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眠りの神と夢見る子守唄  作者: 銀河 凛乎
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第1章 それで…それが望んだ結果なの?

プロローグ


目が覚めると、母はベッドに居なかった。

部屋はまだ暗く、窓からはわずかな月明かりが部屋を照らしている。

広く無い部屋を見回しても母の姿は無く、ベッドから身を起こすと窓の外の奥の方に誰かの持つランタンの灯りが一つ見えた。

何の根拠もなく、小さな体で部屋の扉を開け、玄関の扉を開け、外に出る。

夜風が髪を撫で、月は雲にかくれたが、素足はヒンヤリとした地面を感じながら灯りを目指して歩いた。

女性の声が風に乗って切れ切れに聞こえてきた。話の内容はわからないが、それは一方的で段々と怒りを増していって、最後の方は叫びに変わった。

怖かった。普段、寝ている時間に外に出ていて、周りが暗闇だった事を今更ながらに思い出す。

母を求めて呼ぶと、ランタンが激しく動き女性の悲鳴と共にランタンが地面に転がって火が消えた。

再び夜風が吹き付け、静かになったその場が月光に照らされると血で真っ赤に染まった母が倒れていた。

「…お母さん…お母さん…どうしたの?」

どうしていいのかわからなくて、母にすがって泣いた。

「あ…ああ…ヴィナ…私の可愛い子…。あなたを残して逝けない…」

母の黒い瞳に強い光が宿り、振り絞るように誰かを呼んだ。知らない名前だった。

やがて、いつからいたのか、どこから現れたのか、音もなく壮年の男が母の側に立っていた。

鋭い瞳が月光にやけに目立つ男だった。

「……どうか…お願い…この子を…私…の子を守って…」

「……勝手に居なくなって、お前はずいぶんと勝手だな…また、私を置いていくのか」

「…ごめんなさい…私には…もう…」

母の声が今にも消えそうで、私は母を呼んだ。何度も何度も。

男は忌々しげに眉を寄せて私に問う。

「おい。お前。歌え。…歌えるのか?…お前の母親が歌っていた歌だ」

私は母を失う恐ろしさに泣く事しか出来なかった。

「…ヴィナ…お母さん…に子守唄…歌ってちょうだい……」

母は微笑んでいた。その顔が眠ったら治ると言っているようで、私はしきりに頷き涙を手で擦ると母が歌ってくれていた子守唄を歌った。毎晩歌ってくれたから一番間違えずに歌える歌。

どこからか金色に浮かんだ淡い光が、雪のように無数に漂ってくる不思議な歌。

母が元気になるように、たくさん眠れるように一生懸命歌った。

金色の淡い光はこんこんと降り注ぎ、周囲を暖かな昼間のように照らした。

「…フン…上等だ。…叶えてやるよ…こんな身勝手な願いでも…。叶えてやればいいんだろ…。おやすみ…パーティシア…」

男は横たわる母の横に膝を付くと、自身の腰にさしていた大きな鳥の風切り羽で母の顔を優しく凪いだ。

母を見つめる男の瞳が瞑目する。

眠りについた母の顔が、人形のように青白くなった。

「お母さん…?」

歌が終わって母に呼びかけても、それから母は二度と目覚める事は無かった。



東の地にあるレームス諸島 長きに渡り戦禍に苛まれたこの島に、彗星のように現れた覇王ゼルディウス。

彼はこの地に眠る神の力を得て、オケアノス人とレムリア人、そして少数民族のアルカティア人の民族対立をまとめ、美しいレームス諸島に平和が訪れた。

覇王は戦乱により疲弊したレームス諸島の統治に力を注ぎ、革新的な新しい政策を次々に発布しては国力を高め、民に安定をもたらした。

民衆は王を崇め、神に感謝した。

長きに渡る民族紛争も、この王の出現とともに鎮静化したのだ。

覇王には、その強い指導者としての器と智力、何より己の身一つで立ち上がった彼と、共に戦ってくれた仲間達がいた。

この地に眠る神の力を得てからも、王は彼らを何よりも貴び、彼らの力を必要とした。

彼らもまた、王を慕い、王を誇りに思った。

王がいる事で民族に囚われる事なく、互いの能力を惜しみなく王に捧げ、レームス諸島発展に寄与した。

しかし、平和は常に絶対的なものではなく、些細な事で失われてしまうものである。レームス諸島においては、彼らを繋いでいた王の突然の昏睡によって…。

王には跡取りがいなかった。

絶対的な指導者の不在は、まとまりつつあった民衆を再び不穏な空気に変え、美しいレームス諸島は再び内乱の危機が迫っていた…。



第1章 「 …それで…それが望んでいた結果なの…?」


晴れ渡った青空に、雲を押し流す風が吹くと周囲を取り囲む木々の葉がザァッと音を立て、古い石造りの民家の庭に咲く小さな花々と菜園の様々な植物も揺れた。

風と虫の羽音と鳥の声に混じり、ジャリっと砂を踏む音が聞こえて、葉っぱの先に登るテントウ虫からそちらに目を向けると、大人の男がジッと自分を見下ろしていた。

「……」

「…おじさん、だれ…?」

見上げて聞いても逆光で顔が分からず、また答えも得られず、視線をずらせば男の後ろにはマントに身を包み、目深にフードを被った自分と同じくらいの身長の子供が佇んでいた。

顔が見えないので近付こうとした時、男が膝を付き私に慎重に手を伸ばした。

「…ああ…パーティシア…この子なんだね…」

「?おじさん…泣いているの…?どうして?」

目線が近付き逆光が消えた時、大人の男の人が泣いているのを私はその時、初めて見た。

金と茶色の間のような色の髪は短く、優しい茶色い色の目には涙が流れていた。

彼のまとう、重厚な衣服は簡素ながら整っていて、どこにも繕った跡は無いけど、ケガでもしたのかと首を傾げた。

「…どこか痛いの?」

母がしてくれていたように、男の大きな手におまじないをすると、男は涙の溢れた目を見開き、私を抱きしめた。

その時、彼の服からは母のクローゼットの匂いに似た香りがしたから

「…おじさんは…お父さん…?」

と、聞いてみた。

その答えは無くても、グッと抱きしめられた力が増したから、そうなのかな。と思う。

「?!誰だい?!…ヴィナ!!」

珍しく慌てた様子で、デボラが家から庭に飛び出してきた。

「!!…あんた…」

デボラは母と私とずっと一緒に暮らしている先生で、私が不思議に思った事や、草や動物の名前から、あらゆる事をわかりやすく教えてくれる。

不審な者に身構えていたデボラが眉をひそめて、男の背後に呼びかけた。

「…パンタソス…」

デボラはこの来客が誰なのかを知っているようだった。

「…今さら何の用だい?!パーティシアはもういない。…まさか今度はその子を連れて行く気じゃなかろうね?」

責めるように身構えるデボラに、男はゆっくり立ち上がり

「いや。…その必要は無い…。今度は…今度こそ、守る」

デボラに向き合い彼は静かに宣言した。

「ハッ!あんたが…?どうやって?」

仁王立ちのデボラは腕を組んで試すような目で見ると、男は無言で連れのフードを目深に被った子供に目を向けた。

「…誰だい?この子は。…あんた、名前は?」

デボラが問うと、その子はゆっくりとフードを外して答えた。

「僕は僕だ。…名前は…知らない…」

その子供の瞳を見つめて、デボラはハッと男を見た。

「…まさか…これは…この子…」

「…デボラ」

「冗談だろ?!どうして?!」

「デボラ。説明する。だから…家に入れてくれないかな」

困ったように苦笑した男は、私の肩に手を置いて私を見下ろし微笑んだ。その時、初めて《弟》が振り返ってその顔が見えた。

白に近い薄い金色の髪に、綺麗な金色の瞳をした男の子だった。




「ヴィナ…?ヴィーナ…ニルヴィーナ」

名前を呼ばれて、ハッと頭を起こせば目の前に心配そうに見つめる父の顔があった。

「父さん」

娘の黒い瞳が瞬いて、うたた寝から覚めたのを確認すると苦笑した。

「まるでコカトリスによって石にされてしまったのかと思ったよ。立ったまま眠るなんて」

コカトリスは本に出てくる怖い獣だ。その吐く息で相手を石にしてしまう。

「ここにもコカトリス、来るの?」

首を傾げて聞くと、父は微笑んだ。

「ここには来ないよ。悪い獣は入れないようになっているから」

「コカトリス、見てみたい」

「ヴィナ。ヴィナが石になっちゃったらどうするんだい?」

「…うーん…やだ」

「父さんだって嫌だよ。こんなかわいい掃除の女神像でも、石になったら抱っこすらできないだろ?」

両手に握るのは箒の柄だ。掃除をしながらうたた寝をしてしまったようだ。

「あのね、よく夢を見るの。それが面白くてまた寝ちゃって…」

「ははは。立ったままで夢までみるのかい?さあ、おいで。ヴィナ。父さんにどんな夢だったか教えておくれ」

仕事から帰った父は上等のコートを壁に掛けると笑顔で、腕を広げた。いつも父は仕事で数日家をあけると、帰宅には決まって離れた時間を惜しむように私を抱き上げる。

「おー。ヴィナ、大きくなってるなー!」

ギュっと父に抱き抱らえると、ふわりといつものいい匂いがする。以前、何の匂いか聞いたら仕事場の匂いだと教えてくれたけど、具体的にはわからなかった。

「デボラは出掛けたのかい?」

「うん。お買い物。ねえ、父さん、私もお買い物に行きたい」

父に抱き抱えられたまま、お願いすると父は「うーん」と困った顔で唸った。

そのまま父さんは椅子に座ると、私を膝にのせたまま私の頭を撫でる。

「…あれから…5年…ヴィナも9才だからなぁ…」

「うん!いいでしょ?」

期待に自然と興奮する。

父は何も答えずに、ただ私を見つめて撫でていた手で髪を梳きだした。

「…ヴィナ。父さんはヴィナのこの綺麗な長い黒髪が大好きだなー」

「それ、前も、その前も、そのまた前も、ずーーーと聞いてるよ?」

そんな話でごまかされないからね!

「ヴィナの目も鼻も口も、全部可愛くて父さん大好きだなー」

なんか褒め方、雑じゃない?父さん!

「ねー!お買い物ー!」

「お前に何かあったら…父さん、生きていけない」

ヨヨヨヨ…と、再び膝の上で抱きしめる父に、私は口を尖らせた。

「もーーーー!!お買い物に行きたいのー!!」

「父さんは心配なのーーーー!!」

ダメだこりゃ…父さんならデボラと違って聞いてくれると思ったら…全く話にならないじゃないの!

「ヴィナ。怒っても可愛いなぁ」

ニコニコと(いや、デレデレと)娘を見下ろして、再び黒い髪を手で梳く父は…親バカだった…。

「…父さん、かわいい子には旅をさせろって知ってる?」

ジトっと見上げて言う私に、父は目を丸くした。

「旅だって!?誰だ!そんな無情な事を言うのは!」

「そういう教えだよ。自分の大切な子供でも、守るだけじゃなくて苦労させた方が立派な大人に育つって事」

「…そんな主神の教えは無い。絶対無い。…あったら書き換えてやる」

サラリと胡乱な目で怖い事言う父はかなり重症な親バカなのね…。

「デボラが言ったのかい?旅に出すなんて」

「ううん。言わない」

ホッとしたような顔をして、父は私のおでこにキスをした。

「ヴィナ。外は危ないんだよ。悪い奴らがたくさんいるんだ。そんな中に私の可愛い娘が放り出されたら…考えただけで父さん…」

ちょ!父さん!妄想で泣かないで!ほら!痛いの痛いの飛んでいけー?

「…ヴィナは優しいな」

満面の笑みを浮かべる父…あれ?まさかの嘘泣き?

「いいのかねぇ?大層ご立派な大人が純朴な子供を騙すなんて」

ふいに、ため息ととも呆れた声がした。デボラだ。

「騙してなんかいないぞ。本心だ!」

父は振り返って胸を張る。私は父の膝の上でデボラを迎えた。

「あ。おかえりなさい。デボラ」

「ロスは?ああ、また寝てるんだね」

聞くまでもなかった。と苦笑して部屋に入ってくる。

デボラの持つ籐で編まれた買い物籠の中にはたくさんの日用品が入っている。それをキッチンのカウンターに置き、デボラは荷物を仕分け始めた。

ロスは弟だ。ロスは外で遊ぶよりも、よく寝るのが好きな子供だった。

「ロスったら、ずっと寝てるのよ?あの子、具合でも悪いのかしら?」

私の訴えに、デボラが笑った。

「具合の悪い子供があんな幸せそうに眠るもんかね?腹がすいたら起きてくるし、お大臣様の暮らしだよ」

「子供は眠るのも必要なんだよ。ヴィナだって、立ったまま寝てたくらいに」

髪を手で梳きながら父が笑う。

「またかい?危ないから寝る時は横になりな。と言っているだろう?」

デボラは眉を吊り上げた。

「ごめんなさい…でも…夢を見るんだもん…」

「どんな夢だい?」

父が優しい目で聞いてくるから、得意になって話をする。

「あのね。いつも同じような夢なの。だけど、ちょっとずつ違うの。夢の中で、私は違う女の子で、夢の中の家族がいるの。すごく不思議な世界なんだけど、みんな当たり前に暮らしていて、私も学校って所に行くの。そこで友達も出来て、色んな授業があって、毎日同じようで違うの。まるでもう一つの暮らしがあるみたいなのよ?」

「………」

父の手が止まり、デボラは私を見つめている。

「ヴィナ…さっきの…かわいい娘に旅をさせるっていうのは夢の中で聞いたのかい…?」

「かわいい子には旅をさせろ。だよ。先生が言ってた」

見上げた父の顔は深刻そうで、悪い事が起きたみたいだった。

「…ねぇ、まさかとは思うけど…」

デボラが悪い冗談みたいに父に聞いた。

「………夢見の力だ…」

父は乾いた声で絞り出すように呻いた。それからギュっと私を抱きしめる。

「ああ!パーティシア!なんでこの子なんだ!」

「父さん、痛い」

「…パーティシアの子供だから、だろうね。まさかそれまで引き継がれるとは思わなかったけど。よく考えなくても、あんたとアタシとパーティシアの遺したものが…揃い過ぎてる」

「ねえ、なぁに?」

全く話がわからない私をそのままに、大人達の空気は重くなる。

「………」

「…それで?どうするんだい?」

難しい顔でデボラが父の言葉を促す。

「…ない」

「は?」

ボソリと呟いた父の言葉にデボラが聞き返す。

「少なくとも、私はまだ静観する。時期がきたら…その時は考える。だが、それまでは…まだ…」

悲しそうに私を見つめる父の顔に、私は不安になった。

「…悪いことなの…?」

「…ヴィナ…」

「もう、夢の話はしない。それならいい…?」

許しを乞うのは子供ながらに、この暮らしが終わってしまいそうだから。

「ヴィナ。いいんだよ。悪い事じゃない。お前が不思議な夢をみてもいいんだ。それはお前に与えられた神さまからの贈り物の一つなんだから」

デボラが私達の前に来て膝をついて、私の手を取った。

「贈り物…?」

「そうさ。眠りの神が授けた贈り物」

デボラは力強く笑った。

「…固辞したい贈り物だ…」

ボソリと呟く父に、デボラが剣呑な目で父を制した。

「黙れ。あぶれ鳩」

「!!……」

ショボンとする父にデボラが言った言葉の意味は分からなかったけど、 その言葉は父の心に痛かったみたいだから、痛いの飛んでいけをしといてあげた。

「ヴィナーーーー!!父さん、ずっとずっと一緒だからなー!!」

感きわまる涙目の父にデボラがため息を吐いた。

「いい加減におし!全く…この子が嫁に行くのにも付いて行きそうな勢いだね」

「は?嫁?…ヴィナは渡さん!!」

「うっわ…ほら、それ。そういう所。嫌だねぇ。みっともない」

「みっともなくても構うもんか!」

まるで汚いモノでも見るかのようなデボラの顔と、父の子供のように反発した態度が面白かった。

「………うるさいし。お腹減った」

静かな声なのに、やたらと通る子供の声で全員が声の主を見た。白金の髪を寝癖で乱した子供が金色の瞳をこすりながら、起きて来ていた。

「…やれやれ。お大臣のお目覚めかい。ヴィナ、手伝っておくれ」

「うん!」

父に膝から降りて、いつものようにお手伝い用の布で頭を覆うとデボラのお手伝いをする。

「ほら。あんたも、芋の皮むきくらいしな!」

デボラは、お手伝いに勤しむ娘を愛でまくっていた父に芋を押し付ける。

「…。デボラも、こういう所があぶ…」

「なんか言ったかい?」

「イエ。私に芋を剥かせて下さい…」

「ありがたいねぇ。あんたに剥かれた芋なら、さぞお喜びだ」

デボラ、なんかナイフの使い方が危ないような堂にいってるような…


それから、夕飯を済ませてデボラと家の裏にある浴場でお風呂に入った。デボラはいつも私の髪を丁寧に洗ってくれる。

「…ヴィナ。お前と風呂に入るのも今日でお終いだね」

「!」

「なんて顔してんだい。安心おし。風呂に一緒の入るのが最後ってだけさ。今まで、ついでだから一緒に入ってきたけど、お前も大きくなったしね」

「…うん」

「ほら、流すよ」

ザバッとお湯をかけられて、息を吐く。

半分露天の浴場は、湯船は広くは無いけど夜風と夜空が気持ちいい。

「…ヴィナ。街に行ってみるかい?」

「いいの?!」

お湯の温かさと、思いがけないお誘いに私は興奮してデボラに詰め寄った。

「ああ。だが、それには条件がある。約束だな」

「約束?」

「その前に…」

デボラは私の髪を1束すくって聞く。

「この髪の色が意味する事がわかるかい?」

「…ううん」

「お前の母がそうであったように、黒い髪と黒い瞳の色はアルカティア人の証だ」

「アルカティア…デボラも?」

デボラの髪は左右で綺麗に黒と白だ。目も左右で黒と白に分かれている。

「ああ。そうだよ。私はアルカティア人でも稀な白が混じってるけど…。アルカティア人は、昔から得意なものがあってね…それは人によって違ったけど…概ね、自然と仲良くする力だったのさ」

「デボラがお庭に使うおまじない?」

デボラは庭の植物に不思議なおまじないをする。そうすると植物が元気になったり、大きくなったり、花が咲いたり、増えたりする。他にも、風を起こして木を揺らしたりもする。

「今の世じゃ、ひとくくりに魔法と呼ばれるけれど…アルカティア人が使うのは、仕法と言うのさ。皆それぞれが自然からほんの少し力を借りた仕法を使って、協力して暮らしていた。けれど…アルカティア人は争いが嫌いでね、大陸から渡って来たオケアノス人とレムリア人にあっという間に駆逐されてしまったのさ」

デボラは昔話をするように語っていく。

「もういないの?」

「アルカティア人と他の民族の混血はわずかに残っているが…純粋なアルカティア人は…もう…ほとんど残っていないかも知れないね。ヴィナ、お前もアルカティア人の血が濃いけれど、そこには違う血も入っているんだ…父親のね」

「父さんの」

そこで、デボラはちょっと押し黙った。空を見上げて何かを考えている。

「……。パンタソスは過保護過ぎる阿呆だが、それは愛する者を大事に思う気持ちが強いからだ。まあ…それで色々、こじらせている阿呆なわけだが…」

デボラの声が聞き取れなくて首を傾げると、デボラは改めて星空から私に視線を移した。

「今の時代、魔法は管理され一部の特殊な人間が使えるだけだ。そんな中でアルカティア人の使う仕法は他人が管理出来ないからね…。不思議な力を持つアルカティア人は、もの珍しい珍獣か、はたまた恐ろしい猛獣か…。力を持たない混血は迫害され、力を僅かでも持つ者は道具にされてしまうだろう」

「……」

「街に行けば、よくわかるだろう。だが、そんな中にこの夜の帳のように漆黒の髪と瞳を持つ娘を置いたら…パンタソスの不安はあながち間違いでは無いだろうね」

「……夢を見るのが仕法?」

自分の黒い髪を見ながらデボラに聞く。

「いや。それは、仕法じゃない。夢はみんな見るさ。でも、お前の言う、同じで違う夢を見続ける事は無い。仕法は、お前がロスに歌ってあげる時の物だよ」

「あの降ってくる光?」

「そう。仕法の中でも特殊な…お前の母も持っていたものだ。あれは…あれを我々以外の誰にも見せてはいけない。いいかい、絶対だよ?」

「う、うん…」

デボラが私の腕を掴んで念をおした。

「あれは…使い方次第で、多くの人を不幸にしてしまう…でもね、パーティシアは決してそうならないように慎重に、大事にしていた…。だから、お前も、自分に与えられたものに責任を持たなくちゃならない」

デボラの目が怖いくらいに真剣で…だから私もデボラを見て深く頷いた。

「約束って、仕法を人に見せない事?」

「ああ。…あとは…人前ではなるべくアルカティア人である事や、仕法は特に、隠した方がいい。私もそうしている。無用な争いは御免だからね」

大きく息を吐き、デボラは肩まで湯に浸かった。

「明日からお前に正式に仕法も教える。街に行くのは準備が出来てからになるからね」

「デボラ…ありがとう!!」

街に行ける!仕法も教えてもらえる!

ワクワクして嬉しくて、私はデボラに飛び付いた。

「ヴィナ。湯をかけるな。全く…先が思いやられるよ」

嘆くデボラだけど、その目は笑っていた。


「…ヴィナ。それで…それが、望んでいた結果なの?」

無表情で冷静に語りかけるロスは、ニレの大木の枝に逆さに引っかかっている私を見上げて首を傾げた。

「…言わないで…」

なんとも情けない。

「力の加減が出来て無いね。それじゃ、危険だ。もう少し落ち着いて最後まで丁寧に仕上げないと」

デボラが眉間を揉みながら言う。何度めかの失敗にデボラも、どう教えたものかと思案中だ。

「…ヴィナにこういう仕法は向かないんじゃ無い?」

サラリと批判するロスに、私は聞き捨てならないと逆さまながら反論した。

「ちょ!ロス!そういうのは出来てから言ってよね!!」

「…ふーん…」

デボラの隣で、つまらなそうに言ったロスは目を閉じて一拍、「跳べ」と呟くと、大きく弧を描いて私の引っかかっている枝に難なく、あまつさえ優雅に着地した。

「これの事?」

その造作無い動きは自然で、枝の上から私を見下ろして首を傾げた。

「は?!」

な、なんですって?!

「お見事!ロス。」

下でデボラが手を叩いている。

「なななななッ?!なんで?!」

納得出来ない!!

「…僕に才能があるからか、ヴィナに才能が無いからじゃない?」

ガーーーーーーン!!!!

「そ…そんな事ない!!…多分…」

いや、どうなの?…これって、そんなにすぐ出来る事??

「もう1回やる!次は出来るから!!」

バタバタと枝を外そうともがけば、枝が揺れて…折れた。

「ヴィナ!」

デボラが風を操るよりも先に、ロスが風をまとって枝から飛び降り、私を抱えると、これまた難なく着地する。まるで水の中にいるみたいな浮遊感の風に支えられて、ロスが同じ年の私を難なく抱えていた。

「………」

「…なるほど…風の仕法で物体を浮かせているんだね…常に一定の力を広範囲に出し続ける精神力とコントロール…恐れ入った…」

デボラが唸る。私は、ポカンと自分に起こった事に瞬いている。

「僕にある才能が非凡であるにせよ、ヴィナには眠りの仕法だけあれば充分じゃ無い?」

サラリと。もうほんと、それこそ当たり前のような言い方。

たまらずロスを振りほどき、デボラに泣きついた。

「で、デボラぁぁぁぁぁー!!」

うあああああああんん!!!

「あー…よしよし。大丈夫だ。ヴィナ。人それぞれ成長の度合いは違うから、な?ロスと比べたって…ヴィナはヴィナで練習すればいいんだ」

それって、やっぱり私が才能が無いって事?そんなぁぁ!!いやだぁぁー!!

「…ヴィナには僕がいるんだから、他の仕法なんて必要無いのに…」

不満顔で呟くロスの言葉は、号泣するヴィナの声に完全に消えていた。


「はははは!!おっと…」

思わず笑ってしまった口を押さえ、パンタソスは笑いを噛み締めた。

子供達は仲良く隣の部屋で寝ている。遅くなった帰宅に、チーズを土産にワインでデボラと晩酌中の事、日中の出来事を聞いてパンタソスは「見たかった!」と悔しがりながら笑った。

「…全く…ロスがいるとヴィナの自己肯定が粉砕されてしまうよ」

デボラはため息を吐きながら、ワインを揺らした。

「…うーん…ロスは寝坊でも、昼寝でもしてればいいんじゃないか?」

娘の時と違い、全く熱の無い言い方でパンタソスが言う。

「それが…ロスはヴィナが家から出ると必ず起きて付いてくるのさ」

「…あの寝虫が?」

「ネムシ…」

デボラがパンタソスの言葉に、信じられん…と渋い顔で責める。パンタソスは自嘲して答えた。

「まぁ…アレは生まれが生まれだからな…」

パンタソスがワインを飲むと、デボラは意を決して聞いた。

「ロスをこれからどうするんだ?」

「どうするって…」

「あの子が大人になったら?いつまでもここに隠して置けない…そっちだって、もうかなりまずいんじゃ無いのか?」

「……」

「それに…いつかあの子を王に返さなきゃいけなくなる…いつまでもここで家族を続けていくわけにはいかないってわかっているだろ?」

「…ああ…わかっているさ…」

パンタソスは言葉とともにワインをあおった。


「………………」

大人達が違う話題に移っても、ベッドの上のロスには先程の話が頭の中を巡っていた。

……王に返す…?

生まれが生まれって何だ?僕はヴィナの兄妹だろ?

ヴィナは僕を弟だって言うけど、僕はヴィナの方が僕の妹だと思うね。なぜかって?僕の方がヴィナよりも何でも出来るから。

…いや、ヴィナにしか出来ない事もある。僕に眠りの仕法をかけてくれる事。

パンタソスは僕をネムシだなんて言ったけど!僕はそもそも眠れない性質なんだ!ヴィナが眠りの仕法をかけてくれるから眠れているんだからな!

そう文句を言ってやりたいけど、ヴィナが隣で寝てるから我慢してやる。

今日はヴィナが腹を立てて眠りの仕法をかけてくれないから、全く眠れない。

眠れないところにきて、この問題発言だ。パンタソスのオヤジ…何を隠してやがる。僕を王に返すって事は…いや、待て。王に跡取りはいない。と言う。じゃあ、僕は?ヴィナは?

ヴィナは母親と似ているっていうし…じゃあ、僕は?黒く無い髪。黒く無い目。僕の母親は?そもそもここに来る前は?一番昔の記憶は…ここに来て、ヴィナに会った時からしか無い…。

僕は誰だ…?

「むぅぅ…次は…出来るから…先生、もう一回…」

すぐ隣でヴィナが寝言を言った。夜目が効く僕はヴィナの顔を凝視した。そもそも、双子じゃないにしても兄妹として似ているかと言えば…似てない。パンタソスのオヤジが娘を溺愛する一方で、僕には全然だ。

いや、それは全く1ミリも欲しくは無いけど、性別や色を抜きにしても同じ母親の子供ならこんなに違うだろうか?…て、事は…

僕とヴィナは兄妹じゃない…。

「そうか…違うんだ…」

うん。まあ、そうだろうな。なんせ僕は非凡な存在だから。兄妹でこんなに差があるのもおかしいし。

でも…何でだろう…僕とヴィナが他人だって言われても、悲しくないんだ。逆にワクワクしてきた。

僕とヴィナが兄妹じゃなくたって構わない。うん。その方が面白そうな気がする。なんでかはわからないけど。

「…ニルヴィーナ…」

秘密を手に入れたよ。もちろんこんな凄い秘密は、まだまだ教えてあげない。

「…ん…」

こっそりと名前を呼んで、ヴィナが答えたみたいだったから、僕は嬉しくてヴィナの額に自分の額をくっ付けて笑うのを堪えた。

僕はヴィナがいてくれたらいい。僕に眠りをくれる君を、僕が守るからね。


「どう…?」

私はデボラに感想を聞いた。今日はいよいよ街に行く日だ。

「お嬢さん、後ろに一筋、黒い毛が出てるよ」

やれやれ、とデボラが糸のように出ていた髪の毛の束をツンと引いた。

「わわわ…」

焦げ茶のカツラに自分の髪を収納するのはなかなか難しい…。

「ねぇ、デボラ。せめて長い髪のカツラだったらいいと思うんだけど…」

「長い髪の男の子は貴族様だよ」

「…じゃあ、髪の毛切っちゃう」

「おやめ。パンタソスが発狂する」

デボラはうんざりしたように手を振って即答した。

「でも、なんで男の子に…?」

アルカティア人と目立つ黒髪を隠すのはわかる。でもそれって、性別まで変装が必要なのかな…?

「それはまぁ…あの阿呆が心配性なのもあるが…」

デボラは私のカツラを外して、髪を整えながら言った。

「この世の中は、自分より弱い者と見るとそれを虐げるのさ。貴族から平民、オケアノス人からレムリア人、レムリア人からアルカティア人、大人から子供、男から女…」

デボラは器用に私の髪をまとめていく。

「その序列で考えたら…ヴィナ、お前は、平民でアルカティア人で、女で、子供で…故に、最弱」

「さ、最弱…」

ゴクリと喉がなった。

「だから、髪を一般的なレムリア人の色にして…平民の子供だけど男にして、まぁ、最弱よりマシか、と」

焦げ茶のカツラを綺麗に被れば、前髪の長い少年だ。もちろん服もスカートじゃない。

「目の色は隠しようが無いから、完全なレムリア人と言うわけにはいかないけど…まぁ、混血児なんて珍しくない方だしね。顔が隠れてちょうどいいんじゃ無いかい?」

ああ、前髪が長いのはあえてなのか。前が見えにくいけど…。

「さてと、じゃあ、行こうか」

そういうと、デボラは長いガウンにつば広の帽子を被った。

…んん?

「ねぇ、デボラ…」

「なんだい?」

「デボラは変装しないの?」

ピタリとデボラの動きが止まった。

そういえば、デボラは街に行く時はいつもこのスタイルだ。半分黒い髪もそのままに。

「…私はずっとこの姿で街に出てしまったから、今更変えたら逆に変だろう?」

ああ…まぁ…そうかも知れない…。

「さて、じゃあ、約束は覚えているかい?」

玄関の前で、デボラが振り返って聞く。

「うん。アルカティア人を隠す事。仕法は絶対に見せない事。」

「よろしい。あと、私のそばを離れてもいけないよ。いいね」

「うん」

期待に張り切って頷いた。


快晴の天気、気持ちのいい風、森を抜けて砂利道を歩く、ここから先は来たことは無い。

「…ロスも来たかっただろうなぁ」

デボラと連れ立って歩く道に、私は呟いた。

「…さてね。行きたいか行きたくないかは別として、ヴィナが行くなら子鴨みたいに文句を言いながら付いて来ただろうね」

デボラが苦笑した。

「ロスが子ガモ?…プッ」

白金の毛をした小鴨が、ガーガーと鳴きながら付いてくるなんて、ずいぶんかわいい…けど、きっと無愛想なんだろうな。

クスクス笑うとデボラが続ける。

「それでいて、少年の格好をしたヴィナが女の子みたいに笑うほうが変だ。ってロスは言うだろうね」

「!!…スゴイ…言いそう!」

いや、間違いなく言う。

「……父さんはロスを連れてどこに行ったのかな?」

朝、目覚めると、ロスは眠りの仕法をねだった。昨夜は一晩中、眠れなかったらしい。

いつものように子守唄を歌うと、ロスは瞬く間に眠った。

私と入れ替わりで眠るロスに、父さんは何事か思案して、朝食も断り、眠るロスをそのまま抱えて連れて行ってしまった。

一晩中眠れなかったのなら、昨夜はちょっと意地悪して悪かったなって思う。

「……私にもわからない」

デボラが珍しく不安気に答えた。その声に、私は努めて明るく聞いた。

「…ねぇ!ロスにお土産買ってもいい?」

「お土産?…そうだね。何にしようか…」

デボラは顔をあげて、微笑んだ。


「わぁーーー!!」

人がたくさんいる!子供も!大人も!あ!馬だ!大きい!

街の市場はたくさんの人で賑わっていた。それでも、黒い髪や瞳の人はいない。みんな茶色で…金色の髪の人がたまにいるくらいだ。ほとんどは浅黒い肌に茶色い色の髪が多い。次いで白い肌に金色の髪の人達だ。

白い石造りの建物は、無数に立ち並び二階や三階建てのものもある。薄茶色の乾いた土の地面は道として整えられ、左右には店舗から木で出来た商品を並べる台や木箱が所狭しと並び、日差しよけの白い布を張っている店も多かった。

どの店先にも売り子の声が威勢良く響き、赤や緑や黄色や橙の色取り取りの果物から野菜から新鮮な魚たちが並べられ、食べ物の並びから簡単な日用品、綺麗な布や装飾品まで、人々の活気と同じくらいのたくさんの品物が行き来していた。

「…ヴィナ。よそ見していたら危ないよ。」

道にはあらゆる人々が行き来している。私達と同じような格好の人が多いが、なかには立派な服を着た、いかにも裕福そうな人もいる。

デボラは人がたくさんいる所でも慣れた様子で進んで行くので、はぐれないように注意して人々の中を進む。

…そういえば…

私はふと、思い至った。買い物をするという事は…お金が必要だと言うことに。

「ねぇ、デボラ…」

「なんだい?」

「…今まで気付かなかったけど…買い物って、お金が必要だよね?」

「そうさ」

「…デボラはどうやってお金を得ているの?」

「いいところに気付いたね。今から調達しに行くのさ」

え?!お金を?

戸惑う私に、デボラは迷う事なく一つの店に入った。軒先きには何も並んでいないから見た目で何のお店かわからないけど、デボラに続いて家に入ると、薄暗い中はひんやりした空気に色んな植物のニオイの混ざった店だった。見た事もない植物の乾燥したものがぶら下がっていたり、壁一面に小さな引き出しがたくさん並んでいる。

これは全部、使っているのだろううか…?

「ああ。デボラ」

店の中で、中年の男がデボラに気付いて声をかけた。

「邪魔するよ。いくつか見てもらいたい」

デボラは持ってきた籠から乾燥させた植物をいくつか取り出した。デボラが庭で育てている薬草だ。

男はカウンターに座り、慣れた様子で確認する。

「…いい物だ。全部もらうよ。ここ最近、満足に眠れないっていう客が多くてね。なんだってこんなに増えたのか…情勢不安からかねぇ…」

「…そうだね…」

店の男が手持ち箱から金属を数えてデボラに渡した。この男が店の主人であるようだ。

「珍しいな。デボラの連れかい?」

キョロキョロと辺りを飽きずに見回している子供に、店主がデボラに聞く。

「あ。こんにちは。初めまして」

急に自分の話になった事に気付いて、ペコリと頭を下げて挨拶をした。これが挨拶として、夢でよく見ていたから。

しかし、デボラも店主も私を凝視した。

…ん?あれ?違った?

「…あー…その」

デボラが何かを言おうとしたら、店主は関心したように私をしげしげと見た。

「ずいぶんと行儀のいい子だねぇ…」

「そろそろ行くよ」

代金を受け取り、デボラが店主から離れた時、彼はデボラを引き止めた。

「デボラ。頼みがあるんだが…」

「…頼み…?」

「…その…お前さんの力を借りたい」

店主の言葉にデボラが警戒した目で彼を見た。

「…いや、なに…お前の知恵を借りたいだけさ」

店主は肩をすくめて話出した。その話の概要としては、彼にはまだ成人していないが店の跡取り息子がいて、薬草の種類や効能を少しずつ覚えているらしい。その覚えはいいらしいが、それらを精製して保管している保管場所を、なかなか覚えられないという。

「よく使うものからほとんど出ない薬まで様々あるし、数が多いのは仕方ないんだが…」

「…なるほどね」

壁一面、ズラリと並んだ小さな無数の引き出しにはそれぞれの薬や薬草が収められているらしい。

どの引き出しも同じ造りと色で、この全てを覚えるとするとなかなか大変だろう。

「…分類別にはなっているんだろう?」

デボラの問いに店主は頷いた。デボラは続けて聞く。

「…あんたはどうやって覚えたんだ?」

確かに、店主もこの数を覚えたわけだから、覚え方があるはずだ。

「修行しているうちに自然と覚えてきたが…ここ最近では、新しい種類も次々と増えているから私の若い頃よりもずっと数が多いんだ」

店主はため息を吐いた。

「あの…引き出しに薬の名前を書いてはいけないのですか…?」

つい、私は疑問を口にした。

壁一面の引き出しは全て同じ色、同じような大きさで、目印になるものが無いならば、いっそラベルでも貼ればいいのでは?

「…薬は組み合わせでは毒にもなるからね。おいそれと名前を書いてしまうのは、危険だ」

デボラの言葉を引き継いで店主も頷く。

「なかには単体で高価な物もある。もちろんあまりに高価な物や危ない物は別で保管するが…名前を書けば、泥棒に盗んでくれといわんばかりだ」

そうなんだ…。

「慌てることも無いんじゃないかい?まだ隠居する年でも無いだろう?」

デボラの言葉に店主が頭を掻く。

「それがなぁ…店をもう一つ持つ事になったのさ」

「ほう。そいつはいいね」

「他人を雇うのも不安だし、私がそちらとこちらをしばらく行き来する事になるだろうが…その間を、息子に任せようと思っていてね…」

「…なるほど。それは丁度いい」

しかし、悠長に覚えるまで店主に頼るわけにもいかない。

「どうしたものか…」

沈黙する大人に、私はデボラのガウンを引いた。

「あの…では、名前ではなく、番号か記号を使えばいいと思うの。それで、お店の人だけわかるように、それがわかる紙を持って覚えてみたら…どう…かな?」

夢でみた、おみくじと同じような方法だ。

「!…ははぁ…なるほど…確かにな…答えの紙の管理は重要になるが…うむ…」

店主はしきりに頷いている。デボラは何かを思い出したような顔で私を見ていたが、難しい顔になり

「…どうやら答えが出たようだ。私達はこれで失礼するよ」

デボラはそう言うと、私の肩に手を置いて店主に背を向けた。

「あ、ああ。助かった。ありがとうよ」

店主は明るい顔で私達を見送った。

店を出てからデボラが一言も話さず私の手を握って早足で歩くから、まずいことだったのかなぁって心配になる。

「…デボラ…」

「なんだい?」

手を引かれながらデボラを見上げる私を見ずに、デボラが答える。

「…その…怒ってる…?」

「怒る?なぜ?」

「…だって…」

デボラは私を見てくれない。私はそのまま何も言えなくて、ただデボラに手を引かれて歩く。

デボラはズンズン歩いて市場を抜けると、人の気配の無い見晴らしのいい場所に出た。さっきの市場の賑わいが風に乗って聞こえてくる。

デボラはようやく、足をとめて私を振り返った。

「…ヴィナ」

ああ、怒られるのか…

「は、はい…」

「…お前は…どんな所にいても、いつか…お前を必要とする場に引き寄せられるだろう」

デボラの白と黒の瞳がしっかりと私を見て言った。

「…?」

「それは、アルカティア人だろうが、女だろうが、お構いなしに」

な、なんの話?

「ただ、それが、お前の望む道であることを…私は願っている…」

デボラ?

「…よくわからない…」

戸惑いながら答える私に、デボラは苦笑した。

「…ああ。そうだね。…」

「デボラ、怒ってない?」

「怒ってなんかいないさ」

「…でも…」

モジモジとうつむく私にデボラはしゃがみこんで私を見た。

「ヴィナ…さっきのお前の姿に、昔の事を思い出したんだ。…お前が…父親によく似ていたから」

「…父さん?」

「…。すまなかったね。さあ、買い物をしよう。パンタソスの阿保がロスを先に連れて帰っていたら、うるさいぞ」

デボラは私の手を取ると、今度はいつもの通りに歩き始めた。

「ああ、それと…」

「?」

「平民の挨拶は、腰を折らない。市場で人々をよく見ておきな」

デボラはそう言って笑った。


夕陽が空を茜色に染めた頃、自宅で頬杖をついて窓の外を眺めていると家に近寄ってくる人影が見えた。

「…あ…」

父さんだ!ロスも!帰って来た。

私は部屋から飛び出ると、玄関を開けて迎えに出た。

「おかえりなさい!」

夕暮れに、ロスの顔は暗く、疲れていたし、父さんの顔は硬かった。それに…

「……この子は?」

知らない大人だった。簡素ながら立派な服は、父の服とは違って動きやすそうで、鎧は無いけど武人だと感覚でわかるほどに雰囲気に隙が無い。濃茶の髪に緑の眼が刺すように私を検分する。

なんか怖い…。

「私の娘だ」

怯える私に父さんが男の視界から遮った。

「あなたの?…」

訝しむ男に、異変を感じてデボラが家から出てきた。

「!!…パンタソス…あんた…」

デボラは、父さんが連れて来た人間を見て驚き、言葉を失った。

「ほぉ…なるほど…。これは驚きだ…しかし…まぁ、いいでしょう…それは私の範疇じゃない」

デボラと、父さんの影から覗く私を見比べて、男は父さんを見て笑った。

…なんか…やな奴!

「…ヴィナ。行こう」

うんざりと疲れた声でロスが私を家に誘うと、男も動く。

「子供だけでどこにも行かない。デボラ、コイツに出す茶に毒でも盛ってやれ」

ロスがとても子供らしくない恐ろしい事をあっさりと言う。

「…ロス…どうしちゃったの?」

戸惑う私の手を引いて、構わずロスは私と部屋に戻った。

バタン!と扉を乱暴に閉めて、ロスは大きく息を吐いた。

「…あの人、誰…?」

父さんやデボラは大丈夫かな…

私の問いに、ロスは黙って考えていた。それから決意したように私を見て言う。

「…ヴィナ。僕達、兄妹だよね…」

「…え?うん。ロスは私の弟…」

「この際、どっちが兄か姉かはいいとして!」

ロスの剣幕に押されながら私は頷いた。

「う、うん」

「…ヴィナ…僕…ここを出なくちゃならないんだ…」

「え?私達、引っ越すの?」

「…僕だけだよ…」

「どうして?」

「………僕を養子にするって奴がいるんだ…」

ようし?

「…ようし…って何?」

「…大人が子供をやり取りする事さ。僕は、これから知らない奴の子供として生きていく」

え?

「なんで?」

「…昔からそう決まっていたんだって…」

「……………」

私は突然のことに、全然、理解が出来なかった。

なんで?どうして?

「…ヴィナ…」

なだめるようなロスの声に、私はとっさに反発した。

「嫌!!」

「!…ヴィナ…」

ロスの目がためらいに揺れた。

「ようしにはなりませんって言おう!」

「……ヴィナ…ダメなんだ…」

「どうして?」

ロスは目を伏せて悔しそうに言った。

「…僕は僕だ。どこに行っても…それは変わらない…断る事は、できないんだ…」

「ロス…そんな…ロスはそれでいいの?!」

私の言葉にロスは怒った。

「いいわけ無いだろ!!…でも…でないと…!!」

「…ロス…」

「必ず帰ってくる!!必ず!!絶対に!!…だから…待ってて…ヴィナ、僕を…」

「…時々、会える?…いつ帰って来る?」

「…わからない…わからないけど、僕は絶対に帰ってくる!!」

ロスは私の手を取って強く握った。

「お別れは、もうよろしいですか」

「?!」

気配もなく、さっきの男が部屋の入り口に立っていた。閉めたドアを開けた気配も無く。

「…うるさい。入っていいなんて言ってないぞ」

振り向きもせず、ロスが静かに、刺すような口調で言った。

「お時間ですので」

淡々と答える男にロスは肩が震えた。が、スッと息を吸うと私の耳元で囁いた。

「…ヴィナ…元気で。…次に会えたら、秘密を教えてあげる…」

ロスはそのまま私から背を向け、振り返る事なく部屋を出て行った。その後ろを見張るように男が付いていく。

「ロス?!」

え?!まさか…もう行っちゃうの?!今の今で?!

私は慌てて後を追った。

「ロス!」

廊下を出て、玄関を抜けるとロスが男と馬に乗っていた。その隣には父さんも珍しく馬に乗っている。

「…ヴィナ!!」

走って駆けよろうとした私を、デボラが抱き止めた。

「デボラ!!ロスが!!ロスが行っちゃうよ!!」

「ヴィナ…仕方ないんだよ…」

デボラの押し殺した声に、私は涙が出てくる。

だって、なんで?今までそんな事なにも聞いてないのに!こんなに急に!なんで?!

「ロスーーーー!!!」

日が暮れた夕闇に白金の髪は一度も振り返らずに、馬は駆け、あっという間に去って行った。






ロスが、家から居なくなって…父さんも、帰ってこなくなってしまった。今までは3日に1回は帰って来てたのに…。

デボラに聞いても、口数少なく「わからない…」「…さてね…」「…あの阿呆…」としか答えてくれないし、本当にわからないのかも知れない。

突然家族を失っても、それでも日々の生活は続いていく。

私はデボラと、ロスや父さんのいない暮らしを重ねていく…仕法の練習をして、街に出て、眠ったらいつもの、【同じで毎日が違う夢】を見る。

仕法はちょっとずつ上達してきたと思う。街での買い物も男の子の格好も慣れた。薬屋に出入りするようになって、その息子や他の友達も出来た。

夢は相変わらず平穏ながらユニークだ。魔法よりも便利な世界は、魔法と違って誰でもその便利を利用出来る。

もう一つの…夢の中の私の人生は小学生から中学生になり、高校の制服に変わる。

そう…夢も私も16歳になったから。


「(……この夢って、いつまで続くんだろう………?)」

いや、このまま死ぬまで続くのかも知れないけど…夢の中の私も、私の夢を見てるのかな?

「(………?なんかよくわかんないや…)」

あくびをしながらベッドから起き上がろうとして…

「…うげ…」

なんてこった…。シーツが汚れてる…。

「(…はぁぁ、こういう時、夢の世界が羨ましい…)」

一発洗浄!からの洗濯機…ああ…ボタン1つで解決なんて、どんなミラクルな仕法なの…

仕法がある世界と、超文明のある世界じゃ、広く誰でも使えて制限のない超文明のほうがよっぽどファンタジーだって!

と、嘆いた所で現実は変わらないわけで…私はシーツを剥ぐと着替えて、洗い物をまとめて外に出た。

大きなタライに水を汲み、汚れを擦って落としていく。

「…洗濯機って、スゴイなぁ…なんでグルグル回るだけで綺麗になるわけ…?」

夢は夢だ…それに理屈を聞いた所で、夢なんで。って事だけど…。

いっそ、仕法で水をかき混ぜてみようかな…?

「…………」

…やって…みる…?

「ヴィナ、どうした?」

「わぁ!!」

葛藤してた所にデボラが背後で声をかけたもんだから、ビクーッ!となった。

「で、デボラ…」

まるで、イタズラが見つかったみたいな感じだったから訝しんだデボラだけど、私がシーツを洗っているのを見て「ああ。お疲れ」と、言うと再び庭に去って行った。

私は大人しく、ガシガシと洗濯を済ませ、ギュムー〜!と水気を絞って、シワを叩きながら干した。

「…ハア。終わった…」

良かった。シミにならなくて…。朝から全力の洗濯…なかなかハードだ…。

風にはためく洗濯物は気持ちいい。デボラは庭で薬草と菜園を見回っている。朝の日課だ。

私は背伸びして、深呼吸すると朝食の準備(と、言ってもパンと玉子とお茶と果物くらいの簡単なのだけど)をしに、キッチンに行った。


「ヴィナも一人前の女になったね」

ブハッ!

朝食でのデボラの呟きに、私はお茶を吹いた。

「…と、思ったけどまだまだ子供なのかい」

布巾で、溢れたお茶を拭く私にデボラが笑う。

「…人がお茶飲んでる時に、いきなり変な事言わないで。デボラ」

盛大に吹かなくて良かった…。

「そろそろ、男の子の格好して街に出るのも難しいか…」

デボラは私を見ながら思案気に首をひねる。

「まだ大丈夫でしょ。ジャンは全然気付いてないもの」

ジャンは薬屋の息子だ。私より3歳年上…だけど、小柄で温和な性格もあってそんなに年齢差を感じない。

「……息子はね」

デボラの言葉に、私の手が止まる。

「…え?まさか、誰か気付いてる?」

「店主はどうかわからないけど、女将は薄々、気付いているんじゃないかね」

「え!…なんで?」

「私が薬屋に行くと、やたらと聞かれるのさ。お前の事を」

「それはー…私がデボラの弟子だからでしょう?」

デボラは街で名前が知られている。アルカティア人である事をそのまま受け入れてもらえるほどに。

「…弟子の好みのタイプまで気になるもんかね」

「は??」

何ですか?それ?

「…それは…男の子としての…女性のタイプって事…?」

「…どうだろうね…」

え?なにそれ?コワイ…。

「お前は薬屋の息子はタイプかい?」

「はぁ?……ジャンが?」

タイプ?タイプって、好きか嫌いかって事?友達だから…もちろん嫌いじゃ無いけど…じゃあ、特別に大好きかって言われたら…?

「その様子じゃ、違うね」

右に左に首を傾げて思案する弟子に、デボラは頷いた。

「…お前がいつか嫁に行くのかと考えてみたのさ」

「私が?!誰の?」

目を丸くして聞けば、デボラは1年後の天気を聞かれたみたいに答えた。

「私が知るもんか」

なんだ…もう…。

「いやー?案外、ずっとデボラとこの暮らしが続いてお互いお婆ちゃんになるのかも知れないよ?…とは言え、デボラのお婆ちゃん姿が想像つかないけど」

デボラは子供の時からなんかあんまり変わらない気がする。老けてないっていうか…。

私はむしろ、この生活が変わる事の方が想像できない。

「それは無いね」

あっさり否定するデボラに、私はちょっと気になる。

「なんで言い切れるの?」

「お前がパーティシアの娘だからさ」

こともなげに言うデボラ。

「…?…なにそれ?」

「…お前が嫁に行く時は、パンタソスが大騒ぎするだろうね」

お茶を見つめながら、微笑むデボラの言葉に私はちょっとムカッとした。

「そんなの…7年もほっといた娘がどうなろうと、全く何とも思わないでしょ」

「そんな事は無い。アイツは…」

「いいの!もう…会いたくないなら…待つ事だって無いし!」

私は、話を打ち切って食器を慌ただしく集めると流しに持って行った。

「…あの阿呆め…さっさと本当の事を言わないからだ…」

デボラは弟子の後ろ姿を見送って苦々しく呟き、ため息を吐いた。


食器を片付けて部屋に戻っても、私の言葉を否定した時のデボラの表情と言葉が頭から離れない。

デボラと父さんは…古い友達だっていう。デボラが父さんの話をする時は、決まって憎まれ口を言うけど…いつも仕方ないなって優しい顔をする。

「…なんか…気に入らない…」

あんな、勝手にいなくなった人を許せるデボラに腹が立つ。デボラに怒るのは筋が違うのはわかるけど、デボラの許しに父さんが甘えているなら、それも腹が立った。

ふと、私を膝に乗せて父さんが言った言葉を思う出す。

『ヴィナーーーー!!!父さん!ずっと、ずっと一緒だからなーーーー!!!!』

なにが…ずっと一緒だからな、よ!!

「…嘘つき!!!」

私は枕を掴むと力一杯、投げつけた。投げつけた枕を掴んでさらに乱暴に叩きつける。

「薄情者!!!」

ぼぐ!!

「大っキラッ……!!!」

ばふんっ!!!!

イ!と、最後まで言い切る前に、枕が乱暴に耐えかねて中身が爆裂した。

白い羽毛が雪のように大量に、フワフワと部屋中無数に舞い散る。

「………はぁぁぁぁ……最悪…ックションッ!!」

ズビッ。

クシャミに涙目で鼻をすすると、部屋は白い羽毛で覆われている。

あああああ…面倒臭い…こんな、ふわふわしたのを箒で片付けるなんて…。

「はぁ…掃除機があればな…」

細かなホコリと共に、見る見る羽毛を吸い上げてくれるだろう。

「……………」

ナーバスな日もあって、さらに先程の怒りは不完全燃焼だ。チラリと頭をよぎるのは夢の、優秀なサイクロン式掃除機…。

《…小さな小さなつむじ風、クルクル回って羽毛を集めて》

歌うように囁いて、指を2、3回空中でかき混ぜると、窓が締め切られた部屋に子供の背丈くらいの小さなつむじ風が巻き起こる。無数の羽毛は風に押されて忙しなく動いているが、やがてつむじ風の中央に羽毛が集約されていくのを見ると、なかなかイメージ通りだ。

いかんせん、風で室内の色んな物も乱れるけど…。

小物や出したままの本と紙が、風に震えている。

カタン!と音がして何かが落ちた。それはフクロウを模った木彫りのブローチだ。

作り手はフクロウが好きなのだろう、細部までリアルにフクロウを彫り込んである。お店の主人が、「うちのジイさんが森のフクロウに惚れ込んで、こだわって作るんだ」と笑っていた。

「………」

あれは…もうずっと前、弟のロスに買って渡せなかったお土産だ。

『…絶対!絶対帰って来るから!!』

真剣な目でそう言った弟を待って、7年…ただ、元気なのかと手紙も書けないまま7年…。

毎晩、子守唄をねだって寝ていた弟は …もう、子守唄なんてとっくに必要がない若者になっただろう。

もう、母から教えてもらった歌は誰かに歌う事もない。

ふと…口をついた懐かしい旋律。昔を思い出す延長で。

《……この世界は、愛あふれる夢…いつまでも…優しい願いに、そっと抱きしめる…あなたを…》

歌と共にキラキラと温かい金色の光が発光して生まれる…

と、その光の1つが、いつものように溶けるように霧散せずに、風に吸い込まれてキン!キン!と悲鳴のような金属のような音をあげた。

ハッ!と目で追うと、さっき私が起こしたつむじ風の仕法に、光の1つが翻弄され、まるでいたぶられているようにキンキンキンと、けたたましく音をあげている。

「あ…!」

慌てて仕法のキャンセルをしようと意識を集中するが、風は全く消えることはなく、むしろつむじ風は意地悪な気持ちでもあるかのように力が強くなって光の粒を巻き上げる。

まずい…なんか、これ…どうなっちゃってるの…?

「ヴィナ?!何事だい!?」

風の力もいよいよ強くなり、イスや机、家具すら揺らすと、その音にデボラが慌てて部屋に駆け込んで来た。

「デボラ…!」

光の粒は、けたたましく、鳴り響く。

その様子に、デボラは愕然とした。

「…なんてこと…仕法が…重なってる…」

「重なるって…これが?」

仕法を最初に習う時、デボラから絶対やってはいけない事を聞いた。それは、二つの仕法を重ねる事だという。

風の仕法を使いながら、水の仕法を使ったり、火の仕法は使ってはいけない。

それぞれ違う人間が別々に仕法を使う分にはいいが、一人の人間が二つの仕法を同時に使えば、コントロールを失いそれは人間に跳ね返ってくるという。

つまり…今が…それ…。

「デボラどうしよう…ごめんなさい!そんなつもりじゃ…!」

すでに私が起こした仕法は、私の意識では全く制御が効かない。

つむじ風は荒々しく暴力的に勢いを増し、翻弄された光の粒は徐々に膨張しワナワナと空中で破裂する様相を呈している。

「…くそ…!よりによって今日は月曜日じゃないか…!」

見たこともないデボラの焦りに、私はますます血の気がひいた。

つむじ風は暴風となって部屋のあらゆるものを荒らす。そして、私はなすすべなく、ふわりと風に体が持ち上がった。

《さあ、準備はできたよ。傲慢な人間に与える罰は決まった。全ての時を止めて己の愚かな姿を永遠に晒すがいい》

微かだけれども、ハッキリと風の声がした。そして、わぁん!と泣きわめくような光の粒の声も。

膨張し続けた光は一瞬の制止の刹那、光が溢れた。そこに、影が立ち塞がったけど私は眩しくて思わず目を閉じた。

「…あ…ああ…」

デボラの呻き声がして顔をあげると、暴風は収まり、沈黙した部屋に舞い上がっていた白い羽毛がふわふわと雪のように舞い散っている。

デボラは…

「…まいっ…たね…」

切れ切れに呟くデボラの体は、見る見るうちに色を失っていく。彼女は、私をかばったのだ。

「デボラッ!!」

「…ヴィナ、よ、く聞きな…パ、ンタ、ソスを…ああ、クソ…時間が、ない…」

砂に埋もれるかのように、デボラは口をパクパクさせ、体は布が水を染み込むように石に変わっていく。

これは、禁忌を犯した人間に与えられる石化の呪いだ。

「デボラ!!デボラ!!ごめんなさい!!ごめんなさい!!」

激しい後悔と恐怖が私を飲み込む。体が震える。涙が止まらない。でもそんな事より、デボラを失うのが怖かった。

「ヴィ…ナ…」

「どうしたらいい?!何をすればいいの?!」

必死にすがるデボラの体は、もう人間のものではない。

「…ヒュプ、ノス…」

その言葉を最後に、デボラは完全に石になってしまった。まるで、石工が精巧に作り上げた石像のように、髪の毛一本にいたるまで…。

「待って!!デボラ!!…そんなッ…嫌だッ…デボラ!!デボラ!!」

狂ったように泣き叫んでも、デボラの体は石になり冷く、問いかけに答えることは無かった。

日が暮れて、室内が真っ黒になっても私は動けなかった。

自分の愚かさに、私は心の底から後悔した。こんな愚かな自分は、もう死ねばいいと思った。

暴風にめちゃくちゃになった部屋で、石化したデボラの前で泣いた。

自分が罰を受けるはずだったのに、身代わりになったデボラに、悲しくて悲しくて、涙が止まらなかった。

ひとしきり泣き喚いて…死ぬ前に、デボラは助けてなくちゃならないと思った。デボラが最後に言った言葉…デボラは、別れの言葉は言わなかった。何か方法がある。それを伝えようとしていた。

ヒュプノス…。

ヒュプノスって何ッ?!

名前?場所?…検討もつかない…。

でも…このままここで、子供みたいに無意味に泣いて過ごしていても、デボラは元に戻せない。

「…探しにいかないと…私が…」

絶対に!!デボラを助ける!!

例え、どんな危険にあったとしても…絶対に絶対にデボラを助ける!!

そう決意して、石化して冷たくなったデボラに身を寄せて夜を過ごし、夜明けを待った。


翌朝、天気は快晴だった。

朝日に照らされたデボラの石像は爪の先まで精緻すぎて、女神のように神々しい。

私は荒れた部屋を大まかに片付けた。

暴風で散らかったままの部屋にデボラを置き去りにするのが嫌だったから…。

その流れで旅支度も整える。旅なんてした事が無いけど…当面必要になりそうな物を、あまり多くならないようにカバン1つにまとめる。

街に買い物に行くみたいに、男の子の格好をして、焦げ茶の髪のカツラをつける。つば付きの帽子を目深に被り、コートを羽織ると、防塵マフラーをロスにあげようと取っておいたフクロウのブローチで留めた。

全ての準備が整うと、私はデボラと向き合った。

「…デボラ…一人にしてごめんね…。必ず、元に戻す方法を見付けるから…」

石化した体をハグすると、冷たかった…。気休めに、石化したデボラにケープをかける。

「…じゃあ…行くね…」

私の言葉に、もちろんデボラは応えない。

玄関を出て、庭を出て、世話していた鶏の小屋の扉を開け放った。鶏たちは散歩だと思って庭へ出ていく。

振り返るとそこにはいつもの私とデボラの家があった。

いつもと変わらない家。穏やかな日差しに、デボラや、父さんや、ロスの…子供の時の思い出が溢れてくる。

絶対に…戻って来る。それで、デボラを元に戻してみせる。

涙で滲んだ景色を手で拭って、私は歩み始めた。



細かい点で修正が入るかも知れませんが、始めてみます。

更新は毎月15日予定です。(日付は前後しちゃうかも知れませんが更新は続けます)

お嫌いでなければブックマークをして頂いて、ニルヴィーナがどうなるか一緒に冒険して下さい。

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