ごめんね
そのメールに気付いたのは、昼休みだ。現実逃避するように展開されたホロタンが、メールが受信されていることを知らせていた。
受信時刻は、三十分前だった。
発信者の名前は――
「ミル……ッ」
力也は気付けば教室を飛び出し、廊下を走っていた。
教員が何やら怒鳴っていたが、気にしていられない。
階段を駆け下り、教員とぶつかりそうになりながらも何とか昇降口に辿り着く。
靴を履きかえ、小雪が降る外へ。門を飛び越え、ちょうど来たバスに乗り込む。
一つ向こうの停留所に着くまで、力也はずっと、ホロタンを展開させて、メールの本文を何度も見返していた。
『ごめんね』
たった、それだけだった。
それが一体、何を意味しているのか、力也には全くわからなかった。だからこそ、力也は学校を飛び出してきたのだ。
それに、ミルが何を謝る必要があるのか。謝るべきは自分なのに、ミルが謝ったことに、力也は憤りさえも感じていた。
数分後、バスは中学校の近くの停留所に着く。
中学校の門は、幸い開いていた。そもそも、門を閉じる必要はないと思うのだが、ほとんどの学校は、「もしもの時のため……」という理由で授業中は門を閉じているのだ。
運動場を抜け、昇降口で靴を脱ぐ。廊下はなるべく早足で通り、職員室をノックして扉を開く。
「失礼します」
職員室にいた全職員の視線が力也に集まる。
何せ、高校はまだ昼休みだが、こっちはもう授業が始まっているのだ。授業中に生徒が入ってくること自体珍しいのだ。それに、今力也はこの学校とは違う制服を着ている。視線を集めてしまうのも仕方がないだろう。
「あら、力也くん。どうしたの?」
声をかけてくれたのは、一年前、力也のクラスの担任だった女性教員だった。力也のことを知っている人がいて、助かった。
「先生! 至急、三年の和束ミルのクラスを教えてください」
捲し立てるように力也はそう言う。
他の教員たちは、それぞれ仕事に戻っていく。他に、力也を知っている教員はいなさそうだった。本当に、この人がいてくれてよかった。
「和束さん? 確か最近まで不登校だった子よね? えっと……確か、三年二組だったと思うわよ。……でも、どうして力也くんが――」
「ありがとうございました」
力也は、教員の話を最後まで聴かず、走り出していた。去年と学年の場所が変わっていなければ、三年は三階だ。
力也は階段を三階まで駆け上がる。ドンピシャだった。一番手前のクラスの札が、三年一組と書いている。
力也は一組の奥、三年二組と札に書かれている教室の扉を勢いよく開ける。
ぎょっとした顔の教員と生徒たちの視線が力也に集中する。
「だ、だれですか、あなたはッ」
はげた老年教員は、力也を見て、おののいていた。
だが、力也はそれを無視して、教室を見回す。
なんだこいつ、といった風に力也を睨むヤンキー風の男子生徒や力也の顔を不思議そうに見つめている女子生徒、力也が入って来たのにも気付かず、寝ている生徒もいた。
しかし、どこにもミルの姿はない。ふと、力也の目線が一つの席に向く。中央の列のちょうど真ん中、その席がぽつんと空席になっていた。
そうわかった途端、力也は踵を返していた。階段を飛ばし飛ばしに駆け下り、昇降口で脱ぎ捨てた靴を履き、学校を出る。
(ミルッ……どこにいるんだッ)
学校にいないということは、考えられる場所はどこだろうか……? 家?
門を出たところで、力也は、昌也に電話してみることにする。
ホロタンを展開させ、昌也の連絡先を呼び出し、着信する。
数回のコール後、丸眼鏡をかけた昌也の顔がディスプレイに浮かび上がる。
『ん? ……どうした力也?』
とても、眠たそうにしていた。背景が仕事場であることから、寝ていたわけではないだろうが、のんきなことだった。
「ミル帰って来てない?」
力也がそう訊ねると、昌也は驚いたような表情を見せる。そんなに、力也の顔はひどいことになっているのだろうか?
だが、昌也が次に話した言葉は、そんな話ではなかった。
『力也の後ろって、ミルちゃんが通ってる中学だよね? 中学まで出向いて、どうしたの? 何かあった?』
力也の入学式や卒業式に来たことがあったので、校舎を見ただけで力也がどこにいるかわかったらしい。
昌也がふざけずに真面目なことを言ったことに力也は面くらっていた。もちろん、真面目なことを言ってくれるのはありがたいのだが、いつも何かしらふざける昌也が最初から真面目な表情を見せたのは、なんだかこそばゆかった。昌也なりに、力也の今の状況を悟ってくれたらしい。
でも、さっきから力也は妙な胸騒ぎがしている。だから、自分勝手ではあるが、一刻を争う事態なので、早く質問に答えてほしかった。
「その話は後で話す。……で、ミル帰ってきた?」
催促するように訊ねる。
『ミルちゃんは帰って来てない。今日は全然仕事がはかどらなかったから、帰って来てたら気付いていたと思う』
「……そう。……ありがとう」
そんな言い方をされては、感謝しにくくなるので、やめてほしかった。
『ん。……そういえば力也』
「うん?」
できれば、早く電話を切って、捜しに行きたいところだったが、何かあるらしい。さすがに、父親の電話を勝手に切ることはできなかった。
目の前を車が通り過ぎる。
『ミルちゃんってホロタン持ってるよね? なら、GPS検索できない?』
力也は、昌也が何を言っているのか、すぐに理解できなかった。
溶けて水になった雪を車のタイヤが空中にまき散らす。
目の前で空中を飛ぶ水玉が、力也にはゆっくり舞っているように見えた。
そうして、一つ一つの水玉が地面の雪に落下し終えた時、力也は昌也の言葉を理解していた。
「あっ……」
力也の口から驚くほど間抜けな声が漏れる。
どうして、思い付かなかったのだろう。これほどまでに簡単な方法はないじゃないか。
『検索の仕方はわかる?』
「うん」
『じゃあ、そういうことで。一応、家の中捜してみる。たぶんいないと思うけど』
「お願い。……ありがとう」
そこで、通話を終了する。
力也はすぐに操作に入っていた。ミルの連絡先を呼び出し、GPS検索をかける。もちろん、プライバシーの関係で全ての人のGPS情報を見ることはできないが、相手が自分に対してGPS検索を許可していれば、簡単に検索することができる。そして、ミルのホロタンは力也が設定したので、もちろん力也に対してのGPS検索を許可している。
数秒後、地図が現れ、右上に住所が表示される。その場所への行き方を道案内してもらうこともできるのだが、力也が知っている地区の名前が出てきたので、今回の場合は必要がないようだった。
だが……ここは――
力也は、ちょうど停留所に停車したバスに乗り込んでいた。
そのバスは、力也の家とは逆方向に向かうバスだ。
バスには五人の乗客がいたが、停留所に止まるごとに減っていき、ついには、力也だけになる。
そうして、バスは終点に着く。
下車すると、冬の冷たく乾いた風が力也に吹き付ける。雪は止んでいた。だが、未だに雲はどんよりとしている。
力也の目の前には、廃れた町並みが広がっていた。外壁がはがれた廃ビルにボンネットが開いた車、コンクリートからは、雪に積もられた大量の雑草が生えていた。力也が住んでいる町と同じ町とは、到底思えなかった。
力也は、五日ぶりにスラムに来ていた。五日しか経っていないのだが、力也にはそれがずっと昔のことのように思えた。それに、ミルと出逢って、まだ六日しか経っていないなんて、思えなかった。
――どうしてミルはこの場所にいるのだろうか?
ふと、力也の頭にそんな疑問が浮かんでくる。
だって、ミルはスラムでの生活が嫌で力也の家に来たのだ。それに、力也もミルが辛そうだったから、家に来るように言ったのだ。それなのに、どうしてミルは今、スラムにいるのだろう? 嫌な思い出がフラッシュバックしてしまうのではないのだろうか?
どれだけ考えても、力也にはわからなかった。どの道、今からミルのところに行くのだ。事情を訊けばいい。
力也は、疲労を訴える足を無理矢理動かし、ミルがいる場所へと急ぐ。
五日前はホロタンを忘れてしまったが、今日はちゃんとある。迷うことはないだろう。
そこで、力也の脳内で情景がオーバーラップする。
(ここは――)
力也の足はさらに早まっていた。細い路地に入り、力也の心臓の鼓動が早まる。ミルは、もうすぐそこだ。
そして、力也は建物に囲まれた交差点に辿り着く。
ここは、ミルが倒れていた場所であり、力也とミルが出逢った場所だ。
力也は、角を右に曲がる。
そして――――
……ええ、物語も「転」に入りました。お願いします




