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眠りの神と夢見る子守唄  作者: 銀河 凛乎
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第16章 私も覚悟して、お前が必要とするまで必ず面倒をみる

馬車が止まり、目をこすりながら降りると学校はなんだか、落ち着きのない空気だった。

「…アイティール…なんかあったのかな…?」

「……調べてみよう。ニルは…その様子じゃ、休んでいた方がいいな」

私は立ちながらも、目が開かない。

「…ごめん…。こんなに消費するなんて思わなかった…」

嘆いてみても、眠気は取れない。

「1人で大丈夫か?」

「うん。…大丈夫。ちょっとは戻ったから…」

さすがに部屋まで送ってもらうのは気がひけるよ。

私はアイティールと別れて、自分の部屋に向かった。

あくびを噛み殺しながら廊下を歩いていると、ふと、話声が聞こえた。

「…お待たせする事になり、申し訳ありません。聖下」

ローズ先生の声だ。

「いや、無理を言ってすまないな。直ぐにでも来たかったんだが、調整が難しくてな…」

その…声に…私は眠気がぶっ飛んだ。

「(……うそ……)」

あれだけ重かったまぶたが、見開いた。

その声は忘れない。間違えようが無い。

重厚な白いローブに金の刺繍。風にかすかに漂うあの嗅ぎ慣れた香木のにおい…それは間違いない。あの人だ。

ローズ先生と中庭の方へ歩いていくその姿に…私は頭が真っ白になった。

なんで?!なんでいるの?!なんのために?!

私は壁にもたれると、ズルズルとその場に座り込んだ。

お、おお、落ち着け…いや、ムリ!!…全然わかんない!!

思いがけない所で、こんなに思いがけない人を見るものだろうか…。

ってか、何してんの?!こんなところで!!

私は、バクバクと心臓が脈打った。

「…何してんだ?」

廊下の端で急に声をかけられ、私はビクッと体が震えた。

見上げればクスト先輩だ。

「すーぷー?!どうした?具合悪いのか?!」

クスト先輩は、もう白いローブに着替えていた。実家から早めに帰ってきたんだろう。

「…いえ。ちょっと…その…今朝、光玉を作ったら…気力が足りなくて…」

目が泳ぎながらも、事実でごまかした。

「はぁ?お前…また無茶な事したんだな」

クスト先輩は断定した。

「イエ…まぁ…その…一宿一飯の恩義でして…」

アイティールに返せる恩義は、その家族であっても対象内だ。特に、寂しい思いをしている彼女には。

「それよりも!!先輩!!」

今はそれどころじゃない。

「お、おう…なんだ…?」

「今日…学校に…誰か…来てますよね…?どこのどいつですか?!」

あの親父!!ローズ先生に頭を下げさせるなんて、恥ずかしいわ!!

「バカ!どいつっておまえ…恐れ多すぎだろ!!」

クスト先輩は私の言葉に、顔を引きつりながらも叱った。

「…どういう事ですか?」

「お前…知らないのか?ああ。まぁ、急だったしな…。俺もビックリしたわ」

「せんぱーいぃ…教えて下さい…」

聞いたら私はしばらく遁走しますんで。

「お見えになられているのは、法術師の最高指導者、教皇パンタソス様だ」

「………………は?」

聞いたことある名前の前に、とても聞いたことの無い役職の前置きがついた。耳と脳の伝達がうまくいかない。

「いや。は?じゃねぇよ。おまえ。大丈夫か?気力切れって、どんだけ切れてんだ?そんなんで御前に立てんのか?」

「…え?……?…午前は元気でしたが…」

私の応答に、クスト先輩は渋面になった。

「おまえ…活力剤飲んだ方がいいな。このままじゃ、教皇様の前で下手こくだろ?」

教皇の前で?…前で?!誰の前でだって?!

「僕は会いません」

絶対に!!断じて!!

「いや、会いませんじゃねぇって。お前に会いに来たらしいぞ?」

「?!」

はぁぁぁ?!何をいまさら?!

「…いや、なんて顔してんだよ…驚くのもわかるけど…おまえがポンポン、前例の無い事するから…わざわざハートのキングを見に来たんだろ」

ハートのキングを?…キングを見に?《私》じゃなくて?

「…つまり…その…おっさ…いや、その人は仕事で見に来たって事ですか?」

「 …おまえ、今、まさかおっさんとか言わなかったよな?言わないよな?」

「や、やだなぁ…先輩…僕は気力が…ああ…」

正直、眠気なんて引き出しにしまって鍵までかかってる状態だけど!

「おまえ…すーぷー…ちょっと来い。そんなんじゃ、心配で見てらんねぇ」

クスト先輩は私を医務室に引っ張って行った。

私はソワソワと落ち着きが無い。一刻も早く、この敷地から逃走したいんだ。

クスト先輩は薬棚から小瓶を取り出して私に渡した。

「…浄化はいりませんが?」

「違う。これは気力を戻す活力剤だ」

「活力剤…ああ。あのマズイやつ1号ですね」

最初の夜に飲まされたやつだ。

「言っとくが、活力剤は浄化の水より高いからな?」

「えっ…いくらなんですか?僕…手持ちはそんなに…」

「いいから。飲んどけ。おまえが教皇様の前で下手こく方が損害だ」

「別に僕はその人の前で下手こいたって一向に構いません」

その前に、会う気はさらさらないけど!

「ばか。おまえが下手こけば俺たち全員が連帯責任だろ。先生だってそうだ」

「……えっ…それは…」

困る。あんなバカ親父を前に当たり前に罵倒して、先生や、先輩たちやみんなに迷惑になるなんて釣り合わなさすぎる。

クスト先輩に促されるまま、私は小瓶の中身を飲んだ。

「…まずーい…」

やっぱり、まずいものはまずい。

「まぁ。現教皇様は懐が広いって言うし、法術師の中でもバツグンの力をお持ちだから、俺たちなんて赤ん坊みたいなもんだろ。多少の粗相には目を瞑ってくれるだろうけどな」

「……?…先輩…今…なんて?」

…なんか、引っ掛かりが…

「え?…いや、だから現教皇様は懐が広いから」

「広いかどうかは知れませんけど。その先です」

「法術師の中でも1番の力の…」

「!!…!?」

「どうした?すーぷー?…おまえ…顔色悪いぞ?」

「………い、イエ…なんでもありません…先輩…僕、着替えてきますんで…失礼します…」

「おい。すーぷー!」

背後で呼び止める先輩を無視して、私は医務室をフラリと出ると、歩いていた足が次第に廊下を走った。

気付いてしまった事実に…逃げ出したように走って、走って、部屋まで止まらなかった。

ノックもせずに自分の部屋を開けた。幸い誰もいなかった。息があがり、心臓がバクバクいっている。

動揺のせいか、走ったせいか、よくわからなかった。

まとまらない思考に、ウロウロと意味なく部屋を歩き回り、雑にシャツを脱ぎ捨てて制服に着替えた。

白いローブがその人のローブの色と同じで一瞬、着るのをためらった。

ギュッと目をつぶって袖を通すと、使った事のなかったそのフードを目深にかぶる。

そして、そのまま窓を開けて外に誰も居ないのを確認すると、スルリと飛び降りた。

ローブをはためかせ、フワリと着地すると、フードを押さえて風をまとい私は鹿のように駆けた。

先輩にもらった活力剤は確かに役に立っていた。


ギルは半裸で家庭菜園用の水を汲んでいた。

ムーンボウの裏側には、オーガのグレアが育てている野菜や花が広がっている。

軽業師として…また有事の際の戦力として、日々、身体は鍛えているがギルの性格上、丁寧な仕事とは言えない。ギルが畑に水をまくと、まくというより叩きつけるように水を流すため、土が流れたり苗を痛める。

ギルは一度、水やりで畑を荒らしてグレアを泣かせた事がある。

そんなわけで、今ではギルはバケツで樽に水を貯めるにとどめている。

「…ギル!!」

不意に、向かいの川を飛び越えて、白いモノがあり得ない跳躍でギルの名を呼びながら飛び込んで来た。

「お、おいおい!!」

ボフっと対岸で受け止められたのは、それが途中でニルだとわかったからだ。

背丈は全く一緒くらいだが、腕の太さも腕力も当たり前だが似て非なるギルに、ニルはしがみついたまま、声を上げた。

「父さんが…父さんが、父さんじゃ無かった!!私の…父さんじゃ…」

しがみついたまま、いきなり興奮して騒ぐニルに、ギルは「お、落ち着け!!」とニルを自分からベリっと引き剥がして、ギョッとした。

自分よりも濃い黒い瞳からぼろぼろと涙が流れていた。

「…どうした?わかんねぇよ。ちゃんと言え。何があった?」

涙を拭いてやりたかったが、ギルにはあいにくハンカチとかそんな気の利いたものはない。そもそもどうせ濡れるならと半裸で水汲みをしていたくらいだ。

ニルは、自分の体のサイズより少し大きい白いローブを着ていて、その袖で涙を拭いていた。

スーハーと深呼吸して少しの時間黙っていたが、ニルはポツポツ語り出す。

幼少期から家に3日おきに来る男をずっと父親だと思っていた事。それが弟の養子の話と共に、パッタリとこなくなり7年が過ぎた事。そして、その父親だと思っていた男が教皇として、成績の目立つニルを見に来た事。だが、それは…

「…なるほどな…まぁ、確かに。法術師なら子供なんているわけねぇもんな」

ニルに昨日聞いた話。法術師は女と関係を持った時点で法術が消える…ならば、父親になればその座に居続ける事も当然出来ないだろう。

ニルは黙って頷いた。

「でも、おまえさ。途中で気付かなかったのか?…その、石化した師匠とかが言わなかったのか?」

「…法術師を知らなかったし…香木の匂いはしても、それは熱心な信者だからだと思ってた…ローブは一度も着てなかったし…師匠も…何も…」

なぜ、教えてくれなかったのか…。子供だったならまだしも、この数年ではいつでも言えたはず。と、そう呟いてうつむいて、ニルはその場にしゃがみ込んだ。

「なんで今更…私は7年も放って置かれて…今になって《ニル》に会いに来ただなんて、全然笑えないよ…」

「………」

大人の都合に、いつも子供は置き去りだ。説明すらせず、理解できないだろうと決めつける。そして、それが例え自分自身を決める大事な事であっても、決定権はいつだって子供には無い。

「……。…そいつは、ニルが女だって知ってんだろ?」

うずくまり、膝を抱えていたニルの頭がコクリと揺れた。

「それで、おまえは…そいつに会いたく無い」

再びコクリと揺れる。

「…その学校には、まだいたいのか?」

「……まだ…何も調べられて無い…し、法術は学びたい…」

顔をあげる事無く、鼻声でニルは答えた。

「……よし。それなら、俺がおまえの代わりになってやる」

決意して言えば、ニルはようやく顔をあげた。その目は赤かった。

「…ギルが…?」

瞬いて俺の顔を見る。

「仕返しにもなんねぇかも知れないけど、俺とおまえ、すげぇよく似てるだろ?俺が、ニルとしてそいつに会ってやるよ。俺の顔見たらそいつ、おまえの事、思い出すんじゃねぇの?」

「…………ああ。……まぁ……確かに…」

ニルは思考を巡らせ、頭を右に左に傾げた後、頷いた。

「…でも、ギルが嫌な思いをするかも知れないよ…?」

「そんなの!今まで生きてきた俺にとっちゃ、屁でもねぇ!それに、お前は俺の命の恩人だしな!!」

半裸の胸を張って言い切れば、ニルはポカンとした後に、緩く笑った。


ギルの手を取り、昨夜とは真逆に私がギルを先導する。

川は風をまとい、助走をつけて一緒に飛べば、一人の時よりもギリギリだったが濡れずに飛び越えられた。

時間もなかったし、ギルが「これはムーンボウには秘密だ」と言ったので、ギルは半裸のままだ。

さすがに半裸はまずい。私は自分のローブをギルに着せた。

「なんか、これ昨夜の真逆じゃねぇ?」

ギルがローブを着ながらそう言ったので、「確かに!」と笑いあった。

校内の敷地に入れば、人目は避けたい。ニルが2人って事になる。

ギルにフードを目深に被らせて、私も予備のローブを取りに行かなくちゃ。

周囲を注意深く確認すると、私はギルにその場で待つように言い、寮の向かいにある木を足がかりに三角飛びで出た窓から部屋に戻った。


「…はー…。あいつ、軽業師をヨユーで超えるな…」

常人では無い跳躍は魔法だろう。

ニルが窓から入った建物は3階だ。仰ぎ見れば被っていたフードが取れた。

ギルはニルを待つ間、視界の良くなった校内の裏をキョロキョロと見回した。ここから川を挟めば下町だ。しかし、ここはゴミすら落ちていない。

整った樹木の配置に、上等な設備はこの士官学校が貧しい者には入学が難しい事を示している。

「(…俺には縁の無い所だな…)」

子供だろうと働かなければ食べていけない…それどころか、子供だろうと剣を持つ世の中だ。

護身以上の、傭兵として鍛えられたギルにはこの学校とやらが、どこまでのものなのか興味はあった。

その場で待機は文字通り、「その場で」待機なわけだが、ギルは「いつでも戻れる範囲内でその場待機」と拡大解釈し、歩み始めた。


窓から部屋を覗けば、誰もいない。スルリと入り、自分のベッドに脱ぎ散らかした従僕の服を畳んでしまう。

ひどく動揺したが、ギルに会い、話をした事で少し冷静になれた。それに、ギルがニルとして身代わりになってくれるのならば、架空の存在のニルという男がより現実味を帯びる。

あの人はギルを見て、どう思うだろうか?

誰かに似てるなー…あれ?誰だっけ?くらいのレベルの認知だったら…どうしよう…。

…いや…私にはもう関係のない人なんだし…。

父親でなければ、ただの知人だ。もしかしたら親戚のおじさんかも知れないが…だから何だ。7年いないならこの先、10年でも20年でも…永遠に現れなかっただろう。

「(私には関係のない人…)」

自分に教えるように呟いて、予備のローブを着込む。

「(ギルは半裸だったからシャツも持っていこうかな…)」

全ての作業に5分もかからなかったと思う。窓の下を覗いてみてギルの姿を探せば…

「…いない…」

なんでよ!!どこ行ったの!!待機だっていったでしょーが!!


ギルは寮の裏を抜けると、そこは広い運動場だった。

切り開かれたそこは、一面何もない地面が広がっている。その奥には森が見えた。

「…へぇ…随分、広いんだな…」

関心して呟けば、右側から大げさにからかう声が聞こえた。

「おい。見てみろよ!ありゃ誰だ?」

「まじかよ。白竜の…しかもハートのキングサマじゃねーの?」

視線を向ければ上等な白いシャツをラフに着崩した青年が3人、こちらを見てニヤニヤと笑っていた。

その手にしている筒には酒が入っているのかも知れない。男達の方から酒気が漂ってくる。

…かー。なんだよ。真昼間から裏手で酒盛りなんてロクな奴らじゃねぇな。

ギルは、姿はニルに酷似していても、声は似ていない。ここで誰が知り合いでどういう関係なのか知らない以上、あまり関わると違和感にバレてしまうかも知れない。

とりあえず、笑って曖昧にやり過ごすか。

ギルは愛想よく手をあげて応えると、そのまま元来た場所へ戻ろうとした。

「おい。待てよ。酒、飲まねぇか?」

酒?!

ギルの目は輝いた。ギルは酒が好きだった。そもそも育った場所が水よりも酒の方が多い。客の残した酒を楽しむのがギルの数少ない楽しみでもあったほどに。

いや、ダメだ。ニルを待ってる所だし。…でも、断るのも付き合いとしてどうよ?

ギルの心は揺れた。

「…なに、迷ってんだ。早く来いよ。オマエに良い酒飲ませてやるから」

揺れに揺れた。

それでも引き返そうと一歩踏み出した所で、青年の1人がギルの所までやって来ていて、馴れ馴れしく肩を抱くと、仲間の所まで少々強引に誘導する。

3人はまだ若かった。恐らくはニルと同学年だろう。

「いよぅし!よく来た!ハートのキングよ!最近はあんまり構ってやれなくて、俺たちは心苦しく思っていた所だ!」

運動場の片隅…大人の背丈ほどある何かの資材に陣取り偉そうにそう言う男に、ギルは言葉通りに受け止めた。

なんだ?友達か?

「オマエに盃を分けてやる。ありがたく頂けよ」

ニヤニヤとレムリア人の青年達はご機嫌だ。

資材に陣取った男が竹筒の水筒をギルに差し出すので、受け取ろうと進み出れば、それはそのままギルの頭に注がれた。

上等のぶどう酒が、ギルの髪を伝って白いローブを汚した。

3人に青年はその姿に爆笑する。

「あーあー!気を付けなくちゃなぁ!白竜の服は汚したら退学なんだろー?」

それは、以前、ニルが食堂で転ばされた時に「白が汚れたら白竜にはいられない」と比喩で冗談めかした時の言葉だ。

しかし、ギルには言葉通りにしかわからない。

白い服を汚して退学になるのならば、それを知っていて故意に汚した奴は敵でしか無い。故に、遠慮はいらない。

ギルは左隣で笑っていた男の腹に遠慮無く肘を打ち込んだ。

思いがけない重たい一撃に、男は吐いて倒れた。そして動かなくなった。

「な!!テメェ!!やんのか?!」

小柄で…しかも白竜の混血の男1人に対して取った間合いは、どちらもなかなか埋まらない。

そんなはずは無い。白竜の生徒はどいつもこいつも腑抜けばかりだ。その法術は役に立っても、所詮は女を知らないお子様だ。戦の最前線で敵と斬り合い殺し合う…そんなヒリついた生死の一戦を知らない後方支援の臆病者に…どうしてか、踏み込めない。

自然体で佇む白いローブの少年に、拳を握って構えたままジワリと汗が滲んだ。

「クソ…酒が回ったか!うらぁ!!」

舌打ちしながらも、強引に殴りかかればその顔を捉える寸前でかわされ、尻を蹴られた。

自らの勢いに加え、背後を蹴られれば勢いよく顎から地面に着地する。

2人目の男が加勢とばかりに少年の後ろから捕まえようと手を広げれば、少年は軽い身のこなしで反転すると、男のガラ空きの脇腹に踵から蹴りを入れた。

男は小柄な少年のものとは思えない一撃に、よろめきながらもなんとか踏ん張った。

「…てめぇ…調子乗りやがって…!!」

呻く男にギルはガッカリしていた。

「(もっとセンスある奴いないのかよ…)」

見え見えのわかりやすい手は、殺しすら慣れていない奴だとわかる。

「おい!!ネイロスさんを呼んで来い!!」

込み上がったツバを吐き捨て、顎を抑えてヨロヨロと立ち上がった仲間に指示をする。その抑える手から血が滴っていたが、仲間の男は頷くと慌ててどこかへ走り去った。

ふーん。勝てないから親分を呼ぶのか。さて、どんな奴が来るか。

ギルは広角をあげた。迂闊にも…自分が何のためにここに来ているかを忘れて。


白いローブのフードを目深にかぶり、私はコソコソと寮の裏を早歩きする。

「(もー!!ギルってば、どこ行ったのー!!)」

目深にかぶるフードは視界が狭い。かと言って、バッタリ人前で会うのはまずい。

ふと、ひらけた先の運動場で人の騒ぐ声がする。

目を向ければそこには、白いローブを着て軽快に誰かを打ちのめした私…ではなくてギルだ。

「(うおおおおーーいい!!どこをどうしたらケンカになるのよ!!)」

私はフード越しに頭を抱えた。

早く止めないと!!

駆け寄ると、ギルは私を見て「あ。ヤベ」と、呟いた。

「(ギル!!何してんの!!)」

小声で咎めれば、ギルは「悪い…おまえのローブ、汚されちまって…汚したら退学なんだろ?」と、すまなそうに謝った。

「(は?!何そのルール?…あ、ホントだ。汚れてる…ってか、これお酒?!)」

あー。落ちないよー。これー。漂白剤欲しー!

「だから、せめてコイツらシバいとこうかと思って」

「(こらーーー!!暴力はだめでしょーが!!)」

「いや、だって、コイツらが先に…」

ギルは倒れている男を見た。何をやったのか…地面には2人の男が転がっていた。

「(ギル!そんなルール無いから!むしろ、ケンカしちゃダメ!)」

「え?そうなのか?」

ごちゃごちゃとやりとりしていると、「アイツです!!」と、男の声が聞こえてきた。

目を向けると、そこには前胸を血で染めたシャツを来た青年が顎を抑えながら私達を指差す。

そして、その隣には…

「(じゃ…ジャイアントネイロス…)」

白金の短髪に金の目。長身に、どこもかしこも分厚い筋肉で覆われたその男は、見るからにボス感満載だ。

「(う、うわー!ダメだよ!ギル!ネイロスさんとケンカしちゃマズイって!)」

「…おまえのボスか?」

「(いや…ルームメイト…)」

「仲良いいのか?」

首を振る。

「同期か?」

コクリ。

「じゃあ、立場は同等だな」

「(…まぁ…厳密には私の方が役職は上…とか関係無いから!!)l

素直に答えた時にギルの目が、よっしゃ!教育的指導!と光った気がして、私は彼のローブを掴んだ。

「…マジか…うちのモンが白竜にやられてるって聞いて来れば…まさかの、おまえかよ」

ネイロスは心底、呆れてギルを眺めた。

「どうやったらコイツに負けんだよ…」

そしてギロリと呼びに来た男を睨んだ。その眼光でケガをしている彼はヒッ!と身を固くした。

「それとも、そっちの方か?」

そう言って、フードを被った私を指差すネイロス。…マジ怖い。

ギルは、「(離れてろ)」と私を小声で押しやってネイロスの前に進みでると、ネイロスに、来いよ。と、言うようにチョイチョイと手で合図して構えた。

「……。…面白ぇ…テメェがその役職、金で買ったものじゃないと証明してみやがれ」

ネイロスは不機嫌な顔で広角だけあげて笑った。

ひぇぇぇぇーーー!!なんでこうなっちゃうの!!

私は2人を眺めて両手を握った。

ギルとネイロスが相対して、すぐにネイロスの顔に違和感が浮かんだ。何かに気付いたようだった。

その瞬間、ギルが動いた。あっという間に間合いを詰めてネイロスの腹に拳を打ち込む。が、ネイロスはそれを身を低くして両腕で防いだ。

それに動揺する事なく、ギルは低くなったネイロスのこめかみを狙って蹴りを繰り出すと、ネイロスがそれを身を引いて避ける。

再びギルとの間に間合いを取るネイロス。

「………」

ギルは白いローブをはためかせながら、遊び相手を見つけたように無言で満足そうに笑う。

「…どう言う事だ?…今までのは芝居だったって事か?」

ネイロスは口でそう問いながらも、目の前の人物が只者では無い事はわかっていたようだ。

しかもその顔は心なしか楽しそうな…

「(いっや!もう!いい加減にしてくれ〜!!)」

私は気が気でない。そもそも誰かがケンカする事や殴り合いを見るのも嫌だ。しかも、今はそれどころじゃ無い懸案が待っている。

ソワソワして、周りになにか打開策が無いかとフード越しに探せば、運動場に出る校舎の扉から黒いローブの男が真っ直ぐこちらに近付いて来た。

…ん?…あれは…タナトス…?

ツカツカと迷い無く近付いて、ギルを見る。

ギルは、黒いローブのフードを目深にかぶった男をネイロスと相対しながらチラリと見た。

「………」

そうか!タナトスがいるじゃん!

私は、普段は死神のような出で立ちのタナトスが救世主に見えた。

どうせ、枕としてギルを確保してくれるだろう。ネイロスもタナトスが苦手みたいだし。

しかし、タナトスはギルを見るだけ見ると、すぐにギルから視線を外した。

「………」

そして、こっちを見た。

…いや、こっち見んな。…来なくていい!!

心の願いも虚しく、タナトスはこちらに来て、隣に立った。

……近いんだけど…。

こんなに広い運動場で、なんで観客席がここだけだと思うんだ!わざわざ真隣で見なくてもいいだろうに!!

白いローブのフードから、チラリとわずかに見上げれば、タナトスは面白いんだかつまんないんだかわからない雰囲気でギルとネイロスの対戦をボーっと見ている。

目があった訳じゃ無いから、ニルが二人?!みたいに気付いてないはずなのに…私を誰だと思ってんだろう…?

ギルとネイロスの対戦は意外にも非常に良い勝負だった。始まってからしばらくしても、勝敗はついていない。

一撃が重いネイロスだが、ギルは身軽に全てを避けているし、自分の一撃ではネイロスに決定打を与えられないと理解しているギルは、フェイントを利用しながらネイロスの頭やみぞおちやスネなどの急所を的確に狙っていた。

ハラハラする状況に、不意にタナトスが私のローブを引いて、そのまま横に2メートル場所を移動される。

え。ナニ?なに?

理由がわからないまま戸惑ったが、タナトスに聞くわけにもいかない。

ギルの拳をネイロスが避けその額をかすめると、ギルは更に肘でこめかみを狙って打つ。ネイロスはギルの白いローブを掴んで阻止し、下から打ち上げるようにギルの体に拳を打った。

体格差もあり、ギルはやすやすと飛ばされるが空中でクルリと身をよじると、私達が見学していたその場所に猫のように四肢で着地した。

「(ええ?!まさか、これ?!…な、なんでわかったの?!)」

驚いて思わず隣に立つタナトスを見上げれば、タナトスは気付いて私を見下ろした。

「(…な、なんで…?)」

あ。目が合っちゃった。

タナトスはコクリと頷き口を開いた。

「…寝たい」

「いや。違う。君の希望を聞いたわけじゃないよ」

思わずツッコんじゃったよ。てか、タナトスにバレてんじゃん!なんでなの?!わからない事だらけだよ!

「…もうバレてるなら言うよ。タナトス、あの2人を止めてくれない?」

私の言葉にタナトスは指を2本立てて、私にみせた。

「え?何?」

…ピースですか?いや、そんなわけないか。

「……あ。20分?」

私の言葉にタナトスはため息を吐く。

「…2時間…」

「…そこを1時間」

値切ってみた。

「断る」

「えー!!なんでさー!」

「…別にあいつらがどうなろうと構わない。アレはまがい物だし」

まがい物?まがい物ってなに?…ニセモノって事?…ああ、ギルの事?!

「えぇ。そんな…!」

そんなやりとりをしていると、ローブが邪魔くさくなったのかギルがローブを脱ぎ捨てた。

半裸の少年は笑顔でネイロスを見据え、やる気に満ちている。気のせいか、素手のギルから本気の殺気すら感じられた。

これ以上はマズイ。ギルが思っていた以上に強かったのにも驚きだが、あの殺気はマズイ気がしてならない。ネイロスももちろん強いが、ギルのそれは理性の無い…まるで玩具を見つけた善悪の無い猫だ。

「わ!わかった!2時間」

ネイロスに飛びかかったギルに、私はタナトスの条件をのんだ。

隣の黒いローブがスッと動いた気がした。

次の瞬間、タナトスは間合いをつめたギルとネイロス双方の首に抜き放った刃を突き付けていた。

「(…早っ…)」」

どうやったらあの2人の間に、あの速さで正確の踏み込めるのか…。

ギルとネイロスは思わぬ所で急所を捕らえられ、固まった。が、動きが早かったのはギルだ。

後方にバク転し、再びネイロスとタナトスから間合いをとって警戒する。

ギルが再び交戦しないように、私はギルに走り寄るとその手を掴んで、小声で叱った。

「(ギル!もうダメ!!やめて!!)」

「…なんだアイツ…アイツ…マジで、ヤバイ…」

ギルは乾いた声で呟いていた。

その肌は粟立っていた。猫が恐怖を感じた時のように総毛立ち、タナトスから目を離さずにいる。

ネイロスはタナトスの刃に冷静になったようだ。

身を引き、戦意を消した。

「スレイプニル!」

その名を呼ばれて振り返ったのは私だけだ。ギルは油断なくタナトスを凝視している。

「(ま、まずい…!!)」

フードを目深に被っていた私でも気が付いた。いつのまにか、運動場を見守る人だかり…騒ぎにたくさんの見物人が集まっていたのだ。

しかも、足早に近付いてくるのはローズ先生だ。

「(ギル!!せめてローブ着て!!)」

私は無理やりギルにローブを着せた。

「(もう、タナトスは何もしないから!ここに何しに来たのか思い出して!)」

「…ああ…そう言えば」

ようやく、ギルがいつもの様子に戻ったが、こちらに近付いて来るのは先生だけじゃ無い。

「(…最悪…)」

私は苦く吐き捨てた。1番、会いたく無い人がくっ付いて来たからだ。

白い重厚なローブは何様…って教皇様だっけ?知らんけど!

「(いい。ギル、良く聞いて。赤毛の人が私の先生。あっちのオッサンは知人。今は出世していい役職にいるみたい。何にも喋らなくて良いから。あと、注意するのは、あの2人に触られちゃダメだよ)」

ギルの目が「なんで?」と問う。

「(法術師は相手に触るとその能力値がわかっちゃうの。多分、ギルと私だと真逆の数値だと思うからバレちゃう)」

ギルは格闘派だろう。マドラスに触れてないからわからないけど、ギルの感じでは白竜に選ばれる気がしない…。

「(困ったら逃げて良いから)」

ギルは頷いた。

「スレイプニル、何があった?」

ローズ先生が血相を変えて聞いた。本当は走って来ただろうに教皇様置いて来るわけにはいかなかったんだろう。

「………」

ギルは無言だ。声が違うから言葉は発せない。

「いやー、見事な試合だったなぁ!」

関心したように口を開いた教皇が、ギルの顔を見て固まった。その表情は驚愕に目を見開いて…かすかに呟いた。

「…ヴィナ…」

ギクリとした。

確かにその名を呼んだ。私は思わず、一歩後ろに身を引いた。

ギルはその男を注視していた。

「スレイプニル。教皇パンタソス様だ。お前の活躍をお聞きになり、わざわざ会いに来て下さった」

ローズ先生のその言葉に、ギルはローズ先生を睨んだ。


活躍にわざわざ会いに来ただと?コイツの気まぐれで、アイツがどんなに傷付いたかも知らないで!

『…父さんが…父さんじゃなかった…私の父さんじゃ…』

そう言いながらニルがボロボロと泣いたのを思い出し、ギルはムカムカと腹が立って…拳で決着がつくなら殴りかかってやってもいい。だが、こういう身分のあるやつらは殴った以上に仕返ししてくる。

一方的で不公平で不誠実な、相手ばかりが都合の良過ぎる大人の都合と言うものが、ギルは大嫌いだった。しかもそれが権力を持つ大人なら、なおさらに嫌悪した。

腕っ節だけでモノを言わせる事の出来る世の中ならば、ただ強くなるだけでいい。しかし、腕力は無くても権力のある者がモノを言えるのがこの世界だと、歯向かうたびに思い知らされた。

ギルは不愉快な気持ちを拳を握る事で我慢した。

みてろよ!いつか、必ず、屈服させてやる!

「スレイプニル…なにをしている。教皇様に拝礼しなさい」


ローズ先生の言葉に、私もギルもガン無視だ。

「いや、…そう堅苦しくなるな。スレイプニルと言ったね。君は…私の知る者にとても良く似ている」

その人の言葉は親しみを込めたものだった。

どうせ「あれー?これ、懐かしー。昔、いたわ」みたいな感じだろう。

「ここでは落ち着かないな。君とぜひ、話がしたい」

教皇がギルに手を差し出して促せば、ギルは身を引きその手に触れないように距離をとる。

思いがけない拒絶のような態度に、その人の目が驚いた。

ギルは彼の目をジッと眺めてやがて挑戦的に笑った。

「……もう…いいよ」

わずかにそう呟いてギルは身を翻すと、そのまま運動場から走り去った。

「スレイプニル!!」

ローズ先生が咎めた。

ギルに注意向けられた所で、私もどさくさ紛れに身を引きその場を離れた。

ローブを目深に被ったまま、ある程度抜けられた所で走り出す。

走りながら思う。先生はきっと怒っただろう。教皇の前で無礼だ。とか、面子を潰したと怒るだろう。

「(でも…でもでも!!)」

構わなかった。普段ならば怖気付く事でも、今回だけは誰にも媚びたく無かった。

これで退学になろうとも、私はギルに感謝したかった。

近道をして、寮の裏手でギルを見付けると走り寄ってその手を取った。

「ニル…ゴメン!俺…その…」

ギルは謝った。

「ギル!ありがとう!」

私はギルに抱きついた。

「え?え?」

困惑するギルに、私は晴れ晴れと感謝する。

「後悔は無いの。これで罰があったとしても…退学上等だよ!」

私があの人を騙せた。それだけで胸がすく思いだった。

「俺…もっとうまく出来たんじゃ無いかって心配になってたけど…」

「ううん。いいの。ありがとう。…さ!行こう。川向こうまで送るから」

手を取り再び2人で走り出す。

川を越えて、元の場所に戻るとギルが法衣を脱いで返した。

「…汚されちまって悪かったな。白が汚れたら退学だってアイツらが言ってたからさ」

ぶどう酒でシミになった白いローブは所々が赤紫だ。

「それは純潔を汚すっていう例えだよ。こんな白い服、汚れないわけないじゃん」

苦笑して受け取れば、ギルは「はぁ?なんだそれ。本気にした俺、くだらねー」と天を仰いだ。

「…まぁ…もう着ないかも知れないしね」

戻ってどんな罰則があるか知らないが、退学ならばもう着る事も無いだろう。

「おまえ…こんな騒ぎにした俺が言うのも何だけど…退学ならすぐこっちに来いよ?」

ギルは心配そうに念を押した。

「…うん。困ったら、お世話になるよ」

頷いて再び彼の手を取った。

「ギル。話を聞いてくれてありがとう…」

「…ニル…」

「じゃあ、またね」

「気を付けろよ!まだアイツがいるかも知れねぇから」

「ああ。…そうだね。じゃあ、帰るまで隠れるよ」

「何度も言うけど」

「うん。困ったらすぐに来る」

笑って頷けば、ギルは「よし。なら行け」と笑った。


時間は少し戻って、昼前…ネイロスは週末をそのまま王都の宿で過ごし、いくばくかの菓子を買ってきた。

いや、ベッドの上に置かれたパンパンに膨らんだ布袋はいくばくかというよりは買いすぎか。

ネイロスは侍童に菓子をやりたかったが、1人にやって、もらえない奴が出るのが嫌だった。

しかし、今になってこれだけの数をなんの名目でどうやって配るかに頭を悩ませた。

配るには理由が無い。素直に渡すにも一人二人ならまだしも大勢になんて、そんな柄じゃない。

ネイロスが何かを無償で渡せば見返りを要求されるだろうと勘ぐられる可能性すらもある。

ネイロスは元々、年下には面倒見がいい。特に子供は嫌いじゃない。しかし、ネイロスの見た目はそうでは無い。

あの同室のスレイプニルという男なら造作も無く配れるんだろうが、アイツにそれを頼むほどの仲ではとても無い。

しかし、せっかく買った菓子を無駄にするのも悩ましい。

何か…適当にアイツの弱みでも握って配らせるか?

それは脅迫だが、ネイロスにとっては面子が立つ。

…面子は立つが…道理に反する。

そもそも、ネイロスはあの見るからに未成熟な奴がここにいる事も気に入らない。それは、なによりも戦場にいる事で死ぬ確率が高いのは、自分の身を守る術を持たない者、体が鍛えられていない者だからだ。

入学に集まった者の中で、その者は飛び抜けて小さかった。最初見かけた時には侍童か従僕かと思うほどに。

そんな奴が士官だと?どうせ当人かその親か、事情は知らないが出世を目論み入って来たのだろう。

そんな奴には話して諦めさせるよりも、力の差を見せて諦めさせればいいと思った。

それでも奴は諦めない。

グリフォンの紋章に買われた命かと思い、王弟の息子を非難すれば奴は涼しい顔で、見た目だけで判断しているのならば、お前の目は価値がない。とばかりに取り次がない。

確かに、後方支援の法術師ならば体格はさほど問われないだろう。どんなに体格が脆弱でも、法術が強ければ役に立つ。

だが、ネイロスはそれでも違和感を拭えなかった。ネイロスの中で何となく納得出来ない所があった。

この感覚は組み分けの際の序列で負けた嫉妬とは違う気がする…もっと根本的な異質感だ。

…それでも…そんな奴に、礼を言えてない自分は何だ…。

認めたくない気持ちから、命を救われた礼をネイロスは未だに言えていない。

『…ネイロスさん…僕は、頭が悪いかもしれませんが、意地をはって無意味なやせ我慢をする事はしたくありません』

そう言われた時、非難されているのかと思った。

実際には風呂の場所をねだられただけだったが…あれだけ脅しているにも関わらず、懲りない奴の神経は…あの死神をも恐れないほどだ。

……言うか…礼ぐらい…。

戦場で死ぬならまだしも、まさか初日の酒で死ぬとは情けなさすぎて夢にも思わなかった…。

しかも、奴はそれを鼻にかけるわけでもなく、得意になって言いふらす訳でもなかった。それならば、なおさら礼を言わねば、こちらが不義理だ。

いや、しかし…どう、切り出すか…。

礼と謝罪は直近が好ましい。それ以降はタイミングが難しくなる。

しかもそれが命の恩人となると…軽い礼では釣り合わない…。だからこそ、水を向けてもらえれば良かったのだが、憎らしいぐらいに無かった事のようにされている。

ネイロスは腕を組んで大量の菓子と、出だしの言葉に思い悩んだ。

その時だ。誰かが走って来る音をネイロスは敏感に感じ取った。その音からして侍童、いや、同室のアイツだろう。

何となく居心地が悪くなってネイロスは菓子で膨らんだ布袋をクローゼットにしまおうと思った。

クローゼットは荷物が多く無ければひと1人くらいは収まる収納力だ。

知らぬ間にこの袋が目に留まり、自分が菓子ばかり食べる男だと思われたく無かったネイロスは、奥の方に布袋を突っ込もうとクローゼットに身を潜り込ませた。

ノックも無く乱暴に扉が開け放たれ、ネイロスは思わずそのまま身を隠した。

半分閉じたクローゼットの通気の隙間から伺えば、やはり同室のあのニルだ。

よほど慌てて走って来たのだろう。呼吸は荒く、乱れている。しかし、自分に用があるわけでもなさそうだ。

イラついた獣のように部屋をウロウロと意味もなく歩き回る姿に、普段の能天気な奴では無いのがすぐにわかる。

…何があった…?王弟の息子と、もめたのか?

その侍従のような格好から奴の週末は王弟の息子の世話だろうと思った。

気配を消して様子を見ていると、奴はその服を急いで脱いで着替え出す。普段なら着替えにグズグズとしていた動作も苛立ちはあるが決して遅く無かった。

ネイロスの方に背中を向けて、苛立つようにシャツを脱ぎ、チラリと見えたその肩…ネイロスから見れば折れるほど頼りない背中にさらしが巻かれているのを見た。

…ケガでもしてるのか…?

しかし、それも解さない。腰痛やケガならそれこそ仲間に治してもらえばいいだろう。

そのネイロスの疑問が伝わったように、白いローブを掴む手が止まった。

ネイロスは意識して視線を外す。

相手が背中を向けているのもあって、その表情は知れないが、やがてそいつはローブを着るとこちらへ向かって来た。

まさか気付いたか?

意外だったが、そうではなかったようだ。

部屋の窓を開けて下や左右を確認すると、窓枠に足をかけるとそのままスルリと飛び降りた。

「!?」

ネイロスはクローゼットから飛び出した。

ここは3階だ。ためらう事なく飛び降りたならば命を断つつもりなのか?!

しかし、窓の下を覗くと白いローブはフワリと広がり、羽毛のように着地する。

かと思えば、白鹿のような見事な跳躍で迷いなく駆けて行った。

「…アイツ…なんなんだ…」

『彼を見た目だけで判断しているならば…』

王弟の息子の言葉が、脳裏に響いた。


「おい!聞いたか?!白竜と赤竜が対戦してるみたいだぜ!!」

校内が騒がしくなったかと思えば、そんな生徒の声が聞こえてきた。

まさか。あり得ない。

聞き間違えだと思った。あらゆる武に長けた赤竜と、白竜が拳を交えるなんて余程のことだ。

「…ローゼフォン…」

深刻な顔で名を呼ばれれば、叱責を覚悟した。だが、次に出た言葉は違った。

「観に行こうか!」

その表情は嬉々として明らかに物見遊山だ。

「……聖下…」

「…そんな目で見るな。ケガをしたら治してやらねばならんだろう」

そう言いながら、背中が楽しそうなのは気のせいではないだろう。

運動場にはすでにかなりの数の生徒が集まっていた。どよめきと感嘆の声に眉をひそめる。

「先生!!アイツ、マジでスゲェ!只者じゃねぇ!!」

クストが、興奮して駆け寄って来た。

「落ち着きなさい。クスト。教皇様の御前だ」

とがめれば、クストは慌てて拝礼する。

「あぁ、構わんよ。で?で?どんな感じだ?」

友達のような親しさで面白そうに聞く聖下に、クストは戸惑いながらも声をあげた。

「すーぷー…スレイプニルです!!アイツ、赤竜のクラブのキングに互角です!!」

ローゼフォンは、耳を疑った。

よりによって?!…あの穏やかな子が?まさか。

だが、現実はそのまさか。だ。

運動場で、赤竜…クラブのキング、ネイロスと相対して互角に戦っていたのは、まごう事なきスレイプニルだった。

白いローブをはためかせながら、流れる動きで相手に打撃を与える姿は、危なげなく格闘慣れしているのがわかる。

「…あれは…イケロス・ウィンナイトの息子か?」

目を凝らし、問う聖下に答える。

「はい。1年生、赤竜クラブのキング。ネイロス・ウィンナイトです」

「そうか…ネイロスか…大きくなったなぁ…」

聖下は目を細めた。

その対戦している近くに、黒いローブと白いローブの…どちらもフードを目深にかぶった人物が控えていた。

あの黒は…間違い無くタナトスだろう。では、隣は誰だ?アーノか?その割にはタナトスと打ち解けている気もする…。

タナトスが白いローブを引いて場所を移動させた。他人を構うタナトスを珍しく思った。

「…あれはタナトスか…?」

聖下もそれに気付いた。

「はい」

「では、隣の者がタナトスの友か?」

「いえ。ハートのキングはあの格闘している方です…」

「…あ…あー…今回のキングは…武道派か…」

聖下は呆気に取られながら感心していた。

ネイロスの一撃で上空に打ち上げられた白いローブの男は、猫のようにクルリと身をひねり、四肢で着地した。その場所はタナトス達がいた場所だ。

「…ふむ…。やはり、若者は若者同士でいた方がいいな」

他人に無関心なタナトスがめざましい変化だ。と師匠は喜んだ。

「…お!白竜が本気出すみたいだぞ?!」

「マジか?!今までだって良い勝負だっただろ?!」

観客の生徒が興奮して騒ぐ。目を向ければ、白いローブを脱ぎ捨て半裸でネイロスに構えるスレイプニルがいた。

「止めます」

ローゼフォンは対戦を楽しんでいる多くの観客とは違い、イラついていた。

「…そうだなぁ…いい試合だけどなぁ…」

聖下はもったいないと言わんばかりの態度だ。

しかし、タナトスが隣の白竜生徒と何事かをやり取りすると、白竜の生徒が何かを言った。

スレイプニルが動いたと同時に、タナトスは黒いローブを翻し、目にも留まらぬ早さで正確に両者の首に暗器を突き立て牽制した。

そのあまりの動きに、観客全員が息をのんだ。

「……アイツは…相変わらず魂魄を握るのが上手いなぁ…」

ただ一人、その人だけが冷静にしみじみと呟いた。


パンタソスは予想もしていなかった。あのタナトスが生徒の誰かの命に従うなど。今回、動いたのも、どうせ何かの気まぐれからだろうと疑わない。

ローゼフォンはパンタソスを置いて運動場に出た。それにパンタソスは苦笑しながら後に続く。

「スレイプニル!」

ローゼフォンは足早に当事者に向かった。

名を呼ばれても振り向きもせず、タナトスを警戒するスレイプニルに白竜の生徒はローブを着せて何事かを囁いている。

「スレイプニル、何があった?」

ローゼフォンはスレイプニルを見た。

その普段の記憶とは全く違う気配をまとった姿に、一瞬、戸惑い違和感を覚える。

「………」

だが、彼は答えず、まるで初めて会うような戸惑いの目を向けている。

「いや、見事な試合だったなぁ」

関心して口を開いたパンタソスが、少年の顔を見て固まった。

その表情は驚愕し、目を見開いてかすかに呟いた。

「…ヴィナ…」

「………」


スレイプニルは教皇様を注視していた。

「スレイプニル。教皇パンタソス様だ。お前の活躍をお聞きになり、わざわざ会いに来て下さった」

そう説明すれば、彼は憎しみを込めた目でローゼフォンを睨んだ。

戸惑いながらもローゼフォンは苛立った。

教皇様にその名を刻む千載一遇の機会なのに、いつもの従順な彼ではなく、こんな日に限って反抗的なスレイプニルが解せない。

「スレイプニル…なにをしている。教皇様に拝礼しなさい」

その言葉にも一切動く気配はない。

「いや、…そう堅苦しくなるな。スレイプニル…と言ったね。君は…私の知る者に良く似ている」

教皇様の言葉は親しみを込めたものだった。

「ここでは落ち着かないな。君とぜひ、話がしたい」

教皇様がスレイプニルに手を差し出して促せば、彼は身を引きその手に触れないように距離をとる。

明らかな拒絶のような態度に、その人の目が驚いた。

スレイプニルは彼の目をジッと眺めてやがて挑戦的に笑った。

「……もう…いいよ」

低くわずかにそう呟いてスレイプニルは身を翻すと、そのまま運動場から走り去った。

「スレイプニル!!」

ローゼフォンは動揺した。誰に対しても腰の低い彼が、なぜよりによって法術界の最高指導者に無礼を働くのか、全く理解出来なかった。

追い討ちをかけるように、タナトスが教皇様に呟いた。

「……嫌われたな」

普段は無口なクセになぜこんな時ばかり余計な口を開くのか。

ガックリと項垂れる教皇様。


「聖下!」

「……いや、いいんだ。こっちの都合だ。突然訪ねてきて戸惑ったのだろう…」

「申し訳ありません…ですが!普段はあのような者ではありません」

弁解し、恐縮するローゼフォンにパンタソスは手を振った。

「気にするな。普段なら笑える所も、今はちと込み入っててな…」

パンタソスは、新しいハートのキングがニルヴィーナに似ていた事に驚きと親近感を覚えた。

姿が似ているだけの全くの別人で、性別さえ違うとわかっていても、最愛の娘が行方不明な今、似ている者は慰めだった。

その者に、敵意の目を向けられ拒絶されれば、愛娘に拒絶されたようで辛かった。

不意にタナトスは興味を失い、その場を離れる。

「タナトス…どこに行く?」

パンタソスが問えば、「…枕を取りに。2時間の約束だ…」と、不可解な言葉を残して去って行った。


ギルと別れてから、私は居場所に悩んだ。

あの人には会いたく無い。というか今は誰にも会いたくは無かった。

ひと気のない場所を探せば、誰も来れない場所があった。

フワリと登って風に吹かれれば、熱くなった心を冷やした。

『…ヴィナ…』と、懐かしい声でその名を呼ばれて、忘れていない事を知った。

でも、それならなおさら7年も放っておく気持ちがわからなかった。いや、放っておいたんじゃない。

…必要が無くなっただけだ。

膝を抱えてうずくまるっていると、陽射しが陰った気がした。

気配がして顔をあげると、黒いローブのタナトスだ。

「……タナトス…君は、見つけるのがうまいね」

誰も来れない場所だと思ったのに。

タナトスは何も言わずに隣に座ると抱えていた膝に強引に頭を入れて枕にした。正確には腕か。

そうだ。2時間の約束だった。

「……いや、でもそれ、強引過ぎない?」

むしろ、変な態勢で寝にくいんじゃ…。まぁ、でも2時間でも…ここにいたら、例の教皇サマも帰るだろう。

私は改めて足を伸ばすと屋根の上でゴロンと横になった。誰にも会いたくなかったはずなのに、タナトスは何も言わず、何も聞かずにただ私のお腹に頭をのせるとそのまま動かなかった。

青い空に白い雲が風に吹かれて流されていくのを眺めながら、ぶどう酒でシミのついたローブを枕に、私は鍵のかかった引き出しの眠気をようやく取り出す事が出来た。


日が陰る頃、ようやくローゼフォンの元に発見の報せが届いた。

「どこにいた?」

「それが…管理棟の屋根の上です」

クストの言葉にローゼフォンは耳を疑った。

「屋根?どうやって?」

「わかりません」

「降りたのか?」

「…いえ、まだ居ます」

クストの言葉にローゼフォンは動いた。

発見した生徒はアイティールだ。

管理棟は2階建なので、本校舎の3階…その廊下の端の窓からは屋根を見下ろせる。

その場に行けば、確かに白と黒のローブを来た若者がまるで猫のように仲良く寝ていた。

「…よく、見付けたな」

ローゼフォンは感心した。下からは見えないし、意識して探さなければ見付けられない場所だ。

「呼びかけましたが、起きません」

アイティールの言葉に、ローゼフォンは「…仕方ない…」と呟くと小さなビー玉サイズの光玉を作った。

そしてそれを、窓から狙って指弾を放つ。

「ニャッ!!」

その光玉が、ニルの肩に当たると彼は猫のような悲鳴をあげて起き上がった。

寝ぼけて肩をさするニルにタナトスも起きた。

「スレイプニル!降りて来なさい」

ローゼフォンが声をかけると、彼は驚きショボンとしてノロノロと立ち上がった。

その身のこなしは運動場のものとは違い、危な気だ。

「…アイツ…どっちが本当なんだ?」

クストが混乱して呟いた。

そもそもどうやって登ったのか知らないが、降りるのもどうするつもりだったのだろうか?

心配になり見守っていると、スレイプニルはこちらを伺い戸惑っている。

「先生…ニルは降りれますから、我々は下に行きましょう」

アイティールが断言した。むしろ見守らない方が降りやすいと言う。

その時、スレイプニルの「うわぁぁぁぁー」という声がした。

「お。先生、タナトスがすーぷー抱えて落ちました」

クストの言葉に再び外を見ればスレイプニルを枕のように横抱えしたタナトスが、地面に降りていた。


「…こ、こ、これは…どんなフリーホールだ…!!」

自分の意思でスピードを制御出来ない落下は恐怖でしか無かった。しかも、横抱えされれば地面が近付くのがよりリアルに近くで見える。

「…降りれない…」

タナトスは悪びれなく言った。

「う、うん。そうだね…正確には降りれないじゃなくて、降りにくいだけどね?」

タナトスは首を傾げている。

「…そうだ。タナトス。僕…もしかしたら、退学になるかも知れない」

妙に枕として気に入られていたから、先に伝えておこうと思って言った。

「…なぜ…?」

「見たでしょ?僕の替え玉が、あの…教皇サマに失礼な態度をとってたの…」

「…だから?」

「きっと先生も怒ってるだろうし…皆にも迷惑になっちゃうから…」

「…あのジジィにはいい気味だ…」

「ジジィ…。タナトス…君も言うねぇ」

「…あのジジィ…ムカつく奴…」

「…タナトス、知ってるの?」

「…たまに現れては…カビたパンだとか…起きろとか言ってくるジジィだ…殺してやろうかと何度も思ったが…なかなか…しぶとい…」

マジで?…それ凄く無い?…なんか、無礼とかの次元が、違く無い?

私が戸惑っていると、ローズ先生とクスト先輩とアイティールが駆け付けて来た。

「あ。先生…この度はご迷惑をおかけしまして…申し訳ありませんでした」

「………」

ローズ先生は何も言わずに私を見極めているようだった。

「この責任につきましては…自主退学をもって…」

「何を言っている」

私の言葉を遮り、ローズ先生が言った。

「スレイプニル。処分を決めるのはお前じゃない」

やっぱり先生は怒ってる。でも、それも仕方ない…。

「…ああ…そうですね…どうぞ、何なりと」

覚悟して頭を下げる私に、ローズ先生は処分を下す。

「スレイプニル。夕食が終わったら…みっちり補習だ」

………え。

「…ほ、補習…ですか?」

おずおずと頭を上げれば、ローズ先生の顔が近い。

「そうだ。法術師としての心構えが足りないようだから…わかるまで教えてやる。基礎からな」

「……え。それって、あの…僕…だいじょう…ぶ」

「まさか、処分に不服だとか選択肢があるとでも思ってないだろうな」

ローズ先生の笑顔がコワイ…。

え。補習…補習って…どの補習?…基礎…?なんの?

「せ!!センセー!!僕!いっそ退学にしてください!」

涙目で訴える私に、アイティールが眉間にシワを刻んだ。

「ニル。補習が嫌で退学を望むなど、言語道断だ」

ヒィ!殿下!違うんです!これにはワケが!

「すーぷー。おまえ、往生際悪いぞ。自主退学希望とか、ふざけんな?」

うわぁ!こっちにもいた!クスト先輩!違うんです!

「……はぃ…」

私はガックリと肩を落として了承するしかなかった。


「ニル。話がある。こちらへ」

アイティールが、校舎に戻る前に私を呼び、見通しの良い場所で他人の耳目の無いのを確認すると

「昼からの経緯を聞こう」

と、腕を組んだ。

「…えぇ…と…」

ギルの存在は明かせない。

「その…僕、部屋に行く途中でクスト先輩から聞いたんだ。教会から法術師の…教皇サマが来てるって」

アイティールは頷く。

「それで…マズイなぁ…と思ったわけで…取り敢えず、着替えてから、身を隠しておこうと思ったんだけど…」

「…それで?」

「寮の裏で、赤竜にからかわれて…お酒をかぶったんだ…」

ギルが、だけど。

「そしたら…それから…覚えて無いっていうか…」

便利な言い訳。「覚えてない」

「覚えていない?」

アイティールが訝しんだ。

「う、うん…。気付いたら…屋根の上…。うっすらだけど、暴力的だった気がするから…酔ったのかなぁ…と…」

「酔うほど飲んだのか?」

「いや。でも僕…今までお酒飲んだ事無かったし…」

それは事実。

「…ニル、君は格闘も得意なのか?」

「いや…。僕はケンカや暴力は嫌いだ。誰かが怪我するのは見たくない」

それも事実。

「教皇は君を見ても、連れ戻そうとはしなかった。探していたのではないのか?」

「そ、それは…他人の空似だったからじゃないかな…?」

これも事実。

「…どういうことだ…?」

「彼が探しているには、《僕》じゃなくて、《僕に似た誰か》だから…」

ニル(ギル)には用はない。彼が探しているのはニルヴィーナだ。今更、何の用かと言ったら…やはり、罪人としての指名手配なんだろう…。


アイティールはニルの言葉に思い当たった。

ニルに似た者。それはあの夜、ニルに手を引かれていた黒髪に黒い瞳の娘だ。

「ニル、何か心当たりがあるのか?」

「こ、心当たり?!…いやー?ど、どうかなぁ…あるような無いような…?」

ニルが再び動揺し出した。あるんだな。心当たりが。そうだろう。

「では、なぜその《自分に似た誰か》と思う?教皇がなぜ探しているのかも心当たりがあるんじゃ無いか?」

「そ、それは…やっぱり、ひと1人を石化した罪を問うためだと思うけど…」

ニルは落ち込んだ。

「石化させてしまったのはニルだろう?なぜ似た者になるんだ?ニル…誰か、かばっているのか?」

「違うよ!…あれは…事故だったけど…僕が悪かったんだ…」

苦しそうに答えるニルを見て、脳裏に光玉を生み出し微笑む黒髪の娘が浮かんだ。

「………教皇はニルを知らないのか?」

「……《僕とは》会った事ないから」

ニルが思わず言った言葉。僕とは。では、似た者とは教皇は面識があると言う事だ。

「でも、もう会う気は無いよ。今回はいきなりだったけど、二度は無い」

ニルはそう決意している目で答えた。

「ニル、君には…」

守りたい人がいるのだろう?そう聞きかけて、近付いて来る者がいた。


「ニル!お前、マジかよ!あの赤竜クラブのキングと戦って良い勝負だったんだって?!」

ニックが興味津々で私を見るなり聞いてきた。

「え?!いや、その…」

マズイ…もう一度、戦えとか言われたら…死ぬ。

「…ニル。私は先に戻る」

「あ。…うん」

アイティールは現れたニックに聞きかけていた事をやめ、そう言うと去って行った。

「俺、見れなかったんだけど!!どんな試合だったんだよ?!どうやったんだ?!」

ニックが興奮しながら聞いてきた。

「あの、それなんだけど…僕、覚えて無いんだよね…」

私は都合のいい言い訳「覚えていません」の呪文を唱えた。

「はぁ?!どう言う事だ?!」

「えーと…その……どうも…酔ってたみたいで…?」

都合のいい言い訳その2。「酔ってました」の呪文も唱えた。

「え。マジか?!おまえ…酒乱かよ…?!」

ニックが驚いた。

「…う、うーん…それで、ローブが1つダメになっちゃったんだけど…」

手にしたワイン染みの白いローブを見せると、ニックは顔をしかめ

「あーあー。やっちまったな。これ、女に怒られるやつだ」

と、ゲンナリして言った。

なにせ、全国の家事を任された人を敵に回すワイン染みだ。

「やっぱり、落ちないよねぇー…これ…」

揉み洗いしても、色は抜けない。夢の世界なら漂白剤にインなのに。

「もう、いっそ、全部染めればいいんじゃね?」

ニックの言葉に私は頷く。

「ああ。なるほど…」

ワイン染めのローブか。どんなのかな?

「って、おまえ!本気にすんなよ!白竜が白じゃなくてピンク着んのか?!」

「ピンク竜?…なんか、めちゃくちゃ平和だねー!」

あはは。と笑えば、ニックも「確かに。ドラゴンパピーだ!」と笑った。

「あ。ニル!聞いて!聞いて!さっき、聞いたんだけど!」

ロンが走ってきた。

「え。なに?」

「今日のニルの戦いを見た黒竜の生徒がさー、ドン引いて怖じけづいてたよー!」

「マジで?!良かったじゃん!」

「…そ、そうなの…?」

ドン引き…それはなんとも…不幸中の幸い。

「うん。でも、今までより魔法を使ってくるみたい」

「は?…ダメじゃん!」

それは面と向かわず、コソコソ嫌がらせするって事では?!

「あと、赤竜の生徒が騒いでた。面子が立たないって…」

「はあああああぁぁぁぁ?!」

メンツ?!なんの?!なんで?!

「あー…まぁ…アイツら…腕力だけで勝ち抜く奴らだからな…後方支援の白竜に負けたとなっちゃ、そりゃなぁ…」

ニックがしみじみと呟いた。

「嘘?!僕はそんなの全然…ってか、勝ったとかじゃないし?!」

めちゃくちゃ動揺していると、噂の赤竜の生徒が3人、こちらに近付いて来る。

「スレイプニル!」

気合い充分の青年達は一様に体格がいい。

「うわ!ニルゥ!」

ロンは私の後ろに隠れた。

「おわぁ…早速、おいでなすったぞ」

そしてニックも何気に後退した。必然的に私が前に出たみたいになる。

2人共ズルイ!!私も隠れさせて!!

「な…なんのご用でしょう?」

ビクビクしながらも聞けば、赤いロングチュニックを着た赤竜の生徒の1人が手紙を差し出してきた。

「え?…な、なに?」

戸惑いながらも受け取れば、

「ネイロスさんからだ。確かに渡したぞ!」

と、眼光鋭く睨みつけて言い去っていった。

「え。ええ…?」

ネイロスから手紙…?同室なのに?

「直接言えばいいのに…」

訝しみながら手紙を開けば、私は思考も体も凍結した。

「なんだ?なんて?」

ニックが傍から顔を出して私の持つ手紙を読んだ。

「なになに?……『次は殺す…明日の昼…運動場へ来い』…」

「…ねぇ、これ…果たし状なんじゃ…?」

いや、文面からすれば殺害予告だよね?これ。脅迫通り越してるね。

「…………最悪だ……」

私達3人は見事に固まった。


重い。こんなに重い気持ち迎える夕食は初めてだ。

夕食が終われば、ローズ先生から教育的指導の補習があり、翌日の昼にはあのジャイアントネイロスと果たし合いなんて…なんという絶望的未来…。

そして、どこに行ってもあらゆる生徒から噂と好奇の目が向けられる。

「(…いっそ退学の方が、なんぼかラクなのに…)」

私はもう何回吐いたかわからないため息を吐いた。

そんな精神状態で、夕食が美味しいわけもなく…私はそのほとんどをマックに食べてもらった。

「ニル、おまえ大丈夫か?」

アッシュが呆れて聞いてきた。

「…最悪の気分だよ…。僕は誰とも争いたくないのに…」

「俺、おまえが、あんなに強いとは思わなかったわ。いつもなよなよしてるのは仮の姿なんだな!」

アッシュまでが、なんかの妄想スイッチが入って興奮している…。

なんなんだ?男子にとって腕力の強さが1番とでも言うのか…?

「…アッシュ…逆だよ…暴力的な姿が仮の姿であって…本来のコレが僕」

ゲンナリと答えれば、アッシュは嬉々として私の背を叩いた。

「それでも、カッケー!「俺を怒らせたな…」みたいになんだろー?!スゲー!!」

なに、そのコテコテのバトル少年漫画のセリフ…。

「いいですか?アッシュよ。よくお聞きなさい…暴力で解決しようとするなんて、そんな事はダメなのです。人間、話し合ってお互いを理解する事が1番なのですよ…」

「はぁ?そんなんで済んだら戦争なんて、ねぇだろが」

「戦争反対。平和こそ繁栄。和睦協調こそシアワセです。という事で、僕はネイロスさんに和睦を取り付けたい」

「おまえなぁー…そりゃ、無理だろ。赤竜のやつらに和睦が出るのはアイツらが完全に負けた時だぞ?」

「………。…それは和睦ではなく、降伏ではなかろうか…」

「とにかく、今は赤竜は殺気立ってるし、アイツらを納得させるにはお前があいつらより上だって見せつけなきゃ収まらないだろ」

アッシュは冷静に言ってのけた。

チラリと赤竜のテーブルを伺えば、ピリピリとした空気が突き刺さるように私に向けられているのがわかる。

「…そ、そんなバカな…」

私はガクリと突っ伏した。


「(…どうにかしないと…)」

夕食後、教育的指導を受けるため…鉛のように重い足取りで白竜の教室に向かう。

「(いっそ…逃走してしまうか…)」

気持ち的には相乗効果で90%逃げ出したい。だがしかし…学校を出たら再びの潜入は困難だ。これしきのことで諦めたら、なんの為にデボラを助けると誓ったのか…その誓いに背く事はしたくない。

「(…デボラだったらどうするんだろう…)」

腕力の強い相手に、デボラなら…きっと1番は相手にしない。でも、相手をしなくちゃいけない時なら?

白と黒の2色の色彩を持つデボラを思い出し、かつて見た光景を思い出した。

「(…あれは…)」

記憶を思い出し、その時のデボラの仕草を正確にトレースする。

「………」

遠くでコップの割れる音がした。

「うお?!なんだ?…急に割れたぞ?!…誰か触ったか?」

驚く生徒の声がして、私は理解した。ああ、こういうことか。と。

「…これでなんとかなるといいけど…」

私はとりあえず、明日の果たし状には策を講じられた。だが、しかし…目の前の補習には…どんな仕法でも全く勝てそうに無かった…。

教室の扉に手をかけ……なかなか開けられない。

「(…開けられない…なんて重い扉なんだ!)」

もちろん、物理的にでは無いが。

「スレイプニル」

「?!」

急にその声で呼ばれ、私はビクリと飛び上がった。

視線を向ければローズ先生が医務室の前にいる。

「何をしている。こちらに来なさい」

補習場所は教室では無く、医務室だったようだ。


昼間のスレイプニルの様子にローゼフォンは骨が刺さったようにずっと気になった。

自分の知るスレイプニルとは全く異なる素行と態度に理由が思い当たらない。ましてや、自分にあんな目を向ける彼を。それはまるで見知らぬ異質を見るような嫌悪の目だった。

あれは…野犬の目だ…。

人を信じず、己の身だけで生きている野生に近い目が、憎しみをこめて自分に向けられた時…どこで何を間違えたのか、ローゼフォンは考えてみた。

しかし、仮定はすれど、あの目を向けるほど確信に至る答えは一向に浮かばない。

「もう…いいよ…」と呟いて走り去った彼は、アイティールが屋根の上で見つけるまで姿を隠した。

知らぬ間に壊れてしまった生徒との信頼関係。

それに再びどう接していこうか思い悩んでいると、赤竜顧問が思いもよらない事を言い出した。

「ローゼフォン!彼は武術をやっていたのか?」

「……知りません」

赤竜顧問のリオト・ベネトルシュは戦場を渡り歩いた元傭兵だ。剣だけでなく弓も斧も槍も、彼にかかれば農具だろうが、どんな武器も自在に手足となり、また格闘においても隙のない武の達人だ。

「いい動きだった!荒削りだが、あれはより実戦に適した動きだ」

「……そうですか…」

あの獣のような動きがそうなのか。

ローゼフォンは格闘にはあまり興味がない。治す身になれば仕事が増えるだけだ。

「…あれだけの身のこなし…彼は格闘技に興味があるんじゃなかろうか?」

「……どうでしょうね」

少なくとも、ローゼフォンが知っていたスレイプニルからはそうは思えない。

「どうだろう?一度、赤竜に見学に来るように声をかけたいのだが」

ベネトルシュの言葉にローゼフォンはようやく彼を見た。その目は、からかいや冗談では無かった。

「しかし…それは…おそらく…彼は望まないでしょう…」

ローゼフォンは、そうであって欲しいと思う言葉を口にした。


黒竜だけでなく、赤竜までスレイプニルに興味を持ってしまった…。

程度で言えば、赤竜は黒竜よりかはいくぶんマシだが焦りは増す。

このまま教師としての信頼を失ったままでは、10代という不安定な年齢の青年がどう転ぶかは予測がつかない。

失った信頼を修復させるには、彼とよく話をする必要があった。

屋根から降りたスレイプニルは、ローゼフォンの心配をよそに…いつもの穏やかで腰の低い彼だった。

反抗的に無視するわけでなく、睨みつけるわけでもなく…ただショボンとうなだれて、自らの失態を自覚しているようだった。

なぜ?

こうも違うのか?同一人物とは思えない豹変ぶりに、戸惑った。

「この責任につきましては…自主退学をもって…」

一時の許しを乞うためでなく、本心からの決意の言葉に、最後まで言わせなかった。

「何を言っている。スレイプニル。処分を決めるのはお前じゃない」

自主退学?あり得ない。逃げようなんて、そうはさせない。

「…ああ…そうですね…どうぞ、何なりと」

覚悟して頭を下げるスレイプニルに、言い渡す処分は決まっている。

「スレイプニル。夕食が終わったらみっちり補習だ」

スレイプニル本人が、1番堪えるのがその単語だ。

「…ほ、補習…ですか?」

案の定、彼はギョッとしておずおずと頭を上げる。その表情は派手なイタズラがバレた時の犬のようだ。

「そうだ。法術師としての心構えが足りないようだから…わかるまで教えてやる。基礎からな」

お前には法術師になる以外の選択肢は無い。法術師が天職だ。そう繰り返し刷り込んで、よそ見をしないで抜けられないようにさせてやる。

「……え。それって、あの…僕…だいじょう…ぶ」

「まさか、処分に不服だとか選択肢があるとでも思ってないだろうな」

拒否権は無い。法術師の最高権力者を落胆させた罪は重い。今後のおまえの出世に関わる事だ。

「せ!!センセー!!僕!いっそ退学にしてください!」

涙目で訴えるスレイプニルはローゼフォンのよく知る人物だ。

その姿に、アイティールが眉間にシワを刻んだ。

「ニル。補習が嫌で退学を望むなど、言語道断だ」

スレイプニルが恩人と呼ぶ人物からの叱責に、彼は途方に暮れた顔をする。

「すーぷー。おまえ、往生際悪いぞ。自主退学希望とか、ふざけんな?」

クストも、もちろんスレイプニルが白竜を出る事を納得する訳が無い。

「……はぃ…」

彼はガックリと肩を落とし、素直に頷くしかなった。

その、スレイプニルが…白竜の教室の前で、扉に頭を打ち付けたまま微動だにしない姿に、ローゼフォンは安堵した。

全身で感情を示す彼がそこにいた。それは反省と、それでも補習は嫌だというせめぎ合いの姿だった。

名を呼べば、驚きながらも、すごすごと素直に従いこちらに来る。その姿は、叱られるとわかっているドギー(犬)だ。

「座りなさい」

「…はい…」

スレイプニルは覚悟して、ゆるゆると医務室のイスに座った。

「まずは…聞かせてもらおうか…今日の、お前の不可解な態度について」

彼の向かいに座り、そう切り出せば彼は「…覚えていません」とシラを切った。

…なるほど。上等だ。時間はある。

そんな無責任な男の常套句を今から癖付けたら、引退した時の法術師の権威に関わる。

「では、どこからは覚えている?」

「…学校にアイティールと戻って、クスト先輩に会いました。そしたら、先輩が教皇サマが来て…いえ、いらっしゃってると言うので…、僕を心配してここに呼びました」

「医務室に?」

「はい。僕が粗相をしないようにと、活力剤を頂きまして」

そこまで言って、スレイプニルは「あ」と気付いて目が泳いだ。

ニッコリ笑い、先を促す。細かい罰則は後だ。とりあえず、全部吐け。

「そ、それで…その………その時、僕…気付いたんです…」

スレイプニルは焦りの後に、沈鬱に沈んだ。

「…何に気付いた?」

「……………」

彼は俯き、黙っている。口を開きかけて閉じてしまう。

言うつもりはあっても、言葉にするのが辛いようなそんな姿に、少し待ってみてから、ふと思い付いた。

「…ああ。明る過ぎたか?」

医務室の光玉は普通のものだ。改めて習得したばかりのオレンジ色の光玉を錬成すると、他の光玉はキャンセルした。

話しにくい話は、薄暗い方が話しやすいとここ数日で実感した。

スレイプニルはランタンに入れたその光玉を、鑑賞するように眺めて口を開いた。

「先生の作るオレンジ色は、赤みがかってますね」

「そうか?…まぁ…そう言われれば…」

「夕陽が燃えているみたいで…キレイな光玉ですね…」

光玉を眺めて、スレイプニルがそう呟いた時、過去の記憶が蘇った。

『ねぇ、見て!ロズ!夕陽が燃えてるみたい…キレイ』

『あと…何回、見られる景色かしら…』

思いがけない回想に、眉間を抑えて自制した。

「…おまえの光玉に…教皇様は大変、感心されていた」

話を戻そうと、そう伝えばスレイプニルは怪訝な顔をした。

「…僕の?…いつ?」

「以前、私と作ったやつだ。今日の昼にはとうとう消えてしまったが…ずいぶん長持ちしたな」

「……なんでそんな事…」

スレイプニルは不快そうに言った。

「とても良く出来ていたからだ。ぜひ、見て頂きたかった」

「やめてください。僕はそんなために作ったわけじゃない」

毅然と断言する彼には苛立ちが滲んだ。

「…なぜ?…」

「なぜって…。とにかく!!僕は、もうあの人には関わりたくない!」

珍しく声をあげるスレイプニルに、核心に近い気がした。

「あの人…?…教皇様を…知っていたのか?」

「?!…違います…」

「じゃあ、どうして…?」

「それは…」

再び口を閉ざすスレイプニル。

「…では…今日のおまえは、どうにも私の知る姿じゃ無かったが…それはなぜだ?」

「……酔っていたんです」

うん?…酔っていた?…なんだそれは。

「赤竜の生徒にお酒を勧められて…ローブも汚してしまいました」

……思い起こせば確かに、ローブには赤紫のシミがいくつか付いていた。

「本当はケンカなんかしたくない。でも、イライラしてたんです。誰にも構って欲しくなかった…」

「…すーぷーちゃんは…酒に弱いのか?」

「飲んだことありません」

……ああ。

「じゃあ、格闘も得意なんじゃ…?」

「覚えてませんので」

「……………」

……酒乱。…荒削りがだ実戦向きという評価はいかがなものか…。

「…すーぷーちゃん…今後、酒を飲むのはやめなさい…」

「…僕も…そうありたいです」

「…どういう事だ?」

「僕…もう、教会の人には会いたくありません…特に教皇様には」

なんだと?ふざけんな。

「なぜだ?理由を言いなさい」

「僕は…偉くなんかなりたくない。教会に属して不自由でいたくない。それなら土を耕して暮らします」

バカな!!土を耕す?不自由でいたくない?甘えんな!!

「スレイプニル…それが可能だと思うのか…?」

怒りを抑えて問えば、彼は俯いた。

「…わかりません…こんな事、不可能かも知れない…でも、僕は…今、ここにいる事ですら破格な事だから…。これ以上は…求めたくありません」

なんなんだ…意味がわからない。なぜそんなにへりくだる?ここにいる事が破格?

頭を抑え、ため息が出た。

「…教えてくれないか…?何を恐れている?何がそんなに不安なんだ?」

彼の黒い瞳が揺れた。夕陽のような光に照らされた顔が何かに耐えていた。

「…僕は…ここでたくさん、学びたい…自分に人を癒せる力があるのならば、こんなに幸せな事はありません。…でも…自分を偽って、ずっと暮らしてはいけない…」

瞬いた黒い目から涙が落ちた。

「………偽る?」

自分の事は放っておいて欲しい。と言ったスレイプニルには、人には言えない秘密がある。出生の事か?それとも他に…?

「…先生に…僕の父は…香木の匂いがする人だとお話しました…」

「…ああ…そうだったな」

放っておいて欲しいといわれながら、早速、調べに行ったわけだが。

「僕、ここに来るまで…法術師が純潔だとか全然知らなかった…」

「…ああ…それで…?」

「故郷にいた時…人に聞いたんです…教会のにおいが気になって…そしたら…この匂いはとても立派な偉い人じゃないと付かないんだ…って聞いて…」

「だからずっと僕は…父は…香木が付くほど…敬虔な…立派な人かと思っていたんです…」

「…ああ…そうだったな…」

「でも…違った…」

「違った?」

スレイプニルは頷いた。

「クスト先輩に会う前に…先生と教皇様を見かけました。そして、クスト先輩に医務室で教皇様はバツグンの法術を持つと聞きました。…立派な人である前に…法術師であるならば…教皇サマは…僕の父さんではあり得ない…」

「……ああ…」

実父が教会で尊い存在だと密かに期待して…立派な人であると思って耐えていた事が、そうではなかった。そもそも父親になった段階で法術師ですら無いが、それは心の支えを失ったようなものだろう。

現教皇様はパンタソス様…その人だ。その存在を騙るとは…実父は罰当たりだな。

いや、だが香木は節目の時…年に数回はどこの教会でも焚かれるからな…。誰だ?やはり元法術師に違いないだろうが。

「僕…ずっと騙されていたんです…。僕の…父さんでないなら…もう、他人です…思い出したくも無いから…会いたくありません…」

ボロボロと涙を流すスレイプニルに、彼が大きく傷付いているのがわかった。

恐らく…普通じゃない。と捨てられて、それでもそれが、実父が立派な人だと思うならば耐えられたのだろう。

「……そうか……」

自分のルーツである両親の認知は…自我の拠り所の根本だ。親に否定され苦労したならば、どんなに優秀でも卑屈になってしまうのも、わからなくはなかった。

彼の父親に対する夢や希望を破ったのが、他ならぬ自分だとすると、自棄になって酔ったスレイプニルに睨まれても仕方ない。

「…すまなかったな…おまえによく確認もせず…いきなりこんな事になって…」

ポタポタと流れる涙をローブの袖で拭う彼に謝れば、彼は首を振り、穏やかに言った。

「いいえ。僕も先生も知らなかった事です…」

「…お前に…非凡な才能がある事を、俺は自慢したかったのかも知れないな…」

「……?」

全ては彼のためだと思っていた事が、それは俺が師匠に生徒を自慢したに過ぎないのかも知れない。

師匠の傍に立つ、アダム・ロンディウスに張り合って…。

…愚かだ…。

自己嫌悪に、ため息が出た。

目の前の若者を見れば、「出世も権力も欲しくない。ただ自分に人を癒す事が出来るなら、幸せな事だ」という真白い魂だ。

ああ…この魂を放っておけるか?

「…もう、泣くな。私も覚悟して、お前が必要とするまで必ず面倒をみる」

果たしてそれに自分が値するのかはわからないが…非凡な彼がここで学びたいと言う限り、自分の手を離れるまでは責任を持とうと覚悟した。若者特有の酒の失敗もその範囲だ。

その言葉に、スレイプニルの目はゆるゆると見開かれた。涙で濡れた深淵のような漆黒の目が自分を映すと、宝物をもらったかのように、とても嬉しそうに笑った。

「……………」

なんだ?これは。

なぜ、こっちが居心地が悪くなるんだ?

これは…なんていうんだ?…罪?…なんで罪悪感を感じるんだ?

…まさか…俺の心は…思ったより汚れているのかも知れない…。

そう考えると、 密かにショックだった。

「…あ。あの…先生、僕、ローブ…汚しちゃったんですけど…」

スレイプニルが申し訳なさそうに言ってくる事が、どうでもいいくらいだ。

「侍童に言え。新しいのを持ってくる」

「あ。そうなんですか?…良かった。僕、いっそ、ぶどう酒で染めれば着れるかなーとも思ったんですが…ピンク色じゃ目立っちゃうし…」

ピンク?…「どうだろう?一度、赤竜に見学に来るように声をかけたいのだが」リオトの言葉が頭をよぎった。

「ダメだ!」

赤と白が混じればピンクだ。そんな啓示は不吉過ぎる。

「おまえが着るのは白だけだ。他の色は要らない。いいな?!」

驚いた顔で固まったスレイプニルが、コクリと素直に頷いた。

あの格闘を見て、リオトがスレイプニルに目を付けた。本人は争いは嫌だと言っていたが、コイツのあの野良犬にような目をみた後では、油断出来ない。

ああ。やっぱり目が離せない。無自覚な才能がこれほど厄介だとは…。

「あの…先生…僕、こんな時に図々しいお願いなんですけど…」

「…なんだ?」

「僕…なるべく早く、法術覚えたいんです…」

「……。なぜ?」

「それは…その…いつどうなるかわからないし…」

…なんだと?

「…いつ、どうなるかわからない事をする気があるのか?」

「い!いいえ!無いです!そ、そういうんじゃ無くて!」

「………」


先生は疑いの目を向ける。

「…えぇっと…その…」

ダメだ。完全に間違えたわ。これ。

「…最初に戻すが、活力剤を使うほど気力が切れてたのは何でだ?」

ギクリ!そ、そこ、戻っちゃいます?

「そ、それは…そのー…御恩には奉公をと言いますか…」

「なんだ、それは」

口を濁す私に、先生は腕と足を組んで威圧してくる。

「その…アイティールの妹さんが…僕を気に入って従者にしたいと言って下さったんですけど…」

その言葉に先生の顔は一段、不機嫌になる。

「僕は法術師になるからゴメンねと…お断りしましたら…それなら光玉が欲しいと言われまして…」

先生の顔が更に不機嫌になった。

「……今度は何を作った…」

その低い声…言葉が、オーラがもう…怖いのなんの…。

「す、すみませんでした!ひとりぼっちで可愛そうだと思ったんです!僕が作ったのも秘密にして欲しいって約束したんです!アイティールの家族だし、僕は…!」

必死に弁解する私に先生はため息を吐いた。

「…何を作ったんだ?どんなやつだ?」

諦めたように言う先生に、私は正直に白状した。

「…彼女が…長持ちするのが欲しいと言ったんです。大きくなくてもいい。オレンジ色の光を、出来るだけ長く…と。だから…僕は彼女がひとりぼっちでなくなる日まで、彼女がおとぎ話のバラ姫の心を忘れないようにと…雫型のオレンジピンクの光玉を作りました」

「…今度はオレンジピンクか…」

先生が呻いた。

「…まさか、また鳴いたりしないよな?」

「いえ。あ、でも、誰かに取られたら嫌だったので、彼女以外の人が持つとオレンジ単色になるようにしときました」

先生は頭を抱えた。

「スレイプニル……」

「…は、はい!…ご、ごめんなさい!」

「…明日から治癒と浄化の法術の練習も始めろ」

「………え?」

「…おまえは、持て余すと目立ち過ぎる。治癒と浄化を習得してそっちに法力を使え。2、3年生も人手が加わって楽になるだろう」

「ホントですか!」

うわぁい!!やったね!!

「だが、それも明後日からになるかも知れないな」

「え。…なんでですか?」

首を傾げれば、先生は笑って無い笑顔で言った。

「今、ここで、同じものを、作れ」

「…………ぐはっ!」

聞こえないはずの重圧の音が聞こえた気がした…。

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