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Peace World  作者: 黒糖パン
13/30

現実

 二〇四〇年十二月十九日

 午前七時四十五分


「ミル、準備できたー?」

 力也は靴を履きながら声をかける。

「待ってー。もう少しでお弁当できるから」

 リビングのほうから声が返ってくる。その声はどこか弾んでいるように聴こえた。というのも、ミルは昨日の夜言っていたことを本当に実行しているのだ。

『私がお弁当作ってあげる』

 作ったことのない人に言われるこの言葉ほど、怖いものはなかった。でも、響歌が手伝っているので、たぶん大丈夫だろう。

「はい。できたよー」

 リビングの扉を開けて、両手に弁当袋を持ちながらミルが走ってくる。ミルが足を動かす度に赤色のチェックのミニスカートが揺れる。病的に細い足はタイツも履いておらず、素足のままだった。上半身は焦げ茶色のブレザーを身に纏っている。ニット帽は被っておらず、包帯も巻いていなかった。どうやら、もう完治したようだった。

 力也は、片方の弁当袋を受け取り、バッグに入れる。

「じゃあ、行くよ」

「うん」

 ミルがローファーを履いたのを見届けると、力也は玄関を開ける。

 凍りつきそうなほど冷たい空気が室内に入ってくる。外は一面真っ白だった。空が曇っているので、当分溶けることはないだろう。

「さぶっ」

 呼吸と共に出てきたその言葉は、白く具現化されて空に上がって消えていった。

 たくさん着込んでいるのにもかかわらず、力也の身体の表面に冷気が流れ込んできていた。

 この寒さをしのぐ方法は、バス停まで歩いて、身体を温めるしかなかった。

「……」

 力也は横を歩いているミルを見つめる。ミルは、はあ、と息を吐き出して、白い冷気を出して遊んでいた。毛糸のマフラーはとても暖かそうだ。でも……

「ミル、足寒くないの?」

 タイツも履かず、素足でミニスカートは見ているだけで寒そうだった。

「ん? 寒くないよ? スラムにいる時は、雪が積もっている時でも外で寝たことがあったしね。もう慣れたよ」

 さも同然という風にミルは話したが、力也は何も言えなくなってしまう。力也もわかっているつもりだったが、改めて思う。

――一体彼女は、どれだけ辛い思いをしてきたんだろう。

「それにね、響歌さんがね、ミニスカートのほうが、力也が喜ぶって言ってたから」

「……」

「……どう?」

「……」

「うれしい?」

「……」

「ねえ、聴いてる?」

 ミルは力也を上目使いで見る。

(母さん、また変なことを吹き込みやがってッ。……こんなこと訊かれて、答えられるわけないだろッ)

 とりあえず力也は、話の方向を少し逸らすことにする。

「学校のみんなに細い足を見せることになるけど、いいの?」

 ミルは今まで、タイツで足を隠していた。それは、やせ細った足を見せたくなかったからだろう。それなのに、力也のためというだけで、足を見せても大丈夫なのだろうか? 本当は、見せたくないんじゃないだろうか?

 冷たい風が二人に吹き付ける。

 ミルはふっと暗い顔を見せた。

「正直に言うと、本当はいやなの。……というか怖いの」

「怖い?」

「うん。私がいじめられてた理由ってさ、服の汚れもあるけど、手足の細さでもあったから……だから、あまり見せたくないの」

(――――ッ)

 どうして気付かなかったのだろう。そんなこと、容易に想像できることだったのに。

 しかも、そうと知っていれば、無理にでもタイツを履かせたのに……。いや、まだ家からそんなに離れていない。なら――

「じゃあ――」

「でもねッ、私を助けてくれた力也が喜んでくれることなら、なんでもしたいの! それが、少しでも恩返しになるなら、私は救われるから」

 ミルの口から白い息が吐き出される。

『私は救われるから』

その言葉が力也の頭の中でこだましていた。

そんなことを言われてしまえば、何も言い返せなかった。そして、さらなるミルの言葉が力也の心を締め付ける。

「それに、私は学校を克服しにいくんだもん。弱点を隠してたら駄目だと思わない?」

 力也は何も言うことができなかった。力也は唇を噛み締める。

 ミルの言う通りだと思う。あえて弱点を見せておかなければ、克服したとは言えないだろう。

でも、それをわかっていても、実行するのは難しいことだろう。それなのに、ミルが逃げない理由は、本気で自分を変えたいと思っているから。

(……あれ? どうして僕は今、くやしがっているのだろう? ……ああ、そうだ。ミルが強すぎるせいで、僕を頼らなくてもいいように思ったからだ。……あれ? でも、それはいいことじゃないのか? ……それなのに、どうして僕はこんなにも涙が出そうなんだろう?)

「ほらっ、力也。バス来てるよ。走るよ」

 ミルが力也の手を引いて走り出す。力也は懸命に足を動かして、雪に足を取られないようにする。

(いや、違う。くやしがっているのではない。僕は怖がっているんだ。こんなに元気なミルが、もしかしたらまた傷つくかもしれないから……だから、怖がっているんだ。――ああ、まったく、僕は……弱虫だ)

 バスに十分ほど揺られれば、高校の前のバス停に着く。ちなみに、ミルが通っている中学の停留所は、このもう一つ向こうのバス停なので、ここまで一緒に登校してきた。だが、もう別れなければならない。

 やはり、ミルが心配になってきてしまうが、ここはぐっと堪え、笑顔で別れることにする。

「頑張れ」

「うん。頑張る」

 ミルの笑みにどこか安心感を覚えながら、力也はバスを降りた。

 傘を持った生徒たちが、校門に入っていく。今日は、正午すぎから大雪の予報なのだ。力也もしっかりとバッグの中に折り畳み傘を入れている。ミルにも持たせたので、大丈夫だ。

 昇降口に入り、靴を履きかえ、二階に上がって、教室に入る。

 妙な感覚に陥ったのは、その時だった。

 うなじの辺りがちりちりとした。力也は、とっさに後ろを振り向く。だが、誰もいなかった。窓の外では雪がはらはらと降り出していた。

 疑問に思いながらも、自分の机に向かう。いつも通り、何人かは嘲笑を漏らしていた。……だが、何かがいつもと違っていた。それは言葉では言い表しにくかった。もし、あえて言葉にするのなら……雰囲気……だろうか。

 でも、気のせいかもしれなかったので、力也は特に気にしないことにした。

 智明の席の横を通る際、力也は智明に声をかける。

「智明、おはよう」

 あまり目立たないように、しかし、小さすぎもしない声で力也はそう言う。

 だが、どれだけ待っても返事は返ってこなかった。智明の耳を見てみるが、イヤホンをしているわけでもない。

――うなじの辺りがちりちりした。

「智明?」

 もう一度声をかけてみる。

 沈黙が漂う。周りの生徒たちも、会話を止め、二人を見ているようだった。

 だが、やはり返事は返ってこない。

 手に冷や汗が滲む。

(なんで無視するんだよッ)

 力也は智明の肩に手を置き、強く揺さぶる。

「おい! 智明ッ」

 だが、その瞬間、力也の手は智明に捻り上げられる。

 そして、智明は力也を睨みつける。

(――ッ)

 力也は思わず(おのの)いてしまう。

 智明のその目はまるで、「話しかけんな」――そう言っているようだった。

 智明は、力也の手を払って、教室から出て行ってしまう。入れ違うように入って来た教員は、戸惑っているようだった。

 その時、力也の中の何かがぷつんと切れる。

(ああ……そういうことなのか。……結局、石谷が死んだって、この人たちは何も変わらなかったんだな。……ははは。なんだろうこの気持ちは。……ああ、わかった。これが――)

 なぜか、気が遠のいていく――ッ


徐々に、話が展開してきました!

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