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Peace World  作者: 黒糖パン
18/30

披瀝

 そして、力也はミルを見つける。ミルは、建物にもたれかかるようにして地面にぐったりと座っていた。

「――ッ! ミルッ」

 力也はミルに駆け寄る。ミルの左手首は横に切られていて、血が流れ出していた。近くには、血が付いたカッターナイフが転がっている。

 幸い、傷は浅かったが、ミルの顔は青ざめている。かなり危険な状態だった。どれだけ、血を流したのだろうか? それに、地面は雪に覆われている。ミルの体温は低下し続けているはずだ。

 力也はバッグからタオルを出そうとしたが、そこでバッグがないことに気付く。学校を飛び出してきたため、教室に置いたままだった。

(どうすれば……ッ)

 力也は、思考をフル回転させる。

 と、そこで力也はミルの横にバッグが転がっていることに気付く。

 何かあると信じ、バッグをさぐる。中は、ほとんど教科書で埋まっていた。次に、外のポケットをさぐると――あった。ハンカチだ。消毒することはできないので、そのままそれでミルの左手首をぎゅっと締め付ける。

(ふう……)

 緊急事態を脱したことに安心して、力也の口からは自然と溜め息が漏れていた。

 だが、これで安心してはいけない。

 力也は、ミルに自分が着ている制服のブレザーをかけてあげ、すぐに診療所に運ぶことにする。

 そうして、ミルを背中に乗せようとした時だった。

「……りき……や」

 ふと、吐息のようにか細い声が力也の耳に流れる。

 咄嗟に振り返り、ミルの顔を覗き込む。

 応急処置の効果があったわけではないだろうが、ミルの意識は戻っていた。まだ顔は青白いが、薄く開かれた瞼から覗く目は、しっかりと力也を捉えていた。

「ミルッ。今から診療所に運ぶからねッ。安心してッ」

 その意識が途切れないよう、力也は必死に呼びかける。

 だが、それを聴いたミルは目を見開かせる。

「駄目ッ!」

「えっ……」

 ミルのその言葉は、予想だにしないものだった。思わず、力也は動転してしまう。怪我を治療しようとしているのに、「駄目」とは、一体どういうことだろうか? それとも、ただ単に、記憶が混濁しているだけだろうか?

 でも、少し目を逸らして申し訳なさそうに呟いたミルの言葉が、その可能性を否定する。

「だって……もう……迷惑かけられないよ」

「――ッ」

 力也の胸が深く抉られる。

――迷惑なんだよ

 ふと、その言葉が力也の脳裏を去来した。

 力也は、それに対して何も言えなくなってしまう。

 俯き、唇を噛み締める。

 恥じていた。

 自分の身勝手な言葉が、少女を傷つけ、責任を感じさせてしまったことを、力也は恥じていた。

 自分の不甲斐なさが、嫌になってくる。

――でも、今は迷惑なんて考えている場合ではなかった。

 だいたい、怪我をしているのだ。それの治療を迷惑だなんて考える人は、この世界にほとんどいないだろう。まして、看護師を職業としている響歌が、治療することを、「面倒だ」「迷惑だ」なんて思うわけがない。

「迷惑だなんて思わないから――」

「それにね!」

 力也の言葉は、ミルから発せられた言葉に遮られてしまう。

「私……やっぱり一人で生きていく」

 一瞬、しんと空気が張りつめた。それを合図に、ゆっくりと雪が降り出す。

 力也は、何か他の言葉と聴き間違えたかと思った。

 だけど、二人の間に漂う沈黙と、小さな雪の粒が力也の頭に乗る衝撃が、それが聴き間違いでなかったことを知らせる。

「な……何言ってんの……」

 力也の顔は引きつっていた。今の言葉は、なんとか押し出せたものだ。

 ミルは壁に手をつきながら、ふらふらの足取りで立ち上がる。

「私は……ほら、大丈夫。ちょっと貧血になっただけ。傷も力也が手当してくれたし……」

 辛そうに顔を歪ませているのにもかかわらず、ミルはなぜか強がっていた。

 それが、どうしても力也には理解できなかった。

「関係ないだろッ」

 力也の手はいつの間にかミルの両肩を掴み、ミルを壁に押し付けていた。

 でも、力也の中にわだかまる怒りはどうにも収まらない。

 ミルの目を見据え、力也は言いたいことを全て吐露していた。

「僕は、ミルにもうこれ以上辛い思いをしてほしくない。スラムに戻ってほしくない。絶望してほしくない。不安を抱いてほしくない。後悔してほしくない。……ミルには、笑顔でいてほしい。喜んでほしい。安心してほしい。期待してほしい。怒ってほしい。叱ってほしい。……ずっと、僕の傍にいてほしい。僕の傍で、ミルの全部の感情を見せてほしい」

 力也の思考がミルを行かせない方法として選んでいたのは、ミルを説得することではなかった。

 力也が選んだこと……。

 それはさながら、プロポーズのようだった。

 力也の息は上がっていた。細かい間隔で、力也の口から白い息が漏れる。

 ミルは、目を見開いていたが、やがて、ふっと笑った。

「……ありがと」

 それは、いつかと同じ言葉だった。

 でも、いつかとは違う。あの時のミルは、「ありがと」と言った後も笑っていた。でも、今は違う。ミルの顔からはすでに、笑顔は消えていた。

「でもね……もう決めたの」

「僕がひどいことを言ったせい?」

 力也は確かめるようにそう問いかける。

――迷惑なんだよ

 あの時、力也はそう言ってしまった。もしそれが原因なのだとしたら、謝らなければいけない。……いや、もしそうじゃなかったとしても、謝らなければいけないだろう。

 だけど、ミルはかぶりを振り、やさしい口調で言う。

「ううん。違うよ。だって、あの時は何かあったんでしょう? それで、私に当たっちゃっただけだよね? 知ってるよ」

「じゃあ、どうしてッ」

 力也の心の中には、わだかまりができていた。力也のせいじゃないとしたら、ミルが一人で生きていくと決めた理由を納得できないのだ。

 長い沈黙が流れる。雪が二人の間に降り注いでいた。

 通りを抜ける大きな風が吹き、やがてミルは右手で力也の手を丁寧に肩から放し、力也を見据えて首を少し傾ける。

「……私の話、聴いてくれる?」

 ミルの問いに、力也は唾を呑み込むことしかできなかった。この時ミルが見せた、さみしそうな笑顔を力也は一生忘れることができないだろう。

 そうして、数秒の沈黙の後、ミルは披歴(ひれき)し始める。

「ずっと……いつかは力也の家を出なきゃいけないと思ってた。……だってね、私、穢れてるんだよ?」

「そんなッ。ミルは穢れてなんか――」

「あるのッ。……私は穢れてるの」

「――ッ」

 力也は、それ以上何も言うことができなかった。ミルは穢れてなんかいないはずなのに、何も言い返せない。うなじの辺りがちりちりした。なんだろう、この嫌な予感は。

 ミルは、右手でハンカチが巻かれた左手首をさする。ハンカチに少し血が滲んでいた。だが、思ったより悪化していないようだった。

「私がスラムで男性と付き合っていたことは知ってるよね?」

 力也は、固唾を呑んでから頷く。

 確か、病室に来た警官とミルがそのような話をしていた。だが、その話を聴く限りでは、その人たちはミルの別れ話に逆上して、ミルを傷つけ、死んでしまったとのことだった。……そして、力也とミルが出逢ったあの時も、ミルは恋人に傷つけられていた。

 力也は無意識の内に握りこぶしに力を入れていたことに気付く。掌から微かな痛みが力也の脳に伝わって来ていた。

「――その人たちはみんな、私が殺したの」



「……えっ」

難しい漢字をタイトルにしてみた。ドヤァ

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