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眠りの神と夢見る子守唄  作者: 銀河 凛乎
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第2章 それで…お前はどうするんだ?

パンタソスはソワソワしていた。

今日は日曜日。朝の仕事を終えると、ようやく自由だ。

普段ゾロゾロとついて来る部下も、さすがに日曜日の昼にはパンタソスを付け回す事も無い。とは言え、側仕えの青年アダムだけは別だが。

彼は側付きを任命された7年前から、どんなに巻こうとしても、しぶとく根性でついて来る。

見上げた精神だ。まぁ、そんな根性のある奴だからこんな役目を担っているんだろうが。

今日も、職場から物凄い速さで仕事を片付け支度をすると、パンタソスはさっさと馬にまたがった。

もちろん、彼もピタリと後ろを付いてくる。優秀な彼はパンタソスの側仕えよりも、ひょっとしたら軍部に向いているんじゃなかろうか。

…本人は嫌がるだろうが。

もう7年にもなる側付きは、今やパンタソスの行動を聞かずとも公私共に先を読む。パンタソスとしては、使える部下だが、余りに忖度されてもつまらないし、気に入らない。

彼の金色の髪に青い瞳は純粋なオケアノス人の証だ。愛する娘の漆黒の色とは相対する色合いに、パンタソスはその弟分を思い出す。

白金の髪に金眼の弟は成長して髪の色が濃くなっても実に可愛げがない。

それどころか益々、性格が歪んでいる。養父の教育の賜物だろうが、やはり2人を引き離した事にパンタソスはもうずっと呵責に苛まれている。

それでも…パンタソスは正せなかった。自身が贖罪として娘の前から姿を消しても、未練たらしく娘の様子を遠目で見る事はやめられなかった。

何度もデボラに、会わないのかと責められても、自分だけが娘に会うのは狡い気がしたし、娘に会って弟の事を聞かれたら、幸せにしていると嘘をつかなくてはいけないのも嫌だった。

一度ついた嘘はその嘘を隠すためにより多くの嘘をつき続けることになるからだ…。

かと言って、娘に潤んだ目で質問されれば秘匿案件も吐露しかねない。

「(…それでも、そろそろ潮時だろう…)」

パンタソスが馬上で、いよいよ親子の感動の再会をどう演出するかで、密かにもだえていると、次第にデボラの家の結界に入る。

が、違和感に馬を止めた。後ろに付いていた、アダムも眉をひそめる。

「力が…失われている」

アダムの事実そのものの言葉を、パンタソスは聞き終わる前に馬を走らせた。

到着した家は見た目はどこも異常は無かった。

庭先まで馬を進め、手綱も留めずに馬を乗り捨て玄関に手をかけると鍵がかかっていた。

不在なはずはない。結界は獣を防ぐ他に人の出入りも感知する。デボラがそんなミスをするはずがない。

パンタソスはマスターキーで鍵を開けた。勝手知ったる間取りに人の気配を探す。

キッチン、居間、客間、主人の部屋、どこも音や気配は無い。そして子供部屋として使われていた部屋の扉を開けると、見知った後ろ姿が立っていた。

「…なんだ、居たのか」

ホッと呟いて、それでも違和感は拭えない。足早に近付いて、パンタソスはそれに気付いた。

思考が停止した。目の前の現実に、時間に置いていかれる。それも刹那、パンタソスは絶叫した。

生きた人間が固められたような精緻な石像は、目の前の人間に何かを伝えようとしたまま時が止まっている。

それは、パンタソスのよく知るデボラだった。

「聖下?!…これは…!!」

後から追って来たアダムはパンタソスの狼狽に我が目を疑った。石化された家人にもさることながら、あのパンタソスが真っ青になって喚いているのだ。

「聖下!落ち着いてください!」

アダムが錯乱してるパンタソスに駆け寄ってその肩を掴むと、パンタソスはアダムの手を振り払い、ありったけの石化解呪の法術を石像にかける。

部屋全体がまばゆいほどの光と力に満ちてもパンタソスの黄金の輝きは、石像を囲む別の光を浮かび上げるだけで、全てが弾かれて霧散した。

「そんな…解呪されない…?これは一体…!?」

アダムはパンタソスの解呪が通用しない光景を見たことが無かった。

「これは…単純な石化じゃない…やはり…禁忌の呪いだ…」

絶望に呟き、パンタソスは頭を抱えた。

「ああ…ああ!!クソ!!いつからだ?!こんなことになるなら…クソったれ!!」

パンタソスは自分の拳を壁に打ち付けた。

側付きになって7年、こんなに乱暴に粗暴な言葉を吐くパンタソスにアダムは呆然とした。

「…聖下…」

パンタソスは拳を打ち付けた壁に無数の傷があるのに気が付くと、大事なものが無い事に気付き、さらに愕然とした。

「…ヴィナ?…ヴィナ…そんな…どこだ…!?」

パンタソスは激しい動悸に自分の胸ぐらを掴むと、残りの部屋を片っ端から捜索する。

名前を呼んで、手当たり次第に探す。音も気配もない。それでころか、水場は完全に乾いている。もう、何日も使われた痕跡が無いのだ。

パンタソスの体から血の気が引いていく。震えてる手で額を押さえた。

それから目を閉じ、たっぷり何拍かして部下の名を呼んだ。

「…アダムッ!!」

パンタソスのただならぬ様子に、アダムは身を固くして「ここに」と、彼の前に出た。

額から手を下ろし、アダムの先を見る男は普段のアダムの知るパンタソスその人だ。

「直ちに島を封鎖しろ。10代から20代の黒い瞳の者は全員保護だ。決して乱暴にするな。動ける者全員で行え」

「承りました」

アダムは言うが早いが家を出て馬を操り早駆けた。


島の封鎖は速やかに行われた。港の出港は全てがキャンセルされ、船は監視される。街には兵士や法士が慌ただしく行き来し、民家を一軒一軒、訪問する。森や海辺はくまなく捜索が入った。

それでも…

「何故、見付けられない!」

パンタソスはアダムの報告に苛立ちを隠せない。アダムも解せなかった。

パンタソスの探すアルカティア人の娘はアダムも共に遠目で何年も、何度も見てきた。

箱庭で大事に育てられたような娘が、どこに行けるというのか。

「…街で聞き込みを行なっています。ご存命であられるならば、いずれ動向が知れるはずです」

アダムの冷静な答えに、パンタソスは机の上の物を吹っ飛ばした。

「ふざけるな!! 生きているに決まってる!!」

興奮し肩で息をするパンタソスを、アダムは冷静に観察した。

…何故、これほどまでに心を乱されるのか…

確かにずっと見守ってきた娘だ。アダムも心配に思う。

絶滅種のアルカティア人というのを鑑みても、それでも今のこの姿はアダムは今まで見た事が無い。

平素の彼なら飄々と仕事を割り振って的確に指示をだしていただろう。

アダムの仕えるパンタソスという男は、今回の事を抜かせば、まさに役職そのものの具現化だった。

当初こそ、自分が側付きの任に決まった時は名誉と重圧に震えたが、仕事以外のパンタソス…その人はアダムの想像もつかない姿だった。

あのアルカティア人をパンタソスが極秘に隠してきた事にはアダムにとっても最初は驚いた。

しかしそれ以上に驚いたのは…彼は、まさに度を超えた親バカだった。

天候に構わず7日に1回は足繁く通い、茂みからコソコソと自身の所有地に住む者達を覗く男の姿に、アダムは衝撃と動揺が隠せなかった。

彼は決して誰からも隠れる必要の無い人物のはずだ。

パンタソスに付き合って茂みの中で憤慨するアダムに、パンタソスは「騒いだらコロス」と信じられない言葉と殺気を向けたのだ。

アダムはパンタソスのこの行動がどうしても解せなくて、本人に問えば「嫌なら来るな」と、にべもない。

だから自分を側付きの任に付けた上司にそれとなく聞いた。

上司は、あさってな方向を見ながら沈黙したが、「他言は無用。威信を損なう発言は控えろ。普段と違う事があった場合は私に相談するように」と、案に監視を匂わせていた。

その事を抜かせばパンタソスは相変わらずアダムの尊敬する完璧な姿だった。

不本意ながら割り切って休日のパンタソスに付き合っているうちに、アダムも彼の人間らしい葛藤した姿に親しみを覚えるようになった。

パンタソスの友人、デボラという変わった毛色のアルカティア人の女は、事もあろうか彼を「変態」とまで口にした時は耳を疑ったが…。

デボラに少女の普段の様子を聞いて一喜一憂するパンタソスは、もどかしいほど健気な一人の人間だった。

アダムはもちろん妻も子供もいないが、もし、自分の子だとする子供をあてがわれたとしたら…戸惑いながらも世話をするだろう。

パンタソスとともに少女の成長を見ていると、自分もそう思うようになった。

そんなアダムにパンタソスは頻繁に娘を自慢する。

ひとしきり自慢して、アダムが同意すれば決まって「お前に娘はやらん!」と睨まれ、アダムが否定すれば「うちの娘の何が不満なんだ!」とクダを巻く…理不尽で面倒くさいオッサンだった。

だが、パンタソスのそれはあくまで休日の私的なもので、彼はその話題すら決して公には持ち込まなかったし、片鱗さえ見せなかった。

それが今や、職権を大いに振るい、仕事上でも最重要案件として捜索を命じている。感情を露わに声を荒げ、物にあたる姿など、普段の彼なら考えられない変貌だ。

「失礼します」

ノックとともに声がすると、捜索にあたっている者が報告した。

「今、寄港したの船員が、該当の黒い瞳の者を船に乗せたとの報告が入りました」

パンタソスが食い気味に問う。

「いつだ?!」

「そ、それが6日前で、ウィンナイト港で下船した、と…」

「6日前?!」

パンタソスの驚きに、アダムも意外に思った。7日前の日曜日にはデボラと娘の姿を確認しているから、石化したのは月曜日で、その翌日には船に乗った事になる。

そして、ウィンナイト港はレームス諸島の王都がある最大の港だ。ここから遠くはないが、当然、陸路は無い為、海路のみの移動になる。

「…王都に行ったという事は、何か当てがあるのでしょうか?」

アダムは娘の行動力に関心したが、目的が明確にあるならば、わからなくも無い。

「…………」

パンタソスは思案していたが、何事かを決意するとアダムに向き合い指示を出した。

「王都に行く。支度しろ」


6日前

デボラを石化から戻す方法を探して、家を出た私は街の酒場に行ってみた。今までは来る理由の無かった場所だが、色んな人間が集まる為、デボラが残した《ヒュプノス》という情報が何なのかかわかりそうな場所だったから。

人の出入りの多い扉を潜ると、お酒のにおいと色んなニオイの混ざった空気と、人々の会話が溢れていた。

戸惑っていると、後ろから入って来た客が邪魔そうに舌打ちしてくる。

慌てて、とりあえずカウンターに座った。

店は、カウンター席と円形のテーブル席が8つほどあり、朝にもかかわらず飲んでいる男達もいる。

「何にする?」

カウンター越しに店の女が注文を聞いて来た。

「…あ、えっと…」

困った…。こういう時の定番は何だろう…朝からお酒なんだろうか…?

「メニューはこれね」

面倒そうに差し出された汚れた板には、飲み物がビール、ワイン、地酒、果実酒、水…あと、かわいらしい文字でミルクと書いてある。

「(………?ミルク?こんな酒場で?)」

なんか意外だ。でも、お腹も減って無いのにミルクみたいな濃いのはムリ…お酒は尚更だ。

「…水を下さい」

「はいよ」

夢の中では、お店で出される水はタダだけど、現実はどこも有料だ。さすがにお酒よりは安いけど。

注ぐだけの水を目の前に出されて、私は彼女に聞いた。

「あの!…ヒュプノスって知ってますか…?」

「…なんだって?ヒュプノス?」

突然の質問に彼女は訝しげに私を見たが、私が頷くと

「…ねぇ!誰か、ヒュプノスって知ってる?!」

と大きな声で、店中に聞いた。

びっくりした。まさか、こんなにいきなり大勢の前で言われるとは…。

「…ああ〜?ヒュプノスだって?」

女の問いに、4〜5人で飲んでいた男の一人が反応した。

「ヒュプノスってのは〜、神さまの事よ!」

「(神さま…?)」

私は男の方を見た。

「死を司る神さまで、ようは死神だな!」

自慢気に言う男に、別の男が否定した。

「死神ぃ?うちのばーちゃんは、眠りの神だって言ってたぞ?」

「同じじゃねーか」

「違うだろ、お前は寝たら死ぬのか?」

「お前の死んだばーさんが世話になったんだろうが!」

「ばーちゃんは、まだ死んでねーよ!」

「まだ生きてんのか?それこそ死んだみてーに寝てるじゃねーか!」

「なにぃ?!ばーちゃんは眠れないって嘆いてんだ!」

怒涛の喧嘩流れだった。お互いの胸ぐらを掴んで睨み合っている男達を仲間が制止している。

「全く!誰だ…変な事を聞いた奴はッ!」

仲間の一人が周囲を見渡して言った。

ヒエッ! 私…だよな…

チラリと店の女を見ると、目で促された。

私は渋々、席を立つと男達のテーブルに向かった。

「…すみません。お店の方に聞いたつもりだったのですが。お騒がせしてしまいました」

突然、現れた焦げ茶で前髪の長い少年に、男達はジロジロと見る。

「お前…何モンだ?」

強面で、酒の入っている男が聞く。

「僕は…ニルと言います」

街で買い物をする時は、決まって男装するから名前も合わせてニルと名乗るようにしていた。

「…それで?」

鋭い視線で先を促す。

どうしよう…仕法の事は隠さなきゃならない…。

「…昨日…育ての親の師匠が…亡くなりました…」

デボラ、ごめん!正確には死んだわけじゃないけど…!

「……」

男達は黙って聞いている。

「師匠は…僕の事を本当の子供のように大事にしてくれた…なのに…僕は…今まで…師匠に何もしてあげられなかった…それどころか…師匠は、最後は僕をかばって…」

…デボラ…。

鼻の奥が熱くなる。

「……その…師匠が…最後に言った言葉が…」

「…その、ヒュプノス?だったわけか…」

私は頷いた。

「…僕は、知りたいんです。師匠がなぜ、ヒュプノスと言ったのか…その為には…僕はどんな苦労でも構わない…旅の決意をしたんです」

「…なるほどな…」

しんみりとした空気に、酒の勢いも抜けた男達が黙った。

「…楽しい席で、こんな話をしてすみませんでした…。お詫びに皆さんに1杯、おごらせてください」

私がオーダーを頼もうとすると、男の一人が遮った。

「いや、それにはおよばねぇ。俺たちも、そろそろ仕事だ」

ええ…飲んだ後に仕事なの?

言葉にはしないが、面食らった顔の私で気付いたのか男は苦笑した。

「俺たちにとっちゃ、朝の酒は水みたいなもんだ」

…はぁ…。

「…それで、お前はどうするんだ?」

「…先程、ヒュプノスが神さまの名前だと教えてくださったので、詳しく調べる為に…」

そう、神さまの名前?…わからない…なんでデボラがそんな事を言ったのか?…もっと確かな情報じゃないと…。

「(…夢なら、ネットや図書館で簡単に調べられるのに…)」

いや、図書館…図書館ならここにもあるだろう。

「…あの、すみません、図書館ってどこにありますか?」

私の問いに、男達は目を丸くした。

「なに?図書館だって?そんなご立派なものはこの島には無いさ!」

そう言って一同が笑う。

「え?…あの、じゃあ、どこならありますか?」

「さてなぁ〜!図書館で調べるか?そもそも、本なんてもんが戦火に残ってたらだがな!」

図書館の場所を図書館で調べる…皮肉な言葉に、ドッ!と笑いが起こる。私は沈黙した。

うーん…そうか…図書館って身近じゃないのか…じゃあ、図書館がある場所に行かないと…。

「(…とすると、首都かなぁ…)」

デボラに教えてもらった地理では、今いる所はレームス諸島でもそこそこ小さめな島だ。確か首都に行くには陸路がないから船だろう。

「(…地図上では首都がある本島まで、そんなに離れて無かった気がする…)」

「あの、ありがとうございました。僕は、図書館を探します」

そう言って、私は自分の分の代金を払い、酒場を出る。

「(…さっきは争いを避ける為に出費を覚悟したけど…お金もちゃんと節約しないとな…)」

家を出る時に持ち出したお金は、当面、大丈夫だと思うけど有限だ。

「(…もし、お金が尽きたら自分で稼いで資金にあてなきゃならないし…)」

お金を稼ぐ…私に何が出来るだろう…

不安は尽きないけど、嘆いていても仕方ない。私は港に向かった。


海はどこの世界でも、広い。けど、夢の中の超文明の海よりもずっとずっとキレイだ。どこまでも広がる青。透き通る青。風を受けいっぱいに広がる帆布。波間に揺れる船。

「(夢で見た超文明の船は、金属だったけど…まあ、そうだよね。動力は風を受けて進むんだな…)」

停泊している船は皆、木造の帆船ってやつだ。

きっと、夢に出た船の事を話せば「金属の塊がどうやって水に浮かぶって言うんだ!」と笑われるだろう。

「(…これが飛行機やロケットともなったら…完全に頭のおかしい人と思われるだろうな…)」

本当に、なんでいつも同じ世界の夢なんだろう?あまりにリアルだから、どっちが夢だかわからないよ。

とはいえ、今この瞬間の肌に触れる潮風も、磯のニオイも、海鳥の声も現実だ。

「(…さて…どうやって船に乗るんだろう…?)」

港には桟橋と、複数の大小の船が停泊している。

「(夢の世界なら、案内板に行き先の文字が浮かぶけど…)」

キョロキョロしていると、肩を叩かれた。

「…よう!待ちなよ、坊主」

びっくりして振り返ったら、さっき酒場にいた男だ。

「はい?…なんでしょうか…?」

まさか、カツアゲ…?!

「さっきは笑って悪かったな。良ければ、一緒に行かないか?」

ニカッと笑う男に、私は理解が追いつかない。

「…あの…?」

「探してるんだろ?図書館。俺たちは行った事もねぇし、用事もねぇ。だが、王都には行く。お前が船賃出すんなら客として、乗せて行くぜ?」

王都…って首都の事、だよね?

私はその言葉に、見る見る興奮する。

「…ホントですか?!…」

「ああ。なんか、見過ごせねぇからな」

まさに渡しに船。

あ、でも、こういう時こそ慎重にならないと。

「…あの、船賃はいくらですか?」

「50sだ」

なるほど。お昼ご飯代5回分くらいだ。これなら安過ぎず高過ぎずなくらいかも…。

「…えっと…王都までの安全な船旅を50sでお願いします」

「決まりだな」

男に案内されて乗り込んだ船は意外にもそこそこ立派な中型船だった。

「…はぁー。へぇー…。ほー…」

船倉には荷物が積んであるようだ。物珍しく私は船内の色んな所を見て周る。

「おい、坊主。あんまりチョロチョロしてっとネズミになるぞ」

酒場にいた違う男に注意され、そちらを見ると積まれた荷物を数えている所のようだ。

「…ああ、くそ。数が数が合わねぇ」

ボリボリと頭を搔く男と荷物を見比べると、雑然と不規則に並べられた木箱と男が手にしている木札がある。

「数合わせですか?」

「ああ。全部で95個のはずなんだが…」

「…手伝ってもいいですか?」

「なに…?」

散らばった木箱を整然と並び変えていく。船が波で傾くのも踏まえて、船倉に隙間がなるべく出来ないように並べるのが良いだろう。数えやすいように、同じ大きさで揃えていく。

「6列で8個、それが2段ですから48の2倍で96個です。1つ多いですね…」

「…お、おう…」

…積荷の順番とか必要だったのかな…同じような箱だったから中身も一緒かと思ったけど…。

「…積荷のチェックは終わったかー?」

そこにまた一人、船員が顔を出した。

「おお!今日はやたらとキレイに収めたじゃねーか!」

「…荷が1つ多いが、どうなってる?」

「ん?…あー!それ、船長のだ。そら、その赤い線の入ったやつ」

「なんだ、先に言えよ!何度も数えたぞ!」

「ははは!ワリィ、でも、今日はこんなにキッチリ収めれば、副船長の機嫌もいいな!」

そう言って去って行った。

「…たくッ!」

「…では、僕もこれで」

「あ、待て。おい、お前…さっきのは何だ?」

「何って…?」

「その、やたらと早く数えただろ?」

「…単に掛け算ですけど?」

「カケザン?」

…ん?あれ?こっちだと学校で習うもんじゃないのかな…?

「同じ大きさの箱ならば、縦と横に揃えて数を計算するんです。今回は6列×8で48、さらに2段で倍数の96…」

説明している途中で男は難しい顔をしている。

「99を覚えるって知ってますか?」

「いや?なんだ?…クク?」

…うーん…そうか…義務教育って、平和だからこそなんだろうなぁ…

このレームス諸島はずっと戦争してたって言うし、デボラに夢に出てくる学校の事を言ったら、感心してたなぁ…。

「…何か、紙と書くものありますか?」


そこから、私は出航した船の上で掛け算99を書きつけている。

「…9×8=72、9×9=81…」

うん。書けた。小学生以来だよ…こんな書き出し…。

「おう、坊主。何だ?それは」

不意に声をかけてきたのは、私を船に誘ってくれた人だ。

そういえば、さっきはカツアゲかと思ってごめんなさい。

心の中で謝罪しながら、答える。

「99の計算です」

「クク?」

「先程、積荷の数合わせに居合わせたら、教えて欲しいと言われまして…」

「…ああ!やたらとキチッと積んだのは坊主のおかげか!」

「同じ大きさの箱ならば、列を揃えて数えた方が効率が良いんです。積荷が安定していれば船体の揺れに影響も少ないでしょうし…この紙に書いた99の数えなら、列があっていれば1つ1つ数えなくていい分、数が多い時にラクでしょう?…平置きしても、積んでも数えは同じですから。2段、3段と増える時は倍にしていきます」

紙を見せながら99を説明すれば、彼はしきりに感心していた。

「…こいつは…なるほどなぁ…」

「列が乱れたら答えも違うので、そこは注意が必要ですけど…」

「坊主、お前…船乗りの経験があるのか?」

「え?…いいえ!船に乗るのも初めてです」

「お前、積荷の安定が船に大事だって言ったな?どこで聞いたんだ?」

「…どこで…」

そう言われれば…デボラと過ごす生活では無い。あるとすれば夢の中で見た経験だ。でも、それを伝えるのも信じてもらえないだろうしなぁ…。

「えーと…水に浮かべた桶の中に食器が均等ならば沈まないけれど、偏れば沈む…から、でしょうか…」

私の言葉に、男は合点が言ったように笑った。

「なるほどな!お前はいい所に目があるな!」

「…は、はぁ…」

目は普通に付いてますが…。

男は上機嫌で99の紙を懐に入れると、「もらっていくぜ!」と言って去って行った。

「…あ…」

それ…倉庫の人にあげようと思ったのに…。

「…まぁ、いいや…」

出航してから、まだ甲板に出てなかったし、海を見に行こう。

「…う。眩しい…」

甲板に出る扉を開ければ、日差しが目を刺激する。しかし、それもやがて慣れると、空と海の青が視界に広がる。

「…わぁー!!」

帆を広げて海原を走る船、気持ちのいい潮風、天候は快晴だ。

船の欄干に近付いて海を見れば、小さく島が見えた。私がデボラと過ごした島だ。

「…デボラ…必ず…見付けるから…」

家に残したデボラの石化した姿を思い出し、木造の欄干を強く握った。

首都…いや、王都のある島って、どんな所だろう…?

育った島では、レムリア人が多かった。この船に乗る船員もチラホラいるお客も、レムリア人だけだ。

王都には、デボラや私のようなアルカティア人も居るんだろうか…。

「…どのくらいで到着するんだろう…?」

地図で見た時は近く見えたが、縮尺がわからない。

キョロキョロと甲板を見回せば、船員達が忙しそうに動いている。そんな中で、マストのロープを確認している船員は同じ場所に留まっているようだ。

「…あの、到着はいつ頃なんですか?」

「…さあなぁ?風次第だな」

…風次第…まぁ…帆船なら確かに…。

「風の法士がいれば、最速3時間って聞いた事があるがな」

「…風の法士?」

「風を操る事が出来る奴らさ。あいつらを乗せた船は早い分、船賃もバカ高いがな」

「…へぇ…」

仕法みたいなものかな…?

デボラが魔法は全て管理されてると言っていた。

仕法はもう…当分使いたくない…あんな恐ろしい事になるんだから…。

「…今日の調子なら、8時間じゃないか…?」

私の思いつめた顔に、船員が気まずく思ったのか予想を教えてくれたみたいだ。

「…8時間…」

って事は、到着は夕方かぁ…王都に着いたら、宿を探さないとな…。


船内の食堂では昼にパンとスープの簡単な食事が全員に振舞われた。

「坊主、お前にはこれだ」

皿を手に並んでいたら、先程99の紙を持っていった男が、私に目玉焼きとべーコンの乗ったパンの皿を手渡した。もちろんスープ付きだ。

「……?」

「不思議そうに見るな。お前がよこしたあの紙は船長も、うなってたぞ」

「あの99をですか?」

「そうだ。お前が積荷をキッチリ並べたのも、その理由にもだ。体はヒョロいがお前には仕事を任せる上で見込みがあるな」

「…ホントですか…?」

「ああ。お前が良ければ、いい船員にもなれるぞ。どうだ?興味あるか?」

思いもよらない誘いに、私は胸が熱くなった。

自分でも、出来る仕事がある…。受け入れてくれる場所があると言うのは、なんて温かいんだろう…!

「………でも…僕は……」

俯く私に、船員の男は笑った。

「ああ。師匠の言葉を探しに行くんだろ?」

「…はい」

「だからよ、お前が満足したら、船乗りの仕事をしてみるのも悪くはねぇぜ」

「…僕が…満足したら…?」

「ああ。死んじまった人間の気持ちは確かめようがねぇ。だけど、自分なりに結論が出たら、新しい生き方があるって事よ」

「……新しい生き方…」

船乗りとして、海を渡る世界…想像もしてなかった生き方だけど…可能性にワクワクする!

「…ありがとうございます!!僕、頑張って師匠の言葉を探します!」

「ああ。この船はオフェーリア号だ。色んな港を回っているが、お前が船乗りになりたくなったら、この船を探してくれ」

そう言って笑う男は強面なのにすごく人懐っこい笑顔だった。


その強面なのに笑顔は人懐っこい男は、なんと副船長だった。意外と若い。多分、30代半ば。

99について積荷を数えていた男にも改めて聞かれたので、丁寧に説明する。

船には当直が4交代であるようで、朝、昼、夕、夜と6時間交代らしい …。休み中に申し訳ないが、首都に到着してからの宿や物価についても聞いた。船員は嫌がらず親切に教えてくれた。

酒場で会った時は怖かったけど、皆いい人達だなぁ…。

船は順調に風を受けて進んで行く。もちろん、仕法無しの自然の風だ。船員達が風を読んで船をすすめる。

そうして、船員が言っていた通り夕方、橙色の夕焼けの中で首都にある港の一つ、ウィンナイト港に入港した。

「ウィンナイトー!」

入港と共に、船には到着を報せる声が響く。

船員達は持ち場で慌ただしく動き、船から投げ渡されたロープは港にいる男達によって手際よく波止場に固定される。無事、船は接岸すると、陸と船を繋ぐ橋場が渡された。

夕方でも港は色々な人と大小、無数の船で賑わっていた。

港にはレムリア人と、故郷の島より明らかに混血の若者が多い、彼らは追われるように忙しく働いていた。ラフな格好の船員もいれば、キチッと着込んだ商人風の人もいて、大きな荷馬車が何台も並び、様々な積荷が荷降ろしされている。また、明らかにレームス諸島とは違う人種の人もチラホラと見受けられる。

「…ここが、王都…」

甲板から見える港の活気に呟くと、

「坊主。どうだ?初めて見る王都は」

副船長の男が声をかけてきた。

「…何と言うか…圧倒されます…」

「そうかい。まぁ、そうだな。…王が健在な時はもっと活気があったんだがな…」

副船長は、少し寂しそうに港を見た。私は副船長のその姿と港を見比べて、改めてお礼を述べた。

「…あの、ありがとうございました」

「気をつけてな。気が済んだら、いつでも来い」

「…はい!」

強面だけど優しい副船長は最後まで気持ちのいい人だった。


船を降りると、船員の人から聞いた宿を目指した。

港を出ると数々のレンガ造りの建物は大きく上に伸び、石畳みに舗装された道は広く、大きな馬車は難なく行き交っている。夕暮れに行き交う人々も心なしか足早に家路に向かっていた。

夢の中の超文明は夜中も明るいし、安全だ。しかし、船員は日暮れの王都は気を付けろと言う。日中もスリやケンカが多いらしいのだ。

「(…お金や貴重品はカバンとは別にしたけど…トラブルは避けないと…)」

ただでさえ、一人旅だ。

故郷で初めて街に出た時のデボラの言葉が懐かしく思い出される。

『お前はアルカディア人で、女で、子供で…故に最弱だ』

デボラはいつだって私を守っていてくれた。子供だったあの頃とは違う。今度は私がデボラを助けなくては…。

石畳みの道を歩いて程なく、船員に教えられた通り木製の板に《カモメ》と彫られた看板の店に到着した。

扉を開けると、店の女将らしき中年の女性が私を上から下まで検分するように見た。

「…あの…部屋を取りたいのですが…」

「…すまないね。あいにく満室だよ」

えぇ?!…しまった…どうしよう…。

「…あの、では、他の宿をご存じでしょうか?」

「さあねぇ?」

私の問いに女将は他人事のように首を傾げる。

「…そうですか…。困ったなぁ…。こんな事ならオフェーリアの人に予備の宿を聞いておけば良かった…」

しょんぼりと呟いた私の言葉に、女将は耳ざとく聞き返した。

「あんた、今、なんて?」

「え…?予備の宿を…」

「誰かの紹介かい?」

「え、…はい。オフェーリア号の方から…」

「なぁんだ!それならそうと言っておくれ。いいよ!一人でいいのかい?」

女将は途端に愛想よく引き受けた。

「え?…いいんですか?」

「ああ。オフェーリア号の連中はウチのお得意様だからね。あいつらの紹介ならいいよ」

「…良かった…。助かります」

「こっちこそすまなかったね。あんたみたいな奴は、面倒をおこすからさ…宿泊は断るようにしているのさ」

「…あの、面倒ってどういうことが…?」

「…まぁ…こっちだって疑いたくないけどね。料金を払わなかったり、ケンカをしたり、物を壊したり、盗みがあったり…犯罪でもおこされちゃ、たまったもんじゃないよ」

「…そんなひどい事が…」

「ウチはまだ無いけどね。よそじゃどうだか知れない」

あれ…それって…ちょっと…いや、かなり…偏見なのでは…?

「…大変なんですね…」

「あんた、よそから来たんだろ?王都では混血のやつらは恐ろしくてね…」

という事は、私もそう思われたんだなぁ…これは、粗相のないようにしなくては…。

「…ご迷惑にならないようにしたいので…前払いでいいですか?」

「ええ?…それは構わないけど」

「船員の方には1泊30sと伺いましたが、それで?」

「ああ。1泊30sさ。3泊以上時はその都度精算してもらっている。食事は別だよ。ここの食堂で取ってもいい。トイレは1階。部屋は3階。出掛ける時は貴重品は置かずに持って出ておくれ。あと、鍵も受付で預かる」

「では、とりあえず3泊分を」

90s払って鍵を受け取る。

階段を上がった部屋は、ベッドに机とイスと荷物を置く棚、窓が1つ。机の上には部屋の照明用のランプが置いてある。

シンプルな感じだが、キチンと掃除してあって清潔そうだった。

先払いしておいてなんだけど、変な部屋じゃなくて良かった…。すごく汚いとか、プライバシーが無いとか。オフェーリア号の人達には感謝だなぁ…もし、一人だったなら外見だけで断られていたのだから…。

夕陽が窓から差し込んでいるが、それもじきに暗くなる頃合いだ。

とりあえず、荷物を棚に置き、防塵マフラーを取ってコートと一緒にイスに掛けた。焦げ茶のカツラも外したいけど、まだ食事をしに外に出ないといけないから我慢だ。

ベッドに座り仰向けに横になると、船で揺れていた体がようやくホッとした。

家を出て1日め…船に乗り、首都へ来て、宿を決められた…まずまず順調なんじゃないかな…。

「んー…お腹、すいてきた…」

食堂は1階にあるというから、行ってみよう。

夢の中の文明なら夜の部屋でも、電気で明るい。この世界では明かりは炎のランプか、光玉だ。

光玉というのは魔法の不思議で、コロンとした玉が電球のように単体で光を放つ。デボラの家では毎日、光玉が途絶えた事が無い。

デボラが作ったところを見たことが無いけど、気がつけばある。

けど、ここは夜になればランタンの明かりが頼りのようだ。

廊下や階段の要所には少しのランタンが灯されているが、それでもやはり暗い。

机の上にあるランプは室内用だろうから、戻って来た時のために少し火を入れておいた。

ランプの明かりは部屋をほんのりと明るく照らす。油が切れれば消えるだろうし、風除けもついているからこのまま部屋を出ても火事にはならないだろう。

宿の1階は食堂も兼ねているだけあって、明かりも多くあり、そこそこ賑わっていた。独り旅だし、隅の小さめのテーブルに座る。

メニューには、港に近いだけあって魚系がオススメのようだ。どんな魚か知らない名前のソテーが大きく書かれている。価格も良心的だ。

私は幸い食べ物で好き嫌いはない方だと思う。夢の中じゃ新鮮な魚を生で食べるけど、この世界じゃ火を通す。

注文を頼もうと辺りを見回すと、エプロンをした若い女の子がいたから声をかけた。が、彼女は戸惑って厨房の奥へ行ってしまった。

「…?」

すぐに女将さんが注文を取りに来てくれたので、オススメの魚のソテーと水を頼んだ。

「はいよ。マーコットソテーと水ね。…あんた、マフラー外すとずっと若いね?いくつだい?」

「16です」

「16?あらまぁ、そうかい。そいつは失礼したね」

女将さんは笑って厨房に引っ込んだ。

………ええ…幼く見えるのかぁ…。

この世界では、16才は成人だ。お酒も結婚も許される。

デボラが、男装もそろそろ限界かと言っていたけど…薬屋の息子とそんなに遜色ないと思うんだけどな…。

まぁ、声が少年っぽいのは否めない。声変わりしないから。体型は…やや出っ張って来た所を締め上げれば、そんなに違和感無い…はず。

食事はそんなに待たずに提供された。いい匂いの魚のソテーとパン…それとサラダの皿とスープが付いて来た。

「はいよ。おまちどおさん!宿を利用してくれてるお客にはサラダとスープ付きだよ」

「わぁ…美味しそうです。ありがとうございます。お代はどちらへ?」

「食事が済んだらでいいよ。声をかけておくれ」

「では、いただきます」

私は新鮮なサラダにフォークを入れて、野菜を味わった。メインの前のサラダはありがたい。スープも海藻が入っていていい塩加減だ。メインのマーコットのソテーは柔らかい白身魚に濃いめのクリーミーなソースが合っていて、これまた美味しい。

ここはいい宿だなー。ご飯が美味しいって、本当に幸せだ!

お腹が満たされれば、気持ちも落ち着く。キレイに食べきり、お代を払うのにお店の人を探せば、さっきみた若い女性がこちらを見ていた。

「ごちそうさまでした。お代はここに置きます」

テーブルに代金を置き、私は食堂を出た。

「あ、そうだ…寝る前に、トイレと歯磨き…と…桶だな」

洗顔用の桶がいくつかあったので、水瓶の水から少し入れて部屋に運ぶ。

洗顔はここで済んでも、体を拭うのは部屋でないとね…。

部屋に戻ると鍵をかけてカツラも外し、服を脱ぐ。固く絞った布で体を拭っていくと、ひと心地だ。

順調だったけど、疲れたな…あ。ラベンダーの香油持って来てたっけ。ちょっと使おう…。

デボラの庭で採れたもので安眠作用がある。

「えーと…どこだっけ…?」

ランプの薄明かりではカバンの中は真っ暗だ。ゴソゴソとあさると、手に触れた小瓶の感覚。

「あ、あった。これこれ」

薄暗い部屋に半裸でゴソゴソするのもなんだか横着だが、寒く無いし、人目もないし!

蓋を外して机に置き、布に1滴垂らすと、嗅ぎ慣れた香りが広がって、はぁ〜と息を吐いた。

早く拭いて寝よう…横になったらすぐ眠れそうだ。

その予感はまさに的中し、私はベッドに入って秒で眠れた。


…そして、目が覚めたら昼過ぎだった。

疲れていたのか、デボラの香油が効いたのか…よもや昼過ぎとは…。

あー…あの日もあるのかも…。

人にもよるが、女性のメンテナンス期間中は様々な障りがある。

肌荒れがあったり、やたら眠かったり、痛みがあったり、気分が沈んだり…

…まぁ、私は眠気が多いけど…。

故郷を出て、違う部屋で眠っても夢の中では相変わらず超文明の女子高生だった。

ああ、甘いもの食べたい…。

「この世界じゃ、スイーツっていってもなぁ…」

クレープとかタピオカとかはまず絶対無いから!アイスも!

思い出せばお腹は鳴る。まずは昼食だ。


「ゆっくり眠れたのかい?」

食堂に行くと、女将さんがすぐに声をかけてきた。

「はい…。あまりに快適で寝過ごしてしまいました」

気まずそうに答えると、女将さんは愉快そうに笑った。

「昼食のオススメは、フィッシュサンドだよ」

「美味しそうですね。ぜひお願いします。ああ、それと…レモネードもください」

「はいよ」

さて、今日はいよいよ図書館を探さないとな…。

ランチのフィッシュサンドも、アツアツの白身魚のフライがジューシーで、ソースを染み込んだパンに新鮮な野菜も挟まった食べ応えのある逸品だ。

あー、これも美味しいなぁ。レモネードも、爽やかな酸味と甘さが…合うわー。サイコー!

この宿って、食堂としても繁盛してるんだろうな。今は昼過ぎだからお客さんも、まばらだけど。

よし、充電も出来たし!そろそろ行くかなー。

「ごちそうさまでした。すみません、お代を」

ここに置きますと言いかけて、背後からクスクスと笑い声がした。

「?」

「お客さん、本当にお行儀がいいのね」

見ると、昨日、よそよそしかったお店の若い女性だ。

「…僕が、ですか?」

「ええ、それにとても美味しそうに食べるわ」

「…そ、そうですか?ここのお店の食事は昨日も今日も美味しかったですよ」

「それは良かったわ。うちは結構、人気あるのよ」

「そうでしょうね。部屋もキレイだし、ご飯も美味しいし、紹介してくれた船員さんに感謝です」

「ねぇ、あなた、他の島から来たんでしょ?どこから来たの?」

興味深そうに聞いてくる彼女に、私は少し驚いた。昨日と今日の変わりようはなんだろう…?

「え…その…ランゲルハンス島です…」

「へ〜!だからかしら?」

「??」

「王都は初めて?どこに行くの?」

怒涛の質問攻めだ…

「あの、図書館ってありますか?」

「としょ…かん?」

嫌な予感…王都にも無かったらどうしよう…。

「本がたくさん保管されていて、読める所です」

「うーん…?ごめんなさい、行った事無いわ」

「…そうですか…」

「役所に行けばわかるかも?…あ、ごめんなさい、お客さん来たから。お代は頂くわね」

そう言って彼女はテーブルに置いたランチの代金を手に取り、テキパキと仕事に戻っていた。

役所か…。行ってみようかな…。

カバンを取りに部屋に戻って、ふと気付く…ラベンダーの匂い…

「…ああっ!」

マズイ…昨夜の香油の蓋…木の机に置いたから匂いがちょっと染みてる!!

「換気だ!換気!」

私は慌てて窓を全開にする。そして、濡れた布で机に付いたわずかな染みを叩く。

あー…これ、匂い取れるかなー…シミも…

『あんたみたいな奴らは面倒を起こすからさ…』

頭をよぎる、女将さんの最初のコトバ…。

ああー…!!女将さん、すみません!!

とりあえず、ひとしきり心の中で懺悔して、私は窓を全開のまま扉をしめ、鍵は受付のカウンターに置いて来た。外出の時はそうする決まりらしい。

鍵を無くしたら困るからかな…。


王都の街は大きく広い。

行き交う人々の数も人種も多種多様だし、石畳みはどこまでも精緻に続く、舗装された広い道は引っ切り無しに馬車が行き交っている。

レンガ造りの建物は3階建が普通だ。故郷の島よりも様々な商店が並び、同じ種類の店も多い。

夢の中の文明も、同じ種類のコンビニやドラッグストアが乱立するから、人口が多いというのはそういうことなのだろう。

「(…役所ってどこにあるんだろう…?)」

宿で聞いてくればよかったんだけど…香油の件でちょっと気が引けてしまった…。

「(今日、帰ったら匂いが消えていますように…)」

再び祈るも、果たしてその願いが届くかどうか…。

「なぁ、あんた!何か探し物か?」

不意に、肩を叩かれ振り返ると、黒と茶色のまだら色の髪の男が立っていた。

「…え?は?」

誰?この人?

「おっと、すまないな。こいつ、困ってる同胞を見るとすぐ声を掛けちまうんだ」

困惑していると、間髪入れずに今度はスキンヘッドの男がまだら髪の男をたしなめていた。

「…い、いえ…」

「混血だって見た目で俺たちは憂き目にあってるんだ。お互い支え合いが必要だろ?」

まだら髪の男はスキンヘッドの男に、笑う。

なるほど、スキンヘッドの男も、目が黒に近い。二人とも、見た目の通り混血なんだろう。

「お前、何か探してるんだろ?キョロキョロしてさ」

ああ、そうか…まぁ、そうだよね。王都に住む人はこんなに見回したりしないだろうから、田舎者感があったかも。

「…え、ええ。そうなんです。あの、役所はどちらですか?」

あんまりガラのいい感じはしないけど…オフェーリア号の人達の事もあるし、人は見た目で決めつけちゃダメだよね。

「役所ぉ?なんでまた…なんかの申請か?」

まだら髪の男が聞くので本題を聞いてみる。

「本当は、図書館に行きたいんですが…」

「…としょかん?」

あ、やっぱりわからないか…。図書館ってこっちじゃ、本当に一般的じゃないんだな…。

「…あー…もしかして、あれの事かな…?」

まだら男がスキンヘッドの男を見ると、「…おお、そうかも知れん!」と頷いた。

「知ってるんですか?!」

「ああ。案内するぜ。付いてきな!」

まだら髪の男は機嫌よく歩き出した。後ろからスキンヘッドの男も付いてくる。

男達に案内され、歩いていくと商店街から繁華街の雰囲気の通りに出る。

……図書館って…繁華街にあるかなぁ…?

何となく、不安になってきた。

さらに、まだら男は私が行きたく無い道に進もうとする。

「…まだですか?」

「もうすぐ、もうすぐ」

…怪しい…こんな役所もなさそうな所に図書館があるだろうか…いや、無い。

「僕、ここで失礼します!」

言うが早いが、私は背を向け走った。と、スキンヘッドの男が手を伸ばし、私のカバンをひったくった。

「!!」

ニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべてスキンヘッドの男が笑った。

「おいおい〜。人が親切に案内してやるっていってるのに、それは無いだろー?」

まだら髪の男がガッカリしたように引き返してきて笑った。

「僕が行きたいのは図書館です!図書館がどんな所か知っているんですか?!」

「その、なんとかんって所より、いい所を案内してやるって事だよ。娼館って知ってるか?もちろん、俺たちもお前の金で奢らせてもらうわ」

不快な声で笑う男に、ぞっとした。

どうしよう…カバンの中には色々入っているけど…貴重品は別にしてある。

一瞬迷い、私はカバンを諦める事にした。カバンをとって彼らに対峙するよりも、危ない事は避けた方がいい。ジリッと男が近付いたのを合図に私は走った。

「おっ!…とぉ!そうはさせねぇぞ。その顔は、カバンに金はねぇだろ?」

まだら男の足は早かった。私は服を強引に掴まれ引きとめられてしまう。

「大人しく全部出しな。それとも、引ん剝いたっていいんだぜ?」

「…放せ!!なにが助け合いだ!!」

「だから、お前の金で俺たちに奢ってくれっていってんだよ!ガキが!おら!さっさと金出せ!」

胸ぐらを掴まれ、まだら髪の男の歪んだ顔が至近距離にせまる。

恐怖で指先が冷たくなる。声も…出ない…!

ど、どうしよう…デボラ!怖い!誰か!…

私は初めて向けらた悪意に、ショックで固まってしまった。


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