第25章 俺は別にお前なんかには興味は無い
その声は聞いた事が無い。
左後方からだけど、麻痺した体が動かないから振り返れなかった。
「あ!…いえ…これは…」
途端に焦り出す青年。
「俺たちは別に!ちょっと遊んでるだけです」
「すみません!すぐに出て行きますんで!」
私を慌てて背中に隠して動かそうとする青年を、知らない声が引き止めた。
「待て。おまえら…それはなんだ?」
落ち着いていて抑揚なく問う声に、青年達は対照的に慌てている。
「何でもないです!!」
青ざめて悲鳴のような青年達の声の後、靴音がゆっくり私に近付いて来る。
そして…同じく黒いローブを着た、黒茶の髪に緑の目をした青年が私を見下ろした。その彼は、新緑のような緑の目に、この世界では珍しい眼鏡をかけていた。
「…………」
「…………」
黒竜の…誰だろう?なんか、怖がられてるみたいだけど…。
圧迫感のある空気に青年達の誰かが「…ヒッ…」とわずかに声をあげた。
…怒らせたら物凄く面倒な人みたい。
「アレンディ…」
名を呼ばれ、ビクリと体を揺らすにはリーダー格の青年だ。
「白竜に麻痺の魔法をかけて、どういうつもりだ?」
「ど、どう…と言われましても…」
しどろもどろに目を泳がす青年の後ろで、仲間の青年は顔を見合わせて焦っている。
「そ、そいつがここに侵入してきたから、ちょっと脅しただけです!」
いや、待って?私は今日はまだしてないよ!灯り点けに来ただけだもの!
アレンディと呼ばれた青年に批難の目を向ければ、緑の目の青年が箱に収められた光玉を見た。
「灯り点けを侵入者と言うなら、今後、黒竜は毎日白竜に頭を下げて灯りをもらいに行く事になるが…アレンディはそれを望むのか。ならばそれを行うのはオマエだな」
淡々と言う緑の目の青年に、アレンディは悔しそうに言った。
「キング!…俺たちはただ!先生の希望を叶えたかっただけです!!」
その言葉に、緑の目の青年の空気が冷えた。
「…なんだと…?」
しかし、その空気に気付かずアレンディは言い訳を並べる。
「先生はコイツをウチに引き入れたいんでしょう?!白はどうせ、いつか黒になる。それが今だって良いじゃないですか!俺達は黒竜を思って動いただけです!」
「……へぇ…黒竜のため…?…模擬戦を明日に控えた今日、白竜のハートのキングを奪うのが黒竜のためか」
緑の目の青年は冷え冷えした声でアレンディに言った。
「クソが…こんな2年が黒竜を案じるとは…黒竜の頭の質も落ちたもんだな…。いや、俺たち3年の指導不足か?それはすまなかったな。手遅れかも知れないが、今からでも教えてやる」
「そ、そんな!!だって!キング!あんただって元は白竜…」
アレンディの慌てた言葉が終わらないうちに、緑の目の青年の手には黒い炎が浮かんだ。
『ヒュプノスの加護を受けぬ暗黒の夢魔よ…この者達を仄暗い闇の深淵へと導きたまえ』
え?…ヒュプノス?ヒュプノスって?!
緑の目の青年が言霊を紡ぐと、彼の手に揺らいでいた黒い炎が大きく膨らんで、黒紫の影のような物が一瞬で教室に広がった。
気が付けば私は白いタマゴ。
それは産まれてからずっとそうだったと、当たり前のように腑に落ちる。
周りを見れば見知った白竜の皆もいて一様に皆、白いタマゴだ。
皆、ワクワクしながら口々に「早く孵化したい」って言う。
そう。タマゴの憧れは空へ羽ばたく鳥になる事だ。
敷き詰められた柔らかな木屑の敷物は私達が割れないように守ってくれている。
タマゴは脆い。遠くに見える崖は危険だ。
タマゴは自分だけじゃ鳥になれない。温めて孵化を促してくれる親鳥が必要だ。でも、そこには私達タマゴだけで親鳥の姿はいない。
いや、親どころか他の鳥は一羽もいない。皆が皆、希望に満ち溢れた気持ちなのに、私だけ不安が増した。
このまま孵化出来なかったら?身動き出来ないまま…タマゴはいずれ腐る。
しかし、仲間のタマゴはそんな心配もせず、ただ純粋に孵化を疑わず、その希望でいっぱいだ。
待ち続けたある時、大きな手が伸びてきて仲間のタマゴが1人、連れて行かれた。
待てど暮らせど戻らないタマゴに、仲間の中で、「あの手に掴まれれば、次に孵化出来るのでは?」と期待が流れた。
「待って!あれは鳥じゃない!孵化出来るかなんて確かじゃない!」
そう叫べど、仲間は信じない。
逆に、「じゃあどうすれば孵化出来るんだ?」と責められるくらいに、皆、待ち焦がれた。
大きな手が伸びるごとに自らを競って差し出すタマゴ達に、仲間は1人減り2人減り…いよいよ、私と残り1人。
「行かないで!」と制止した私を避けて、「先に行くぜ!」と人の手に掴まれて喜んで去ったタマゴ…。
とうとう1人になった私は、どうしたらいいのかわからず、ただただ怯えるだけ。
それでも、去って行った皆が恋しくて、過ぎゆく時間に焦りが募って…
親鳥は?私はいつまで腐らずにいられるの?連れ去られたみんなはもしかして孵化出来たのかな…。
怖がりながらも、変化を求めてそっと崖のふちまで転がれば、崖から覗いた光景…それは厨房だ。
無惨に割られ、捨てられた無数のタマゴの殻。それは孵化して割れたのでは無く…熱々に熱せられた黒い巨大なフライパンは油がひかれて熱気と白い煙が立ち込めている。
衝撃と恐怖に身がすくんだ。
「おや?おっと。危ない。こんなところにタマゴが。落ちたら…もったいないですねぇ」
そんな声がして、ヒョイと私はつまみ上げられた。手足の無いタマゴに振り払う手段は無い。
タマゴを掴んだその人は…ご機嫌なメルセデス先生だった。
「おい。起きろ」
体を揺らされて、ビクリと震えた。
目を開ければ、目の前は床だ。そばに誰かが屈んでいる。
ゆっくりと身を起こすと、黒竜の教室…その床には複数の青年達が同じく床に転がっていた。
何度か瞬くと、緑の目の青年が眼鏡を指で掛け直していた。
「…え?…あれ?…なにが…?」
呆然と呟く私に、黒ローブの青年は面倒そうな声で言った。
「…起きたか。悪かったな。これは黒竜の総意では無い」
「…………」
ボンヤリする思考を呼び戻そうとすれば、床に寝ていた体は冷えていてローブを脱がされていた事に気付いた。
麻痺していた体が動く。
そうだ。シャツのボタン!
慌てて開いた首元を手で押さえれば、鈴がシャリンと鳴った。
とりあえず、ボタンを閉めて床に落ちた白いローブを手繰り寄せた。
「……。それは、法術師の登録票か?」
眼鏡の奥の緑の目が私の首に下げられた白銀の札を見て聞いた。
「…は、はい…そうです…」
「なぜ、1年生のお前が持つ?…それはお前のか?」
「…ローズ先生が、僕が3年生になるまで未登録でいるのは良くないから…今のうちに登録するって…」
「……。後見人はお前の親か」
「いいえ。僕は親がいません。ローズ先生です…」
その答えに、眼鏡の奥の緑の目は見開いた。
「は?…先生が?わざわざ…?」
「はい」
白いローブを着込み、身支度を整えると相変わらず倒れている青年達が「…うぅ…」と苦しそうに呻いた。
「あの…さっき、ヒュプノスって聞こえたんですけど…あれは…なんだったんですか?」
私の問いに、緑の目の青年は立ち上がり周囲を見た。私も座り込んでいたのをヨロヨロと立ち上がった。
「ナイトメアだ」
「ないとめあ?」
「知らないのか?…悪夢の魔法だ。調子にのった者をシメるのに黒竜では使う。今回は逃げないように範囲魔法を使ったから、おまえも悪夢を見ただろ。すぐに起こしたから大したダメージじゃ無かっただろうが…」
そうだ。あのタマゴの夢…今でもハッキリ覚えている…。
目覚めた今ならあり得ない話で現実味が無いが、夢を見ていた時は自分は本当にタマゴそのもの。
その迫真が、とても…怖かった。割れたたくさんの仲間の白い殻に、取り残された寂しさと絶望…。
孵化を信じて憧れていたのに…割られて食べられるタマゴに…鼻の奥がツンとした。
「仲間が…それで成長出来ると信じていた事が、実はその命を奪う事で…僕は…知ってて止められなかった…皆、信じてくれなくて…とても…悲しくて…辛い夢でした…」
意気揚々と、「先に行くぜ!」と望んで掴まれて去ったタマゴを思い出して、ポタリと涙が出た。
「……。お前にとって、それが恐ろしい事なんだろ。だが、悪夢は見続けるほど程度が上がる。その続きを見なくて良かったな」
…続き?…あの夢に続きがあるのか…いや、じゃあ、今も倒れている彼らは悪夢にうなされている最中?
倒れている黒いローブの青年達は、時々、苦しそうにうなされている。
「…あの…そろそろ起こさないんですか…?」
「まさか。これからだろ」
同じく黒いローブの青年は冷たい笑みで倒れた青年達を見下ろしている。
「…でも…」
「こいつらは黒竜のためと言いながら、実際はお前を無理矢理ウチに引き入れて、自分達の手柄が欲しかっただけだ。だが、そんな事をしてどうなると思う?白竜は二度と黒竜を許さないだろう。特に模擬戦の前で白竜の怒りを買えば後方支援は望めない。そればかりかケガをしても後回しだ。今後、魔法の授業でケガをしても治療は望めない。それに日常の灯りはどうする?暗い中で本が読めるか?コイツらは本気でバカだ」
床に転がる黒竜の生徒を見て吐き捨てた。
「(もう…あんな思いはしたくない…)」
わずかにそう呟いた青年の黒いローブには、クスト先輩と同じダイヤをかたどった王冠のバッチが付いていた。
「あ…!もしかして!あなたがナタル先輩ですか?!」
そうだ!さっき、意地悪な青年が元白竜って言ってたし!王冠のバッチはキング…ダイヤのキングだ!
改めて見たその青年は、黒茶の髪に緑の目をした眼鏡が知的な人だ。ややつり目で冷たい感じがするけど、助けてくれた事を思えば良い人なんだろう。うん。多分。
「……そうだ。ナタル・プロキオン。現黒竜ダイヤのキング…お前達になんて言われているか知らないがな」
青年の冷めきった態度に構う事無く、私は興奮した。
「僕!ずっとあなたにお会いしたかったです!」
クスト先輩が交流を絶ってしまった元白竜のダイヤのキング。キングという役持ちの3年生!
どんな人か気になっていた。どうして白竜を去ったのか。それから黒竜でどうしたのか。同じキングという役持ちで、3年生の先輩は他にいない。
「……。俺は別にお前なんかには興味は無い」
しかし、ナタル先輩はつれなく、そう冷えた目を向け答えた。
「僕はあります!!先輩に聞きたい事がたくさんあるんです!!」
「あぁ?俺が答える義理は無い」
嫌悪するような表情と声。
つ、冷たい。しかし、諦めるもんか!!
「いいえ!あります!」
「…なに?」
ナタル先輩の緑の目が訝しんだ。
「僕、今日の事、ローズ先生や白竜に黙ってます。だから、教えて下さい」
「……。取り引きしようって言うのか?」
う。こんなに不快感を露わに睨まれた事って…無い。
「あの…その…本意では無いです。でも、僕はどうしても知りたい事が、たくさんあるんです」
「………おまえは自分が上にいるつもりかも知れないが…俺も、お前の秘密を知っている」
冷えた緑の目を向けて、ナタル先輩は私にそう言った。
普段は遠目で見るその色…久しく至近距離で見る白いローブは、かつて俺が一時期、身にまとった事のある色だ。
手放した事に後悔は無い。
だが、このローブの色と同じように、汚れを知らないような純粋な目で見られると、その首にかかる白銀の札も相まって、不快な気持ちが沸き起こる。
これはなんだ?なぜ、イラつく?聞けばなんでも当然のように教えてもらえると思いやがって…。
そうか。これは…苦労を知らないで、大事に守られた子供が、手当たり次第に何でも欲しがり、労せず手に入れるのを見るような不快感だ。
俺は苦労して得てきたのに、コイツはそれをおいしいところだけ聞いて自分のものにしようとする。自分だけが正義であるかのように。同じ混血のクセに、目の前の奴はなんでこんなに警戒心も無く他人に甘えられるんだ?見た目か?未成熟さを武器に取り入って来たのか?
そうして踏み台にして先に行こうとするのを許せるものか!
「え?…僕の…秘密?!」
驚きと困惑を浮かべる顔は、わかりやすい。
「そうだ。バラされたく無ければ、黙っていろ」
「秘密…えっと…」
子供じみた様子で首を傾げた。
「…先輩。それは…どんな秘密の事ですか?」
「なに?」
「具体的に言って下さい。どんな秘密ですか?」
ジッと見上げる黒い目は、聞かなければ約束出来ないと言っている。
「……いいだろう。おまえ…魔法石を持っているだろ」
1ヶ月前…黒竜が管理する温室で、白いローブが不自然に舞うのを見た。温室は無風だ。風などあるはずが無い。
不審に思ってそっと覗けば、新入生が風の魔法を使ってローブを舞わせていて驚いた。室内で風を操るのには魔法に慣れていないと難しい。
それを白竜の生徒が?
法術でなく魔法を使うなんて二度驚いた。
その後、考えたのは、ハートのキングは純潔でないという事だ。
マドラスが間違えたのか?いや、それは無い。あの目の黒さは間違いなく混血だ。ならば、生まれ持った魔法の断片だろう。混血には稀に微弱な魔法が使える者がいる。だが、あれは微弱では無い。選定後に汚れたのか身代わりした別人だったのか知れないが、法術が使えないハートのキングはいずれ白竜から黒竜に来るだろうと思っていた。
しかし、青白く鳴く奇妙な光玉を作ったと噂になり、校舎全体に降り注いだ範囲回復が、ハートのキングの仕業と聞いてわからなくなった。
本当に本人が行ったのか?
どういう仕掛けか気になったが、ハートのキングには絶対に何かあると思った。
それと同時に、こんな有り得ない事態に関われば厄介な気がした。
3年生の大事な時期に気を散らせたくない。研究論文も詰めている。ゆえに、他の生徒が騒ぐ中で、自ら関わらないと決めた。
しかし、今日。陽が落ちてきて灯りを取りに出れば、この有様だ。
俺が白竜を出たせいで、黒竜には負担を強いた。同じ轍は踏みたくない。
さっさと示談にして事無く済ませたい。後輩には二度と白竜に関わらないようにキツイ制裁を加えて締め上げればいい。
先生が何かをする分には生徒の俺たちには咎めようがないが、あの先生ならば逆に手出しは余計だ。
ハートのキングの仕掛けは何か知らないが、魔法をあれだけ自在に使うならば必然的に魔法石を持っているはずだ。
個人で魔法石を持つには届けが必要。白竜は黒に染まる事があるから直ぐには無いが、黒竜の生徒なら選定後に行われる国への魔法登録。それが無い者の魔法石の所持が許されるはずも無い。つまり無許可の所持だろう。これは校則どころじゃ無い。法に違反する。
「…僕が…魔法石を…?」
学生が授業で持つのを許される魔法石は、使用中に時々自然と僅かに砕ける。
その砕けた魔法石を密かに着服して持つのは、規律に厳しい青竜では許されないが黒竜では公然の秘密だ。でないと、在学中の限られた時間に、数ある魔法を習得するのは容易ではない。
そうして密かに受け継がれた魔法石は大きさこそ小さいが、小さいからこそ人々の手から手へと取引される。コイツもどこからか秘密裏に入手したに違いない。
そう判断して迫れば、黒い目はキョトンと瞬いた。
「…僕は持ってませんが…?」
嘘にしては、上手い。コイツはわかりやすいのではなく、それ全てが演技なのか?ならば用心せねば。
「…しらばっくれるな。俺は見た。温室で風の魔法を使っただろう」
「…温室…?…ああ!あの時?!やっぱり!誰かいたと思ったんです。そうだ。思い出した。あ。あれ、ナタル先輩だったんですね」
魔法の事はアッサリ認めたハートのキングに、警戒心が出る。
「……白竜でありながら魔法を使った事は認めるんだな」
そこで黒い目が困ったように影が落ちた。
「見られたのならば仕方ありません…。これは僕と特定の人達との秘密なんですけど…これからはナタル先輩もその1人ですね」
そう言う後半は、なぜか嬉しそうだ。意味がわからない。
つまり、「知っている者の顔ぶれで揉み消せる。それは大した取引カードにならない」と言いたいのか?ハートのキングのその秘密を知る特定の人達とは誰だ?…学校関係者か?重役か?…王族か。
「そうです。僕は魔法が使えます」
「では、法術は使えないな。その登録票は虚偽だ。没収になる」
白銀の教会登録票は法術師のみに与えられる身分証だ。
「いいえ。僕は、白竜ですから。まだ不完全ですけど…法術も使えます。ああ、もうだいぶ日が暮れましたね」
そう言うハートのキングは難なく光玉を作り、間近にあった机のガラスのランプに入れた。
白銀に輝く光玉は魔法では作れない。目の前で作られたそれは紛れもなく法術によるものだ。それも錬成まで早い。
「なっ…どう言う事だ?」
そんなバカな!
「教えろ!!おまえは…なんなんだ?!」
タネのわからない手品を見ているようで、思わず声をあげればハートのキングは何かを見て眉をひそめた。
「…ナタル先輩…さすがにもうこの人達を許して頂けませんか?」
指摘したのは未だ床で悪夢にうなされる後輩連中の事だ。
まるで身内が傷付けられているようなその顔に、忘れていた白竜の教室を思い出す。
それは黒竜では無縁だ。仲間意識は無くは無いが、あくまでお互いの利益が望める事を前提とする。
ハートのキングを遠目で見た時、旧友だった奴が嬉しそうに肩を組むのを見て昔を思い出した。
無意識に拳を握った自分が嫌だった。
「…そう思うなら浄化してやるんだな。法術師なら容易いだろう」
優しさなど邪魔だ。情けをかけたところで、かけた相手に足を引かれるならば、力でねじ伏せ二度と歯向かわないようにわからせた方が確実だ。
白竜のキング…しかも1年の言いなりになるのが嫌で、そう言うとハートのキングは戸惑った。
「…あの…すみません…僕、まだ…未習得で…浄化はタナトスにしか効かないんです…」
はぁ?なんだそれは。そんな事があるのか?
どうせもう使えない法術の事は勉強していないから…真偽が掴めない。
「それで、よく登録票が発行されたな」
馬鹿にしたように言えば、ハートのキングは俯いた。
「…僕は…皆が言うほど大した奴じゃ無いんです…」
「…だが、魔法も使える。そうだな?」
「…そうです…。もういいでしょう?早く、魔法を解いて下さい」
脂汗を受かべて苦しそうにうなされる奴らに、耐えられないとハートのキングが急かした。
「……。では、コイツらの魔法を解く代わりに質問に答えろ」
こんな要求、黒竜ならば鼻で笑う。なぜ、自分を脅した奴らを助けるために自分を危険にさらすのか。なんの見返りすら期待出来ないのに。
だが、白竜ならば見て見ぬ振りは出来ないだろ?
「なんの質問です?」
「光玉が作れるのになぜ魔法が使える?しかも、だいぶ慣れているだろう?」
むしろ、あの風の練度では魔法の方が慣れているようだ。
「……それは…」
言い淀むハートのキングの側でアレンディが「うわぁー!!く、来るなー!」と悲鳴をあげた。
ビクリと体を震わせるハートのキングに、アレンディがもっと苦しんでその姿を見せれば良い。と願った。
白いローブの小柄な1年生は泣きそうな顔をしながらオロオロとアレンディを見ている。
「どうする?…悪夢の魔法は精神崩壊もするぞ?心を砕かれた者は死ぬ」
それは半分嘘で半分は本当だ。初期の悪夢の魔法ではうなされるだけだ。ただ、熟練の魔法使いが本気の悪夢の魔法を掛けた時は別だ。
過去にメルセデス先生の逆鱗に触れた生徒が、先生の悪夢の魔法を食らって発狂した。その後、忘却の魔法をかけられて何とか死なずに済んだが、それからその生徒は性格が真逆の臆病な奴に変わった。
アレを間近で見せられてビビらない奴はいない。こんな程度の悪夢はまだチョロい。
だが、白竜のヌルい教室で模擬戦すら経験してない奴をビビらせるのは充分だろう。
「や、やめろ…た…助けてくれ!!」
他の後輩の悪夢も佳境入ったようだ。
うなされて口々に許しを請うと、ハートのキングはさらにうろたえた。身を屈めてアレンディを揺さぶって起こそうとするが、そんなので起きる訳ないだろ。
「やめて!!もうやめて下さい!!こんなの酷い!!」
自分の無力感にポタポタと泣いて非難するハートのキングは、情けなくてため息が出るくらいに脆い。
まだ浄化の法術が使えないのは本当なようだ。
1年生とは言え、こんなのが本当に四竜で次席と称されるハートのキングなのか?こんなんで白竜、大丈夫か?
わずかに在籍した古巣とは言え、不甲斐ないハートのキングに白竜の行く末を憂いた時、教室の扉が開いた。
目を向ければ、黒竜の生徒だ。
「なんだ。見てわかる通り取り込み中だ。後にしろ」
一瞥して目を離せば、脳裏に黒竜の誰だったか問いかけが起こった。
そうだ。黒竜でありながら黒竜でない奴がいた。四六時中、フードを被り死神のような気配をまとう禍々しき存在。
「…タナトス…」
ハートのキングがその名を口にした。
そう、白竜ハートのキングに付きまとっている宰相の息子。ジョーカーだ。
「…おまえがここに来るなんて珍しいな。タナトス」
黒竜のくせに教室には寄り付きもしない。ジョーカーという選定はどういう役持ちなのか。過去の事例が無くてわからん。だが、絶対、まともな奴じゃ無い。
最初はジョーカーとはどんな奴かとは思ったが、とびきりの不快な気配…奴の威圧感に周囲が引いた。
タナトスは教室に倒れている黒竜の生徒には目もくれず、アレンディの側で座り込んでいるハートのキングに近寄ると問いかけた。
「…プニプニ…何をしている…?」
「…タナトス…僕…この人達の悪夢の魔法を治してあげれないんだ…」
涙を拭って答えるハートのキングをタナトスは見下ろした。
「…………これが…悪夢…?」
タナトスはフードをかぶったままの頭を、うなされているアレンディに向けて言った。
「…魔法を解けばいいのか…?」
おい。なんだって?
「タナトス…出来るの?!」
驚いたハートのキングにタナトスは「…1時間…」と呟いた。その言葉に何の事だと眉をひそめた時、「わかった」とハートのキングが頷いた。
その許諾を受け、タナトスの手にメルセデス先生で一度だけ見た事があった呪怨の塊が浮かんだ。
目を疑った。が、間違いない。悪夢の魔法の最終形だ。
…嘘だろ。おい…!!詠唱も無くそんなに容易く出せるものか!!
ウォオォォォォ!!と地鳴りのような耳障りな音がした。
それは、闇の深淵に渦巻く呪怨。終わらない苦痛と怨念で形取られた黒い3つの穴は声にならない雄叫びのような音をあげ、自身を燃やす黒い炎から逃れようと激しく悶えているようだ。
『ナイトメア』
タナトスのその一言だけで、呪怨は解き放たれ刹那、視界は暗転した。
教室が真っ暗になった。いや、ここは教室か?
頬をわずかに風が擦った。ヒンヤリとした感覚は紛れもなく現実だ。黒竜の教室が、校舎が消えた。
上も下もわからないくらいの真っ暗な世界で、立っている事だけはわかる。
すると、遠くでドォォーーン…!と音がした。微かに人のような声もした気がする。闇に目を凝らせば、今度は更に大きな音で、ドォオーーン!と音がした。近くなったその音は、何かを叩く音だ。
なんだ…何が…?
暗闇に少し慣れた目に、足を一歩踏み出せば、ヒュゥ…と風を切る音がして、ドオオーーン!!と空気が震えるほどの音を立てて大きな落下物が落ちた。顔に温かな水がかかり、反射的に手で拭った。
闇を照らすように火の魔法をおこせば、体に感じる魔力がもの凄く弱くなっていた。頼りなく燃える炎にようやく近くの光景が見えた。
見えたけれど、認識するのには数秒かかった。
なぜなら3歩先に落ちてきたソレは…部分的に…かつて人だったものだ。
拭った手がぬるついた。わずかに吹く風で乾けば今度はベタっと張り付いてくる。
これは…血だ…。
それから暗闇に同じ音が乱発する。人が落下して地に叩き付けられる音。一体、何人の人間が落下してくるのか。落下の衝撃でか…はたまた落ちる前からなのか、叩きつけられた体は砕け、ガラスのように肉が散りじりに飛び散っていく。
雨のように落ちてくる無数の人間の中には、落下の恐ろしさに絶叫し声をあげる者もいた。暗闇の中、近付く叫び声が耳にこびりつく。はね付けてくる血や肉は温かく、命がたった今まで続いていたのがわかってしまった。
死体が落ちてきているんじゃない!生きた人が…落ちてきているんだ!
あまりの衝撃に反射的に逃げた。どこに行けばいいかなんてわからない。どこに落ちてくるかもわからない。だが、高速で落下する人間の下敷きになればこっちまで死ぬ。
先の見えない暗闇を頼りない炎を頼りに闇雲に走った。
足元で雨水のように溜まってはねる水はヌルついていて、ただの水じゃない。走るたびに増えるのは踏みつける柔らかい肉の感覚…足元に絡む柔らかいヒモ状の肉片、臓器に足を取られて転びそうになった。
血肉の地面に倒れ込む事をなんとか防ぎ、息を吐いた。その時だ。
「…ナタル…ナタル…約束しただろ…」
不意に足元で名を呼ばれて狼狽えて一歩下がった。自分の名を知る声を探すと再び足元で声がした。
「…いっ…てぇ…痛ぇ…治してくれ…」
足元に転がっていたのは…真っ赤な血に染まった布に包まっていたのは、四肢が千切れた旧友だった。
「そんな…クスト…クスト!!」
「…ナタル…治癒を…かけてくれ…」
「治癒…無理だ…俺には…治せない…白じゃ無いんだ…」
「…なんでだよ…約束しただろ…約束…したじゃないか…」
「やめろ…無理だ…無理なんだ…」
「…俺…手を…足も…なくしちまった…これじゃ…もう…法術が…使えない…誰も治せない…」
「クスト…どうした…なんでこんな…!」
「…アイツだ…あの恐ろしい…バケモノが…」
「なんだ…なにがいる?!」
闇の果てから、巨大な何かが近付いてくる音と気配がする。地鳴りのような音と共に、獣のような足音は、砕けて堆積したおびただしい数の死体を踏みつけて、骨が折れ肉が潰れる不快な音をたてながら真っ直ぐにこっちに近付いている。
「あ…あぁ…ナタル…ナタル…助けてくれ…アイツが…また俺の体を喰らう…」
恐怖に怯える目をすがるように向けられて、俺は躊躇いながら手を伸ばせば、ドッ!!と巨大な影がクストの体を目の前で完全に押し潰した。
飛び散る飛沫は体にこびりつき、耳に骨が砕け、肉が潰れる不快な音がした。
「クストッ!!」
目の前のその至近距離に…真っ赤に燃えた複数の目がこちらを捉えた。
体は1つでも目がいくつも光っている。
近過ぎて、全体像は見えなかった。ただ黒い塊…その中に角のような太く鋭い牙が無数に並び、ヨダレが流れ、地鳴りのような低い音は、そいつのわずかな唸り声だった。
その獣の腐敗したような生温かい臭い息が全身にかかる。
「…ヒッ…!」
…喰われる…嫌だ!!
恐怖で身がすくむ。逃げたくても、わかる。少しでも動けば…一瞬で捕らえられる。
呼吸すればやられそうで、息すら出来ない。じっとりと汗が滲む。殺気で指先少しも動かせない。
だ、誰か…!!
あえぐようにわずかに顎が動けば、巨大な牙が動きその口が開かれてヌラヌラしたヨダレが滝のように流れた。
その時、背後から強い光がさした。
バケモノが光を厭い、一瞬で身を引き、消えた。
足元のおびただしい血と肉が霞のように消えていく。
光はどんどん広がって、全ての闇を白く塗り替えた。振り返ればひと抱えはある光の玉が浮かんでいて、その中から光を放つ、むき出しの白い腕が伸びて来た。
柔らかな曲線のその腕は女の腕だ。滑らかな質感には手の指の爪先にいたるまで美しく、その手は光の玉からそれ以上手を伸ばせずにこちらに差し出されている。
呆然とその手を凝視していたら視界の隅で闇が光を押しているのが見えたから、迷わずにその手を取った。
グイと体が引き上げられて光の玉に吸い込まれた。
光が俺を抱えて引く。それを闇が追いかけて、俺の足を捉えそうになったが、光は入り口を閉じた。目には見えなかったが、闇が返せと光の外で騒ぐ。そう感じられた。
あの闇が怖ろしくて、掴んだ手…命綱を失わないように腕ごと抱え込んだ。光の中の腕はその先に体は無かったが、不思議と安心出来た。
その光の中は上も下もなく、ただ温かな淡い光の中に漂っているような心地よい感覚だった。
タナトスの魔法がナタル先輩を包むと、ナタル先輩は倒れた。
黒紫の炎が幻影のようにナタル先輩を包んでいる。
「タナトス?!何したの?!」
魔法からの解放を望んだのに、意識不明者が増えた。
「…術者を殺せば魔法は解ける…」
その言葉に、血の気が引いた。
「ダメだよ!!」
なんでそんなに極端なの?!どうしよう!!私が頼んだからだ…!!
ナタル先輩に駆け寄って、うつ伏せから仰向けにすれば、先輩の目は開いているのに、その緑の目には違うものが見えているようだ。
しきりに辺りをキョロキョロとせわしなく目を動かしながら何かを見ている。
「先輩!!ナタル先輩!!」
声をかけ、体を揺すっても、反応は無い。先輩の体にはタナトスが発した黒紫のモヤのような物がまとわりついていた。
「…うッ…うわぁあッ!!」
ビクリと体を震わせて叫んだと思ったら、ナタル先輩の体は激しくケイレンし始める。
「先輩!!先輩!!起きて!!起きて下さい!!」
揺らしても、叫んでも、先輩は悪夢を見ているのかその目が恐怖に慄いた。
どうにかしないと!どうやって?!誰か呼んでくる?!でも、その間…大丈夫なの?!
ガタガタとケイレンは激しくなり、ますます状況は悪くなる。
「先輩!!しっかりして下さい!!」
手も足も全身が激しく震え、床に打ちつける先輩の手を抑えた。
震える手は雪山にいるみたいに冷たかった。温めたくてその手をさすると、法術が光った。
「え…」
白銀の光でさするとナタル先輩を包む黒紫のモヤは消えた。
「消える…?」
汚れを消すように、見えるモヤは全て手で払うとそこから震えは収まってきた。
効いてるのかな?…効いてるよね?…お願い効いて!
効果があるなら試さないわけにはいかない。私は浄化の法術を意識しながら、先輩の体をさすった。
それにより、先輩のケイレンは収まったけど、目は虚ろになった。
「…タナトス。僕、先生呼んでくる!」
立ち上がろうとした時、ナタル先輩の手が私の手を掴んだ。
「…先輩?!…ナタル先輩…?」
「……………」
反応は無い。やっぱり…私だけじゃダメだ。
白竜の先輩かローズ先生を呼びに行きたい。なのに、溺れた人のように強く掴んですがりつくこの手を離せない。離せば再び沈んでしまいそうで怖い。
ど、どうしよう!離れられないけど、誰か呼びに行かなきゃ!誰か!誰かッ…!
「うわーーッ!!誰かッ!先生ーーーッ!!」
叫んだ時、扉が勢いよく開いた。
驚いて見ると、赤毛と白衣が目に映った。
え。…ホントにいた…ローズ先生だ。なんで?いや!それよりも!!
「すーぷーちゃん!!無事か?!」
先生は私と、黒竜の教室で倒れる複数の生徒。そして佇むタナトスを見た。
「先生!ナタル先輩を助けてください!」
ツカツカと教室に入り、先生は倒れたナタル先輩の様子を診た。
「すーぷー!!」
遅れてクスト先輩が教室に飛び込んで来た。
「うお!!なんだ?…マジか…黒竜…返り討ちかよ…」
クスト先輩は入り口で周囲を見回し倒れている青年達に状況を察した。そして、教室に入ってくる。
先に入っていたローズ先生がナタル先輩の数値を診て聞いてきた。
「…精神値がだいぶ削られている。呪いか?」
「先生!僕が…彼らにかけられた魔法を解いて欲しいってお願いしたから…タナトスがナタル先輩に悪夢の魔法をかけたんです!」
先生は倒れている青年達とナタル先輩を見比べた。
「先生、コイツらの魔法は解けてます。今は寝てるだけで…ひどくなさそうです」
クスト先輩が見て回って先生に答えた。
「…タナトスが魔法をかけたのは全員か?」
「いいえ。ナタル先輩だけです」
首を振り答えれば、ローズ先生が私の手を掴むナタル先輩を見た。
「ナイトメアか。すーぷーちゃん、何かしたか?」
「先輩が苦しそうにケイレンするので、さすったんです。そしたら…黒紫のモヤが法術の光で消えたから…さすってました。でもこれ以上何も出来なくて…」
「黒紫だと?!…タナトスか…」
先生は驚きながらもタナトスを見て納得した。
「言霊は紡いだか?」
「いいえ。僕は…出来ないから…」
私の言葉に先生は納得した。
「ああ。なるほど。…すーぷーちゃん。言霊を紡いでやれ。不完全のこのままじゃ、ナタルは起きれない」
「…僕が?」
思いがけない先生の言葉に瞬いた。
「そうだ」
先生は自信を持ってそう言った。
「………」
私は先生からナタル先輩に目を移すと、浄化の言霊を紡いだ。
『願わくば…穢れし者を清浄なる姿に戻し給え』
言霊を得て、ナタル先輩の表面に留まっていた光は力を発揮し、先輩の体の中に沁みこんでいった。
「え…出来た…?」
タナトス以外でも。浄化の法術が…出来た!!嘘?!なんで?!
「先生!!僕、出来ました!出来ましたよね?!」
興奮してローズ先生を見ると、先生は嬉しそうに微笑んでいた。
「ああ。そうだな。出来たな」
その姿が、もう…なにこの美女。女神か。女神降臨した。
しかし女神な見た目の先生は見た目に反して声は低い。その先生がまるで知っていたかのように…クリスマスのサプライズプレゼントをした親みたいに嬉しそうに微笑んでくれたから、胸がギュッてなった。
ピクリと私の手を掴んでいたナタル先輩の手が動いた。
虚ろだった緑の目が瞬いて、光が戻った。
「…ナタル先輩…?大丈夫ですか?」
サプライズプレゼント…いや、ナタル先輩の顔を覗きこめば、眼鏡の外れた切れ長な目が私を認識して眉をしかめた。
「…誰…だ?」
「え。まさか…記憶喪失?!精神崩壊の後遺症が?!」
心配する私の声に先輩は目をしかめ、鬱陶しそうに払うと「眼鏡…」と呟いた。
あ。目が悪いのね。えーと…メガネはどこだっけ…?
私はナタル先輩が倒れた時に外れたメガネを拾い上げて渡した。壊れてなくて良かった。
不機嫌そうに眼鏡を受け取り、慣れた様子で眼鏡をかけると見えた景色にナタル先輩は、一瞬驚いたようだ。
ローズ先生と、クスト先輩が黒竜の教室にいる事。そして、我関せずで佇む黒竜のタナトス。床に寝ている黒竜生徒。そして、私。
ナタル先輩は事後処理を負担に思ったのか、ウンザリとため息を吐いた。
「先生…ご面倒をおかけしました…」
眉間の位置で眼鏡を押さえながら、ナタル先輩はそう言った。
「ナタル。大丈夫か?」
ローズ先生の言葉に、ナタル先輩は頷いて憂鬱そうにお礼を言う。
「わざわざ来て頂いて…ありがとうございました。先生に浄化して頂ければ問題ありません…」
「いや。私じゃない」
ローズ先生は、隣に膝をついていた私を見た。
「あの…僕です」
「…………。おまえは光玉しか作れないんじゃなかったのか?」
胡散臭いという顔で私を見て言うナタル先輩。
「そうなんですけど…今日は出来ました!初めて出来たんです!ナタル先輩!お加減はいかがでしょうか?!」
嬉しくなって詰め寄れば、ナタル先輩は心底、心配そうに嘆いた。
「あんなガチな悪夢魔法食らって…おまえが浄化…?…副作用とか…俺、あるんじゃないか…?」
「副作用…。わかりましたナタル先輩!もう一回、浄化しましょう!ね?!」
張り切ってナタル先輩の手を取れば、ナタル先輩は私の手に目を向けた。そして、そのまま掴んで持ち上げて、しげしげと眺める。
「…あの…?なにか…?」
何が気になるのか、ナタル先輩は私の手を裏返したりひっくり返したり、手の厚みを確かめて、指を確認したり、爪を触ったりした。妙に念入りに。
「?…ナタル。どうした?」
そばにいたローズ先生もナタル先輩の行動を不思議がっている。
ひとしきり手を見たナタル先輩が、私の顔をしげしげと見た。そして、何かに気付いて緑の目が驚きに見開き、動きが止まった。
「…ナタル…?」
「先輩?」
「先生!…こいつに登録票を与えたのは、なぜですか!?」
急に、ナタル先輩が私の手を掴んだまま、そう言ってローズ先生を見た。
「……なんだ。急に。それが今、何の関係がある?」
「こんな時じゃ無いと聞けないでしょう?俺は先生に聞きたいんです!」
ナタル先輩の剣幕に、ローズ先生は呆れながらも冷静に答えた。
「…スレイプニルは今のうちに教会が押さえておかねば、王家や他が欲して色々と争いになる恐れがある。本来、登録票は卒業試験で合格した者に与えられるが、コイツの習得スピードだと3年も無登録で置けば、いざその時に利権が絡んで教会内でも揉める事になる。現に教皇様もハートのキングに興味を持っておいでだ。だからだ」
「…だからといって…先生が…わざわざ後見人にならなくても…」
「スレイプニルはいく先々で騒ぎになるからな…。他の者には頼めない。私が面倒を見ると決めた」
「コイツの事…信用するんですか…?」
そう言うナタル先輩の緑の目はローズ先生を見て、次に私を刺すように見た。
「それは、」
「おい!ナタル!!おまえ!ウチのキングを引き込む気じゃ無いだろうな?!」
ローズ先生の言葉にかぶせ、それまで黙っていたクスト先輩が声をあげた。
「…俺が?まさか。もう白竜には興味が無い。そいつらと違い、大事な時期にわざわざ不利になるような事を、俺がするわけが無い」
ナタル先輩が床に転がる黒竜の生徒を一瞥した。
「ゆえに、俺が不利になるような事をするバカな後輩達はシメた。だが、まさか自分を害そうとするそいつらをかばって、タナトスから悪夢の完成形を食らう羽目になるとは思わなかったけどな」
「そ、その件に関しましては…僕にも責任がありますので…僕がタナトスに代わってお詫びします…」
おずおずと謝罪を口にすれば、緑の目が私を見た。
「…へぇ…《ぼく》が?…あんなの食らって、今後眠るたびに悪夢をみたら、どう責任をとる?」
私の手を掴んだまま顔を歪めて笑うナタル先輩に、ローズ先生が間に入った。
「もうやめろ。ナタル、もし今後体調に不安があれば私か、医務室に来なさい。白竜も黒竜も不用意に争う必要は無い」
「…でも!先生!コイツら…!」
不満そうなクスト先輩に、ローズ先生は立ち上がった。
「そろそろ夕食だ。全員揃わねば調べられて騒ぎになるぞ?明日の模擬戦を控えて、始末書とペナルティーを食らいたいか?」
「……いいえ。何でもないです」
クスト先輩はそれはごめんだ。と言わんばかりに口をつぐんだ。
「クスト。転がっている奴らを起こせ」
「ええ?!なんでですか?!黒竜は、ほっとけば良いんですよ!」
「クスト。夕食に組は関係無い」
「えぇー……」
ローズ先生とクスト先輩がそれぞれ倒れた生徒を起こしに回れば、ナタル先輩は私を見て腕を引くと耳元で呟いた。
「(今夜12時…1人でここに来い)」
「な、なんで…?」
突然の呼び出しに戸惑えば、掴まれたままの手に力が込められた。声を潜めてナタル先輩は続けた。
「(お前…なんのつもりでここにいる?)」
「(な…なんの事でしょう…?)」
ローズ先生やクスト先輩を横目に私もナタル先輩に習って小声で聞き返した。
「(…白竜を騙して、教会まで騙すとは良い度胸だな…)」
ナタル先輩はそう言うと、私の手を掴んだまま耳打ちするように顔を近付けた。
「(ここでお前が…女だと言ってもいいんだぞ?)」
緑の目が確信を持って私にそう囁いた。
「?!…な、なん…で…?」
どうしてわかったの?!
驚愕し、口が回らない私にナタル先輩は私の手を離し、指で眼鏡を持ち上げて、立ち上がった。
1人で床に座り込む私に、背後からクスト先輩が近付き声をかけた。
「すーぷー?おい。行くぞ?」
「…………」
なんで?いつ…バレたんだろう…?さっきは魔法石とか言ってたのに…。
呆然とする私に、クスト先輩は座り込んだ私の肩に触れた。
「すーぷー?大丈夫か?お前、顔が青いぞ?」
「…いえ…何でもないです…」
力なく答えてノロノロと立ち上がる私に、クスト先輩は訝しんでナタル先輩を見た。
「…おい。ナタル。ウチのキングに何した…?」
「……。キング…キングねぇ…。クスト。昔馴染みのよしみで言うが、そいつには気をつけろ」
机にもたれ掛かり黒いローブの腕を組んで、眼鏡越しに私を見る緑の目は冷ややかだ。
「…黒竜になったお前に言われたくねぇ。そんな事言って警戒させて謀計して奪うつもりだろ?!させねぇからな!!」
クスト先輩が牽制すれば、ナタル先輩は苦笑した。
「…おまえは相変わらずだな。そうやって意固地に決め付けて。視野が狭い。だから痛い目にあうんだ。何度でも。…なぁ?ハートの…キング?」
思わせぶりな笑みを私に向けるナタル先輩に、私がうつむくとクスト先輩は苛立ちながら応戦した。
「…黒竜になってから、お前性格まで真っ黒だな。そうやって笑うのメルセデスそっくりだぞ?かわいそうにな!すーぷー。行くぞ。コイツの話なんか聞くな!黒竜に何言われようが気にしなくていい!」
そう言ってクスト先輩は私の肩に腕を回して促すと教室の外へと促した。
「…あーあー…いいのかねぇ?白竜が」
私達の後ろで、ナタル先輩は面白そうにそう言った。
「…あいつ、何言ってんだ?」
「…………」
不愉快そうにそう言うクスト先輩に、私はその答えを言えなかった。
「タナトスはどうした?」
起こした黒竜の2年生を並べて何事かを言って来たローズ先生は、黒竜の教室から出てタナトスがいないのに気が付いた。
「あれ?そう言えば…。まだ教室ですか?」
クスト先輩がそう言えば、ローズ先生は私を見た。
「どうした?すーぷーちゃん。元気が無いな?」
「…いえ…大丈夫です…」
ナタル先輩に、なんでかバレた。あの様子だとここにいられる時間はもう無い。
今日の夜…会って話をして…内容によっては、そのままここを出る事になるかも…。
「あの…先生、クスト先輩…ありがとうございました」
ペコリと頭を下げると、クスト先輩が大げさにため息をついた。
「おまえな。いくら灯り点けで人手が無いからって、1人で黒竜の教室に行くな。2年の奴ら、ビビって自分が行きたくないからお前に行かせたんじゃ無いのか?」
「そんな。違いますよ。…僕が数を出せるって言ったからです」
「いずれにせよ、黒竜の教室は1人で周るのは禁止だ。すーぷーちゃん、そしてお前は校内を1人でうろつくのはダメだと言っただろう」
「…すみません…」
愁傷に詫びれば、黒竜の教室から悲鳴じみた声をあげ、血相を変えてあの2年生達が飛び出して行った。
「…なんだ?」
クスト先輩が不思議そうにその様子を見れば、ローズ先生はため息を吐いた。
「2年生はまだ余裕だな。来年の今頃は騒いでられないだろう。クスト、おまえも今日は早く寝ろ。すーぷーちゃん、模擬戦中は補習は無しだ。今日も明日に備えて無しにしよう」
先生…私は…今、身バレで明日をも知れないのですが…。
「……わかりました」
その時、黒竜の教室からタナトスが出て来て音もなく近寄って来た。
「タナトス。2年生に何かしたのか?」
ローズ先生がタナトスに問えば、タナトスはつまらなそうに片手にさっきの黒紫の禍々しい炎を再現した。
炎の中では黒い穴の空いたドクロのような顔がウオオォォォン…と声にならない叫び声をあげる。
「うっわ!!…やめろ!!おまえ!!そんなモン、出すな!!」
クスト先輩が飛び退いて叫んだ。
「…悪夢の魔法を…教えただけだ…」
「タナトス…危険だ。しまいなさい」
ローズ先生も引いている。
「僕…ナタル先輩の悪夢の魔法で悲しい夢を見た…」
その言葉に、タナトスは炎を消して首を傾げた。
「な、なんだよ、やっぱりアイツ、お前にも魔法をかけてたんじゃねぇか!」
クスト先輩が憤慨した。
「悪夢の範囲魔法です…でも、すぐに僕を起こして、これは黒竜の総意じゃない。悪かった。と謝ってくれました」
「そうか。…それでも、見たのか。悪夢を。おまえは初めてか」
ローズ先生の言葉に頷き、私が見た悪夢を話した。
「僕達、1年生が全員、タマゴだったんです。皆、早く孵化したいって言ってたら…人間の手が伸びて来て…皆それで孵化できるんだって喜んで、1個1個さらわれて…最後は僕だけになるんです…。寂しくなって転がって見に行けば、そこは厨房で、ご機嫌なメルセデス先生に捕まって、美味しく食べられそうになるんです。しかもそこで割れた、たくさんのタマゴの殻が見えて…とてもショックでした…」
私の説明に、先生もクスト先輩も沈黙した。
「…………」
「…………。…すーぷー…お前の悪夢って…プッ!」
クスト先輩がそう呟いて、笑いを堪えた。が、無理だったようだ。悪夢の話なのにケラケラ笑っている。
「…タマゴ…そうか。タマゴか…」
そう言うローズ先生も心なしか笑っている気がする。いや、今、笑いましたね。見えました。
「……ヌルい……」
タナトスが呟いた。
「ちょ!!なんで笑うんですか!?本当に怖かったんですよ?!」
みんな見てないから笑うけどさ!!タマゴの気持ちになった事ある?!無いでしょ?!ちょっとした衝撃で割れるんだよ?!転がるのだって命がけなんだから!
私が抗議すれば、ローズ先生が
「まぁ…悪夢の魔法の恐ろしさは臨場感だからな」
そう言って、微笑ましいな。という顔で慰めた。
違う。なんか違う!笑う所じゃ無いのに!!
それから夕食時の食堂に行けば白竜の皆が心配そうに待っていた。
特に2年生の先輩が申し訳なさそうに声をかけてきた。
「大丈夫か?!…その、悪かった。俺、光玉の数ばかり考えてて…」
「あ。いえ、大丈夫です。かえってご心配をおかけしたみたいで…」
あれ?そう言えば、なんでクスト先輩とローズ先生が来たんだろ?
クスト先輩は3年生の先輩達と話をしている。ローズ先生はシェダル先生達とタナトスが悪夢の完成形が使えた事を深刻そうに話をしてるし…。
「あの…僕が黒竜の教室に行くって…どうして先生達はわかったんですか?」
「ああ…灯り点けが終わって食堂にいたらローズ先生が光玉の灯りを見て「今日、ここの灯りを点けたのはスレイプニルか?」って聞いてきたんだ」
「え。誰が出した光玉かなんて、そんなのわかるものなんですか?」
驚いて聞けば先輩は首を振った。
「いや、聞いた事が無い。だから俺も驚いた。それで、なんでわかったのか先生に聞いた」
「なんででした?」
「…なんとなく。だって」
何となく?…何となくって、カン?なんだ。先生、適当だなぁ。
「あ。そ、そうでしたか…。それで…ああ、そうか。食堂と黒竜の教室は灯り点けの時に同じ周りですもんね」
「ああ。それで…誰と組んだ?って聞かれたから…誰もって…」
2年の先輩は俯いて何かを思い出すと、悔やんだように声をあげた。
「本当に悪かった!俺がもっとしっかりしてたら!」
「い、いえ、気にしないで下さい。むしろ、1人はダメだって言いつけを忘れていたのは僕の方で…タナトスと一緒に行けば良かったんです。先輩が気にやむ事は無いですよ」
「…俺…あんなに怒るローズ先生、初めてだったから…すぐにクスト先輩に相談したんだ」
「あ。あー…それで、あの2人だったんですか…」
なるほど。時間差はそれか。
2年生の先輩は目を逸らして言った。
「ローズ先生…シェダル先生より怖ぇ…普段、女の格好してるけど…怒る時はガチで男だな」
2年生を受け持っているのはシェダル先生だ。学年が違うと同じ白竜の先生でもよく知らない。
「…ええ。わかります…お説教されると、大概涙が出ますから…」
「…そうか…おまえも…大変だな…」
「…そんな…先輩…ありがとうございます」
しんみりと同意すると、お互いに微笑が生まれて先輩と心が通じた気がした。
そこで、3年生から爆笑が沸き起こった。何事かと思えば、アレク先輩が笑いながら声をかけてきた。
「おーい。そろそろ席につけ。タマゴちゃん達」
「…タマゴ?」
先輩が何のことかと首を傾げれば、私はピンと来た。
「ク!クスト先輩!!それは笑い話じゃ無いんですよ!?なんで言うんですか!!」
それ、私の悪夢の話でしょ!!
「いや…なんていうか…メルヘンな悪夢って…珍しいなと思って…?」
今も所々、笑ってるじゃん!!ってか、3年生、みんなして爆笑じゃん!!
「全然メルヘンじゃない!!悪夢です!どこをどう解釈したらメルヘンになるんですか?!」
憤慨する私にラング先輩も笑ってた。それどころか、シェダル先生も口をおさえている。ローズ先生はもう慣れたのか、笑ってないけど顎に手を当てて…確かにタマゴっぽいな。みたいな顔で1年生を見てるし!
な…なんという理不尽…
不満を言いながら席につけば、灯り点けを疲れたというアッシュに、ニックが羨ましそうに言った。
「いいなぁー。俺も早く光玉を自由に作ってそう言いたいぜ」
「いや、マジで疲れるって。コイツが3桁の光玉作ったって、あれ、マジで尋常じゃない」
ニックの言葉にアッシュが私を肘で突いて言った。
「どうしたら早くそんなに出来るようになるんだ?」
「早く一人前になりたいなぁ」
口々にそう言う白いローブの生徒は食堂の長机に整然とならんで…
ああ。これだ…やっぱり…これはまるで…冷蔵庫のタマゴじゃん…。
早く孵化したい。と言うタマゴ達は、まさしく私達だった。
夕食の後は、今日は補習も無い…だけど今夜、ナタル先輩の呼び出しに応じなければならない。
もしかしたら、今夜で白竜の皆と会うのが最後になるかも知れないから…何となく、食堂近くの談話室にいたニックとアッシュの話に加われば、いつのまにか白竜の生徒が集まり、暇な1、2年生で光玉の話で盛り上がった。
2年生の先輩達とはあんまり交流が無かったけど、意外なほど打ち解けてアッシュやニックは、兄貴と呼ぶくらい仲良くなった先輩もいた。
…まぁ、なんて言うか…似た者同士っていうか…光玉の話がいつの間にか女の子の話になっていた。その話題でエッチな話が得意な先輩に懐いたみたいだったけど…もう、なんなの?この2人。
私は、盛り上がってきた所で時間をみて中座した。
話の内容が女の子について際どくなってきたのもそうだが、アイティールと話をする時間だ。
アイティールとは今日あった事…悪夢の話をして、呼び出された事は言わなかった。だって、絶対、自分も付いて行くって言うと思うし。そしたら困る。
話の後は、部屋で日記を書いて、元々多くない荷物をまとめた。
あ。睦ちゃんも持って行かないとな。学校の支給品だけどこの制服もずいぶん着慣れたな…1セット…貰っちゃいたい…。いくらだろ?お金、置いとけば良いかな…?
でも今夜、外を出歩くのに白いローブは目立つからなぁ…あ。そうだ。パクっ…いや、借りた黒竜のローブがあった!あれ着て行こう。
あれこれと支度をしていると、ネイロスが部屋に戻って来た。
「………」
ネイロスは部屋に入って、私のベッドに広げた荷物を見て動きを止めた。
「…?どしたの?ネイロス」
大きな身体を間近で棒立ちにされると、圧迫感がある。
「…おまえ…ここを出るのか?」
眉をひそめてそう言うネイロスに、私は引きつった笑顔でごまかした。
「え。や、やだなぁ!違うよ?ちょっと整理してただけ。週明けでさ、このカバンも小さくなったかなー?なんてー」
「……。なんでカバンが小さくなるんだよ。おまえじゃあるまいし」
「ちょっと!僕は小さくなってないから!荷物が増えて新しいカバンにしようかな?って話だから!」
「ああ…おまえは縦には伸びないのに、横には伸びるもんな」
えぇぇ?!
「うっそ?!僕…太った…?」
顔に手を当てれば、ネイロスはその時、あれ?って顔をした気がする。
「そう言えば…おまえ…いつ鍛えてんだ?」
「え?なんのこと…?」
ネイロスの言葉に、私は瞬いた。
「おまえ、首は細いのに身体、締まってるよな?いつ鍛えてるんだ?」
ギクリ。
そ、それはギルだってば…。
「う、うん。まぁ…人目を避けた所で…かな…」
嘘です。ごめんなさい。
「なんで人目を避ける必要がある…?」
訝しむネイロス。
え、えっと…えーと…
夢の中の学生生活…皆、勉強してないって口々に言う。体育が苦手な子が練習してると、笑いを堪える人もいる。一生懸命を見せると、バカにしたり引いたりする人もいた。そういうのを見てると…頑張ってる姿は人には見せちゃいけないって学んだ。
「頑張ってる所を…似合わないとか、アイツ必死だなって笑われたら…ツライし…?」
「バカか?そんなもん、笑う奴の方がどうかしてる。そんな奴は決まって自分に自信が無い奴だ。自信が無いくせに努力する事も無く、ただ他人を笑って下に見てる虚しい奴だろ。笑わせておけばいい。そのうち努力する奴に抜かれて、そいつが、笑うどころか何にも持って無いと気付くまでな」
「…笑われても?」
「そうだ。おまえはそいつを笑わせるために努力するわけじゃ無いだろ。おまえの努力はおまえのためにある。努力を続けるも、やめるも、お前次第だがな。…だが、苦労して得たものは裏切らない」
ネイロスは金色の目を向けて、さも当然だと言った。
ああ。ネイロスみたいな人がクラスにいたら、きっと安心なんだろうな。
「…ねえ、ネイロスってさ、どこ出身なの?」
聞きたかった事。違うと思いながらも、今ハッキリさせておきたい。
「なんだ。いきなり」
ネイロスは、自分のベッドに座って柔軟をしだした。
「やっぱり、この王都?だよね。…子供の時もそうだった?」
私は自分の荷物を片付けて、ネイロスの方へ向き合った。
「…そんな事、おまえになんの関係がある?」
ネイロスは警戒して聞いた。
「ネイロスって、お兄さんがいるんだって?他に兄弟は?…お姉さんとかいない?」
「なんでそんな事、聞く?」
「…いや、その…ネイロスのその色…僕の知ってる人にすごく近いから…その白金の色」
「人違いだな。俺の兄妹はこんな色はしていない」
ネイロスは髪の色を指摘されてあからさまに不快そうに言った。
「うん。その色って…ネイロスだけじゃない?」
「…何が言いたい?」
「えーと…その…ネイロスって…ランゲルハンス島にいた事ない?」
私の問いに、ネイロスの動きが止まった。
「…………」
「…ネイロス?」
「…誰に聞いた…?」
「そうなの?!えー?いつ?いつ?子供の時?ねぇ?その時の事、覚えてる?!」
「うるさい。黙れ」
ネイロスは不機嫌にそう言ってゴロリと横になった。
「えー…教えてよ。大事なんだ」
「………」
答えずに背を向けるネイロスに私は食い下がった。
今、聞いておかないと、もうチャンスが無いかも知れない。
「ねー!教えてよー!ネイロスー!」
「………」
「ネイロスー。ネイロース。ねぇー!ロスー」
ピクリとネイロスの肩が揺れた。
「ロス?」
「やめろ。略して呼ぶな」
ネイロスが起き上がって拒否した。
「どうして?」
「しつこいな。言う気は無い」
「じゃあ、僕が言うよ」
「…なんの話だ?」
「ランゲルハンス島はここ王都ほどじゃ無いけど、一通りの物やお店は揃ってる。街行く人はレムリア人がほとんどで、治安は王都よりずっと良い。高い建物は無いけど、街や道はみんな揃って白いから、海の青と空の青に白がくっきりしてて…街並みも綺麗。港には毎日、たくさんの船で賑わってて、ここ王都みたいに混血の貧しい人はほとんどいない。街の至る所にユニコーンの紋章があって、年に2度大きなお祭りがある」
故郷のランゲルハンス島の特徴を言っていけば、ネイロスは怪訝な顔をした。
「……だからなんだ」
「それから夏のお祭りの夜、肝試しに森の祠に紫の花をお供えするのは子供達だけの秘密」
それを言った時、ネイロスの顔が驚いた。
「…なんで…おまえが知ってる?そんな事、本には書いてないだろ」
「僕。ランゲルハンス島にいたから」
「おまえが?…嘘つくな。俺はお前を知らない」
「やっぱり!って事は!やっぱりネイロスはランゲルハンス島にいた事あるんだね?!それも子供の時!」
ネイロスは渋面になった。
「ねぇ?!そうだよね?!」
期待に目を輝かせて詰め寄れば、ネイロスが私の顔を鷲掴みした。
「しつこいぞ!」
鷲掴みされた顔にネイロスの握力が加わると、頭が万力で圧力を加えられたような痛みだ。
「イダダダ!ちょ!やめて!なんで怒るの?!」
ネイロスは絶対、リンゴとか握力で潰せる。それを今、自分の頭で実感してる。
「おまえこそ、なにをそんなにしつこく聞いてくる!」
「だって…!!」
「ぷよぷよ…約束守らない気か…」
不意に背後から気だるく陰鬱とした声がした。いつの間に来たのか、この声はタナトスだ。
ネイロスがギョッとして私の頭を放した。
クラクラした頭に黒い影を仰ぎ見れば、その手には黒紫の炎…
「タナトス!それ、出しちゃダメなやつ!」
「ぷよぷよが寝ない…寝ないと眠れない…1時間…約束破るのか…?」
ええ?!まさか、約束破ったら悪夢の魔法をかけられちゃうの?!
「破ってない!まだ!破ってないよ?!これから寝る所だし?!と言うか、それ、かけられたら死んじゃうんじゃない?!」
ウオオォォォンと不気味な音をたてる黒紫の炎は苦しみ悶えるドクロだ。
「…………」
タナトスは炎と私を見比べて沈黙した。そして炎を消すと「…じゃあ…プニル」と、言った。
「プニル?」
なにそれ?…そんな魔法あるの?え。どんな?
首を傾げれば、タナトスは私を脇抱えてベッドにポイッと投げ入れた。そして自身も布団に入ると私の位置を整えて、横になった。
「ちょ!これ、完全に枕な扱い!ますます枕な扱いだから!」
まだ靴も脱いで無いし!やめて!せめて寝るときは靴は脱ごうよ!土足で布団入るなんて有り得ない!!そして着替えもさせて!
その希望を察してか、いや、察して無い。
タナトスは布団の中で白いローブを器用にスポッと脱がせると、遠慮なくシャツをめくってお腹を触ってきた。
「うわぁ!ちょ!なにすんの!?」
抗議すれば、タナトスは問答無用で言った。
「うるさい。プニる」
ぷにる…プニルって、プニる…触るって事か…へぇー。…いや、待って?…なんでだよ?!
布団の中で抵抗すれば、ますます拘束されて、首を噛まれた。しかも今日は舐めて来た。
「ヒィ?!…ちょ!ちょっと!タイム!」
勘弁して!タナトス!犬じゃないんだから!!
「…す…すみませんでした…許してください…」
ダメだ…諦めた方が被害は少ない。私は早々に降伏した。
「…おまえら…バカなのか…?」
そんな布団の中の攻防を知らずに、ネイロスが呆れたように吐き捨てた。
いざ寝かされても、今日は眠るわけにはいかない。
12時にナタル先輩と話をしに行かなくちゃ…万が一、寝ちゃってすっぽかしでもしたら「男じゃない」と言いふらされるだろう。
黒竜のナタル先輩には…交渉してなんとか情報を得なくちゃ…遅かれ早かれバレるとは思っていたけど、まだ石化の情報を得ていない。
「…………」
大人しくベッドの中で12時が近付くのを待った。
タナトス眠りは本当浅いようで、30分くらいごとにお腹を撫でてきた。
なんでだ。これ、もう、セクハラだよ!眠れないって言うから譲歩してきたけどさ!…まさか、週末は女性のお腹触ってんじゃないの?知らんけど!最低だなッ!いっそ強制的に眠らせようか?!
眠れないタナトスに子守唄の仕法を試してみるには危険が伴う。
デボラが石化してからスレイプに眠りの魔法をかけた時、思いがけず制御が効かなくて焦った。
慌てて出だしでやめたからスレイプはうまいこと眠りから覚めたけど、人間相手にあれをやると、下手すると一生眠り続けるかもしれない。また誰かをと思うと怖くなった。あれは危険だ。
法術でも、魔法でも無い、仕法。魔法と仕法は呼び名が違うだけかも知れないけど…でも、感覚的に違うものなんじゃないかな…?
子守唄に出る黄金の光は法術に近い。けれど、法術の時の疲れとはなんか違う気もする…。
ふと、背後のタナトスが起き上がり、暗がりの中、部屋を出て行った。
「……?」
あ。トイレかな?
もう12時も近いはず。ちょうど良いから私も出よう。ネイロスは眠っている。荷物は…とりあえず話が決まってから取りに来ればいいだろう。
タナトスに引っ張り出されたお腹のシャツを整えて、脱がされた白ローブの代わりに隠しておいた黒ローブを掴み、着ようとして…少しためらった。
「…………」
畳まれた黒いローブと、ベッドの上に広がったローブを掴むと私は部屋を出た。




