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コンビニのシヤッター

作者: 川越みゅん


 僕たちの足元には夢のスイッチが落ちている。でもそれは非常にグロテスクなモノだから下を見て歩いていたら踏むのを拒んでしまう。だから前を向いて歩こう。そうすれば踏むことができる―



「おはようございます。市電が車と接触したために遅刻してしまいました」

 いつも朝寝坊していた。母親に起こされてから5分で身支度をし、家を飛び出した。髪なんてボサボサ、気にもならなかった。

 学校へは市内電車を利用していた。広島電鉄宮島線の井口駅から徒歩5分の場所にあった。毎朝、鷹野橋の電停から三号線の市内電車で己斐まで向かい、そこから宮島線に乗り換えていた。特に紙屋町と十日町の交差点では信号機や自動車、歩行者、自転車によって度々進行を妨害され、いつも苛々させられた。

 始業ぎりぎりの8時25分に着くことが多かった。交通事情によっては遅刻していた。遅刻常習者の役得といっていいのだろうか、言い訳だけは上手になった。

「お腹が痛くなって己斐駅のトイレに嵌まっていました」

「市電の中で気分の悪くなった人がいて、救急車が来るまで電車が止まっていました」

「人身事故に巻き込まれました」

「電車強盗に襲われていました」

 記録上ではまるで探偵小説や探偵漫画の主人公のように何度も事件や事故に遭遇していることになっていた。両親や教師から度々注意を受けていたが、寝坊癖だけはどうしても直らなかった。 

僕の通っている学校は市内でも上位5つには数えられる中高一貫の進学校だ。中学校で200人入ってきて、高校から50人入ってくる。

 教育熱心な両親によって小学生の頃から学習塾に通わされていた。この時期から勉強とか受験とか考えなければいけないのは子どもにとって不幸なことかもしれないが、生活を切り詰めてまで教育に金を注ぎ込んでくれるということは幸せだとも言える。成績はあまりよくなかったが、この学校には紛れで合格してしまった。

 家族や親戚は口を揃えて、

「お前はここで一生分の運を使ってしまったな」

と冗談交じりで話していたけれども、僕は笑えなかった。

 進学校だけあって周りは秀才ばかりだった。僕には太刀打ちできる相手ではなかった。勉強で付いていくのは大変だったが、良い友人には恵まれていた。そこそこ、まあ言うなればフツーという言葉が良く似合う平凡な学生生活を送っていた。

 僕にはいつも何かが物足りなかった。




 波風立てぬ穏やかな海のように中学校の3年間を終え、高校1年生になった。高校生になったからといって何かが変わるわけではない。高校は中学校と同じ敷地内にあるし、面子もほとんど変わらない。まさに中学4年生だった。このまま中学5年生、中学6年生になっていくのだろう。高校から入学してきた同級生たちは彼らだけで別のクラスを構成し、話す機会は少なかった。高校1年の間に彼らも僕たちと同じ色に染まり、結果として僕たちに大きな影響を与えることはなかった。


 毎週水曜日の深夜にこっそり外出するようになったのは高校1年生も終わりに差し掛かった1997年の2月26日が最初だった。水曜日だった理由、それは単純だった。木曜日にだけ英語の小テストがなかったから一夜漬け勉強をしなくてよかったのである。定期試験も火曜、水曜、金曜、土曜の4日間で構成され、木曜日は中休みだった。

 周りが大学受験のことを意識し始めていた。両親も教師も級友も、だ。会話の中で受験という言葉が頻繁にカウントされるようになったのも大体この時期くらいからだ。僕はどうしていいかよくわからなかった。大学に行かなければ人間じゃない、大学に行くことが当たり前の重い空気に埋め尽くされて窒息死しそうだった。この人たちの頭の中では世の中には文系と理系の二種類しか人間が存在しないことになっているようだ。

両親から期待されているのは痛いほどわかっていたが、あまり勉強する気にはならなかった。やっても無駄なのではないかという一種の落ち零れ病に罹りかけていた。それでも宿題やテスト勉強だけは真面目にやっていた。結局、劣等生になることも優等生になることもなかった。

 勉強しなければいけないというストレスよりも中学校に入学してからずっと感じていた何か物足りない気持ちが僕を動かしたのかもしれない。普段から遅刻を除いては真面目で『いい子』を演じていた僕にとって、深夜の『大冒険』は日常の窮屈感から解放される唯一の時間だった。

 行き先は市電の駅2つ分離れた場所にあるコンビニだった。自転車で通っていた。深夜とはいえ一番近いコンビニに行ってしまうと知人に遭遇しそうで怖かった。完全に悪にはなりきれなかったのである。1時間くらい店内をうろついたり雑誌を立ち読みしたりしては家に帰っていた。それが精一杯の抵抗だった。別に本が読みたかったわけではない。深夜に家を飛び出して、今こうしているのだと自己満足に浸ることに意味があったのである。

 いつもあのコンビニにはカレがいた。話し掛けるつもりなんてなかった。こんな深夜にうろついているわけだから碌なやつではないだろう。僕の友達には、僕の学校には絶対いなさそうなクールさを感じさせる容姿も僕をカレから遠ざけた。もしかしたら怖い人かもしれない。しかし、いつもどことなく寂しそうな表情をしていることだけが気になっていた。



―1997年8月6日(水)


 この日はとても暑い日だった。灼熱の炎が僕だけに降りかかっているかのように暑かった。

 僕が生まれ育ったヒロシマの街では特別な日だった。1945年のこの日もよく晴れていた。ヒロシマにリトルボーイという可愛い名前をした悪魔がT字の相生橋を目掛けて落ちてきた。一瞬にしてヒロシマは廃墟になった。もしもその日雨が降っていたらどうなっていたのだろうか。

 8月6日は特別暑い日が多いような気がする。たった一発の爆弾で命を奪われた多くの人たちの痛みや苦しみを忘れないために神様が特別に熱を送っているのかもしれない。

初めてあのコンビニで買い物をした。ソーダ味のアイスバーだった。外で食べているとカレも外に出てきた。そして話し掛けてきた。

「この空で輝く満月が見えるかい?」

 空はよく晴れていたが、星はよく見えなかった。街が明るすぎるからなのか、空が汚すぎるからなのかよくわからないが、この街はいつもそうだった。よく見回してみると月を発見した。どう見ても三日月だった。この人は何を考えているのだろう。

「オレには三日月にしか見えない」

 僕には訳がわからなかった。本当にこのように答えてよかったのだろうか。それすらよくわからなかった。

「そうだな。俺にもあれは三日月にしか見えないな」

 月の出ている方向に指を指して言った。そしてカレは去っていった。その会話を側で聞いていたのか、一人の青年が声を掛けてきた。見た感じ、歳は同じくらいだろうか。

「僕には見えますよ。ま・ん・げ・つ」

「うーん、どこに見えるんだ?」

「君にもいつかわかるって」

「えっ」

 僕の肩をポンと叩いて笑いながら自転車に乗ってどこかに行ってしまった。この人も意味のわからないことを言っている。カレとこの人が言っていた満月とはいったい何なのだろうか。

 次の週から僕とカレは会話するようになった。ただなんとなく他愛ないことを二、三言だけだった。いつも話し掛けるのはカレのほうだった。僕にはまだ話し掛ける勇気がなかった。



―1997年8月13日(水)


「何買ったの?」

「いや別に何も買ってないよ」



―1997年8月20日(水)


「何買ったの?」

「いや別に何も買ってないよ」


 会話と定義されるのかも微妙にわからないような言葉を交わしていた。しかし、僕の中では、僕とカレとの距離が一週間ごとに3センチメートルずつ近くなっていったような気がした。



―1997年8月27日(水)


「何買ったの?」

「いや別に何も買ってないよ。そういえばさっ」

「えっ」

 ようやく僕から話を振ることができた。

「そういえば、どうして毎週水曜日にコンビニに来ているの?」

 もしかしたらカレも僕に聞きたかった質問かもしれない。僕も毎週来ていないとカレに会えないわけだから。

「別に水曜だけに来ているわけじゃない。ほぼ毎日ここには来ているな」

 確かにそうだ。僕が水曜日にしか行かないだけでカレが他の曜日に来ていないと決め付けてしまったのは間違っている。

「それもそうだね」

 何て言っていいのかわからないがとにかく恥ずかしかった。いや、冷静に考えるとそこまで恥ずかしいことを言ったわけではなかったのだが、どうしてもう少し気の利いたことを話せなかったのだろうか。その後悔の念が僕を襲った。僕はその場から逃げるように自転車に乗って帰った。


 9月3日の深夜には出掛けなかった。二学期が始まったばかりで休み明け試験が控えていた。出掛ける余裕なんてなかった。ただ、それだけだ。本当にそれだけなのだろうか。いや、もしかしたらそれだけではなかったのかもしれない。先週の気の利かない発言でばつが悪い思いをしていたからかもしれない。




 僕にとって新鮮な輝きを与えてくれた夏休みが終わり、2学期が始まった。その頃、学校ではこれまで以上に受験という言葉が飛び交うようになり、小さなコミュニティの流行語大賞を受賞していた。

 そろそろ三者面談があるらしい。三者面談といっても僕対担任、母親の1対2の変則デスマッチだ。勝者は最初から決まっていたのでさながら八百長ゲームのようであった。大怪我をしない程度に負ければ僕は満足だった。

 高校二年生になって文科系のクラスに進んでいた。僕が文科系を選んだのは数学がさっぱりわからないという消極的な理由によるものだった。数学なんて社会に出たら必要ないではないか。そう考えると全くやる気が起こらなかった。英語と国語と地歴科で、体面の保てそうな『いい』私立大学に合格してくれればいいくらいの気持ちしか持ち合わせていなかった。両親は国公立大学に行って欲しかったみたいだが、高校2年生になってからは数学や理科の勉強は止めてしまっていたのでセンター試験なんて受けられるわけがない。それらの科目の定期試験での目標は赤点回避だけだった。

 たぶん両親はそのことを知らないだろう。今回の三者面談はちょっとした戦争になってしまいそうだ。気は重くなったが、手作り武器で精一杯戦うしかない。決戦は9月19日金曜日、場所は東京ドーム、ではなく2年B組の教室だ。



―1997年9月10日(水)


 再びあのコンビニに出掛けてしまった。20分くらい雑誌コーナーで立ち読みしているとカレがやってくるのが見えた。外に出てみた。カレが話し掛けてきた。

「先週はいなかったな?」

「うん、ちょっと体調が悪くて」

 遅刻常習犯なだけに言い訳だけは上手だ。

「そっか、身体だけは気を付けろよ」

 この会話だけだったが、僕とカレの距離が一気に縮まったような気がした。カレが僕の身体のことを心配してくれているのだ。しかし、どうして本当の理由を言えなかったのだろうか。休み明けテストがあったのだ、と。小さな嘘は心に小さな綻びを作り、いつかそこから解けてしまうのではないかという恐怖感を僕に与えた。



―1997年9月17日(水)


 またいつもの呼びかけからカレとの会話が始まった。

「何買ったの?」

「いや、別に。俺は基本的に何かを買おうと思って来ているわけじゃない。ただなんとなく…なんとなく立ち読みしに来ているだけなんだ」

 これでいつもの呼びかけはもう聞けなくなるかもしれない。もしかしたら僕とカレだけの世界を形成するきっかけを失ってしまうかもしれない。

「そういや、お前がアイス以外買っていたのを見たことないわ」

 カレは笑っていた。僕はそれだけで嬉しかった。いつの間にかカレに会うことを目的にコンビニに行くようになっていったのであった。



―1997年9月19日(金)


 ついに決戦の日がやってきた。僕の横に母親が座り、向かい側に担任の教師が座った。

 担任の教師が先制攻撃してきた。この男は曲者だった。

一見善人面しているが、成績の悪い生徒には非常に冷たかった。相談しに行ってもお前が勉強しないからだの一点張りで親身になって答えてくれることはなかったようだ。自分が優秀だったからなのかは知らないが、勉強のできない人間の気持ちなど理解できないのだろう。

 僕はフツーの成績だったので別に被害も恩恵も受けることはなかった。相談しに行くこともなかった。彼にとって最も関心の薄い部類の生徒なのしれない。卒業して一年経てば僕の名前は忘れられてしまいそうだ。むしろ存在まで忘れられてしまいそうだ。

 ただ、親や目上の人間が目の前にいる時には善人に成り済まし、真っ当なことを言う傾向があるようだ。だから今日に関してはあまり刺激せずにうまく乗り切っておきたい。

「吉田くんの進路調査票には慶應義塾大学を第一志望に挙げているみたいなのですが、模擬試験や学校の成績からするともう少し頑張らないと厳しいようです。もっと勉強せんといけんな、吉田」

「はい」

 別に慶応に行きたいわけではなかったが、初めてどこか志望校を書く機会があった時に壱万円札の福沢諭吉が思い浮かんだので慶応と書いてしまった。もしも大隈重信が思い浮かべば早稲田と書いただろうし、津田梅子が出てくれば津田塾と書いていただろう。東京には憧れがあり、行ってみたいという気持ちが漠然とあっただけだ。

「そうなんですか。私はてっきり広大を目指していると思っていました。今初めて聞きましたよ」

 そりゃ、初めてだろう。僕はそんなこと一度も言ってないからな。どうして勝手に僕が広島大学を目指していると思い込んでいたのだろうか。本当に自分勝手な人だ。

 彼女は岡山出身で広島大学在学中に父と出会った。両親は一人息子だった僕を溺愛していた。お小遣いを他人よりも多くくれる程度なら可愛いのだが私物化されると非常に厄介だ。自分の意思イコール僕の意思と考えるのが当然なのだろう。実際僕もずっと両親の意思に従っていた節があった。僕にも責任がないわけではない。たぶん彼女の中では県外の 『いい』大学に行くよりも自分たちの同窓となり、地元に残ることが大切なのだろう。自分の手元から離したくなかったとも考えられる。

「そういうことは親と話をしなきゃいけんぞ。ところで模試や調査票を見る限り、行きたい学部がはっきりしていないようなのだが、将来何をしようと考えているんだ?」

 ついに来た。この質問は想定したのでたぶん大丈夫だ。

「えーっとですね、それはですね、やっぱりですね、こういうことはですね、大学に入ってから…」

 困った。適当に言ってしまえばいいはずなのにうまく言葉が出てこない。意外な場所から助け船がやってきた。

「東京に行きたいなんて聞いていませんよ。広大を卒業して県庁や市役所で働くか、地元の企業に就職してもらえればそれでいいんです」

 母親がヒステリックになり始めた。悪い人ではないのだが、時々理性を失ってしまう。面倒なことになってきた。待てよ!いい考えが思い付いた。もしかしたら敵二人を仲間割れさせることができるかもしれない。教師を仲間に引き込めるかもしれない。

「俺は、いや僕はそろそろ親離れしなければいけないと思っているんです。確かに母としては僕がたった一人の子供だから遠くに行ってしまうというのは心配なんだろうと思います。でも、それでいいんでしょうか。僕はそれではいけないと思います。

 僕は東京に行ってみたい。大都会で揉まれて一回りも二回りも大きな人間になってこの広島の街に帰ってきたいです」

 決まった!これで東京に行くか否かの話題に摩り替えることができた。僕も時々気の利いた発言ができるのだな。少し自分を見直した。

「吉田の言う通りかもしれんな。お母さん、息子さんを東京に行かせることを考えてみてもいいんじゃないでしょうか」

 最強タッグを崩しその片割れを味方に引き入れた。教師ももはや僕のパートナーだ。

「わかりました。夫と話し合ってみます」

 三者面談は終わった。負けを覚悟していただけに予想外の結果になってしまった。しかし、このままでは簡単に終わらなさそうだ。加えて、僕の将来については何も解決していない。どう足掻いても来年には高校三年生になるわけであり、卒業をしなければいけない。時間稼ぎをしたからといって卒業の時期をずらせるわけではない。




 相変わらずカレと会うのは毎週水曜日深夜のコンビニだけであった。そして、呼びかけはいつもこの言葉だった。

「何買ったの?」

 僕はカレについて、カレは僕について何も聞こうとはしなかった。知ってほしいという気持ちも知りたいという気持ちもなかった。僕たちにとって同じ空間に存在する時間だけが真実であり、それ以外はどうでもよかった。



―1997年11月12日(水)


 あのコンビニに行くとカレが待っていた。カレが僕よりも先にコンビニに来ているのは初めてだった。

「少しだけ話を聞いてくれ」

 急にどうしたのだろう。どうもいつもと様子が違うようだった。

「別にいいけど」

 5秒ほど間を置いて僕が答えた。

「やっぱいいわ。じゃあ」

 カレは帰っていった。僕がいつも感じていたカレの寂しそうな表情と何か関係があったのだろうか。僕はカレを追わなかった。カレのことをどんなに大切に思っていても僕にとってカレはコンビニという街の中の小さな舞台でしか共演できない存在であった。別に約束をしているわけではない。毎週水曜日ここに来れば会える。また来週にはここで会えるさ。



―1997年11月19日(水)


 2時間待ってみた。カレは来なかった。

そろそろ秋から冬へと変化を始め、風がいつも以上に冷たく感じた。カレにもいろいろと都合があるに違いない。来られない日があってもおかしくない。そう自分に言い聞かし、僕は家に帰った。


 結局次の週もその次の週も、カレはあのコンビニに姿を現さなかった。いったいカレに何が起こったのだろう。気になって何も手につかなくなってしまった。

 しかし、そのことも僕にとっては一つの口実に過ぎないのかもしれない。二学期になってから勉強をしなくなった。学校の授業を受けていてもずっとボーっとしていた。英語の単語も、日本史の年号も覚える気にはならなかった。英文を読むと頭痛になった。今まではどんなに駄目でも喰らいつくようにボーダーラインから離れなかったのに遂にそこから少しずつ離れていった。もう這い上がれないだろう。絶望感もあった。それと共にもしかしたらこのまま転落していけば受験をしなくてもいいかもしれない、そんな期待感も生まれていた。



―1997年12月10日(水)


 今日カレが来なければあのコンビニに行くのを止めようと考えていた。既に僕にとってあのコンビニ自体には意味はなくなっていてカレのほうが大切な存在になっていたのだ。

 カレが外で待っていた。僕は初めて自分から声を掛けた。

「この前会ったときに話そうとしていたことは何だったの?そのことと最近ここに来ていないことと何か関係あるの?」

 カレは少しだけ躊躇う節があったが、口を開いた。

「俺、死にたいんだ」

 『死』。なんて衝撃的な言葉なのだろう。子供ならば喧嘩や言い争いをしていて「死ね」とか、「殺す」とか、簡単に口にすることがある。だからといって『死』というものをリアルに感じることは難しい。しかし今、カレは真剣な顔をして『死』という言葉を使っている。これは只事ではないかもしれない。

「どうしたんだ?何があったんだ?俺に話せるなら話してほしい」

「俺はいつも一人だった」

 彼は続けた。

「親父はもともと広大で研究者をしていた。中一の4月に関西の大学に引き抜かれた。最初は非常勤という形で週に一度広島から通うだけだった。しかし、時が経つにつれて関西に行く日数は増えていった。週に二度、三度…気がつけば月に一度しか帰ってこなくなった。それでも親父は俺を関西には連れていかなかった。どうも若い愛人を作ってしまったようで、俺を連れていくのは都合が悪かったのだろう。俺はそのまま広島に残り、広島の高校に進学せざるを得なかった。今では3ヶ月に一度しか帰ってこない。三者面談のような親が必要な行事にはきっちり帰ってきて正常な親子関係を上手く取り繕っていた。頭のいい人かもしれないが冷たい血しか流れていない男だ」

「お母さんは?」

「母親は物心が付いたころからいなかった」

「死んじゃったの?」

 そんなことを聞いてよかったのだろうか。

「わからない。親父は母親について何も教えてくれなかった」

 そうなのか。カレの寂しそうな表情の理由が少しずつわかってきた。

「いつも孤独に怯えていた。何週間、もしかしたら何ヶ月も誰も帰ってこない家の中で過ごす。そんな生活をずっとしていたら誰だっておかしくなる。家の中で発狂し、物を投げ付けては壊していた。散らばった残骸を見ては虚しさを増大させていた。

 学校では、そんな自分を悟られたくはなかった。だから明るく振舞うことに全神経を注いだ。積極的にクラス委員になったりした。勉強も頑張って成績はよかった。

偽者の俺を褒める教師がいた。偽者の俺にはたくさん友達ができた。偽者の俺を慕ってくれる女の子も現れた。しかし、友達にも彼女にも俺がこんなに苦しんでいることは言えなかった。

 それ以上に、偽物の俺に騙され続けているやつらを見ているのが楽しくて仕方がなかった。たぶん俺がこんな人間だと言っても信じてもくれないだろうな」

 カレには付き合っている女性がいるのか。定期的な行事のように一年に一度くらい彼女が欲しいなと考えることはあったが、そこまでは興味がなかった。中学からずっと男子校だったのでそんなことを妄想すること自体困難だったのだ。

「2年前、親父が俺のためにパソコンを買ってくれた。これは俺にとって最高のプレゼントだった。

 最初は何に使うのかよくわからなかった。電話線を繋ぐと世界中どこにでも繋がることを知った。それがインターネットさ。いろいろな人とコミュニケーションできた。家に居ても俺は一人じゃない。まさに命を繋ぐ線となった。

 俺はインターネットの世界にのめり込んだ。そこで出会う人たちとは心を開いてコミュニケーションできるようになった。本当の自分をさらけ出すことができた。みんな俺の話をよく聞いてくれた。ただ同情していただけかもしれないが。しかし、彼らはどこに住んでいて、何歳で、性別さえもよくわからない。俺が会話している人たちは本当に実在しているのか、不安だった」

 こんな世界が存在していたのか。2年前といえば、1995年だ。この年、マイクロソフトからWindows95が発売された。これを契機に家庭用パソコンが急速に普及していった。Windows95は一般人が取っ付きにくかったパソコン操作を誰にでも手軽にできるようにした画期的なオペレーションシステムだった。

 とは言っても僕の家にはパソコンがないし、家の外でもパソコンを触る機会はほとんどなかった。目に見えない場所で異質なコミュニティが展開されているなんて知る由もなかった。

 カレの言うことがわからないわけではない。全く知らない人に対しての方が心を開ける場合もある。確かにそうかもしれない。特にこのような心の深い部分の問題を実世界で関わりのある人たちに話せばきっと今後の関係に影響を与えてしまうだろう。特に違う自分を演じているカレには僕の想像を遥かに超える勇気が必要だろう。もしそれを言ったとしてもカレの言うように信じてもらえないかもしれない。僕だってそういう話は両親や学校の友達にはできないかもしれない。

「俺にとって深夜のコンビニだけが、肉体としての自分を本当の自分として存在させてくれる場所だった。そこでお前と出会った。別に最初からお前に興味を持ったわけじゃない。毎週水曜日だけに来ているやつだな、くらいの印象しかなかった。しかし、いつも何も買わないで帰るお前に興味を持つようになった。何をしに来ているのだろうって。もしかしたら何か俺と同じような悩みを抱えているんじゃないかと」

 確かに僕がコンビニに行く理由と似ていた。僕の悩みはカレの深い悩みに比べれば雀の涙にも値しない。

「現実の自分と虚構の自分のギャップが大きくなればなるほど俺は壊れそうになった。もう既にどうしようもないところまで来てしまったんだ。だから俺の手で俺の肉体を壊すことにした」

 話が飛躍しすぎではないだろうか。僕にはよくわからなかった。

「君が苦しんでいるのはわかったような気がする。だからといって死のうとするのは急な話なんじゃないかなあ」

「お前は何もわかっていない」

 カレが声を荒立てた。今初めて聞いたのにわかってもらおうとすること自体無理がある。

「わかるわけないじゃん。なんで死ななきゃいけないの?いろいろな人が心配するぞ。家族や友達…死ねば解決するなんて間違っている」

「もういい」

 カレは走ってどこかに行った。


 あのコンビ二に行くのを止めた。もう二度とカレと会うことはないだろう。そんな気がしなくもなかった。




―突発的に何か行動を行い、次の瞬間または次の日に後悔の念に苛まれるということがなかっただろうか。そんな過去の記憶は一生付き纏っていくのである。


 年が明けて1998年になった。依然として僕は大学受験について悩んでいた。父親は理解を示してくれた。もしかしたら見放されただけかもしれない。一方で、母親は相変わらず広島大学に行けと言っている。

「東京に行くんだったら金は出さない」

 母親は傍から見れば常識人なのだがこの件に関しては完全に理性を失ってしまっているようだ。僕が東京に行きたい理由、将来何がしたいのかを明確に説明できなかったのもよくなかったのかもしれない。

「だったら家出してでも東京に行ってやる。もう広島には帰らないからな」

意固地になっていた。どうしても広島に残りたくない訳ではなかったが、ここで広島に留まってしまうならば一生僕は両親のおもちゃになってしまう。そのことが一層危機感を煽り立てた。

 本当に嫌な気持ちだった。こんな嫌な気持ちになるのは生まれて初めてだ。人とわかりあえない、それも自分の母親と。

 そもそも大学に行かなければいけない理由は何なのだろう。将来のためなのか。周りの人も当然のように行くから自分もそれに影響されて否応もなく行こうとしているだけではないのか。考えれば考えるほど深くて汚い泥沼に嵌まっていき、いつしか思考は停止していた。

 いっそのこと僕も死んでしまいたい。そんなつまらない思いが僕の脳裏を掠めるようになった。死ぬのは怖かった。生き続けることも怖かった。どうしていいかわからなかった。陰鬱な日々が僕を苦しめていた。



―1998年2月18日(水)


 夕方、学校の帰りに本通にある本屋に寄っていた。本屋を出て歩いていると、横断歩道を渡るカレを見かけた。僕が夕方カレに会うのは初めてだった。あのコンビニ以外でカレに会うこと自体初めてだった。声を掛けるかどうか三十秒迷い、結局声を掛けることができなかった。それでも僕は安堵感に包まれていた。カレはまだ死んでいなかったのだ。

 カレは宇品に向かう電車通りを南に進み始めた。跡をつけてみることにした。探偵になった気分だ。これでカレに見付からなかったら将来探偵になるのも悪くないな、そんな下らないことも考えたりした。

 カレは僕の住んでいる鷹野橋よりもさらに南に進んでいった。この付近にはかつて広島大学の本部があった。多くの学部は既に東広島市の西条に移転していてここには夜間の学部を残して何もなくなっていた。

 広電本社前の電停の手前でカレは右の小道に入っていった。ここからが『名探偵』の腕の見せ所だ。傍から見れば十分不審者の域に達していただろうが、僕は必死だった。ほどなくしてカレはある一軒家に入っていった。ここがカレの家なのだろうか。二人で、いや一人で住むには十分過ぎるほど大きな家である。

 表札には『崎山』と書いてあった。

呼び鈴を押してみたい衝動が僕を襲った。ボタンに手を触れる瞬間手が震えた。僕は押せなかった。

 またいつか来ればいいさ。今日はカレの家がわかっただけでも収穫だ。そう自分に言い聞かせ、僕は帰途についた。



―1998年2月25日(水)


 学校から帰ってすぐに家を飛び出した。カレの家に行くためだ。

 カレの家の前に来た。目を瞑りながら勢いを付けて呼び鈴を押した。

「ピンポーン」

 心に、そして空っぽの胃にその音は響き渡った。

 カレがドアから出てきた。

「あれ」

 カレは驚いていた。僕がカレの家を知っているわけがないので驚いていても何もおかしくはない。

「いやあ、うーん、どう言っていいのか、この前この辺を散歩していて、偶然君を見つけて、ここに入っていくのを見たから…」

 まさにしどろもどろである。先週、本通から二キロ近く尾行していたとはさすがに言えなかった。

「まあいいや、上がって」

 カレは何も追及しなかった。もしかしたら跡をつけられていたことに気付いていたのだろうか。そんな不安も過ぎった。

 カレの部屋は整然としていた。むしろ生活感のないという表現のほうが妥当かもしれない。唯一生活感のあるもの、それはドアや壁の所々に見られた小さな傷や穴だった。前言っていた破壊行為によってできたものなのだろうか。机の上にはパソコンが置いてあった。いくらくらいするのだろうか。

「とても綺麗な部屋じゃないか。オレの部屋なんてもっともっと汚いぜ」

 カレは何も答えなかった。

「このパソコン、高そうだなあ」

「いいものを見つけたんだ」

 そう言ってカレがパソコンを起動した。起動にかかった時間はどれくらいだっただろう。三分くらいだっただろうか。沈黙が更に長く感じさせた。僕はディスプレイが映し出すwindowsマークを見つめていた。

 カレがInternet Explorerを起動させた。電話回線を通じてインターネットに繋いでいるようだ。

「ピーヒョロロロー」

 パソコンがインターネットに繋がる音は、カレと世界を繋ぐ細くて細くて切れそうでどうしようもないくらい切ない何かを表現しているのだろうか。それでも、僕たちの心臓の鼓動よりも、息の音よりも確かに存在しているという響きはそこにあった。

 カレが開いたのは通信販売のサイトだった。

「ここで青酸カリを買うつもりなんだ」

「そんなもの何に使うんだ?死のうってでも言うのかよ」

「そうだな、死ねればいいな」

「お前、どうかしているよ」

「ああ、どうかしているかもしれない。生きていることが本当につらいんだ。死ぬ勇気があるならば何でもできる。そんなの嘘だ。親父は帰ってくるのか。母親は帰ってくるのか。何も帰ってこないじゃないか。もうどうしようもないんだ」

 そう言われればそうかもしれない。世の中にはどうしようもないことなんて腐るほどある。金持ちの子どもは金持ちだろうし、貧乏人の子どもは貧乏人だ。生まれを恨んでも仕方ないということと同じなのかもしれない。

「俺だって今生きていることが楽しいとは言えない。俺は何をしてもフツーだった。人より何かができるっていうことはなかった。俺の存在意義って何なんだろうと悩むことはあった。俺がいなくても世界は同じように動くだろうし、地球の自転速度が変わるわけでもない。そんなことを考えるとバカらしくなってくる。何でつらい思いをしてまで生きているんだって。もしも死ぬことによって違う世界に行けるのならば行ってみたい。そんなことを考えたりしてしまう」

 何を言い出すんだ。そんなことを言ってどうするんだ。僕は混乱していた。

「俺もそういう感じだ。もしも俺が死んだら葬式にはたくさん人が来てくれるかもしれない。涙を流してくれるかもしれない。でも次の日になったら俺のことなんて忘れて大笑いしているに違いない。そして、時間が経つにつれて俺の存在はぼやけたものになり、最初からいなかったことにされてしまうだろう」

 そこまで人は薄情な生き物なのだろうか。僕にはそうは思えない。少なくとも僕はカレのことを一生忘れないだろう。そのことを上手く伝えられればカレは死のうという気持ちを考え直すかもしれない。しかし、僕の口からはとんでもない言葉が飛び出した。

「じゃあ、一緒に死んでみるか」

 僕が軽々しく『死』を口にしたのは後にも先にもこの時だけだった。

「よし、決まりだ。俺が青酸カリを買っておく。一月後の3月25日にうちに来い。時間は午後5時だ。このことは絶対誰にも話すな」

「わかった」

 後悔もあった。それ以上にカレと一緒に何かをするということが嬉しかった。それが取り返しの付かないことだったとしても。

 誰だって一度は考えることがある。人間は死んだらどこへ行くのか。偉い宗教家が何を言おうと真実は死んでみないとわからない。もしかしたら別の世界に行けるのかもしれない。カレと一緒だったらそれでもいい。もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら…その可能性に賭けてみたい。新しい『人生』に賭けてみたい。




 僕にとって最後の一ヶ月間が始まった。

『死へのカウントダウン』、字面はかっこいいかもしれないが、この微妙に長いようで短い時間が僕を苦しめた。どうせ人間はいつか死ぬのだ。そう思えば少しばかり気分が楽になった。しかし、いろいろなことが頭の中を駆け巡り、眠れない日々が続いた。本当に死んでしまっていいのだろうか。僕が死んだら両親や友達はどう思うだろうか。

 勉強は全くやる気にならなかった。勉強だけではなく他のこともやる気にならなかった。当然、腑抜けになった僕の『最後』の期末試験は散散な成績だった。親の小言もさらにうるさくなった。いつもより大音量で脳に届く。頭が割れそうだった。もうすぐ死んでやるさ。運命の日は刻一刻と近付いていった。



―1998年3月25日(水)


 遂にこの日がやってきた。興奮状態に襲われ落ち着かなかった。

夕方五時をちょっと回った頃、カレの家に着いた。

 カレの部屋の机の上に小さな瓶が置いてあった。理科の実験室で見たことのある茶色い瓶だ。そこには汚い字で『青酸カリ』と書いたラベルが貼ってあった。僕は青酸カリが毒物であることは知っていたがどんなものなのかはよく知らなかった。色や形、そして味、どういう感じで死ぬのか。苦しいのだろうか。そうでもないのだろうか。少しだけ不安だった。

「へぇ、青酸カリって初めて見たよ。こんなんなんだ」

 カレは何も喋ろうとしなかった。カレ自身の中にも迷いはあるのだろうか。死ぬ前にどうしても聞いてみたい、そういう衝動に襲われた。

「本当にこれでいいの?俺たちはもう死んじゃうんだよ」

「もうこれでいいんだ」

「本当に?」

「そうだ」

 どうしてカレは悟りを開いたかのように落ち着き払っているのだろうか。僕には理解できなかった。これまで生きていた時間、これから残された時間は僕とほとんど変わらないはずなのにどうしてここまで違うのか。何がカレをこうしてしまったのだ。考えれば考えるほどよくわからなくなっていった。

「遺書は書いた?」

 そうカレに聞いてみたものの、僕は書いていなかった。紙とペンを用意して机に向かってみてもアンバランスで不細工なドラえもんの絵ばかり書いてしまう。何を書いていいのか、誰に何を伝えていいのかさっぱりわからず結局締め切りに間に合わなかった。

「書いていない。別に残したいメッセージはないからな」

 カレがサラリと言った。本当にこの人には未練なんてないのだろう。そう考えるしかなかった。それくらいカレはこの世界での生活に苦しんでいたのかと思うと胸が痛くなった。

「これを5個飲むんだ」

 カレは瓶を開けて錠剤を5個取り出して僕に渡した。薬を渡す瞬間カレと僕の手が触れた。カレの手は温かかった。カレはまだ生きているのだ。この手はもう少ししたら冷たくなるのだ。

 カレもまた手の中に5個、新しい世界に行けるかもしれない切符を握り締めていた。

「よし、飲むぞ」

「おう」

 しかし、僕は一瞬だけ飲むのを躊躇してしまった。カレはその時にはもう飲み込んでいた。次の瞬間、今までずっと冷静だったカレはもがくように苦しみ、そして眠るように息絶えた。

 怖くなった。死ぬのが怖くなった。5個の錠剤を床に投げつけ僕はカレの家から飛び出した。後ろを振り返らず、ただ走った。カレがゾンビになって追いかけてくるようで怖かった。電車通りをひたすら北に走った。

 僕は最低な裏切り者だった。


 その晩ベッドに入って考えていた。どうしてあの時一緒に死ねなかったのだろう。そう思うとつらくて仕方がなかった。この先どうしたらいいのだろうか。カレはもうこの世にはいない。カレを追いかけて違う世界へ旅立つべきなのだろうか。カレが死んだのだから僕も死ななければいけない。僕たちは一緒に死ぬと約束したのだから。

 どうせ死ぬなら景色の美しい場所がいい。海の見える場所にしよう。

 時刻表の路線図のページを開けてみた。僕は鈍行列車を使った旅行が好きだったので多くの人が億劫になりがちな時刻表も容易く読むことができた。時刻表を見ているだけで旅に出ている気分になれた。当然のことながら自分の死に場所を探そうとして開いたのは初めてだった。

 海のきれいな場所、といえば真っ先に○○岬みたいな場所を思い浮かべがちだが、僕も例に漏れず岬と名のつく場所を探した。室戸岬と足摺岬と潮岬の3つに絞った。室戸岬や足摺岬は行くのが困難そうだったのでやめた。潮岬は串本という駅から比較的近かったことや、新大阪から新宮行きの夜行列車が出ていたこともあって好都合だった。

出発は明後日だ。そして、3日後には雄大な太平洋の藻屑になってしまうのだ。いや、太平洋の一部になるのだ。そう考えると少しだけ気持ちが落ち着いた。




―1998年3月27日(金)


 朝10時に広島駅を出た。新大阪に着いたのは午後4時前だった。僕が乗ろうとしている新宮行きの夜行列車は午後10時45分発だった。新大阪の休憩スペースで列車を待った。新幹線と在来線の乗り換え客と思われる人たちでごった返していた。

 新大阪から新宮行きの夜行列車に乗った。この列車にはスーツを着た人たちと釣り具を持った人たちがいた。スーツたちは和歌山までで全員降りていった。和歌山からは釣り客ばかりになっていた。確かに早朝に着くので彼らにとっては便利な列車なのだろう。列車は固定椅子で背中が限りなく垂直になっているタイプだった。4人掛けの椅子を一人で占領できればリクライニング式よりも快適に寝ることができる。うまく身体をLの字にすればよいのだ。延々と続く線路を列車は走り続けた。終着駅までは6時間かかる。帰りの列車は僕にはない、そう覚悟していた。アウシュビッツに向かうユダヤ人と同じ状況下にあるのだ。

 昔、本で読んだことがある。アウシュビッツとはポーランドのオシフィエンチムという街にあったユダヤ人収容施設である。ここに送られたユダヤ人たちはただただ『死』のみを待ち、絶望と恐怖と悲鳴の空気が、そしてガスが彼らを追い詰めたのであった。

 アウシュビッツ行きの列車に乗せられるということは、『死』の宣告を意味していた。当然帰りの列車の切符はなかった。

 右手には片道分の切符が、となれば様になったのかもしれないが、僕の手に握られているのは広島駅前の金券ショップで買った青春18きっぷ残り2回分だった。まだ18きっぷの使える残り期間が2週間近くあったので格安で購入とはいかなかったが、不必要な3回分を削って購入できるメリットは大きかった。



―1998年3月28日(土)


 目が覚めるともうすぐ串本だった。

 カレに特別な感情を抱いていたのは間違いなかった。しかし、それは恋なんかじゃない、僕は同性愛者なんかじゃない。少なくともカレの裸が見たいとか一緒に寝たいとかいう願望はなかった。ただ、同化してみたいという気持ちはあった。僕がカレとなり、カレが僕になる。そうなればどんなに幸せだろう。妄想することはあった。

 串本駅に着いた。駅から潮岬までは3キロ以上あった。レンタサイクル屋が目の前に見えた。一瞬借りようかと考えた。しかし、もうここには帰ってこない。僕の手では、いや足では返すことができない。死ぬ直前まで他人の迷惑になってはいけない。自転車がなくても歩いて1時間くらいで着くだろう。歩いて潮岬に向かった。

 気温は20度くらい、肌寒さと暖かさの共存する春の日、僕の目の前には太平洋が広がっている。遥か先に見える船の汽笛が心地良さを含んだ微風に乗って耳元に届くような気がした。目の前に果てしなく広がる海の先には希望があるのか、絶望があるのか、僕にはわからない。空は僕を辱めるかのように晴れわたっていた。僕の心だけが暗くて汚くて惨めな雲に覆われていた。今にも雨が降りそうだった。

 いざ広大な太平洋を目の当たりにすると足が竦んだ。足がガクガク震えた。思わずそこから逃げ出してしまった。未だかつて感じたことのないような吐き気が襲い、何度も何度も立ち止まった。

 あの覚悟は脆くも崩れてしまった。僕はあの時の恐怖を今でも忘れない。誰をも包み込んでくれる太平洋に母のような優しさと母のような恐ろしさを感じたのであろうか。まだ死んではいけないと警告してくれたのだろうか。

 涙をポロポロ流していた。何に対して泣いているのかわからなかった。悲しいからなのか、悔しいからなのか。

 逃げるように潮岬、そして串本駅を後にした。僕はただの臆病者だった。

「ごめんよ」

 カレに対してどう詫びていいのかわからなかった。ただただ涙を流すしかなかった。どうしてこんなに意気地無しなのだろう。本当は死ぬ気などなかったのではないか。気持ちばかりが先走りして結局それを実行する勇気がなかった。実に情けなくて惨めな人間だ。


 大阪まで鈍行列車で戻り、そこから新幹線で広島に帰ることにした。僕にとっては人生をもう一度母親の胎内からやり直しているくらい長く感じた。永遠に終わる気配のないクラシック音楽のように僕を苦しめた。

 電車の中でずっと考えていた。どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 原因は自分との対話不足ではないだろうか。僕は絶えず『やらなければいけない』という言葉に支配されてきた。『やらなければいけない』ことはできてもそれ以外のことはできなかった。忙しく生きている人間こそ本当に優れているのであって、周囲から認められるのだと考えていた。『暇』という言葉を極度に恐れていた。

 そして、他人のために生きることこそ全てだと考えて自分と向き合う時間を作ることができなかった。本当は作ることができたのかもしれない。向き合うのが恐くて自分を避けてきただけかもしれない。

 そのことが僕の心にエアポケットを作ってしまった。同じように悩み、心に影を持っていたカレと出会うことで惹かれあい、その隙間を埋めようとした。そして悲劇を起こしてしまった。もしも僕がもう少し強い人間だったならば、もっと自分のことを理解してあげていれば、カレだって死ななくて済んだはずだ。カレの死を思い止まらせられたのは僕だけだったのではないだろうか。

 ネガティブなことを考えても仕方ない。これから僕ができることは何なのだろうか。カレの分まで生きること、これは大切なことだ。そして、第二の僕やカレを作らないことではないだろうか。

 カレと出会い、そして別れたこの数ヶ月間で人間心理について興味を持った。人の心についてしっかり勉強し、再びカレのような人に出会ったら、「一緒に死んでみるか」ではなくて、「一緒に生きよう」と、言える人間になってみたい。

 ようやく自分の将来が見えてきた気がした。少しだけ明るい気持ちになった。


 家に着いたのは夕方だった。母親がいた。

「ただいま」

 いつもよりも元気な声だった。少なくとも僕にはそう思えたのだった。その晩、とてもよく眠れた。




 広島に帰った僕を待っていたのは受験という戦争への前線配備命令だった。通い慣れたはずのあのコンビニや、カレの住んでいた家はもちろん、その近所に行くことさえなくなった。

 カレのことを忘れることはなかったが、日が経つにつれてカレについて考える時間が減っていったのは事実だった。3時間、2時間、1時間、30分、15分、10分、5分、そして、1分。0分にすることはできなかった。どうして将来必要のなさそうな勉強に時間を割かなければいけないのかよくわからなかったが、僕がカレのことを考えないようにする口実としては十分すぎるほど役に立った。もしもカレとの出会いがなければこんなに真面目に勉強することはなかったかもしれない。本当に皮肉な話である。

 上智大学文学部心理学科を志望した。難関だっただけに担任の教師からは厳しいだろうと言われていた。志望校を変えたほうがいいという貴重なアドバイスまで頂いたが、頑固に意志を貫いてみた。母親にも僕の熱意を上手く伝えることができたらしくようやく進路に口を挟まなくなった。

 受験直前の模擬試験の頃には成績も持ち直し、ボーダーライン付近まで帰ってきた。あとは運を天に任せるだけだ。

 2月になった。2週間東京に滞在し、たくさん試験を受けた。付け焼刃的な勉強をしていたせいか悉く落ちたが、幸運にも上智大学文学部だけには合格した。どうやら中学受験で一生の運を使い果たしたわけではなかったようだ。



 1999年4月、上智大学文学部心理学科に入学した。東京に行ってからは暫く広島に帰ることがなかった。むしろ広島に結界が張られていて近付けなかったと言うべきなのかもしれない。心の傷は表面だけが癒え、癒えたと思われていた中の部分が膿を持ちさらに悪化していたのかもしれない。

 大学生になって一番良かったのは自分について考える時間が作ろうとし、実際に作ったことだ。今までは受験、勉強、成績、受験、勉強、成績とお経のように周りが唱え吐き気がしていたけれども、大学に入った瞬間にその呪縛が解け僕は自由になった。

 アルバイトも始めた。サークルにも入った。恋人もできた。広島であった全ての出来事を忘れようとするかの如く、東京での生活を楽しんだ。


 2000年の春に大きなニュースが広島から届いた。父の福岡転勤が決まったのだ。父は母と共に福岡という彼らにとって未知の土地に旅立っていった。父は島根出身で広島大学を卒業後、広島に本社のある会社に就職していた。転勤はなく広島にずっと住んでいた。しかし、不況の煽りを受け会社の業績は悪化し、1999年10月、救済合併という形で福岡の会社と一緒になった。実質吸収される側にいた父の前途は多難だったが、僕と違って世渡り上手な人なので上手くやっていけるかもしれない。

 これで僕が広島に帰ることのできる唯一の口実を失ってしまった。


 大学での日々はあっという間に過ぎ去っていった。遊びすぎたせいで単位取得に失敗し、1年留年してしまった。

 大学5年生の夏、一度だけ広島に帰ってみることにした。僕にとっては卒業論文よりも困難で、重要な卒業試験だった。決行日は8月6日にすることにした。そう、僕とカレが初めて会話をした日である。あの日から既に6年経っていた。



―2003年8月6日(水)


 朝一番の新幹線のぞみに乗り東京を発った。新幹線に乗っている間、ずっと緊張していた。どんな風に街は変わったのだろう。それを考えるとドキドキした。10年以上会っていなかった初恋の人に会いに行く気分と似ているのかもしれない。MDウォークマンを起動させ、大音量の音楽を耳に流し込み、気分を落ち着けようと努力した。オリビア・ニュートン・ジョンの歌声が心地よく血液に乗って運ばれていくようだった。

 広島駅に着いたのは午前10時位だった。広島駅前が変化していた。僕が知っている広島の街には存在していなかった建築物が視野に入ってきた。

 市内電車に乗り込んだ。外国人がたくさん乗っている。この日はヒロシマが一年で一番スポットライトの当たる日なので外国人もたくさん訪れている。

広電本社前で降りてみた。あのコンビニに行ってみたくなったのだ。しかし、降りてすぐの場所にあるはずのあのコンビニは閉まっていた。5、6年前コンビニ業界は隆盛を極め、単細胞生物の如く増殖していた。大手スーパーの子会社だったはずのコンビニが親会社よりも強くなっていたりしていた。しかし、過当競争で一店舗当たりの収益は減り、不採算店舗は閉鎖に追い込まれ始めていた。あのコンビニも不採算店舗で閉鎖に追い込まれたのかもしれない。

 24時間・365日休むことなく動き続けていたコンビニにシャッターが下りている。本来下りることのないコンビニのシャッターは死の象徴とも言える。もう再び開くことはない。僕もいつかシャッターを下ろす時が来るのだろう。その時までに何ができるだろう。悲しみに打ち拉がれ涙を流しそうになったがグッと堪えた。ここで泣いてはいけない。

 再び市内電車に乗り、今度は本通の電停で降りた。久しぶりに本通を歩いてみた。本通は広島で一番の繁華街だ。それでも、現在東京に住んでいる僕からすれば広島は小さな地方の街に過ぎない。真新しいものはないかもしれないが、広島の人、モノ、建物、空気全てを全身で感じるには最適な場所だった。

 本通も変貌していた。古くからあるような商店は消え、ドラッグストアのようなジャンクな店が増えていた。残念に感じる部分はあったが、これも時代の流れなので仕方ないのかもしれない。誰かが栄えれば誰かが衰える。これは人類が背負った宿命なのである。

 パルコあたりまで来ただろうか。見たことのある顔を発見した。5年前に死んだはずのカレが女性を連れて歩いていた。もしかしたらカレに似ているだけかもしれない。いや、あれはどう見てもカレだ。正直よくわからなかった。自信がなかった。横にいた女性は目のパッチリとした美人で、カレの彼女のようだ。

 ちょうどすれ違った時、カレと一瞬目が合った。カレの口元が少しだけ緩んだような気がした。少し顔が赤くなってしまった。

僕の卒業試験は終わった。



 2004年4月、ようやく大学を卒業して大手電機メーカーで営業マンとして働くことになった。仕事は決して楽とは言えないが、毎日新鮮な経験が降ってきてやりがいを感じている。


 僕は心の金庫にカレとの思い出を永遠にしまい続けるだろう。頑丈な鍵を掛けるだろう。そして、永遠にカレを愛し続けるのであろう。


 カレはいつものように言った。

「何買ったの?」

「僕はお金では買えないものを得るためにここへ来たんだ」


(おわり)

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