娘
「あの……すみません」
交番に入って来た男を見て、佐武清助はぎょっとした表情を見せる。男の顔は明らかにやつれていた。それに、服に隠れているとはいえ、四肢もかなり細いだろう。一体、何日ご飯を食べなければこんな身体になるのだろうか? ……しかし、佐武はこの男をどこかで見たことがあった。芸能人だろうか? かなり有名な人のはずだった。だが、普段あまりテレビを見ない佐武は、それ以上思い出すことができなかった。
とりあえず、男への不信感は頭の隅に追いやり、佐武はやさしい口調で問いかける。
「どうしました?」
本音は、とにかく早く帰ってほしかった。今、先輩はスラムの巡回中なので、この交番には自分しかいない。それに最近は、ミルとかいう少女のせいで死体も見てしまった。
正直、疲れていた。前の部署は、めったに起きない事故の処理を行うだけだったので、もっと楽だったのだ。だから、できるだけ仕事はしたくないし、面倒事は避けたいところだった。
「人を捜していまして……」
その男はそう言って、色褪せしているコートの内ポケットから写真を取り出し、こちらに差し出してくる。
受け取った写真には、一人の少女が写っていた。満面の笑みで写真に写っている十歳くらいの美しい少女――佐武はこの少女に見覚えがあった。
確か、最近どこかで見たことがある気がする。――いや、正確に言うならば、この少女によく似た、少し年上の少女を、だ。
しばらく考えた後、佐武は、はっと思いつく。
――和束ミルだ。
長く黒い髪に漆黒の瞳……間違いない。和束ミルだった。写真のほうのミルは今と違って肌の血色がよかった。どうやら、この写真が撮られた頃、ミルは幸せだったらしい。
「和束ミルという、この近辺に住んでいる十五歳の少女に非常に似ていますね」
写真を返して、正直にそう答えると、突然その男は、佐武の肩に両手を置き、身体を揺さぶる。
「本当ですかッ」
ぎらりとした男の目が、佐武を見つめていた。
男の様子を見ていると、どうやらミルの親族らしかった。
しかし、そこで佐武は、はたと思い出す。
――和束ミルの親族はみな、亡くなっていなかったか?
一度目に保護した時、ミルから採取した血液を警察に保管されている全国民のデータベースに検索をかけ、ミルのことを調べた。データには、ミルの親族はみな、亡くなったと記載されていた。
では、この男は誰か?
佐武の男を見る目が、よりいっそう鋭くなる。不信感に充ち満ちた目だった。
佐武は、とりあえず男を自分から引き剥がし、気持ちを落ち着かせる。
そうして、数分後、穢れたものでも見るような目で、佐武は男を睨みつける。
「和束さんとは、どういうご関係で?」
爆死していないところから見るとこの男が罪を犯していないことは明白だが、何せ、男が放っている雰囲気が怪しすぎた。職務質問のような口調になってしまうのは、仕方のないことだろう。
だが、男から返ってきた言葉は、予想だにしないものだった。……いや、元より予想などできなかったのかもしれない。
「いえ、和束さんとは直接かかわりがないんです」
「えっ……でも、写真を……」
「実はですね、私が捜しているのは確かに和束さんなんですが、この写真は私の娘で、和束さんとはまったく関係ないんです」
男は苦笑いを見せながらそう言った。
…………?
しかし、佐武には男が何を言っているのかまったく理解できなかった。
佐武が困惑していると、こちらの様子を悟ったのか、男が説明を付け加えてくれる。
「えっとですね……数年前に娘は死んでしまったんですが、先日、この近辺で偶然娘に似た人を見かけたものですから、気になってしまって……」
あらかじめ用意していた言葉を並べているだけに聴こえたのは、気のせいだろうか? ……おそらく、気のせいだ。きっと、疲れているのでそう聴こえてしまっただけだ。それに、男の目は穏やかで、何かを企んでいるようには到底思えない。
佐武は、深く息を吸い、自分の考えを恥じた。男を怪しいと思ってしまった自分が恥ずかしい。家族思いのいい人ではないか。これは、協力してあげないわけにはいかない。
「そうだったんですか! 変に疑ってしまい、すみませんでした」
「いえいえ」
佐武の謝罪も受け流してくれた。本当にいい人だ。
「それでですね、和束ミルさんの居場所ですよね?」
「知ってるんですか!」
男は声を荒げて佐武に詰め寄ってくる。それほどうれしかったらしい。
「ええ……最近、この町の家族に引き取られたとかで……。名前は確か――」
そうして、佐武はミルを引き取った家族のことを伝えた。詳しい住所はわからなかったが、だいたいの場所を伝え、後は表札で探してもらうことにした。さすがに、警察のデータベースに検索をかけることはできないし、そもそも佐武にそんな権力はなかった。
「ありがとうございました」
深く深く頭を下げ、男はお礼を言う。あまりにも長い時間頭を下げていたので、こちらのほうが申し訳なくなってくる。
「市民を守る者として当然のことをしたまでですから……」
そう言ってなんとか男の頭を上げさせ、佐武は笑みを見せる。ここに来てから初めて、警官としてのやりがいを感じた。ずっと楽に仕事をしておきたいと思っていたが、案外こういうのもいいかもしれない。平和な世界で、市民の役に立つ。なるほど。いい気分だ。
佐武は敬礼をして、「本当にありがとうございました」と言いながら交番を出ていく男を見送る。
その時、長身の警官が交番の前に自転車を止める。佐武の先輩だ。巡回から帰ってきたのだろう。先輩は、軽くお辞儀をしてきた男にお辞儀を返し、交番に入ってくる。
「先輩、お疲れ様です」
佐武は上機嫌だった。だが、先輩はなぜか、不思議そうな顔をしている。一体、どうしたのだろうか?
「あの人って……」
やがて、先輩は男が歩いていったほうを見つめながら口を開く。
いつの間にか、佐武は息を呑んでいた。次に先輩が口を開くまでの時間がどうしようもなく長く感じる。アナログ時計の時計を刻む音が大きく聴こえた。いつもは特に気にしないはずの音がどうしてこんなに大きく聴こえるのだろう?
冷や汗を掻いていた。一体何がこんなにも自分を緊張させているのか、佐武には理解できなかった。ただ、先輩から放たれる言葉にしにくい雰囲気が、佐武にうつっていることは確かだ。
そうして、とても長い時間――時間にして五秒ほど――の後、佐武の脳に先輩の言葉が流れ込んでくる。
「――篠川さんじゃないか?」
――ッ!
そうだ。どうして思い出さなかったのだろう。あの顔……間違いない。警察学校の時に何度も習った人だ。この日本に平和をもたらした英雄――
――篠川研路じゃないか
転章です。次から、続きが始まります。




