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Peace World  作者: 黒糖パン
23/30

ファースト

 力也の目を醒ましたのは、血液の臭いだった。

 頬が冷たい。地面に付いていた側の頬の感覚がほとんどなかった。手をついて、なんとか起き上がる。頭に激痛が走った。動くと、ハンマーで軽く叩かれているような痛みに襲われた。

 耳障りな音に気付き、力也はゆっくりと顔を上げる。地面にぶちまけられた肉片にハエがたかっていた。ミルに殺された二人の男からは未だに血が流れ続けていた。その血は、新しく降り積もった雪を紅く染色していく。

 ふいに吐き気に襲われ、力也は必死に手で口を押さえて堪えていた。後から考えれば、ここで吐かなかったことは幸いだった。なぜなら、ここに警察が来た時、現場に力也のDNAが残っていれば、面倒なことになるかもしれないからだ。なるべく、無関係でいたかった。

 今回のことでミルが捕まることはまずない。そもそも、犯罪者は等しく爆死するため、捕まるという概念が存在しないのだ。なので、爆死していなければ、犯罪者ではない、ということになる。この現場を見て警察は、「仲間割れをして、一人の男が他の二人を殺した」という見解をするだろう。

 ――幸いだ(・・・)ミルは犯罪者(・・・・・・)じゃない(・・・・)

 できるだけ早くここから離れたほうがよさそうだ。というか、一刻も早くミルを見つけなければならない。

 力也は、頭を手で押さえながら歩を進める。ホロタンを取り出し、時間を確認すると、午後二時三十分を回ったところだった。三十分以上は気絶していたことになる。

 凍死するところだったことに対して身震いしながらも、力也はホロタンを操作し、ミルのホロタンのGPS情報を検索する。すると、示された場所は、ミルが通っている中学校だった。

(まさか……)

 最悪の予感が力也の脳裏を過ぎる。

 自然、足が早まっていた。雪が少し強くなったのは、力也を急かすためだろうか?

 車の残骸を横目にスラムを抜けると、ちょうどバスが到着していた。出発直前に飛び乗り、車内を確認するが、もちろんミルの姿はなかった。力也の返り血を浴びた服を見た運転手はぎょっとした表情を見せていたが、気にしていられない。

 やがて、バスが出発する。ゆっくりと車窓から見える光景が動き出す。力也の足はいつの間にか貧乏揺すりしていた。そんなわけはないのだが、走ったほうが速いのではないか、と思ってしまう。

 目的地に着き、バスを飛び降りる。頭の痛さは、貧乏揺すりを通してバスに押し付けてきた。走って正門を抜け、校舎に入る。幸いに授業中のようだった。教員に会わないことを願いながら、ミルのクラスに向かう。一組は移動教室なのか、誰もいなかった。幸いだ。怪しまれることもない。

 ―――――ッ

 二組の扉の前に辿り着いた力也は、思わず後ずさっていた。扉に付いているガラスから覗けるだけでも、教室には、十人ほどの死体が転がっていた。首元が掻き切られている。即死だっただろう。力也は、ごくりと唾を呑み込んで、扉を開ける。直後、むっとするほどの血臭が力也を襲い、吐き気を誘発させる。鼻と口元を腕で押さえ、ゆっくりと教室に踏み入る。教室内は悲惨な状態だった。机上には、大量の血がまき散らされ、床には大量の生徒がまき散らされている。みな、首を掻き切られていた。ある者は、絶望に顔を歪ませたまま絶命しており、またある者は、目の前で起きていることが信じられないという表情で事切れていた。――教員も含め、四十人ほどの人が様々な表情で生命を強制的に終わらされていた。これだけグロテスクな状況に陥っているのにもかかわらず、三組の人が誰も現状に気付いていないということは、四十人は目の前の状況を理解できずに一瞬であの世に旅立っていったのだろう。

 そこで、力也は大事なことに気付く。

 ――ミルだ。ミルの姿がどこにも見当たらない。

 力也は、ホロタンを取り出し、GPS検索をもう一度行う。

 ミルの位置は移動していた。だが――ここは……

 力也は再び走り出していた。

 学校を飛び出て、バスを待つのももどかしく、走ってそこに向かう。平日の昼間ということで、歩道にはほとんど人がいなかった。人とすれ違う時も傘と雪のおかげで、力也の服に気づく者は誰もいなかった。

 数分後、見慣れた高校に到着する。校門を飛び越え、校内へ。こちらもまだ授業中だ。廊下には誰もいない。つくづくツイている。こんなに、現実は不幸だというのに……。

 教室の手前で力也の耳に微かに聴こえてきたのは、呻き声だった。他のクラスから聴こえてくる教員の声に交じって確かに呻き声が漏れ聴こえていた。

 ――ッ!

 教室に入った力也の目の前には、さきほどの教室と同じ惨状が広がっていた。窓には、べったりと血液がこびり付き、床に転がる生徒は床を紅く汚し続けている。教室を汚していることを叱らなければいけない教員は、すでにこの世の人ではなくなっていた。

「ミル……」

 血臭にまみれた空間に力也の枯れ枯れの声が流れる。今にも、腐ってしまいそうだった。

 ミルは教室の一番後ろの空いている空間で果物ナイフを一人の生徒の首にめり込ませていた。さっき力也が聴いた呻き声はこの生徒のものだ。そして、その生徒を力也はよく知っている。

 ――智明だ。

 智明の顔は、絶望に満たされていた。傷口から血が噴き出しているのにもかからわらず、まだ絶命していない。ゆっくりと、苦しむような殺し方でミルはナイフを押し込んでいっているのだ。やがて、智明の目は焦点を定めずにきょろきょろと教室を見回し、最後――最期に力也を見つめると、黒目が上を向く。それが、智明の絶命を知らせた。

「ああ、力也……起きたんだ」

 智明を蹴り飛ばし、ナイフに付いた血を払ったミルは、顔を上げて力也を見つめる。ミルの白い肌は、紅く変色していた。黒い髪は、紅く染まっていた。

「ミル……どうして……」

 なんとか、その言葉だけを絞り出すことができる。だが、次の瞬間力也は咳き込んでいた。嫌な咳が嫌な空気に交じり、嫌な空間を作りだしていた。

気持ち悪い。吐きそうだ。

 しばらくの間、ミルは力也の言葉を無視して教室を見回していた。それが、余韻に浸っているように感じられたのは、果たして気のせいだろうか?

 やがて、ミルは紅い手を大きく広げ、紅い肌から覗く大きな瞳で力也をやさしく見つめ、口を開く。

「ねえ力也。私やったよ! 復讐できたよ!」

 ミルの声は弾んでいた。

 ナイフを近くの女子生徒の頭に突き刺した後、こちらにステップしながら近づいてくる。

 怖い。恐怖だ。……だが、それなのに力也の足は動かなかった。別に動かそうと思えば動かせただろう。しかし、力也は無意識の内にミルに対しての拒絶を拒否していた。

 胸に飛び込んできたミルを力也はしっかりと抱きとめる。

 いい匂いだ。……いや、血の臭いか。

「ありがとう」

 いつの間にか、そんな声が力也から漏れていた。

 ミルを抱きとめた瞬間、恐怖なんて言う感情はどこかへ行っていた。

 うれしい。いい気分だ。

 そんな感情が、力也の心中を埋め尽くしていた。

 『復讐』それは、力也がいつか覚えた感情に似ている。――そう。智明に無視された時に力也が覚えた感情は――

 ――殺意だ。

 それを代わりにミルが実行してくれた。これほどうれしいことはない。

(ああ……ミルが好きだ。好きすぎてたまらない。……もう、このままいっそ――)

「やっぱり、力也があの日いらいらしていた理由は、これだったんだね。力也の苦しみは、私が全部消してあげたよ? どう? すごいでしょ?」

 力也の目の前のミルは、満面の笑みを見せていた。力也は、ミルの顔にへばり付く血液を拭い、ミルの顔をもっとよく見えるようにする。拭っている間、ミルはくすぐったそうにしていた。それがまた、愛おしい。

「ミルは僕のことをお見通しなんだね。……最初はびっくりしちゃたけど、今はこの光景を見て快感を覚えるよ。……ざまあみろって感じ」

「あはは。それはちょっと性格悪いんじゃない? ……とか言って、私もクラスメイトを殺した時はそう思ったんだけどね」

「似た者同士だね」

「うん」

 そうして、力也とミルは唇を重ねた。

 すごく幸せだ。ずっと、このままがよかった。

 初めてのキスは、血の味がした。

「ふふふ」

 ミルはうれしそうに笑う。本当に幸せそうだ。ミルのこんな顔を力也はずっと見たかった。

「あのね、力也。私ね、強い人になれた気がする」

 微笑んだまま、ミルが口を開く。

「どうして?」

「だってね、私気づいたの」

 ミルは、後ろ手を組んだまま二歩後ろに下がり、力也を見つめた。

 外の雪はいつの間にか止んでいた。雲も晴れ、隙間から陽光が覗いている。光は、淡く教室を照らしていた。


 ――この世で一番強い人は、お金持ちでも正義のヒーローでもなくて、人を殺せる人なんだよ?


やべえ……この二人やべえ

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