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彼女の光、闇に交わり、虚へと還る

 外は雨が降りだした。割れて吹き抜けになった窓から、水滴が地面を叩く音が聞こえてくる。春の冷たい雨。

 室内で見つめ合う二つの人影。片方は恐怖を、もう片方は嬉々とした表情をしている。

「あんシンしロ。イタいのはいっシュンダけダ」

 前にも似たようなセリフを聞いたが、その時以上に恐怖感に包まれている。

 心が無意識にレンを思い浮べる。助けて――。想像上の彼に声をかけるが、無論助けなどはこない。なら……。シェリルは左に跳んだ。すぐ近くには階段がある。

 後方から、壁を粉砕して追い掛けてくる音が聞こえてくる。彼女は死に物狂いで階段を駆け上がった。幸い、階段の幅は狭く、翼翔族のヴァンパイアの巨体ではそう簡単に昇ることはできない。やはり、壁を粉砕する音が聞こえてきた。

 シェリルは階段を昇り終えると、自分の部屋へ駆け込み戸を閉めた。すぐに窓に駆け寄り開け放つ。冷たい空気と滴が体に打ち付ける。いつのまにか豪雨と化しており、彼女の全身を一瞬にして水浸しにした。

 シェリルは窓の下を見て、一瞬戸惑った。ここは二階。逃げ込んだはいいけど、飛び降りるのは難しいかな。そう考えていると、後方のドアが砕け散った。その音が、彼女のすべての考えを白紙にし、窓の外へと飛び出させた。

 重力に引かれる体。着地のことなど考えずに飛び出してしまったため、体は多少後ろに傾いていた。しまったな……。一秒の間に、シェリルは後悔の言葉を脳裏に浮かべ、足には強い衝撃と激痛が走る。

 悲鳴を上げそうになった。意識も飛びそうだった。しかし、後ろからの恐怖がそれらを許さなかった。地面に手を突き、起き上がろうとするシェリル。しかし、右足が明後日の方向を向いており、動かすと激痛が走るのだった。

 なんとか這いずって逃げ出そうとしたが、後ろに羽音と着地音を聞き、諦めた。

(助けて……レン!)

 後方から迫り来る足音に、祈るように思い続ける。そして、足音がピタリと止まり、生暖かい液体を背中全体に浴びた。

「な……ニ……」

 悲鳴に近い、ヴァンパイアの声。シェリルが何事かと振り返ると、胸から赤く脈打つ臓器が飛び出したヴァンパイアがいた。その臓器から放たれている液体で、シェリルの全身が赤く染まっていく。顔だけは、飛び散る血液は微量しか付着しなかった。

「おいしそうな匂いがしたから来てみたら、先客がいたなんてね」

 その声の主は、ヴァンパイアの心臓を握った腕を引き抜き、立ちすくむヴァンパイアを、邪魔だと言わんばかりに放り投げた。その後、手に握った心臓を完食する。

「あな、たは……だ……れ」

 シェリルは、激痛とショックにより、深い闇へと沈んでいった。薄れ行く視界に、女性の天使のような微笑みを捉えた――



「う、んん……」

 白く柔らかなベッドの上で目を覚ました。シェリルは朦朧とする頭で、何があったかを思い出そうとした。

 右足が痛い。両腕が頭の上のほうで縛られてる。体が濡れてる。入ってくる情報は、自分の現状を知るのには不十分だった。唯一思い出されたことは、ヴァンパイアに襲われ、何者かに助けられた、ということだけ。

「あら、気が付いたの」

 まだ覚醒しきっていない頭に女性の声が響く。その方向に頭を向けると、天使のような微笑みを浮かべる女性がいた。綺麗な人だな。シェリルはふとそう思った。

 女性はどうやら湯上がりらしく、ハンドタオルで髪を拭っていた。タオルを肩の上に落とすと、茶色がかった髪が、湿気を帯びて艶やかに光を受けていた。

 シェリルが虚ろに女性を見つめていると、女性はタオルを近くの椅子の背もたれに掛け、シェリルへと近づく。そして、彼女を縛り付けているベッドに上がった。

「本当においしそう。さすがは“異世界人”ね」

 シェリルに体を被せながらそう言った。シェリルはその一言に驚きを隠せなかった。

「異世界、人?」

 言葉の意味を理解できなかった。いや、正確には心が拒絶したのかもしれない、理解することを。そして、その意味を受け入れることを。

 自分のなかの何かが崩れるような気がした。だから、信じたくはなかったし、理解したくもなかった。別のものに対する言葉だと思いたかった。

 だが、女性は悪戯に笑う。

「あら、自分が何者なのか知らないの?」


 ……やめて。


「じゃあ、お姉さんが教えてあげる」


 やめて、やめて! 聞きたくない聞きたくない!


「あなたは別の世界から来た人間なのよ。ずっと昔にも、あなたみたいな異世界人に会ったことがあるから、間違いないわ」

 シェリルのなかで、信じていたかった何かが崩れた。瞳からは一瞬にして光が失われ、口が力なく開いている。

 しかし、女性はシェリルの変化に気付きはしなかった。視線はすでに胸元に移されていた。左手の指は、なだらかな胸のラインを辿る。

「ふふふ……まずは心臓から、ね。心臓は体の中で一番美しい臓器よね」

 うっとりとした表情で右手を構える。しかし、その声はシェリルの耳には届かず、動作は目に映らなかった。

 ただ、幼い頃に見た父と母の笑う顔が、モノクロ写真のように脳裏に焼き付いているだけだった。

 その時、突如扉が吹き飛び、それと同時に窓が砕け散った。女性とシェリルしかいなかった部屋に、二人の男が乗り込んできた。

「……あー、面倒臭ぇ。管轄外だっつーの」

 扉を蹴破って入ってきた男は、部屋の中を一瞥してつぶやく。男は、黒のトレンチコートに指の露出したグローブ、右手に銀剣、左手に銀銃という異様な格好で、やわらかに殺気を放っている。

 窓から侵入してきた男は、深緑の髪に藍眼。レンである。無言、無表情のまま、静かに鋭い殺気を放つ。

 部屋の中は、張り詰めた空気に支配されている。誰一人として動かない。それぞれ出方をうかがっていた。

「あら、そこの深緑君、また会ったわね」

 喋った瞬間、女性のほうに何かが飛んだ。一瞬後、シェリルの上にレンがいて、女性はレンのいた位置にいた。

「カナエさん、だったね。残念だね、祈りが通じなくて」

 口調は柔らかだが、鋭さがあった。敵意をむき出しにした瞳は、深い青色に染まっていた。蹴脚族の眼は、その時に持っている一番強い感情によって、わずかに色が変わる。

「あら、覚えててくれたの。お姉さん、うれしいわ」

 語尾に行くにつれ、棒読みになっていく。カナエとしては、最上級の獲物を横取りされたのだから、非常に不愉快だった。

 不意に一発の銃声が鳴り響いた。二人が驚いて扉のほうを向くと、男が手にした銀銃を天井に放っていた。

「おい化け物共。その辺にしといて、さっさと俺の前から消えてくれねぇか。二人相手は面倒だが、出来ねぇわけじゃねぇ」

 男の言葉は、身に纏った雰囲気が裏付けしていた。カナエは膝を突いた状態から立ち上がると、男のほうに向かって歩いた。

「ここ、あたしの家なんだけど」

「そうか……じゃ、さっさと用事を済ませたら返してやるよ」

 何とも間の抜けた会話がなされた。しかし、カナエがここで男を襲わないのは、今の自分の力の程を知った上で、この男の力には及ばないことを悟ったからだ。

「……あなた、おいしそう。今度、頭からじっくり味わってあげる」

 男の脇を通り過ぎる際に、カナエは言い残した。男は苦笑いし、カナエの足音が遠ざかったのを確認したあと、レンを睨み付ける。

「おまえも出ていくんだぜ? ああ、その娘は置いていけ」

 男の言葉に、レンはシェリルを抱き寄せた。その行動には、ただ獲物をとられまいとするもの以外の感情も見て取れた。

「……心配すんな、盗りはしないし殺しもしない。事と次第によっちゃあ、二度とは近付けさせないかもしれないけどな」

 男は銃を向けながら言い放った。レンはしぶしぶシェリルを解放すると、その光を失った瞳と表情を見て、不安に襲われた。

 ……シェリル……。レンはベッドから降りると、男のほうに向かって二歩進んだ。自分の射程範囲に男を捉えるためだ。

「僕はここに残る。シェリルは僕のものだからね。君がシェリルに変なことをしないか、見張らせてもらうよ」

 ご自由に。そう言うと男はベッドに歩み寄る。レンは、瞬きも惜しいといわんばかりに男を観察する。

 男はシェリルの脇に座り、その上体を助け起こした。彼女は、何かの脱け殻かのように口を半開きにし、目は虚空を見つめている。

「……あー、シェリルだったか? 大丈夫か?」

 揺すり、呼び掛けるが、彼女からの応答はなかった。ため息を吐き、ベッドから立ち上がる。

「カウンセリングは本っ当に管轄外だ。おい、緑」

 男がレンに向かって呼び掛ける。レンは一瞬、自分が呼ばれたとは思わず、呆然とした。男の言葉を理解すると、不機嫌そうに顔を逸らせる。

「僕にはレンっていう名前がある。緑じゃない」

 不機嫌な応えに、思わず吹き出す男。そして、すぐにレンを招き寄せた。

 レンが男の傍まで行くと、男は肩を叩いてきた。

「この娘を任せる。本当は俺の仕事なんだが、管轄外の事までは手が回せねぇ。おまえにならこの娘を委ねても大丈夫そうだ」

 それだけ言い残すと、男はさっさと来た道を引き返す。残されたレンは、男の気配が遠ざかったすぐあとにシェリルの隣に座った。

 彼女の顔を覗くと、虚ろな瞳で空を見つめていた。まるで人形かのように生気を感じられなかった。

「シェリル……」

 レンが呼び掛けると、彼女はゆっくりと振り返り、レンと目を合わせた。

 この目には、見覚えがある。そうだ、昔の……僕。彼は今のシェリルに、昔の自分を重ね合わせた。すべてに裏切られたと思っていた、昔の自分に。

「レン……」

 ぽつりと、呟いた。シェリルの目に涙が滲み始め、次第に粒となり、頬を伝った。二粒、三粒と数は増え、彼女はレンの胸にしがみついた。

「レン……私、別の世界の人間なの? じゃあ、お父さんとお母さんは、私の本当のお父さんとお母さんじゃないの!?」

 シェリルは堰を切ったかのように喋りだし、もはや泣き叫ぶに近かった。

「ハンナさんも他人なの!? 今までの私はなんだったの!? なんでこんな……」

 もはや脈絡も無くなってくると、シェリルは急に静かになった。彼女の嗚咽だけが静かに部屋に響いた。

 ただ呆然と肩を掴んでいたレンは、不意に彼女をやさしく包んだ。彼女はそれを意に返す様子はなかったが。

「レン……私、もう……なにがなんだかわからなくなってきた。……殺して……私を、殺して……殺してぇ!」

 シェリル自身、なにを言ってるのかもわかっていなかっただろう。ただ、その叫びは悲しみを帯びていた。

 悲痛な叫びを耳に受けながら、レンは彼女の首筋にやさしく口付けをし、彼女の意識を遠くへと導いた。

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