第14章 …私にはいないわ…
夕刻、予定通り立派な馬車が数台、到着すると使用人はズラリと並んでお出迎えした。
汚れ一つない磨かれた高級そうな艶のある専用の馬車の扉には、黄金で刻印されたグリフォンが光っている。
到着と共に置かれた立派なビロード張りの足置きを躊躇なく踏んで降りて来るのは、金髪に青い目をした堂々たる紳士…アイティールのお父さんは見るからに自信に満ちたナイスミドルだ。
その後ろからもう一台の同じ仕様の馬車を降りたのは、同じく金髪に青い目をした豪奢なドレスを着た優雅な貴婦人…。
ああ…アイティールって、どちらかと言うとお母さん似だったのか…。
いかにも身分が高そうで、近寄りにくい雰囲気はアイティールを上回っているけど。
「父上…ようこそお越しくださいました」
アイティールが出迎えると、王弟は目元のシワを深めて笑った。
「アイティール。元気にしていたか」
「はい。つつがなく」
その会話の後ろからピンクのドレスを着た12才くらいの金髪の女の子が不機嫌に馬車を降りてきた。
「もー!アイリスはお父さまと一緒がいいって言ったじゃない!!」
「イリス。いい加減になさい」
扇で口元を覆いながら、冷たい目を向ける貴婦人。
「嫌なの!!帰りは絶対、一緒に乗るから!も〜!どうして聞いてくれないの!」
ピンクの小さな口を膨らまし、ご機嫌斜めの少女は…お高いお人形のような見た目だ。
「ねぇ、疲れた〜!馬車って、つまんない!…ちょっと!早く果汁でも持って来なさいよ!喉が渇いた!」
光る金の長い髪に、白い陶器のような肌。海のように青い目…かわいい小さなお顔にはパーツの整った目鼻が揃っている…のに、放つ言葉がかわいくない…。
キンキンとした声で使用人に命令すると、勝手気ままに屋敷に入る。
「ねー!私の部屋、どこなの?!早く案内しなさいよ!もー!満足に仕事も出来ないの?ホント、つっかえない!」
使用人は、かしずきながら少女を案内した。
…なるほど…なかなかのお姫様だなぁ…。
そんな少女に、アイティールの家族達は無関心だ。まるで空気のように相手にしていない。
少女がズンズンと屋敷の玄関を進んで来た所で、少女と目があった。
「え…やだ…なに、おまえ…」
私を見た少女は驚き、足を止め眉をひそめた。
「え?僕?」
少女の青い目が、しかめられた。それは、まるで汚い虫でも見るような目だった。
「なんで雑種がここにいるの…?」
「…雑種…」
私の事…だよね?
「こんにちは。僕は…」
「…やめて。汚い。雑種が私に話しかけるなんて…失礼よ!汚れた目で見ないで頂戴。けがらわしい」
少女の青い目が心底、汚い物を見るような目になった。
「…ああ…はぁ…」
そ、そうですか…。
「汚い奴がこんな所にいるなんて…他の者は何をしているの?雑種は裏庭に戻りなさい。ここはおまえなんかがいて良い場所じゃ無いの。いい?分をわきまえなさいよ!図々しい!」
「う、うーん…」
そ、そう言われても…
「ニル。すまない。こちらへ」
アイティールが私を呼んだ。不機嫌な少女に会釈して、その場からアイティールの元へ行けば、彼の父親…王弟との対面だ。
「父上。彼が白竜ハートのキングのスレイプニルです」
あれ?そっちの名前で紹介するの?それって偽名だよね…?
「ほう。おまえが?しかもスレイプニル?…ははは!面白いな」
王弟はそう言って笑った。
「すでに手紙でお伝えしましたが、彼はとても優秀で、すでに白竜では様々な快挙を成しています」
え。な、何て書いたの?だ、大丈夫かなぁ…。
「なるほど…白竜ならば法術師だな。しかもハートのキングと言えば次期教皇と呼び声も高い。では、おまえが次期教皇になる男だな」
えぇ?!そんなわけ無いじゃん。
威圧感を持って決め付けたその言葉と態度には、こちらの返答なんて求めていない。とても…窮屈な感じがした。
「アイティールはスペードのキングだ。次期王としてこれほど相応しい予言は無い。次席として励み、息子の良き盾となれ。その力を有するならば、混血だろうが側仕えを許そう。おまえにとって、この上無い栄華となる」
疑いもせず確信を持ってそう言われれば…もう、いいえ。とは言えない空気だった。
「もし…そうだった場合には…お役に立てれば…光栄です…」
かろうじて…社交的にそう言うのがやっとだった。
それだけ言って、私はお役御免だ。
もっと話をする事になるかと思ったけれど、アイティールのお父さんもお母さんも、私にはあまり興味が無いようだ。目が合う事もなく、アイティールが私の話を振っても、王弟は「そうか」とだけ言い、話題が続かない。
王弟の話題はそれよりも、アイティールの事や、今日のパーティーに来るゲストの貴族の話、領地やビジネス、資産、政治の話をしている。
視界にも話題にも入らない私は、まるで透明人間か置物にでもなった気分だ。
質問されない分、ラクだけど、コレ私がここにいる理由あるかな?
そんな中、ふと…あのお姫様が気になった。
あの子…姿が見えないけど、大人しくしてるかな…ずいぶんと横柄だったから大変だろうなぁ。
「嫌よ!!私がやりたいって言ってるんだからグズグズしないで早くしなさいよ!」
案の定、遠くで早速、声が聞こえた。
おー…今度はなんだ…?
バタン!と部屋の扉の音がして、少女がかけてくる。
「ねぇ!お父さま!私も馬に乗りたい!」
「…イリス。馬は男が乗るものだ」
王弟が自身の元に駆け寄って来た彼女に言えば、少女は首を振った。
「イヤ!アイリスも乗りたい!ねぇ!おじさまから頂いた馬がいるんでしょう?!」
…うん?…それって、スレイプの事だよね?…あー…スレイプ、よりによって、君の名前が出ちゃったよ…。
「アイリス。お前ではスレイプに近寄るのも無理だ」
アイティールはズバリと言った。
「どうして?!だってその馬は、ユニコーンでもあるんでしょう?!」
…へ?ナニソレ…?ユニコーンて…あの…一角の馬…だよね?無いよ。角なんて。
「ダメだ。あれは馬の中でも特に気難しい。安易に近付いてケガでもしたらどうするのだ?」
『…当たり前だ!傷が残ったらどうする?!』
急に、王弟の言葉から、あの人の声が蘇った。頭がクラっとする。
「じゃあ、お兄さまと一緒に乗る!!」
そう言ってチラリとアイティールを見る少女に、アイティールはガン無視だ。
「ねぇーーー!いいでしょーーーー?!」
しつこく食い下がる少女に、王弟は無言で使用人に指でチョイと合図した。
「姫様…それでは、私と庭を散策いたしましょう」
「おとうさまー…」
粘る少女に王弟も、空気のように目も合わせない。一切、無視だ。
…ああ…なんだか…わかった気もするなぁ…。この家族は…家族のようで、家族じゃない…。血の繋がりはあっても…みんなが別々の方向を向いている。これが…高貴な方々の…家族のあり方なんですかね…?
私は様子を見て、そっと席を外した。元々、会話には入っていなかったんだから、抜けても問題無いだろう。
なんとなしに、庭に出ればお姫様は使用人を馬にして遊んでいた。
髪を引っ張り、地面に膝を付く使用人の服は見事に泥まみれに汚れていた。
「遅い!もっと早くよ!あはは!」
無邪気に笑う少女は…まぁ…確かに……無いなぁ…。
…ゴメン、アイティール。君の妹…かわいいけど…かわいくないね…。
ため息を吐いて見守れば、とうとう使用人は四つん這いから足を滑らせ突っ伏してしまった。
「やだ!ちょっと!ドレスに土が付いた…汚いじゃない!もう!あなたのせいよ!グズ!馬の代わりにもならないの?!馬以下ね!」
そう言って、少女は手にした日傘で使用人を打ち付け始めた。
「ダメだよ!」
見てられないよ。
私は振り上げられた日傘を掴んだ。少女の青い目が驚いて振り返った。
「そんな事をしたらいけない。傘は人を打つものじゃ無いし、立場の弱い人に当たるのはダメだよ」
そう注意すれば、少女の青い目は見開き、顔はみるみる赤く興奮してくる。
「無礼な!!私に意見するなんて、雑種のくせに!生意気よ!」
「これは人種は関係無い。自分の怒りを暴力で理不尽に他人に当てるのはダメだ。それは上の立場の人ならなおさらだよ」
「うるさい!うるさい!!私に指図するな!!」
「うん。うん。指図なんかしないよ。これは指図じゃない。アドバイス」
「離せ!!無礼者!!」
「無礼者でも、傘を振り回す人をそのままには出来ない。ケガしたら危ないじゃないか」
「関係無いわ!しつけよ!」
「しつけ?しつけって言うのは愛情があってのものだし、暴力でするものじゃない。それはただのイジメだよ」
「うるさい!うるさーーーい!いやぁぁぁ!うう…うああああーーーーんんん!!」
うわぁ…泣いたーー!子供の最終兵器出たーーーー。
どうしよう。王弟の顔が脳裏にチラつく…けど、もう、いいや。
「ねぇ。それより馬を見に行かない?見たいんじゃ無い?」
泣きじゃくる少女にそう呼びかけた。まだ泣いてる。
「…僕、馬に乗れないんだ」
ちょっと鳴き声トーンダウンしたな。
「でも、今、練習してるところ。僕は見てるだけでも良いんだけど…」
お。ちょっと落ち着いてきたぞ。
「だから、君も見てみない?馬。かわいいよ」
そっと少女の背中をさすってそう言った。
「…………」
小さな背中をさすれば、やがて少女は泣き止んだ。
「馬はね、とても大きいけどすごく怖がりなんだ。傘を振り回したり、大きな声をあげたら怖がって嫌われちゃうんだよ。仲良くしたいなら優しくしてあげないと…できる?」
少女は赤い顔をしかめて不満顔だ。
「なんで命令するのよ!」
「命令じゃ無いよ?アドバイス」
「なんなの?!おまえ!!雑種のくせに!」
「だからそんなの関係無いって。見たいの?見たく無いの?」
「……ううぅぅぅー!!」
悔しそうに足踏み…あ、これ、地団駄踏むってやつ?初めて見た。なんか、エネルギー有り余ってるんだろうなぁ。
「早くしなさいよ!」
「じゃあ、一緒に行こう。傘は置いていこうね」
少女の手から日傘を取って代わりに手を繋いだ。
「…という事で厩舎を案内してきます」
呆気に取られている使用人に言い置いて、私は少女と厩舎に向かった。
振り払われるかと思った手はそのままだ。意外にも少女は素直に手を引かれながら歩いている。
「…厩舎には…あ、馬の家を厩舎って言うらしいだけど…色んな馬がいて、それぞれ性格が違うんだ」
「………」
少女は答えない。不満そうに口を膨らませている。
「優しい馬もいれば、短気な馬もいる。それは人と同じだよね。君はどんな馬が好き?」
「………」
構わず続けた。出来る限りのんきな感じで。
相手のイライラが伝染するように、穏やかな気持ちだった伝染するんだ。
「僕は、やっぱり優しい馬がいいな。短気な馬は蹴ったり噛んだりするんだよ。君は?」
「……がいい」
ポソッと呟いた言葉に気付いて、目を向けた。
「え?どんな?」
「…綺麗な馬がいい」
「ああ。綺麗な馬かー…そうだね。それならやっぱりスレイプかなぁ…」
「乗りたい」
「スレイプはね…とても人見知りするんだよ。知らない人が怖いんだ。君は見ず知らずの人に、背中に乗られたら怖いでしょ?」
私の言葉に少女は驚いた。
「何を言っているの?そんなのあるわけ無いじゃない。バカなの?」
「馬だからって、当たり前じゃ無いんだよ。もし、君が馬に生まれていたらの話」
少女は顔をしかめて怒る。
「おまえ…どこまでも無礼ね…私はお父さまの娘よ?そんな事あるわけないわ!」
「そうだね。それでも馬にしてみたらそんなの関係無いもの。1人の女の子でしかないよ。皆と同じ」
「違うわ!私は特別なの!!だって私はお父さまの娘なんですから!!」
「うん。そうだよ。君は特別で大事な女の子。…でも、それは皆も同じ。お父さんやお母さんにしたら子供は皆、特別で大事な存在なんだよ」
「……私は…違うわ…!」
不満気に眉をギュッと寄せて少女は俯いた。
厩舎に着くと、少女は鼻をつまんだ。
「クサイ!!」
「馬のニオイだよ。馬は干し草や穀物を食べるんだ。慣れればそんなに気にならなくなるからね」
「でも、クサイ!!汚いのは嫌!!」
「僕、厩舎の掃除をさせてもらった事があるんだけど…馬のフンって、綺麗なバラの肥料になるんだって」
「…だから、なに?」
「凄くない?馬のフンでバラが咲くんだよ?バラっていい匂いするよね」
私の言葉に少女は呆れた。
「…。バッカじゃない?…バラはバラよ」
そう言う少女の顔を見て思わず笑う。
「…なによ?!」
「いや、君…やっぱりアイティールと兄妹なんだなーって思って。今の感じ、よく似てた」
「?!…なんなの?!失礼ね!!」
「あ。ごめん。嫌だった?僕は良いと思うけど」
「うるさい!早く見せなさいよ!」
そうこうしてると、厩舎からジャックが出てきた。その瞬間、繋いでいた手を少女に振り払われた。
「…これは…姫様…。こんな所へどうして…」
戸惑うジャックは私を見た。
「うん。彼女がね。馬が見たいっていうから」
「早く出して。おじさまから頂いた馬がみたいの!」
その言葉にジャックの顔色が青くなる。
「いや。姫様…スレイプは危ない。大人でも蹴られたら骨を折ります。どうかおやめください」
ジャックの訴えに、少女は腕を組んで断固として要求する。
「いーやーよ!!私は見たいの!!」
「で、ですがッ…!」
あー。これ、ダメなパターン
「じゃあ、こうしよう?今日は初めてだし、安全な場所で見る」
「…それは…」
「ね?今日の所はそれでもいいでしょ?君だって、怖い思いはしたくないでしょ?」
そう言うと少女は「…フン…使えないわね」と了解した。
と、言うことで…私とお姫様は馬の運動場の柵の向こうからスレイプが厩舎の外に連れ出される所を見る。
「…あれがそうなの?」
少女は真白い馬が優雅に歩く様を柵に登って身を乗り出して見た。
「うん。そう。あれがアイティールのスレイプ」
「…ツノが無いのね…」
拍子抜けした様子で少女が言った。
「…馬にツノは無いと思うんだけど…」
私の言葉に、少女は、あんた知らないの?とばかりに馬鹿にした目を向けてきた。
「…えーと…僕の知らない事がありましたら…ぜひ教えて頂けませんか?」
「フン。だっさい!」
ツンと上を向く少女。
「いや…だって、知らない事だってあるよ。…君は知っているの?」
「当たり前よ。私はお父様の娘だもの」
得意そうに言う姿がなんか、子供らしいな。
「さすがだねー」
「…そうよ!当たり前じゃない!」
その得意げな様子を眺めていると、少女が偉そうに聞いてきた。
「聞きたいの?知りたいんでしょ?!」
「え…。まぁ…どちらでも…」
別に構わないって言うか…。ジャックに聞けるし。
「なによ!聞きたく無いわけ?!」
少女は憤慨して噛み付く勢いだ。
「…で、では、ぜひ教えて頂けませんか?」
付き合って聞けば、優越感のドヤ顔で答えた。
「しょうがないわね。…あの馬は、馬とユニコーンの混血なのよ。どう?凄いでしょ!普通の馬じゃ無いんだから!」
…聞いて欲しかったんだね…。
「え?ユニコーン…?そうなの…?ユニコーンて、あの角の生えた馬?」
「そんな事も知らないで、お兄さまの家にいるの?」
「あ、うん…まぁ…僕、最近来たばかりで…」
「…キレイ…」
私の返事など、どうでもいいようで、少女はスレイプを凝視している。
「……触ってみたい」
ポツリと呟いた。
え?いやいや、それはさすがに。
「もしもし?…お約束をお忘れですか?」
「触りたいの」
「蹴られたら死にますよ」
アッサリと言ってやる。
「大人しくしてるじゃない!」
「それはジャックが手綱を引いてるから。フツーなら近付いて蹴られて頭割れて死にます」
「優しくしたらいいんでしょ?!」
「それはあくまで普通の馬であって…スレイプは普通の馬じゃ無いんですよね?はい。残念。死にます」
「!…つっかえない奴!」
柵に乗った足で蹴って来た。
「蹴らない。人は蹴っちゃダメ。蹴って良いのはボールだけ」
真剣に注意して少女の足を掴んで戻す。
「うるさいわね!良いのよ!使えないんだから!」
「そんなの理由にならない。それに、僕は使えないのではなく、気を遣わないだけ。…ああ、そうか、それがいいな」
「……なによ!?」
「僕は君に気を遣わない。だから正直に言う事にするよ」
私の言葉に、青い目を丸くし、少女はワナワナと震えた。
「君には本音で話してくれる人がいないようだから、僕が正直に答える。人を見下して平気で蹴る女の子なんて、好かれない」
「!?……あなたって!無礼で!失礼で!嫌な奴ね!!大っ嫌い!」
「そう?僕は君が言うほど、そうは思わないけど。君の事も嫌いじゃ無いよ?」
「な、な、何ですって?!さっき嫌いって言ったじゃない!」
「僕が嫌いだなんて言って無い。人から好かれない。ってアドバイスしたの」
「やな奴!やな奴!!すごく嫌な奴ねッ!!」
そんなやりとりをしていると、スレイプがこちらをジッと見つめていた。
スレイプ…こっち見ない。もういいから。早く帰りなさい。君がいる限り、このお姫様は触りたいとか言い続けるんだろうから。
しかし、スレイプは慎重にこちらに歩を進めて来る。
ジャックゥ?…どう言う事ですか?お姫様を不慮の事故で亡き者にする気ですか?
しかし、ジャックもハラハラしているようだ。手綱からしきりに指示を出している。
…まぁ…聞くわけないよね…スレイプだもんね。
スレイプは人間の指示に従うのではなく、協力してやってもいい。という性格みたいだし。
「…ねぇ、見て!近付いて来てるわ!」
とうとう、お姫様が気付いてしまわれた。
「…そうだね」
「どういうこと?」
「お姫様…死ぬ覚悟は出来た?」
「嫌よ!!」
「静かに。スレイプが怖がる。動いたり声を出さないで」
そう言うと、少女は静かになった。
スレイプは静かに、ゆっくりと近付いてくる。その真白い艶やかな毛並みに長いたてがみ、黒い大きな目でこちらをジッと見て測っている。
尾は左右にゆっくり揺れているし、一見して機嫌は悪くはなさそうだけど…
そしてスレイプはゆっくりと間合いを詰めて運動場の柵越しに私の顔に鼻を伸ばした。
それに応えて大きな頬を撫でる。
「スレイプ。彼女も君に触りたいんだって。…いい?」
フンスフンスと鼻息が少女に向けられる。思った以上の大きさだったからか、少女は柵に乗ったまま固まっていた。
そっと彼女の手を取って一緒に鼻に触れれば、スレイプは一撫でさせただけで、プイと去って行った。
「あぁ…もう?…寛容なのか、つれないのか…でもスレイプは、ああゆう馬だから」
そう行ってスレイプを見送る私に、少女はハッ!として私の手を振り払った。
「私に馴れ馴れしく触らないでよ!無礼者!」
ああ、はいはい。すみませんね。
「ニル!!」
背後からアイティールの声がした。
振り返ると、アイティールと王弟がこちらに来ていた。
「…あれ?どうしたの?」
「お父さま!」
ピョンと柵から降りて、少女は王弟に駆け寄る。アイティールとすれ違う際、彼はチラリと少女を見た。
「君がアレに馬を見せると聞いたから…」
「ああ。うん。見たよ。もう帰るところだったんだ」
「……スレイプは大人しくしていたようだが…大丈夫だったのか…?」
アイティールは不思議そうに聞いてきた。
「うん。今日は見るだけって話だったんだけど…スレイプの方が来てくれたから」
「お父さま!私、馬に触ったわ!あの馬よ!」
嬉しそうにはしゃぐ少女に、王弟は苦笑した。
「やれやれ。困った娘だ。お前がケガしたら一体、何人の首が飛ぶと思っているんだ?」
「………」
ソレ、解雇とかそういうのでも無く、冗談じゃない斬首な方の話ですかね…?
言葉の重さにズシンと胃が痛くなる。
「名前の通りだな。スレイプを慣らすなんて、実に見事だ」
王弟は私を見てそう言った。
「…は。はい…おそれいります…」
「我が娘にスレイプを勧めるおまえの豪胆も面白い。何かあれば死罪は免れぬが…それをも上回る野心とみる。相違ないか?」
笑顔で聞いてくる王弟の話の内容が、二度聞きしたいレベルだった。
「いっ!!」
いえ!!違います!!野心なんか無いです!!
「父上…彼はアイリスに今日は見るだけだと伝えたのです。触れられたのはスレイプの気まぐれです」
アイティールが助けてくれた。
「そうか。だが私は構わん。危険を顧みず機会を逃さぬその野心は上をみる者には必須だからな」
そう言って王弟は笑った。
……なんか…万が一の娘の命はいいんかい…って思っちゃうな…。あ、でも、そうか…復活させればいいのか…いや、でもさ…。
どうにも…この世界の生命観は…二度目があるだけにルーズだ。
お母さんなんて来やしないし…。娘が心配じゃないんだろうか…?
夜に向けて、招待客の受け入れ準備が着々と進む。
大広間にはパーティーに向けての準備がすでに万全だ。アイティールは主催者として早々に正装に着替えさせられている。
と、言っても男性の身支度は早い。アイティールのお母さんなんて、かれこれ2時間は支度に部屋を出てこない。
とは言え、私には縁の無い事ですので…。
テラスの隅っこでお茶をすすっていた。
「姫様!お待ちください!」
メイドの戸惑う声が響く。
「(…お次はなんだ…)」
台風のような子だな…。
小さな少女に使用人の大人たちは右往左往だ。
「イヤなの!!あれじゃ無いと!!同じ物を用意しなさいよ!!」
癇癪を起こしたように、しきりに騒ぐ少女の声に使用人達はなだめるのに必死だ。
「こちらもとてもお似合いでございますよ」とか「いっそ、こちらになさってはいかがでしょう?」と説得をしている。
「イヤなの!!どうしてわかんないのよ!!」
それにしてもよく響く声だなー。
騒ぐその声で何となく何でモメてるかわかってくる。
「お父さまに言いつけてやる!!」
語気荒く、少女は走って来た。
その姿はピンク色のドレスを着た小型犬だ。キャンキャンと吠えまくりながら誰彼構わず嚙みつこうとする。そう思いながら眺めていたら、少女がこちらに気が付いた。
…ええ…こっちに来たって何も無いでしょうに…。
金髪に青い目の少女は不機嫌そうにズンズンと近寄り、私の座るテーブルの前に仁王立ちした。
な、何か?
「…どうしたの?」
「あなた、そんな格好のままパーティーに出るつもり?」
小さな腕を組んで説教モードだ。
「ああ。…せっかくだけど、僕はパーティーには出ないからね」
そう答えると、少女の顔が意地悪そうに笑った。
「そうよね。雑種がパーティーに出れるわけないものね!」
「君は出るんだね」
「当たり前じゃない!私はお父さまの娘よ?!」
そうか。そうか。知ってるよ。
「僕はパーティーは苦手だけど、君は偉いね」
「…なにがよ…?」
「だって、パーティーってのはお客様に楽しんでもらえるようにおもてなしするんだよ?自分が面白くなくたってお客様を1番に考えるんだ。大変な事だよ」
「フン!そんなの知らない」
「アイティールはとても気を使って準備をしているよ?君も…淑女でいないと…お姫様だもんね」
「…あんたに言われるまでも無いわ!」
「そう?見れないのが残念だな。とてもかわいいドレスを着て、可愛くなるんでしょ?」
「私はいつだってかわいいに決まってるじゃない。バッカみたい!」
侮蔑を込めた目で少女は言った。
「そうだね。…それで、お姫様は何をそんなに気にしていたの?」
私の問いに少女は思い出して苛立った。
「髪留めが気に入らないの!私はお母さまの使っているのがいい!!」
「へぇ。そうなんだ。どんなやつ?」
「ルビーのバラの形をしたのよ!それなのに!全然違う!」
「ふーん…着るドレスの色は何色なの?」
「…なによ…ピンクに決まってるでしょ!」
ピンク好きなんだな。
「濃い色?薄い色?」
「……薄いピンク…なんなの?」
「…じゃあ、ルビーは濃すぎるんじゃない?僕なら黄緑をお勧めするね」
「はぁ?黄緑〜?」
少女の顔が「何?その選択」と歪んだ。
「うん。薄いピンクに黄緑は若々しくてかわくて、君に似合うよ。可愛いピンクのバラにも緑の葉っぱが付いてるでしょう?」
「…………フンッ!」
少女はプイッと顔を背け、私に興味が無くなったのか走って去っていった。
…やれやれ…。涙の雨が降らなくて良かった…。
お茶も飲み終わったし…そろそろ部屋に引っ込むかな…。
重厚なアイティール邸…吹き抜けになっている玄関ホール。その2階部分を通りかかった時だ。
「すーぷー!」
階下の玄関からそう呼ぶ声がした。
「あ。クスト先輩。いらしたんですね。先輩もご招待されているとは驚きました」
クスト先輩は昼間に会った時と違い、タキシードだ。金色がかった茶色の前髪をキチンと後ろに撫で付けるように整えてある。そんな先輩は普段よりも大人びて引き締まった知的な青年に見える。
あら。先輩。今日はなかなかの男前ですね。立派な紳士ですよ?
玄関を見下ろせる階段の手すりに身を委ねながら言えば、先輩は左右を見て上に上がって来た。
「…まぁな。今日は親父の付き添いだ。…それよりお前、まだウロチョロしてんのか?もう、来賓集まって来てるぞ」
そう言いながらクスト先輩はトントンと身軽に階段を登って隣に立ち、同じく手すりに寄りかかる。
「ええ。ですからちょうど部屋に戻ろうかと…て言うか、先輩は大丈夫なんですか?」
いつもの白いローブでない。昼間の私服でもない。タキシードを着込んでいる先輩は3割り増しだ。
…気合い入ってません?
「俺か?俺は大丈夫だ」
そう言ってポケットから先生にもらったような小瓶を見せた。
「ああ。それ…甘苦いやつですよね?」
そして、味はマズイ。
「浄化の水が入ってる。こいつを山ほど持ってきたからな。他は馬車に入ってる。」
先輩…そこまでして出て来るとは…王弟にコネが欲しいのかな?
「…あ。じゃあ、もしかして以前もそれで黒竜をかわしたんですか?」
魔法でめちゃくちゃモテまくって大変だった時の事だ。
「ああ。あんときは本当に…浄化の水で腹が膨れたくらいだった…」
クスト先輩は辟易して言った。
「うわー…甘苦いのに。…すみません、僕が浄化の法術を使えたら済むのに…」
法術は自分には使えない。二人が法術を使えれば、補えあったはずだ。
「お前も、籠城前に念のため1本持っとけ。足りなくなったら言えよ?」
そう言って、小瓶を渡された。
「あ。ありがとうございます…」
先生からもらったのはもう使っちゃったからな…。
先輩から小瓶を受け取った時、階下の玄関から嬉々とした若い女性の声がした。
「アイティール!」
目を向ければ、青いドレスを着た美女が頬を染め、期待に満ちた目で誰かを待っている。
その若く美しい女性は、金色の豊かな髪を巻き、首から胸元にかけて大きく開いたドレスの白い肌には大振りの宝石が細かな宝石と共に、豊かな胸元で輝いていた。
うわー…凄い…いくらするんだろう?アレ。その大きな胸にも目がいっちゃうけど、アレは見て欲しいって事だよね?
私が男性なら困るんだけど…触れるべき話題?アレ。それとも、見ない振りした方がいいの?場所的に。いやー…美人だねー…しかし。
ただ、お化粧で彩られた顔はどこも文句無くキレイで凄い美人なんだけど、その笑顔には…なんて言うか、キツさや怖さがうかがえる気がする…。同性から見て、近寄りたく無いと言うか、仲良くやっていける感じが無いと言うか…。
そんな美女を出迎えるアイティールが見えた。
アイティールの方も、さすが王族。身にまとう衣装も高そうな錦糸がふんだんに使われている。
気品あるジャケットは後ろの裾が長めだ。そんな豪華な衣装でもアイティールは衣装に負ける事なく、むしろサラリと着こなしてしまっている所が凄い。
本当に何でも着こなすよねぇ。アイティールは。殿下…さすがです。
「リリス。よく来てくれたね。疲れてはいないか?」
笑顔で彼女の右手をとり、その手の甲に流れるように自然と口づけしている。
「いいえ。あなたに会えるんだもの。疲れなんて感じないわ」
満面の笑顔で答える美女。
「ありがとう。リリス」
微笑むアイティールに、彼女はため息を吐くように言った。
「ずっとあなたに会いたかったのよ」
悩ましげなその言葉に彼は彼女を抱きしめて何事かを耳元で囁いていた。
「父上も君に会いたがっているよ。行こう」
完璧な笑顔のもと、アイティールは慣れたように躊躇いなく彼女の腰を抱いて案内する。
「せ…先輩…」
眼下で繰り広げられた光景に私は持っていた小瓶を握った。
「なんだよ?」
隣に立つクスト先輩は至って平常だ。
「…あれは…誰…でした…?」
「リリス・モーガンだろ」
アイティールと共に歩く、その女性を見て、クスト先輩が答える。
あ。リリスさんっていうの?へぇ…名前聞いてなかった。じゃ、無くて!
「いえ…その相手です!」
「…アイティールだろうが」
何言ってんだ。とクスト先輩は答える。
「違います!僕の知ってる彼ではありませんでした!何ですか?あの感じは?!」
「知るか。…俺に聞くなよ」
クスト先輩は、どうでも良いと言わんばかりだ。
先輩!!あれ見て無反応なんですか?!
「甘々カップルじゃないですか?!な、なんです?あれは明らかに相思相愛的な?!そうなんですか?!」
「なんでお前が赤くなってんだよ」
「…いや、僕…てっきり、アイティールは婚約者とは、まだ…その…浅い付き合いなのかと…」
だって、本人に聞いた時の感じからそう思うじゃない?!
「さぁな?でも婚約者だろ?そういうもんじゃねぇの?」
正真正銘の他人事のように言うクスト先輩は、アイティールと婚約者の仲が浅かろうが深かろうが興味は無さそうだ。
「はぁ…そう…いうもの…なんですね…」
「…すーぷー…お前、なに落ち込んでんだ?」
うつむく私にクスト先輩は解せないようだ。
「……僕…友達がそういう…お付き合いしている姿…見た事無かったんで…なんか…ちょっと…なんて言うのかな…衝撃というか…」
なんだろう。この感じ…見知った彼の顔がまるで知らない人みたいで…妙な疎外感。
「…ああ…。まぁ…でも、アイティールだぞ?それこそ子供の頃から決まってんだろ?」
私の説明に、クスト先輩は丈夫で細部まで豪華な階段の手すりに寄りかかりながら、そんなの今更だろうが。と続けた。
「そ、そう…ですよね…そうなんですけど…。ええー…なに、この寂しさ…」
寂しさというその言葉に、クスト先輩は瞬き、しみじみと、自分の目頭を押さえながら呻いた。
「…言うな。すーぷー。そいつは俺たちには付き物なんだ…今度、遊びに誘ってやるから。今は我慢しろ」
そして慰めるようにヌルい目で私の肩に手を置いた。
「いいか?すーぷー。大人しくしてるんだぞ?」
「先輩。僕は子供じゃありません。大丈夫です」
部屋の前でクスト先輩に念を押された。
「先輩こそ油断禁物ですよ。今の先輩は普段の先輩よりも3割り増しですからね?」
「3…お前…褒めてんのか?それ?」
「はい。そうです。とにかく、先輩、そろそろ行った方がいいですよ」
パーティーはもうじきに始まる頃合いだ。
「ああ。じゃあな。鍵かけろ。誰が来ても開けるなよ?!」
「はい。任せてください」
留守にしますんで!!
そうして先輩が会場に向かうと私はしっかりと部屋に鍵をかける。そして窓を開けると、夜陰の中で外をうろつく怪しい影を見つけた。
…まさか…敷地内まで黒竜が?
目を凝らして様子を伺うと、黒竜にしてはやたらと身のこなしが軽い。
…ん?…あれって…ギル?
人の気配を感じて軽々と木の上に飛び乗る姿は、仕法でなければ軽業師の彼以外に無い。
「(ギル…!)」
声を潜めて2階の部屋から呼べば、やはりギルだ。こちらに気付いて近寄って来た。
「…ニル、話がある。変更になったんだ」
窓の下でそう言うギルに、私は閃いた。
「ちょっと待って」
私は窓から離れ、クローゼットからシャツとズボンを引っ張り出した。
「ギル、これ。受け取って」
窓の外に顔を出して、下で待つギルに服を落とした。
ギルは難なく下でキャッチすると、「なんだ?」と服を広げて首を傾げた。
「それ、僕がここで着てる服。それ着て玄関から入って来て。誰に会っても声は出さないでね。この部屋の場所、わかる?」
「なるほど…面白れぇ!わかった!」
ギルは意図を理解すると、薄暗い中、その場で着替え始めたようだ。
私は着替え終わったギルが玄関の方へ行く姿を見送り、部屋の扉へ移動すると鍵を開けてそっと廊下を覗き、ギルが来るのを待った。
やがて、ヒョイヒョイと大きめの布袋を手に身軽に歩く少年が廊下に現れた。
私は誰も居ないのを確認した後、扉から身を出してギルに、ここだよ。と、手を振った。
「…やった!!スゲー!!屋敷の奴ら、誰も俺の事、気付いてねぇ!」
ギルは部屋に入るなり、興奮しながら喜んで声をあげた。私は慌てて扉と鍵を閉めてギルと向き合う。
「静かに。それよりなんでここに来たの?まだ時間あるよね?」
「場所が変わったんだ。今日は観客無しで関係者だけの披露になった。だから、ムーンボウのテントじゃない」
「え?そうなの?」
「ああ。あと、そいつらにはお前の素性を隠したいから、ニルの格好はするな。俺が2人になっちまう」
「…ああ…まぁ、確かに?…え。じゃあ、どうするの?」
「衣装は持って来た。ここで着替えて馬車で行く。着替えてくれ」
そう言ってギルは衣装が入っているであろう大きめの布袋を渡してきた。
「わ…わかった…。着替えるから…ちょっと待って」
留守にするにも部屋は鍵をかけて居留守にするから…戻るなら窓からだな…。
帰りの事も考えて、ニルの着替えは常に持ってないと。
「ギル、着替えるから後ろ向いてて」
「お、おう。…え。俺、部屋出て廊下にいたほうが…」
「僕、事情があって部屋にたてこもってる最中だから。その話、着替えながらするね」
バサバサと袋の中を開ける。見ると、衣装がリハーサルの時と違った。
「あれ?衣装違くない?なんか…え。新品?これ?」
ムーンボウの時の衣装は少しくたびれていたドレスだったけど、これは色は同じ黄色でも発色が違うし、デザインも違う。綺麗な新品だ。
「ああ。バーディーが用意した。見栄えよくしたほうが、より売り込めるからって。化粧は紅くらいでいいってさ」
後ろを向きながらギルが答えた。
袋には光沢が美しい黄色のドレスと揃いの靴、そしてハンカチに包まれた小さな豆缶が入っていた。中には紅が入っている。
「…黄色って目立つよね…これ着て行くの?」
「俺が着てきたこのマント着りゃいいだろ。早くしろよ」
ああ。なるほど…ギルが持って来てるマントは確かに夜に紛れそうだ。
私は早速、着替えた。
着替えてる間に簡単にギルに学校の事と黒竜、白竜の事、部屋に閉じこもる理由を説明すれば、ギルは待ち時間を退屈しなくて済んだようだ。
「へぇー。知らなかったわ。法術師って禁欲じゃなきゃいけないって聞くけど、そう言う理由で童貞なんだな」
「どっ!…ちょっと!…そんな直球で言わないで!」
ギルってそういう所、あるんだよなぁ。
「それで?黒竜って奴らに狙われてる…と。ふーん。でも、ニルに女をけしかけたってムダだよな。そいつらニルが男じゃないって知ったら、驚くだろーなー!」
ギルは面白そうに肩を揺らして笑っている。
「面白そうに言わないでよ…こっちは護身の為の変装でこんな事になってるんだから…」
「…そんで、おまえも童…あ、違うか。男知らねえのか?」
「ちょ!!そ、そういう質問は失礼だからね?!」
「まぁ、知らなそうだよな」
ギルは背中を向けたまま笑った。
「…ギル…本当に…そうやって笑うのも失礼だからね…」
なにさ!ギルだって人の事、言えないでしょうに!
「まぁ。バレたらムーンボウに来たらいい。そもそも、長居する気ないだろ?」
「…そうか…。それでもいいかな?」
「ああ!もちろんだ。いっそ今からでもいいけど、それだとお前の師匠を助けらんないからなー」
ギルは床にあぐらをかいて座り、体をゆらゆら揺らしていた。
「しっかし、金持ちってスゲーな。この部屋だけで何人寝れんだか…。その辺のもん、もらっても、わかんねぇんじゃね?」
目に入るもの全てが金目の物でしか無い。1つ無くなっても気付かないんじゃねぇの?
「……ギル…」
しかし、ニルは深刻に咎めた…多分。声からして。
「じょ、冗談だよ。まだか?」
そう言って俺は狙っていた小物入れから目をそらしてごまかした。
「いえ…。あ。もちろん泥棒はやめて。そうじゃなくて…その…背中のボタン、とめてくれない?」
背中の向こうで聞こえた深刻そうな声は、それが原因か。
振り向けば、漆黒の黒髪を前に流した女の白い背中が見えた。
「……えーと…」
いいのか?これ。
「頑張ったんだけど…さすがにこれ以上は無理だった…前の衣装は前でとめるタイプだったのに…」
確かに。頑張ってとめたんだろう。後ろ手で届く所はとまっていた。
「時間かければまだいけそうだけど…腕がつりそう…ここで時間取ってられないでしょ?」
「…わかった。急ごう」
うつむいて大人しく待っているニルの背中のボタンをとめていくと、心配になった。
「お前…マジで、危ないんじゃないの…?」
最後のボタンをとめた時に呟けば、ニル…いや、ニーナは黒髪を払ってニルの着替えを袋に詰めた。
「え?何が?」
その顔が妙に清々している。
「いや…何がって…お前、学校って…男だけだろ?」
「そうそう。もー、カツラとサラシで窮屈なんだよね。これ無いとホント、スッキリ楽だよー」
ニーナは笑ってサラサラと流れる黒髪を掻くと、女らしい花の匂いがした。
「よーし、そんじゃ、ギル。行こうか」
ニルの時のような気軽さでニーナに言われると、調子が狂う。
「お、おう…。あ、コレ」
マントを脱いで渡すと、彼女はそれでドレスの色を隠した。
「…それで、どこから出るの?」
広い屋敷から夜陰に紛れて庭を進む。ギルはサクサク歩いていくけど、こちらは女性仕様…しかも、ご丁寧にヒールのある靴だ。どうしても歩くスピードに差が出た。
迷いなく進むギルは出口を把握しているんだろうか?
「……どこがいいんだ?」
しかし、ギルは意外にもそう聞いてきた。
「え?!うそ。アテがあって進んでいるんじゃ…」
迷いなく歩いていたから、てっきりそうなのかと。
「いや。カン?」
やめて。ホントに。
「もー!聞いて良かったよ!そっちは中庭から正面玄関だよ?!」
めっちゃ人がいる所じゃん!!
「こっち来て。ここからなら搬入口から出よう」
ギルに手を差し出し片手で方角を指差せば、ギルは、さも自分が案内しているかのように踵を返して私の手を引いて歩く。
「あ、待って…」
早いんだよギル。こっちは足元が悪いんだって。しかも暗すぎる。庭を荒らして無いかなぁ。ギルは無頓着だから…。
「ニーナ?どした?」
私はギルに声を出さないように合図して、一旦、手を離した。
手の平に光が集約する。目立たないように小さい光玉だ。光が生まれるとすぐに、光が逃げないようにそっと手で覆うとハンカチで飴玉のような光玉を包む。出来たのは淡い光を放つ簡易的はランタンだ。
「足元照らすにはいいでしょ?」
ハンカチを結び、逆さまにしたてるてる坊主みたいにして持てば、ちょうどいい。
ギルは私の手を取って裏口へ進む。
「……?」
ふと、遠くの方で名前を呼ばれた気がして振り返った。
だが、風が通り抜け、雲から月が出ても、庭には誰もいないようだった。
私はギルの手に引かれ庭を抜けて裏口を出た。
裏口を出ると、ランスが馬車を背に寄りかかって待っていた。
「ちょうどいい所に出たな」
ギルは笑った。私の手を引き馬車を目指す。
「ギル!よし。連れてきたな。…なんだ?ギル、おまえやたら小綺麗な格好してんな?」
ランスが私達に気付き、馬車の扉を開ける。
「へへ、まぁな!楽勝ー。楽勝ー」
私に続きギルが馬車に乗り込んだ。
「よし。じゃあ、出すぞ」
そう言ってランスは自ら手綱を取って馬車を走らせた。カタカタと揺れて馬車は進む。光玉に照らされる馬車内を見回せば、その馬車は一般用の馬車で座面も木製だ。
アイティールの馬車は座面も内装も一級だけど、コレが一般的な馬車なんだろうな…。
「おい、ニーナ。明かり消せ。お前の色が見えたら厄介だろ」
ギルが車内で光る私の光玉を見て言った。
あぁ…じゃ、じゃあ、中止します。
光を消せば、馬車の外に掲げられた光玉だけが車内を薄く照らす。
「この馬車って…?」
「ああ。借り物だ。バーディーがスポンサーに言って用意した」
「…ねぇ、ギル。今日の…そのスポンサーってどういう人なのかな?」
「俺も詳しく知らないんだよな。ランスなら知ってんだろ」
そう言って、ギルは馬車の前方にある小窓を開けた。それは御者と連絡を取る為の窓だ。
「ランス。今日の客ってどんな客か、だってよ」
「バーディーの知人関連だ。人数は多くない。主人にはまだバレたくないからな」
…主人…?
「…え?バーディーって結婚してるの?」
「は?」
「いや…主人って…」
「………」
私の言葉にギルもランスも無言になった。
「いや、そうじゃなくて…」
ランスはチラリと肩越しにこちらを見た。
「…まぁ、その…親父みたいなもんだ」
ランスがそう言うと、ギルは「親父ねぇ…」と呟いた。
馬車が止まり、降りた先は商業地区にある店の裏口だ。ギルは馬車で待機し、中へはランスが案内した。
厨房の脇を抜け狭い通路を進むと、すぐにステージの袖に出る。光玉が多数光る所を見ると、キチンとしてるのかも知れない。すでにステージではハメルンが曲を奏でている。
「ここで待て。お前は何も話さなくていい。合図をしたら歌って、それで終わりだ」
「終わりというと、戻っていいんですか?」
「バーディーが良いと言ったらそれでいい」
そう言うと、ランスは舞台へ進み出た。
「皆さま、お待たせ致しました。歌姫が到着致しました。どうぞ失われたアルカティアの夜の月をご覧下さい」
ランスの口上に、止まっていたハメルンの演奏が、リハーサル通りの伴奏を奏でる。
…なんか…緊張するな…。
舞台の袖の薄暗さは明るい舞台へ一歩踏み出すのを引き止める。
躊躇う私に、舞台からハメルンが頷いて見せた。
…こう言う時は観客は見ない方がいい。リハーサルだと思っていこう。
私はハメルンに向かって進み、舞台に歩みでた。
ザワッと息をのむ空気を感じる。だが、それだけだ。確かに人は少ない感じがする。
リハーサル通り、夢の中の曲を歌う。ハメルンの流れるような弦楽器の音色は旋律は美しく、それを奏でるハメルン自身がとても楽しそうだ。
今回の伴奏にあたり、彼は何通りかのテンポを作ってくれたが、その中で夢の中の旋律に1番近いものを選び、足りない間奏部分の所は何度も打ち合わせをした。
だいぶ…いや、原曲として単一の楽器で演奏する分には、ほとんど再現出来たんじゃないかな?
ハメルンに歌詞の内容を聞かれた時、そう言えばずっと見てきた夢の中と、ここが言語が違う事を思い出した。
学校の日記にも書いたこの言語だけど、私の夢…日本語という言語は、きっとこの世界ではどこにもない言語じゃないかなぁ…。
1番を歌い終わると、ちょっと余裕が出て観客に目を向けた。
舞台以外は薄暗い店内に、丸いテーブルがいくつか…そこに座るのはレムリア人の身なりのいい中年男性が4〜5人と、バーディー。見るからに貴族のオケアノス人が1人。後方にはそれぞれの従者とランスが控えている。
2番を歌い終わった時、ハメルンは演奏を終曲へと導き丁寧に弾き終えた。
シン…とする店内。
不安になってハメルンを見ると、彼は満足そうに頷いて見せた。
「……これは…本物だ……」
不意に、男の震える声がした。その隣にはバーディーが着飾って座っている。
「本物の…アルカティアだ…!」
その男はレムリア人特有の茶色い目を見開いて私を凝視している。まるで幽霊でも見たような顔だったが、やがて喜色にみるみる顔が高揚する。
「素晴らしい!!」
1人のレムリア人の男が立ち上がって喜ぶと、口々に「コレは驚いたな」「まさか本物とは…」「信じられん…」と感想を述べている。
「いくらだ?」
不意に金髪のオケアノス人の男がそう言った。
「いくら出せば良い?」
「当初ご説明しました通り、この者は売り物ではございません」
バーディーが静かに言った。
「…よく出来た偽物かと思っていたが、本物ならば話は変わる。言い値で買おう」
「それこそ、ご冗談を…他の方は卿の独占を納得なさいませんでしょう?」
バーディーが水を向けると、レムリア人の男達は頷いた。
「その通りだ」
「1人だけ儲けようっていうのか?」
「それは認められないな」
「そもそも、一番信じていなかったのでは?」
次々と貴族の男への不満が並んだ。
「こんなものを見せられて、諦められるものか!」
「残念だったな。規定は規定だ」
「…では、それぞれが交代と言うことか」
「そうだな…しかし、日毎で変われば…」
「そちらも、最初に申し上げた通り、週末の限られた時間のみです」
バーディー言葉に中年男達が不満そうに眉をしかめる。
「そ、それはなんとかならんか?」
「こんなにインパクトのある者を…週末だけと言うのは…」
「…だからこそ。幻のアルカティアの夜ですよ?そうそうお目にかかるものではありません」
バーディーの言葉に全員が押し黙った。
「それでは、もうよろしいですね」
「待て。もう一度。もう一度、聞かせてもらおう。驚く事が多過ぎだ」
貴族の男がそう言うと、レムリア人達も頷いた。
「…それでは、もう一度だけ。ハメルン」
バーディーの呼びかけに、ハメルンが演奏を始める。
そうして、一曲のはずが二曲歌って帰る事になった。
なんだか…ムーンボウはムーンボウで…事情がありそうだ…。
「アイティール!」
自分を呼ぶその若い女の声に、アイティールは社交のスイッチを入れる。長年培われた慣れた感覚だ。
目を向ければ、青いドレスを着た女が、さも期待を込めた目で自分を待っている。
流行の衣装で身を飾り立て、化粧に彩られた顔に、紅が引かれた口が話す事は、呆れるほど中身が無い。
自分がいかに他よりも美しく咲いているかと競う姿は、花がしぼむまでの虚栄だ。
「リリス。よく来てくれたね。疲れてはいないか?」
社交辞令の通り、笑顔で彼女の右手をとり、その手の甲に口づけする。
「いいえ。あなたに会えるんだもの。疲れなんて感じないわ」
自慢気に微笑む女は、多少の面倒も将来への投資だろう。
「ありがとう。リリス」
笑顔の仮面はどんな時でも便利だ。彼女はため息を吐くように言った。
「ずっとあなたに会いたかったのよ?」
その言葉に彼女を抱きしめて「手紙を読んだよ」と事実を言った。
「父上も君に会いたがっているよ。行こう」
完璧な笑顔のもと、躊躇いなく彼女の腰を抱いて案内する。
咲き誇る無数の花から一輪、決められて手渡されれば、後は花瓶に入れておけばいい。
パーティーの挨拶前に、2階の客間でリリスと両親が互いの家の事を話している。特に、父との話が終わり、母との話となると会話の内容は、自分には鳥が鳴いてるくらいにしか聞こえない。
部屋の中の色彩に疲れ、窮屈になって何気なしにバルコニーに出て風にあたった。夜風が心地いい。
…ニルがいたら彼女を見てどう思うだろうか…?
思いがけず彼からどんな女性かと聞かれた時、アイティールにはリリスがどんな女性か説明出来なかった。
と言うよりも、これと言った会話の内容が思い出せない。
花は花だ。そこになんの感情も浮かばない。
…自分は…冷たいんだろうか…?
女性との接し方はわかっても、そこに感情が伴わないのはなぜなのか…。
「もー!…良かったよ!そっちは…だよ?!」
アイティールの耳に聞き慣れた声が所々に風に乗って聞こえた。
…ニル?部屋から出てきたのか?
バルコニーから目をこらして暗く広い庭からその姿を探す。
「こっち来て。ここからなら搬入口から出よう」
風向きに丁度、彼の声が届いた。その方向を見れば、さして遠くない所に2つの影があった。
誰かの手を引いているのは恐らくニルだ。
そこに、相手がつまずきそうになる。その様子からニルが手を引く相手は男では無いとわかった。
…まさか…魅了の魔法にかかったのか?
アイティールは思案した。ニルが黒竜にいけば師匠の石化問題になんらかのヒントを得るかも知れない。
手元を離れられては困る。
どうする?クスト・ラケルを呼ぶか?
そう思った時、「ニーナ」と聞こえた。
ニルの連れた者が、その手から光を生み出した。
突如現れたその小さいながらも白銀の光は光玉だ。その光玉に照らされ2人の姿がハッキリと見えた。
ニルと…その連れの者は…光に照らされても漆黒の瞳。夜の闇に艶やかに光る長い純粋な黒髪。
その手に生まれた光玉に微笑むその顔はニルと似ていたが、紅の乗った唇に長く流れる髪は間違いなく女性だ。
女性で光玉を作る者をアイティールは初めて見た。
その者は光玉をそっと両手で包む。そして自ら作った光玉を布で包むと、ランタンを作ってしまった。
その手腕にも驚いた。
ニルは彼女の手を取り、裏口に向かう。
その姿に、もう戻ってこないのでは無いかと焦り、バルコニーからニルの名を呼んだ。
しかし、振り返ったのはニルではなく、ニルに似た黒髪で漆黒の瞳の娘だ。
風が吹き抜け、雲が流れて月が出た。
月明かりで見たその少女の面影と雰囲気に、アイティールの中で今までにない感覚と、カチリと何かが動くような音が聞こえた気がした。
2曲披露した所で、約束通り私はステージからはけた。
元来た道を進み、馬車に乗る。あとからランスが馬車に追いつき、御者をしてくれた。
「どうだった?」
馬車で待っていたギルが、私に聞く。
「うーん…なんかさ…規定とかって…何?」
「ああ。商会の規定だ。商売をする上での決まり事だな」
ランスが手綱を握りながら言った。いつの間に小窓を開けたのか。
「おまえの事、絶対、気に入るだろうとは思ってたぜ。あとは売り出し方だな!」
「とりあえず、今日のところは成功だな」
ギルもランスも機嫌が良かった。
馬車は再び、アイティールの屋敷の裏口に到着した。
「…それじゃ、僕はこれで」
着替えの袋を抱えて馬車を降りれば、ギルが「部屋まで送るぜ?」と言ってくれた。だが、それも目立つ。
「いや。いいよ。僕が女性と密会してると思われても困るし」
苦笑して断り、私は馬車を降りた。
「じゃあ、また週末な」
ギルとランスはそう言って馬車を進めて帰って行った。
2階の自室へ戻るには、窓から入らなくてはならない。
…その前に着替えないとな…。
しかし、出てきた裏口はすでに施錠されていた。
あー…見回りされたかぁ…。
仕方なく靴を脱ぎ袋に入れると、高くそびえる壁をヒョイと仕法で登った。
登った向こうは場所が悪く、暗闇に広がるのは確かバラの生垣だ。
ここに着地すれば足はえらい事になるだろう。
塀の上をトコトコと裸足で走りバラが咲いていない場所を見つけて、フワリと着地する。裸足に芝が気持ちいい。
さらに小走りで屋敷の裏口に近付いた時、私は衝撃の事態を思い出して立ち止まった。
そうだ!!…背中のボタン!!
誰が外してくれるんだろうか?
「(あわわわわ…!)」
人間、相反する気持ちで慌てるとその場で足踏みしちゃうもんだな。
いや、まさに進むか退くかの瀬戸際だ。
とは言え、もうギル達の馬車はだいぶ離れてしまっただろう。万が一黒竜がまだうろついていたとしたら、仕法で追いかけるのは選択肢として選べない。
お屋敷の…メイドさんとか…?
いや、しかし…この髪で明るい所にいくのはマズイ…。
…ううううう…困った…!!
「君」
「!?」
暗い中、庭で思案していると急に声をかけられて、身が縮んだ。
「君…そんなとことで何をしている?」
いや、待て。この声は…クスト先輩だ!!
私は慌てて背を向ける。幸い雲で月は隠れている。この暗さなら誰かも、色もわからないだろう。
いやダメだ!クスト先輩に光玉を作られたら一発アウトじゃないか!!
「………君、名前は?」
訝しんで近付くクスト先輩の気配に、私は何か都合のいい話はないかと頭をふる回転させる。
「…あの…お願いが…あるのですが…」
意識して、かよわーい女の子の声を作った。
「…お願い?」
「転んでドレスを汚してしまいました…着替えたいのですが…背中のボタンが取れないのです…」
「……」
「申し訳ありませんが…手伝っていただけないでしょうか…?」
「…い、いや…それなら人を呼ぶから…」
「困りますッ…勝手に出歩いたのに…怒られてしまうの…他の人に泥だらけの惨めな所を笑われたくありません」
「しかし…」
「私の手の届く所までで結構です…人に見られたら困ります…暗いうちに…早く」
「いや、でも…」
「困ってるんですッ…早くして!」
うつむき、背中で急かして訴えればクスト先輩は暗い中、渋々ボタンを外してくれた。
1つ、2つ、3つと外れると、月を覆った雲が流れていくのが見えた。
ヤバイー!!先輩!…早くしてー!
心の中で先輩の尻を叩く。体がソワソワしてしょうがない。
ようやく背中の半分下まで外れた所で、「ありがとう」と言い捨てて私は裏口に飛び込んだ。
雲が月から抜けた間際だったと思う。これはセーフでしょ?!
抱えていたマントを羽織り、廊下を進むと手近な部屋を探して入る。暗い室内は誰もいない。鍵をかけて大急ぎで衣装を脱いだ。抱えた袋からニルの服を取り出し、着替えていく。
黒髪をまとめてしっかりとカツラにしまい込み、ピンで固定する。ドレスは乱暴に袋に突っ込んだ。
これでいいかと、鏡を覗けば…ニルの格好で紅の引かれた口が…
「あっぶな…!!」
丁寧に拭い取る。
今度こそ、鏡には少年ニルが映った。
おし!!部屋に戻ろう!
ドレスの入った袋を手に、窓から出ると人の気配が無いのを慎重に確認し、自室の階下から開けて出た窓に向かって仕法でピョーンと飛び上がった。
窓枠を這い上がり、部屋に戻れば任務完了だ。
「はぁー……なんとかなった…」
ホッとして、ベッドにバフっと倒れこむ。
バーディーに…後ろ留めのボタンだけは反対しなくては…。
黒竜を恐れているクスト先輩の事だから、女性と見れば罠として、応じずに他人を呼ぶ事も十分想定内だったけど…それならそれで逃げるなり出来たし。
はぁー。助かったわー…。しかし、クスト先輩、めっちゃ不器用じゃない?ボタンくらいちゃっちゃと外せるだろーに…。
ワザと遅らせて罠かどうか様子を見ていたのだろうか?
…他意が無いのを示すためにあえて素っ気なくしたんだから、きっと先輩もホッとしてるよね。
「あ〜〜…疲れた…」
ニルになったり、ニーナになったり、スレイプニルになったりと…体が足りない。
…こんなの、早く終わらせないとな…。
いずれも偽りだ。
…やっぱり、黒竜の本を読ませてもらおう…。
もう、躊躇していられない。粛々と進めなくてはならないだろう。
ベッドでゴロゴロしていると、部屋の扉を慌てて叩く音がした。
「すーぷー!無事か?!」
クスト先輩?
慌てて扉に行き、ドア越しに確認した。
「あれ?先輩…どうしたんですか?」
「すーぷー!おまえ、女に会わなかったか?!」
「え。えーと、僕はずっとココニイマシタノデ…」
我ながら嘘は上手く無いのかも…声が片言になってしまう。
「…すーぷー…まさか…おい!開けろ」
「え。ドアですか?良いですけど…」
言われるがまま鍵をあけて扉を開けば、クスト先輩は私を見て部屋に入って見回した。
「…な、なんですか?」
何かを探している先輩は、クローゼットに近付いて開けたりベッドの下を覗いたりしている。
…ベッドの上にある布袋の中身はドレスが入っているから見られたく無いのだけれど…
ヒヤヒヤしながらも、ここで隠せば「これが怪しいんで見てください」と言っているようなものだ。
「ど、どうかしました?」
「…すーぷー…光玉、作れるか?」
クスト先輩は心配そうに言ってきた。
「え。光玉?どんなのですか?」
「何でもいい!」
何でもいい?うーん、そう言われると困るんだよねぇ…。
「えー…今の気分はどんな感じです?」
「…おまえ…ふざけんな?」
クスト先輩はイラついているようだ。
な、なんで?
「えーと…じゃあ…うーんと…」
気持ちを落ち着けるようなのがいいな。
思い付いたまま具現化すれば、コロンと光を宿さないただの玉が手のひらに転がった。
「?!…おまえ…まさか…!!」
息をのむクスト先輩。その瞬間、光らなかった光玉はフワーと淡い光を放った。
「…え…?」
クスト先輩が凝視すると、光は再びスーッと消え、またフワーと灯る。
「先輩、これどうです?呼吸してるみたいに光る光玉。かわいいと思いません?落ち着きました?」
淡い光が緩やかに点滅すると、生き物のようで癒されるかなーと思った。
クスト先輩の手にその光玉を乗せると、クスト先輩は淡くゆっくり点灯する光玉を凝視して沈黙し…
「…………すーぷー…」
穏やかにフッ…と笑うと
「紛らわしいんだよ!おまえは!!こんなもん作りやがって!!」
と、私の首をヘッドロックした。
「うわああー!!な、なんでですか!!僕は先輩を落ち着かせようと…!」
「うるせー!!脅かすなんて良い度胸だ!!」
「お、脅かす?僕が?なんでですか?なんでもいいって言うから先輩が癒されそうなの作ったのに!」
「おまえが黒竜の罠にハマったのかと思ったんだよ!無駄に才能使ってんじゃねぇ!!」
ええ?!試したの?!…ひ、ヒドイ…!
クスト先輩が私の首を締めていると、屋敷の外が賑やかになった。パーティーが終わり人々が出て来たのだろう。
「無事に終わったか…いいか!すーぷー!明日も気を抜くんじゃ無いぞ!」
そう言って先輩は光玉を握ったまま帰って行った。
一緒に部屋を出て、玄関ホールの階段上で先輩を見送った後、パーティーが終わって、楽しそうに話す人々の会話と様子を何となく見ていた。
「アイティール…大丈夫?…やはりどこか悪いんじゃないの…?」
出て来たのはゲストを見送るアイティールと、青いドレスの美女。彼女は心配そうにアイティールの隣に立ち、彼のその頬に触れていた。
「リリス。構わないでいい」
アイティールは疲れているのか、最初の時と比べて笑顔がない。
そして、最後のゲストを笑顔で送ると彼女の腰を抱いて
「さぁ、君も帰る時間だね。送ろう」
と促した。
「アイティール…やっぱり心配だわ。あなたに何かあったら私…今日はここにいさせてくれない?」
美女は心配そうに彼の胸に手を当てた。
ふと、アイティールがこちらに気付いて目があった。けれど、彼はまるで壁でも見たように視線を外して、彼女を見る。
な…なんか…感じ悪いな…。
そのアイティールの態度に、居場所を失った気がした。
思えばここに滞在しているのも、元々は彼の好意だ。衣食住を都合してもらっているのに、私は何の役にもたっていない。
……そうだよねぇ…。
彼には彼の人生があるわけだし…いつまでも厄介になるのは、やはり図々しい話だろう。
…お金を稼いで自分で生活しないとな…。
まずは身を立てなくては暮らせない。
…とりあえず…今日はおとなしく寝るか…。
こんな気持ちで夕飯をもらう気にもならない。私は自分が情けなくてため息が出た。
部屋に戻る途中で、誰かの鳴き声が聞こえた。それは嗚咽をもらすような押し殺した声だ。
……誰だろう…?
ゲストはほとんど帰ったはずだ。部屋のドアは閉まっている。
メイドさん…?
いじめられたりしたんだろうか?それとも、何かミスでもして怒られたんだろうか…?
その声があまりにも辛そうで、悩んだけど…そっと扉に手をかけた。
鍵は閉まってなかった。しかし、部屋は真っ暗だ。
「…誰かいますか…?」
そっと声をかけると、泣いていた声はピタリとやんだ。
「誰よ!?」
その幼いヒステリックな声でわかった。
あー…あのお姫様だ。
「…あ…ごめん…僕だけど…」
ムクリと人影がベッドで起き上がった。
「出てって!」
「…何かあったの…?」
「うるさい!!あんたに関係無いでしょ!!」
「…う、うん…まぁ…そうなんだけど…どうかした?」
「うるさい!うるさい!」
枕が飛んできた。それも、2つ、3つ。手当たり次第に。
「…危ないなぁ」
いくら枕と言えど…人に物を投げつけるなんて良い癖じゃない。
真っ暗な部屋に散らばった枕を集めるのに、私はオレンジ色の光玉を作った。
あんまり刺激しないように弱い光にしたけど…。
手元の光を頼りに足元に転がった枕を拾い集める。
「お姫様は枕を使わずに寝るのかな?」
ベッドに近付くと、弱い光に目を真っ赤にした少女がこちらを睨んでいた。
「あんた…。何よ、それ」
不満そうに言う少女だが、好奇心が優ったようだ。光玉を見て聞いた。
「…光玉だけど?」
「知ってるわよ!それくらい!私が言ってるのは、その色よ!」
興奮する少女に、私はベッドに枕を置いて答える。
「僕はオレンジ色の光玉が好きなんだ。これだとあんまり眩しくないでしょ?」
暗い中で、そこだけ浮かぶ光はとても穏やかだ。
「……そんなのしか作れないわけ?」
バカにしたように言う少女。
「そういうわけじゃないけど…なんなら明るいの作る?」
「いらない」
プイと青い目をそらす少女。
あはは。さっきのアイティールみたいだけど。こっちは子供っぽくてかわいいな。
「…なによ?」
「いや…」
さっき、似てるって言うと怒ったからなぁ。
「レディーの泣き顔を見て笑うなんて失礼でしょ!!」
「あ。そうだね。…確かに。じゃあ、僕はこれで」
あっさり身を引けば、「待ちなさいよ!」と引き止められた。
「…はい?」
「それ。もらうわ」
当然とばかりにそう言って、光玉を見る少女。
「ああ。いいよ。こんなんで良ければ」
それは何の仕掛けもない光玉だ。それをガラスで出来た見事な作りの照明受けに入れた。
「…ねぇ。あんた、そもそもなんでここにいるの?」
オレンジ色の光を見つめて、少女は聞いてきた。
「…なんで…かなぁ…?僕も、よくわからない…」
それは今さっき感じた疑問だ。
「はぁ?なによ、それ」
「そもそも…僕と、アイティールが会ったのって、本当に最近なんだよね…」
「…あなた、タカリ?」
訝しんで言う少女に、戸惑う。
「たか…いや、そんな。まさか」
たかりなんてすごい言葉を知ってるな…。
「お父さまが言っていたわ。この世の中には高貴な血に群がる、犬と、豚と、虫がいるって」
「…そ、そうなんだ…」
「あなたは…お兄さまの犬?」
「…僕は僕だ。アイティールとは友達だよ」
私の言葉に少女は目を丸くした。
「友達?…そんなのおかしいわ」
「どうして?」
「だって、あなた雑種じゃない。友達っていうのは対等な身分でしょ?」
「…身分で友達を選んだらつまらないよ」
「ふーん…でも、身分の違う者と対等の話が出来るのかしら?」
「少なくとも僕は話が出来てると思うけど…」
「どうだか。お兄さまがあなたに合わせているのかも知れないじゃない」
「…ああ…まぁ…そう…なのかなぁ…?」
そう言われると自信は無い。
「ハッキリしないのね。あなた。いいわ。じゃあ、私が決めるから。何か面白い話をしなさいよ」
「ええッ…」
無茶振りするなぁ!
弱いオレンジ色の光が灯る室内はベッドサイドしか灯さない。
私は足置きを引き寄せて座ると、白いワンピースの夜着を着た少女に言った。
「…じゃあ、話をするけど…1つだけだよ?」
「面白かったらね。つまんなかったらやり直しよ!」
そう言って少女はベッドの布団に入った。
何の話をしようかと考えて…子供を寝かしつけるには、おとぎ話が良いだろうと夢の中の物語を語り出す。
内容は、傲慢さが原因で獣にされた王子様の話。タイトルは「獣王とバラ」
この世界では聞かない話だと思うけど、話を進めていくと少女は素直に興味を持って聞いていた。
「…『死なないで。あなたを愛しているの』そう言ってバラ姫が涙を流した時、獣王の体は光に包まれ人間の姿に戻りました。バラ姫の真実の愛で魔法が解けたのです。そうして、人間に戻った王はその後、良い王として人々から尊敬され、バラ姫と幸せに暮らしました…」
「………」
物語を語り終えると、少女は無言で瞬いていた。
「…おしまい」
「………獣王は…愛してくれるバラ姫に出会えたのね…」
ポツリと少女が言った。
「…そうだね。獣王は元々は優しい人だったと思うよ?」
「私もそう思う!」
パッと身を起こして同意する少女の目はオレンジ色の照明に輝いていた。
その子供らしい姿に自然と顔がほころぶ。
少女は気まずそうに身を横にして、ため息をこぼして呟いた。
「…羨ましい…」
「そうだね。分かり合える人を見つけられた人は…とても幸せだね」
「…私にはいないわ…」
呟いて、その青い目に涙が浮かんだ。
「どうして?」
「知らない。お父さまもお母さまも…誰も私を愛してくれない…」
「そんな事はないと思うよ。見えないだけの事もあるから…」
「私はずっとそばにいてくれる人がいいの」
そう言って、苦しそうに身を固くして涙を流す少女に、胸が痛んだ。
普段のワガママはきっと、自分に目を向けて欲しいからだろう。
子供には、常に側にいて無条件で愛情を注いでくれる親が必要だ。そして、本気で向き合い叱ってくれる大人も。
広い屋敷で、たくさんの大人がいるのに、誰一人、彼女と本気で向き合わない。なだめたり、ご機嫌取りは出来るけど、彼女を本気で叱れる大人はいなかった。
「…いつか…君を心から愛してくれる人と、出会えるといいね」
静かに泣く少女の金髪を撫でた。
「そんな人、いない」
ぎゅっと布団を握る少女。
「わからないよ?バラ姫だって、最初は怖ろしい獣王が人間だって知らなかったんだ。獣王だって、バラ姫を信じてなんかいなかった。でも、お互いを知って惹かれあった」
「………」
「でも、そのためには自分の心を磨いて、相手をわかろうとする努力もしないといけないね…魅力のある人って、見た目だけじゃないでしょ?」
「………獣王は…良い王になった…」
「…側にいてくれる人が良い人だったからね」
「…………」
「さぁ。これで僕の話はおしまい。おやすみ。お姫様」
少女の髪を梳いて、立ち上がれば手を握ってきた。
「………面白かった」
不承不承と言った顔で言ってきた少女に、私は笑って「光栄です」と言って、ベッドを離れた。
部屋の扉はあえて少し開けておいた。男性が女性の部屋に入る時はそうするのがマナーだとロキさんに教えられたからだ。
部屋を出て扉を閉めれば、壁にもたれかかってアイティールが立っていた。
「うわぁ!ア、アイティール…いつの間に…」
いつからいたの??
「……ニル……」
「う、うん?」
「光玉を見せてくれないか?」
光玉…いや、廊下も明るいですけど?
「なんの?」
「…なんでもいい」
これって、さっきのクスト先輩と同じ…ああ、そう言う事?…え。でも、まさか…私が君の妹に…いやいやいや、アイティール君、いくらなんでもそんなバカな。
「じゃあ。はい」
自らの証明の為に出す光玉はシンプルだ。
「…わかった。もういい」
アイティールは光玉を見て、ため息を吐いた。
光玉をキャンセルして私は苦笑した。
「いくらなんでも、君の妹に僕が変な事はしないよ」
「……どこに行ってたんだ…?」
アイティールは青い目を向けて聞いてくる。
「…どこって…」
この部屋?
「屋敷を出ただろう?」
ギクリ。
「え。まさか。僕は別に…」
自然と目をそらしちゃう。
「相手は誰だ?」
「あ、相手?!…誰の事?」
「女性だったはずだ」
それ、僕です。とは言えない。
「えぇー…?見間違いじゃないかな…僕は別に…やましい事はしてない…し…?」
え。っていうか、なんで?アイティールはパーティーで忙しかったはず…。
「ニル…君には弟がいるそうだな」
「ああ。うん…それが?」
「…………」
え。なんですか?ロスの事、何か情報でも?
「…姉か、妹もいるんじゃないか?」
「いないよ」
夢の世界じゃいるけど。
「…………」
え?何?何が言いたいの?
「そ、それより、アイティールは忙しいでしょ?その…婚約者の人も」
「リリスはいない。帰したからな」
「え。帰したの…?どうして?」
あんなに心配してたのに?なんか…つれなくない?
「……そんな事より、さっきの話は本物か?」
「え?なにが?」
キョトンとして聞けば、アイティールは妹のいる部屋を見た。
「ああ。獣王とバラの話?…いや。残念ながら作り話しだよ」
「君の?」
「う、うーん…まぁ…いろんな事の複合というか…って言うか、聞いてたの?」
なんか恥ずかしいんですけど…。
「…面白い話だった」
真剣に答えるアイティールに、戸惑う。
「…ど、どうも…光栄デス…」
なんか…今日のアイティールは…婚約者に言う通り、お疲れなのかも知れない…。




