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眠りの神と夢見る子守唄  作者: 銀河 凛乎
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第21章 全ては偶然でしたけど…僕は感謝しています。今、こうしてここにいる事を

職員室は…夢の世界でも現実の世界でも、非常に入りづらい。まず、扉を開けるのが難関だ。

これ、ノック必要?いらない?

もうそこで、頓挫しかけた。

いや、しかし…手ぶらで…あ。逆だ。渡さずにそのまま戻るのも、ここまで来てなんだしな…。

途方に暮れていたら、扉が開いて現れたのはシェダル先生だった。

「スレイプニル?…どうした?」

先生!良い所に!!

「あ、あの!…僕…その…ローズ先生、いらっしゃいますか?」

おずおずと聞けば、シェダル先生は頷いた。

「ああ。…(気を付けろ。今日の先生、珍しく機嫌悪いぞ?)」

そして、コソッと教えてくれた。

「は…存じておりマス…」

神さま…無事に終わりますように!

私は心の中で、いるかいないか知らない神さまに祈った。

「ローズ先生、噂のキング、来てますよ?」

シェダル先生、何ですか?その噂ってトコ、どんな噂です?!

シェダル先生と入れ違いに来たローズ先生は、不機嫌オーラ全開だ。

「…なんだ…?」

こっわ。は、早く終わらせよう!

「せ、先生。僕、昨日は大変失礼しました。昨日よりも良いポテチが出来ましたので、これなら先生に…その…お出しできるかと…」

詫びポテチとして。

そうこう説明していると、赤竜の先生が顔を出した。

「お。ぽてちか」

あ、こんにちは。

ラング先輩に倣って、黙礼にとどめた。

「おや。スレイプニルですか?」

「?!」

そこに、ひょっこりメルセデス先生が現れたので、私は慌ててローズ先生にポテチの袋を渡すと逃げ去った。

「……………」

「……ローゼフォン、それはなんですか?」

白いローブを名残惜しそうに見送って、メルセデスは興味深そうにローゼフォンに聞いた。

「…さて?なんでしょう」

ローゼフォンはメルセデスに余裕の笑みで返して扉を閉めた。


み、ミッションはクリアした…。

インポッシブルかと思ったが、シェダル先生という神の降臨により完遂できた。

ありがとうございました!!シェダル先生!!これが、メルセデス先生だったら終わってました!!

いるかいないか知らない神にも感謝しておきます!神さまありがとう!!

そんな祈りを捧げていたら、タナトスがポテチを食みながらフラフラ現れた。

「あ!タナトス!どこ行ってたの?!」

「…水…」

水?…水飲んで来た?…それ、塩っぱいから喉乾いたんでしょ?!

「…タナトス…ポテチはあくまでお菓子だからね…?主食にはならないよ?」

「…ジャガイモは主食…」

タナトスは油紙の袋からまた1枚、ポテチを食べた。

…タナトスよ…油で揚げたジャガイモは主食では無いのだよ!私がぷよぷよならば、君はブヨブヨになるであろう!わははは。

私は心の中で高笑いした。

「あ。そうだ。午後の授業の暇つぶし…何しよう…」

「寝る」

即答するのはタナトスだ。

「僕は眠く無い。…うーん…本とか…どこかで借りれるかな…?」

どうせなら黒竜の教室にある本とか読めたら一石二鳥なんだけど…。

「あ!タナトス!タナトスなら黒竜の本とか借りれるのかな?!」

「……。…本は…持ち出すと…呪いがかかっている…」

「そ、そうなの?!」

そんな事が!…超文明で言う盗難防止タグみたいなものかな?本は高価だって言うしな…。

「じゃあ…ダメか…」

やはり、調べるのは潜入しかないのか?でも、本で呪いがあるなら黒竜のルールを知らないと大変な事になりそう…。

「…ぷにぷにが好きそうな本なら…持ってる…」

タナトスの言葉に、私は瞬いた。

「え?僕が好きそうな本?…ど、どんなの?」

なんだろう?!なんか、そう言われると怖い。どうせ的外れな…

「…補助魔法…」

「借して下さい!!」

私はタナトスの言葉に食いついた。


「あ。ニル。どうだった?無事、生還した所を見ると、大丈夫だったみたいだな」

ポテチはとっくに食べ切ったんであろう教室の皆が、昼休みにダラダラと教室で過ごしていた。

ニックの言葉に私は頷いた。

「うん。まず、職員室前で散々、ウロついちゃったけど、シェダル先生に会ってなんとか…」

「そんで?先生どうだった?」

「え。どうって?」

「少しは機嫌が直ってたか?」

「えー…どうなんだろ…?メルセデス先生がいたから、渡すだけ渡して帰ってきたから…」

先生の機嫌まで確認してない…けど…

「でも、出てきた時は最悪に悪かったから、特別変わってないと思うけどなぁ…?」

私の言葉に、皆はガッカリしていた。

「マジかーーー!!今日は実技もあんな感じでいくのか?!」

「俺、めっちゃ、気が重い…」

「…だよね…僕も」

ため息混じりに同意したら、ニックが否定する。

「ニル、おまえは良いじゃん!実技受けないんだから!」

「あ。それが僕、実技の授業、教室で待機になっちゃったんだ…」

「はぁ?!…なんで?」

「…なんか…昨日、実技免除だからってウロウロするなって言われて…」

「おおーーーい!おまえ、なに怒られるような事してんだよーー?!」

「いや…だって…暇なんだもん」

「暇なんだもん。じゃねぇだろが。まったく」

「…というわけで、ねぇ、ニック。午後だけあの小刀貸してくれない?」

「あ?…何に使うんだ?」

「僕もデッキブラシに名前を彫りたいなぁって思って」

「ああ。あの赤竜のキングを討ち取ったやつか。…いいぜ」

「ありがとう!…じゃあ、デッキブラシとってくる」

私は医務室に立てかけたままだったブラシの睦ちゃんを取って来た。

「…柄が丸いから…どこに彫る?ブラシの板の方か?」

ニックが私の持って来たデッキブラシを手に取って品定めした。

「うーん…そうだねぇ…この付け根の柄の部分を平たく削ったらどうかな?」

「…ああ、それなら…でも、柄だろ?強度が落ちないか?」

「確かに…それは困る」

「ブラシの付け根じゃなくて、持ち手の先端なら良いだろうな」

「うーん…」

そこも、地面に打ち付けるからなぁ…。

「じゃあ、柄は諦めて板側にする」

「そうだな。その方が彫りやすいし」

ニックは頷いた。

「下書きしよ」

私はチョークでブラシの右側に漢字で『和睦』と書いた。なかなか画数があるから難しそうだ。

「……それ、なんだ?模様?…名前じゃないのか?」

ニックが不思議そうに漢字を見て眉を寄せた。

「あー…うん。模様。えへへ」

笑ってごまかせ。

実技は机を端に寄せる。開始時間が近付いて、皆が机を移動させるので私は教室の隅っこに寄せた机を1つ自分の席として確保した。

タナトスが寝たいそうなので、同じくその机の側ににタナトス用にイスを並べておく。

そして午後の授業を報せる鐘がなった。

間も無く現れたローズ先生は…普通だった。いつも通り。何事も無かったかのように。

アッシュとニックが、私に「良くやった!」的なサインを出して来たけど…

…案外、お腹が減ってただけとか、そういう事だったんじゃないの?

いくらポテチと言えど…もらって、そんなに機嫌が変わるもんかね?わかんないな。

やはり、他人の機嫌は気にしたって仕方ない。

でも、また当てられるのも何だから大人しくしておこう。笑ってもダメ。無だ。無。

実技が始まって早々、タナトスはイスのベッドにゴロンと寝転がる。私はブラシに下書きした和睦を彫り始めた。

和はいいんだけど…この睦の曲線の部分が…なかなか難しいな…。

木目によって削りやすい向きと、削り難い向きもあるからね。

しかし、はらう部分が少なく、直線の多い漢字だったせいか黙々と削っていけば、じきに終わった。

デッキブラシに彫られた『和睦』という漢字文字。

まるで、株式会社和睦がこのデッキブラシ作りました的な感じだけど…いいんじゃない?うん。ムツミちゃん。完成!

しげしげと完成品を眺め満足したら、削って出た木屑を集めてゴミ箱に捨てた。

そしてタナトスが枕にしていた本を、その頭から引き抜いた。

表装も立派でタナトスが枕にするくらい結構、分厚い。

さすが、タナトスさん。お高いんでしょう?これ。…枕にすんな!

しかし、タナトスは本が無くなると、席に着いた私の足に頭を乗せてきた。木屑が落ちなくなったからか、膝枕とは図々しいが、本を借りた以上、文句も言えない。

その本は比較的新しい本のようだ。補助魔法の歴史と紹介、事例が丁寧に書かれていた。

…ずっとマイナーだったんだなぁ…補助魔法…。

まぁ、派手さは皆無だ。けど、便利さにおいてはかなり役に立つと思うんだけど…。

丁寧に最初のページからめくっていくと、結構、内容が期待できそうな本だ。

ここまでで興味深いのは、男性よりも女性の方が補助魔法に長けているらしいという事。

補助魔法はかなり複雑で丁寧…ザックリ言うと術式完成までマルチタスクで面倒くさいからかも知れない。

「(へぇー…なるほど、なるほど…)」

これ、面白い。タナトスさん。いいチョイスしてますね?!

面白い本というのは、読んでて飽きない。そして、疲れにくい。ゆえに周りが騒がしくても集中しちゃう。

皆は教室内で、ああでも無いこうでも無いと光玉の練習中だ。

「……………」

あ、これ…デボラの事じゃない?!

本に出てきた白と黒の色彩のアルカティア人とあれば、私にはデボラしか想像出来ない。

それは、どこかの戦場でデボラが使った超速移動の補助魔法の事例が記録されていた。

…デボラ…カッコイイ…。

育ての親の活躍は、日常とは全く違う側面だ。

…とても、料理中に鍋を溶かすような人には思えない…。

デボラはたまに、鍋を溶かす。たまに…いや、度々。焦がすんじゃ無い。溶かす。薬草で薬を作る時はそんな失敗しないのに、なぜか調理の時だけ失敗する。しかもありえない感じに。

あと、こだわりすぎて終わらない事が多々ある…。

何かを作る時は顕著だ。そして、完成するまで没頭する。

研究とかには良いんだろうけど、ちょっとした棚や家具を作る時なんて、かなりこだわるから作成物は頼まない方がいい。

そんなデボラの活躍は戦場の常識を変えたらしい。

……デボラ…やっぱり凄かったんだなぁ…。…デボラ…ごめんね…。

懐かしさと罪悪感に、にじんでボヤけた視界を、私は顔を両手で覆いながら我慢した。


「……………」

あいつは、また何をしているんだ?

ローゼフォンは教室の隅でせっせとデッキブラシに何かをしている生徒を見た。

黙々と削ってはしげしげと眺めている。

媒介は使うなと言ったから、本人もわかっているだろう。にも関わらず、どこから持って来たのか小刀でデッキブラシに何かを彫り込んでいる。

やがて、しばらくすると周囲を片付け始めたから終わったようだ。

誰が咎めるわけでも無いのに、片付けまでキチッとするのは性格なのか、育ちの由来なのか。

「昨日よりも良い出来で、これなら先生にお出しできるかと」と、持ってきた菓子は器用に薄切りされたジャガイモを揚げて出来ていた。

リオトが「このぽてちは昨日のより香ばしくて出来が良い」と言って堂々と一握り掴んで自分の席に持って行く。あげるとは一言も言って無いが、古参の教師であり数々の戦場を渡り歩いたリオトにダメだと言える者は限られる。

そしてメルセデスがしつこく欲しがったがそれは当然スルーした。

甘く無い菓子は、確かに…見た事も無く、美味かった。これなら酒好きや大人も好むだろう。

落ち着いてみると、スレイプニルが侍童達と楽しそうに作っていたのを思い出して、調理場の責任者に騒がしくした詫びを言いに行った。

そこで意外にも「片付けもきちっとやるようだから構わない」と言われた。しかも「身分の高い人間に仕えるわりに横柄で無い。あんな菓子は見たこと無かったが新しいのに素朴で面白い」とも笑っていた。

確かに…真新しくて衝撃なのに、素朴で親しみのある飽きない味…見た目はもろく繊細なのに味は豪快。さらに人を選ばない人気は作り手の性格そのままだ。

そんなスレイプニルは何かをする時、その集中力は抜群に高い。

特に好んで何かをしている時は部屋に入っても背後に立っても声をかけても気付かない。それは夜を作ると言っていた時に知った。さすがに耳元で言ったり、触れたら気付くだろうが。

『触らないで!』

怯えて警戒した目で明確に拒否してきた昨日を思い出して、再び不快になった。

ローゼフォンの手を払い、タナトスの手を取るのは…今もタナトスに膝に借している奴にとって、同年代は良くて教師は信用ならないという事か?

…気に入らない。

10代にありがちな、大人は信用ならない。という枠に自分を入れられるのが心外だ。これでも常に生徒目線で柔軟に接して来た自負がある。

成人は16才からだが、10代はまだ未熟だ。肉体と精神の成長は同じ速度とは言えない。

スレイプニル!おまえだってあと4年もしたら、こっち側の人間だからな?!4年は早いぞ!

心の中で文句を言って目を向ければ、どこから取り出したのか分厚い本を読み始めていた。

…感心するくらい大人しく時間を使えるじゃないか。なんで最初からそうしないんだ。見てないからか?

てっきり、暇を持て余して騒ぐのかと思いきや…タナトスは寝てるし、むしろ、この教室で1番静かなのがコイツら2人ってなんだ。

ただ…何を読んでいるのか、その表情は誰よりも雄弁だ。

熱心に読んでいると、好奇心に目が輝いて、感動して、喜んで、憧れて、苦笑したかと思ったら、黒い目が潤んで両手で顔を覆った。

…な、何を読んだらそうなるんだ?!なんで泣く?!

すごく気になる。正直、今すぐ本の表題を確認したい。

本の厚みからして、学生が読む大衆話や芸能、趣味の類いでは絶対無いだろう。小説か?

しかし、どう言ったものか。午前中の授業とは違って、同じ顔を覆うにしても、ふざけているのを注意するという名目は変だ。大人しくしている分、注意のしようもないし、気安く声をかけるのも最近のアイツの態度を考えると、冷静に「なんでもありません」と返されそうで、身構える。

好き好んで叱りたいわけじゃない…。むしろ、叱って警戒されるのは避けたい。だが、だからと言って教師である以上、過度な馴れ合いは禁物だ。叱る時にはキチンと叱るのも役目だ。

スレイプニルは普段はすごく懐っこいくせに、急に思いがけない時に突き放して警戒してくるから油断ならない。

「先生?先生ー…ローズセンセー」

不意に、アッシュが声をかけてきた。

「あ、なんだ?」

「先生、俺、光玉出来た」

アッサリと言うアッシュの手には形の良い白い光玉が握られていた。

「…お。出来たな!アッシュ!」

早い。スレイプニルは別として、ここまで早く光玉を仕上げたのには驚きだ。

「先生、見ててくれた〜?俺の初光玉が出来る所」

すまん。見てない。

「もう、具現化するのに不安はないか?」

「…うーん…まぁ…多分?…さすがに今日はもう、疲れた」

まぁ、最初はそんなもんだろ。

「じゃあ、明日、改めて作ってみろ。それで出来たら光玉をものにしたとみていい」

「ッしゃ!!やったぜ!!ニル!俺、2抜けしたぜ?!」

アッシュは教室の隅にいるスレイプニルを振り返った。

「…え?…なに?」

不意に名を呼ばれて顔をあげ、濡れた黒い目が瞬いた。

「は?…おまえ、なに泣いてんの?」

アッシュが問えば、スレイプニルは慌てて目をこすった。

「い、いや!…なんでもない!ちょっと目が疲れただけ!」

嘘だろ。おまえ、嘘が猛烈に下手だな。

「つーかさ、おまえ何読んでんの?なにそれ?」

アッシュ。偉い。よくぞ聞いた。

「え。…ええっと…タナトスが借してくれた本」

分厚い本をパタリと閉じてスレイプニルは答えた。

「ふーん。なぁ!俺、光玉出来たぞ!!」

アッシュ!なぜ表題を聞かないんだ?おまえ、全然ダメだな!さっきの無しだ!

「え?!本当に?!…どれ?」

スレイプニルは席を動こうとして、その膝にタナトスがいる事を思い出し、代わりに手を伸ばした。

「へっへっへ。これだ!」

アッシュは自慢気に光玉を差し出した。

大事そうに両手でそれを受け取って、スレイプニルはしげしげと眺めると

「うん。綺麗な光玉だね。さすがアッシュ。これは…見てる人に自信がみなぎる光だね」

まるで生き物を見るように光を愛でて、そう言って嬉しそうに微笑んだ。

「あ…ああ。まぁな!」

思いがけない言葉で褒められて、照れ臭そうに笑うアッシュにスレイプニルはヒヨコでも返すように、両手で包んだ光玉をアッシュに返した。

「いいなー。アッシュ。俺も早く光玉作りたい」

ニックやロン達がしきりに羨ましがっているのを、スレイプニルは穏やかに見ている。

……今なら聞ける気がする。

「すーぷーちゃん。ずいぶん熱心に何を読んでいたんだ?」

そう問えば、黒い目は不安そうにこちらを見た。

「…別に…暇潰しの本ですから…」

そう言って、目を伏せて本を手で覆うように隠した。

…これは…あれだ。ドギーがお気に入りの玩具を見つけて遊んでいるのを、取り上げる時に見せた態度だ。

こういう場合、無理矢理取り上げると、犬は噛む。ただし、飼い主を信頼している場合は噛まない。

ドギーに噛まれた後、飼い主の友人には同じ事をされてもドギーは噛まなかった。あれは悔しい。

「面白そうにしていたから、どんな本だ?」

さらに問えば、本に触れていたスレイプニルの手に力が入った。そして目を逸らす。

これは…噛むな。ゆえに、俺は…信頼されていない。

「僕の本じゃありません。ですから、先生には関係の無い事です」

犬が唸るように答えて、渡さないぞ。と黒い目が訴えた。

「取り上げたりはしない。本が好きなら読みなさい。なんなら本がある所に連れて行ってやる」

この場合の対処法は、交換条件が有効だ。

ドギーならば、抱えている靴の代わりにジャーキー。スレイプニルには、本の代わりに本だ。どうだ?

スレイプニルは瞬いた。

「……。それは図書館ですか…?」

サラリと言う場所は、既得権益の最たる場所だ。一般人はその存在すら知らないぞ。

「…すーぷーちゃんは図書館を知っているのか?」

「…はい。アイティールに連れて行ってもらいました」

ああ。アイツか。なるほど…アイツ、よくわかってるな!

「…図書館は手続きが面倒だ。法術の本なら読み放題だぞ?」

スレイプニルの目が、読み放題という単語に揺れた。

「読み放題…どこでですか?」

「大聖堂だ」

その単語に、スレイプニルの顔が一気に苦くなった。

「…それはちょっと…」

大好物にカビが生えていたようにガッカリする事ないだろ!

「そうか…そこにはおまえが出来ない治癒の法術のヒントがあるかも知れないけどなぁ…」

さり気なく興味を引けば、スレイプニルは葛藤していた。

「…………僕……教皇サマには会いたくありません……」

それか…。行きたくない理由がおかしいだろ。お前の父親の件は、教皇様、完全に濡れ衣なんだが。

「安心しろ。普段なら、会いたくても会えるお方じゃない」

おまえくらいなもんだろ。むしろ、みんな会いたいんだよ!

「じゃあ、絶対、絶対、会わないですか…?」

疑り深いな。

「ああ。お忙しい方だし、影すら見れないだろ」

実際そうだ。教会関係者でも雲の上の人だ。面会は容易では無い。

「じゃあ…読みたいです…本」

渋々、素直に頷いた。

「そうか。それは良い勉強だ。…それで?何を読んでいたんだ?」

スレイプニルは上目遣いで確認した。

「…ダメって言わないですか…?」

ドギー…タマネギは犬には良く無いらしいからな。それ以外なら大概は怒らないぞ?

「…わかった。ただし、違法じゃ無ければな」

スレイプニルは、「これ、タナトスの本ですからね?」と、念を押して本を差し出した。

「………」

それは、最新の補助魔法の本だった。

うお!!おい!!この一冊でいくらすると思ってんだ?!しかも魔法関連は持ち出し禁止だろ?!

…ガッツリ…違法だった。どうしよう…。しかも、通報する場所はタナトスの父親の管轄だ。

「…………スレイプニル…ちなみに、おまえ、これ読んでどうだった…?」

普通の学生なら、数ページで飽きるだろ?

「すごく面白いです!まだ途中なんで全部読みたい!」

…だよなーー…。

そんなに目をキラキラして言われると…これ、取り上げたら噛み付いた上に、今度は口もきかなくなりそうだ…。

「…そうか…」

どうするかなぁ…。

「先生も読みたいですか?…僕、補助魔法はとても使い勝手がいいと思うんです」

おまえな…。

「法術師が魔法書を?」

「はい。もしかしたら、使えるかも知れないでしょう?」

は?何をだ?まさか補助魔法が?

「それに…引退されてからも使えるかも知れませんし」

ケロリと言うスレイプニルの頭を、家一軒、使用人、馬付きで買える値段の本でゴスッと叩いた。

「イッタ!!」

さすがに角はやめておいたぞ?本の重さで充分威力があるからな。

「法術師にもなってない奴が今から魔法書を読んでる場合か?一人前になってから言え」

頭を押さえて涙目で見上げるスレイプニルに、続けて言った。

「だから…魔法書だけじゃなく、法術の本も読め」

その言葉に、涙目だった顔が見る見る晴れた。

返した本を両手で受け取って、嬉しそうに笑う生徒の姿にホッとした。

いや、ホッとしてどうする!それ違法だからな?!

「…それから、その本…」

「はい?」

「…一般人が一生に一度も買えないくらい、とびきり高いぞ。しかも、関係者専用だ」

婉曲に説明すれば、スレイプニルの顔が凍った。

「や、やっぱり…僕、そんな気が薄々してたんです!でも、タナトスは何も言わないし!この本、枕にしてたし!」

青い顔で言うスレイプニルに、タナトスは寝ながら答えた。

「…もう読んだ。だからいらない…」

いらない…。家一軒使用人馬付きの価格の本を…。いらない…。

「タナトス!本は大事にしなきゃ!また読むでしょ?」」

スレイプニルの叱責に、タナトスはアッサリ答える。

「…もう、読まなくていい。覚えた…だからいらない」

覚えた…。そんな読み込んだ感じは全然無い…。むしろ、新品みたいだったぞ…。

「…先生…僕、こういうのを天才だって言うんだと思うんですけど…」

苦々しく意見するスレイプニル。

「…すーぷーちゃん…コイツは人間の尺度じゃ測定不能だ」

実際、人間離れしてる。

「…タナトス…いくら裕福だからって…モノを大事にしないと後悔するんだよ…?」

スレイプニルはまるで子供に教えるようにタナトスに注意した。

「…必要なものなら大事にする…いらないものはいらない…」

そう言ってタナトスはスレイプニルの膝の上で寝返った。

「………」

スレイプニルは半眼になり、机をガッ!と前に押して退けると「そう言う問題じゃ、無い!」と、タナトスの頭をフードごと両腕で抱えるように締めた。

「?!…お、おい…」

死神にそれは…!

「………。…ぷにぷには、腕もムニムニだから…」

締められたタナトスが余裕でそう呟けば、スレイプニルの顔はガーン!と傷付いた。そして、締めていた腕を解くとタナトスの頭はボトッとその膝に落ちる。

「え?なに?おまえ、腹だけじゃなくて、腕もムニムニなの?」

それまで傍観していたニックが手を伸ばせば、

「触らないで!!」

と、涙目で拒絶した。

あーーーーーこれ。これか。

まざまざと思い至った。医務室でもやり合っていたのはこれか…。

………タナトス……おまえ…スレイプニルの自己肯定下げるの得意だな…。やめてくれ。これ以上、めんどくさくしてどうする。

「なんだよー。マックなんか、超ムニムニだぞ?」

「えへへ。ニック、やめろよー」

マックの腕をムニムニと揉みながらニックが言った。

「…僕…実技の授業は筋トレする…」

それを横目にスレイプニルは悔しそうに決意して、小刀をニックに返していた。

ニック。お前のか、それ。教室で木工を流行らせるなよ?木屑だらけになる。…と言うか、それはそれで完成なのか?

スレイプニルが彫り込んだデッキブラシにの角ばった模様を見て、不思議に思った。


灯り点けを終えて、夕食を済ませば治癒の特訓だ。

「……何をしている?」

医務室に入るたびに聞く事になるのか?コイツらは。

今日は、タナトスとスレイプニルは腕相撲をしていた。しかし、両者の腕は全く動いていない。にも関わらず、タナトスはフードを目深にかぶったまま無表情なのに対し、スレイプニルは肩をプルプルと震わせて険しい顔をしている。

「あーーーー!!ムリ!!」

弱音と共に、スレイプニルの腕はあっさり負けた。勝者タナトス。しかもスレイプに付き合っていただけで、楽勝の模様。

どちらから始めたのかは知れないが、よくタナトスはスレイプニルに付き合うな…。死神と腕相撲をする奴もコイツくらいだろうが。

「いたた…」

腕をさすってスレイプニルがボヤく。

「タナトスって、全然、病気っぽく無い…」

「すーぷーちゃん…言ってやるな。そいつ、数値上はかなりシビアだぞ…」

医務室に入り、イスに座ってそう伝えるとスレイプニルは「…そうなんですか?」と真顔になった。

「…それじゃ、治ったらタナトス凄いね…」

スレイプニルは驚愕していた。

「…………寝たい」

タナトスは切実に訴える。

「タナトス…どうしたら治るんだろう…?」

スレイプニルが同情して首を傾げた。

「…現段階では治療法は見つかっていない。そもそも原因すらわかってないからな…頭痛や吐き気を抑える薬を飲むしか無い。だが、それも反作用でかなり強い毒がある」

「え。それって…タナトスがあのバクバク食べてるやつですか?!」

「そうだ」

「…でも…毒なんですよね?!」

「ああ。だから定期的に浄化しなくてはならない。これが、かなり特殊だ。だが、タナトスがここにいる理由の一つがその浄化だ」

「え?…タナトス、そうだったの?…僕、不思議だったんだ。なんでタナトスが学校にいるのか」

スレイプニルはタナトスを見た。タナトスは相変わらず無言だ。

「黒竜の授業に出なくても怒られないし、病気なのに学校って…そもそもタナトスに僕達みたいな授業はいらないだろうし…え、でも、それならここじゃなくても…」

「…あのジジイのせいだ…」

タナトスは辟易と答えた。

「タナトス。せめて敬称でお呼びしなさい」

教皇様をジジイとか言うな。そもそもまだジジイというそんなお歳でもないからな!

「どういう事ですか?」

スレイプニルは誰の事かと席について聞いてくる。

「…教皇様だ。タナトスの父親とも古くから面識がおありになる」

その答えに、スレイプニルの顔は一気に渋面になった。

…おまえ…毛嫌いするにも程があるだろ。なんなんだ。恨むなら実父だろ?

「なんで、タナトスの事をその教皇サマがアレコレ言えるんですか?」

不満そうに聞くスレイプニルに、ため息が出る。

「タナトスには浄化が必要だ。それも、並みの浄化じゃ済まない。それが出来る法術師は…」

…ん?…そうだ…コイツ…初日にネイロスに復活の法術をかけた…

しげしげとスレイプニルを見下ろせば、黒い大きい目が自分を映した。

「すーぷーちゃん…」

「?…なんですか?」

キョトンと見上げる黒い目に、ドギーの姿がかぶる。

「治癒の法術はひとまず置いて…浄化の法術をやってみるか?」

それはドギーに、散歩に行くか?と誘った時の感じだ。

ドギーはそう言うと決まって、え。ええ?!良いんですか?!行く行く!!行きます!!行きましょう!!と言うかのように、見る見る目が輝いて喜び勇んで飛びかかってくる。

「え。ええ?!い、良いんですか?!ホントに?!いつです?!今?!今ですか?!」

喜色満面に目を輝かせて白衣を握ってくるスレイプニルは、本当に面白い。

「え。な、なんですか…?」

笑いを堪えていると、スレイプニルは不安そうに聞いてきた。

「…い、いや…」

さすがに犬に見立てたとは言いにくい。

「まさか…」

スレイプニルの目が疑った。

至近距離でその底の知れない黒い目で見られると、全てを見透かされているようで身構える。

「まさか…やっぱりウッソー。とか、言いませんよね…?」

ジトッと疑惑の目を向けるコイツは…やっぱり、犬みたいだった。

喜ばせておいて反故にすると信頼関係に良くない。それは主に生徒に対してだが…コイツはまだこっちを信じていないようだから…余計に。

「そんな事はしない。おまえが浄化の法術を覚えて練習代わりにタナトスにかけていけば、お互い良いだろう?」

「ああ…なるほど…」

スレイプニルは納得したようだ。

例え浄化が完全で無くとも、頻繁にかけていけば薄まるだろう。スレイプニルの練習にも、タナトスの浄化にも、ひいては俺の負担も減る。まさに好都合だ。

「…では、今日は浄化の法術をしよう」

さて、治癒は一度で上手くいかなかったが…浄化はどうだろうか?

スレイプニルもそう思ったのだろう。好奇心を抑えながら神妙な顔で熱心に講義を聞いた。


「…では、以上を踏まえた上で、実際にやってみよう」

理論を終え、実技に移ると、スレイプニルはますます緊張していた。

「発動の言霊は『願わくば穢れし者を清浄なる姿に戻し給え』だ」

スレイプニルは神妙に頷いた。そして意識を集中すると法力を高めた。その手に光が輝きだす。

ああ、この緊張感と期待感は指導者としての特権だな。と思う。

「……あ、やっぱり、ちょっと待って…」

スレイプニルは発動の言霊を紡ぐ前に、一旦、キャンセルしたようだ。光は霧散した。

「…なんだ。どうした?」

スレイプニルはそわそわと手を動かしている。

「…なんか…これ…イメージが…わからなくて…見たことないんです。浄化の法術」

…ああ。

「そうか。それならちょうどタナトスがいるし、手本を見せよう」

大人しく座って見学していたタナトスに、普通の浄化をかけてみせる。

「……ヌルい」

タナトスは足りないと訴えた。

「今は、おまえをフル回復させる目的じゃないだろ。…どうだ?もう一度見るか?」

スレイプニルに向き直れば、彼は少し考えて「…いえ、やってみます」と頷いた。

「せっかくだからタナトスに」

スレイプニルはそう言って、足りないと訴えたタナトスに向き合い集中して法力を高めた。

『…願わくば穢れし者を…清浄な姿に戻し給え』

スレイプニルの言霊に反応した法力は、タナトスに浄化の光をもたらせた。

「……ヌルい」

やはり、タナトスの感想は同じだ。いや、同じという事は…

「…せ、先生…これ…出来ました?…よね…?」

慎重に確認してくるスレイプニルに、頷いて答えた。

「ああ。出来た。間違いない」

一発OKだ。

スレイプニルの顔が驚いて、堪えて…

「うわぁあーい!!出来たぁぁぁー!!」

と、全身で喜び飛びかかってきた。

お、おぉ…わかった。ドギー…じゃなかった。すーぷーちゃん、落ち着け。

「良かった…僕…光玉しか出来ない奴じゃ…無かった…」

白衣にしがみついて、肩を震わせるスレイプニルの声が湿っていた。

「…すーぷーちゃん…」

そんなに心配していたのか?…まぁ、あの絶望を見れば想像もつくが…。

もっと教師の言うことを信じてくれてもいいんじゃなかろうか…?

「…今日のアッシュじゃないが…コツは掴んだか?もう一度、やってみろ」

自信をつけさせたくて、そう促せばスレイプニルはハッとして頷いた。

「そうですね!僕も、そう思います!」

そう言って、深呼吸すると改めて法力を練り上げた。

「願わくば穢れし者を清浄なる姿に戻し給え」

スレイプニルの言霊に、その手の光は霧散した。

「……………」

スレイプニルは静止していた。

「…すーぷーちゃん。今度はなんだ?」

また仕切り直すつもりなのかと問えば、彼は青くなった。

「………まさか……」

もう一度、最初からやり直す。しかし、言霊の後に光は霧散した。

……これは……治癒の法術と同じ現象だ。

「なんでだ?!」

思わず、声が大きくなった。意味がわからない。出来たと思ったら途端に霧散するのは、わざとじゃなきゃ説明がつかない。

しかし、スレイプニル本人は、よりショックだったようで膝から崩れて床にうずくまっている。

「…ぼくはぁぁぁー…浄化にも拒否されたぁぁぁー……!!」

床に転がって号泣するスレイプニル。

…本当に、おまえはなんなんだ…。

一発で覚えて手がかからないのか、前例の無い原因不明の未習得に手がかかるのか…

その後、膝を抱えて落ち込みまくるスレイプニルをなんとかなだめて検証した結果…スレイプニルの浄化の法術はタナトス限定という結果だった。

いや、まだタナトスだけとも限らない。この検証は明日に持ち越されたからだ。

「…なんで…タナトスだけ…」

特訓が終わると、スレイプニルはうわごとのように呟きながら、フラフラと医務室をタナトスと共に去って行った。

…相手を選ぶ法術なんてあるのか…?

聞いたことが無い。あるとしたら、無意識下でスレイプニルがキャンセルしているくらいだろう。

明日にならないとわからないが…まさか俺だけ無意識下で拒絶されていたりするんだろうか…?

「……………」

しまった…。帰す前に、誰か捕まえてそれだけでも検証しておけば良かった…。

チラッとは思ったが、ハッキリさせるのもなんだか抵抗があった。

なにせまだ、お気に入りを取り上げたら咬む犬くらいの信頼の無さだ…。

「これは…早々に…なんとかしないとな…」

素直だが、賢い分…従ったフリもするかもしれない。

赤竜や黒竜が狙っている以上…きちんと見て躾けておかないと、あの好奇心は危ない。

「…とりあえず…大聖堂だな…」

教皇様に手紙は出したが、何かヒントがあるかも知れない。


翌朝、食堂を覗くとわかりやすく落ち込んでいる白いローブを見つけた。その隣にはタナトスと、向かいには青竜のスペードのキングもいる。

…あの席は3色揃っているという事以上に目立つな…。

役持ちは組が違えど部屋が同室になる。それは、四竜で争いになるのを防ぐためだ。

それでも、王弟の息子と宰相の息子を同室に選んだ教頭の采配は博打な気もするが…いや、もしかしたらもっと上の指示があったのかも知れない。

『ダメならその時にわければいいしね。意外と仲良くしてくれたら儲けものだよね』

飄々と言った言葉に誰もが信じていなかったが…現段階では、お互いに興味が無いようだ。

あの2人が同じ空間に好んでいるわけでもなかろうが…タナトスとは誰でも同じ空間に居たく無いから、王弟の息子も根性がある。

…というか、タナトスはスレイプニルに張り付いてるからな…。赤竜のクラブのキングの方がとばっちりか?


「…僕…本当に法術のセンスがないんじゃないかな…」

頬杖をついてため息を吐く私に、アイティールは涼しげな顔でお茶を飲んでいる。

「…途中まで出来ているのだから…そうとは言えないだろう」

冷静な青い目は、努力が足りない。と言っているような気がする…。

「でも、なんでタナトスだけなんだろう?どう考えても謎なんだけど…」

隣のタナトスは無言でボーーとしている。

「…やはり私以外に、あのネイロスにも効かなかったのか?」

「うん。ダメだった」

医務室を出てから、アイティールの部屋に顔を出して浄化を試してみた。が、ダメで、ネイロスにもなかば強引に彼の筋トレ中にかけてみたが、同じだった。

日記を書きながら、涙で本が滲まないように我慢したよ…。

ちなみに、タナトスから借りたお高い補助魔法の本は配給品の肩掛けカバンにしまって離さず持ち歩いている。

無くしたら弁償出来ないし…早く返してしまいたい。でも、読みたい。だから、日記に本の内容を抜粋して書き写すことにした。時間が出来たらコツコツ進めるしか無い。

「スレイプニル」

不意に声をかけられて、見上げればローズ先生だ。

「あ、先生、おはようございます」

「ああ。…それで?やはりタナトス以外はダメだったのか?」

「…はい。アイティールにもネイロスにも出来ませんでした」

「そうか。ではとりあえず、教室に行ったらみんなに浄化を試してみるように」

……先生、なんか…楽しんでません?心なしか…嬉しそうな気が…。

「それから、週末は大聖堂に調べに行くから明日は一緒に来なさい」

うげっ。

私が口を開くよりも先に、アイティールが反応した。

「どういう事ですか。ニルまでが教会に行く必要がありますか?」

「……コイツの法術の習得は今までの生徒とは全く違う。出来ないのでは無く、出来ているのに効かない事なんて今まで見たことが無い。大聖堂には法術の本が揃っているから、調べてみなくてはならない」

ローズ先生の答えに、アイティールは不服そうだ。

「しかし、ニルまで行く事は無いと思います」

「私は別に慌てずに、しばらくこのままでも良いと思っているが…スレイプニルはどうだ…?」

先生の緋色の目が、もちろん行きたいだろ?本読み放題。と私を見た。そして、アイティールの青い目が、ニル。教会に行ったら危険なのは承知しているだろう?断れ。と指示している。

「え、ええっと……」

なに、この板挟み…つらみ。

「…本当にヒントがあるなら…午前中にサクッと行って調べるだけ調べて帰ろうかな…と…」

アイティールの青い目がスッと細くなった。

ヒィ!殿下!すみません!

「…では、私も行く」

アイティールの申し出に、先生はニッコリ笑った。

「すまんが、大聖堂の図書は法術師以外は立ち入り禁止だ。それは例え王でも、許可が必要だからな」

「………」

アイティールは無言でローズ先生を見ると、決定事項のように言った。

「では終わり次第、戻れるように馬車を待機させます」

「……迎えだと?…スレイプニルも子供じゃあるまいし…」

「子供扱いしているわけではありません。終わり次第、確実に、早急に、帰して頂きたい」


その言葉が、まるで自分のモノのように聞こえてカンに触る。

返して頂きたい?…次期教皇候補とも言われるハートのキングを王家に抱き込む算段が進んでいるというのか?

教会は独立機関だ。現王は別として、どこの権力にもおもねらない。

スレイプニルの不安そうな顔を見て、その帽子にあるグリフォンの証が首輪のようで不快だ。

これは…今のうちになんとかしたほうが良いかもしれない。

「…そうか…しかし、週末くらい、コイツが自由に過ごす時間も必要だろう。休みすら与えないのか?」

「…私がニルに不自由をさせているというのですか?」

オケアノス人特有の色彩で不遜に問われれば、ますます気に入らない。

「それは、コイツが判断する事でおまえが決める事じゃないな。そもそも週末のうち1日くらい、自由にしてやる事も出来ないで不自由じゃないと言えるのか?」

「……………」


あわわわ…!な、なんか、なんでか先生とアイティールが険悪になってしまった…。

「あの…先生…僕…今のところ…困って無いです…」

そう言うと、先生は私を見下ろして、こんな事もわからないのか。と言わんばかりにため息を吐いた。

「…スレイプニル…」

「は、はい?」

「…おまえ、明日は午前中いっぱい大聖堂で勉強しなさい」

「は、はぁ…」

「わからなければ、一度で終わらないからな?今回だけと思うなよ」

「えぇ?!」

「そう言うわけだから、友達の勉強の邪魔はしてやるな。アイティール」

先生は言うだけ言うと、去って行った。

「…えぇ…?」

なんなの?そう言う先生こそ、私の自由時間を奪っているのですが…。

「……ニル…」

アイティールの不機嫌な顔を見るにつけ、私は顔が引きつった。

「…教会でなにかあれば、すぐに報せるか、構わず逃げて来るんだ。…いいな?」

アイティールの底光する青い目の剣幕に押されて、私はコクコクと黙って頷いた。


そして、私の浄化の法術はやはりタナトス限定という事実を、朝の授業前に確認した…。

「……ヌルい」

タナトスには難なくかかる浄化の光を見て、ニックやアッシュ達が目を丸くした。

「ホントだ。死神には効いてる」

「なんでだ?俺たちには全然なのに…」

「僕が聞きたいよ……」

ガックリと肩を落とす私に、アッシュが聞いた。

「じゃあ、治癒もそうなのか?」

「あ…試して無い。確かに…」

そうだ。治癒はどうなんだろう?!

私はその場で治癒の法術をタナトスにかけてみた。が…

「…………」

「…効かないな…?」

「ダメだな」

「ダメじゃん!!」

更にヘコんだ…。

治癒→才能ナシ 浄化→タナトス限定

どんな法術師じゃ!!そもそもこんなの法術師じゃ無い!!

私は机に突っ伏した。

「授業始めるぞー。お。すーぷーちゃん。その様子じゃ、ダメだったみたいだな」

先生の声は明るい。

なんだこの先生は…生徒の苦悩を面白がるなんて…ドSなの?

「ははは。そんな顔するな。すーぷーちゃん」

先生はご機嫌で笑う。ニックが補足した。

「ニルの浄化がタナトスだけ成功するから、治癒もタナトスだけかとやってみたんです」

「ほう…面白い!いい着眼点だな。それで?!」

「ダメでした。治癒はタナトスすら反応しませーん」

アッシュが他人事のように報告した。

「…そうか…なるほど…不思議だな…」

先生はヒゲ跡すら見えない顎に手を当てて、珍しい生き物を見るように私を見下ろした。

…珍獣じゃ無いんですよ…先生…。今日も化粧ノリ良さそうなお肌ですね。

午前講義を終えて、午後実技にはアッシュは光玉作成を安定させて正真正銘、2抜けした。

机に光玉をのせてご機嫌のアッシュが私の手元を覗いて来た。

「ニル。おまえ、何してんだ?」

「あ、これ?複写。タナトスから借りた本がめちゃくちゃ高いって聞いたから、必要な所だけ抜粋して書き写して返そうかと思って」

「ふーーーん…いらないって言うんだから、もらっとけば良いんじゃねぇの?」

「いや、そう言うわけにも…高価な物を安易にもらって後々、大変になったりすると嫌じゃん」

「…はぁぁ。なるほどな。まぁ、そうだな」

アッシュは納得して、やる事が無いのか私の作業を見守った。

「……………」

「……………」

しばらくして、アッシュが声をかけた。

「………なぁ」

「ん?なに?」

「…飽きねぇ?」

「……いや…まだそんなにしてないけど…」

…早くない?アッシュよ。…まぁ、見てるだけってつまらないか。

「ダメだ。俺、飽きた。あー…2抜けしてもつまんねぇな…フラフラしてたおまえの気持ちがわかったわ」

「眠たく無いのに、寝かされる気持ちわかる?」

「うーーん…それよりも死神と一緒に寝るなんてマジでお前を尊敬するわ…」

アッシュはそう言うと、机に突っ伏して寝始めた。タナトスも昨日と同じように、当たり前のように膝枕にして寝ている。

早く、本を返してこの状況を脱してしまいたい。私はひたすら補助魔法の要点を複写しまくった。

…コピー機さえあれば…1ページ1秒で終わるのになぁ…。

ボヤいていても仕方ない。早く終わらせないと。出来ればゆっくり読みたかったなぁ…。特に事例の所。

とりあえず、要点を書き写して、事例は複写が終わってからサッと読んじゃおう。

バリバリ書いていくと、夢の中の高校生生活を思い出す。集中して複写していけば、作業は捗った。

「(…である場合は、その限りではない…)」

最後の文章を書き終えて息をつけば、目の前に赤い色があるのに気付いて顔をあげた。

そこには、ローズ先生が机の前にイスを横に置いて机を肘掛けがわりに片肘をついて座っていた。実技の監督に、部屋の隅のここから教室を眺めている。

「…あれ…先生。いつの間に…」

驚いて声に出せば、先生は目線を向けずに答えて、思いがけない事を聞いてきた。

「アッシュが寝てからだ。そんな事より…おまえ、いつまで王家との関わりを続けるつもりでいる?」

先生の横顔は景色を眺めているような感じだ。

「いつまで…と言われましても…」

そう言えば、いつまでなんだろう?考えた事なかったなぁ…どのみち、目的を達成するまで協力してくれるって話だったけど……でも、それもやっぱり…限界があるだろうな…。

「まさか、このまま王家に仕えるわけじゃ無いだろ」

先生はこちらを見ない。けれど、質問の語尾は断定的だ。

「…僕は…そのつもりはありません…それに…」

女であるならば、その資格も無い…。この世界で女性の仕事は限られる。

目線を落として補助魔法の本を眺めた。デボラの活躍が書かれた本だ。

それは、戦争だったけど…戦争は嫌だな。私の将来は…やっぱり、細々と土を耕してタネを蒔く暮らしになるんだろうか。デボラとの暮らしは穏やかで、不満なんて無かった。でも、こんなに友達も先生達も居なかったし、変化には乏しかったけど…。

「…それに、なんだ?」

先生が先を促してこちらに緋色の目を向けた。

「………」

…もし、何事も無ければアイティールにも会わなかったし、この学校で会った人達全員…目の前のローズ先生に会う事すら無かったんだなぁ…。

「…全ては偶然でしたけど…僕は感謝しています。今、こうしてここにいる事を」

言葉にすると、遠くない別れを意識して寂しくなる。

先生は、何言ってんだ?と言わんばかりに眉をひそめた。

「…僕は…きっと…先生を…ひどく落胆させてしまうかも知れません…」

周囲の期待を感じるほどに、裏切る事になるのがつらい。

「…すーぷーちゃん…法術は必ず出来るようになるから。そう、悲観するな」

先生は苦笑してそう言った。

違うんです。先生。本当に…こんな風に騙す事になるなんて…気にかけてもらうほど、申し訳無い…

「……そう…ですね…」

騙している事への罪悪感を飲み込んで、私は曖昧に同意した。

早く。早く。もうこれ以上、スレイプニルという嘘が大きくなる前に。早く。なんとか石化のヒントを得ないと。

「……すーぷーちゃん」

先生は私をジッと見た…と言うか観察した後、声をかけた。

「…はい?」

「…すーぷーちゃんは何か…弱味でも握られているのか?」

弱味…デボラの事でアイティールに?…弱味とは…違う気がする。

「…いいえ…」

「では、なぜ王家を頼る?」

「それは…旅の途中で、彼に勧められたので…」

「旅?」

あ。マズイ…。入学証明の書類…なんて書いてあったかな…確か、アイティールの乳母の親戚の子供…だったはず。

「…た、旅に出るより、学校に行かないか。と勧められまして…」

「…………」

先生、そのジッと見るのやめてもらえませんか。尋問中の刑事さんですか?…経験ないけど。

「…すーぷーちゃんの後見人は誰だったかな?」

こ、後見人…ですか?え、ええーと…だ、誰だっけ?!てか、そんなの書いてあったっけ?!

「…え、えと………」

記憶のページを大急ぎめくっても、覚えていない。

先生は頬杖をついてジッと見ている。

なにこれ。これが噂の圧迫面接?

「……その…覚えていません…」

「…そうか。すーぷーちゃんは親戚とか他にいるか?」

ま、まだ続くの?これ。早く終わって!

「…い、いません。多分…」

「そうか。ならいい」

せ、先生?!

「…先生…これ、なんの質問ですか…?」

質問というか尋問でしたけど。

「……。まぁ、本読み放題をする為に…だな」

先生はフイと教室内に目線を移した。

あ、あぁ…図書館みたいな身元証明ってやつですか?

「すーぷーちゃん。明日の朝、制服のままロビーで待ちなさい」

教室内を眺めながら先生はそう言った。

「…あ、はい…」

「それから…」

先生はこちらを振り返って視線を机の上の本に向けた。

「その本はタナトスに返しておきなさい。他人に見られたら事だ。大聖堂の本は複写は禁止だから、筆記用具や手荷物も預ける事になる。余計な物は持つな」

…厳重なんだなぁ…まぁ、図書館もそうだけど…。

「…わかりました」

「それから…」

え。まだあるの?

「大聖堂に行くのに、着帽はやめなさい。特に、王家の紋章は持ち込まない方がいい」

「え。帽子はともかく…グリフォンはダメなんですか?」

「…教会は王家を快く思ってない」

そ、そうなの?!知らなかった!

「な、なんでですか?!」

「…政治の話だ」

なんか、大人の事情を垣間見た気がする…。

ん?この世界は政教分離じゃないのか…。夢の世界じゃ宗教が政治に関わるとロクでも無いって聞いたけどなぁ…。

「そ、それって…もしかして、アイティールの家とタナトスの家があんまり仲良く無い…みたいなのに…関係あります…?」

おずおずと聞けば、先生は頬杖をやめて意外そうに私を見た。

「…誰から聞いた?」

「聞いたっていうか…その…アイティールがタナトスに対して、そんな雰囲気なんで…タナトスのお父さんと教皇サマは仲良いんですよね?」

当のタナトスは誰に対しても同じだ。すなわち無関心。ちなみに、そのタナトスは相変わらずイスに座る私の膝を枕にしてるけど。

「…まぁな。教会は現段階でアイティールを次期王とは認めていない」

サラリとなんか聞こえました。

「……先生…僕、ちょっと、お耳がおかしいみたいなんですが…もう一度、お願いします」

「すーぷーちゃん…耳がどうした。…現段階で、教会はアイティールを含め誰も次期王とは認めていない」

次期、王?!アイティールが次期、王候補!…ああ、まぁ、そうか。そうだよね。殿下ですものね。

「は、はぁ…まぁ…しかし…それで、タナトスの家は反対しているんですか?」

仲悪いってそういう事だよね?

「そうだ。王政の廃止を訴えている」

はぁ〜。そりゃまた…政敵以前のはなしですなぁ…。

「お、王政廃止して政権はどうするんです?民主主義ですか?まさか社会主義じゃないですよね?」

「…なんだ?それは」

おっと。

「イエ。なんでもナイです」

余計な事はお口チャック。そんな雲の上の話は雲上人だけでお願いします。

「…すーぷーちゃんは…政治の本も読んでいるのか?」

「僕が?まさか。僕、そういうのは面倒で…基本的な事くらいしか…」

「……その基本的な事は誰に教えてもらったんだ?」

え。えーと…誰かっていう誰かはこの世界じゃいないんだけど…。

「…えーと…世間一般的なというか…ご近所の噂話程度と言いますか…ああ、それなら知識とは言えないですね。すみません。知ったかぶりました」

シレッと言い切って流した。そしたら授業を終える鐘も鳴った。

はぁ〜助かった。

爆睡していたアッシュは鐘の音に目が覚めた。先生は皆に授業の終わりを伝えた。

私はタナトスから借りた本と日誌をカバンにしまうと、ついでに先生に聞いてみた。

「そうだ。先生、週末って皆がみんな学校を空けるんですか?」

「……。一部の人間は残る。なぜだ?」

「いえ。ただ…そう、この本とか…部屋に置いておいて大丈夫なのかと…」

「貴重品は基本的に置くな。自己責任だ」

「学校に来て、練習や勉強してもいいんですか?」

「…休日の教室の使用には申請を取る必要がある。それから、食堂は2日間は完全休業だ。それに、我々の場合、わざわざここに来て練習する必要は無い」

…まぁ、そうですね…法術はどこでも練習できますもんね…。でも、きっと、黒竜は教室使いたい人、いるだろうな…。

黒竜の教室の本は持ち出し禁止だ。教室でしか勉強出来ないはず。…とにかく、一度は休日を覗いてみる価値はあるかもしれない。

「…何をする気だ?」

先生は警戒した目を向けて聞いてきた。

「え、別に。…居場所に悩んだ時に使えるかと思っただけです」

うんうん。上手い事、ごまかせたんじゃない?

先生は再びジッと観察してきたけど、私は構わずタナトスを起こすと灯り点けまでの時間を玄関ロビーのイスで本を読んで過ごす事にした。


タナトスがそばにいると、誰も近寄らないから読書にはちょうどいい。

「…いい本を読んでいますね」

読みふけっていると、不意に声をかけられ、顔をあげれば目の前に笑顔がデフォルトの…

メルセデス先生だ!!うわぁ!ここまで近付いて来たの気付かなかった!!ど、どうしよう…

私はキョロキョロと周囲を見た。

こんな所をローズ先生に見られたら、まためちゃくちゃ怒られる!

「ああ。心配しなくても。魔法書を読んでいるからと、咎めたりはしませんよ?むしろ、感心しています」

メルセデス先生はニコニコとそう言った。

ど、どうしよう…会話するなって言われてるし…

「おや。どうしました?」

説明しようにも、先生と話をするなと言われています。とは言いにくいし…。

口を開きかけて、やめてうつむいた。

「ははぁ…さては、ローゼフォンに私と話をするな。と叱られたのでは無いですか?」

え。先生、その通りですが。

無言で見上げれば、メルセデス先生は笑顔のまま眉を下げた。

「やれやれ。ローゼフォンは大人げ無いですねぇ…まぁ、白竜は我々を過度に警戒しますから、仕方ないかも知れません。ねぇ、タナトス?」

メルセデス先生はため息混じりにそう言ったが、話をふられたタナトスな無言だ。特に害をなさなければ無視するようだ。それでも先生は全く気にしていない。

「では、ここからは私の独り言です」

先生はそう言うと、私の膝にある本を見て言った。

「それは補助魔法の本ですね。それも最新の…では、その本はタナトスのでしょうねぇ」

先生、鋭いなぁ。

無言で見上げる私に、先生は頷いた。

「補助魔法に興味がありますか。なかなかの通ですねぇ。それは派手さには欠けますが、うまく行使出来れば、かなり使える魔法です」

おお、さすが魔法の先生!そうですよねー!

「ですが、難しそうでしょう。読んでみてどうですかねぇ」

面白いですよ!おススメします!

「………なるほど。読解力も申し分なさそうですね」

先生は私を観察して、なにかを呟いた。

「これなら…」

え?なんて?

「ああ。いえ、そうですか…本。本ですけどねぇ…」

メルセデス先生は、何かを思い出すように言った。

「面白い本が、あるんですよ…それも、とても貴重な」

はぁ。そうですか。…なんか、もったいぶりますね。

「…魔法の知識のある者ならば、誰もが読みたがる知識が書かれた本なんですけどね…」

へぇ。なんですか、それ?

「本というのは、知識を求める者のためにありますから…私は若者にこそ相応しいと思います。今は亡き…偉大なるアルカティアの叡智を…」

「…え…先生…それって…」

今、なんて?!アル…カティア、アルカティアって言いました?!

「…どういう…本なんですか?!」

立ち上がって問えば、メルセデス先生の左右の目が見えた。

「…興味がありますか?」

先生の手が私に伸びた時、金属の擦れる音がした。

メルセデス先生は一瞬で後ろへ退いた。

その床に赤い点が落ちた。

…え…?…血?!

メルセデス先生が、右手を押さえていた。その顔は、犬に咬まれたように苦々しく私の左後ろを見ていた。

振り返れば、タナトスが変わった形をしたあの剣1本を手に佇んでいる。

「せ、先生!大丈夫ですか?!」

先生の押さえている手から赤い血が伝っている。

「やれやれ。気が抜けないですね。タナトスは気に入らないとすぐにこうです」

メルセデス先生はいつもの笑顔に眉を下げて嘆いた。

し、止血を!そうだ!ハンカチ、カバンに入れてた!

私は本を入れていた配給品のカバンからハンカチを取り出すと、メルセデス先生の手を取った。

メルセデス先生の手は節の目立つ神経質そうな手だった。その手の甲はパックリと薄くだが切れていたから、ハンカチを強めに巻いた。

「僕、まだ、治癒の法術出来ないんで…。すみませんが、他の先輩や先生に治療をお願いしてください」

そして、その上から2、3度円を描くように撫でて手を離した。

「……何ですか?今のは?」

メルセデス先生が興味深そうに聞いた。

「小さい頃に母がしてくれていたおまじないです。痛みが取れますように。と」

メルセデス先生は、不思議そうに私とハンカチを巻かれた手を見比べると、頷いた。

「…なるほど…不思議なものです。そう言われると…そんな気がしてくる」

メルセデス先生はしげしげとハンカチで覆われた手を見ると、

「それでは、治してもらいに行って来ますかね。ああ、先程の件ですが…興味があればいつでもいらっしゃい」

ニコニコと気さくにそう言って、メルセデス先生は去って行った。

「………。…メルセデス先生って、ああ見えて機敏なんだなぁ…」

その後ろ姿を見送って、ふと、先程のタナトスの一振りに一瞬で後ろに退いた先生の反射神経を思い出して、感心した。

「…アイツは…逃げ足が早い…」

タナトスが手品のように剣を収納しながら呟いた。

「タナトス…まさか、先生に…何度も切り掛かってるわけじゃないよね…?」

心配になって聞けば、「…最近は…しつこく無いから…してない…」と自供した。

「……タナトス……」

ああ…あのメルセデス先生がタナトスを諦めている理由は…これか。

いくら優秀な生徒でも、剣技に手練れた生徒に本気で命を狙われたら指導どころじゃ無い。

「おい!!すーぷー!!」

その声に、目を向ければメルセデス先生が去った方からクスト先輩が駆け寄って来ていた。

「あ。先輩」

「おまえ、今、ここにメルセデス通らなかったか?!」

え、えーと…

「ぼ、僕は何も話していません。先生が僕たちに声をかけて行っただけです。それより、先輩。メルセデス先生がタナトスに切られて手をケガしちゃったんで治して差し上げて下さい」

私の言葉に、クスト先輩はゲッ!という顔をしたが、すぐに真顔で疑った。

「……おまえ…死神が切りかかったって事は…メルセデスがなんか言ったか、やったんだろ…?」

「え。そ、それは…その…」

ハッキリしない私の様子に、クスト先輩の眉間にシワが寄った。

「んなもん、アイツの自己責任だ。俺は絶対、治さない。むしろ死神、ナイスプレーだろ」

クスト先輩はチラリと佇む黒いローブのタナトスを見た。

「そ、そんな…」

「おまえも、もっとしっかりしろ!聞かない。言わない。近付かない!」

「…話はしてません。気付かなかっただけです」

叱られて上目がちに答えれば、クスト先輩は私の手にしている本に気付いた。

「なんだ。それ」

「あ!え、いや、これは…タナトスのです。本当です」

慌てて本を後ろに隠した。先輩は不審そうに手を向けた。

「出せ」

ええ?!

「だ、ダメです!これ、ローズ先生がめちゃくちゃ高いから早くタナトスに返せって言ってたし!」

その言葉にクスト先輩の眉が上がった。

「…先生も知っているのか?…。…なら、今、タナトスに返せ。灯り点けに行くぞ」

ピシャリと言われて、私はタナトスに本を返した。

「タナトス、ありがとう。面白かった。僕、灯りつけに行って来る」

「…もう…いいのか…」

「う、うん。大体、読めたから。この本、きちんと保管して」

デボラの事が書かれた本を無下にして欲しくない。

タナトスは本を受け取ると、どこかに去って行った。

「…おまえ、なにカバンなんか提げてるんだ?」

「これですか?日誌が入ってます。実技免除中にタナトスから借りた本の要点を抜粋して複写したので」

「…おまえ…」

クスト先輩が何かを言いかけてやめた。灯り点けに集まった先輩達が私達を呼んだからだ。

「…行くぞ」

先輩はそう言って、私の腕を掴むとズンズンと白いローブの集まりに引いて歩いた。



ローゼフォンは答案に目を通しながら3年生の回答に採点していた。

自習と言えど、その成果は定期的にチェックする。いざ戦闘が始まれば法力は無限では無い。普段はもとより、長期戦や混戦、消耗戦などシビアになった際にも効率よく冷静に先を読んでチームの誰を優先的にフォローするか。状況に応じて範囲回復、浄化、治癒を使い分ける必要がある。それに、戦況を読む技術は4竜どこも共通科目だ。

来週はいよいよ模擬戦が始まるから忙しくなるな…。

3年生が気力切れになると、灯り点けの人員が2年生や教員に集中する。加えて医務室も忙しい。

こうなってくると、3桁の光玉を出したというスレイプニルの法力は数値から見ても妥当だ。その法力は、今は光玉だけだとしてもアテになる。

…暇にさせているとまた何をしだすかわからないからな…。

予想もつかないような事を頻発させるアイツには、忙しいくらいが丁度いいだろう。

「ローゼフォン。よろしいですか?」

書類を眺めて、ペンを止めていたローゼフォンに声をかけてきたのはメルセデスだ。

「…なにか?」

「ケガをしたので治して頂きたい」

メルセデスは、しばし…というか、ケガをするとほかの白竜の講師よりも決まってローゼフォンに治療を依頼する。ローゼフォンは認めたくない無いが、メルセデスはローゼフォンを気に入っているからだ。

わざと言葉でからかったり、微妙な嫌がらせをしたりするが、基本的にはお互い心底いがみ合っているわけでは無い。ただ、ダイヤのキングを強引に取った時は1年間は完全に無視した。2年経ってようやく今のように事務的な会話をするようになった。今では信じられないが、ナタルの事がある前はむしろ、よく話をしていたし、お互い尊重していた。だが、今はローゼフォンがメルセデスを受け入れられない。

「…どこですか」

しかし、ケガをしたというなら別だ。法術師ならば例え心底気に入らない相手でも、治す。

「ええ。この手を…」

メルセデスが右手に巻かれた布を取ると、「おや…?」と不思議そうに声をあげた。

「……なんとも無い。治ってる…」

また、からかいに来たのか?そう思ったが、外した布にはまだ色も鮮やかな血の色がハッキリと染みていた。しかも、メルセデスの左手には右手を押さえた時に付いたのか、乾いた血がこびりついている。

「…診せて下さい」

メルセデスの手をみると、手の甲に1本、白い線が出来ていた。鋭いもので切れた傷だ。この線がメルセデスの言うケガをしたばかりならば、自然治癒のように傷跡が残る治癒は未熟な証だ。

「…生徒に治させましたか?」

誰だ。こんな適当な治癒をするヤツは。まぁ、相手がメルセデスならわからなくも無いが。…しかし、それなら、再度治してくれと言いにくるか?傷は治せても、傷跡は治せない。

「……。ああ…いえ。どうやら私の勘違いのようです」

メルセデスは何かを思い出し、手を引き、血の付いたハンカチをたたみ始めた。

その時、かすかに野花の匂いがした気がして…神経が尖った。

「メルセデス…その傷…どこで、誰にやられました?」

メルセデスはニコニコと笑い答えた。

「いえ。引っ掛けて出来た傷です」

「そばに誰かいたでしょう?誰です?そんな治癒をしたのは」

「いいえ。いませんよ?私1人です」

息を吸うように自然と言うメルセデスは、最初よりも機嫌が良い。

「お邪魔してしまいましたね。ローゼフォン。私はこれで」

右手に出来た白い線を眺めると指でなぞり、満足そうにさすりながらメルセデスは去った。

「…………」

その機嫌の良い黒い背を、ローゼフォンは疑惑の目で見送った。






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