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眠りの神と夢見る子守唄  作者: 銀河 凛乎
33/46

第33章 それこそ、何度でも言おう。望むところだ。

誰もいない白竜の教室に、鞄を置いて日誌を取り出した。

パラパラとページをめくって続きを書く。

最後に書いたのは教会で読んだ本と、それを光玉に練り込めないかって案だった。

…魔法を防ぐ法位陣…もっと知識が必要だ。それに、あれは結構、難しそうだったし。

教会でもっと知識を得ないと…危険だけど、虎穴に入らずんばなんとかだ。

とりあえず、書けていなかった治癒と浄化の法術、ついてしまったクセと、その対応…ローズ先生の言っていた見解も書き加えた。

法術を保留にすれば言霊は一回で済む。でも、負傷者がいないと発動しないのは…まぁ、特に困らない。

未完成の法術の光はそれはそれでムーンボウで演出として使えるわけだし。

あとは、法術の光が残る事…これは、部位によっては確かに問題かも知れない…。

「(何度もフーフーしてたら酸欠になったりして…)」

風邪ひいたりしたら…うーん…これは問題だなぁ…。そう言えば、あの光ってどのくらいまで残るもんなんだろう?一度、誰かに協力してもらおうかな。

事細かく書いていく。

タナトスにしていた浄化の法術…浄化の圧縮は、復活の法術だった事。

人を蘇らせる究極の法術…命の選択に重い判断が必要になるかも知れない…。

先生が秘密にしておけって言うのはわかる気がする。

新しい光玉はあの閃光玉だ。さすがに超新星爆発のイメージは、やり過ぎた。法術の加減でうまく出来るかと思ったけど…もっとちょうどいい光のイメージの加減だったら良かっただろうな…。

「…………」

今回の試合…どうなっちゃうんだろう…。

日誌のペンを止めて、ため息を吐いた。

書き連ねていた間に観に来ていた一般の人達も帰ったんだろう。正午過ぎの今、外も校内もだいぶ静かだ。

「………(いつ、帰れるんだろう…)」

夕方に近付いてもムーンボウに行けなければ、ギルが探すだろう。

「(…ちょっと…状況を伝えておかないとまずい気がするな…)」

私は超速魔法を自分にかけて、教室と校舎から移動した。

校舎から外れの川岸、そこで補助魔法を解除する。そこから、風の仕法で川を飛び越えた。

川向こうは下町だ。古い朽ちかけた家屋や、粗末なバラックのような住居。住居と言えないくらいの布張りのテントのようなものも見える。

少し高い位置にあるムーンボウの大きなテントに近付けば、大きな体がうずくまっていた。

テント裏の菜園…身を屈めて土をいじっているのはグレア…だっけかな?オーガという種族の彼は赤竜の生徒…ネイロスよりも大きい。そもそも人間の規格じゃ無いんだろうけど。

「…グレア…さん?」

声をかければ、大きな体がビクリと揺れた。その反応にこちらもびっくりする。

「…………」

私を見て戸惑う巨人に、私もどう接したものか…。ふと、その大きな手には見覚えのある草が握られていた。

「あ。それって…ローズマリー?」

一本の茎にビッシリと細かな葉が付いているローズマリーは魚料理や肉料理の香草に使えるし、確か湿布にも使えるんじゃないかな?

近付いて見れば、グレアは戸惑いながらもおずおずと草を差し出した。その姿はまるで、近付いて来た動物に餌をやろうにも、噛むかも知れないと手を出すようだ。

バスケットボールのような大きさの握られた手にあるローズマリーは、摘まれたことでその手、全体から香っていた。

「いい匂いだね。この草って、青い小さな花が咲くんだよね」

デボラの庭にも咲いていたその草は、青紫の細かい小さな花がたくさん咲く。

グレアは握っていた香草を私に押し勧めた。

「くれるの?」

「…水、夜まで入れる、土さす、のびる…」

カタコトで教えてくれたのはローズマリーの挿し木での増やし方だ。

「ありがとう」

そっと受け取れば、グレアは満足そうにフーンと鼻息を吐いた。

「オイ、グレア、昼メシの…あれ?おまえ…」

テント脇の小屋から現れたのは全身を毛に覆われた人…

「こんにちは。ウォルターさん。僕、ニルです」

人と獣人の混血だって言っていたウォルターさんは、エプロン姿にフライパンを持っていた。

「あ。やっぱりそうだよな。いや、ギルがそんな格好でいられるわけ無いもんな」

私の白いローブを見てウォルターさんは笑った。

全身、顔まで覆う毛は密で目と口以外は茶色い毛で覆われているウォルターさん。完全に狼男のような姿だ。

「早速ですが、ギルはいますか?今日の予定について聞いておきたくて…」

「ああ。それならバーディーだな。中にいる」

ウォルターさんは、テントを指差した。

「ありがとう」

テントの中に入れば、それぞれが芸の練習をしていた。

バーディーは…あ。いた。ハメルンと話してる。

「バーディー、ハメルン、お邪魔します」

2人は気付いて歓迎してくれた。

「ニーナ。今日は早いじゃないか!」

「いえ…その、実は抜けて来たんです。また戻らないと…それで、今日の予定を先に確認しておきたくて…」

「なんだい。…だってさ、ハメルン、残念だったね。まだ練習はお預けだ」

「もう少し、時間が欲しいんだがな…」

「ご、ごめん…」

ハメルンの様子に申し訳なくなった。

ハメルンとしては私からもっと夢の中のリズムを聞いて曲目を増やしたいみたいなんだけど…リハーサルも含めて時間が足りないんだろう。

「今日は日暮れと共に、少し大きめの酒場で公演予定だよ。酒場と言っても客層は悪くないから安心おし。

曲目は前回同様の3曲。また迎えに行くから」

「あ。それなんだけど…もしかしたら僕、友達の家に居ないかも知れない」

あの様子じゃ、何となく、時間がかかるんじゃないかなぁ…。夕方にもまだ帰れないとしたら…。

「なんだって?じゃあ、集合はどこがいい?」

「うーん…」

困ったな。知らせるための手段が無い。スマホがあればいいのに。いや、電話機能だけでもいい。

悩んでいると、ギルがテントの中に飛び込んで来た。

「ニルが来たんだって?!…お!いたいた!よう!早いな」

「ギル。僕、また戻らないといけないんだ」

「あー。あれだろ?お前が反則したからだろ?」

え。なんで?

「知ってる…の?」

「ああ。俺、試合、見に行ってたからな!」

「え。そうなの?!」

「ああ。驚いたわ!あの光も、おまえの仕業なんじゃないの?」

「う、うん」

「ゲ!マジかよー!!ホントにお前だったのか!」

笑うギルにバーディーがたしなめた。

「ギル。あんた最近、ちょくちょく抜け出してニルのとこに行ってるだろ?」

「え?」

「な、なんだよ…俺、行ってないぞ…?」

うろたえるギル。

「どうだかね。あんたがここ最近よく川を超えて行くのを見るんだけど?」

「…それは…その…偵察だよ。偵察。ニルが困ってないか確認だって!」

ギル…来てたのか。全然、知らなかった…。まぁ、校舎の外だろうけど。

「ギル。気を付けてね。下手したらバレちゃうから…」

「大丈夫だって!俺、それにマジでそんなに行ってないぞ?!そりゃ、試合は面白いから見に行ってたけど!…今日の試合だって、いつもみたいに変装して見に行ったんだから!」

「…変装?」

って、いうか模擬戦の観戦に通ってたんだな。ギル…。

「おう!これだ!」

ギルはポケットから毛の塊を取り出して顔に貼り付けた。

「プッ!!な、なに?!それ!」

それはヒゲだ。ギルのアゴと鼻の下に付いた付けヒゲに一気に不精感が出る。

「……あんた…それ…まさかとは思うけど、ウォルターの毛じゃ無いか?」

訝しんだバーディーの問いに、ギルは得意げだ。

「おう!凄いだろ?クシを通したら直ぐに集まった。作ったんだぜ?」

「…やれやれ…何やってんだか…」

呆れるバーディー。

確かに…あのウォルターさんの潤沢な毛なら、付けヒゲ分くらいなら直ぐに作れてしまうだろう。

「…ギルって、ヒゲ生えるの?」

素朴な疑問が浮かんでそのまま聞けば、ギルはショボンとした。

「それが、生えないんだよー…。俺、女顔だし、伸ばしてみたいんだけどなぁ。だから、コレ気に入ってんだ!いいだろ?」

「…無い方が良いと思うよ。今のままのギルの方が良い」

なんて言うか…変だもん。アンバランスっていうか…。細かな部分は別として、私と良く似てるわけで…ギルはまだまだ少年っぽい。実際、年下だし。それでいて、そんな豊かなヒゲっていうのが…不自然な感じがする。

「えー。そうかぁ?俺はカッコイイと思うけどなぁ…」

双子のようなギルと私でも、当然だけど中身は全然違う。本当の双子ならどうなっていたんだろう?

「…ん?…あ。…そうか…いい事、思い付いた!」

「…なんだ?」

試してみよう!

「ねぇ!ギル!私と手をつないで」

「は?なんで?」

「ちょっと試してみたい事があるんだ!」

左手を繋いで、イメージする。

「?!…なんだ?」

法力が体を伝う感覚に驚いたギルが身を引くと法術は途切れた。

「ああ、ギル。拒否されると繋がらないから…」

「なんだい?何をするんだ?」

バーディーが不思議そうに声をかければ、皆がこちらに集まりだす。それに伴い、ギルの集中はさらに散漫になった。

「ああ…えーと、後にします。僕、そろそろ戻らないと。バーディー、取り敢えず終わり次第、また来るから。ギル、一緒に来てくれる?」

私はギルの手を引いてテントを出た。



「…なぁ、ニル、おまえ、あの白い髪の無愛想な奴とその後、争ったりしないのか?」

俺と共にテントを出たニルに聞けば、ニルはキョトンとした。

「え。誰?」

「ほら、俺が戦った大男」

「ああ!ネイロス?…ネイロスの髪は白金だよ。ギル」

苦笑するニル。

「そんな細かいことは良いんだよ!どうなんだ?また決闘とか…なりそうか?」

「いや。それは絶対無い」

んだよ、無いのかよ!

「なーんだ…つまんね〜。でも、なんでそんな断言…」

つまらなくてその根拠を聞けば、ニルはアッサリと言った。

「だって、バレたから」

「は?!…どういう事だ?!」

「ネイロスに…あ、彼はネイロス・ウィンナイトって名前だよ。その彼に、僕が男性じゃ無いってバレたんだ」

「ど…どうやって…?」

あ。ヤバイ。これ、聞いて良かったのか?まさか…

「うん。なんか行動が怪しいって思われて…元々知ってる友達にカマかけたみたいで…バレちゃった」

な、なんだ。そういう事かよ。俺はてっきり…いや、それならいいや。バレたもんはしょうがねぇ。

「それでおまえ…追い出されるんだな?」

「え?ううん。ネイロスにも協力してもらえるって事で仲間が増えたよ」

自信に満ちた顔で指を二本立てるニル。

なんだそれ?

「え?どういう事だ?バレたんだろ?それでモメてんだろ?」

「ううん。取り引きしたんだ。僕が法術師としてネイロスの手伝いをするよ。って。それで黙ってもらえた」

「…なんのだよ?」

「それは…聞いてない」

「おまえ!聞いとけよ!下手に約束とかすんな!」

「確かに…。あ、でも、ネイロスだもん。悪い事には加担しないよ」

なんだよ…こいつは…。なんでこんなに無条件で他人を善人だって言えるんだ?そんなんでよく今まで生きてきたな。危なくてしょうがねぇ!

「それでね、ルームメイトであるネイロスに気を付けなくて良くなったから、気持ち的にもすごく生活しやすくなったよ。いやー、こんな事なら最初から打ち明けてたら良かったかも?」

「いや、おまえ…絶対、やめとけ!!世の中はな!善人ヅラした悪人で出来てんだよ!!誰も信用すんな!特にタダで親切装う奴は要注意だろ!」

「あ、…う、うん。なんか…そんなような事、違う人にも言われた。き、気を付けるよ…」

足を止めて真剣に諭せば、ニルは驚きながらも頷いた。

あー。もう、マジで…こいつ、こんなの5歳児でも知ってるぞ。早くムーンボウに来ればいいのに…!

川岸まで来ると、ニルは改めて正面に立って説明を始めた。

「それでさ、ギル。私達、お互い居場所がわかるようにしておきたいと思うんだよね」

「あ、ああ」

そりゃ、そうだ。

「それで…さっきのだけど、一緒に光玉を作ってみようと思うんだ」

「は?俺も?」

どうやって?

「僕が法術をギルに送って光玉を1つ作る。同時にギルからは僕の法術を使ってギルから僕に、もう1つ光玉を作るんだ。双子光玉だよ」

「…?…さっきのあの、変な感覚か?」

「うん。そう。あれが法術。拒否されちゃうと法術が繋がらないから、承諾してもらいたいんだけど、いい?」

「…なんか…よくわかんねぇ…。けど、それ…大丈夫なのか?」

さっき感じたあの感覚は、まるで湯が体の中を流れてくる感じだった。

「元々、人を治癒させるものだから大丈夫…だと思う」

おい。なんだ、その思う。って。最後の方!

ニルは向かい合った場所から距離を詰めてきた。

「わからないけど…信じてやってみよう!」

そして、手を取って力強く頷いた。

「…いや、それ…俺の方が言う言葉じゃねぇの…?」

なんでお前が張り切ってんだ?逆だろ?

「ダメ?」

いや、ダメって…おまえ…そんな顔で見んなよ。

「…しょうがねぇなぁ…」

何だかんだ言って、俺も人が良いな。たくっ!

いや、嬉しそうに笑うこいつに釣られて、もう面白くなってる。それがズルいんだよ!

ニルに任せて左手で手を繋ぎ、右手を上に向けられる。

「…これで?あとは?法術ってどうすんだ?俺は立ってるだけでいいのか?」

「うーん…なんか…あ。ギル、ちょっとだけ頭を前にうつむいてみて?」

「…こうか?」

言われるがまま下を見ると、コツりとニルが額を合わせてきた。

お、おぉ…マジか。すげぇ近いんだけど?

「あー。うん。いいかも。それじゃ、やってみるね。動かないで」

「お、おう…」

少しすると、左手から温かい湯が体の中に流し込まれるような感覚が始まった。

それは、コップに湯が満ちていくように体の中を徐々に満たしていく。外側の感覚と違って内側から流れ込んでくる感覚は初めての不可思議なものだった…が、それも体の半分もくれば、抵抗も無い。

そんな温かな感覚は全身を満たすと右手に集っていった。

巡った温かさが抜けていくのは平常に戻っていく体の安堵以上に、惜しむ気持ちがあった。

「…出来た…」

呟かれたその言葉に、目を閉じていた自分に気付く。

そして自分の右手には…白い小鳥の卵のような玉が置かれていた。

「ほら。同じ」

ニルが自分の手にも置かれた全く同じ白い玉を見せた。

「これが…?」

何がどうなるんだ?

「ちょっと離れてみよう」

ニルがそう言って斜めに離れた。

すると、手のひらの卵の尖った先端が、ニルを追うようにクルリと勝手に向きを変えた。

「え?…なんだ?」

ニルはそのまま俺の背後に回り込むと、卵の先端もくるーりと向きを変えていく。

「!…そうか!面白ぇ!これ、おまえの位置を示してるんだな!」

『当たり』

うわっ!!

「な、なんだ?!」

『聞こえる?』

頭の中で反響するようなニルの声がした。

「おい!どうなってんだ?!これ!」

戸惑って振り返ればニルは川を超えた対岸にいた。

『場所だけじゃなくて、額を付けて意思疎通出来るようにイメージしたんだ。成功したね!』

え?え?これ、どうやって返事すんだ??俺は…出来ないのか?

『使い方を説明するよ?いいかな?』

「お、おう!」

『この双子光玉はお互いの位置に頭を向ける。それを辿れば相手がいる場所に導いてくれるよ。交信するには卵を握って念じる…つまり、頭の中で呼びかけ…』

『こうか?!』

小鳥の卵サイズの石を握れば手の中にしっかりと収まった。ニルの言葉を待ちきれず、指示されたように倣えば、ニルに聞こえたようだ。

『そうそう。じゃあ、大丈夫だね』

川向こうのニルは手を振って、白いローブをはためかせると校舎へ去って行った。

手の平にある小さな小鳥の卵はニルの去った方角を指していた。試しに持ち上げて、あえて逆向きに置けばクルリと向きを変えて同じ向きを指し示す。

「……あいつ…マジで、面白ぇ!」

俺は興奮して叫んでいた。



急いで教室に戻る。

行き来でバレたく無かったから校舎が近付けば超速魔法をかけた。

戻るついでに午前中に干した赤竜の洗濯物を見に行けば、取り込まれていて何も干していなかった。

厨房に寄ってコップに水を注ぐ。そこにグレアにもらったローズマリーを挿した。休み明けに植えよう。

安心して教室に戻れば、魔法を解く。

開いたままの日誌。ペンを取って今、出来たばかりの光玉を追加で書き込む。

双子光玉…うまく出来た。法力は自分のものを使うから、相手に法力が無くてもいい。

法力を相手に途切れないように流し込んで、相手と自分を繋げる。

それでいて先端をそれぞれ結んで光玉の形にすれば、磁石のように相手の位置を指し示す。

日誌には方位磁石と糸電話のイラスト付きで書き示した。

これがあれば、相手は限定するけど連絡を取りたい時は容易くなる。

「…距離は…どのくらいまで行けるかなぁ…」

ペンを止めて双子光玉を机に置いた。

コロリと転がり、引きつけられるようにギルのいる一方向を指し示して動きを止める。

まぁ、そのうちわかるでしょ。

この双子光玉、スマホ同様、所持していなければ意味は無い。

あ。そうだ。先生に取られちゃったデッキブラシの和睦ちゃんで発動した2回目の範囲回復についても書いて置こう。

結局、2回目も和睦ちゃんに頼ってしまった。彫り込んだ和睦の名前に愛着も出てたんだけどな…。

「…………」

はぁ。…眠くなってきた。お腹も空いてきたし…。

ペンが止まり、思考も止まる。

私は日誌を閉じて鞄にしまうと、机に突っ伏した。

「スレイプニル」

と、間も無く名前を呼ばれてビクリ!と驚いた。

振り返れば、ローズ先生だ。

え。せ、先生、いや別にずっとダレてた訳じゃ…!

これ、勉強してて親が部屋に入ってくるタイミング悪いあるある。

「あ。あのっ!…違うんです!…す、すみません…」

怒られる前に謝っちゃう。

「来なさい」

しかし、先生は少し疲れているのか、静かに呼ぶだけだった。

え?どこに?

戸惑いながらも席を立つ。双子光玉もポケットにしまった。

あ。鞄…いるかな?

場所を変えるなら鞄も持って行かないと。

私は一瞬悩んだけど、鞄も一緒に持って出た。



審議は案の定、紛糾した。

事の詳細を確認する為に、各チームの主導者がそれぞれ呼び出され経緯を確認した。

〈ブラックスター〉に特別な事は無い。問題はクストが主導した〈クレシェンド〉だ。

あの強烈な閃光を発した光玉…そして、フィールド内への外部からの範囲回復…事実、範囲回復はあった。

しかも、それはフィールドだけでなく、観客席も丸ごとという規格外の広範囲で。

通常であるならば、反則で失格。罰則が付く。

しかし、「光玉は持ち込み可能品で実際、隠し持っていたわけでなく、申請とチェックを受けた。それをどう使おうがチームのアイディア次第だ」と言う者と、「あの光玉は普通の光玉とは異なり新兵器とみなす」と主張する者もいる。

範囲回復の行使においても、「範囲回復の慈雨が降る前には決着が付いていた。決着後を回復したなら違反では無い」という意見と、「試合の判定は審判の目視で終了とみなす」という主張。そこに、「では審判はあのまま慈雨無しに回復して確認出来たのか?」という話になり、「一般観客もいたわけで被害を考えれば回復を優先すべきだ」という話から、「それでは、そもそもあの光玉は無差別の新兵器ではないか」という議論に戻り…

皆が終わらない議論に疲れた時、特殊な光玉も範囲回復も、元をたどれば1人の生徒…つまりはハートのキングだった事に改めて話題に上がってしまった。そこで審議会は、彼の呼び出しを命じたわけだ。

ローゼフォンとしては「1年生が3年生の指示に断れなかっただけだ」と拒否したが、今後の対応も踏まえて当事者に意見を聞かねば終われない空気に、仕方なく折れた。

迎えに来た白竜の教室には1人…大人しく日誌にペンを走らせる白い雛がいた。

ローゼフォンが開けた扉の音にも気付かずに、熱心に何かを考えながら記録している。

「…距離は…どのくらいまで行けるかなぁ…」

独り言を呟き、更にペンを走らせる。

そして、息を吐いて、書き終えると日誌をしまって、突っ伏した。

そこで名を呼べば、ビクリと体を揺らして振り返り、叱責を恐れる目で謝ってきた。

ああ…こいつに罪があるのか?法術を純粋に探求して、想像を直に具現化する稀有な才能を持つコイツは、いつだって悪意でしているわけじゃない。

肩掛け鞄を下げて、並んで歩く奴はどこに向かうのか不思議そうにチラチラとこちらを伺いながらも素直についてくる。

「…スレイプニル…」

「は、はい?」

「おまえはここで学びたい。と言っていたな」

「…はい」

「もし…いや…」

余計な事は言わない方がいいな。

言いかけた言葉を打ち切れば、スレイプニルは不安そうに肩を落とした。

「ああ、心配するな。おまえの後見人は俺だ。これでも切れるカードは最強だからな」

そう言って笑えばスレイプニルは戸惑っていた。

「これから審議会でおまえが関わった事について聞かれる。おまえは素直に答えるだけでいい」

「…え。でも…」

肩掛け鞄のヒモを掴んでスレイプニルは俯いた。

「おまえは悪意でしたわけじゃ無い。それなら胸を張れ。堂々としてろ。失敗したっていいんだ。ここはそれを教える場所だからな。そして、俺たち教師はその失敗に対して考え、導くのが仕事だ」

「…先生…」

「おまえが主張した事を、おまえ1人に責任をとらせるようなら、おまえがここにいてやる価値は無い。万が一、そうなれば困るのはお前じゃない。なぜだかわかるか?」

「…いいえ」

「学校は稀有な能力をもつ者を2人も失う事になるからだ」

スレイプニルは不安そうに黒い目で見上げてきた。

「?…すみません…よくわかりません…」

「おまえは質問された事に、そのまま答えればいい。それだけだ」

「…は、はい」

「…それから…帽子は取れ」

礼儀上の脱帽は元より、その帽子についた紋章が邪魔になる。

スレイプニルは素直に帽子を脱ぐと鞄にしまった。



そして、その部屋の前に着くと先生が扉を開けた。

意見の飛び交っていた室内の視線が一斉にサッとこちらに向いた。

う…うわぁ…。

広い会議室にはコの字型に2列で机が並び…そこに出席していたのは、四竜全学年の講師の先生達と…いかにも高位の学校関係者らしい経営者風の、ある程度年配の方々。

大人達の視線が一気に私に集まった。

白竜はシェダル先生、赤竜のリオト先生、青竜のアルマク先生、黒竜のメルセデス先生もいる。

その他、全然知らない先生もたくさん…。

ざっといる30人くらいの人々は、むしろ知らない先生の方が多かった。

ど、どうしよう…緊張する。

「スレイプニル。白竜のハートのキングだね。前に来なさい」

コの字の机の中央に座る年配の男性が私を部屋の中心へ呼んだ。

さ、裁判でもされそう…。

躊躇すれば、ローズ先生が私の肩を軽く押して促す。進み出れば、先生は自分の席に戻った。

議長席なのか、席の中央にいるのは初老の男性と左右には中年のレムリア人男性。

あ、そのうちの1人は入学式で校長先生かと思った人だ。

「さて、スレイプニル。君にはいくつか聞きたい事があるんだが、正直に答えてくれたまえ」

「…は、はい」

「まず…あの今日の光玉は君が作ったという事で間違い無いかな?」

「はい」

頷けば、初老の男性は続けた。

「あれは、法術師なら誰でも、いつでも作れるのかね?」

「…わかりません。でも、失敗したと思います」

「ほう。なぜだね?」

「光が強過ぎたからです」

「なぜ?光が強過ぎたらいけないのかね?」

「…僕、試合の作戦を考えた時に…誰もケガをしないで決着がつくようにと考えました。でも、あれは光が強過ぎて人々の目を傷めます。観客席を失念していたんです…。もっと、範囲を限局した光量にすれば良かったのに…イメージが悪かったんです」

「イメージ?…」

「超新星爆発です」

「?…それはなんだね?」

「星が一生を終えた時に、星の内部の核が崩壊し大爆発を起こす現象です」

ザワザワと周囲が騒めいた。

「星…なるほど。聞きしに勝る変わった子だ…」

初老の男性は驚いたように嘆息した。

「すみません…作るその時に丁度いいイメージが思い付かなくて…雷で良かったのかも…?」

「…君はその後、競技場全てを覆う範囲回復をしたね?」

「はい」

「あの範囲を…君が1人でした事かね?」

「…途中で、観客席への影響に気付いて…デッキブラシを持って来ていたんです。だから、そうです」

「デッキブラシ?」

「理事長。媒介です」

ローズ先生が補足した。

「あぁ。媒介か。いやはや。掃除用具でも良いとは…知らなかったな。ローゼフォン、法術はそうなのか?」

「違います」

「そうか。では、メルセデス、魔法ではあるのかね?」

「…さて?好んで使う者を聞いた事は無いですが、理論的には可能です。非常に興味深いので、ぜひ見せて頂きたい」

「断る」

「ローゼフォン、隠すような事かね?」

「メルセデスに付き合っていると時間はいくらあっても足りません」

「なるほど…。では話を戻そう。スレイプニル。そもそも、1年生であり、参加資格の無い君がなぜ模擬戦の作戦をたてる事になったのか…君から聞かせてもらえるかな?」

「…僕、先輩達に仲直りしてもらいたかったんです。クスト先輩とナタル先輩はずっとお互いを無視してる。それは組が違うからとか、そういう事じゃなくて…和解して欲しかった。僕、二人と話をして、お互いが相手を気にしているって気が付いたから…だから、きっかけになれば良いと思ったんです」

「…理事長…。彼の申し出は由々しき事です」

進言したのは青竜の先生だ。

「…どの辺でかね?」

「模擬戦と言えど、戦は戦。遊びでは無く、お互いの命が掛かった真剣勝負です。そして、作戦立案はその重要な要です。外部の者が安易に入っていいものでは無い。ましてや、個人的な私情、私欲を挟むなど…それを受け入れた3年生にも大いに問題があります」

「なるほど。先生の言う事も道理だね」

「戦だからこそ、だろ?」

リオト先生が割って入った。イスの背にもたれかかるようにして腕を組んで座っている。

「そもそも戦なんて私情、私利私欲なわけで…コイツの作戦は、より被害が無く、早期に決着をつけた良策だ。現に、ダブルスコアだぞ?あの無敗のダイヤのキングに。しかも、その光玉は審査に通っている。違反じゃない。戦をする上で、いい策があるのに自分の案じゃ無いからと使わないなんて、その方が由々しき事態…そうじゃないのか?」

「戦に協定があるように、模擬戦にもルールがある。それを反しては道義にもとる」

「ハッ。殺し合いに道義もねぇよ」

「混沌としかねないからこそ、道義が必要だ」

リオト先生と青竜の先生は見事に対立していた。

「やれやれ。これではまた、堂々巡りだね。では、もうこうしようか」

理事長と言われた初老の男性は手を上げて両者の話を遮った。

「〈ブラックスター〉と〈クレシェント〉は再試合を行う。もちろん、光玉はナシだよ。ただ、光玉を抜きにしても、いい動きをしていた生徒もいたから、それは個々に加点した上でね。…どうかね?」

理事長の提案に、異議を唱える先生はいなかった。

「うん。良かった。では…最後に、スレイプニル。君に対しての処分だね」

飄々とした物言いをしながら理事長は机の上で手を組んだ。

「…僕の…」

処分…。

「理事長。彼はまだ1年生です。学んでもいない道義を問われるのは公平ではありません」

「学んでいなくても、関わりのない事に首を突っ込んだ責任はあるね。何かを行うには責任が生じるものだよ。特に、彼は言ったね?観客席の事を考えていなかった。と」

それは確かにそうだ…。

「彼は確かに他の生徒とは違う。今までこんな事はあり得なかった。いやはや…前代未聞だよ。傷付けたく無いと言いながら、結果、模擬戦に参加したチームよりも何倍の人を危険にさらした。それがどういう事か…わかるかね?…君はどう反省したら良いだろうか?」

それは……そうだ…また…やっちゃったんだな…。

「…………」

この私に…誰かを救えると思ったのは…間違いだったんだ…あぁ…沈む…心が…沈む…重く…暗く…深い…冷たい場所に…。

私は、どうしようもなく、愚かだ。

「…ご…めんなさい…僕…ぼくは…」

声が…かすむ…鼻の奥が熱い…。

「僕は…もう…法術は…使いません…」

光玉ですら人を傷付けるなんて…そんなの法術師じゃない。

「理事長、審議の中断を願います」

ローズ先生が立ち上がって声をあげた。

「法術を使わない?それはどういう意図かね?」

冷静に問う理事長はローズ先生に構わず問いかける。

「僕は…僕には…法術師の資格がありません…光玉で人を傷付ける法術師なんて…そんなのおかしい」

私は首にかかった白銀の登録票を外して理事長の机に置いた。

「スレイプニル!」

ローズ先生が私に近寄ろうとした。

もう…いいんだ。

「ご迷惑をおかけしました」

ペコリと頭を下げて、私は会議室の窓から飛び降りた。

あぁ…結局…私は…私には法術師なんて無理だったんだ。

そりゃ、そうだよ…。だって、そもそも男じゃ無いし。追われる身で教会に登録ってムリがある。デボラを石化させといて…誰かを救えるもんか。

窓からフワリと着地して、校庭を歩く。

幸い鞄の中には一通りの荷物が入っている。学校に戻れなくても問題は無いから、このまま去ろう。

ナタル先輩に勝手に消えるなと言われていたけど…私のせいで模擬戦にダブルスコアで負けちゃったし、きっと怒ってるだろうし、もう協力してくれないだろうなぁ。…ネイロスは私が退学になったら安心するかな?…タナトスは…大丈夫かな…それは心配だな…。

アイティールは…ごめん。グリフォンの証は近日、お屋敷にそっと返しておくからね…。

歩く道すがら、学校で会った人々を思い浮かべる。白竜の皆にクスト先輩。

クスト先輩は再試合、今度こそ実力でナタル先輩と対峙するだろう。私のせいで特別な罰則が付かないと良いけど…。

去る道を、風の仕法や補助魔法の超速移動は使う気になれなかった。逃げてるみたいにしたくなかったし、何より現実問題、気力がヤバイ。

今更だけど、緊張が去れば気怠さと眠気がクタクタの心に呼応して、のしかかってきた。

和睦ちゃんの範囲回復と、双子光玉。行き帰りの超速移動、そこでかなり疲れていたのに、さっきの窓から降りた時の風の仕法で、ズシリと来た。

ああ、まずい…このまま泥のように土に溶けそう。

どこか…少し、ちょっとでも休める所…

徐々に働かなくなる視力と頭に急いで横になれる所を探した。



「いやはや…。いつも大人しい者ほど、怒らせたら厄介だねぇ…」

理事長はこめかみを抑えて嘆息した。

会議室の扉は大きく開け放たれていた。白銀の鈴が付いた法術師の登録票を手に、ローゼフォンが飛び出して行ったからだ。「彼を手放すならば、私も辞めます」挑むような目でそう言い残して。

「り、理事長!まずいですよ!ローゼフォンは教会からの推薦者ですよ?それに!彼がいなくては模擬戦どころか日常の訓練すら危険です!」

「……学長。すまないが、教会に経緯を伝える手紙を書くから、君が届けてくれないかね?パンタソス様なら一方的に閉ざす事は無いだろうが、説明は早い方が良い」

「かしこまりました」

「審議会は解散だ」

理事長がそう言って席を立って学長と退出すると、教師の面々はそれぞれだ。席を立つ者、そのまま話込む者、多くはハートのキングと白竜顧問の行動に面食らって動揺しているようだ。

「…リオト先生。ハートのキングが使っていたと言う媒介がどこにあるか、知っていますかね?」

噂に加わらず早々に立ち去ろうとしていた赤竜顧問のリオト・ベネトルシュに、メルセデスが貼り付いた笑顔で聞いてきた。

「…ああ。あれなら…そこの用具入れに突っ込んでたな」

リオトは興味無さそうに部屋の片隅にある用具入れを指差した。

「それはどうも」

いそいそと確認に向かうメルセデスの様子に、リオトは興味本位でその背後を見守った。

メルセデスが用具入れを開ければ、確かに様々な物の中でデッキブラシは1本だけあった。

それを手に取り、メルセデスが何かに気が付いた。

まるで幻の秘宝であるかのようにそのデッキブラシを眺めた。

「…………」

彼の、黒緑の艶を放つローブが細かく震えた。

「…メルセデス?どうした?」

震えは肩から大きくなり、デッキブラシを持つ手がまるで寒さに凍えるように大きく震えている。

「(…いいえ。そんなはずは…。いや、しかし…)」

デッキブラシを握りしめてブツブツと何かを呟くメルセデス。

元々、おかしな奴だが、今は輪をかけて様子がおかしい。

「掃除用具がどうした?」

奴はデッキブラシの柄を握り、刻まれた模様を愛おしむように丁寧に指でなぞっていた。

メルセデスを覗き込めば、その様子にリオトは本能的に身を引いた。

コイツ…狂ってるのか?

メルセデスの表情は明らかにおかしかった。

歪んだその笑みはいつもの貼り付いた対外的なものはなく、奴の心の中の、黒く渦巻く狂人的で錯乱にも思えるものを垣間見た気がした。

「…ああ、ローゼフォンは彼を連れ戻してくれるでしょうかね…さもなくば…」

メルセデスは焦点の合わない目で、フラフラと会議室を出て行った。

その腕に、まるで悲願の物を与えられたかのように、デッキブラシを抱えながら。



ローゼフォンは廊下を走り白い雛の後を追った。

引っ掴んできた法術師の伴侶犬の鈴首輪の鈴が鳴る。

なんでなんの確証も無い退学の恐れから、法術師まで辞める必要があるんだ!

アイツは俺の話を聞いて無かったのか?!どうしてすぐに手放すんだ!あんな顔して喜んだくせに!

首輪の他に引き綱も必要なのか?まずは勝手に飛び出さないように引き綱をつけるしか無い。

お手やお座りは教えなくても出来るのに、呼び戻しと待てをしっかり教えなくては。

あ。いや…それは犬の例えだが…。落ち着け、俺。

校庭に出て見渡しても、窓から飛び降りて歩き去った雛の背中は見えない。

街に出る校門へ足を向けても、それらしい影は全く見えなかった。

チッ。どこだ?逃げ足は本当に早いからな。馬車を使う事もあるか?

待機している馬車の中に、グリフォンの印を見つけた。もし、あいつを見つければ御者が気付いて放っておかないだろう。

引き返すと、シェダルが慌てて後を追って来ていた。

「先生!…上から見てました。こっちです」

シェダルは会議室からスレイプニルに去った方角を見ていたようだ。案内されて向かえば、校庭から外れた寮の裏側へ出る。

「こちらに来たのは間違いないのですが…」

シェダルは周囲を見渡した。ここから先は死角になって見えなかったのだろう。

注意して見渡せば見覚えのある白い布が物陰からわずかに見えて、シェダルに無言で指差した。

それは資材が積み上がった一角。屋外で使う道具などが入った大きな木箱だ。

「(静かに)」

こちらに気付いてまた飛び出されては手間だ。

音をたてないようにそっと近付けば、積み上げられた二段目は大きさの違いでキチンと収まっておらず、人一人、横になれるほどの空間が出来ていた。

「スレイプニル…こんな所で丸まって…犬か。おまえは」

退路を塞いで声をかけた。が、一向に応じないので拗ねているのかと思えば、昏睡していた。

「…気力切れだ」

シェダルに伝えれば、「あぁ…」と納得していた。あの広範囲の範囲回復に思い至ったからだろう。

「シェダル。済まないが、馬車を手配してくれないか?出来れば王族に気付かれないように」

シェダルは頷いた。

「…先生…先生はどうされるんですか?」

不安そうなシェダル。

「…私は、少しの休暇だ。いい機会だろ。コイツを説得しないとな。教会には連絡する」

「お願いします…」

願うようにシェダルは言って、馬車を手配しに行った。

ひと気のない静かな校庭の裏は沈黙した。

資材に腰を下ろし、隙間に隠れて丸まって寝る白い雛を見下ろせば…無垢で穏やかに眠る少年。

「(さて…どうやって躾けたものかな…)」

多感で反抗的な十代の若者を相手にしてきた。それでも、こいつは輪をかけて一筋縄でいかなそうだ。

赤竜みたいに、拳で済んだらある意味、苦労は無い。

白竜や黒竜は、赤竜や青竜のように、わかりやすくグレる奴は少ない。一時、反抗的になる奴はいても大体は、自惚れや挫折によるものだ。

特に自惚れが出やすい黒竜では、メルセデスが度々、生徒を締めている。

白竜は挫折でヘコむ奴が多い。また、白竜の特性から他者からの中傷に傷付く奴もいる。

それが今回は…出来すぎてへこむ奴なんて、どうフォローしたものか。…特にコイツは言葉一つ間違えただけで、全てを捨てる。

あれほど喜んだ登録票なのに、それを少し責められたくらいで返上して、退校するくらい極端だからな…。

「………」

人目に触れないように身を丸めて隠れる雛を見下ろして、少しだけ見えていた白いローブが風に揺れた。

まるで尻尾のように見えたそれは頭隠して尻隠さず。詰めの甘さに苦笑した。

…休みの間に…球技でも誘ってみるか?

ローゼフォンが悩んだ時、よく父親が球技や遠乗りに誘ってくれた事を思い出した。



ガタガタと揺れる。

沈んでいた意識が浮かべば、その揺れに不快になる。

なんなの?揺らさないで。起こさないでよ。眠いんだから。こんなに寝づらい所だった?

構わず無視して意識の中の眠りの布団に潜り込もうとすれば、頭に誰かが触れた気がした。

いや、それはダメ!!え…誰かいる!!

気合いで目を開けた。誰かがいる気配。しかもすごく至近距離に。

ガバっと身を起こすと馬車の中だった。

身を起こしたせいか、何かが床に落ちてシャランと軽やかな金属の音がした。

拾いあげるその人物は…

えぇ?…ろ、ローズ先生…。なぜ?なんで?ここはどこだ?なんで?

「スレイプニル…何か言いたい事はあるか?」

拾い上げたそれ…教会の登録票を手に、ローズ先生は馬車の座席に座って静かに聞いた。

先生は法術師が着るローブでは無くて、学校で着ていた白衣のままだ。

「…な、なんで…僕…えー…と…?」

ダメだ。頭が働かない。完全に寝起きと寝不足だ。言いたい事?えーと…

「無いな」

ええ?!先生!ちょっと!待って。時間短すぎ!

「え。いや、どこ行くんですか?」

それは言いたい事じゃ無くて、聞きたい事だけど。

「おまえは人の話を聞いているようで聞いていないようだから、今何かを教えたところで無駄だろ」

サラリと言うローズ先生。

え…えぇ?!な、なんの事?!

「だが、法術以外の覚えは悪くても、わからない奴に根気強く教えるのが教師の務めだ。聞け」

は、はぁ。

「俺はおまえに…おまえが主張した事を、おまえ1人に責任をとらせるようなら、おまえがここにいてやる価値は無い。万が一、そうなれば困るのはお前じゃない。と言った」

「……は、はい」

「まぁ…おまえの場合、主張もせずに言いなりで悪い方に転ぶから、論議のしようもないわけだが…それは、俺も理事長に同情する」

え、な、なんの話ですか?

眠い目をこすれば、先生が釘をさす。

「まだ寝るな。…スレイプニル。おまえ、学校にいたかったんじゃないのか?なんで議論もせずに手放すんだ?」

「……僕には…資格がありませんので」

「それを決めるのはおまえじゃない。勝手に判断するな」

「…でも、光玉ですら人を傷付ける法術師なんて、法術師と言えません」

「おまえな。傲慢だぞ」

「え。ぼ、僕が…?」

「他の奴は、何度も何度も挫折して、練習を積み上げてようやく習得する。それが法術だ。法術に限った事じゃないが…皆、自分の中の可能性なんてわからない。それでも、諦めずに何度だって努力する。そうして手に入れたものってのは、自分の大事な一部だ。おまえがしてるのは、止むを得ず盗んだ罪を自分の手のせいにして、手を切り落とすようなもんだ」

「えぇ…?」

「おまえの場合…習得が早い分、見切りも早い。他に者にとっては一生を捧げるような能力を、おまえは些細な不手際で捨てようとする。おまえが今後、救うはずだった命はどうなる?その者にとって、おまえのその行動は納得して許せるものか?」

「で、でも!」

「一時的に批判されたからと、それが全てと思い込むな。成長のための通過儀礼だ。理事長が言いたかったのは問題に対して、おまえがどう考え、今後どう変化していったらいいかを自分で考えてみろ。という事だ」

「…………」

「それをおまえは全否定されたとコレまで手放すとは…理事長も面食らっただろうなぁ」

ローズ先生が持つ登録票の鈴がシャリンと音をたてた。

「…………」

「だが、丁度いい。俺もお前とサシで向き合う必要があったからな」

「え?…あ、あの…」

ど、どういう事でしょうか?

「理事長に言った。おまえを手放すならば、俺も辞める。と」

はぁぁぁぁぁぁ?!

「ダメですよ!!」

なに言っちゃってんだこの人は!!

「おまえ、他人の事言えるのか?自ら勝手に手放して窓から飛び降りる奴に」

プラプラと私の登録票を揺らしてローズ先生は言った。

「だって!先生は先生じゃないですか!白竜の皆はどうなるんですか?!」

「……まぁ、授業の代わりはいる。復活の法術に関しては難しいかも知れないが、必要あらばその時に出向いたって良い」

わたし…口、パカーン。開いた口が塞がらない。

え。なんでそうなるの?なんでほっといてくれないんだ…。

「言っただろ?おまえを手放して、困るのはおまえじゃない。学校だ。おまえが辞める時は俺も辞める。それが後見人だ」

「それは僕が困ります!僕の事情に先生は関係ありません」

「そうか。諦めろ。関係無いという事は無くなった。おまえの行動の先には俺がいる」

ええぇぇ?!な、なにそれ…めちゃくちゃ重たい…なに、これ…鎖をつけられた感じがする…。

それは先生が手にしていた登録票のチェーンを私の首にかけようとしてきたから、余計に。

教会の首輪、からの引き綱=ローズ先生の進退

いや、これはダメだ!そこは断固、拒否しなくては!!

馬車の中、精一杯、身を引いて拒否した。

それでも先生は犬に首輪をかけるように遠慮なく身を乗り出してくる。

私は先生のその手を掴んで阻止しようにも、その腕力に…どうしよう。力比べではあっさり負けそう。

いや!ちょ!ちょっと!先生!力技は卑怯ですよ!!そんな綺麗な格好してても中身は男性なんだから!

「やめてください!今つけたって、僕は外しますよ!」

もともと、卒業なんて出来ない虚偽だらけの戸籍だ。そんな一時的な在籍に、先生の教師生命をかけられたら堪らない。私の実情に後見人という制度が重過ぎる。

ハッキリ拒否すれば、先生は動きを止めた。

「…………」

沈黙し、私を見下ろす緋色の目。

「…すーぷーちゃん…そんなに…そんなに俺が嫌なのか…」

先生は傷付いた顔をして身を引き、席に座った。

「え。…い、いや、そう言う事じゃ無くて…」

「そうだよな…。俺はこんな見た目だしな…。そんな奴が後見人なんて、恥ずかしいよな…」

え。せ、先生?ど、どしたの…?

「俺は…おまえが引き受けてくれた時は、すごく嬉しかった…。女装の変態だって言われている俺でも…後見人が出来るんだって事に…。おまえの力になれるんだって…思って…いたのに…。そうだよな…。俺なんかじゃ…おまえは恥ずかしいよな…」

うっ。と先生は顔を覆った。声が震えている。

「せ、先生!…そんな事あるわけないじゃないですか!」

誰が先生を変態だって言ったんだ!そんな奴、相手にする事ないよ!!

「いいんだ…。無理強いして…悪かったな…。おまえも、無理しなくたっていい…。聞き分けのいいお前のことだ…。無理して…俺の変態に話を合わせてただけなんだろう…」

先生…泣かないで。そんな事無いよ!誰がどんな格好したって、いいじゃないか!

「そんな事ありません!僕は一度だって、先生をそんな風に思った事は無いです!」

緋色の先生の目から涙が流れた。

「…いや、だが…。嫌…なんだろ…?」

う。いや、それは…そうじゃなくて!

「そ、それは僕の都合に先生を巻き込みたく無いって言うか…先生は、ずっと先生でいて欲しいから、迷惑を…」

「迷惑…?俺が邪魔か…。そうか…」

「違いますって!」

「良いんだ。今までも他のやつらから、言葉では肯定的な事を言われてきた…。だが、実際の腹の中はそうじゃない…。おまえがそうだったとしても、責められない…。気付かなくて…悪かった…」

せ、先生ー!!

「そんなに言うなら…いいんですか?!先生!!僕は、何でも問題を起こす厄災ですよ?!」

「……良いじゃないか」

「何が良いんですか!」

「災いは一転すれば幸いだ。見方を変えれば機会(チャンス)にもなる…。でも、おまえこそ、俺が厄災なんだな…。おまえなら…わかってくれると思って…勝手に期待してたんだ…。変態の俺が後見人じゃ、嫌だよな…」

再び顔を覆う先生。手にした鈴がシャランと鳴った。

「………先生…僕は…誰がなんと言おうと、自分の好きなことは好きでいいと思うんです。それは誰に文句を言われるような事じゃない。だから、僕は…先生を応援します」

「…すーぷーちゃん…」

先生、泣かないで?女装だっていいじゃない。この世界じゃ公に誰もしてない事だけど、きっと隠れてやってる人だっているよ?それにさ…女装がダメで男装はセーフなんて無いじゃん?

見苦しいならまだしも、先生はなまじ一般女性より綺麗だから、むしろ有りでしょ!

先生は恐る恐る登録票を差し出した。

「…こんな俺でも良いのか?」

「先生…先生だから嫌だなんて事は絶対ありませんよ」

それは胸を張って言える。

「本当か?…いや、合わせてるだけだろ…」

「先生。僕は先生が僕の先生で本当に良かったと思っています。他のどの先生よりも、僕は何度だってローズ先生を選びます」

「すーぷーちゃん…」

先生は嬉しいような安心したような顔で微笑んだ。

「…では、これを。知っているか?登録票には後見人の名前も刻まれているんだぞ?それでも本当に良いと言えるのか?」

「そんな事を嫌だと思った事はありません。先生は良いんですか?」

ローズ先生は私の首に登録票をかけた。

「…それこそ、何度でも言おう。望むところだ」

ハッキリと言い切り、緋色の目が力強く笑った。

あれ?…先生…なんか、…あれ?…え。気のせい?



「さて、着いたな」

馬車が目的地に着き先に降りれば、スレイプニルは馬車から恐る恐る顔を出した。

その首にかかる白銀の札。

いや、誰かがよく言ったもんだな。押してもダメなら引いてみろ。と。

強引に首輪をはめても、反発するだけだ。自分から選ばない限り、強制されたものは続かない。

…ドギー…。おまえの最期を想像して泣けた涙が役にたった。ありがとな。

今度、友人の家には上等な骨付き肉を贈ろう。無駄にはならないだろう。

「あの…先生…ここはどこですか?」

戸惑いながら聞いてくる黒い目はキョロキョロとせわしなく動いている。

「ああ、ちょっと待て。今、聞いてくる」


先生はそう言って先に庭の門扉を抜けて行った。

乗ってきた馬車は先生が御者に会計を済ませれば、もう走り去っている。

周囲を見渡せば、綺麗に整えられた庭付きの同じような戸建の家が連なって建っている。

多分…普通か、それよりちょっといい所の住宅地。2階建のレンガの家は庭も含めて丁寧に管理されているようだ。

アイティールのお屋敷は広すぎるけど、家族が普通に暮らすならこのくらいの規模があれば充分だろう。

アイリスとか、こんなお家の普通の家庭に生まれたなら…寂しくなかったかも知れないな…。

門扉から見える庭…そこに育っている草花は家主の性格を示している。

鑑賞を目的とした花の他に、実用的なハーブが自生しているように生えていた。一年を通じて何かしらの花が楽しめるように造られている。

…あ。鳥の餌台がある。…全体的に…いい庭だなぁ…。

人間側の都合だけじゃなくて、ある程度、自然に任せてる。門扉の外側から見える庭は人の手が加わりながらも草花が生き生きと陽の光を浴びていた。

「スレイプニル」

あ、中から呼ばれた。入って来いってこと?…ここ誰の家なんだろう?

門扉から家の敷地に入れば、歩きやすく整えられたアプローチを抜けて玄関に進む。途中、可愛らしいうさぎの置き物や小鳥の置き物が配置されていて、とても女性らしい事に気が付いた。

ハッ!!まさか…先生の…彼女?!

そう思うと緊張して来た。

な、なんだ…先生…先生の将来のお嫁さん候補の家とか?…え。ど、どうしよう。なんか、ためらうな…。

気持ちに連動して止まった足に、開け放たれた玄関の扉からローズ先生が顔を出した。

「なんだ。来なさい」

促され、仕方なく肩掛け鞄のヒモを握っておずおずと玄関口にたどり着く。

出迎えてくれたのは…

「……………」

その人は、夕陽のような髪を後ろで結い上げていた。柔らかな眦に赤い目を大きくして、こちらを見て静止している。その年齢は…あれ…一見、30代かと思ったけど、もっと上…?

え。…まさか…この色…先生のお母さん?

「…こ、こんにちは…」

「……。ローゼフォン…」

女性は私を凝視したまま、斜め向かいの先生を呼んだ。

「なに?」

あ。先生の素の反応。やっぱりお母さん…だよね?

「ちょっと。…ちょっと、来てちょうだい」

「え。なに?なんだ?」

女性はローズ先生を引っ張って部屋の右奥に消えた。

な、なんだろ…聞いちゃマズい事かな?

私は会話が聞こえるのが怖くて庭に出た。

「………」

先生はなんでここに連れて来たんだろ?…今日は、日が暮れる頃にはムーンボウに行って…それからどうしよう?アイティールのお屋敷に行っても良いけど…学校を辞めたって言ったらアイティールはガッカリするかな?…それとも、怒るかな…。

でも、実際、ずっとアイティールのお屋敷でお世話になるわけにはいかないから、ここら辺で良いタイミングかも知れない。

…最悪、ムーンボウの楽屋に泊めてもらおう。そう考えれば…なんだ、どうとでもなるな。

陽射しがポカポカと暖かい庭。ベンチが置かれていたからそこに座らせてもらって、先生を待つ事にした。

草木が風に揺れ、小鳥がチチチ…とさえずれば、気持ちは穏やかになった。



「(ちょっと!学校の生徒だって言って無かった?!)」

私の質問にロズは困惑している。

「いや、だから…そうだけど?白いローブも着てただろ?」

「(いや、着てた。うん。着てたね。違う!いや、服装なんて問題じゃないのよ!おまえだってそんな格好してるんだから!)」

「…叔母さん。何が言いたいの?」

ロズは困惑したまま言った。

ええ?これ、私の目がおかしいのかい?こっちこそ、逆に困惑なんだけどね?!

「突然の申し出だし…迷惑なら…」

「ちょっと!誰が迷惑だって?!期待させといてキャンセルされる方がガッカリ迷惑よ?」

ロズの言葉を遮って文句を言えば、ロズは苦笑した。

大きくなった声に自分の口を押さえる。

「…と、とにかく、あなたの…白竜の生徒で…問題があってウチでしばらく預かるって事ね?」

「そう。ついでに俺もいいかな?」

「………え。ドユコト?」

目が点になっちゃう。あんた、仕事はどうした?

「それはこれから話すよ。出来れば簡単な昼食も、もらっていい?」

「なに?食べて無いの?もう!早く言いなさいよ!あの子も?」

再び苦笑する甥っ子に、なんでこんなに急なんだ。と文句を言う時間も惜しい。



「え。ちょっと!大丈夫なの?具合でも悪いんじゃ…」

近くで聞こえた女性の大きな声に、意識を戻した。

「いや。気力切れだよ。…すーぷーちゃん、起きれるか?」

ベンチから身を起こす。

今はわずかな時間も油断したら寝ちゃう。

「…すみません。お話は、終わりましたか?僕、夕方には用事があって…」

「用事?…言っとくがアイティールに会うのは却下だ」

ローズ先生の目がしかめられた。

「い、いえ…そうじゃなくて…」

「え?なんなの?ちょっと、教えて?初回の人物紹介からね?」

グイグイ身を乗り出して来る、この女性は…なんて言うか…好奇心旺盛って言うの…?

戸惑えば、ローズ先生が紹介してくれた。

「スレイプニル。彼女は俺の叔母だ」

「どうも。甥っ子がお世話になってます。私はマリーよ」

気さくなその女性はご機嫌で私の隣に座った。

「え、ええっと…お、お世話になっているのは僕の方で…スレイプニル…です」

挨拶すれば、マリーさんは笑ってローズ先生をみた。

「スレイプニル…ねぇ、ロズ。あなたさっきこの子の事、何て呼んだの?」

「…すーぷーだ」

「すーぷぅー?」

マリーさんの目は輝いた。

「アッハッハ!いいわね!この子に合ってる!」

え。合ってる?…合ってるのか…。なんか、明るい女性だなぁ…。

「え。ロズ、あなたが付けたの?」

「いや。3年生のクストだ」

「ああ。あの子ね!もう3年生か。早いわねぇ…。あ。ここじゃ、お茶も用意出来ない。おいで。中にお入りなさい」

嬉しそうに笑うとマリーさんは私達を招き入れた。

家の中はキレイでキチンと整えられていた。壁には見事な花の刺繍がいくつか額に入って飾られていて、家の中も鉢植えで観葉植物が育てられている。ダイニングテーブルの上にはグラスに活けられた可愛らしい庭の花。収納に籠のバスケットを使っていたり、ソファーには無地のクッション、ブランケット。出窓にはレースのカーテン、吊るされた鉢から緑の植物がカーテンのように流れている。窓際にはモビールのような飾りがぶら下げられていた。

…なんか…とても、女性らしい家だ。

「あれ…?犬…」

家の中の3人がけのソファーには人では無く、うす茶色い犬が大人しく眠っていた。

「ああ…ボジャーよ。彼は、もうおじいさんなの」

「ボジャー。久しぶりだな」

ローズ先生が近付くと、ボジャーは起きて盛大に尻尾を振った。先生が豪快に首を撫でると、犬のその首に白銀の鈴がついていて、シャリンと鳴る。

「あ…もしかして同じ…」

ローズ先生はソファーに座り、喜び擦り寄るボジャーを構っている。その姿は学校の先生じゃなくて、普通に…お兄さんっていうか…。

「え。…ちょっと…すーぷーちゃん!なんてもの首に下げてんの?!」

マリーさんがギョッとして私の首にかかる登録票を見た。

と言うか…ローズ先生と言い、この人と言い…あだ名に対する適応性が凄いな…。やっぱり身内なのか…。

「これは…先生にもらった登録票です」

「うん。違うわね?」

「え?」

真顔で肯定された後に否定された。

「ロズ!おまえ…ついに生徒を犬扱いするようになったの!」

マリーさんはローズ先生を叱った。

「い、いや、違う。それは…」

あ。先生、しどろもどろだな。あはは。

「僕が無くさないように付けてるんです」

「すーぷーちゃん!知らないんだろうけど、それは犬用よ?」

マリーさんは大丈夫か?と言わんばかりに聞いてきた。

「…これ、そんなにすぐにわかるものなんですか?」

「え。うーん…そう言われると…法術師や教会関係者以外には…変わった鈴、くらいかも知れないけど…」

「この鈴…キレイな音がします。シャリンって」

失くさないっていう他に、音がきれいなのが気に入ってる。

「ボジャーも…法術師なんですか?」

「え。…アッハッハ!!ボジャーが法術師ね!確かに、私を癒してくれるものね!」

「…すーぷーちゃん…」

先生はボジャーの頭を撫でるのをやめて、ため息を吐いた。



その日、マリーさんが遅い昼食にご馳走してくれたのは、ベーコンとバジルのパスタだ。

「美味しい…!」

シンプルなのに味付けも充分だ。バジルの香りも強過ぎず嫌味がない。

「事前に知ってればもっと準備したんだけど…」

マリーさんはそう言ってお茶の準備をしてくれた。

「叔母さん、俺、食べたら教会に行って来るから」

「あら。お茶飲んでから行きなさいよ」

「いや、…学校はすぐにでも教会に経緯を説明するだろうし、コイツの事は…気にしてる人がいるんだ」

え。私を?誰それ?

「あらそう。すーぷーちゃん、人気者ね。あ。じゃあ、ロズ、帰りに買い物お願いね。今、リスト作るから」

マリーさんはすごく明るくてテキパキとしている。第一印象はその見た目からおっとりした人なのかと思っていたけど。それに、ローズ先生に対しては甥っ子だからか、遠慮は皆無だ。

「あの、僕は…」

昼食までご馳走になってますが、そろそろお暇を…

「すーぷーちゃん、これからしばらくここで生活しなさい」

「え。なんでですか?!」

「おまえ、教会関係の住居は嫌なんだろ?アイティールの家から出て、ここに住め」

「は?!いや!先生、それは…僕、自分で…」

「却下」

「えぇぇ…」

「言っただろ?俺もしばらく休暇だ。付き合え」

「へ?!僕が?先生と?」

驚いて目を丸くすると、先生は悲しそうに顔を覆う。

「やっぱり…嫌なのか…」

「え!ち、ちが…!」

「はい。お茶が入りましたよー」

すごい…マリーさん、全然、顔色変えずに割り込んでお茶配ってる。

「すーぷーちゃん。おばさん、1人暮らしで寂しくてね…良かったら、しばらく滞在してくれないかしら?誰かがいたら生活に張り合いが出るのよ。特に、若い子がいれば楽しいわ」

マリーさんが寂しそうに微笑んでテーブルの席に座った。

「…お一人なんですか…?」

この家で?

「ええ。そう。夫は病で亡くなってね…。子供には恵まれなかったから、ここでボジャーと、たまに来る甥っ子が帰って来るのを待つ暮らし」

マリーさんは苦笑した。

「…そうなんですか…」

この家で1人暮らしは広いな…家の感じが女性的なのはマリーさんだけだからなのか…。

「もちろん、嫌なら無理にとは言わないわ。…でも、お庭の手入れとか、奉仕活動で配るお菓子作ったりとか、お買い物とか、色々と1人じゃ大変なの…」

テーブルの上で手を組んで寂しそうに俯くマリーさん。

ご主人も亡くされて…1人で暮らすって…寂しいだろうな…。

「それは…大変でしょうね…僕で良ければ何か、」

「ホント?!嬉しい!!ありがとう!!ああ、しばらく楽しくなるわねぇ!」

私の言葉が終わらないうちに、マリーさんが素早く目を輝かせて心底嬉しそうに笑った。

ま、マイペースだけど…人懐っこい人だなぁ…。

ふと見ると、ローズ先生は出されたお茶をしっかり飲んでいた。

昼食の後、ローズ先生はお茶を飲んですぐにどこかの部屋へ行った。そして持って来たのは法衣だ。学校からの白衣を脱いで法衣を着込む。

「…先生、ここにも着替えを置いてあるんですね」

「ああ。だが学校の私室と、教会と、ここの3ヶ所くらいだ」

私のどうでもいい質問にも先生は支度をしながら答えた。

「はい。これ。買い物リスト。忘れたら夜もパスタになるからね」

マリーさんはローズ先生にメモを渡して送り出す。

「…すーぷーちゃん、外出する時は叔母さんに行き先と時間を伝えて、遅くならないようにな?」

玄関先から釘を指すローズ先生。

「……。先生…僕は子供ですか…」

不満気にボヤけばマリーさんが、迷惑そうにため息を吐いた。

「あら。待つ方の身になってちょうだい。夕飯の支度もあるし、心配で老け込んじゃうのよ?」

……。それは申し訳ないな…。

「わかりました。そうします」

「ありがとう。助かるわ」

ニッコリと笑うマリーさんに、ローズ先生は感心しているようだった。

先生が教会に出向いて行ってから、昼食の片付けをかって出ればマリーさんは素直に「まぁ!助かるわ。じゃあ、私はお部屋を整えておくわね」と、ご機嫌で2階に去って行った。

ローブで洗い物はやりづらい。イスの上に置いた鞄の上にローブをたたんで、制服のシャツの袖をまくる。

食器を洗いながら、不思議とこの家に馴染んでる自分に気が付いた。

ローズ先生の実家にいるような素の態度が見れて面白かった…し、それに先生も普通の人…と言ったら変だけど、先生じゃない時がある事が不思議だった。

…先生の…あの趣味を…笑う人がいるんだろうか…いるんだろうな…やっぱり。

普段は弱音を言わない先生が、落ち込んで女装の事を気に病んだ発言をして涙した事が寂しかった。と、同時に、落ち込んで欲しくない。とも思った。

「……。ん?…落ち込んで…いた…よね…?」

なんか変わり身が早かったような気がしてならないけど…気のせいかな?

お皿は直ぐに片付いた。使った鍋もついでに洗って、お茶のカップも洗おうかと思った時、2階から戻って来たマリーさんがジッとこちらを見て、ソワソワしていた。

「…?…どうかしました?」

「あの…あのね…私、どうも…いや、うーん…」

マリーさんは悩ましげに腕を組む。

「はい。なんでしょう?」

首を傾げれば、マリーさんは意を決して私を見た。

「ゴメン!私、すーぷーちゃんが女の子に見える」

「……………」

「そうであって欲しい!あなたが、私の親友に似ているんだもの」

「はは…まさか…僕は…」

乾いた声で目をそらす。

「信じる?彼女は…特別な人だった」

「特別…?」

「オケアノス人でも、レムリア人でも、混血でも無い」

「え…それって…」

驚愕の言葉に弾かれたようにマリーさんを見た。彼女は真顔で私を見つめて続けた。

「…彼女の名前は…パ…あぁ…」

マリーさんは辛そうに喉を抑えた。

「ごめん…パで始まってアで終わる…」

「え…。なんでそこでいきなりクイズなんですか?!」

なんなんだろ?この人…。今、結構、真面目な話だと思ったんだけど?!

「…言えないのよ。コレのせいで」

マリーさんは襟のボタンを外すと、そこには見覚えのある黒い刺青のような模様があった。

「それって…」

タナトスの腕の魔法封じと同じ…?

「コレは、《沈黙の誓い》…秘匿する必要がある事には言えないようになってるの」

「秘匿…?」

「ええ…。黒い…かみの…黒い…め。その人は私の大事な友人…パ…その人よ」

切れ切れの苦しそうに言ったその言葉は…

「もしかして…パーティシア?」

マリーさんは嬉しそうに微笑んだ。


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