事件のこと
水族館のゲートをくぐって、ちょうど来ていた直通バスに乗る。もちろん、ここに来た時とは違うバスだ。直通バスが二つある理由は、元々、直通バスは今から力也とミルが行く場所からしか出ていなかったのだが、テロによってそこから来ることが不可能になり、その隣の駅に直通バスを作ったからだ。今では、テロによって破壊された駅も元に戻っているので、新しく作ったバスは必要ないはずなのだが、なぜか廃止されていない。
十数分後、バスが停車し、駅に着いたことを知らせる。
力也とミルがバスから降りて、駅前を見た瞬間に思ったことは、二人とも同じだった。
――変わってない
外観を一言で言えば、『教会』だ。ここを駅だと知らない人が見たら、まずここが日本であることを疑うだろう。ただ、教会と絶対に違う部分は、扉が大きなガラス扉になっているところだろう。力也とミルは、その淡麗さに子供の時のように圧巻しつつ、人の流れに従って駅内に入る。駅内に入ってまず驚くことは、天井がドーム状になっていることだ。しかも、装飾も洋風なので、ここはヨーロッパだ、と錯覚してしまう。しかし、その気持ちを日本へと引き戻すのは、焦げ茶色の電光掲示板だ。ここに流れる文字は日本語なので、駅利用者はここで現実に戻される。
力也とミルはドームを抜け、四方に広がっている通路の内、右に曲がる。ここの天井も半円形の天井が続いていた。二人が今向かっているのは、さっき力也が調べた花屋だ。そして、花を買った後は、再びドームに戻って、石碑を探さなければならない。
花屋には、数分で着いた。
「いらっしゃい」
と、無精ひげの男性店員が二人を迎える。正直、この店員と花は似つかわしくなかった。
力也とミルは、店先に並べられた色とりどりの花や店内の花を見るが、一体、何を供えればいいのかわからなかった。
(棘がついてるのは駄目なんだっけ? ……えっと、何にすればいいんだろ?)
こんな時、常識がないのは辛かった。
そこで、力也は、はたと思いつき、ホロタンで調べることにする。
が、ホロタンを取り出したところで、無精ひげの男性店員に話しかけられる。
「彼女へのプレゼントかい? それなら、彼女を連れて来たら駄目だろう」
男性店員は微笑みながらそう言う。渋い声だった。こういう人をダンディーと言うのだろうか? ……いや、なんだか違う気がした。
とりあえず、ミルを彼女と勘違いしている部分は触れずに、正直に答えることにする。
「いえ、違うんです。ホールの石碑に花をお供えしようと思ったんですけど、一体何の花を供えればいいのかなあ、と思いまして……」
力也がそう言うと、男性店員は目を見開く。
「君、もしかして九年前のテロの被害者遺族かい?」
男性店員は、ぴしゃりと言い当てる。まあ、ホールの石碑に供え物をしたいと言えば、駅内の人なら誰でもわかるだろうが。
「ええ、まあ……」
力也は曖昧な返事で誤魔化そうとする。あまり、触れてほしくなかったからだ。
「そうかそうか。……実はな、私も妻をあのテロで亡くしたんだよ」
「えっ……」
あまりにさらっと言ったので、力也は一瞬、聴き間違えかと思った。でも、男性店員の目がどこか悲しそうだったので、聴き間違えではなかったと確信する。
男性店員は無精ひげを触りながら、店先まで歩いていく。
なんとなく、ついて来いと言われた気がしたので、力也とミルも店先まで行く。
店の外の通路はたくさんの人が行き交っていた。そのほとんどの人がホロタンを展開させている。
――一体、この中のどれだけの人がここでテロがあったことを知っているのだろうか?
と力也は思ってしまう。あまりにも、平和だった。ホロタンに夢中で肩をぶつけても、どちらも素直に謝っている。床に埋められた点字ブロックの上には何もない。人々もなるべく点字ブロックの上を歩かないように心掛けているように思えた。
「ACC」によって、人々は監視されていると言っても過言ではない。なので、誰もがなるべく争いを避けようとしている。それが行き着いた先が、親切になること、だ。「ACC」の登場によって様々な混乱が見受けられたが、それが全てというわけではなく、ほとんどの場合はこのように良い方向に動いているのだ。――だから、恐ろしく平和だ。
でも、力也は思ってしまう。
ニュースから殺人事件は消え、事故も恐ろしいほど減った。そんな状態だからこそ、人々は世の中の様々な事件や事故のことを忘れつつある。平和ボケというやつだろうか? この、平和ボケが良いことなのか悪いことなのかは、力也にはわからなかった。――でも、力也は、決して忘れてはならないことだと思った。忘れてしまえば、事件・事故の犠牲者を悼むことができなくなってしまうから……。
「ここの通り――いや、この駅で店を出している者のほとんどは、あのテロで親族を亡くしているよ」
男性店員は、どこか遠い目をしていた。
力也は、この通りに出ている店で働いている人々に目を向ける。
その誰もが、笑顔で働いていた。どれだけ辛いことがあっても、人は笑顔になれるんだな、と思う。
(僕は、あんなに笑顔でいられたんだろうか……?)
力也の頭を走馬灯のように過ぎ去っていくのは、力也の祖母が死んでからの力也の記憶だ。
友達から話しかけられたとしても、できるだけ会話をせず、そのまま立ち去ったり、響歌や昌也からの挨拶を無視したり、と様々だ。
そのどれもが、今では馬鹿らしく思えてくる。例え、今でも人見知りを克服していないとしても、そう思えるのは、大きな進歩だと思えた。そして、そう思えるようになったのは全て――
力也は、隣のミルに目を向ける。
ミルは、どこか遠くを見ていた。今、ミルは何を思っているのだろう?
男性店員は、振り返り、花屋を仰ぎ見るようにする。
「この店はね、妻の店なんだよ。妻とは幼馴染だったんだけどね、子供の頃から妻は花屋をやることが夢だったんだ。……それで十年前、やっとこの店をオープンさせた。それなのに……それなのにッ」
男性店員は、唇を噛み締めていた。目尻に光るものがあったのは、気のせいだろうか?
そこで、この無精ひげの男が花屋を営んでいる理由がわかる。この男性は、自分の妻の意志を引き継いでいるのだろう。それに……もしかしたら、「妻の形見を大切にしたい」という気持ちもあるのかもしれない。
「はっ、すまなかったね。……話を戻そう。供える花だったね。……でも、どうして今なんだい?」
男性店員は、首を振り、余計な考えを払い落とし、力也にそう問いかける。
彼の言いたいことは容易に想像できた。つまり、もう少しで九年目になるのに、どうして今日なんだ? ということだ。
力也は、この質問にどう答えるか迷ってしまう。正確に言うならば、何年目かなんて関係なく、踏ん切りをつけたかったから……だが、それを正確に伝えるのは、いささか面倒だった。
なので、力也は、間違いではないが、正解でもないことを言うことにする。
「ちょうど、近くに来たので……」
「そうかいそうかい。……じゃあ、ここは無難に菊なんてどうだろう?」
男性店員は、店内に入り、力也とミルを菊がある場所まで連れて行く。
そこには、内側を包むような黄色い花びらの花がたくさん咲いていた。
「じゃあ、それでお願いします」
店員が勧めてくれたものなら、間違いないだろう。
「じゃあ、適当な束、取っておくね」
そう言って、男性店員は、本当に適当な量の菊を手に取り、レジまで持っていく。でも、その量は、多くすぎず、少なすぎずと言った感じだった。
力也はレジで告げられた値段を払い。包装してくれるというので、少しの時間待つことにする。
「はい。できたよ」
「はやすぎでしょッ」
力也は思わずツッコんでしまっていた。少しの時間も待っていなかった。
「ははは。面白い子だ。……彼女さんを大事にしろよ?」
男性店員は大口で笑う。
(いや……彼女ではないのだけれど……)
そこで、力也はミルの姿が見えないことに気付く。
店内を見回してみるも、見当たらない。どこへ行ったのだろうか?
その時、店の外から、こんな声が聴こえてくる。
「君、かわいいね。……花屋さんでバイトしてるの?」「バイト終わったら、俺らとカラオケ行こうよ」等々。
それを聴いた途端、力也の身体は勝手に動いていた。
男性店員から包装された菊の花を奪い取るように受け取り、すぐに店を出る。
すると、ニットを被った長い黒髪の少女――ミルが三人の大学生とおぼしき人たちに囲まれていた。
力也は、深呼吸をし、足に活を入れる。
「ミルッ。ごめん、待った?」
その声を聴いた大学生たちが力也のほうを向き、力也を睨みつける。
力也は何もされていないのにもかかわらず、一歩後退してしまう。
情けないと思った。
でも、大学生の間から、ミルの姿が見える。
(えっ……ミル……震えている……?)
ミルは両手を体側につけたまま、手を握り締めていた。俯いているのでよく顔は見えない。……でも、肩はぷるぷると震えていた。
(くっそ)
身体は確実に大学生のほうが大きい。力も大学生のほうが強いだろう。……いや、それ以前に、暴力はいけない。……なら、今ここでの正攻法は――
力也は全速力で走っていた。そして、うまく大学生の間をすり抜け、震えているミルの手を取る。
「ミル、大丈夫。僕がいるから」
そう囁くと、ミルの震えは不思議と止まっていた。
でも――突っ切ったはいいものの、まだ大学生に囲まれたままだった。暴力は振るわれないにせよ、ここから抜け出すのは、難儀に思われた。……それ以前に、この人たちは、力也をミルの彼氏だと思っていないのだろうか? 思ったのなら、あきらめてくれるはずだった。
つくづく力也は感じさせられる。
力也とミルが釣り合っていないことに。
(後のことは何も考えてなかった……どうしよ……)
「お前誰だよ。この子の彼氏じゃないよな? 関係ないなら引っ込んどいてくれよ」
「そうそう。俺たちはこの子に話しかけたんだから」
「彼氏じゃないとしたら、こいつ誰だよ。笑える。まさか、ヒーロー気取りの通りすがりか? 笑える」
言われたい放題だった。でも、力也はぐっと堪え、必死に考える。
(何かいい方法を……何かッ)
でも、良案はついに思いついてこなかった。いっそ、強行突破で逃げようかと思った時だった。
「おいおい。子供ナンパして、さらに子供をいじめてんのかあ? 大人気ないなあ」
この渋い声は――
視線が、花屋から出てきた無精ひげを生やした男性に集まる。
「おっさん誰だよ。引っ込んでろよ」
大学生の一人が挑発するが、男性店員は全然ひるんでいなかった。
「私か? 私は警官だよ。……まっ、元だけどな。けど、柔道、剣道なら誰にも負けないぜ。……どうだ? やるか? 道場でなら、相手するぞ」
一瞬、空気が凍りついた気がした。男性店員が言った言葉が信じられなかったのだ。大学生もぽかんと口を開けて、固まっている。
今気付いたが、確かにエプロンの下の身体はがっしりしていた。握りこぶしも非常に大きく見える。
「げっ……元ケーかよ。いくぞっ」
大学生の一人がそう言うと、観念したように他二人も人の流れの中に流されていった。
しかし、『元ケー』とは……センスのかけらもない、ただ略しただけの言葉だ。正直、ダサい。
「あ……ありがとうございました」
力也は、一瞬の出来事に驚いていたが、我に返って、頭を下げてお礼をする。
「いやいや、元警官として市民を守ったまでだよ。はははっ」
男性店員は、大口を開けて、にこやかな笑みを見せる。
その言葉に、力也は感心していた。
男性の年齢は、おおよそ四十歳くらいだ。なので、定年で警察を辞めたというわけではない。となると考えられるのは、辞めざるを得ないなんらかの事情があったか、『日本改変の影響』で辞めさせられたか、だ。この男性の場合、確証はないが、おそらく後者だろう。
そして、力也が感心しているのは、辞めたのにもかかわらず、警官の信念を忘れていないところだ。今のような、「ACC」の対象とならない場合には、こういう人たちのおかげで平和が守られていると言っても過言ではない。
「花買ってくれて、ありがとな」
店員が客に接する態度とは思えないほどの雑なお礼をした男性店員は、店内に入って、何やら作業を始める。
その後ろ姿に力也は少しだけ見惚れていた。
「……ミル、もう大丈夫?」
力也は振り返ってミルの顔を覗き込む。
でも、俯くミルの顔は、長い黒髪に反射してよく見えなかった。
「……怖いの」
数秒後、ミルの口から絞り出されるように出てきたのは、震えた言葉だった。
そして、言葉に触発されたように、ミルの身体が小刻みに震え始める。
「怖かったよね。ごめん。僕に勇気がなくて。……でも、もう大丈夫だよ」
何もできなかった力也が、今言えるのは、そんな言葉しかなかった。
いつの間にか放してしまっていた手を再び握ろうと一歩近づいた瞬間、ミルは嗚咽と共に言葉を吐き出す。
「そうじゃないのッ」
ミルは顔を上げる。
(――――ッ)
力也は思わず息を呑んでいた。
ミルの顔は、絶望に歪んでいた。それはまるで、地獄を見てしまったかのような顔だ。力也はこんなミルの顔を見たことがなかった。
周りの人々の足音が妙に大きく聴こえた。かつかつ……それは、不吉な歌を奏でているようにも聴こえた。
「……そうじゃない?」
力也は気圧されながらも、足を踏ん張り、なんとかそれを訊ねる。
そうじゃないということは、ミルが「怖い」と言った理由が、「男たちに声をかけられたから」ではないということだろうか? では、もしそうだとしたら、ミルは一体、何に怯えているのだろうか?
でも、そこでミルは、はっとしたような表情を見せる。
「な、なんでもない。……さっ、いこっ」
ミルは微笑んで誤魔化そうとしていたが、それが平静を装っているということは、力也にばればれだった。それに、あの顔を力也が忘れられるはずもなかった。
力也はミルに手を引かれて連れて行かれる。どうやらミルは、力也に質問の機会を与えたくないらしく、今までにないほど力也に話しかけていた。
(ねえ、ミル。なんでもないなら……どうして君はこんなにも汗を掻いているの?)
その男を見たのは、石碑の近くに来た時だった。
その男は、石碑の前でしゃがみこんで線香をあげた後、ふらふらとした足取りで人ごみの中に消えてしまった。力也たちと同じく、被害者遺族だったのだろうか?
力也とミルは、石碑の前に辿り着く。一本の線香から今にも消えそうな白い煙が立っていた。洋風の建物の中にぽつんと孤独に建っているこの石碑は、もう誰にも忘れられてしまったかのように感じられた。
綺麗に練磨された横長の長方形の石碑には、テロで亡くなった一二〇名の名前が刻まれていた。それだけ多くの方の名前が刻まれているにもかかわらず、力也はその名前をすぐに見つけていた。
――『富良 よし子』
左端に刻まれたその名前を力也は慈しむように見ていた。自然と力也の目から涙が流れる。
(おばあちゃん……ひさしぶり)
避けるようにお墓参りにも行かなかった力也にとってそれは、実に九年ぶりの再会だった。
――よく来たね
一瞬、そんな声が聴こえた気がした。力也は、はっとして周りを見回す。でも、周りには、頬に涙を伝わせながら一点を食い入るように見つめているミルと無関心に通り過ぎていく人々しかいなかった。
出所はなかった。でもあの言葉が力也には、ただの幻聴とは思えなかった。
力也はミルが見ている一点に目を向ける。
――『和束 陸』
――『和束 としみ』
前後に刻まれたその文字が、一瞬仲睦まじそうに見えたのは、果たして幻覚だったのだろうか?
力也は手に持っていた菊の花を石碑の土台となっている御影石の上に横に倒して供える。
それを見たミルは、ポシェットの中から何かを取り出す。――それは、さっき水族館で買った、イルカのキーホルダーだった。
ミルはそのキーホルダーを菊の花の横に並べる。
その光景を力也が不思議そうに見つめていると、やがてミルが口を開く。
「これはね、私が九年前に買ってもらったのと同じものなの。その時のキーホルダーは、テロのせいでどこかに行っちゃったんだけど……でも、大事にしてるよって見せてあげたかった。だから――」
そこで、力也はあの時のミルの言動を思い出す。
力也がもう一つ大きいイルカのキーホルダーを勧めても、小さいほうを選んだミル。力也のお金を頼らず、自分でそのキーホルダーを買ったミル。
――それらは、そのキーホルダーに思い入れがあったが故だったのだ。
「ありがとね」
その時、力也は不思議な光景を見た。満面の笑みで微笑むミルの後ろに、二人の老人が見えたのだ。一人は、やさしい笑みを讃えた女性。もう一人は、気さくそうな男性だ。どちらも力也には見覚えがなかった。でも、不思議とこの二人を知っている気がした。
(――この人たちは、ミルを大切にしてくれたんだ)
力也が微笑み返すと、二人の老人は、空気に溶けていくように消えて行った。
力也がしゃがみこむと、ミルも涙を拭ってしゃがみこむ。
手を合わせ、目を閉じる。
目を閉じた先に見えたのは、力也の祖母だった。年寄りとは思えないほど無邪気な笑みが力也を迎えている。
(うん。――やっと来れたよ)
力也が伝えたのはただその一言だけだった。なんとなく、それだけでいいような気がしたのだ。
力也は目を開く。ミルはまだ目を瞑っていた。ミルは今、何を思っているのだろうか?
やがて、ミルも目を開く。ミルの頬はほころんでいた。きっと、別れを言うことができたのだろう。
「さっ、帰ろっか」
「うん」
ミルは頬に涙の筋がついた笑みで元気に頷いた。
(涙)……。




