第34章 顔が良ければ女だろうが男だろうが…。
マリーさんは、動揺した私に座るように促した。
テーブルに向かい合って座れば、彼女はゆっくりと確認した。
「ありがとう…そう。その名を私はもう、呼ぶ事ができないの…」
「ど、どうして?」
「彼女は保護対象者だったから」
「ほご…?」
頷くマリーさん。
「ど、どうして?その人は何を…?」
「あなたは知っているのね?漆黒の…彼女を」
「その人は…僕…いいえ。私の、母です…」
マリーさんの目が驚きに見開かれた。
「あなたが…じゃあ!じゃあ、やっぱりあなたはあの子の?!」
あの子?お母さんとどういう関係なんだろ…?
「多分…そうです。デボラがそう言ってたから…」
私のその言葉にマリーさんは息を大きく吸って「あぁ…!」と顔を覆った。
「あ…の…」
顔を覆ったまま動かないマリーさんに、戸惑いながら声をかければ彼女は涙を指で拭って「ごめんなさい。思い出しちゃって…」と席を立ち、ハンカチを取って戻って来た。
「ああ…そう…そうなのね…なんて巡り合わせかしら…こんな事…」
涙を拭い、歓喜と興奮に顔を赤くしたマリーさん。
「…母を…ご存知なんですか…?」
「ええ。あなたが産まれる前…私は彼女のお世話をしていたから」
「…お世話…」
「お世話と言っても、そんなに大した事はしてなかったけど…そう、妹みたいな…親友みたいな…でも…それも、もうだいぶ昔ね…」
マリーさんは遠い昔を見ているようだった。
「彼女が王都を離れてからは…会うすべが無かった。結局そのまま…会えずじまい…。話したい事は山ほどあったのに…聞きたい事も…」
「……私は…母をあんまり覚えていなくて…あの!秘匿って、誰からですか?!母は誰に?」
自分のお母さんの事なのに、何も知らない。
マリーさんは首を振った。喉に手を当てて息を吐く。
「それは言えないの」
「誰がそんな事を!」
「私と、その人を守るためよ。だから私は何も言えない。けど今、言える事は言いましょう。区切れば言えるところもありそうだから」
そう言ってテーブルの上で手を組んだ。
「…私が知っている彼女は漆黒…の髪に、あなたのような漆黒…の目をキラキラした…とても魅力的な娘だったわね…彼女はあまり多くは語らないけど、いつも穏やかで周囲の気遣いが出来る子だった…。それでいて、いつも片思いに悩んでた」
「片思い?…知らなかった。母の想い人。誰ですか?…まさか、それお父さん?」
マリーさんはハッとして、真面目な顔になった。
「違うわ。…まぁ…仕方ないって言うか…当時はね。好きになっちゃったものはね…」
「マリーさんは、私の父を…ご存知ですか…?」
私の問いに、マリーさんは驚いた。
「…まさか…あなたも知らないの?!」
あなた…も?じゃあ…
「知りません。そうかと思っていた人は違いました」
マリーさんは落胆した。
「……なんて事…自分の子にすら言わないって…。ああ、いえ…言う機会を失ってしまったのね…」
「マリーさん…ぼ、あ。私…ローズ先生を騙しています…」
「あぁ。うん。…そうでしょうね。だってあの子、疑う事なくあなたを自分トコの生徒だって言ってたもの。最初に会った時は、私、自分の目が都合のいい老眼になったのかと思ったわ。…なんだ。あの子の目が節穴だったんじゃない」
開き直ってグチるマリーさんは凄く…その…毒を吐くっていうか。
マリーさんは少し考えて、頷いた。
「まぁ…この件に関して私は何も言えないから。あなたの事もロズには言わないわ」
「…良いんですか?」
「困る?…でも、それならもうあの子に打ち明けてるでしょ?何か黙ってる理由があるんじゃない?」
「はい…。ローズ先生には、まだその時じゃ無いって言うか…いや、いずれ言うつもりなんですけど…まだ…その時じゃないので…」
「ふんふん。そうなのね」
それはまるで女子トークの相槌だ。
すごくラフに話を聞いて頷くマリーさんは…なんて言うか…ちょっと変わっている…のかな?
「…私も、ポロっと口走っちゃった事について、あなたにお願いがあるんだけど良いかしら?」
そう改まって言われれば、聞かないわけにはいかない。
「え?なんですか?」
「…彼女の事は、この封印が示す通り機密事項なのよ…本当なら誰にも言っちゃいけないの。だから、この事はロズも知らない。…これ、本当に私の罪に問われる事だから聞かなかった事にして欲しい」
「罪に問われる程?あの!母は…何か悪いことをしたんですか…?」
「それは逆よ。…彼女を守る必要があったから。それは数十年経とうが変わらない。例え彼女が失われても…開示許可は出ていない。…そうよね…だって、あの子が遺したあなたが生きているんだもの」
そう言ってマリーさんは私の手を握って嬉しそうに微笑んだ。
「本当に…会えて嬉しいわ!ねぇ。それで、あなたの本当の名はなんて言うの?」
聞かれて答えようとしたところで、マリーさんは「あ。やっぱりいい」と制止した。
不思議に思っていれば、説明してくれた。
「さっきも言ったけど、機密事項において、私が知っている事と知らない事って大事なのよ。余計な事を聞いちゃうと、知らなくていい事に気付いちゃうかも知れない…。だから、あなたの名前はロズから聞く事にする」
「?…先生は私の名前を知りませんよ?」
「ええ。だから、あなたがロズに伝えて。それまでとっておくわ」
「…先生は母の事を知らないんですよね?」
「ええ、そのはずよ。言っちゃダメよ?…あ。違うわね…。私の事は抜きにして、あなたがロズに教えても良いと思ったら、ロズに打ち明けてちょうだい。…我ながら、なかなか回りくどいけど、仕方ないわ。甥っ子を信じましょう」
そう言ってマリーさんはこぶしを握った。
「そんなややこしい事しなくても…私はマリーさんになら、打ち明けられそうですけど…」
その言葉にマリーさんは微笑んだ。
「すーぷーちゃん、その気持ちはとても嬉しいわ。でも、初対面のおばさんに気を許しすぎよ?もっと慎重になりなさい。あなたの自身の身を守るために。それは私のためでもあるの」
「…は、はい」
「しっかし、あの子ったら…初見で気付かないなんて、あの子こそ老眼なのかしら?」
せ、先生が老眼?…いや、なんか…ひどい言われよう…。
「そ、それは…まだ全然早いんじゃないですか…?」
「29にもなってそんなんで大丈夫なのか、おばさん気が気じゃ無いわね」
あ。先生…もうすぐ30歳なのか。大人だなー。
「すーぷーちゃん、それで…すーぷーちゃんは今、いくつ?」
「え。あ…16才です」
「16才か〜。若いわね〜!で?で?どうなの?気になる男性は?!いる?!」
ゲホッ!!
「い、いや…いないっ…す」
動揺に、すごく適当な語尾になっちゃったよ…。
「ええー?!いないのぉー?!やっだ!おばさん、これから楽しみ過ぎるんだけど?!どんな人が好み?!」
ま、マリーさん…女子トーク…半端ない…。
「…た、楽しそうですね…マリーさん」
目を輝かせてキャッキャと、はしゃぐマリーさん。
「そりゃそうよ。だって、法術師の甥っ子とじゃ話にならないもの。たまにロズが連れて来る子と言ったら、やっぱり法術師か、生徒でしょー?まぁ、もちろん嫌じゃないけど、男の子に…しかも法術師に、こういう話なかなか出来ないじゃない。いや、おばさん、聞いちゃうけどね?おばさんとは言え異性には本音は言いにくいってのもあるだろうし?」
「は…はぁ…」
マリーさん…聞いちゃうのか。…まぁ、男女では話す事が言いにくいのは、あるのかも知れない。
マリーさんは目を細めて私を見つめ、手を取って笑ってくれた。
「すーぷーちゃん。本当に…よく…来てくれたわ。ここを実家だと思って好きに暮らしてちょうだいね。ずっとでもいいのよ?」
「マリーさん…」
「それから万が一、甥っ子が粗相したら全力で制裁するから、言ってね?」
「ま、マリーさん…」
それ、すごい笑顔で言う事じゃないと思うんだけどな…。
なぜか急にクシャミが出た。
「女神のご加護を」
ローゼフォンのクシャミに法術師の青年が真面目に祈った。風邪は法術では治せない。だからクシャミが出ると女神の加護を願うのは相手を思いやるマナーだ。
「…これは風邪というよりも…いや、すまない」
ローゼフォンはなぜか叔母の顔が浮かんだが、気を取り直して顔を上げる。
教会はいつもよりもソワソワとしていた。
大聖堂の至る所を白い法衣の法術師達が足早に行き来しているのが目に付いた。
出迎えの若い法術師に聞けば、白竜の宝珠が見付かって、移送、安置されているという話を聞いた。
「宝珠か…久し振りに聞いたな…」
「はい。数十年振りだそうで…白は特に珍しいそうですね」
「あぁ。では、教皇様もお忙しいな」
「はい。しばらくは。礼典、祭典も続く事になるかと…」
「そうか…」
ローゼフォンはいつもよりも忙しない教会の中を遠目に見つめて歩き始めた。
『ニル。おーい。…聞こえるか?』
マリーさんと一通りの話をした頃、頭の中にギルの声が響いた。
「あ。…マリーさん、僕そろそろ出かけないと…」
「え?何?どこいくの?」
「短期就労で…仲間がいるんです。自立するための」
「え。自立?!嘘。…なんの仕事?」
「詳しくはまた後でいいですか?今日も仕事の約束があるんです。危ない事じゃありません。お小遣いとか自分で働いて得たいんです」
「なにそれ、偉すぎる…仕事って?何系なの?どこで?」
「何系…え、えーと…飲食系で?」
実際にはエンタメ系だけど、そう言った所でこの世界にはそもそもエンタメ系なんてジャンルは無いだろうな。
「そう。それは遅れちゃまずいわね。…でも、くれぐれも気をつけて。…万が一、あなたが戻らなかったらどこを探せばいいの?」
「心配いりません」
「でも、勤め場所くらい聞いておかないと」
「みんなとても良い人なんです。アットホームな感じ?皆で盛り立てて行こう!みたいな。それに何かあっても仕法も使えますから逃げ切れます」
「そう…信頼出来るお店なのね?」
「はい。夕飯頃には戻ります。今日はお手伝い出来なくてすみません…明日はします」
「あはは。そんなのいいのよ。あなたと暮らせるならば、これほど楽しい事はないわ。…待ってるから。必ず帰って来なさい」
学校の白いローブは目立つ。
下は制服のままでも、上着だけはローブを脱いでコートを羽織って取り急ぎ外に出た。
門扉を出れば、双子光玉を握る。
『ギル。聞こえる?』
『お!なんだ、いきなり繋がったな!』
『ごめん、人と話してたから。とりあえず今、外でた。そっちに向かってるところ』
『おまえ、今、どこにいんだ?この卵みたいな石の向きに従って歩いてんのに、全然、会えないんだけど?遠いのか?』
『あー。ごめん。待ち合わせしよう?今日はどこ?』
『いや、一度、ムーンボウに来てくれ。ハメルンが、この間のあの光の導入からリハーサルできてないから不満らしい』
『あっ!…あー…それ…今日、マズイんだけど』
『マズイってなんだよ?』
『…光出すの…今日余力、無い。リハーサルしたら本場で出せない…』
『マジかよ!おまえ、それ気力でなんとかなんねぇの?』
『…いや…ムリ。その気力が無いんだもん。無理して出したら本場で昏睡しちゃうよ…』
『はぁぁ?なんだよそれ!』
『仕方ないよ。今日はこの光玉だって作ったし…その前にも色々…。そんなわけで…今、向かうのも徒歩です…』
『…徒歩って…そっからどんくらいかかる?』
『えーと…わかんない』
『…たく!おまえな。…いいや。迎えの馬車出すように言うわ』
『わかった。じゃあ、馬車道添いに移動するから、ギルの案内で途中で拾って』
『ああ、じゃあ後でな』
迎えに来てくれるなら早足で移動する事も無い。
私は近くの馬車道まで出ると、街をプラプラと歩いた。
綺麗な家と庭が連なる区画は住宅街として整えられている。アイティールのお屋敷があったのが南側ならば、ここは東側だ。
治安としてもそんなに悪くないっていうか…良い方かも。
王都に来て感じるのは、街並みの綺麗さと治安の良さは関係しているように思える。
「(ムーンボウのある地域じゃ、通路はすごく狭いし無秩序に入り組んでいる。地面は剥き出し泥だらけの穴だらけだし、悪臭もあって…まるで違う世界みたいだな…)」
よく、住む世界が違う。って言うけど、物理的にみたら納得だ。
北側の学校とムーンボウのテントがある場所までは、徒歩は地味に時間がかかる。風の仕法や補助魔法が使えない今なら尚更に。
…ローズ先生の叔母さんがお母さんを知っていたのには驚いたな。デボラはマリーさんを知っていたのかな?…マリーさんは?
機密事項って言ってたけど…そもそもマリーさんは何者なんだろう?
魔法で封じられるって事は魔法師が関係しているんだろうし…。
突然の繋がりに加え、マリーさんの個性もあって全然、話は足りなかった。
グイグイと懐に入り込んでくる人懐っこさと、裏表の無いおおらかな雰囲気はローズ先生の身内というのも相まって、すぐに打ち解けてしまっていた。
心配そうに見送りながら、マリーさんは帰ってくると信じてあれこれ聞かずに送り出してくれた。
そういう所がありがたかった。
むしろ私自身が、マリーさんにもっと色々聞きたい。
「(…学校を飛び出す事になったけど…マリーさんには会えて良かった)」
災いが転じて幸いになる事だってある。ローズ先生の言葉は、その通りだった。
ちょうど日が暮れてから始まる〈アルカティアの夜の月〉…前回に倣い、今回も仮面を付けて歌うのが演出として取り入れられた。
前回の貴族会員制のクラブと異なり、今回は裕福な商人が集う高級バーのステージに立つ。
アルカティア人に驚く観客の騒めきと、歌い出した時の呆気にとられた沈黙。
気分の乗ったハメルンの演奏はそれだけで人々の心を捉える。
あの弦を爪弾く指の速さにはいつも感服する。
今日のリハーサルを終えた時に一度、ハメルンの指を触らせてもらってしげしげと眺めてみたが、大きくて長い指以外にこれと言った違いは無かった。
張り詰めた弦を指で弾く事に、痛くは無いのかと尋ねれば、ハメルンは「慣れた」と一言だけ答えた。
ネイロスとローズ先生が言っていた…。出来なくて、もがいて、何度も挫折して、それでも諦めずに続けて、ようやく得たものは、もう自分の一部だと。
ハメルンも四六時中、楽器を手放さない。弦を操る指の動きは淀みなく、私が夢で見た歌や曲調を伝える時も、メロディの単音だけで、素晴らしい和音へと瞬時に音を加えていく。
新しい歌を聞いた時のハメルンは、すごい集中をみせる。初めて聞いたメロディなのに、一度聞いただけで完コピして、水が吹き出す泉のように奏でるたびに完成された音楽となり、そのどんな和音のアップテンポでも、ハメルンの指は正確に見事な音楽を奏でる。
弦の奏でる美しい音色は、音楽に恵まれていないこの世界で砂糖が溶けるように心に染みていく。
ああ、そうか…みんな、諦めないで努力したからだ。
法術は人を守るもの…魔法石もいらない。他人を救いたいと願う純粋な博愛が生み出すもの。
歌いながら、手のひらから生み出される光の輝きを見て、観客は感嘆する。
そうだ。この輝きが人々を癒し、幸せをもたらす事が出来るのならば、私は手放すのでは無く、何度も挫折しながら努力をしなくてはならない。
迷惑かけて傷付けて、傷付いて挫けそうでも、この光で誰かを救えるその日が来るまで…。
いつまでも鳴り止まない拍手を背に、舞台袖から楽屋に入り、手早く着替えた。
今日はもう、気力はヘトヘトだ。裏口に待機していた馬車でマリーさんの家がある区画まで送ってもらう時も、うたた寝しちゃうくらいに。
「おい着いたぞ。ニル、大丈夫か?」
ギルが心配そうに私を起こした。
「ん…あ。ありがとう…大丈夫」
そう言いながら、まぶたは重い。
「ここから近いのか?…おい、入り口まで行くぞ?」
馬車を降りたらよろめいて、ギルが支えてくれた。
「ううん。…見つかったら大変だもん。もう、大丈夫。すぐだから」
「気を付けろよ?」
「じゃあ、ありがとう。また連絡するね」
私はそういうと、眠い目をこすりながら馬車道から住宅街の道へと入った。
街灯の光玉は等間隔にあるけど…暗いな。…えーと…どの家…どこだっけ…?
同じような規模の家が庭付きで連なる住宅街。それも夜の帰り道となると、迷う。
門扉が…確か…アーチ状で…緑の塗装の…緑…暗くて色が見えないな。ええっと…?どれ?
左側だった気がするから、左側の家を歩いて進む。
ああ…眠い…。とりあえず門扉だ。1つ1つ見て進もう…。
眠気にまぶたと顔が下がる。締め切られた家々の門扉を横目に見て歩いた。
…門扉…違う。…門扉…違う…。…門扉…無い…。…門…
「おい」
…へ?
左後ろから声をかけられて振り返れば、開け放たれた門扉の暗い入り口に腕を組んだ誰かが立っていた。
「どこへいく。散歩は終わりだ」
え。あれ?その低い声は、先生…ですか?こんな暗いトコで…何してんですか?あ、ここがそうか。
「…あ、えー…と…ただいま戻りました」
別に散歩してたわけじゃないんですよ。…先生。
「全く。どこをほっつき歩いてるんだ、おまえは」
呆れながら首根っこを掴まれ、明るい家の中に入れば、マリーさんが玄関の音を聞きつけて出てきた。
「あらあら。お帰りなさい。お散歩楽しかった?」
笑顔のマリーさんの言葉から、マリーさんがローズ先生に散歩だって伝えてくれたんだろう。
「叔母さん。…案の定、迷ってたんだけど?」
ご機嫌で言うマリーさんと対照的に、背後の先生の声は憮然としている。
「だからって、あんたも何もずっと外で待って無くても、光玉の1つでも外に掲げとけばいいのよ」
マリーさんは、苦笑してローズ先生の文句を一蹴した。
「すーぷーちゃん。ご飯出来てるからコートを脱いでいらっしゃい」
マリーさんは笑顔でそう言うと、ダイニングに引っ込んだ。
「え。先生…わざわざ外で待ってたんで……わ?!」
驚いて後ろを見上げれば、私は固まった。
むすっとした顔の先生は…ローズ先生であって、ローズ先生じゃ無かった。
「……誰?」
思わず。
「おまえの監督者だ」
不機嫌なその声は間違いなくローズ先生、その人だ。しかし、いつものローズ先生じゃない。
「えぇ?!…先生、あれ?…お化粧は…?」
スッピンの先生に麗しさや女性らしさは無い。サッパリしたイケメンなお顔に、綺麗な赤毛を無造作に後ろで1つに束ねていた。
先生は切れ長の緋色の目を私に向けて言った。
「日が暮れてからの散歩は禁止だ」
そして、それだけ言うと法衣でも白衣でも、ましてや詰襟でもない…ラフな私服でダイニングに行った。
「…………」
なんか、衝撃…。以前も先生のすっぴんを見たけど、二度目で…しかもあんな無造作な姿だと…ローズ先生は…ローズ先生は…ゴージャスビューティーな女神様でなく…ただ一人の男性だった…。
「(…私の女神様が…)」
なに、あの首…肩…女神様じゃ…無い…。
『先生なぁー。美人だけど、ゴツいじゃん!』
アッシュの言葉がまざまざと思い出されて…目にした現実に…私は眠気がぶっ飛んだ。
その日の夕食のメインはグラタンだった。
これが、半端なく美味しい。チーズの焦げ目がフツフツと余熱に呼吸し、濃厚でも飽きないホワイトソース、ゴロゴロ入ったチキン、モチモチのマカロニ。ホウレン草やカボチャも入ってる。
アッチアッチしながら口にすれば、スプーンが止まらない。
野菜スープも具沢山のコンソメ味で美味しくておかわりしちゃった。
何だろう?すごく一体感のある優しい味だな…。
グラタンのチーズの焦げ目すらすごい美味しく感じたから、そのまま感想を言えばマリーさんは「オーブンの薪が隠し味になったかしら?」と笑った。
黙々と食べる先生は…いや、先生っていうの?メイクも心もめっちゃオフの先生は、普段の先生と雰囲気が全然違う。
いや、先生なんだけどさ…ビューティーローズ先生どこ行った?誰だ。あの素のイケメン兄さんは。
「………」
大人って…学校と家では…違うんだな。衝撃だ。
「ねぇ、すーぷーちゃん。最初にうちの甥っ子見てどう思った?」
マリーさんがニコニコと笑って聞いてきたのに対して、ローズ先生は動きを止めた。
「ど、どう?…と、いいますと?」
え。ちょ…この衝撃の後に感想を求められちゃうの?
「変わってるでしょ?ロズ。…最初は驚いたでしょう?」
変わってる…女装の事だよね…。いや、驚いたのは最初じゃなくて、今さっきですが。
「見た目の事なら…僕は本人の自由だと思います。先生はとても綺麗なので」
「すーぷーちゃんは…どっちがいい?」
「ど、どっち?」
どっちって何?
「今と、女装」
楽しそうに聞くマリーさんに、ローズ先生が胡乱な目を向ける。
「叔母さん…」
「あの…僕は…学校の時の先生に馴染みがありますので…どちらかと言うと…むしろ、今は違和感が」
目の前で食卓を囲むこのイケメン、誰ですか?
「あら。残念。我が甥っ子ながら普通にしてたら結構いい男だと思うんだけど?」
頬に手を当てて言うマリーさん。
「叔母さん。何の話をしてるんだ」
「いや、そろそろおまえも、その女装を卒業するきっかけにならないかな。と」
マリーさん、率直だなぁ!
「ほっといてくれ」
対する先生は素っ気無い。
「叔母としては…ロズ。おまえも、そろそろお嫁さんもらって引退してもいいのよ?と心の中で思っているわ」
「心の中の声を発声しないでくれる?胸に秘めとくもんだよね。それ」
「可愛いお嫁さんが欲しいじゃないの!人生バラ色よ?!」
「やめなさい。法術師としてこれからの生徒がいる前で」
「…ロズ。ロズよ…。聞こえるのですか?私の心の声が…」
「聞こえない」
ぷ…!なに、この2人…!
堪えようと思った笑いは、顔を覆ってもダメだった。
肩が震えてお腹が苦しい。我慢しようと思うと余計に。
食べてる時でなくて良かった!
「……。叔母さん…生徒の前で、俺をネタにするのはやめてくれない?」
ローズ先生が文句を言った。
「だってー。かわいいゲストが来たんだもの」
ニコニコと上機嫌で悪びれないマリーさん。
「仕事が楽しいのはわかるけど…そうやって夢中になってると、10年、20年…気付いた時にはすっかりお爺さんよ?いいの?それで」
「いいんだ。それに、明日から休暇と思ってたけど、教会に説明に行ったら、ここぞとばかりに仕事を任された…」
ため息を吐くローズ先生に、マリーさんは聞く。
「なんとまぁ…。大変ね。1日中いないの?」
「いや。せいぜい半日。ただ、何日続くか検討がつかない…」
「ふ〜ん。まぁ、私達の事は気にしないで励んできなさい。ねー!すーぷーちゃん」
「はい」
同意を求められれば否で無い。
「すーぷーちゃん、明日、クッキー作りましょうか?それでお茶でもしてお話しましょう」
「はい。良いですね」
マリーさんとは色々話したいから願ってもない。
「りんごのパイも作ろうかしら?好き?」
「好きです。作った事ありますよ」
「あらぁ!そうなの?包む方?かける方?」
身振り手振りで問うマリーさん。それはパイの包み方だ。
「かける方…かな。りんご煮のシナモンは多めで」
「わかるー。りんごも多めね」
「ですよね」
盛り上がる私達に、ローズ先生は怪訝な顔で私に聞いた。
「…なんでそんなに打ち解けてるんだ…?」
ローズ先生は更に「(かけるってなんだ?)」と呟いた。
「え。…そう…でしょうか…?」
「叔母は誰でも見境なしに世話焼きだが…それにしても…」
「それも私の人徳のなせる技ねぇ」
ローズ先生の戸惑いをよそに、マリーさんは自慢気に前髪を払い、ふう。と芝居がかって息を吐いた。
「…………」
ローズ先生は胡乱な目でマリーさんを見ていた。
…なんか、普通の家族の食卓みたい。いや、そうなんだけど。
ローズ先生はマリーさんには全然敵わないみたいで…更にここに来て私服のラフな姿のローズ先生は、先生でも無いし、立派な法術師でも無くて…ただのお兄さん…。
夕食が済んでマリーさんの片付けの手伝いを申し出たけど、「今日はゆっくりしなさい」と笑顔で断られた。
「…………」
いや、その…オフってるラフな先生と同じ空間に残されても…間がもたなくて嫌なんだけどな…。
すでに今、自分の身の置き所に悩んでる。
距離的にも私はダイニングテーブルの席に居座った。
先生はソファーにリラックスして座り、嬉しそうな犬のボジャーを構っている。
「よしよし。ボジャー、お手」
…先生、犬好きなのかな?…なんか、扱いに慣れてるみたいだけど。
はぁ…猛烈に…眠い…。
お腹が満たされれば尚更だ。
ダイニングテーブルに突っ伏して休憩すれば、ローズ先生がソファーから声をかけた。
「すーぷーちゃん…一緒に教会に行くか?」
「行きません」
即答。突っ伏したまま顔すらあげない。でも、先生も予想はしていたんだろう。誘い文句を追加してきた。
「今なら珍しい宝珠があるぞ?」
「…オーブ…?…なんですか?それ?」
「とても貴重な宝物だ。様々な属性の物が数年単位で偶発的に見つかる。今回、見つかったのは中でも珍しい白の宝珠だ。これは、滅多に出ないぞ?」
「…それ…なんの役に立つんです…?」
突っ伏したまま顔だけ先生の方に向ければ、ローズ先生の膝の上には寝そべり体を寄せるボジャーのアゴが乗っていた。
私の問いに先生は面食らう顔をして考えた。
「役に立つか…。そう聞かれると悩ましいな。…至宝とも呼べる宝に役目を聞かれてもな…それだけで尊いものなんだ」
ローズ先生は腕を組む。
「興味ないです」
「おまえ。教会にとっては瑞兆とされるんだぞ?」
「ずいちょう…?」
「縁起が良いって事だ。一般市民も皆、御利益を願って一目見ようと集まってくる。教会の方も宝珠に対して、礼典、祭典と忙しくなる」
「はぁ…あふ」
あ。あくびが出ちゃった。
まぁ、それ…つまり、招き猫みたいなの?はぁ…興味ないなぁ。
「おまえなぁ…」
ローズ先生は呆れながら、ため息を吐いた。
「あら。すーぷーちゃん。そこで寝たらダメよ」
片付けが終わったマリーさんが私の肩を撫でた。
「部屋に行きましょう。準備してあるから」
促され、重いまぶたのまま私はマリーさんの案内で2階にあがった。
しばらくして2階から降りてきた叔母は、何かを考え込んでいた。
「叔母さん」
「…………」
「叔母さん?」
「え。ああ。なに?」
「どうした?」
「どうって…えーと、明日の献立?」
献立って…そんなに真面目な顔で…?
「いや。それは任せる…何でも」
「何でもいいが一番困るのよ」
「…そ、そうなのか…」
「……。ねぇ、ロズ。おまえ…あの子の…後見人になったの?」
う。来た。バレるの早いな…。登録票の裏書きを見たのか?本人から聞いたのか?
叔母の事だ。後見人になれば責任が生じるとか、婚期が更に遠のくとか、反対をするだろうと思って黙っていた。さっきもそうだ。特にプライベートな事は生徒の前で言う事無いだろ。
「俺が考えて決めた。後悔はしないよ。叔母さんは、そうじゃないのかも知れないけど、後見人は俺が…」
「賛成」
え。…すんなり?
「…なにそれ?」
「なにが?」
「いや、ずいぶん、アッサリと承諾したなって…」
「ヘタな人に任せるより安心だってだけよ。あの子、普通の子と違うでしょ?」
「……驚いた。まだ何も言ってないのに」
「じゃあ、聞かせてちょうだい。最初から、詳しく」
叔母はそう言ってダイニングテーブルの席についた。それは、進路を聞く親のような顔だった。
スレイプニルの話には話題に事欠かない。
入学初日で無意識に復活の法術を行い、ネイロスの命を救った。光玉を教えれば初回でアレンジ光玉を作り、黒竜の教室で3桁の光玉を溢れさせ、青白い音の出る光玉を作る。光玉においては他にも保管箱行きのものばかりポンポンと思い付きで作るのに、肝心の治癒と浄化はなかなか習得出来ずに、いざ出来たと思えば変な癖が諸々付いてしまった。
だが、その癖すらハンデにならない。ここまで圧倒的な能力を持つのに、奴はいつも何かに怯えて自己肯定が乏しい。些細な失敗に落ち込んで、得られた全てを手放して自主退学をするくらい。
それは、育ちが関係しているのでは無いかと推測して話をし、父親とどうも確執があるようだと言ったところで、叔母が反応した。
「…父親?」
訝しむ叔母に話を続けた。
「3歳くらいの時に急に現れて以降、3日置きくらいに来ていたらしい。育ての親は別にいたらしいが」
「………誰だ」
叔母は眉を潜めて顎に手をあてた。まるで、知人の心辺りの記憶を探るように。
いや、叔母さん。話にのめり込んでるな。考えたところで小説のように犯人は出ないぞ。
叔母は大衆本の事件小説が好きだ。殺人事件に誰が犯人かを当てるという本らしいが…法術師のこっちからしたら趣味の良い話じゃ無い。
「それで?」
先を促す叔母の顔は厳しい。
「…あ、ああ。それが弟の養子が決まったらパッタリ来なくなって…それから7年…捨てられたって傷付いて…」
「弟?…そんな…」
叔母は痛ましいと顔を歪めながらテーブルの上で両手を握った。
「その3日ごとに来ていた父親ってのは…どんな人だったんだろうね…?」
「…叔母さん。それはあいつにとってはトラウマだから…触れないでやってくれ」
「もちろんよ。でも、何か聞いてるんでしょう?」
「ああ…。香木の匂いのする人で」
「香木…」
叔母の肩が揺れた。
「子煩悩だったけど、だからこそ理由を告げずに捨てたのが許せない…と。だから香木の匂いがする場所にも行きたく無いし、匂いのする人にも二度と会いたく無いって駄々こねて…」
叔母が突っ伏した。
「叔母さん?…どうしたの?」
「…………。何でもない…」
緩々と顔をあげた叔母の目には涙が光っていた。
「え…どうかした?」
「…いいえ。凄い…不憫でならなくてね…」
叔母は痛恨の顔で涙を拭った。
「それは…まぁ、…スレイプニルには同情する。ただ、本当にダメなクソ野郎は、」
「ちょっと!…ゴホン…酷い言葉は使わないでくれるかしら?」
ムキになって遮った叔母は、取り繕って汚い言葉をたしなめた。
「酷いのは彼を捨てた父親であって、教会も教皇様も濡れ衣だろ?混同されたら迷惑だ。スレイプニルの法術の素質と香木の匂いから、父親は高位の法術師なんだろうが…引退した者だけとは限らないし…」
「あ。あー…ロズ…。なんか、その…勘違いが…あるかも知れないし…?」
テーブルに肘をつき手を組んだ先に額を付ける叔母。悩ましいとばかりに言葉を濁す。
「…勘違い?…って何が?」
その様子に眉をひそめる。
「…う。うーん…そもそも…いや、何でもない。事実はわからないもの。詮索するのはおやめ」
「でも、」
「世の中にはね、知って良い事といけない事があるのよ。個人の好奇心で掘り起こして、それで幸せになるのは誰?事実は必要な時に明るみになる。けれど、そうじゃない時に掘り起こして傷付くのは…?」
「…それは…」
「その覚悟があるのなら止めようが無いけど…香木の法術師ならば、絶対に気付くはずよ。ハートのキング程の実力を持っている16歳の少年が現れたのならね」
「…………」
確かに。父親ならば誰よりも心当たりがあるだろう。
「おまえが動かなくても、いずれあの子は真実にたどり着くんじゃないかしら」
「………」
俺は…出しゃばり過ぎなんだろうか…?
「それに、ロズ。あんた、そんな子の後見人になったからには嫌でも巻き込まれるわよ?わかってるの?今までみたいに、士官学校で雛を育てる気楽なポジションじゃいられないのよ?」
気楽って…言ってくれるな。叔母さんも。
「わかってる。最初に言っただろ。後悔は無いって。放っておく方が悔やまれるんだ。あいつは誰よりも才能があるのに、すぐになんでも諦めて手放そうとする。『僕に親切にしないで』って…おかしいだろ?」
「…おぅふ…神さま…教皇さま…どうしてですか」
「…叔母さん。変な声出して急に祈るのやめて」
なんなんだ。
目を開ければ、新緑色のカーテンから鈍い陽射しが部屋に差していた。
庭の生花が生けられた木製の机。イスには私の鞄が置かれていた。コート掛けには白いローブがかけられている。
床には緑のラグが敷かれていた。窓の近くには竹で出来たウインドチャイムがぶら下がっている。
…そうだ。先生の叔母さんの家…。
ベッドから身を起こせば、シンプルなシャツに着替えてあった。
「すーぷーちゃん…起きてる?」
遠慮がちなマリーさんの声が廊下からした。
「あ。はぁい!」
やっば。寝過ぎたかな?!
返事をすれば、トコトコと階段を上がってくる足音。と扉のノック。
「いい?」
「あ、はい。おはようございます」
「はい、おはよー。どう?大丈夫?まだ休んでる?」
「いえ。もう、平気です」
「そのままローブ着ておいで。どうせロズはこれから教会に行くから。それからゆっくり身支度なさい」
「あ…はい…」
マリーさんは部屋に入るとカーテンを開けた。マリーさんの腕にウィンドチャイムがカランカランと乾いたかわいらしい音がした。
「…いい音ですね」
「え?…ああ、これ?面白いでしょ。…あの子が教えてくれたのよ」
「え。…それって…」
まさか、お母さん…?
「風は見えないけど、こうして音の出る物を吊るしておけば、風を感じられるでしょって」
マリーさんは飾りを触ってカランコロンと音をさせた。
「特に夏に良いって言ってたけど、気に入ったからずっと下げてるのよ」
それって…風鈴みたい…。
「彼女の故郷ではね、こういう…うっ!」
マリーさんは、言ってから改めて自分の口を押さえた。
「おっと。まずいまずい。…さぁ、下に降りておいで。じゃないと、ロズが起こしに来るわよ」
それは困る!
私は慌ててベッドから飛び出した。
「あはは。ロズには生徒とは言え、プライバシーは守りなさいって言ってあるから」
「…た、助かります…」
「困った事があったり、必要なものはいつでも相談してちょうだい。まぁ、不足無いようにするつもりだけどね」
マリーさんは楽しそうに笑って部屋を出た。
言われた通り、シャツの上からローブを着て、靴を履くと階段を降りてダイニングに出た。
「…起きたか」
あ、先生。
「…お、おはようございます」
「ああ、おはよう」
先生はメイクしない顔に法術師の着る詰襟を着てダイニングで新聞片手にお茶を飲んでいた。
こうしてると、普通のイケメン法術師のお兄さんなのにな…。
「…………」
いや、でもこれはこれで先生がこのまま街にいたら大変なんじゃ…?
クスト先輩の話じゃないけど、先生なら魅了の魔法が無くても女性に囲まれて苦労しそう…なるほど。そうか。そう言う事?女性よけか。
「…………」
「なんだ?突っ立ってないで座りなさい」
「あ。はい」
そうでした。つい、鑑賞しちゃった。
「すーぷーちゃん」
座った所でローズ先生が改めてこちらを見た。
「な、なんでしょう…?」
ノーメイクの先生に直視されると戸惑うな…。
「今日、」
「はい。お茶。今、パン焼いてるから」
先生の話の途中でマリーさんが私にお茶を出してくれて、キッチンに去った。
「あ、ありがとうございます…」
あー。お茶、あったかーい。
「すーぷーちゃん。今日は俺が帰るまで外に出るな」
ああ…外に…
「えぇ?!…な、なんでですか?!」
「おまえ、フラフラ外に出て帰って来れなくなるだろ」
「そ、そんな事無いです!昨日だって帰って来たじゃ無いですか」
「気力切れ寸前のフラフラでか?そもそも昨日だって迷ってただろうが。あんな状態で出歩くなんて」
「それは…」
ムーンボウでバイトだったし…。
「でも、今日はアイティールの」
家に行かないと…と言おうとしたら、先生の緋色の目があからさまにしかめられた。
「…おまえ…なんのためにここに連れて来たと思ってるんだ…」
うえ?!
「あいつとは近付くな」
「え。まさか、先生、僕をここに連れてきたのって…」
「丁度いいだろ。おまえはしばらくここで自宅待機だ。その間に依存を切っておけ」
い、依存?!
「そんな。大げさな。僕はアイティールに依存なんて…」
「おまえじゃない。あいつだ」
え?な、なんて?
「知らないと思ってんのか?おまえ、夜の自由時間、毎回あいつの所に行ってんだろ」
「え、ええ…まぁ…」
「やめろ」
一刀両断。
「なんでですか?」
「おまえはあいつの下僕か?従僕か?なんでいちいち動向を報告する必要がある?」
「…そ、そんな大げさな。僕はただ友達として…」
「友達が時間通りに戻らなければ教会に押し入る、なんて脅すか?」
「えぇー…それは…向こうは向こうで心配してたわけで…」
私の言葉にローズ先生のスッピンの目が更にしかめられた。
「心配だと…?」
ヒィ!先生…声、重低音!しかもノーメイク!
「はーい。お待たせー。パン焼けたわよ。ジャムとハチミツはこれ。スプーン置いとくから」
マリーさんがトレーに一杯の朝食を乗せてダイニングテーブルに運んできた。
さっきといい、今といい、マリーさんはタイミングを選ばない。
いや、あえて選んでなのかな…?
パンの焼けた香ばしい良い匂いが鼻をくすぐる。
「あ、ありがとうございます」
「すーぷーちゃん。今日、雨が降りそうよ?」
食卓に朝食が並び終え、マリーさんは自分の席に座った。
「え。雨…ですか?」
「最近は夜にちょろっと降るくらいだったけど、今日は日中も降るでしょうね」
「言われてみれば…確かに…なんだか、外が暗いですね…」
窓から見える外は朝なのに、陽射しも隠れて曇ってる。
「すーぷーちゃん。今日は叔母さんとクッキー焼くの手伝ってくれない?チャリティーに出すのに、たくさん必要なのよ」
「はい。わかりました」
雨の中の移動は面倒だ。それに必要とあれば手伝いもやぶさかじゃ無い。
「助かるわ。じゃあ、朝ごはん食べて一息してからね。さ、召し上がれ」
ニコニコと嬉しそうに勧めるマリーさんと、渋面のローズ先生。
「頂きます」
「ロズ。ゆっくりしてていいの?教会からお迎え来ちゃうわよ?そのまま行くなら私も止めないけどね?」
「…わかってる」
ローズ先生は、マリーさんを不服そうに見て、パンを手に取った。
屋敷の中。その主人である部屋の扉の前まで来ると、ロキは僅かに深呼吸した。
ノックをしても返事は無い。
…さて。どうしたものか。
「…殿下。朝食をお取り下さい」
無反応。
再度、ノックして声をかければ主人の声がした。それも、すこぶる機嫌の悪い声で。
「構うな」
やれやれ。これは無駄だな。朝食だけならまだしも、昨夜から2食抜いている。少しでも食べて頂きたいが…。
お気に入りのものが無くなった時の殿下は、しばらく癇癪が続く。
別の新しい興味対象が見つかるまでは、ロキも使用人も憂鬱だ。どんなになだめようが、機嫌が直った試しがない。
機嫌が良いにこしたことは無いが、不機嫌だろうが食事を抜くのはやめてもらいたい。病になったりでもしたら大ごとだ。
…昼には腹も空くかも知れない。
ロキは諦めて扉の前から立ち去った。
数歩離れれば、部屋の中でズゴン!と何かが壁に当たって落ちる大きな音がした。
「…………」
今の感じからすると…本だな。
音と部屋の間取り、部屋に置かれた物品をロキは瞬時に想像した。本人が倒れた音じゃ無い。
主人の言葉通りに放置して、万が一何かあればロキだけの責任に収まらない。
当り散らした行動ならば、主人の体は大丈夫だろう。本の方は…背表紙が壊れたかも知れないが。
ロキは廊下から窓の外を見た。曇りがかった空には雨が降りそうだ。遠い雲は暗雲で、雷が落ちるかも知れない。
気分転換に遠乗りでも勧めようと思ったのに、当てが外れた。
天気まで主人と同じとは、これでは厩舎の方も手を焼くだろう…。
そもそもは…昨日の夕方。
なかなか現れないニルに御者が確認すれば、すでに学校を出たと言う。
慌てた御者が行き先を聞いても誰も知らない。それどころか、彼は退学すら辞さないで去ったと言う。
御者の報告に、アイティールは半信半疑だった。
しかし、グリフォンの証を使って調べれば審議会で処分を問われた彼は、自ら登録票を差し出し、法術はもう使わない。と言って窓から去ったという。
そのあとを白竜の顧問が追って行ったと言うから、ニルは教会にいるだろうと思ったが、そうなればニルの事を教会が詳しく調べるかも知れないし、何かの拍子にニルが辻褄の合わない話をしてしまうかも知れない。
それでは偽装した身元がバレる恐れある。
伝説の魔女デボラや教皇の秘蔵の弟子であったなら、身元がバレたらニルの気にしている罪の追求以前に、おいそれと再び王都を出歩く事も無いだろう。
そうなれば、もう王家に手は出せない。
アイティールは懇意の法術師に探りを入れた。が、「ハートのキングに関しての新しい話は聞かない」と返信があっただけだ。
本当にいないのか、隠しているのかは確証が持てなかった。
法術師はなかなか子飼いにならない。資質のある者は全て教会が囲ってしまうからだ。そういう面では、ニルは非常に価値がある。
あの押しに弱く従順な性格も含めて…彼こそ王家にとって、教会を手中にするための、今後の最強の子飼いに成り得ただろう。確かに手放すのは大損害だ。殿下の焦りもわからなくも無い。
「…案外ひょっこり現れてくれないものか…」
ロキはニルという少年の呆れるほどの警戒心の無さに期待したかった。
「そうそう。いい感じね!」
バターに砂糖、卵黄、小麦粉…それぞれを加えて混ぜたら、馴染ませる為に冷蔵庫に少し生地をおく。
この世界の冷蔵庫は魔法師が作った氷をタンスのような木の箱の上部に入れておく。氷の冷気で冷やすのだ。溶けた水は排水管を通って下の水受けに溜まる。
朝食の後、少ししてローズ先生は迎えの馬車が来て教会に行った。もちろん、いつものように化粧をした姿で。
マリーさんの言う通り、お陰で私はその後にゆっくりと身支度を整えられた。
私服のシャツの袖をめくり、クッキーの生地を作る。その生地を馴染ませる為に冷蔵庫を開けて気付いた。
「…あ。マリーさん。冷蔵庫の氷…そろそろ小さくなってますね」
「あら。そうね。そろそろ頼まないと」
「それなら、僕が作ります」
私の申し出に、マリーさんは「ん?」って顔をした後に、ハッとした。
「…すーぷーちゃん…」
「はい?」
「すーぷーちゃんは…白竜よね…?」
「はい。そうです」
「法術は…使えるのよね?」
「はい。でも、僕、元々は仕法が最初なのでどっちも使えます」
「両方!!」
マリーさんは驚きにのけぞった。
わかりやすく驚く人だな。
「あ、あー…親子ね…やっぱり…」
マリーさんは苦笑した。
「じゃあ…お母さんも?」
「そう。元々は仕法が先。それからお世話になった人に法術を習った」
マリーさんは魔法って言わない。それはやっぱり知っているからだろう。そういう所が安心する。
「…お世話になった法術師が…いたんですね」
「まぁね…すーぷーちゃん、あなたと同じね。ほら、法術師って、基本、世話焼きなのよ。わかる?」
「わかります」
白竜の先輩達も、先生もそうだ。
「でも、そのどっちも使える能力ってあなた達くらいだからね?わかってるわよね?」
「…はい」
「そう。…あー、際どい話ね。話題を変えましょ。何が良いかしら…ああ、ロズの話をしましょうか?」
「え?先生の?」
それは予想外…。でも、興味が無い訳じゃない。
「じゃあ、先に氷、作っちゃいます」
私は冷蔵庫の氷置き場の大きさを確認すると、水を四角く成型してそのまま凍結させた。
「…見事なもんね…」
マリーさんは冷気を放つ氷塊を撫でて嘆息した。
小さくなった氷を退かして収めれば、ピッタリだ。
「一息しましょ。…あら。やっぱり降ってきていたみたいね」
マリーさんは窓の外の水滴を見て言った。雨だ。いつの間にか外はもうだいぶ濡れている。
「雨…と言えば、飴があるけどいる?」
マリーさんが差し出した瓶に入った飴は、琥珀色や紅色、桜色、薄緑など様々な色がキレイだ。
「いえ、大丈夫です。あの…ローズ先生のご実家って、ここなんですか?」
叔母さんって事はお母さんじゃないわけだし…。
「ああ、実家は別よ。ただ、王都じゃ無いから王都滞在中はウチがあの子の実家代わり」
ああ…。そういう事か。
「ここは私…と、ボジャーの2人暮らしでしょ?部屋も空いてるし、私も暇だからロズや、たまにあの子が連れてくるお客様のおもてなしをしてるわね」
へぇ…。
「すーぷーちゃんのような学校の生徒が来たのは2年くらい前かなぁ…」
「え。誰か来たんですか?」
「ええ。クッピーよ」
クッピー?…そんな先輩いたかな?…2年前でしょ?卒業生かな?
「クスト・ラケル君」
「く!!くっピー?!」
クスト先輩のあだ名があった!!しかも、クッピー!!くっ…くっぴー…。
「その時は、仲の良かった友達が白竜から抜けちゃって、クッピーは落ち込んじゃっててね…」
あ…ナタル先輩との事か。
「それで、ロズが連れて来たのよ。ほら、あの子も役持ちだったから、キングに続いてクィーンも失うわけにはいかないでしょ?法術師としてみたら将来有望なわけだし…それになにより、1番はクッピーが辛そうだったから。フォローが必要だったのよ」
「…そうだったんですね…」
「クッピー…嘆いていたわ…。『キングとは一緒に法術師になるんだって約束したのに』って。『ケガしたらお互いを治すんだって約束したのに』って…それはもう、涙ながらに嘆いてね…」
「…クッピー先輩…」
ダメだ…。あだ名のインパクトで全然、感情移入出来ない。むしろ、油断したら笑う。…耐えろ!
マリーさんは切なそうに頬杖をついて思い出したようだ。
「その姿には私もねぇ…あぁ…こういうのって、酒場でいつまでもウダウダと女にフラれた事を嘆く、なっさけない男みたいだなぁって…」
えぇ?!ま、マリーさん?!待って?ここはもうちょっと違う感想なんじゃ…?
「だから、ひとしきりの嘆きを聞いた後で叱咤激励したわよ。そんなんでいいの?!奴が白竜を抜けたんなら、あんたがトップ張って打ち負かしておやりなさい!と」
「………………」
う、うん…。まぁ…うん。確かに、クスト先輩は、ナタル先輩を打ち負かす事に気合い入ってました…。はい。その時の励ましとしては、間違いじゃないんだけど…。
「まぁ、そんなこんなでロズも大変よね。生徒一人一人に気を配るわけで…好きでやってるんでしょうけど」
「そういえば、教師という仕事を気に入ってるって先生、言ってました」
「でしょうね。…本当ならあの子、教会では高い位なんだけど…その仕事よりも教職としてヒナを育てたいって言ってね。士官学校を選んだのよね。それにはあの子の師匠の影響もあるみたいだけど…」
「え。先生、お偉い方なんですか?」
「あら。そうよー。知らなかった?じゃなきゃ、あの格好で教会を闊歩出来るわけないじゃ無い?規律がうるさいんだから」
「あ、ああ…」
確かに。女装を受け入れるってなかなかだろうな…。
「それに、あの子、まぁ、見た目がいいじゃない?叔母の欲目からみても?」
それ叔母じゃなくて、親の欲目じゃないかな…まぁ、スルーしよう。
「あれは自衛のためでもあるわけ。いちいち集まってくる女の子を相手にしてられ無いでしょ?それに、男子も」
「え?男子も?」
「そうよ。言うけど、女っ気の無い生活してたら人間、性別なんて簡単に超えるのよ?」
「…………え?」
「そうよ」
「え?…それは…?」
マリーさんは憂鬱そうに頰に手を当てた。
「顔が良ければ女だろうが男だろうが…」
ひぃぃぃぃ!!せ、せんせぇぇぇぇぇーーー!!逃げてぇぇぇー!!
「だからね、あの格好してれば女子は避けられるわけ。男子の方は師匠が目を光らせてくれたし、高位になってからは血迷って誘うバカはいなくなったみたい」
「そ、そうですか…それは良かったです…」
じゃなきゃ、先生は法術師を引退しなきゃならなかっただろう…。そんな理由めちゃくちゃ嫌だ。
「でも…あの子があの格好をするのは…その他にも、本当の意味での理由はあるんだけどね…」
マリーさんは悲しそうに苦笑した。
「…本当の意味?」
「それは…私が話す事じゃ無いわ。ロズがすーぷーちゃんに話してもいいなって思う時にロズから聞けるでしょう。あなたがロズに本当を打ち明けられる時のように」
「……はい」
誰しも、おいそれと言えない秘密はある。先生の女装の趣味だって、そうなんだろう。
「だから、すーぷーちゃんも、気を付けてね!!くれぐれも!!」
「え?何ですか?変わった趣味に目覚めるって事ですか?」
「うん。チガウ。…そうじゃなくて、白竜に女の子が混ざるってどう言うことかわかる?狼に肉よ?」
「はは。大げさですよ」
男子が私に異性を感じるなんて無い無い。
「じゃあ、ドラゴンに肉」
いや、ひどくなってるし。
「僕の場合は、師匠が目眩しの仕法をかけてくれてますし」
「ん?…ドユコト?」
「この毛です。カツラなんです。これで少年に見えるようにしてくれてるんです」
マリーさんは目を丸くした。
「…やっぱり…地毛じゃないのね、それ…。父親の影響でその色なのかと思ってたけど。…すごい自然ね」
カツラの出来に関心するマリーさん。
「地毛は黒ですので…。この仕法のお陰で直ぐバレると思った学校も、思いのほか続けられまして…でも、バレたら仕方無いと諦めるつもりです」
「あ。あー…そういう事か…そりゃ、全てを諦めるわけか…」
マリーさんは額に手を当てて俯いた。
「納得だわ…」
沈黙が数秒続き、外から雨音が軒先きを叩く音がする。
「…クッキー生地、そろそろ良いですかね?」
「あ、ああ…そうね。あら、やだ。オーブンを余熱させなきゃ。先にやっておけば良かったわ…」
「…それなら、余熱の時間で一手間加えませんか?」
「え?どういうこと?」
「この飴…使っても良いですよね?」
瓶に入った自然な色の飴は持ち上げればコロリと転がった。
それからマリーさんからは、薪を使うオーブンの扱い方を教えてもらった。
薪を井桁に組んで、火かき棒でカマドの奥へ押し込みその隙間に丸めた古紙を押し込める。火を点けて火力は薪の追加で調整する。石造りのカマドは奥の方で火が燃えて、手前が焼成のスペースになる。
「いいわね。これでカマド全体が丁度いい温度になるまで少し待ちましょう」
それはいわゆる余熱の時間だ。
「じゃあ、その間に…この飴を砕きます」
「砕く?あら、どうするのかしら?」
私は飛び散り防止に紙で挟んだ飴を肉叩きで粉砕する。琥珀、紅、桃色、薄緑、黄色、紫…それ全て自然の色の飴だ。
ひとしきり砕くと、クッキー生地を取り出して型抜きをする。
「次は型抜き工程ね」
そう言って、マリーさんは空き缶に収められた型抜きを作業台の上に並べた。
「わ。結構、たくさんありますね」
並べられた型抜きの種類に驚いた。
「同じのじゃつまらなくて…ちょこちょこ見つけては集まっちゃったのよね」
苦笑するマリーさん。
「その気持ち、わかります」
こういうのって集めちゃうんだよね。
「やっぱり?そうなのよ。…ロズに言わせたら、食べたら同じなのに。って言うのよ?むしろ食べやすい形でいいんじゃないかって」
憤慨するマリーさん。
「あはは」
マリーさんの家にあった型抜きは丸が大中小それぞれ、星型、クローバー、ハート、ひし形、それから六芒星、デザインの違うお花がそれぞれに…
「あ。これ、カワイイですね」
見つけたのは馬の形だ。
「それはユニコーンよ。さすが、お目が高いわね!」
「え。そ、そうですか?…馬かと思った…本当だ。小さな角が付いてる」
「私もそれ、大好きよ」
嬉しそうに言うマリーさん。
「あ。犬のもある」
「それはボジャーね」
マリーさんは自慢気に言った。
「え。ボジャーもクッキーにして食べちゃうんですか?」
「ボジャー自身が好きよ。…形はどうあれ」
た、確かに…犬はクッキーとか好きそう…。
クッキーの型抜き作業で、大きい型を抜いた後、中央をさらにそれより小さい型で抜いて、模様の穴を開ける。その中に砕いた飴を入れた。
「まぁ!そういう事ね!」
マリーさんはわかったようだ。
「ステンドグラスクッキーです」
「へえぇぇぇぇーーー!良いわねぇ!!」
マリーさんの目は輝いた。
「…あ。これ、出来たら僕も少しもらって良いですか?友達にあげたいんです」
「もちろん!たくさん作りましょう!!あ、でも、飴が足りなくなるわね。明日、ロズにたくさん買って来てもらいましょう!色が多いのが良いわ!」
マリーさんは嬉しそうに張り切った。
そして、焼き上がり…カマドの火にクッキーが焦げないようにお願いすれば、キレイな焼き色に飴が溶けてキラキラした色の窓の付いたクッキーが出来上がった。
「キレイねぇ…!」
クッキーをかざして、しみじみとマリーさんが呟いた。
「食感もサクサクのクッキーに、飴の部分はパリパリですよ」
飴が溶けた部分も、その飴の味がちゃんとする。
「すーぷーちゃん!ナイス!!」
マリーさんは私を抱きしめた。
「ど、どうも…。でも、これ、こんなにたくさん作ってどうするんですか?」
「教会のチャリティー基金よ。貧しい子供の自立支援にするの」
「…へぇ…それはいいですね」
「これなら見た目もひくのに、原価はかからないわ!きっと人気になるわよ!」
ご機嫌のマリーさん。その姿に不安がよぎる…。
「あ、あの…僕が関わったって言わないで下さいね…?僕、また何か失敗しちゃうから…」
「あ…。そうか…そうね…それは…困るわよね、すーぷーちゃん」
目立つのは困る。マリーさんも気が付いてくれた。出来上がったクッキーを眺めて思う。
「このクッキー、型がスペード以外は揃ってますね」
「え?なに?どういうこと?」
「クローバーに、ひし形のダイヤ、ハート…」
「あら。まぁ。そうね。そうか役持ちね!」
スペード以外にジョーカーもさすがに無い。不吉だもんね。強いて言えばスペードは星型。ジョーカーは六芒星かな。中央の窓の形や飴の色で色んなパターンが出来るだろう。
私が適当にクッキーを選んでいると、マリーさんが小さな紙袋を用意してくれた。
「お友達にあげるのは何人?」
「うーんと…取りあえず…1人」
「え。なに?男子?!気になる子?」
身を寄せて目を輝かせるマリーさん。
マリーさん…どうしても、そっちにもっていきたいんですか…?
「…違います。あくまで友達として、です」
「なぁ〜んだ。いい男いないの〜?白竜じゃ無くても、青竜とかにさー」
不満そうなマリーさん。
「…そ、そう言われましても…でも、友達は増えました。みんな、いい人達です」
「学校は楽しい?」
「はい。今まではデボラとずっと2人きりだったので、とても」
「…そう…。そうよね。事情があったとは言え…そんなんじゃ、友達が出来ないものね」
マリーさんはしんみりとした。
「あ。いえ、デボラと一緒の時もこの格好で街には出てましたので、友達はいました」
「え。あら。そうなの?それは良かったわ」
「ただ…たくさんの人とご飯を食べたり、教室で学ぶというのは…やっぱり楽しいです。色んな先生や先輩もいますし」
「そう。…あ。そうだ。すーぷーちゃん、これ、ロズにもあげてくれる?」
マリーさんはユニコーンとハート、犬の形のクッキーを選り分けた。
「僕が?なんでですか?」
わざわざ渡す理由ある?
「だって、すーぷーちゃんが考えたんだもの。すーぷーちゃんがロズに渡してちょうだい」
「…はぁ…。それならラッピングしないでお皿から…」
私はお皿を出そうと動いた。
「うちょい!待った!」
うちょい?…何?
「こう言うのってー、やっぱり驚かせたいじゃない?開けてびっくり!…よ?」
…はぁ?…マリーさんは、マメだなぁ…。ローズ先生を驚かせたいんですね…。
私は頷いて、自分の分の紙袋とは別にした。
飴が足りない分は、追加で普通のクッキーを焼いた。
「あ。雨、やんだ」
片付けを終える頃、外は陽が差して晴れて来ていた。
「あら。ホント。すーぷーちゃん、お友達に届けて来たら?」
「え。良いんですか?」
「その代わり、遅くならない。無事に帰って来る。…約束出来る?」
私はコクコクと頷いた。
「じゃあ、行っておいで。気をつけるのよ?」
マリーさんは笑って見送った。
コートを羽織って、帽子は…グリフォンは目立つから外して部屋の机の中に置いて来た。
雨上がりの正午は水溜りや草木が陽を浴びてキラキラとしていた。
手にした紙袋にはステンドグラスクッキーが入っているから、割れないように気をつけなくちゃ。カバンの中じゃ…割れる。
住宅街を歩いて、南に抜ければそこは高級住宅街だ。大きなお屋敷の高い塀が迷路のように区画を仕切っている。
馬車移動がしやすいように道幅もやたらと広いし、街灯の等間隔も短い。
…塀を照らしたってしょうがないのに…。
それなら下町や住宅街に街頭を増やしてくれないかな。門扉の色がわかるくらいに。
きっと、これも防犯なんだろうけど…。
「…………」
…うーん…長いなぁ…。
歩いてると、景色は塀ばかりだ。1つの塀が終わっても、次に見えるのは違う種類の塀。
仕法で屋根を伝えたら良いけど、さすがにこの時間帯に地面から上がるのは人の目が気になる。
どうせ、塀の外には見えなくても、中は庭を警備の人がうろついていたりするんだ。
塀を登った所で鉢合わせたら泥棒だって大騒ぎになっちゃう。
大人しく歩こう。いい天気だし。
歩いていると、手にしたクッキーを喜んでくれるかとちょっと心配になる。
…あ。タナトスならどうかな?…いや、タナトスはクッキーよりポテチだろうな…。
そもそもタナトスはあんまり食べない。
白竜の皆なら…マックはメチャクチャ喜びそう。なんだかんだ皆、お菓子好きだもんな。そういえば、メレンゲクッキーをあげたナタル先輩も気に入ってたな。ちゃんと全部食べてくれたかな…。
ナタル先輩は模擬戦前にこれ見よがしにポテチを食べてクスト先輩を挑発してた。
…あの先輩は…そういう事に利用するのがダメだなぁ…。
「(クッピー先輩…まんまと挑発されちゃダメじゃ無いですか)…プフッ。あ、ダメだ。笑いが」
呟いた言葉に自分で笑ってしまう。そうこうしていれば、間も無くアイティールのお屋敷だ。
「…………」
あ。あー…なんて言おう…。
ここに来て、気が付いた。アイティールにマリーさんの家にいる事を伝えたもんかどうか…。
「……………」
なんか…マズい気がする。
それはカンというか…アイティールの普段の性格を鑑みてと言うか…。
アイティール、休みの日とかも私と遊ぶの楽しみにしてるもんな…。そして、妙に気に入られている…。
『依存は切っとけ』
脳内でローズ先生の言葉が聞こえた。そして、めちゃくちゃ不機嫌なお顔も。
…マズくない?コレ。居場所がバレたらヤバくない?
「………そうだ!」
私はカバンからノートを取り出して、最後のページを丁寧に切り取った。
そこに手紙を書いて、クッキーの入った小袋と一緒にすると、大きな光玉で包み込んだ。
イメージはバルーンラッピングってやつ?光玉だけど。中身も透けて見えるから不審物としては…まぁ、マシかな。こうしておけばとりあえずは直ぐ捨てられる事も無いだろう。
それを、そっとアイティールのお屋敷の大きくて高い門扉の前に置いてベルを鳴らした。
よし!あとは撤収だ!
速やかに帰る。
ピンポンダッシュしてごめんなさい!
高級住宅地を出て街の中心部に出ると、小さな出店が並んでいた。普段は広場になっている場所だ。
人々が出店に集まり賑わっている。
「さぁさぁ!宝珠発見の記念に装飾品はいかが?!彼女のプレゼントにどうだい?!」
「幸運の御守り!記念価格の大安売りだ!持つと幸せになる!これを逃したら後悔するよ!」
「お菓子はいらんかねー!甘くて美味しいよー!」
数々の呼び声で賑やかだ。
食品から装飾品、置物、御守り…色々な店が出てお客さんで賑わっている。
これって…先生の言ってた白竜のオーブ…に便乗した出店か。
なんか良く分からないけど…皆、楽しそうだな…。
「ねぇ!お祭りに着ける髪留め買って!」
「髪留めか…よし、どれがいい?」
若いレムリア人の女性が彼氏に髪留めをおねだりしている。彼氏もまんざらじゃないようだ。どれが似合うかと選んでいる。
そう言えば…弟にあげようと思ったフクロウの木彫りの彫刻のバッチもこういう出店で買ったんだっけな…。
羽ばたくフクロウの羽が細かく彫刻されていて、気に入ってデボラに買ってもらった。
「お母さん、お菓子欲しい!」
私の隣を子供がお菓子の出店に駆け抜けて行った。
「急に走らないで。危ないわ」
慌てて母親が子供の後を追う。子供の手をつなぎ、楽しそうに歩く親子。お小遣いを手にお菓子を買う兄弟。父親に肩車されて嬉しそうな女の子と、その足を落ちないようにしっかりと握るお父さん。
「………」
お祭りみたいな賑やかな所は、家族の姿が目に付く。
「…あ。飴を買って行こう…」
周囲の熱気とは対照的に心は冷静になって何となく目をそらした。
そこに飴の量り売りのお店を見付けて、立ち寄った。
飴の入った紙袋を抱えて考え事をしながマリーさんの家に戻れば、玄関に立つ白い壁にぶつかりそうになった。
「…なぜ、外から現れるのかな…すーぷーちゃん…」
見上げれば白い壁だと思ったのは、法衣だ。麗しい法術師…だったローズ先生のお顔が険しい。
あわわわ…ん?
「…………」
私は忌避して一歩、後ずさった。いや、ここもダメだ。もう一歩後退。
「…なんだ?」
訝しむローズ先生の後ろ、家の奥からマリーさんが出迎えた。
「あら。おかえりなさい。今帰ったの?」
「叔母さん…なんで家に居るはずのすーぷーちゃんが俺の後ろにいるんだ」
「え?…えぇー?なんでー。ふっしぎー」
棒読みのマリーさん、隠す気無いな。
「マリーさん、これ、飴です」
抱えた紙袋を掲げれば、マリーさんはピンと来て合わせてくれた。
「助かるわ。お使いありがとうね。今、お金払うから」
マリーさんはそう言って奥に引っ込んだ。
「飴…?」
訝しむローズ先生。
「………」
玄関の前の廊下で法衣姿のまま佇むローズ先生。
「……先生…お先にどうぞ」
先に行って下さい。
「………」
先生は私を見て向き直った。そして一歩、近付く。
ならば、私は一歩引こうと足を動かせば、背後の玄関の扉に足が当たった。抱えた紙袋に力が入る。
「…なんだ?どうした?」
先生が近付いて怪訝に手を伸ばせば、更にそれが感じられて顔が歪む。
「先生…ちょっと…離れて頂けませんか…」
さっき見た景色が脳内に浮かんで…イライラする。
「なんでだ」
ローズ先生は構わず私の腕を掴もうとしたから、斜めに逃げた。
「…クサい…」
「くっ…くさいだと?!」
先生は動揺して揺らいだ。
「…香木です。香木クッサい」
近寄らないで。そのニオイで。
私は鼻を抑えた。
そのなんか…甘さのある独特の、お高くとまった昔っぽいニオイ。一呼吸も嗅ぎたく無い。
ローズ先生は、動きを止めた。思い当たりがあるのか声をあげてから自分の腕を嗅いだ。
「…あぁ。そんなに?においするか?」
「します。めちゃくちゃします。僕のお鼻が間違うはずがありません。衣服、ならびに身体の清浄を求めます」
鼻を抑えたまま鼻声で訴えれば、ローズ先生はショックのようだ。
「そ、そこまで言うか?そもそも香木は清浄にする為のものだからな?!」
「そうですか。でも、僕は嫌です。気持ちが悪くて今ここでの会話もそろそろ切り上げたいと思っております」
ズリズリと壁伝いに移動する私に、ローズ先生はため息を吐いた。
「わかった。わかったから。ほら、先に行け」
先生は身を引いて進路を開けた。私は呼吸を止めて廊下を駆け抜けた。
「え。何?どしたの?なにかあった?」
廊下から一目散に2階に駆け抜けていくスレイプニルに、叔母がキッチンから顔を出した。
「…叔母さん…俺、初めてクサイって言われた…」
少なからずショックだ。
「え?…オジサン臭?アンタもついに?!」
ウゲ!と顔をしかめる叔母。
失礼な!まだそんな年じゃない。…多分。
「違う。…そんなにクサい?」
聞けば叔母は恐る恐る近付いて確認する。
「これは…!清涼で高潔…洗練された優雅さのある奥ゆかしい印象…それでいてわずかに妖艶さも兼ね備えた最高級…の、香木ね」
叔母はなんで時々、大げさなんだろうか…ふざけてるのか?
「今日は祈祷もしてきたの?お疲れ様」
祈祷の際に焚く香木は高価だ。
「……。香木の匂いは…スレイプニルのトラウマだ」
「おぅふ…。そ、そうだったわね…そうか…あぁ…不憫…」
叔母はなぜか嘆いて拝礼した。
「叔母さん、ふざけてるの?」
「そんな訳ないでしょ。大真面目よ。…でも、それ、なんとか克服させたいわね…」
叔母が深刻な顔で腕を組む。
「ああ。香木が嫌で教会に行きたく無いなんて理由、通らないからな…」
あいつの将来を思えば、教会は避けては通れない。むしろ、あいつ自身がこの匂いの1番濃い場所に立つかも知れないのだから。
「(オジ…臭の方がまだマシだったわね…こりゃ…)」
叔母は深刻な顔でブツブツと呟いていた。
屋敷の厚いカーテンが外の光を遮れば、室内は昼間でも夜だ。
部屋の光玉は未だに光ってはいたが、そろそろ寿命だろう。光が弱くなっている。
アイティールは薄暗い部屋のベッドに横になりながら、考えても仕方がない過去を思い出す。
『目くらましの光玉を作ったんだ。強烈な閃光で視界を無くして、リーダーと防衛拠点を同時に抑える』
ニルが提案した作戦は、無敗の黒竜キングに対して最速ダブルスコアという快挙で圧勝した。
それなのに…ニルは観客を気にして競技場丸々という広範囲で範囲回復をしてしまった。
…なぜ、想定しなかったのか…。ニルだけじゃ無い。自分自身においても、その作戦を聞いた時に、彼に釘を刺しておけば良かった。試合判定が出るまでは動くなと。
範囲回復さえ無ければ、新しい光玉の存在など規定内だと押し切れば良い。
それが…法術師の証すら手放して去るなんて…しかも自分に何の相談も報告も無く!!
アイティールは苛立ちに机を殴った。
思えば、学校に行ってからニルの周囲に人が増えた。同期だけでなく、上級生も、教師も、ハートのキングの噂は毎日、組や学年に関係なく聴こえてくる。しかも前例のない大きな出来事に、噂が収束すらしないまま、また新しい大きな噂が飛び交う。
校内で…ニルは知らなくても、ニルを知らない生徒はいない。
いつのまにか、ニルは白竜どころか、ジョーカーや、黒竜のキング、赤竜のキングすら知己としていた。それなのに…自分はどうだ。同じ青竜の組を掌握するのが精一杯だ。
そして、そのニルすら見失っている。
街の捜索を命じて、グリフォンの証が使用されれば持ち主を引き留めるように各金融機関に指示はしたが、居場所が教会内部では難しいだろう…。
どうする?どうしたら再びニルを手中に出来る?
嫌がられては反発されてうまくいかない。相手がこちらを必要とするように仕向けなくては。
それにはまず、どこを押さえるべきか。ニルの目的からすれば、黒竜か?ダイヤのキングと接触する必要があるだろう。
魔導協会から抑えられたら話が早いが、あそこは個人として営利目的の味方は多いが協会自体の掌握はモルセウスがいる限り難しい。王政を否定する宰相は政敵だ。
魔導協会への取り次ぎで可能性があるなら、その息子のジョーカーを介してだが、それは選択肢に入ら無い。
感情よりも立場上、現実的に不可能に近い。それに、ニルの事…魔法石の要らない者の存在は、魔導協会にとっても興味の対象となってしまうだろう。
とすると現状、残るは…
「(…ダイヤのキングか…)」
ニルとも接触があったようだし、彼とは遅かれ早かれ面識を得るはずだった。
「…ナタル・プロキオン…」
黒竜の3年生。無敗のキング。
ロキを呼ぼうとベッドから身を起こした時、ノックの音がした。




