願い
太陽が沈み、辺り一面が暗くなった直後、三人を扱き下ろすかのように一斉に周りの街灯が辺りを照らす。
篠川は、こちらの異変に気付いていない。ワックスで整えている髪がくしゃくしゃになるほど、額を両手で強く押し付けていた。俯いているため表情は見えない。だが、篠川が後悔の念に駆られているであろうことは、さきほどからの口調からなんとなく理解することができた。
「本当にすまない。……俺の私情で君たちを巻き込んでしまって……」
力也は、そっとミルの手を握る。
ミルの震えが止まるように。……そして、自分の寒気が治まるように……。
力也は、ミルを握る手にぎゅっと力を入れて、篠川の言葉に耳を傾ける。
「だけど、当時の俺は狂っていたんだ。娘を殺されて、一刻も早く『ACC』を作らなければと躍起になっていたんだ。……もう知っているかもしれないが、俺は平和な世界を造るために六人の少年少女を殺した。全員、人殺しを行ったことのある子供たちだったとはいえ、今考えれば残酷なことをした。その罪を認識したのは、五年前――ミルさんに出逢った直後だった」
そこで篠川は顔を上げる。
幾筋もの涙が篠川の頬を伝っていた。
「ミルさんへの手術は完了したと嘘を吐いた後、ふいに俺に殺された子供たちの両親が俺と同じ気持ちだって気付いたんだ」
篠川は、どんな気持ちなのか、具体的に言おうとしなかった。だけど、力也には少しわかる気がした。おそらく、篠川が思ったのは、『どんなことをしてでも守りたい』そういうものだろう。それは、以前――いや、今も力也がミルに対して抱いている感情だ。
篠川は、何かに耐えるように身を震わせる。
「俺は……俺は……なんてことをしたんだろうと後悔した。罪の意識に苛まれる日々が続き、ついに『英雄』と呼ばれている自分に耐えることができなくなって、俺は医学界から引退した。……だけど、今も毎日のように少年たちに殺される夢を見るよ。結局、『ACC』で解決できない罪は、永遠に残るってことだな」
篠川は自嘲気味に微笑む。
「今日君の家を訪れたのは、ミルさんの顔を見て、気分を落ち着かせたかったからだよ。……どこまでも自分のことしか考えていないと笑ってくれたっていい。だけど、今日一日だけでいいから、その夢以外の夢を見たいんだ……」
篠川は、そう締めくくって話を終えた。
ミルの震えはいつの間にか止まっていた。温かいミルの体温が、手を通して伝わってくる。
篠川は立ち上がり、丁寧にお辞儀する。
「今日はありがとう。……こんなことを頼むのはあれなのだが……その……君の端末の番号を教えてくれないか? また、時間があれば逢いたいんだ……」
苦笑いを浮かべながら篠川はそう提案する。
『どこまでも自分勝手なやつ』
力也はそう思ってしまうが、すぐにその考えを取り消す。考えてみれば、ミルがクラスメイトを殺した時に爆死しなかったのは、篠川が手術を行わなかったからだ。言い換えれば、ミルを助けてくれた人は篠川ということになる。なら、お礼を言うべきはこちらのほうだ。力也は、せめてものお礼として、電話番号を教えることにした。
ホロタンを展開し、篠川が展開していたホロタンとお互い電波を送れば完了だ。これで、二人のホロタンにそれぞれの情報が送られた。
「本当にありがとう。……では、またいつか」
そう言って、篠川はやつれた頬に穏やかな笑みを浮かべた。
座ったままは失礼だと思いながらも、ミルの手を放すことができず、力也はそのままお辞儀をする。
篠川の姿が見えなくなった後も、力也とミルはずっとベンチに座ったままでいた。
冷たい風が吹き、二人の体温を少し下げる。
「ミル、そろそろ帰ろう……」
力也はそう声をかけるが、返答はない。ミルは俯いていて、表情が見えなかった。だが、さきほどから何度も力也の手をぎゅっと握り返している。
十分ほど経っただろうか? やがて、ミルが顔を上げる。
ミルは、力也を見つめて悲しそうに微笑む。
「ねえ力也」
「うん?」
「クリスマスには死なせて」
「……えっ?」
力也は思わず自分の耳を疑ってしまう。あまりにもためらいなく発せられた言葉を力也の脳は理解するのを拒絶していた。
「死なせて」
だが、もう一度発せられた言葉が、力也の脳に強制的に理解させる。
「だめ……だよ」
無意識の内にそんな言葉が漏れていた。いつの間にか喉が嗄れ、呼吸をするだけで激痛が走っていた。
喉なんてどうなってもいいから、もっと、「駄目だ」って言いたかった。だけど、脳がそれを拒否していた。
力也はどこかで気付いていた。ミルがどうして、「死なせて」と言ったのかを。
それは、おそらくミルが嗚咽を漏らしていた時からの予覚だ。あの時から気付いていたのに、力也は考えるのを放棄して、ミルの手を握ってミルの心を和らげて、自分もそのことを忘れようとしていたのだ。
だけど、もうそれはできなくなっていた。
ミルは、ゆっくりとかぶりを振る。
「だめじゃないよ。……だってもう、耐えられないの。私はね、死ぬべきなの」
『そんなことないッ』
そう叫びたかった。だけど、言葉は、やはり喉の痛みに遮られて霧散する。
「力也ももう気付いてるんでしょ? ……私はね、本当は力也に出逢う前――生きるために財布を盗んだ時に死ななきゃいけなかったの。でも、そうならなかった。篠川さんが、娘さんに似てる私の手術を行わなかったせいで。……だけど、その娘さんは私のお父さんとお母さんに殺された人なんだよ? ……もうだめだよ。罪を償う側の人間が、幸せに生きるなんて、あっちゃいけないことなの」
ミルはそう言って、ふっと微笑んだ。
力也は唇を噛み締める。「ミルが罪を償う必要なんてないんだよっ」そう言いたい。ミルの気持ちを踏みにじるのを承知で――自分勝手でいいから、そう言いたかった。だけど、やはり喉は、脳は、それを許さなかった。
ミルと手を繋いでいない方の手に脈を打つように痛みが走っていた。見ると、手の甲辺りに爪の痕が残り、そこから血が滲み出ていた。
滑稽だと言いたげに、辺りの木々が風に吹かれてざわつく。
一方、ミルを祭り上げるかのように、一本の街灯がミルを照らしていた。
――だから、クリスマスには、誕生日には死なせて。私は幸せにその日を迎えちゃいけないから
ミルは最後にそう付け加えた。
ふう。物語もついにここまで来ましたか……




