第27章 お前の…願い?なんだ?
遠くの方でドンッ!と空気が振動する音がした。それに続いてワァ!と人々が声をあげるのも…。
眠気が引いて目を開ければ黒一色だ。
「…………」
…これは…また…アレか。
「…タナトス…放してくれない?」
「…………」
タナトスは沈黙していた。
「タナトス。起きてるでしょ」
目が覚めた時に手が動いたの気付いたもん。寝たふりしたってダメだよ。
「……まだ足りない」
ボソリと呟いたタナトスに、何気なく言った。
「タナトスは寝てていいよ」
起き上がろうとした時、肩を掴まれてベッドに押し付けられた。更に乗っかられて両手を掴まれる。
その力は強くて、驚いてタナトスを見た。
「…タナトス?どうしたの?」
タナトスの目深にかぶったフードから猛禽類のような目が私を見下ろして言った。
「…眠れないのを知っていて言うのか?」
え。いや…それは…あれ?
「た…タナトス…?」
タナトスは答えず、押さえつけた私をジッと睨んで見下ろしている。
その目はフクロウ…いや、鷲が捕まえたうさぎを、どこから食べようか見定めているようだ。
え?ちょ、ちょっと待って?これは…殺気というやつでは…なかろうか?
「…あの…その…タナトス…ご、誤解です…」
寝てて良いよってのは…ゆっくりしててね。みたいな感じで言ったのであって…嫌味とかじゃなく。
しかし、タナトスは沈黙したままだ。
「…………」
「…………」
え。これ、な、なに?この間はなんなんだ?こ、これは…本気で殺されちゃう感じ…?う、嘘でしょ?
静かな室内とは対照的に、外から人の歓声が遠くの方から聞こえた。
「え?!…うそ!…今、何時?!」
押さえつけられて動けないので顔だけで窓を向くと、朝ではあり得ない日の差し込みをしている。
「?!」
ほわーーーーーーッ!!ね、寝坊したーーーーー!!
一気に血の気が引いた。
注意が窓にいった時、ガブリと首を噛まれた。
「うあっ!!ちょっ…!!」
嘘でしょ?!食われる!ついに!タナトスが吸血鬼…いや、獣に!!誰か!!助けて!!
激痛を予想して抵抗すれど、全く体は動かない。
あ。これ…死ぬ。出血多量で死ぬのか。
噛まれたあと、うさぎのように引きちぎられる無残な死に様を想像して恐怖で声も出ずに固まった。
人間…恐さに声も出せず動けなくなるって、こう言う事なんだな…と、瞬時に体感した。
しかし、予想に反して訪れると思っていた激痛は無く…代わりに温かくて柔らかい感覚がした。
「?!??」
噛まれた首から耳たぶまで、舐められて逆にビク!と体が震えた。
「ちょ!!!な、ななな!やめッ!!」
必死になって抵抗すれば、タナトスが耳を舐めた。
ひぃぃぃぃーーーー!!
寝坊で血の気が引いたのが、一気に顔に上がってきた。
「…気付いた」
その耳元で、タナトスが呟いた。
ちょ!やめて!!耳元で囁かないで!!涙出て来た!
「は、はイ?!」
声、裏返ってるし!
「噛むより、効く」
何が?!ドユコト?!
それから、再びタナトスに首から耳を舐められて耳たぶを甘噛みされた時点で、謝った。
「す、すみませんでした!!」
もう、半泣き。なんの謝罪かわかんないけど、謝るしか無い。
しかし、その謝罪によりタナトスはピタリと動きを止めると、押さえ付けていた手を退けた。私はすかさず、身を翻してベッドからボトッと落ちた。
床でうずくまり、すっかり乱れた呼吸を整えた。
ハァハァと涙目で耳を押さえる。
なんなの…これは…ヒジョーにマズイ…。許容範囲超えどころか…セクハラだ。もう、これはアウト!
「………タナトス……」
いい加減にしてよ…なんの恨みでこんな…。
「枕。勝手にいなくなるな。眠れない」
頭上からそう言われて、うずくまっていた身を起こせば、引き寄せられてギュッとハグされた。
「…タナトス…」
なに?なんなの?
「枕無いと眠気が来ない。無いと探す」
あ…そう言えば、昨日、タナトスには黙って黒竜の教室に行った。
ナタル先輩と交渉する上で、タナトスがいると話し辛いと思ったし…でも…タナトスは探したのかもしれない。私がどこに行ったのか、当ても無く夜中の寮や校舎を探して回ったのかと思うと…悪かったかなぁ…。
「…ご、ごめんね…でも、話が終わったら戻るから…」
「ここを去ると言った。それがいつかわからない。それは困る。枕、行くな」
そう言って私をぎゅうっと抱えるタナトスは……
これ…「これ無いと眠れない」って、枕を抱える子供じゃない?もしくは「これがお気に入りなんです」って言うぬいぐるみ。
死神タナトス…幼児化。
あーあー…もう…。
「……困ったね…」
ヨシヨシ。と腕を回して背中を撫でてあげると、タナトスは目を見開いて固まった。
「僕、ここを去る前に…ナタル先輩にgiraffe病の事も調べてもらうね」
固まったタナトスからスルリと離れて、自分が着ていた黒いローブを脱いだ。
危ない。昨日、このまま気力切れになったんだっけ。こんなん着てるの誰かに見られたら怒られちゃう。
「…ぷにぷに…」
タナトスが何かを言いかけた時、私は重大な事に気付いた。
「!!…うげ…!!」
何というバッドタイミング…ただでさえ大寝坊なのに…!!
慌ててベッドの布団を剥いで隅々まで確認する。
…よかった…ここはセーフ!!
黒ローブは?!……なんか良くわかんない。けど、陽に照らしても大丈夫なら、セーフ!!次白ローブ!!
「……アウト……」
ゲンナリする。
「ぷにぷに…」
タナトスが、何か言いたげだけど、今、そんな余裕無いから!!
「ゴメン!タナトス!僕、ちょっと着替えるし、ソッコー始末しなきゃいけない案件があるから!!」
「…始末?…誰か殺るのか?」
タナトスは首を傾げた。
「うん。いや、違う!洗濯だよ!!」
急げ!!見られちゃマズイ!!着替えとアレも持ってトイレだ!!
私は手早く一式をひっ掴み、トイレに駆け込んだ。まずは着替える。そして被害の程度を確認だ。
あれから…1ヶ月…そして、ここから約1週間…再びメンテナンスが始まった…。
男子寮でメンテナンス…戦だ…これはもう…戦の始まりだよ…。夢の超文明…CMでやってた、安心☆漏れない超吸収ポリマー…下さい!…ダースで下さい!この世界には片隅にだって無いんだ!
「はぁぁぁぁーー…」
遅刻の件は…こうなったらもう開き直って始末に専念しよう。少しの寝坊じゃ無いし。急いだ所で無理だ。
「あーあー!!もう!!…面倒くさいなぁ!!」
退治するのは3点だ。着替えてトイレの流し台に向き合い、袖をまくった。
洗剤下さい!!過酸化水素の入ったヤツ!!…あるわけないよねぇ!!なんて世界だ!!なんて日だ!!
脳内とは言え…焦りに言葉が乱暴になる。
舌打ちは…した事無いけど、どうやるの?言うの?ちっ。
トイレの水場でひたすら、こする。もみ洗い。
今日が模擬戦で皆、外に出払ってて誰もいないのがむしろ幸運。
そう思う事にする!!じゃなきゃ、燃やしてしまいたい。時間との勝負だ。乾く前なら落ちやすい。
ローブはキレイに落ちた!ズボンも良し!下着は…この程度の落ちは…処分かなぁ…。シミが残ると感じ悪いし。
「…ぷにぷに」
「うわぁ!!」
びッ!!びっくりした!!タナトス!!いきなり背後から声かけるのやめて!!しかも下着洗ってる時とか、ダメ!!絶対!!
「ケガしたのか…?」
え?!見えたの?!見るな!!見るんじゃない!!
「ち!…違う違う!違うから!」
「…違う?」
「うん!そう!よくある事!僕、全然、平気!」
多分、今日明日が腰が重い。そして、眠い。それくらい。
慌てて言ったら変に言い含めるみたいになった。外人みたい。ボク、ゼンゼン、ヘイキ!なんだこれ!
「治してもらえ」
タナトスー…これは治すとかじゃ無いんだよー…。
「タナトス。これ、誰にも言わないで欲しいんだ」
「……なぜ?」
「治らないの。これは。だから良いの。僕、元気だし。ね?だから言わないで」
「…………」
うん。と言え!なに、考え込んでるの!
「…枕無くなると困る。スペア無い」
そこか。
「じゃあ、僕、スペア探すよ…」
もう!探せばきっと、誰かいるでしょ!他の人!
「スペアいない。男はいらない」
「えぇ?」
はぁ?!ここに来て何、選り好みしてんの?どうした?!タナトス。
「枕は…ぷにぷにしてるのが良い。硬いのはいらない。匂い良くない」
「ぷっ…えぇ?!」
な!なんだって?!人をディスった上で…女の子が良いって?なにそれ…枕にはこだわるぜって事?あ。こだわり?…そうだ!ナタル先輩が言ってた!どんなすました顔の男でも、こだわりがあるって…そう言う事か!?…え。これ、何フェチって言うの?
男のフェチ、ディープ過ぎて理解不能だよ…。
「…タナトス…」
あんたの好みの女の子なんて知らん!自分で探せ!!
「…?」
「僕、遅刻してるし!忙しいから!」
付き合ってらんない!
キレイに汚れを落とした洗濯物を、ハーブオイルを薄く垂らした水に漬けた。明日には辛いかも知れないから、今のうちにラベンダーの香りを付けておこう。
硬く絞って水気を切って、シワを伸ばすのに念入りに叩いて伸ばした。
水場から部屋に戻って、窓を少し開けた。急いで無いし、このまま部屋干しすれば明日には乾くだろう。
よし、洗濯も終わったし、遅刻をお詫びしに行くか…。
「…憂鬱…」
メンテナンスだし、寝坊はするしで…。こう言う時に、白竜の白ローブが恨めしい。黒ローブなら目立たないから気が楽なのに…。
「あーあ…」
これから数日…気が気じゃ無いな…。
模擬戦の会場は、運動場の近くだ。
広大なフィールドには高台に観客席が階段状に生徒用と市民用で別れて組まれている。
フィールドには市街戦を想定して、石で組まれたダミーの空き家や壁、障害物が点在して置かれていて、それらを上手く利用して陣地を広げていく。
勝敗はリーダーの敗北、または全滅に相当する戦闘困難、もしくは防衛拠点の制圧などのいずれかで決まる。
四竜で組んだメンバーの特性を活かして戦うのがセオリーだが、リーダーの指揮や作戦伝達が上手くないと苦戦する。かと言って、戦況が変わる中で指示待ちをすれば形勢が悪化する。
切迫する中、的確な状況判断も必要になる模擬戦は、士官学校においては試験のようなものだ。
白竜の講義でも、誰を優先して治療するかとか、この状況でどんな法術を使うかを実例を見て習う。
「…あー…アレだな。派手な見た目が重症とは限らないな」
ニックが呟いた。
「確かに。痛がる奴と、騒がない奴でも言える」
アッシュが同意した。
「難しくない?法術は限られるだろ?痛がるからってホイホイ治してられないし。かと言って、痛がってるうちは戦力にならないし…静かな奴はいつのまにか倒れてリタイヤしてるし優先順位って本当、悩みそう」
ロンが言った。
「そうなると、やっぱり役持ちはタフだよなぁ…。クスト先輩、軒並み回復させてるけど、気力切れないな」
「うん。先輩、これでクィーンだろ?キングだったら…どうなると思う?」
「ニルが治癒や浄化をしっかり習得して模擬戦に出るなら…チームからリタイヤ出ないんじゃねぇの?」
「あー…それもそれで、試合にならない気がするな」
「ハンデを相当付けなきゃバランス悪いだろうなー」
うんうん。と頷きあってる白竜の1年生の後ろから青年の声がした。
「そうか。やっぱりハートのキングはそれくらいなのか」
驚いて振り返るアッシュとニック、ロン。
「…あ。えっと…教会の…先輩の先輩…」
ニックが戸惑って呟いた。シェダル先生の指示で教会の法術師の荷物運びをした際に、彼らはこの学校の出だと聞いた。
「クロムだ。お前らスレイプニルと同期か?」
教会の白い法衣を着た青年は、ニック達1年生の席…観覧席で言えば最後部の空いている席に座った。
「(え?なんでここに座るんだ?教会の人なら、メチャ近い席あんじゃん?)」
コソリとニックに言ったアッシュに、クロムが微笑した。
「救護席は近い分、全体が見えにくいんだ。観戦を楽しむなら引いて見るのも良い」
「あ。すみません…」
気まずそうにアッシュが詫びた。
「いや。ローズ先生に聞かれたら何しに来てんだ。って怒られるから言うな?」
「は、はぁ…はい」
確かに。教会の法術師であるなら観戦しに来たのでは無く、救護の応援だ。
何をしにこの席に来たのだろうか?
顔を見合わせる1年生に、クロムは試合を見ながら言った。
「教会に、ハートのキングが来た。白竜にハートのキングが出たってだけで、どんな奴かと教会では噂になったんだ。ハートのキングと言えば能力は保証されたようなものだから。それで先日、そいつの作った通行許可の光玉で、すぐにそれが証明された」
「え。今度はどんなの作ったんですか?」
アッシュは好奇心に聞いた。
「光玉の中に…黄金のユニコーンが描かれていた。しかも、立体的に」
「へぇー」
「まぁ…やりそうだよな」
「うん。むしろ、控えめだよな」
3人の言葉に、クロムがギョッとして彼らを見た。
「…ハートのキングは普段、どんなのを作るんだ?」
「えーと…最近は先生にアレンジ禁止って言われてるから、あんまり…」
「やっぱり、青白くて鳴く奴が1番、面白かったよな?」
「ああ、あれ。キューとか言って消える奴!」
「………泣く?青い?」
クロムは眉をひそめた。想像すら出来ない。
「でも、アイツ…俺たちが知らないところでもっと作ってんじゃないかなぁ?」
ロンが言えば、ニックが驚いた。
「え。なんで?見たのか?」
「いや。俺がニルに聞いたんだ。お前の光玉、どのくらい保つの?って」
「へぇ。そしたら?」
「『超寿命光玉はもう作った。結果は消えるまでわからない。消えたらローズ先生が教えてくれるかなぁっ…』て」
「超寿命…マジか。それ、いつだよ?」
アッシュの問いに、ロンは思い出して言った。
「えーと…あの時でああ言ってたから…1週間前くらいに作ったんじゃないか?」
「1週間…」
今もずっと光続けているんだろうか?
「でも、ニルが…『先生が寿命を全うするまで保ったら誰に確認しようかな』 って言うからさ」
「…冗談だろ?」
「うん。俺も、そう言って笑ったら…ニル、素で『先生の子供が成人するまでは大丈夫』って言ってた」
「はぁ?!先生、子供どころか嫁すらいねぇぞ?!何十年後だよ!」
「マジかー。…でも、あいつならやりかねない…」
1年生の会話に、クロムはからかわれているのかと思うほど耳を疑った。だが嘘のわりには自然な会話だった。
何十年も保つ光玉?あり得ない。だが、話に誇張があったとしても、長持ちする光玉というのは本当かも知れない。
「…気力切れと聞いたが、そういう光玉でか…」
あり得ないが、クロムがハートのキングの実力を知らないだけで、あり得るのかも知れない。
「いえ。今日のはタナトスを浄化させたからです」
「浄化?」
ニックの言葉に、クロムは聞いた。
「先生、タナトスの浄化でって言ってたよな?」
ニックの問いにアッシュもロンも頷いた。
不可解だ。なぜ浄化程度で気力が切れるのか?数々の耳を疑うハートのキングの行動に対して、それは解せない。
「あ。ニル!」
ロンが気付いて席を立った。目を向ければ、白いローブの小柄な人物が気まずそうに早歩きで近付いて来た。
「お。ようやくおでましだな」
アッシュの言葉に、ニックが試合を見て言った。
「…でも、もう午前の試合は終わりじゃないか?」
その言葉の通り、その瞬間、試合終了の魔法弾が鳴った。勝敗は決まり、観客席の観衆から力が抜けた。
「おい、ニル。試合、おわっちまったぞ?」
「え?…あ。…あー……僕…起きれなかった…」
恥ずかしそうに言う少年の姿は、やはりとてもクロムの想像するキングには見えない。
「あれ…?」
目が合った。同期の中に混ざる教会の法衣を着た者に、目を丸くしている。
「お前が来る前に俺の方が先に来る事になったな。スレイプニル」
「あ、こんにちは…クロム先輩」
帽子を取ってペコリと会釈するスレイプニル。
「気力切れと聞いたが、どうしてだ?」
「タナトスの浄化は、とても疲れるんです」
「タナトス?」
誰だ?なんで浄化が?
「そこにいる、彼です」
スレイプニルが目を向ければ、いつの間に来たのか気配もなく黒いローブのフードを目深に被った男がすぐ近くに立っていた。
「?!…こ、黒竜…」
その黒いローブもそうだが、それ以上にゾクッとする寒気を感じた。禍々しい気配に生き物として忌避感を感じる。
「なんだよー。ニルと一緒にタナトスもサボりか?」
「ちょ!僕はサボったわけじゃ無いよ?」
アッシュの言葉にスレイプニルが否定した。
白竜の1年生が馴れ馴れしく黒竜と接しているのにも驚きだが、特にこの死をまとう男に慣れていることに驚いた。
「…なんで黒竜が…黒竜の席は向こうだろ?」
引きつった顔で言えば、アッシュが答えた。
「タナトスはニルの番犬だって。ローズ先生が言ってますし、タナトスはgiraffe病だから」
「番犬…?」
なんだ?それ。黒竜が?
「タナトスは友達だよ。ねぇ?マック。マックはタナトスとポテチを分け合った仲だもんね?!」
話を振られたマックという1年生は、ぽてちという所にだけ反応して「え?!ぽてちあるの?!」と、目を輝かせた。
「え。あー…ごめん。無い」
「ぽてち?」
聞いたことがない。
「あ、ぽてちってもは、コイツが作った激ウマのジャガイモ菓子です。な!」
アッシュが自慢気にスレイプニルの首に腕を回した。
「菓子まで作るのか…?」
ハートのキング…幅広いな。
「ちょ!アッシュまでクスト先輩みたいに僕の首を狙うのはやめて」
「なんだよー。締めてねぇぞ?」
じゃれ合うつもりでアッシュはハートのキングの腹に拳を打った。
「うッ!」
慌てて腹を抱えるキングに、アッシュは目を丸くした。
「え。…なんだ?」
「……う、うん…。いや、アッシュ…いきなりお腹はちょっと…僕、お腹強くないから…」
「え?…あの腹筋で?そう言えばおまえなんか今の感じ…ぽにゅって…」
アッシュは訝しんで首を傾げた。
「…まくら…ケガしたか?」
黒竜の死神が不穏な空気でボソリと言った。
「全然!?超元気!!気持ちよく寝たし?しいて言うなら眠いだけ?」
慌てて矢継ぎ早に否定するキング。
「おまえ、遅刻しておいてまだ眠いって、なんだ…まだ気力が戻って無いのか?」
呆れたように言ってアッシュは再び肩を組んでキングに顔を寄せた。
「うっ…いや、それは…。もー…僕だってそんな気、無かったんだって!」
「…ほぅ。…ではどんな気だったのか、聞かせてもらおうか…?」
その時、一際、低い声が聴こえて、その場にいた全員が固まった。
背後から聞こえた声に、それが誰かは振り返らなくてもわかった。しかも、その声の抑揚から決してご機嫌な質問では無いとわかる。
「………」
どうしよう。怖くて振り返れない。
「…クロム。なんでお前がここにいる?また1年からやり直すのか?」
冷え冷えする声で聞くその人…ローズ先生。
「いえ!すみません!!すぐに戻ります!!」
ピシッと立ち上がり、キビキビと去っていくクロム先輩…。アッシュがそろりと私から離れた。
え。アッシュ?待って。置いてかないで。
アッシュは何食わぬ顔でニック達の席に戻っている。
じゃあ私も!!
「え、ええーと…僕の席は…」
どこに座ろうかしら…?
「スレイプニル…試合は終わった」
背後から肩に手が置かれて低い声で言われれば、私の何かも終わった気がする。
「お前の席は無い。だが、おまえには話がある」
恐々とぎこちない動きで振り返れば、ニコリともしないローズ先生の緋色の目が、付いて来いと圧迫している。
ヒィ!怒られる!これ、怒られるやつだ!
チラリと皆を見ると、皆…「あーあ。おまえ、またやっちまったな」と言わんばかりでこっちを見たり目をそらしたり。
「昼食だ。再集合は14時。以上、解散」
「「はーい」」
先生の指示に、皆はそれぞれ席を立つ。
ああ…待って?私も解散したい…。
未練がましく立ち尽くす私の背を押して、ローズ先生は言った。
「お前には…1人で黒竜の教室に行く理由とやらを聞かせてもらおうか…」
「へっ?!」
ふわーッ?!なんで?!どっから漏れたの?!
私は背中に汗が流れたのをはっきり感じた。
連れて行かれたのは医務室では無く、教室でも無く、先生の私室だ。
「入れ」
「え。あの…今日は医務室じゃないんですか?」
戸惑って聞けば、先生は「…今日が何の日か知ってるか…?」と不機嫌に言った。
あ。はい、模擬戦です。と、答えようとしてやめた。医務室は混み合っているだろう。話し合いに使えるわけもない。これで素直に答えて怒られるのも嫌だ。
「す、すみません…」
白竜の教室もおそらく何かに使っているのかも知れない。
モタモタしてると怒られそうで、意を決して「…失礼します」と入った。
誰かの部屋に入るのは、そうじゃなくてもちょっと緊張する。
先生の部屋は思った以上に…シンプルだった。そして、机の上は書類で雑然としてる。
え。意外。先生の見た目の華やかさから、部屋も女性らしいと思ったのに…全然違う。むしろ、無骨。お花とか飾ってあったり、何かかわいい小物とかあって、綺麗な色の女子部屋だと思った。
先生はイスに座って所在なく立ち尽くす私に冷ややかな目を向けた。
「………それで?」
ひぃぃー!…怖い…。
「ナタルと何を話した?正直に全部吐け」
え。…け、刑事さん…無理です。
「…………それは…その…」
「夜中に。1人で。黒竜の教室に。行ったんだってな?」
区切って言う先生に、怒りがビシバシ感じられて…怖い…。
「…………」
「何を話した?言え」
重圧が重い…。
「…………ナタル先輩が…気付きました…」
重い口を開く。先生は黙っている。
「僕が…」
ああ…先生…私はまだここにいたいんです…。
「僕が…法術の他に、魔法を使えるって…」
先生の目が細くなった。
「それで…あの…黒竜の教室で…夜中に来いと…呼び出されたんです」
「馬鹿か!!」
ヒィ!!
先生の怒りの一喝に、身が縮む。
「それでノコノコ出て行く奴があるか!!おまえはなんで、いつもいつも!!」
先生がズガン!!と机を拳で叩くと、ビクッと震えた。
机の上にあった何かが落ちたけど、先生は全く気にしないでこっちを睨んでいる。
こ、怖い…嫌だ…なんで…怒られなきゃならないの…私の事なのに…。
「いい加減に自覚を持て!!お前はハートのキングなんだぞ?!あっさり純潔を失えば、二度と法術は使えないんだ!!なぜ、それがわからない?!」
『甘いな。2年の魔法だから飲む余裕があっても、3年の魔法は瓶の口すら開けられない。麻痺は一瞬だからな』
ナタル先輩の言葉が思い出された。
「………はい…」
もう何も言えない。
先生は私を睨むと、続きを促した。
「…………。それで?ナタルは?どうしてそれがわかった?」
「そ…れは…」
え、ええと…
「入学して間もなく…僕…何度か誰かに水をかけられて…乾かすのに温室で魔法を使ったんです…。それをナタル先輩が見てたみたいで…」
先生は聞いてる時も不機嫌全開だ。
「………。それで、なんでそれを今更言って来た?」
「…先輩が僕の登録票を見て…法術が使えないのに法術師を名乗るのか。何が目的だ。って言われて…」
ローズ先生はため息を吐いた。
「…それで?」
「僕、法術も使えるって言いました。光玉も作れるし、タナトスにだけだけど、浄化も出来るって…」
先生は腕を組んで聞いた。
「…ナタルは何と言った?」
「…驚いていました…なんでだ?って…でも、僕にもわかりません。だから先輩にお願いしたんです」
「なに?…何をだ?」
「僕の事を調べるかわりに…僕のお願いを聞いてくれないかって…」
先生がピクリと反応した。
「お前の…願い?なんだ?」
「………」
石化の事は言えない。
「…タナトスのgiraffe病ですけど…僕以外に、枕になり得る物が無いかどうか…調べてもらおうかと…」
「…………。…それだけか?」
先生の顔は疑心を浮かべた。
「あとは…ナタル先輩と話をしました」
「…なんの話を?」
「ナタル先輩は、今でも白竜を大切に思っているんです。だから、得体の知れない僕が白竜にいるのが嫌だった。法術が使えないのに、偽っていたんじゃ無いかって…」
その言葉に、先生は鼻で笑った。
「法術が使えない者をマドラスは白竜には選ばない。第一、法術が使えないなら灯り点けなんて無理だろうが」
「ナタル先輩はそれでも疑っていました。どんな仕掛けをしたんだ。って…ナタル先輩は、先生やクスト先輩が、僕に騙されているんじゃないかと…とても心配してました…。僕、それが嬉しかったんです」
「………」
「ナタル先輩、ずっと…気に病んでいたんだと思います。先輩と話をして…僕、ナタル先輩と仲良くなれました。それにナタル先輩は、僕の事も心配してくれました」
「…なに?」
「白竜の教えを守って、絶対にメルセデス先生に近寄るな。釣られてホイホイついて行くな。って念を押されまして…」
「……お前な……」
先生は片手で頭を抱えた。
黒竜側から念を押されてどうする。
合点がいった…。仲良く、手を取り合って…そう言うことか。
脅されて呼び出された場所で、コイツはいつの間にか仲間を増やしている。しかも、白竜と相反する黒竜の3年生を。いくら相手がナタルだったからとは言え…いや、ダイヤのキングのナタルだからこそ魔法も使えると告発されれば、スレイプニルは異端者扱いを受ける所だ。
『それに…正直、模擬戦よりも、もっとずっと面白い研究を見つけたんで』
そう言って笑んだアイツの研究テーマは…コイツか?giraffe病か?両方か?
「……脅されて、絞られたんじゃないのか?」
泣くとか言っていたのは何だ?
「いいえ?…まぁ…その…先輩の…特殊な能力には驚きましたけど…」
「特殊な能力?」
言い淀むスレイプニルを全部吐けと睨めば、更に戸惑っていた。
「えっと…その…思いがけず、気に入って頂けまして…」
「何をだ?!言え!」
「…せ、先生は…人の手を見て何かわかりますか?あ。数値とかじゃなくて」
「なに?」
「僕は全くわからなかったんです。いや、今でもよくわからない…」
「だから何をだ?!」
早く言え!イライラする。
「手です。僕の手…良い手をしてるって褒めてくれました」
…は?…なんだそれは?
「先生、…わかります?」
「全くわからん。ふざけてるのか?」
そう言うと、スレイプニルはホッとしたような顔をした。
何なんだ?最近の若者の思考がわからん…。いや、最初からこう思うのも癪だな。
「で、ですよねー。僕も、正直、ちょっと何言ってるのかわかりませんので…」
苦笑して同意するスレイプニルは明らかにホッとしている。
…そう言われてみると、ナタルはスレイプニルの手をやたら念入りに調べていた。そして、何かに気付いたようだった…。何かヒントがあるのか?
「…見せてみろ」
お手を指示するように手を出した。
「え?!」
ギョ!とするスレイプニルは自分のその手を後ろに隠した。
怪しい…。隠されると余計に。なんだ。何がある?
「出せ」
「い、いや、でも…何でもないですよ?」
「早くしろ」
出さなきゃ終わらない。と圧をかければスレイプニルは渋々、数歩前に出て両手を出した。
その手には特別、何も無い。少年のような見た目に準じて子供のような張りのある手だ。器用さを示すように形のいい指の先にはきれいに整っている爪が揃い、いかにも礼儀正しいコイツらしい清潔感がある。
なんだ?何がわかった?育ちの良さか?だからなんだ。
よくよく見ているうちに、その手から表面では無く数値が浮かんで見えてくる。
いや、違う。ナタルは数値が見えない。だから数値では無いはずだ。
とは言え、見えたその数値に…驚いた。また、増えている。
先日3桁に到達したばかりなのに、4桁にかかりそうだ。伸びが早い。気力切れで昏睡する毎にグングン伸びている。どこまで増えるんだ?
「せ、先生?…もう、いいですか?」
引っ込めようとするスレイプニルの手を掴んで、数値をさらにみれば、やたらにバランスが悪い。
法力は3年生に並び…それを超える勢いなのに、体力は2桁。それも初期レベルだ。
模擬戦に出て攻撃を受ければ、一撃で終わりだな。コイツの弱点は防御力と体力の無さだ。典型的な魔法師…いや!法術師だって1年生は個人差はあるが体力が無い。これからだ。
「…………」
「…あ、あの…?」
…体力か…。意外だな。あの格闘を見た限りではもっとありそうなのに…。
「…わかった…」
「ええ?!」
驚愕するスレイプニルに、分析結果をまとめると
「おまえに必要なのは体力と防御力だ」
「……。…あ、…ああ、はい…」
ナタルはスレイプニルに法術師と魔法師の素質が両方存在する事に手を見て気が付いたのか?
特殊能力…知らなかったな…。
だが、あのナタルなら否定しきれ無い。
しかし、悩ましいな…。体力か…赤竜の顧問、リオトに頼むのも…やり過ぎて傭兵に育てられても困る。
手を離すと、スレイプニルは自分の手を隠すように両手で握った。
その顔は、あー良かった。と言わんばかりの表情で、更に疑わしい。
「スレイプニル…おまえ…何か隠していないか?」
「……エ…ベツニ…ボクはナニモ…」
決定。隠してる。
「なぜ言わない?」
「…イエ。隠していまセン」
プイっと目をそらすのは実にわかりやすい。
コイツ…。そんなのでよく嘘をつこうと思うな。むしろ感心する。
「そんなに俺が信用出来ないのか?」
「………………」
黒い目が揺れて俯いた。
自分で聞いておいて沈黙されると、肯定されているようで…改めてガッカリした。
なんでだ。そんなに信用出来ない教師か?従順だと思っていたのは演技なのか?何がダメなんだ?
ドギーに噛まれた時を思い出した。ショックだった。牙が刺さって開いた傷の痛みよりも、心が痛かった。信頼されていると思っていたのがうわべだけだった事が。
一時的とは言え明確に敵意を向けられた事が辛かった。
そして、教会の図書室から見た王弟の息子の嘲笑う顔を思い出した。
…何が足りない?コイツの信頼を得るには。
おし黙る少年の口は開きそうに無い。
「……。俺は、お前が将来、より良い選択肢を選べられるようにしていきたい。お前が望んだ時に、望んだものを得られるように。お前にはハートのキングとして、その力があるし、その能力はたくさんの人々を救えるはずだ。そのためにはつまらない人間の嫉妬や妨害を…付け入る隙を与えてはならない。問題があるのならば、今のうちに対処しておきたいんだ。正直に打ち明けろ」
正直、水をかけられるようなイジメを受けていたのも気が付かなかった…全く何も言わないで、自分で処理して、何でも無い顔してたのか。
「……………」
俯いたままのスレイプニルはやがてゆっくりと言った。
「……先生…無理です…」
「イジメに気が付かなかったのは悪かった。今でもあるのか?それなら…」
スレイプニルは首を振った。
「いいえ。違います。そうじゃなくて…僕は…先生の期待には応えられない…」
なに?
「お前は何を望む?…いつまでも学生のままでいるつもりか?そんなわけにはいかないだろ。卒業したらお前だってどこかしらの…」
「いいえ。きっと…僕は…れない」
なんだと?何て言った?もっとハッキリ言え。
「なんだ?ハッキリ言え」
少年は俯き、口と手をきつく握って言葉に詰まった。
「…先生…僕、登録票……」
重い口調でその手を首元に運び、襟元を掴んだ。
その空気に嫌な予感がする。
深刻な顔で重く口を開く。
「登録票をお返…」
「スレイプニル!!」
やめろ!!言うな!!
『先生がハートのキングに期待するのはわかります。…ですが、アイツはどうですかね?…問い詰めて、追い詰めると…アイツは潰れますよ』
クソッ!!ナタル!!お前、何を知った?!なぜだ!!なんなんだ!!
頭が痛い。
なぜコイツは求めない?…対価も大きいが、取り入る為にしのぎを削る王家の信頼…その紋章をコイツが負担に思うのはわかる。
しかし、あらゆる面で優遇される法術師や、教会の登録票すら手放そうとする。
どちらも他人からすれば、渇望するものだろう?嫉妬からイジメを受けてしまうほどに。
なぜだ?言えよ!明確な理由を!
権威を疎うにしても謙虚であるにしても、度を越している!こうも惜しげもなく返されそうになるこっちの身にもなれ!お前にとって…それは何の価値もないと言うことか!
「先生…」
「…もういい。下がれ」
ダメだ。イライラしてきた。
今これ以上、話を続けるのは良くない結果になりそうだ。冷静に仕切り直した方が良い。
「…………」
退室を命じても、スレイプニルは動かずに自分の襟を掴んで立っている。
「もういいと言っただろ。もう用は無い。さっさと出て行け」
ひとまず昼飯でも食べて来い。
腹が満たされれば気持ちも落ち着くだろう。
「…………」
打ちのめされたような顔をして、黒い目が大きな涙をたたえていた。
なんなんだ。おまえは。泣くくらいならさっさと言えよ。
スレイプニルは泣くのをこらえて、帽子を取った。それを胸に抱えて深々と頭を下げると、無言で部屋を出て行った。
なんだ、あれは。傷付いたみたいな顔して。
「…………」
ため息が出た。
あいつは難しい。なんで話し合いすら出来ないんだ?
大人のようにそつなくこなすくせに、喜ぶのも悲しむのも子供以上に感情的だ。だから犬っぽく見えるのだろうが。
いや、犬なら簡単だ。ダメな事はダメだとしつこくわかるまでその都度根気強く叱ればいい。
「……」
意外と…子供にもそう言うものなのか?父親と息子ってどうやって関わっていくんだ?親父はどうだっただろうか?
自身の子供の頃を思い出してみると…確かに、しつこく怒られていた。しかし、自分も子供ながらに譲れない所があった。特に、アステラについては…。
「…………」
今思えば、当時、大人には子供に言えない事もあったんだろう。だが、子供にも大人に言えない事があった。
言ったら全てが台無しになると思った。だが、…大人になった今の自分ならば…言うだろうか?
……いや。……あの日々を後悔する事は無い。後悔するならば、別な事だ。
『……私を殺すの…?どうして…?嘘つき!!私は絶対に忘れない!!』
耳に張り付いた悲痛なその声に目を閉じた。
ため息が大きくなる。
ダメだ。やめよう。ここで考えていても仕方ない。
イスから立ち上がり、一歩踏み出せば、床に水が光った。ポタリと一滴…その水が落ちていた。
先生の部屋を出てから、重く沈んだ心がギュウギュウとはちきれそうなほど膨らんで苦しかった。
ダメだ。我慢。我慢して。
手にして帽子を深くかぶって、その上からフードを被った。目頭が熱くて、ちょっとした事で溢れそうだった。
どこか…どこか…落ち着ける所…そこで考えよう…。早く。早く。
焦る気持ちは足を早める。人が居ない所がいい。静かな場所で考えたい。
模擬戦開催の昼休み。どこもかしこも誰かいる。勘弁してよ…もう…。
「ナタル。おまえ、今日、手ぇ抜いただろ?」
黒竜同期が苦笑して言ってくれば、わけもない。
「…生徒相手に本気出しても得しないだろ。予選は勝てばいいんだ」
「余裕だよなぁ!おまえは。さすが模擬戦慣れしてんなぁ」
俺からしたらむしろ、模擬戦ぐらいで騒ぐ方が鬱陶しい。
評価に関係するから出るが、そうでなければ研究をしていたい。
「あの1年のキング、予選通過しそうだよな?」
黒竜の中でもキングの噂は絶えない。それは何もハートのキングに対してとは限らない。
「ああ。気を付けろ。アイツ手加減してねぇぞ」
「あの野郎…親の仇みたいにマジだよな。あんなのまともに食らったら骨が砕けるどころか…即死じゃねぇの?」
別の奴が答えれば、話は広がる。
「しかし、同じ1年のキングでもスペードのキングもハートのキングも出ないんだな」
「スペードのキングは王族だろ。下手にケガさせて恨みを買いたく無いし…ハートのキングは…どうなんだ?それこそ、そのクラブのキングにすら果たし合いで勝ったんだろ?」
ああ。そう言えば…なんかそんな噂も流れたな。アイツ、どうやったんだ?また替え玉か?…後で聞いてみるか。
「…ナタル。おまえ、何、笑ってんだ?」
「は?…笑って無い」
「いや、間違いなく笑ってた。なんだ?なんか機嫌良いよな?」
「…………」
チッ。人の僥倖には鼻が効く奴らだからな。邪魔されたら台無しだ。
「……。お前ら、タナトスの魔法、見たことあるか?」
そう話を向ければ皆、顔を見合わせた。
「あの1年のジョーカーか?…アイツ、魔法使うどころか授業にも出てないだろ」
「giraffe病のくせに何しにここに来てんだ?メルセデス先生もよくほっとくな」
「宰相の息子だぜ?さすがの先生も魔法協会に忖度すんだろ」
「でもどうなんだ?ジョーカーは正直、どんだけの奴なんだ?」
次々に出る疑問に答えられる奴はいない。同じ黒竜でも奴が姿を現すのは夕食時か、校内でたまたますれ違うくらいだ。奴は黒竜の決まりどころか校内の決まりすら守る気は無さそうだ。だが、それを正そうにも、誰もがタナトスのあの死をまとう気配に打ち勝てた者はいない。
そして、あいつの魔法を食らって今、生きているのも…。
「…あいつ、悪夢の魔法の最終形態。無詠唱で行使するぞ」
俺のその一言に全員が全員、絶句した。そして、有り得ない。と眉をしかめた。
「信じられないだろうがな。俺も見るまでそうだ。だが、メルセデス先生の魔法と遜色が無かった」
「…嘘だろ?」
苦笑する奴に、事実のみ伝える。
「2年のアレンディーに聞け。アイツの取り巻きも見たし…更に疑うならタナトスに頼むといい。文字通り秒で地獄に落としてくれるからな」
「マジかよ…。じゃあ余計にアイツ、ここに何しに来てんだ?」
それはおそらく、ローズ先生がいるからだ。法術師の中でも復活の法術を使える者は限られる。
いや、今はハートのキングもそうだ。稀少なアルカティアの末裔。
その正体を知ってから白竜の奴らを見ると、目で追って確認してしまう。
しかし、同じ白を身にまといながら…背丈から肩幅から全く違う。女と知っていれば、こんなにも違うのになぜ同じ組で気付かないんだ。アイツらの男としての感覚は死んでるんじゃないのか?
…まぁ、その方が都合が良いわけだが。
また目の端で白を捉えた。白竜にしては珍しくフードを被って足早に廊下を移動するのは…
「?…ナタル?…おい、どこ行くんだ?」
食堂の席を立つと、いちいち聞いてくる。
「……。飽きた。本を読んで来る」
そう答えれば追求はされない。黒竜では…特に俺は群れる事をしなかった。大概はそう言って、実際、本を読んで来た。
自然な動きで食堂を出て廊下を探せば、厨房を覗く白ローブがいた。
なんだ?何を探してるんだ?
素早く周囲に誰もいないのを確認して足早に奴に近付くと、その手を取った。
ビクリと驚いて、俯き目深にかぶったフードからローブの色だけを頼りに、奴はそいつの名前を呼んだ。
「タナトス…」
「違う。おまえ、黒だと見れば全員タナトスなのか?」
呆れたように答えれば、顔をあげたその黒い目は明らかに赤く、潤んでいた。
「…すみません。間違えました。ナタル先輩」
「おまえ…なんだ?気力切れから戻って早々に何、泣いてんだ」
「…悲しい事があったからです。すみませんが急いでいますので」
再び俯き、掴んだ手を解こうと手を引くハートのキングに、構わず聞く。
「急いで?そんなんでどこに行くんだ?」
「……。…どこでも…誰もいない所に…」
目を伏せて素直に答えた奴の望みに、叶う場所が浮かんだ。
「なるほど。じゃあ、来い。連れてってやる」
「…………」
それに答えはなくても、手を引いて歩き出せば奴は嫌がらずに従った。
連れて行かれたのは温室だった。
「…ここ…」
そう言えば久しぶりだな。
「ここは黒竜の管轄だけどな。模擬戦の今は、お前の望む通り、誰も来ない」
ナタル先輩はそう言って、温室の扉を開けて中に入った。その後ろについて中に入れば草木の香りが懐かしい。
日中の日差しを受けてぬるま湯に浸かるくらいの温度の中で様々な草木が青々と茂っていた。
ナタル先輩はその中のベンチに座ると、私にもその隣を指示した。
「え。…先輩がいたら1人という条件じゃ無くなるのですが…」
「焦るな。誰もいないんだから、手を触らせろ」
えぇ!?な、何という…。親切かと思いきや、めっちゃ利己的!だから隣で触れる長椅子なのか!
「ヒドし…」
「あ?おまえ、タダで情報得られると思うなよ?」
ニヤリと笑ってそう言う先輩は…やっぱり黒竜だ。
渋々、先輩の隣に座れば、ナタル先輩は私の右手を左脇に抱えるようにして保持して手を揉んだ。
「いやー。癒される。この手の触り心地。人目も気にせず昼間から触れるこの優越感」
ふー…と息をついて満足そうにそう言う先輩は…やっぱり意味不明。
「先輩…やっぱり先輩のそれ…特殊なんじゃないですか…?」
「はぁ?おまえ、昨日の俺の話、忘れたのか?」
「いや、覚えてますけど…手は無いんじゃ無いかと…なんで手なんですか」
「バカか。なんでもあるか。こういうのは自分で決めてなるんじゃない。気付いたらそうなだけだ。それが足の奴だっているし、太腿の奴だっているんだよ。部位で差別すんな」
清々しく言い切る先輩は自信に満ちている。
「……先輩…それ、僕の諸々の事情と同じですよ…」
「はぁ?なにがだ?」
「僕だって、自分で決めた訳じゃ無い。生まれて気付いたら『私』だったんです。せめて…『俺』だったら良かったのに…」
そう言葉にしたら、涙が出て来た。
女じゃなくて男として生まれていたなら、先生に秘密にする事も減るし、アイティールを偽らずに友達でいられたし、白竜にだっていたっていい。法術師には…教会がらみで難しいかもしれないけど、教会に保証されなくたって法術が使えればいい。
なんで女なんだ…。腕力や体力が無いのだってそうだし、着替えるのにも面倒くさいし、メンテナンスは毎月あるし…ハンデがあり過ぎて辛い。
俯いた目からポタポタと、温室で雨が降るみたいに膝に涙が落ちた。
「……。…全く…しょうがねぇな」
ナタル先輩はため息を吐いて立ち上がって、温室内にある棚の引き出しから何かを取り出し、戻って来て再び隣に座ると私に布巾を渡した。
「ほら。左手で拭けよ。右手は俺が使ってんだから」
「え。えー…優しさが…微妙…」
「ああ?…じゃあ返せ」
「すみません。何でもないです」
鼻水も出そうだから使わせて頂きますよ…片手で…しかも左手で扱い難いけど!
ナタル先輩は私の右手を撫でたり愛でたり揉んだりと好きにしている。
「……先輩…」
「なんだ?」
手の指を1本ずつ揉みながら先輩はこちらに目もむけずに返事をした。
「先輩は…週末どうされてます?お暇ですか?」
ピタリと、揉む手が止まった。緑の目が面白そうに私を見た。
「…へぇ。誘ってんのか?」
「僕、学校に居られないかもしれません。そうなると先輩とコンタクトを取れるのが週末になるので」
「(……んだよ!つまんねーな)」
ボソリと言ったナタル先輩の言葉に、週末の休日まで潰す事になるせいだと思って補足した。
「アルカティア語、翻訳すれば良いんですよね?あらかじめ文章をもらえたら、直してお持ちします」
「…なんで居られないんだ?誰かにバレたのか?」
ナタル先輩がそう問えば、思い出されて辛かった。
「…ローズ先生に叱られました…。1人で黒竜の教室に行ったのが、不用心過ぎる。って」
「正解」
あっさりと答えるナタル先輩。
「ええ?!元はと言えば先輩が呼び出したんじゃないですか!」
「呼び出されて浄化の水1本でノコノコ来る奴の気が知れない。白竜だろ?しかも、あんだけ時間に猶予を持って呼び出されて、相手も何か準備してるって思うだろうが。不用心以外に馬鹿だろ」
「そ、それは…でも!先輩だって特別準備なんかしてなかったじゃないですか!」
むしろ居眠りしてたじゃん!
「アホか。俺にはやましいところは無い。お前がどういうつもりでここに潜り込んだのか。なんで白竜にいるのか。それを問いただせれば、お前なんかメルセデス先生が望もうが、俺は黒竜に入れる気は無かったからな。下手に画策なんかするか」
…そう…女である私なんか…どこにも必要とされない。
「……僕は…どこにも居場所がない…」
ため息を吐くように言葉を出せば、ナタル先輩は呆れた。
「はぁ?…お前、ここをどこだと思ってんだ?今更ここに居場所求めたってしょうがないだろ。そもそもがそもそもなんだから」
今更なんだと言うナタル先輩に、また涙が出た。
「それは!わかってます!僕だって、来るつもりで来たわけじゃないし!皆を騙してる…でもっ!」
握った布巾に涙が落ちた。
「でも…僕だって人間です…たくさんの人に会って…仲良くなったり、親切にしてもらったら…嬉しいし、離れがたい…。必要とされれば安心するし、もらった分以上の気持ちは返したいと思う。…でも…持ち上げて落とされたら…それが高ければ高いほど痛いんです」
「つまり?なんだ」
ナタル先輩は、シンプルに言え。と眉をしかめた。
「…ローズ先生に…もういいって…用は無い。さっさと行け。と言われて…」
「…だから?」
「…………」
だから…
「……僕…見限られたんだと…思います…」
先生は正直に言えって再三言ってるのに、言わない生徒に信頼なんて出来る訳がない。私が先生を信頼する以前に…こんなんじゃ、先生が私を信頼出来ないだろう。
ナタル先輩は真顔になった後、俯いて震えた。
「…はははは!!おまえ、バカじゃねぇのか?!」
そして、この爆笑。
えぇ…?なにこの人をバカにした感じ…。しかも、それが人の失敗を喜んで笑っているような…。
「先輩…僕は、先生に再三、隠し事を言えと言われて来ました。でも、言えない。言えるわけ無い。…そんな僕に、ローズ先生だって信用出来る訳無いじゃないですか!」
もう、捨てられるのは嫌だ。捨てられるくらいなら、諦めた方がいい。最初から期待しない。期待しなければ、裏切られる事も無い。答えの出ない問いかけを続けて、憎む事だってしなくていい。
「…お前なぁ…冷静になれよ?叱られてたんだろ?もういいからさっさと行けってのは、説教が終わったって事だろうが」
「…………」
…え…そうかな…?…いや…でも…。
「おまえは、あの先生の性格わかってないな」
ナタル先輩は鼻で笑う。
「そもそも、僕、まだ入学して1ヶ月ですから…知るわけ無いです」
笑われた事で、ふてくされながら言った。
「あの先生、例え裏切られようが親の仇だろうが、一度引き受けた奴は縄かけて引っ張ってでも面倒みるだろ」
「……なんでそんな事、言えるんですか…」
「実体験。俺。俺が…白竜を出て黒竜に行っても、ローズ先生は俺を気にかけてずっと声を掛けてきた。黒が白に戻る事が無くてもだ。俺が黒竜を気にしてローズ先生につれなくしても、先生は変わらなかった」
「………」
「まぁ、その代わりローズ先生、メルセデス先生にはめちゃくちゃ冷たくなったけどな」
…ナタル先輩は自ら進んで黒竜に行ったと言っていたから…そう言う所も気に病んだだろうなぁ…。
「つまり、あの先生は…頼まれても見限る事は無い。白竜の顧問らしいよな」
苦笑するナタル先輩。
「……僕は…期待したくありません…」
「何をだ?」
「僕の…父は…父だと思っていたあの人は…何も言わずに急に弟を連れて出たきり、僕を捨てました…。ずっと続くと思っていた家族が…何も知らないまま…ある日突然、終わったんです…。師匠に聞いても…わからないし…ここに来て、そもそも実の親でも無かった…」
ため息が出た。いや、ため息というか…深い失望。
「もう…期待して…裏切られたと誰かを憎みたく無い…。無条件で心を預けたくありません。誰も信頼しない…愛したく無い」
誰にでもほどほどに付き合えたら良い。ご近所さんみたいに。
ナタル先輩は私を見て呆れながら眉をしかめた。
「………お前…パッと見お子様なくせに、今のセリフ…酒場の熟女だぞ」
はぁ?!なんでそうなるか!?
「先輩…僕は真面目な話をしていたんですよ…?」
ジロリと恨めしく睨めば、先輩は手を撫でた。
「しかしな…それも解せないな」
「…何がですか…」
「教皇はお前の正体を知ってたんだろ?誰が親かはわからないが…お前みたいな希少種をあっさり手放すか?無いだろ。絶対無い。現に、今、教会はおまえを探してんだろ?」
「……。…先輩…昔お気に入りだったモノ…覚えてます?」
「は?なんだよ急に…」
「そのお気に入り。どうなりました?今でも持ってますか?毎日、触れてますか?引き出しの中に入れっぱなしで何年経ちました?」
「…お、おまえ…」
「たまたま思い出して引き出し開けた時に見当たらないからって、探したところで見つかりませんよ。あったとしても、それはもう、お気に入りでは無く、ただの古い過去のモノです」
冷静に指摘すれば、先輩は顔を引きつらせた。
「おまえ…そ、そういう事か…アルカティア人って…そういう考えなんだな…」
ナタル先輩は感慨深く眼鏡を押さえた。
「…なんですか?僕は別に人種は関係無いと思いますけど」
「そうか?…たまたま忙しくて行けなかっただけで、向こうにしたらあっという間の7年だったのかも知れないだろ?」
「先輩…どこの世界に、子供を7年も放置する親がいます?いや、例え実の子じゃなくても、それならそうと手紙の1つでも書きませんか?短い文でもいいんですよ?7年のうちの1日…いえ、短い手紙を書く数分すら割けない忙しさなんてありますか?または、本人じゃなくとも、人に頼んで状況説明があっても然るべきだと僕は思いますが、どうなんですか?こう思う僕の方がおかしいんですか?」
たたみかけるような勢いにナタル先輩は少し身を引いた。
「お…おぉ…」
目線を布巾に移した。
「最初から冷たい人ならそうでしょうね。興味が無い子供にかける情なんて無いでしょう。でも!でも…」
声が…呼吸が震えた。
…ああ。ダメだ…目が熱い。思い出すと沈む。
「………。…もう、この話はやめましょう…」
今は、終わった事よりもこれからの事を考えよう。
「僕は…ナタル先輩の事を、信用出来ると言いましたけど…本当の意味で…人に期待はしません。その人がダメなら違う人、方法を探します。その代わり、もらった分は同等か…多少の色をつけて返したい。酷いでしょうか?」
目を向けて問えば、ナタル先輩は手を握り、苦笑した。
「ふん。上等だ」
「……あ。それから…ローズ先生に…先輩と何を話したか聞かれたんで、魔法が使える僕を調べる代わりに、giraffe病やタナトスの枕に代わる物を先輩に調べてもらうって事にしましたので…そちらもお願いします」
「はぁ?…まぁ…giraffe病を調べるのはやぶさかじゃ無いが…枕の代わりって…おまえら本当に一緒に寝てるのか?」
「ベッドが狭いです。寝返り打てないし。そう言う意味でも早く代替品を見つけて頂きたいです」
不満を口にすれば、ナタル先輩は深刻そうに眉間にシワを寄せた。眼鏡を抑えて「由々しき事態だな…」と呻いた。
「…でも、どうして僕が黒竜の教室に行ったのがバレたんだろう…」
不思議に思って呟けば、ナタル先輩はあっさり答えた。
「ああ。それ、俺だな」
はぁ?!な、なんで?!
「おまえが昨夜、タナトスにかけた法術。あれな、浄化じゃないぞ。おまえ、わかって無いだろ?」
「…どう言う事ですか?」
浄化じゃ無い?でも言霊も浄化のものだし、圧縮してるだけで浄化と同じだ。
「あれは…あの黄金の光は《復活の法術》だ」
「…復活の法術?」
ナタル先輩は頷いた。
「死者を蘇らせる秘法中の秘法だ。法術師でもそれが出来るのはローズ先生含めて数人しかいない」
「死者の復活…」
「初めて出来た時に、先生はお前に言わなかったのか?」
「…聞いていません…」
「ハッ。なんだ。先生だって隠してるじゃ無いか。…おまえが魔法が使えるの先生は知ってるんだろ?」
「…どの程度とまでは言ってませんけど…」
「じゃあ、俺が聞く。おまえ、どの程度使える?」
「師匠から教えてもらった事は一通り…四元素と補助魔法…最近は超速移動の補助魔法を…」
「補助魔法まで…マジか…今度、教えろ!」
目を見開いたかと思ったら、睨んで呻くナタル先輩。
「…タナトスも使えますよ?」
「………。あいつは例えこっちが教えてくれと頼んだところで、教えるわけないだろ。そもそも、頼まないけどな!あいつと取り引きするにしても同等の材料も無い。魂まで取られたら意味ねぇだろ」
「魂だなんて…。でも、僕、タナトスから新品の補助魔法の本を借りました。お高いやつ」
「はぁ?!マジかよ!それ、最新刊?!いくらすると思ってんだ!?…ああ、そうか…アイツの親父…クソッ!そうか…チッ。おい、俺にも見せろ」
ナタル先輩は舌打ちが上手だな…。
「補助魔法…便利です。地味だけど、利便性はあると思うんだけどな」
「…補助魔法は複雑なんだよ…おまえらアルカティア人と違ってこっちは魔法石が必要なんだから」
ジロリとナタル先輩は私を見た。
「で?…その、さっき言ってた…超速移動ってどんなのだ?」
「…使うと周囲が止まっているような感覚です。時間の流れがゆっくりになるんです。時を止めるみたいな。だから、その間に移動したり出来るので…ネイロスとの果たし合いで使いました」
私の言葉に、ナタル先輩の緑の目が丸くなった。
「そう言う事か!!なるほどな!!」
ナタル先輩は納得した様子で種明かしに笑った。
この先輩は普段は無表情で冷たい印象なのに、笑うと少年のように朗らかだ。
「あー。おまえ…ズルイよなぁ…アルカティア人って何モンなんだよ…」
面白い話を聞いたと満足ながらも、決して手に入らない物に羨望を感じられながら先輩は聞いた。
「僕は…自分の事も知りません…」
生まれた経緯も、両親が何者かも知らない…そんな私に何の意味があるの…?
「…だが…教皇は何かしら知ってるはずだ。子供のアルカティア人がいた事を今まで隠し通して来たんだからな。いや、今も隠してる。…教会の捜索もアルカティア人じゃなくて黒い目の人物だろ?知らない奴は当然混血だと思うだろ」
「…先輩、良く知ってますね…」
「教会と魔法協会は繋がりがある。法術師が純潔を失えば魔法師だからな。情報も流れてくる。だが『アルカティア人が実は生き残っていて探している』なんてアホな話は聞かない。まぁ、そうだよな。それが本当なら魔法師はおまえを血眼で探す。最高の研究材料だからな。そして見つければ誰にも言わないで自分の手元に閉じ込めて、とことん研究する」
「…え。そ、そんな…」
拉致監禁じゃん。人を稀少素材にしないで。そもそも実験材料て…人間ですよ?!
「いいか?メルセデス先生だってそうだ。絶対バレるな。細心の注意を払え」
「…は、はい」
「学生の俺ですら、アルカティアを手に入れればワクワクするんだ。メルセデス先生なんて…いや、やめよう。怖すぎる…。俺も、浮かれてたな。ローズ先生だろうが知らぬ顔で黙っていた方がいい」
「…先輩、何言ったんですか…」
「…お前が俺に復活の法術をかけたんじゃ無いかと聞いた。先生がなぜそれを知っているのかと慌てたからな」
「…それで僕が叱られる事になったんですよ…」
恨めしく言えば、先輩は弁解した。
「おまえが俺を浄化したって言うからだろうが。…あのタナトスへの復活の法術を、浄化とか言ってる奴の浄化は…言わばそう言う事かと思うだろうが。一度でも復活を遂げた者は二度以降はリスクなんだぞ?俺の人生なんだから把握しておいて然るべきだろうが」
「?…二度目はリスク?なんでですか?」
「………。…おまえ…きちんと教えてもらった方がいいぞ。おまえみたいに理論よりも能力が先行する奴は安易に行使して後悔する」
「………師匠の石化が…それです…」
ナタル先輩の言葉が的を射過ぎて、沈んだ。
「だろ?…だが、それはおまえのせいだけじゃ無い。魔法には失敗は付き物なんだ。失敗しない奴はいない。それを見越して教えるのが先生や師匠の役目だ」
「……デボラは悪くないです…ちゃんと禁忌の事は聞いてました…仕法を重ねるのはいけない事だと」
「言うだけじゃ不十分だ。おまえが真に理解して間違いが無いようにする事…それが教育者だ。…だが…デボラほどの者が、なんで身代わりになったんだろうな…」
「え。それは…僕の師匠だし…親代わりだし…」
「アホか。おまえみたいな未熟者をかばって石化するより、石化したおまえをデボラが救う方が早いだろうが」
「……た…確かに」
やだ。納得。
「しかも、ヒュプノスってヒントも知ってたんだろ?」
ああ。確かに!!
「…なんか意図があるんじゃないか…?」
「…意図…でも、突然の事だったんですよ?!とっさにかばったって事も…」
「…それはわからん。俺はその場にいたわけじゃ無いし」
「…あぁ…そ、そうですね…」
「まぁ、そっちの禁忌の石化も調べる」
「先輩。僕はそっちがメインなんですよ?giraffe病の方はついで…と言ったらタナトスに悪いけど…」
「は?俺のメインはおまえだ。アルカティア」
ナタル先輩は私の手を引いて意地悪く笑った。まるで自分の物だと言わんばかりに。
「……。…ローズ先生に、僕が1人で黒竜の教室に行った事、密告ったくせに…」
「それは俺は言ってない」
「え?さっき自分だって言ったって言ったじゃないですか!忘れたんですか?」
「お前を夜中、黒竜の教室に来るように呼び出したとは言って無い。タナトスを夜中に浄化してるのを見たとは言ったがな」
眼鏡を指であげて、ナタル先輩は平然と言った。
「え。じゃ…じゃあ…?」
なんで?どこから漏れたの?
「あと知ってるのはタナトスだろ」
………ああ。そうだ…。タナトスだ…。あいつめ…。今度はいちいち口止めしとかないとな。
ナタル先輩は私の手を離して立ち上がった。
「…先輩?」
「そろそろ時間だ。俺は戻る。おまえは?」
「……模擬戦見学ですよね…僕…人が争うの…見たくない」
いくら模擬でも、戦うわけでしょ?…怖い。
「………。原住していたアルカティア人は戦いを嫌い、オケアノス人の策略に従ったレムリア人によって駆逐され絶滅した…」
緑の目が私を見下ろし、教科書の一文を読むかのように紡がれた言葉に感情はなかった。
「もったいない事するよな。アルカティア人が生きてれば…今頃もっと魔法は高度に栄えただろうに」
続けてそう呟いて、ナタル先輩は温室を去った。
「…………」
念願の1人になって…シンとする温室に、寂しさを感じた。
右手が熱を失い冷えてくる。
ナタル先輩の絶滅という単語に、それまで認識していなかった仲間がいない事への孤独感を意識して、悲しかった。
アルカティア人だから?この孤独はそうなの?
そうかな…?でも、どこにも居場所を感じられない気持ちって…夢の中でもあった。
夢の中では皆、同じ日本人。両親がちゃんといて、家族があって…男女共学の学校で…同性の友達もいる。だけど、やっぱりふとした時に孤独感はあった。スマホで通知のないLINEのチェックをしちゃうほど。
「(……なにかのせいにするのは…違う…)」
そう呟いても…応える人はいない。
誰かのせい。何かのせい。自分は悪くない。そう決めて泣くのは辛いけど、ラクだ。ひとしきり泣けばきっとスッキリする。
…でも…本当にそう?
そう自分に問えば、涙は出ずにため息が出る。拠り所のない気持ちが重たくて、ベンチの上で膝を抱えてうずくまった。
午後の模擬戦が始まる前…白竜の席には午前中同様にニルの姿は無かった。
「…なぁ、ニルは…ぶっ続けで説教くらってるわけ?」
アッシュが聞けば、ロンが瞬いた。
「え。いや?…だってローズ先生、救護席にいただろ?…あ、ほら。そこ」
赤毛の見栄えのする先生は目立つ。
「昼飯、いなかったよな?」
「見てない」
「…僕、見たよ」
その言葉に顔を向ければマックだ。
「フードかぶってたけど、厨房覗いてた」
「フード?……それ、ニルがヘコんだ時によくかぶるよな?」
以前は法術が一度で出来なかったと、灰のようになった時だ。
「なんで厨房?」
ニックが問えば、マックが答えた。
「僕、ニルがまたぽてちを作ってくれるのかと思ったけど…ニル、黒ローブに連れて行かれたから」
「なんだ。タナトスと一緒か。じゃあ、またサボりか」
「でも…今思えば…タナトスじゃなかったかも?」
ポツリと言ったマックの言葉に、アッシュもニックも固まった。
「おい…マック…そこ、大事な所じゃ無いか?」
「う、うん。でも、僕…ぽてちの事考えてて…誰だったかハッキリしなくて」
自信のなさそうなマック。
「なんでハッキリしないんだよ?!わかるだろ!死神と黒竜じゃ、悪魔と人間だぞ?!」
それで今、気を付けなくてはならないのが悪魔の方ではなく、人間という所が何だが。
「う。うーん…どうだったかなぁ…?」
マックはまた横に大きくなって来た体に腕を組んで頭をひねった。
「あの灰みたいになった時のニル、全然、判断能力無かっただろ?そんな時に黒竜って…ヤバくないか?」
「いや、決めるのはまだ早い。…実際はタナトスで、マックの勘違いだってあるだろ?」
「確かに。ニルとタナトスは大体いつも一緒だしな」
事なかれで済めば良い。と、1年生が頷いた時、背後で声がした。
「……枕…無い…」
「「うわぁ!!」」
驚いた。本当に死神のように神出鬼没で背後にいるのはタナトスだ。
「た、た、タナトス…」
「マジで心臓に悪いって…」
タナトスは、白竜の席に佇み陰鬱そうに枕が無い事を告げた。その声は決して大きくないのに、不思議と脳内の恐怖に突き刺さる声だ。心拍数が跳ね上がる。
「え。てことは…?ニルは1人か?」
…………ヤバくないか?
そう誰もが思った。
「あ。思い出した」
そんな時、不意にマックが声をあげた。
「後ろ姿だったけど、その人、フードかぶってなかった。茶と黒の髪…」
「メルセデスか?!」
アッシュの言葉に、マックは首を振る。
「う、ううん。生徒だよ。あ!あの人だ」
指指した先には、模擬戦のフィールドで青竜の生徒が起こした火球を、あっさり消して更に周囲を凍らせるダイヤのキングがいた。
「は?ダイヤのキング?黒竜の…3年生じゃん…」
眉をひそめた時、背後にいたはずのタナトスの気配が無くなった。
うっかり投稿期日過ぎてました。




