後
一瞬、力也は硬直してしまう。だが、それは徐々に陽光に溶かされていった。
「……強い人……か」
その言葉を身体に染みこませるように力也は呟く。
ミルの言葉を鵜呑みにするわけではない。もし認めてしまえば、力也の祖母やミルの祖父母を殺したテロリストを、『強い人』と認めてしまうからだ。それでも、ミルの言葉を完全に否定することはできなかった。なぜなら、今力也はミルに感謝しているからだ。この世界の汚点を綺麗に洗浄してくれたミルに感謝している。
平和のために人を殺す。――それはさながら、女神のようだ。
かつての篠川研路も、平和を創るために数人の少年少女を殺した。その篠川を英雄と呼ぶのなら、ミルを女神と呼んでも過言ではないだろう。
(ああ、綺麗だ……)
神々しい光が、ミルを照らしていた。
ずっと、こんな感覚を味わっていたかった。
「力也」
「うん?」
「花屋さんの前で男の人三人に囲まれてた時、私震えていたこと憶えてる?」
「ああ、うん」
確か、あの時、男の人に囲まれた恐怖で怯えているのかと思ったが、ミルはそれをはっきりと違うと言った。思い出してみると、確かにあれはなんだったのだろうか?
「あれね。私今にも三人を殺しそうで怖かったの」
「えっ……。つまり、それを堪えるために震えてたってこと?」
「うん。私、その頃から危なかったみたい」
「危なかった……あはは。確かにね」
なぜか笑みがこぼれた。今のミルの言葉なら、なんだって笑える。そんな気持ちだった。
力也は、教室内を見回す。みんな、死んでいた。何も話さない。
――力也を嗤う者は、もう誰もいない。
大きく息を吸いこむと、血液の臭いが心地よく身体に広がった。
だが、そんな夢のような感覚も終わりを告げる。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いたのだ。
それによって力也の思考は冷静になり、はっと気づくように現状を解析していた。
死体はみな、首を掻き切られている。つまり、爆死死体はないということだ。これは、犯人が存在しないことを示していた。この状況を見て、警察はどういう判断を下すだろうか? 集団自殺……? はたまた、怪奇現象……? ともかく、犯人なき殺人事件は、迷宮入りすること間違いなしだろう。
だが、そうだとしても、できるだけ早くこの場所から離れたほうがよさそうだ。
力也は余韻に浸っていたミルの手を掴み、窓から飛び降りる。もちろん、下にクッションとなる木が生えていることは計算済みだ。
木の枝に引っ掻かれた微かな痛みを頬に感じながら、力也はミルの手を掴んで走っていた。力也が覆いかぶさるように落下したため、ミルに傷は見当たらない。この、綺麗なミルの顔に傷がつかなかったことは、幸いだ。
バスを使わずにおおよそ三十分。力也とミルは、自宅に辿り着く。途中、力也とミルを奇異の目で見る者もいたが、警察に通報しようとする者は誰もいなかった。
中に入ると、ふっと空調の暖かさだけではない何かが二人を包んだ。
「ミル、とりあえず血を流してきて」
「うん」
頷くと、ミルは足音を立てないように静かに風呂場に歩いて行った。
「ふう」
力也は思わずため息を吐いていた。どっと疲れが力也を襲う。さらに、頬の痛みと手に滲む痛みが力也をじわじわと浸食していた。
二階に上がり、自室のベッドに座る。
しばらくの間、力也は呆然としていた。やがて、思考は勝手に物思いに耽り始める。
もう、事件は発覚し、警察が来ているだろう。もしかしたらもう、ニュース速報にでも出ているかもしれない。
力也はホロタンを展開させ、インターネットのニュース欄を確認する。すると、やはりあった。『~~町の中・高の公立校で生徒が不審死』と見出しが出ている。内容は、三十九人の生徒と一人の教員が首を切られて死んでいたというものだ。そして、最後に警察の見解も書かれていた。
『外国人による犯行か』
力也は、いつの間にかガッツポーズしていた自分に気付く。
うれしさがこみ上げてくる。身体が火照っていた。見上げると、無機質な白い天井が歓声を上げているように思えた。
しかし、警察はどれだけ馬鹿なのだろうか? 日本国籍ではない外国人が日本で犯罪を行った場合、現在の日本では、治外法権が認められず、必ず日本で裁判が行われる。そして、ほとんどの場合で重い罪に科せられるのだ。なので、わざわざ日本で罪を犯す外国人はいない。それなのに、警察はそう判断したのだ。……まあ、爆死死体なき犯行現場から、そう判断するより他なかったのだろうが……。
「力也、入って来たよ」
その声に力也は扉のほうに目を向ける。
いつものミルがそこに立っていた。白い肌に黒い髪がなぜだが新鮮に思えた。
「おかえり」
「力也も入ってきたら?」
「うん。そうするよ。……でも、今は少しでいいからミルといたい」
何気なく今の純粋な気持ちを伝えると、ミルは火照っていた肌をさらに真っ赤に染める。
キスをした時のことでも思い出したのだろうか?
ミルは何やらぶつぶつ呟きながらも力也の横に座る。シャンプーの香りが力也の鼻に触れた。やっぱりミルはこっちの匂いのほうが似合っているかもしれない。
「キスのこと……怒ってる?」
数分の沈黙の後、力也はミルの顔を覗き込んで問いかける。
ミルの気持ちも聴かずにしたことだ。冷静に考えれば最低なことをしただろう。だから、力也はどうしてもそのことを訊きたかった。
だが、ミルはゆっくりとかぶりを振る。
「うれしかったよ。……なんなら、もう一回する?」
「いや……あの……その……」
ミルはそうやって、また力也をからかって悪戯な笑みを浮かべる。
(くっそ)
悔しいのに、心はぽかぽかと温かかった。不思議な気持ちだ。
このままだとミルのペースに持っていかれそうだったので、力也は話を変えることにする。
「そういえば、さっき速報で出てたんだけど……ミルが殺した人たちはみんな外国人による犯行ってことになったよ」
その言葉にミルは一瞬驚いたような表情を見せるが、やがて納得したようにうんうんと頷く。
「そっかそっか。よかったよかった」
「うん。本当に……よかったよ」
力也はミルの顔を見つめ、ふっと微笑む。
ミルは力也の笑みに気付くと、ふっと微笑み返した。
――幸せだ
もう、力也とミルをいじめる者はいない。みんな、ミルがなくしてくれた。
これからは、ミルを含めた家族四人で仲良く暮らそう。そして、いずれ就職したら、自立して二人暮らしをして結婚しよう。子供はいなくてもいい。ミルがいてくれたら充分だ。
――ミルをもう悲しませたりなんかしない。
だけど、現実はそんなに甘くなかった。
どれだけ幸せを願ったとしても、その分だけ現実は不幸を振りかざす。そういうものだ。
次回の更新は、2週間後になりそうです!




