」
「対抗防御法陣なんですけど、」
オマエ…。こんな時にまで…いい加減、諦めろ。
「今はその話はしていない…」
「えぇ。そっちの方が建設的って思うんですが…」
「なにがだ!教会の一大事なんだよ!」
建設的ってなんだ!おまえの話の方が非現実的だろうが!
「ローゼフォン。大きな声出さないの」
「叔母さん、指導の邪魔しないでくれ。学校じゃなくてもコイツの後見人は俺だ」
「邪魔をする気は無いけどね…そんな大きな声出して、言う事きくと思ったら逆効果だってアドバイスしておくからね?」
「…………」
クソ…。やりにくい。
「…どなたか教会の中で、実権を握ろうとされてる方でもいるんじゃないですか?」
黒い目が瞬いて、ボソリと言った。
「…なんだと?」
「僕の勝手な想像ですけど、その…教皇様に成り代わって自分がそのポジションもらっちゃおう。みたいな」
はぁ?!そんな不届き者いるわけないだろ!!コイツの無責任な言動にはどう対処したものか…。
「…スレイプニル…おまえな…教会をおまえの勝手な妄想で遊ぶな」
「ですよね。…でも、僕の動画光玉を無かった事にしてくれた方ってどういう親切ですか?クロム先輩の記憶を手練れの魔法師にまで頼んで消すんですよ?それに…あの意地悪な先輩は大丈夫ですか?あそこにいた人の中で…記憶があるのって僕と先生だけですか?ずいぶん丁寧に消して下さるなぁ…と」
「……………」
「ああ、でも、気を利かせてくれたのかも知れませんよね。教会を想って臭い物に蓋をする。ってやつ。教皇様を煩わせたくなくて、こっちでやっときますね。って」
いちいち教会に対して攻撃的なのは若者ゆえの反抗心もあるんだろうか。
「………」
教皇様に対する謀反…いや、そんな事…あり得ない!許されるわけがない!
だが、報告義務を無視しているのは確かだし、色々と問題がある。
「……ロズ…これは…慎重に対処しないと、あなたやすーぷーちゃんも危ないんじゃ…」
叔母が真剣に言って来た。
「特にすーちゃんは、他の人とは違うんだから…狙われちゃうわよ…」
叔母の表情もかたい。
「………。ドーガ光玉を完成させて教皇様にお見せしよう」
「え?!僕は会うの嫌ですよ?!」
「お前じゃ無い。俺が作ってその場で経緯をお話しする」
「…僕の事は伏せてって事ですか?」
「そうだ。今はな。そもそもおまえは成長が特殊で早すぎる。つい1月前は治癒も浄化も光玉も知らなかった奴が、あんな光玉を作るだなんて…異端がられる。おまえの生み出す物に世間の常識が追いついて行ってない。おまえはもっとゆっくり成長するべきなんだ。今、全て明かせば危険だ。海岸での告白もそうだ」
「な?!ちょっと!待って?…海岸での告白!?」
叔母さん…本当に話の間をぶった切ってくるよね…変な所で横槍はやめてくれ。
「………」
「あ。先生。マリーさん、僕がし…魔法使えるの知ってます」
スレイプニルが沈黙を察して言った。
「は?!知ってる?!おまえ…言ったのか?!いつ?」
動揺する俺に叔母さんは、なーんだ。と言わんばかりに驚かず先を促した。
「あら、なんだ。その事ー?はいはい。じゃあ、いいわ。次。いって」
「待て。待て待て!なんで、そんな大事な話を叔母さんに打ち明けてんだ?!」
「えー…だって…マリーさんだし?」
「ねぇ?すーちゃん」
当然だ。とばかりに顔を見合わせる二人。
…納得出来ない…。俺だって秘密の共有でやっと吐かせた内容なのに…なんで…。
「あらやだ。タダで聞いたと思ってるの?ちゃんと交換したのよ?対価を」
「…対価?…何を?」
「それは言えないわよ。…ただね、女の持つ切札は多種多様って事よ…フッ」
カッコ付けて笑う叔母は…本当に、なんなんだ…。まさか対価が料理レシピとか言わないよな?俺の秘密、結構、デカいのだったんだぞ…。
「まぁ…でも、すーちゃんの切札はかなりのものよね…最強」
「…そんな大げさです…」
おまえな?緩い顔して照れてんじゃない。
「大げさ?…明らかにお前の存在は群を抜いてる。魔法だけじゃ無い。光玉1つでさえそうだ。おまえのあの対抗防御法陣の本を収めた光玉はどうだ?危険性は伝えただろ?」
「それは…確かに…そうですけど」
「でもねぇ…時期がきたら教皇様が何かしら指示があると思うんだけど…」
「えッ…」
叔母の言葉にスレイプニルが驚いている。
「それは教皇様が全てご承知の事だと言うのか?」
「いえ…でも、お心当たりはあるでしょうし…あなたが騒いでそれのタイミングが悪かったら…」
「……。騒ぎ立てるつもりはない。しかし、教皇様のお耳に入れなければならない事は事実だ。ドーガ光玉をお見せして、それを密かに抹消した者がいる。と密かにお会いして伝えれば良いだろ」
「…まぁ、そうね」
「…………」
「そう言うわけだから、すーぷーちゃん」
「…え。…はい?」
「晩飯済んだら練習だ」
「…えぇー…イエ、はい…」
嫌だとか言えると思ってるのか?
チリ一つない広く美しく磨かれた廊下は、均等に設置された光玉の白銀の光に隅々まで照らされて、真昼よりも明るい。
調査の為、封鎖された礼拝堂の1つを訪れてその入り口近くの廊下でパンタソスは足を止めた。
駆け込んだ時、確かにここで一瞬、花の香りがした。
だが、パンタソスが今、ここでどんなに意識を集中しても、その香りはしない。
いや、それどころか礼拝堂の中に踏み込んだ時にはすでに香りはしなかった。
日中の騒ぎから現在封鎖され誰もいない夜の礼拝堂だが、光玉だけは煌々と周囲を照らしている。
一般の参拝用とは違い、内部の者用のシンプルな礼拝堂はさほど広くは無いが、むしろ必要最低限の仕様となっていて、スッキリしている。
祭壇には神の象徴が祭られ、ステンドグラスのはめ込まれている窓は、夜のため今はその輝きを失っていた。
パンタソスは踏み込んだ時に少年が立っていた場所に立った。
「…ヴィナ…」
名を呼び待てど、応えが返ることは無い。
「…ここに…いるんじゃないのか…?」
パンタソスには見えない。感じられない。だが、あの少年は確かに昨日も今日も、ここでヴィナに会ったという。
『真っ黒い人です…。怖い感じ。死んでる人だった…』
『顔は見えません。フードを深くかぶっていて…急に現れたんです。怖い人…オバケが…』
少年ケビンの証言を思い出す。
真っ黒な死者?…不死者?…いや、そんな気配がすれば、必ず気付く。ここは法術師の本拠地だ。それに、そもそも不死者は教会内には立ち入れない。
では、闇の眷属か?…それは…不可能では無い。力の強い者ならば、侵入は可能だろう…だが、パンタソスは曲がりなりにも教皇だ。いくら疲れているからと、闇の眷属が敷地にいれば気が付くはずだ。
それに…闇の眷属だろうが教会深部、聖域には入れない。竜が赦さないだろう。
だが、闇の眷属の来訪に竜が鳴いたのなら有り得る。
…やはり…そうなると…パンタソスの力が弱くなっているのかも知れない…。
『そのオバケは…白くて虹色の…キレイな…話で聞いた宝珠みたいな物を持っていました…』
『…あの…その…オバケの持っていた宝珠が…光って消えたんです』
宝珠は今も聖域にある。それは間違いない。消えてなどいないし、持ち去られてもいない。
『それで、あの不思議な歌を歌うと…』
不思議な歌…あれはアルカティア語だ…間違いない。ヴィナがアルカティア語の歌を歌ったのは聞いた事がある。だが、それはまだ小さな頃で歌ももっと単調だった。
『金色の光がその人の手から弾けて…とても…キレイで…それで…』
金色の光…ああ、そうだろう…パーティシアの力を継いだ、ただ1人の娘…。
『その人はオバケに怒ったんですけど…その人が新しい宝珠を差し出して…オバケも、その人も消えてしまいました…』
もしや、ヴィナは闇の眷属に捕まってしまったんだろうか…?それならば、人間の生活圏を捜索したところで手がかりが無いのも頷ける。…だが、闇の眷属が生者を連れまわすなんて…いや、アルカティア人なら…ありえるかもしれない…。
『本当に目の前で消えたんです』
消えた…もしや…いや…。しかし、まさか…『闇の祝福』が頭に浮かんだ。
…ヴィナは…殺されて闇の眷属の一員に迎えられてしまったんじゃ…。
恐怖が胸を締め付けた。
考えたく無い最悪の想定がもし、確定に変わったら…パンタソスは耐えられるだろうか…。
…あぁ…あぁ…後悔が…本気で自分を殺したい…。しかし、娘を失ったまま死ぬわけにはいかない…自分の代わりに…それで娘が戻るなら、いつだって死ぬ。せめて元気な姿を見れるなら、何度だって死ぬ。
「…ヴィナぁ…」
娘の名前を呼んで、祭壇の前に膝をついた。
パンタソスは頭痛に目を閉じた。
今まで頭痛なんてそうそうなかったのに…疲労と精神的負荷が日増しに重くのしかかってくる…。
「…………」
祭壇の前にうずくまるパンタソスを、アーチ状になった高い天井の梁から人知れず見下ろす目があった。
夕食後、プロジェクター光玉の灯りで薄明るい部屋。
「ねぇ…タナトス…」
先生との練習を終え、寝る支度をしてから部屋で対抗防御法陣の2巻の要点を書き写してしばらく…ベッドで転がっているタナトスに声をかけた。
「………」
タナトスは特別、返事はしなかったけど、寝るのか?って空気を出した。
「ここは…もしかしたら危ないかも知れない…」
「…危ない?…敵がいるのか…?」
「僕、教会に…連れて行かれたく無い。わかるんだ。教会に捕まったら、もう外に出れないって」
「……それは困る」
「ここにいたら…もしかしたら、その危険性があるんじゃ無いかって…」
マリーさんと、ローズ先生の話を聞いていて…あの人…教皇がこちらの動きに気が付いているなら、ここに滞在していては、いつ教会関係者に見つかって拘束されるかわからない。
キッチンで不意にあの香木のニオイがした時は、いる?!って焦った。ローズ先生だったけど。
「…ぷにぷには、教会が嫌か…」
「う、うん…。って言うか、僕、タナトスの言う…ジジィに会いたく無いんだ。教会の登録票まで発行されといて何だけど…極力、教会と関わりを持ちたく無い」
「…………」
タナトスは黙って部屋の隅のベッドの暗がりからこちらを伺っている。
『でもねぇ…時期がきたら教皇様から何かしら指示があると思うんだけど…』
マリーさんのこの言葉に危機感を持った。
マリーさんはお母さんの事を知っている…昔、お世話したからって言ってたし、友人同士だったって。でも、それよりも…マリーさんも、ローズ先生も…教会関係者だ。今更で当たり前過ぎてるけど…。
この家やマリーさんの雰囲気ですっかり、気を許していた。
もしかしたら今後、突然、教会関係者がなだれ込んで来て拘束されるかも知れない…。
あの騎士団の詰所の、いかつい騎士にされたように。検挙されて尋問、裁判…。
「…………」
やっぱり、週末ここに来るのは危険じゃ無いかな…アイティールは当初、教会に尋問されるような事があったら、私1人で対応してはいけない。と言っていた。
それなら、ムーンボウの方が良い。教会関係者もいないし…みんな、団結していた。
「ぷにぷに…」
「うわっ!…びっくりした…タナトス…考え事してる時にいきなり至近距離、やめて」
部屋の中央に動かした机。そこから壁にプロジェクター光玉を照射しているが、一瞬でベッドの上から移動してくる。
タナトスはイスに座る私を抱えて持ち上げた。
「ちょ!ちょっと!ええ?」
寝るのに強制移動か!
それならせめて、プロジェクター光玉のスイッチを切って置きたい。
じゃなきゃ、朝、光玉自体が消えてたら困る!
私は腕を伸ばして光玉を掴むと、光玉の灯りは消え部屋は真っ暗になった。
感覚的に…この体勢は…ラッコだ。コレ。…胸に抱える貝は光玉だけど。
タナトスは真っ暗でも全然、平気だ。見えているみたいに迷いなく、ぶつかりもせず、ベッドに寝かされた。
「タナトスー…僕、まだ、途中だったんだけど…」
どこにいるのかわからないタナトスに向かって文句を言えば、意外にも真正面から声がした。
「…教会と関わらなくていい方法、ある…」
「!」
タナトスもん!いい方法あるの?って言うか、タナトス、もしかして近いの?なんか、そんな気配するんだけど…内緒話?
「え。それって、どんな?」
便利な魔法が?!…もしかしてそれって、忘却魔法とか?!キタコレ。見たい!
「…ぷにぷにが、法術師じゃ無ければ良い…」
「うん?…それは…登録票を返すって事?」
まぁ、それなら確かに…。教会に属さない流浪の法術師になるけど…ただ難点は、ローズ先生にめちゃくちゃ怒られる。いや、泣かれるかも…。先生、最近、涙もろいからなぁ。
そもそも返した所で受け取ってくれない可能性もある。アイティールのグリフィンの証のように。
ちなみにあれは布に包んでカバンの中に仕舞い込んでいる。無くすわけにもいかない。
まっ暗い部屋で、タナトスの冷たい指が私の頰に触れて、そのまま首の後ろに滑った。
「…違う…法術師を辞めたら良い…」
「ああ、辞めたら…え。それは無いでしょ!」
そんな選択肢があるか。何言ってんだ。まだ対抗防御法陣の光玉も出来て無いのに。
それに、今日から法術師辞めました!って宣言したくらいで皆、納得してくれるぅ?冷やし中華始めました!みたいな軽さじゃん。ムリムリ。
「…………」
タナトスの指は私の首の後ろを猫でも撫でるみたいに撫でた。
ちょっと…タナトスまで変な触り方しな…あ。そうか!ナタル先輩と男のプライバシーとか何とか言ってどうせ変な、からかい方でも聞いて来たんでしょ?!くそー!バカにして!
「ラッコアタック!」
胸の前で抱えていた光玉を突き出せば、手応えは無い。タナトスは完全に見切ってゴロンと隣に横になったようだ。
「な…ラッコアタックを避けるとは!…タナトスって、よくこんな暗いのに見えるね…感心する」
「ぷにぷに…骨…」
「へ?…何?」
ゴソゴソとタナトスの手が夜着の上着をあさってきた。
「ちょっ!!な、何すんの?!」
オイ!コラ!
「骨…触りたい…」
隣から聞こえてきた言葉に耳を疑った。
「ほ、ほね?…なにそれ?」
「…ぷにぷにの…ぷにぷにじゃない…骨が触りたい…」
「……。太っててすみませんね。触んないでもらえますか!」
デブだってディスってんのか!!
私は床に光玉を置いて、タナトスの手をぐいーと押し戻した。
「違う…骨が触りたい…」
「何が違うか!…ん?…いや…そ、それって…」
ナタル先輩!!そう言う事ですか!!男のプライバシーで、フェチズムについて語ったと?「俺は手が良いと思うけど、タナトス君、君は?」的に?!迷惑千万!!不快一億!!
「…肋骨…」
わさわさと指を伸ばしてくるあんたには躊躇という言葉は無いのか!
「やめい!!」
乱暴な言葉でタナトスの手を払った。しかし、タナトスはしつこく諦めない。
もーーー!先輩、なんて事してくれるんですか!骨?骨フェチって何よ!意味わかんない!いや、手もわかんないけど!男のプライバシーって意味不明なんですけど!
「あーーもーー!」
しつこい!
遠ざければ引き戻される。払っても諦めない。部屋を出たところでついてくるだろうし、そうなれば、もういっそのこと…
「タナトス!」
ワシッとタナトスにしがみついた。
コアラ作戦でいこう。ここまでくっ付けば触れまい!
「……………」
ようやくタナトスは大人しくなった。
よしよし。
「もう、いいから。骨とか言って無いで…寝るよ!おやすみ!」
「…………。位置完璧」
ボソリとタナトスが呟いたけど、黙殺して寝た。
「ヘックション!!」
ナタルは突然のクシャミに集中が切れた。
自身の研究室。光玉に照らされた部屋には誰もいない。昼間、あいつらが座っていたイスには本と紙片が鎮座している。
『…服は…邪魔か…』
不意にジョーカーの言葉が思い出されてイラッとする。
親は魔導協会会長で、宰相。望めば魔法書なんて読み放題だろうし、家柄的にもどこだろうがフリーパスで行ける。欲しい物は欲しいだけ与えられるだろう。それは、物品だけに留まらず女だってそうだ。
これで奴が無能ならば鼻で笑えたが、無詠唱で悪夢の魔法の最終形態を行使出来るなんて、メルセデス先生にだって無理だ。giraffe病で明日をも知れない病さえ無ければ、奴の人生に怖いものは無い。
そんな奴が…魔法界の至宝、アルカティアすら手に入れるなんて許せない。断固として阻止したい!
『…触れた肉も…まだ遠い…もっと中身が…』
「…………」
クソッ!…いっそ、さっさと死ねばいいものを!!
そのくせ、ジョーカーは周囲に恐怖心を撒き散らす。
…本当に、なんで死なないんだ?アイツ。アルカティアを得るまでは一睡もしてなかったんだろ?普通は4日と保つはずがない。アルカティアのあいつみたいに何か魔法がかかってるのか?
魔法封じはされているようだが…あ。そうだ。それもアイツがいる時に見せるように言おう。
魔法協会のガチの魔法封じなんてお目にかかる機会はそう無いからな。ジョーカーに言った所で素直に見せないだろうし、アルカティアのいないジョーカーには近寄るのも危ない。
…あのタナトスの心理的圧迫もアルカティアがいると消えるからな…それもなんか関係あるのか?
質問項目は増えてしまいがちだが、全てを聞いていたらきりが無い。次の面談までに精査しなくては。
『…二度目以降なら…』
『じゃあ…許可を取る』
許可?死神が口説くってか?
『…そんな話、耐えられません』
赤面して黒目を伏せる白竜は、男だろうが女だろうが白に変わりない。
大丈夫か?…あいつ、大丈夫だろうな?押し切られたりしないだろうな?!
ナタルは心配になった。
懐にしまっておいた小さな携帯缶を取り出して中身を確かめる。
それは、紐で束ねられた漆黒の髪。光玉の光に透かしても黒い単色はその色を変えない。むしろ光を弾いて滑らかに輝いた。ハリのある黒い髪はわずかに花の匂いがした。
『それに僕がその対象なる事もないでしょうし。そのままです。僕みたいな珍獣を相手にしようなんて人います?黒って重たいし、地味だし、なんか暗い』
ああ。そうだ。それで良い。そうやって、ずっと隠しておけ。誰にも見せるな。
自分の手が届くその日まで。




