ハッピークリスマス
十二月二十四日。ミルは、前日の言葉を忘れてしまったかのように、満面の笑みを浮かべて勉強に励み、遊びに励んでいた。遊びとは主に、テレビゲームだ。響歌ももう冬休みに入っているので、響歌も交えて四人でレースゲームをしたりしている。響歌と昌也はいつも通り過ごしている。もちろん、ミルが明日死のうとしていることなど知る由もない。
結局食べ損ねたミルの料理を夜食べ、そのおいしさに驚いた。教えたのが響歌ということもあっただろうが、かなりの腕であることは確かだった。そして、その晩ご飯こそが今年のこの家での実質上のクリスマスパーティだった。
その日、今まで通りミルと話した。今まで通りミルと遊んだ。今まで通りミルと一緒に寝た。
そうして、十二月二十五日。
力也は、ずっと布団の中で寝られずにいた。目を醒ましたらミルがいなかったら……と思うと、恐怖で眠れなかったのだ。
ミルの体温はまだ腹部にある。ミルが力也の腰に手を回していた。
「ふう」
安心感に思わず溜め息が出る。
(……あれは、本当に現実だったのかな?)
ふいにそんな考えが力也の脳裏を過ぎる。
だが、すぐに力也は首を横に振っていた。
(現実だ。……現実逃避するんじゃない)
自分にそう言い聴かせ、力也は眠れない夜を過ごした。
「――力也ぁ。朝だよ」
どこか遠くから、声が聴こえる。
「起きてってば」
徐々に声は大きくなっていた。
「もう!」
どすっ。
鈍い音が耳に響いた瞬間、力也は目を醒ましていた。
腹部に重みを感じ、寝ぼけ眼で目を向けると、ミルが自分の上にのしかかっていた。
そして、脳がそう理解した時、力也は飛び起きていた。
「ミルッ」
力也は、ベッドで尻餅をついていたミルを抱きしめる。
(ミル……ミルがいるっ)
どうしようもなくうれしかった。
涙腺をついて、涙がとめどなく流れる。
どうやら、気付かぬ内に寝てしまったらしかった。あれだけ、「寝ない」と決めていたのに、寝てしまうとは由々しき事態だったが、ミルがこうして目の前にいるだけで、それは安心に姿を変えていた。もし、目を醒ました時にミルがいなければ、力也は発狂していただろう。
「力也……どうしたの?」
肩越しに驚き半分心配半分みたいな口調の声が聴こえてくる。
「好きだよ」
なぜか、その言葉が口をついて出た。
もう一度、ぎゅっと抱きしめる。ミルの心臓の鼓動が聴こえてきた。とても早く脈打っている。
――ミルは生きている。
力也が感懐したのは、そんな大袈裟な言葉だった。
どれだけ待っても、ミルはずっと黙ったままで、返答はなかった。
力也はゆっくりと身体を放し、ミルの顔を覗き込む。
ミルは、頬を赤く染めていた。どうやら、突然のことで反応できなかったらしい。
次の瞬間、力也の心は陽気に跳ね上がっていた。
(かわいい。かわいすぎる。ミルッ。好きだよ。もうずっと放さないからな)
そう心に誓って、力也はミルの手に指を絡ませ、顔を近づける。
そうして、唇と唇が重なろうとした時――
がちゃ。
扉が開き、響歌が顔を覗かせる。
「ミルちゃん、力也を起こしに行ってから随分経ってるけど――――」
響歌が絶句し固まった瞬間には、力也とミルはそれぞれ顔を放し、明後日の方向を向いていた。
その光景がいつかの光景と酷似していて、力也は思わず笑ってしまっていた。
そして、つられて、ミルと響歌も失笑した。
日没は見ることができなかった。町に雪を舞い散らせる雲が太陽を隠してしまっていたせいだ。だけど、かえってそれが町の風景をぼやけさせ、町中に広がるイルミネーションを幻想的に表現していた。
ホワイトクリスマス。
その言葉が恐ろしく似合う光景だった。
「力也、準備できた?」
下の階から響歌の声が聴こえてくる。
――だけど、この町には、クリスマスを楽しく迎えることができない人たちがまだたくさんいる。
「うん。今行くよ」
力也は窓から目を逸らし、ゆっくりと立ち上がる。
廊下に出ると、力也はLEDの明るさに思わず目を細める。
階段を下りると響歌が靴を履いている途中だった。
今から力也たちは灯篭流しのゴール地点――あの駅に向かう。クリスマスパーティのようなものを昨日行ったのは、そのためだ。
と、そこで力也はミルの姿がないことに気付く。
「あれ? ミルは?」
力也の質問に響歌はブーツの紐を結びながら答える。
「ミルちゃんならトイレに行ってると思――」
「えっ。俺今トイレに行ってたんだけど……」
響歌の声を遮ったのは、黒めの服を着こんだ昌也だった。
「あれ? じゃあミルちゃんどこ行ったんだろ? 二階にはいなかったよね?」
座ったまま振り向いて疑問符を浮かべる響歌に力也はゆっくりとかぶりを振る。
自分の部屋にはいなかったし、隣の部屋は足の踏み場もない画廊となっている。後二階にあるのは、大きな物置場くらいだが、まさかそんなところにいるとは思わなかった。
「あれー。んじゃあ、ほんとにどこ行ったんだろ?」
響歌が指を唇に当てて何やら思案し始める。
寒くもないのに、力也は背中に悪寒を感じていた。
そして、玄関にミルの靴がないと脳が理解した瞬間、力也は家を飛び出していた。
外に出ると、冬の冷たい風が力也を迎える。その風はまるで、これからのことを予期しているように思えた。
「力也ッ。どうしたのっ」
という響歌の驚いた声が聴こえたが気にしていられなかった。
雪がしんしんと降り注ぐ町を狂ったように走り回る。
だが、どこにもミルはいない。
力也は、最悪のことを考えてしまうが、すぐにその考えを思考から振り落とす。
やがて、雪に冷やされたのか脳が冷静に物事を考えられるようになり、すぐに今一番すべきことを思いつく。
ズボンのポケットをさぐり、ホロタンを取り出す。やるべきは、位置情報の検索だ。
だが、希望はすぐに絶望に変わる。位置は力也の家の中を示していた。ミルは、ホロタンを置いて行ったのだ。おそらくそれは、力也に場所を特定されないためだろう。
そして、同時に力也は自分の油断を恥じる。
(あの時、ミルは言ってたじゃないか)
――私は幸せにその日を迎えちゃいけない
それは現実だったのに、力也は忘れてしまっていた。おそらくそれは、あまりにもミルの笑顔が綺麗だったからだ。でも、今なら気付く。昨日のミルの笑顔も今日のミルの笑顔も、みんな力也を油断させるために振る舞っていただけなのだ。
(くっそ)
力也の心の焦りを反映するかのように少し雪が勢いを増した気がした。
力也はとにかく走っていた。
今まで見つけてきたのだから、絶対に見つかる。そんな変な自信が力也を支配していた。いや、言い聴かせていただけなのかもしれない。
(ミル、どこだよッ)
中学校。高校。スラムのあの場所。
思いつく限りの場所は行った。だが、ミルはどこにもいない。
白い息を吐きながら息を乱して走る力也を嗤うかのように横をトラックが通り過ぎる。
ここまでくると、皆目検討がつかなかった。ミルは一体、どこで死ぬつもりなのだろうか? 一刻も早く見つけなければ、手遅れになってしまうかもしれない。
力也は立ち止まり、肩で息をしながら思考をフル回転させる。
ミルに出逢ってから今までのミルの言葉を全て思い出し、どこかにヒントがないか探す。
だが、どれだけ探してもヒントとなるようなものは見つからない。
ぎゅっと唇を噛み締め、悔しさに身を震わせる。
――ッ
その時だった。力也は何かを掴みかけ、死にもの狂いでそれを追いかける。
暗闇に隠れようとしたそれを捕まえた時、力也は走っていた。
やっと掴んだそれは、だがミルのものではなかった。しかし、ミルの居場所を表しているのは確かだ。力也の中にそんな自信があった。今度は言い聴かせているのではない。本気でそう思うのだ。
そして、力也は掴んだ言葉を確かめるように脳内で反芻させる。
――この先に――ほら見えるかい? あのビルだよ。あのビルで、娘は亡くなったんだ。
星はない。空に散っているのは、白く小さな粒だけだ。
力也の目の前にミルがいた。ミルは、ビルの端に呆然と立ち尽くしていた。
「ミルッ」
力也の声にミルがびくっと肩を震わせ、恐る恐ると言った風に振り向く。ミルの顔には、驚愕の表情が貼り付いていた。
「どうして……」
「ミルを見つけるのは得意なんだよ」
力也はふっと笑って見せる。
だけど、それに対抗するようにミルは不機嫌な顔になる。前を向き、足を一歩前へ。
(だッ――)
力也がミルを助けようと一歩足を踏み込んだ瞬間――
「来ないでッ」
白い粒を吐き続ける空にミルの言葉が響く。
力也はあまりに鬼気迫る声に思わず足を止めてしまう。
「なん――」
「だめだよ。……力也が来ちゃったら、だめだよ……」
ミルの声は震えていた。いや、声だけでなく、ミルの身体も震えている。
「だめなのはこっちだよ。勝手にいなくなって、一人で死のうとして……」
「だって……だって……力也が一緒にいたら私、死ねなくなっちゃうかもしれなかったから……」
「じゃあ、死ななきゃいいじゃん」
自然、冬の風より冷たく、冬より暖かい言葉が発せられていた。無意識であっても、おそらくそれが、力也の本心だ。
(ミルの苦しみは知っている。忘れろなんて言えないし、言わない。
――でも、それなら僕が半分背負ってあげるから、死なないで。一緒にいて。君がいないと僕は駄目なんだ。
――それでも、君が断るなら、僕は――)
「なっ」
ミルは思わず振り返っていた。やっと、ミルの顔が見られる。
ミルの頬には、洶涌と涙が溢れていた。口をきゅっと引き結び、悔しそうな顔をしている。
「僕が一緒に背負うからさ、生きようよ。死なないでよ」
力也はまた、ふっと笑った。
本当は今にも泣き出しそうだった。でも、今泣いたら駄目だってわかるから……。
だけど、ミルに反抗するために笑ったのに、ミルは涙を堪えて笑う。涙を滲ませながら、不器用に笑う。
「無理だよ。……力也には背負えないよ。……だって、力也には家族がいるでしょう? ……だから、この苦しさは力也には背負えないよ」
冷たい雪がミルの言葉と共に力也にのしかかる。
(ああ……ああ……)
所詮、幸せ者にはわからない。そう言われた気がして、力也は自分を責めていた。
どうして自分は幸せなのか。どうしてミルをわかることができないんだッ。そんな風に。
いっそ、親に死んでもらおうか。
そんな、最低なことまで考えてしまう。
(なら……なら……)
そして力也は、無理矢理にでもミルをわかる方法を口にする。
「なら、一緒に死のう」
その言葉を聴いたミルは一瞬硬直してしまっていた。
その上に雪が降り積もる。それは、重荷を背負っているミルに更に荷物を載せたみたいに見えた。
「な……なに言ってるの……力也……。そんなのだめだよ」
また、ミルの声は震えていた。唇はわなないている。
「どうして!」
「だって、私と力也は違うんだよ? ……それに力也はこれから、幸せになるの。私以外の人を好きになって、幸せになるの。理由もないのに、死んじゃだめだよ。……私なんかのために、死んじゃだめだよ」
「何言って――」
「私! 少しの間だけだったけど、力也といれて幸せだったよ。……だから、幸せだった、その分の罪を今から償うの。……本当は、私を嫌ったこの世界――『ACC』で死にたかった。でも、それでは死ねない。残念だけど、しょうがないよね……。だから、こうやって死ぬの」
力也の足は震えていた。……いや、足だけじゃない。身体の全てがこれから起こることへの恐怖に震えている。
(ああ……いやだ……)
声にならない言葉が力也を更に恐怖に突き落とす。
少しした後、ミルは満面の笑みを見せて――
「私……力也のこと大好きだったよ」
――そうやって、初めて力也への思いを口にして――
「じゃあね、ばいばい」
――まるでまた逢えるかのように……
ビルから飛び降りた。
不覚にも書きながら涙を流してしまいました。




