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Peace World  作者: 黒糖パン
10/30

提案

 館内の時計を見てみると、午後七時を回ったところだった。

(もうそんな時間か)

 あまりにも時間が経つのが早く感じた。

 でも、お腹はしっかりと時刻を象徴していた。

「ミル、レストラン行こっか」

「うん。お腹空いた」

 力也が提案すると、ミルは振り返って、わざとらしくお腹をさする。

「おっけ」

 この水族館にレストランがあることは、バスで調べ済みだった。しかも、何やら特別な演出があるレストランらしい。

 そのレストランは地下にあるということなので、エレベーターを見つけて、下に降りる。すると、扉が開くと同時にウエイター服を着た店員に迎えられる。

「何名様でしょうか?」

 丁寧な言葉遣いでその若い男の店員は力也に訊く。

「二人です」

 そう答えると、「こちらへどうぞ」と言って、席まで案内してくれる。

 店内は、照明が暗く設定されていた。BGMも流されていない。でも、それが、この店のオシャレ感を上げていた。でも、別にオシャレ感を上げるためにこんなことをしているわけではない。照明を暗くし、BGMを流していない本当の理由は――

「わぁ……」

 ミルの口から思わず感嘆の声が漏れていた。

 椅子やテーブルが立ち並んでいる奥、そこには、大きな水槽があった。中では、小魚や鮫が泳いでいる。あまり明かりを入れないため、等間隔に壁があるが、それでも圧巻のスケールだった。

 力也とミルは、席に座り、店員からメニューを受け取る。

 メニューは主に魚介類が中心だった。魚を見た後――はたまた見ながら、魚を食べるというのは、いささか不憫だ。

 そんなことを思う人のためか、それとも単純に魚嫌いの人のためか、ちゃんと肉料理も用意されていた。

「私、海老とトマトとチーズのパスタが食べたい」

「おぉ、おいしそうだねえ」

 ミルが指差した品の値段が、ふと力也の目に入る。

(えっ……二〇〇〇円……たかっ)

 力也は、その値段の高さに驚き、他の品も確認してみる。

(……)

 すると、どれも値段が高く設定されていた。水族館だから、素材にはこだわっているのだろうか?

 力也はミルに見られないように静かに財布の中身を確認する。一万円と少しあった。なんとかなりそうだ。というのも、今回のミルとのデート……もとい、おでかけは、力也の自腹だった。最初は、昌也が払ってくれるとのことだったのだが、力也がそれを拒んだ。なぜなら、そうじゃないとデートっぽくないからだ。

 力也は安心して溜め息を吐く。この時ほど、日頃の自分がほとんどお金を使わなかったことを褒めた時はなかった。

「じゃあ、シーフードドリアにしようかなあ」

 力也は、この中で一番値段が手頃なものを選ぶ。それと、冬といえばやはりドリアだった。

「あっ、それ私も気になってた。ちょっとちょうだいね」

 さも当たり前かのようにミルはそう言う。

「それなら、ミルのもちょっとちょうだい」

 ミルの態度が少しだけ癪に障ったので、力也は交換条件のようなものを出す。

 でも、これが間違いだった。

「んん? それって、私にあーんしてほしいってこと?」

 ミルは、にやにやして力也を上目使いで見つめる。

「違うよッ!」

 力也は全力で否定していた。一瞬、周りの客の目線がこちらに集まる。

 んん、とわざとらしく咳払いして、力也は気持ちを改める。

(ミルに乗せられたら駄目だ)

「とりあえず、注文しよっか」

 わざと話を逸らし、近くにいた店員に声をかける。

 店員に、ミルと力也が選んだ品を注文する。

 ミルは、去っていく店員の後ろ姿を慈しむような目で見ていた。どうしたのだろうか?

「ねえ、力也。私ね、スラムではいろいろな人の家に住まわせてもらっていたんだけど、レストランなんて来たことなかったよ。だってみんなスラムの人なんだもん。家はあるって言っても、ぼろぼろだし、お金もない。だからね、私、すっごく力也に感謝してるよ。私にこんなに贅沢させてくれて、すっごくうれしい。……でも――」

 鮫が横切る。大きな魚影が、力也たちがいる空間を一瞬暗くする。そのせいで、ミルの表情が隠れる。

――もうこれ以上は

 ミルは、声に出さず、そう言った。……いや、そう言った気がしただけだ。何せ、暗かったせいで、ミルの口の動きが見えにくかった。

 鮫が通り過ぎると、周囲は明るくなり、やっとミルの表情が見える。ミルは微笑んでいた。やはり、力也が聴いた言葉は、ただの気のせいだったようだ。

「なんか恥ずかしいッ。やっぱり今の言葉忘れてッ」

「いやだね。絶対忘れないから」

 大袈裟に顔を隠すミルに、力也は少し意地悪する。

 それに、忘れてと言われれば、覚えてしまうのが人間というものだ。力也も例に漏れず、ミルの今の言葉を忘れることはないだろう。

 力也の言葉を聴いたミルは、力也を見ながら、頬を膨らませる。

「忘れないと、あーんするからね」

 もう力也なんかどうなってもいいんだからね、という風に――ツンデレ? ――ミルはそっぽを向く。

「わかったわかった。忘れるから、やめてッ」

 力也は慌ててそう言ったが、内心では、

(どんな脅しかただよ、まったく)

 とミルのかわいさを再認識していた。

「あのさ……ご飯食べたらすぐ帰るの?」

「……」

 力也の頭の中に、響歌からのメールが蘇る。

――朝に帰ってきてもいいのよ

(って、何考えてんだぁぁぁぁ)

 力也は変な考えを起こしてしまう。

 でも、ミルの表情は、いつになく真剣だった。だから、力也は自分の足でもう片方の足を踏み付け、変な考えを振るい落とし、身を引き締める。

「そのつもりだけど……どうしたの?」

 力也がそう訊ねても、ミルは少しの間答えなかった。何かを逡巡しているようだった。

「えっと……ね。私ね、どうしても行きたい場所があるの」

「行きたい場所?」

 うん、とミルは頷く。

「どこ?」

 力也がそう訊ねると、ミルは口を開いたり閉じたりしていた。どうやら、まだ迷っているようだ。

 でも、数秒後、ミルは、その場所を口にする。

「……テロがあった駅」

「えっ……」

 驚きのあまり、力也はその驚きを吐き出された空気と共に言語化していた。

 テロがあった駅――今日力也たちが降りた駅からもう一つ向こうの駅は、現在はもう修復されており、九年前までと同じように使われている。その駅は、今日行ったショッピングセンターと今いる水族館の最寄り駅となっている。それなのに、力也がその駅を使わず、一つ手前の駅を使った理由は、単純に九年前のことを思い出したくなかったからだ。

 でも今、力也でさえ避けていたことをミルが克服しようとしていた。

「ちゃんと、おじいちゃんとおばあちゃんにさよならを言いたい」

 その言葉を聴いた途端、力也の身体を何かが駆け巡った。

 ミルは逃げずに踏ん切りをつけようとしていた。

――そういえば

 と力也は思う。

(僕も、毎年灯篭流しに参加せず、逃げてばかりいたっけ?)

 でも、今がチャンスだと力也は思った。ここで逃げれば、永遠に逃げ続けることになるだろう。

「わかった。……僕ももう、逃げないよ」

 本当に、ミルはすごいと思う。だって、力也には決してできなかったことをやり遂げようとして、さらに力也の心まで動かしてしまうのだから。

「……ありがとう」

 ミルは安心したような表情を見せていた。

「お礼を言うべきなのは、僕のほうだよ。……ありがとう」

 と、そこで二人が頼んだ品が運ばれてくる。

「おいしそー」

 ミルは感嘆の声を漏らしていた。ミルの視線の先にあるのは、赤くゆで上がった大きな海老が特徴のパスタだ。

 そのパスタが机に置かれた途端、水槽の中にいた海老たちが泳いでどこかへ行ったのは、気のせいということにしておこう。

 力也の目の前には、ぐつぐつと煮立つドリアが置かれていた。表面の焦げ目が香ばしい匂いを周囲に放っている。

 二人とも、手を合わせてから、一口食べる。

「「おいしっ」」

 おいしさのあまり、ハモってしまう。ミルのほうはわからないが、力也のほうは、中に入った肉厚のホタテがアクセントとなっており、全体がまろやかになっていた。

「はい。あーん」

 妙な声が聴こえてきたと思い、顔を上げると、ミルはフォークにパスタを絡ませ、力也のほうに手を伸ばしていた。

「……いや、しないからッ」

 力也は頬を赤らめていた。……もしかしたら、ドリアのようにくつくつと沸騰しているのかもしれない。

「ああ、落ちちゃうー」

 わざとらしい口調でミルはパスタが危険な状態にあることを力也に告げる。

「皿に戻せばいいでしょ」

 力也は呆れていた。

 でも――

「ああ、落ちちゃうー」

 ミルは力也の言葉など聴こえていないかのように無視し、さっきと同じ言葉を力也に告げる。

(くっそ)

 力也は、やけになって、フォークにかぶりつく。そう、やけになって、だ。決して、喜んでいたわけではない。

 周りから見れば、二人はバカップルに見えていただろう。でも、力也は恥ずかしすぎてそんなことに頭が回らなかった。

 そして、肝心の味も、恥ずかしさのせいでまったくわからなかった。

(あんなこと言わなきゃよかった)

 と、力也は今更後悔するが、手遅れだった。

 その後、ホタテの味ももうなんだかわからなくなりながら、力也はドリアを完食する。

 力也が気持ちを落ち着かせるために、食後のコーヒーを頼み、苦さで恥ずかしさを殺していると、ミルも食べ終わったようだった。

力也は、コーヒーをぐっと飲み干し、会計へ。

 会計を終えた力也が思ったことはただ一つだった。

(えっ……あっ……コーヒーたかっ)

 でも、この気持ちを誰にも言うことができず、力也は呑み込むことにした。

 来る時と同じエレベーターで上に上がり、お土産コーナーを少し覗くことにする。

「あっ、これ買っていい?」

 ミルが手に取ったのは、小さなイルカのぬいぐるみがついたキーホルダーだった。

「いいけど……でも、もう一つ大きいやつがあるよ。こっちにしたら?」

 力也はその隣の一回り大きなイルカのキーホルダーを手に取る。

 でも、こちらのほうが、値段が高いので、遠慮しているのか、ミルは大きくかぶりを振る。

「ううん。こっちがいいの」

 ミルはそう言って、そのキーホルダーを胸に抱く。何か、こだわりのようなものがあるのだろうか?

「そう? それでいいんだったらいいけど……で、何円?」

 力也はカバンの中から財布を取り出す。

 でも、ミルは再びかぶりを振る。

「これは私が自分で買うの」

「ん? あっ、そうなんだ。……ごめんごめん」

 力也には、ミルの意図が見えなかった。小さいほうがいいと言ったり、自分で買うと言ったり……一体、何を考えているのだろうか?

 ミルは、ポーチからピンクの財布を取り出して、レジに向かう。

 レジでミルが会計を済ましている間、力也はホロタンを取り出し、地域検索をしていた。地域検索とは、簡単に言えば、この近くにあるさまざまな店を検索することだ。これは、インターネット時代からの名残でもある。

 力也が地域検索で検索したジャンルは、花屋だ。すると、今から向かう駅に一つあるとのことだった。

「おまたせ」

 いつの間にかミルは戻ってきていた。

「うん。じゃあ、行こう」

「うん」


次の話は感動的かもですね

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