披瀝2
ミルは一体、何を言っているのだろうか? 確かに、ミルが別れ話をしたのが原因だが、だからと言って、ミルが殺したわけではない。全て、暴力を振るった本人が悪いのだ。
「あの人たちは、私の別れ話に逆上して、私に暴力を振るって死んだ。それは事実だよ。でも、少し真実とは違う」
「どういうこと?」
「私は、計画的に恋人を殺した。できるだけ相手を傷つけて、咄嗟に私に暴力を振るってしまうような別れ話をした。例えば、『あなたといても楽しくないから、新しく男の人作っちゃった』とか。……そうやって、三人とも殺した」
握り締めた両手から、ぽたぽたと血が流れていた。血は、地面の白い雪を赤く染色する。
だが、力也はそんなことどうでもよかった。ミルの言葉に驚愕している自分がいた。今、ミルから見た力也は、どう映っているのだろうか?
「どう……して……?」
枯れ枯れの喉からそんな声が漏れた。それだけ発しただけで、力也は咳き込んでいた。
雪が口に入ってきて、心地よい冷気が伝わる。だんだん、気持ちが落ち着いてきた。
「元から、そのつもりだった。少しの間だけ養ってもらって、最後は殺すつもりだった」
ミルのあまりにも冷酷な言い方に力也は悪寒を感じていた。雪の冷たさなんて、お湯に感じる。
「そん……な。…もしそうだとしても、別に殺さなくてもよかったんじゃ……」
だけど、ミルは静かにそれを否定する。
「ううん。それじゃ駄目なの。だって、そうじゃないと、財布を手に入れられないから」
「財布?」
「……力也は知ってる? 死者に悪口を言っても名誉棄損にならないように、死者のものを盗んでも、窃盗にならないんだよ?」
「えっ……」
力也は目を見開く。ミルが言った言葉が信じられなかった。確かに、死者の悪口を言っても、名誉棄損にならず、爆死しないことは力也でも知っている。だが、死者のものを盗んでも犯罪にならないというのは、初耳だった。
そして、ミルは財布を盗む――いただくために人を殺したのだ。
そうわかった時、力也は嫌な予感の正体を知る。
――それは、ミル自身だったのだ。
そこで、力也はあることを思い出す。それは、日曜日、ミルの見舞いに行った時の記憶だ。
ミルは帰ろうとした力也を引き留めてこう言った。
『私が倒れていたところに、財布落ちてなかった?』
その時は、ミルの財布がなくなってしまったのかと思ったが、後日、ミルが財布をちゃんと持っていたことを力也は確認している。
だから、本当は、この時、ミルの言動がおかしかったことに気付くべきだったのだ。――否、気付けるわけがなかった。だって、あんなに強いミルが、こんなことをしていたなんて、想像もつかなかったから……。
「で……でも、やっぱり殺さなくても……」
例え、財布を盗むためだったとしても、やっぱり力也には理解できなかった。
もっと他にいい方法はなかったのか?
そう考えてしまう。
でも、その考えはあっけなく、ミルの言葉に潰される。
「本当に、力也は何もわかってないんだねッ。好きでもない人の傍にいて、好きでもない人に身体を売る気持ちが力也にはわからないんだよッ。……だから……だから、その分、お金をもらったっていいじゃない! 生きるためなの! 仕方なかったの!」
ミルの気迫に力也は気圧されていた。
そして、気付く。
もっと他にいい方法はなかったのか?
そんなの綺麗事だ。
それは、本当の辛さを味わった時にわかることなのだろう。
いい方法なんて知らない。目の前に自分が助かる方法があったから、ミルはそれにすがっただけなのだ。
雪の勢いが少し強まる。
少しの沈黙の後、気持ちを落ち着けたミルは再び話し始める。
「……力也に、『一緒に暮らしませんか?』って誘われた時は、好都合だと思った。今までの人は、スラムの住人だったから、生活できるって言っても最低限の生活だけだったけど、力也はスラムの住人じゃない。これで、裕福な暮らしができるって思った。そして、最終的には、力也もその家族も私に暴力を振るわせて殺して、その家のお金を独り占めしようと思ってた……」
ミルは一度言葉を切る。
力也は驚愕していた。口を開き、固まってしまっていた。
だが、心情に相反して、思考は冷静にミルの言葉を裏付けていた。
そもそも、ミルは、スラムで付き合った三人によって少なからず男性に恐怖を覚えていることだろう。それなのにもかかわらず、ミルが力也の誘いを即答で了承したのは、これが理由だったのではないか。
ミルは、くやしそうに唇を噛み締めていた。両目から、とめどなく涙が流れ出す。その、雪に反射して透明に輝く涙が、ミルの心を映しているように見えたのは、力也の気のせいだろうか?
「それなのにッ。いつの間にかそんな気持ち忘れてた。いつの間にか、『このまま、ずっとここで暮らしたい』……そう思ってた。それはね……」
――力也と響歌さん、昌也さんがやさしすぎて、温かすぎるせいだよ?
ミルがその言葉を言った時、雪の降る音が消え、風の音も聴こえなかった。まるで、その言葉が世界中に響いたみたいだった。
力也の心は、ぽかぽかと温かくなっていた。
その理由は、単純に、『安心したから』ということの他に、もう一つあった。
それは、力也があることに気付いたからだ。
(ミルは気付いていないだろうけど、ミルが感じた温かさは、ミルが与えてくれたものなんだよ? ミルに出逢っていなかったら、僕はあそこまで家族と仲良くできなかった。……だから、全部ミルのおかげなんだよ? ――だから、ずっと暮らしていいんだよ?)
だが、力也がそう願っても、ミルは考えを変えなかった。
「でもね、私がいるせいでたくさん迷惑がかかってるって気付いたの。ホロタンや、私の服を買ってもらっちゃったし、毎日の食費も高くなってるだって。それに、今日だって、力也の家で手首を切って、迷惑をかけるところだった……」
ミルは悲しそうな顔で涙を流す。そんな顔をしないでほしかった。
だから力也は、必死にミルを慰める。
「ホロタンは必需品だから仕方ないし、服は全部僕のお金なんだよ? 僕がミルに買ってあげたかっただけ。何もミルは悪くないよ。食費に関しては、ミルはそんなに食べないんだから、まったくもって問題視する必要ないよ。……ん? ちょっと待って……」
そこで力也はあることに気付く。
それは、とても重要なことだ。どうして今まで気が付かなかったのか理解できないほどに。
力也は少し考えた後、ミルに問いかける。
「どうしてミル、リストカットしたの?」
一瞬、雪が一層強くなった気がした。だけど、それは気のせいで、空は、ゆっくりと雪を吐き出し続けている。
ミルを慰めるつもりが、まるで問い詰めているような感じになってしまったけれど、それでも力也は言葉を続けた。
「だって、ミル、友達と仲良くできてたんだよね? それに、僕が言っちゃったことのせいでもないんだよね? ……じゃあ、どうして?」
こんなことを力也が勝手に思うのはどうかと思うが、ミルは今、幸せのはずだ。スラムでは住んでいないし、学校でもいじめを受けなかったと言っていた。それに、ミルは今さっき、「迷惑をかけたくない」と言ったのだ。では、どうして、わざわざ迷惑がかかるようなリストカットをしてしまったのだろうか? 力也は、その理由がどうしてもわからなかった。
すると、ミルは涙を拭ってから、微笑んだ。
「あのね……やっぱり違ったの。友達なんてできてなかった。みんな、嘘だったの。……今日は、全員に無視されたの」
ミルは淡々とそう言った。その笑みからは、自嘲さえも見えない。純粋な笑みだった。
また、ミルは強がっていた。
力也は絶句して、言葉も出なかった。
「低いところから落ちるより、高いところから落ちたほうが痛いでしょ? それと同じだよ。わざと話しかけて、気分を上げさせておいて、次の日にはまったく無視して、衝撃を大きくするの。……面白いことするよね」
ミルはまだ微笑んでいた。ミルの目は、どこか遠くを見つめていた。
ふいに、力也はミルを抱きしめたい衝動に駆られた。
でも、今抱きしめれば、確実にミルは泣いてしまうだろう。それだけは、嫌だった。
――もう悲しませたくない。
そう誓ってから、どれだけ彼女を悲しませてしまったか……。
何もすることができなかった力也の代わりに、冷たい風がミルの髪をやさしく撫でていった。
「これが、私が手首を切った理由。……力也の家では絶対にできなかったから、どこか遠くでやろうと思ってた。……で、気付いたらここにいた」
ここ、とはつまり――
「迷惑かけたくないって思ってたのに、どこかで、力也が助けに来てくれるかもしれないって思ってた。私……力也に頼ってた。だってここは――」
ミルは、今も微笑んでいる。でも、さっきとは明らかに違っていた。無垢な笑顔は同じだ。それなのに、決定的な何かが違う。
ああ、そうか……目だ。
ミルの大きな目はしっかりと力也を捉えていた。その目は、力也の心を掴んで放さない。
自然、力也の目尻に涙が浮かんでいた。
――私たちが出逢った場所だから
そして、力也の目から涙が溢れ出す。
ただ、うれしかった。ミルが自分を頼っていてくれたことが、うれしかった。
「ありがと……」
「私も……助けてくれて、ありがと」
もう何度、言い合ったかわからない言葉だった。だけど、何度言ったって、この言葉は色褪せたりしない。
そう……雪のように、赤く染まったりしないのだ……。
………………………………………………………………えっ?
急展開! 一体、何が起こったのでしょうか!




