第五話
「高いな……」
「高いね」
「………」
俺とギリアードが目の前の断崖絶壁を見上げながら呟き、ナターシャも無言で断崖絶壁を見上げている。
オークの群れを退治する仕事を終えてから三日後。俺達は冒険者ギルドの仕事でトリス茸というキノコを採りにこの山にきていた。なんでもトリス茸というのは匂いも味も絶品で王族や貴族の食卓にも上がる高級食材なんだとか。
しかし、だ。そのトリス茸があるのは目の前の断崖絶壁の遥か上。これは採りに行くだけでも骨が折れそうだ。
「ギルドでキノコ一本につき銀貨二枚と聞いた時はおいしい仕事だと思ったんだけど……。やっぱりそううまくはいかないか」
この大陸の通貨は「銅貨」、「銀貨」、「金貨」の三つに分けられる。
最も価値が低く、同時に最も流用されているのが銅貨。
次に価値があるのが銀貨。銀貨一枚で銅貨百枚分の価値があり、贅沢をしなければ大人一人が十日食べていける。
最後に最も価値が高いのが金貨。金貨一枚で銀貨百枚分、銅貨にしたら一万枚分の価値がある。
ギリアードが断崖絶壁を見上げながら口を開く。
「聞いた話によると、この断崖絶壁の上には鳥形の魔物がいるらしいよ。魔物の強さは大したことないんだけど崖を登っている最中に襲ってくるから、死人も何人か出ているらしい。大人数で一斉に登っていけばなんとかなるかも知れないけど、それだと一人頭の分け前が少なくなるから、この仕事は人気がないんだって」
「なるほどな。それで? これからどうするのか考えているのか?」
この仕事を受けようと言い出したのはギリアードだ。受ける時もやけに自信があったし、考えが何もないということはないだろう。
「心配しないでくれ。もちろん考えているさ」
ギリアードが断崖絶壁から俺を見て笑みを浮かべる。
「でも、そのためにはキミの力が必要なんだ」
「? 俺の力?」
一体何をさせる気だ?
☆
「え~と……」
「………」
俺は今、ナターシャに捕まっていた。
ナターシャの人の上半身が真正面から俺に抱きつき、蛇の下半身が「逃がすまい」と俺の足に何重にも巻き付いている。……動けねぇ。
何でナターシャが俺を拘束しているのかというと、それはギリアードが考えたトリス茸を採る方法を聞いたのか原因だ。
ギリアードが考えたのは、俺が契約の儀式でこの辺りの鳥形の魔物を仲間にしてそれにトリス茸を採りに行かせるという非常に簡単なものだった。「仲間にした魔物は用がすんだら契約を解除して解放すればいい」と簡単に言うギリアードの言葉に俺も「それもそうだな」と納得したのだが、ここでナターシャが大反対。どうやら俺が他の魔物と契約するのが嫌らしい。
「ナターシャ……。そろそろ離してくれない?」
「………」
頼んでみてもナターシャは首を横にふって離そうとせず、相変わらず無表情だがわずかに潤んだ瞳で俺を見上げてくる。その捨てられた子犬のような瞳は「私のどこが不満なの?」とか「私、もっと頑張るから他の魔物なんかと契約しないで」と言っているように見えた。
……何だろう? すごい罪悪感がするんだけど?
「なあ、ギリアード。どうしようか?」
「そうだね……。本当にどうしようか?」
ギリアードもどうしたらいいか分からないようで苦笑を浮かべている。
「というか、別に俺じゃなくてギリアードが契約の儀式をやればいいんじゃないか?」
契約の儀式は手順さえ知っていれば誰でもできる。それにギリアードもトリス茸を採る方法を説明していた時、「この辺りの魔物だったら魔術なしの自分でも勝てる」って言っていたし、俺が契約の儀式をする必要はないと思う。
「………」
見ればナターシャも首を何度も縦にふっていた。
「いや、ボクも魔物を仲間にするぐらいなんともないんだけど、もし契約の儀式で予想外に強い魔物を呼び出したことを考えるとゴーマンの方が生存率が高いかな、と思ったんだ」
ギリアードの言葉にも一理ある。
契約の儀式は一度始めると決着がつくまで戦いが続き、儀式を始めた魔物使いでも戦いの場から逃げることはできない。
勝って呼び出した魔物を従わせるか、負けて呼び出した魔物の餌となるか。
この厳しい戦いの条件が、冒険者に魔物使いの数が少ない理由の一つなのだが、今はそれは置いておこくとして……。確かに契約の儀式で強力な魔物を呼び寄せてしまったら、ギリアードの言うとおり俺の方が勝って生き残る確率が高いだろう。
「仕方がない。俺がやるしかないか……」
その後。俺とギリアードは二人がかりでなんとかナターシャを説得して、彼女を離すことに成功する。ちなみに説得するまで一時間以上かかり、契約の儀式をする前から体力と精神力をだいぶ消費したような気がする……。
地面に四角形を描き魔物と戦うフィールドである陣を作ると、俺は戦う準備を整えて陣の中央に立った。
「それじゃあやるぞ」
「ああ、頑張ってくれよ」
「………」
にこやかに笑って応援してくれるギリアードとは対照的に、ナターシャは明後日の方を見ていてこちらと視線を合わそうともしなかった。マズいな。ナターシャの奴、相当怒ってやがる。
背中に冷や汗を流しながら呪文を唱え、陣に魔力を送る。そして待つこと数分。
バサッ、バサッ、バサッ……。
頭上からかすかに鳥が翼を羽ばたかす音が聞こえてきた。空を見上げると小さい一つの影がこちらに向かってきている。
「来たか」
どうやら狙いどうり鳥形の魔物を呼び寄せることに成功したようだ。あとは戦いに勝ってあの影を仲間にするだけだ……て、ちょっと待て。
「なあ、ギリアード」
「なんだい、ゴーマン」
「あの空の影……どんどん大きくなっていないか?」
「奇遇だね。ボクもそう思うよ」
上空に見える魔物だと思われる影は徐々に大きくなりながらこちらに近づいてきている。ギリアードの話によるとこの辺りにいる鳥形の魔物は「ファングクロウ」という嘴にギザギザの牙が生えたカラスみたいな魔物だけらしいのだが、上空の影は明らかにファングクロウよりも大きかった。……ってゆうか……。
「なあ、ギリアード」
「なんだい、ゴーマン」
「あの影、さ……。鳥に見えるけど、人のようにも見えないか?」
「奇遇だね。ボクもそう思うよ」
俺がギリアードと話している間も上空の影はこちらに向かってきていて、気がつけば正確な大きさと形を確認できるところまで近づいてきていた。影の大きさはファングクロウの数倍はあり、形は四肢が鳥の翼をと脚で、頭と胴体は人のそれだった。これってもしかしなくてもアレだよね?
「なあ、ギリアード」
「なんだい、ゴーマン」
「あの影って魔女なんじゃないか?」
「奇遇だね。ボクもそう思うよ」
そうだよな。ギリアードも同じ考えだったら間違いないよな…………って!
おかしいだろ! 何でこんな所で魔女が出てくるんだよ!? この辺りって弱い魔物しかいないんじゃなかったのかよ!
バサッ、バサッ、バサッ……ザッ。
魔女が俺の目の前、陣の中に着地する。やっぱりこの魔女が対戦相手か……。まいったな、弱い魔物と戦うとばかり思っていたから出鼻をくじかれた気分だ。