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歯車は揃わず、今、時を刻む

 町の中は、パニックに近い騒動になっていた。町の真ん中、それも一般の路上で、体液が全て吸い上げられた死体が四体も転がっていたのだから。第一発見者となった女性は、その死体と目が合ったらしく、精神的興奮が納まってはいない。

 警察も、この奇妙な死体には首を捻るばかりだ。体中の体液がすべて、一滴残らず無くなっていたのだから。まるで天気干しした干物のように。事件現場は、幾人かの嘔吐物と、死体からの干物化した時の特有の臭気によって、近づくだけでも吐き気を催す状況になっている。警察ですら現場には近付きはしなかった。必要最低限の調査と処理を行ったあと、付近を立入禁止区域としていた。業者に頼んで洗浄してもらったが、今だに臭気は落ちていない。

「カッカカ……間違い無ぇ、人の怨念の臭いだ」

 立入禁止と書かれたイエローテープに囲まれた路上に、一人の青年が立っていた。背筋はだらしなく、ほぼ九十度に曲がり、服やジーパンには、歩く度にジャラジャラと音がしそうな程までに鎖が付けられている。茶色に染められた髪は無造作に伸ばされ、あちこちで跳ね上がっている。右耳には三つ綺麗に輪型のピアスが並んでいる。どこからどう見ても、その青年はチンピラにしか見えなかった。

「体液が抜かれてた、か。間違いなく同族の仕業だな」

 その青年は、妙に甲高い声でつぶやくと、軽く膝を曲げ、跳躍した。次の瞬間には、近くの民家の屋根の上にいた。そのまま、青年は屋根伝いに消えていく。



 薄暗い部屋。妙に整頓された室内には、小さな机と椅子、ソファー、そしてベッドが置かれているのみだった。そのベッドの上には、寝息を立てる少女がいる。


――――


「ねえママ、いつ着くの?」

 暗い空の下、淋しい田舎道を一台の乗用車が走る。日がすっかり落ち、空には厚く雲が張り、地上の明かりはその乗用車のヘッドライトのみとなっていた。

「待ってねーシェリルちゃん。もう少しだから」

「まったく、せっかちだなシェリルは。ほら、見てごらん。町の明かりが見えてきたよ」

 両親の言葉を聞いたあと、後部座席に一人座っている少女は身を乗り出し、前方に見える。遥か前方に、ぽつぽつと小さな明かりが見えていた。少女は、やっと退屈な時間が終わると思い、思わずはしゃいだ。母親が笑顔で軽く注意し、父親も笑った。

 幸せを絵に表したかのような、暖かい情景。

 そんな家族に突如、不幸は降り注いだ。正面に、こちらに向かってくる二つの光の粒があった。父親は、道が暗いこともあり、多少の注意は向けていた、つもりだった。その光の粒は徐々に近づいてくる。そして、何を思ったのか、光の粒二つは突然反対斜線に侵入した。父親がその様子に気が付いたのは、もはや避けようのない距離だった――


 ふと、ベッドの上の少女は目を覚ました。ゆっくりと瞳を開け、沈む気持ちを感じた。なんで、あの日のことを思い出したんだろ。少女はそうつぶやき、自分の状況を考えた。

「あれ? 私……」

 死んだんじゃなかったっけ。体を起こし、質素な部屋のなかを見渡す。

 確かに私は死んだ。怪人に血を吸われて死んだはず。私も、あの時道に転がってた死体の一つになるはずだった。しかし、自分の手を眺めてみても、いつもとかわらず、色白で張りのある手があるだけだ。

 しばらく考えたが、寝呆けているのか、頭は回らなかった。彼女は考えるのをやめ、ベッドを降りる。立ち上がろうとしたが、力が入らない。気が付くと、体を倦怠感が支配していた。仕方なく、再び横になる。疲れはしているが、眠くはなかった。しばらくすると、ドアノブをひねる音が部屋に響き、ドアから青年が入ってきた。見覚えのある、深緑の髪に、藍色の瞳。自分を襲った青年。彼女は思わず後退りをする。きれいに整えられたシーツや布団が乱れる。

「うん。その様子だと大丈夫そうだね」

 青年はやさしく微笑み掛け、少女へと近づく。少女はさらに下がろうとしたが、体がそれ以上動かなかった。青年は、その吐息を感じられるまで少女に近づいた。ほぼ体が重なる。

「僕はレン。君は?」

 レンと名乗る青年の言葉に、一瞬理解が遅れた少女。その理由は、その藍眼に見入っていたためだった。しばらくの沈黙の後、少女の思考がやっと追い付いてきた。

「わ、私は……シェリル」

 少女の今の心に、恐怖はその鱗片すらありはしなかった。ただ、美しいという感情が心に広がる。それと同時に、その藍色の瞳に隠されたレンの本性、深い悲しみ、そして、すべてを無へと帰する程の憎しみを感じていた。シェリルは、なぜか昔からそういう危険な匂いには敏感で、深く引かれるのだった。

「恐がらせてごめん。君の家はどこだい? 送ってあげるよ」

 その息遣いは甘く、シェリルの思考は溶けていきそうだった。なんとか自我を保ち、彼の肩をゆっくりと押し、互いの体を引き離す。彼女は呼吸を整え、レンに向き直る。

「いえ、結構です」

 これ以上彼の傍に居たら、どうにかなりそう。彼女はそっとベッドから立ち上がり、ふらつく足取りで部屋の出口へと向かう。思うように体が動かない。一歩踏み出すごとに、体が崩れてしまいそうになる。二歩、三歩と歩みを進め、足がもつれる。急に変わった体の角度を修正できるほど力はない。軽い悲鳴とともに、適度にやわらかい筋肉質の胸へと抱かれる。

「まだ、完全に生命力ちからが戻ったわけじゃないみたいだね。無理しない方がいいよ?」

 レンはやさしく言葉をかけるが、彼女は彼の抱擁を抜けようとする。しかし、体の倦怠感がそれを許さず、結局、ベッドへと戻された。フルマラソンを終えた後、体力だけが回復したかのように手足に力が入らない。彼は、何度も立ち上がろうとするシェリルを手で制し、落ち着かせる。

「歩けないんでしょ? だから送ってあげようかって言ってるの」

 彼の無邪気な微笑みに、思わず顔を背けるシェリル。このまま見入ってしまったら、虜になってしまう。実際そのせいで、彼女は過去に一度、心に傷を負わされている。もう、二度と傷つきたくない。傷つけられるのが恐い。その強い思いが、彼女を男たちから遠ざけてきた。友達はいても、恋心を抱く相手はいない。

 しかし、今この状況では、彼の力を借りざるを得ない。早く帰宅しなければ、面倒を見てくれているおばさんに迷惑が掛かってしまう。自分の本心と、現状を冷静に分析する考えとの葛藤の後、彼女は小さく、お願いしますと呟くように口にした。



 人の歩くことのない、彼らの通り道。大小、形状さまざまの屋根の上を、自分と同じくらいの年ごろの少女を抱えた青年が、跳ねるように渡っていく。少女は再認識した。自分を抱える藍眼の青年は、人知を超えた存在であることを。同時に、その青年の気紛れで自分が生きていることを。

「あ、あの青い屋根の家です」

 少女が自分の家の屋根を見つけ、指差した。青年はニコリと笑って承知すると、その方角へ跳んだ。あの質素な部屋から出て、三十秒後の出来事。

「ここでいいのかい?」

 家の前に降り立ち、シェリルへと尋ねる。彼女は小さくうなずき、早く降ろしてほしいと目で訴える。こんなところを知り合いに見られたら、変な噂が立つに違いない。それだけは避けたい。それが彼女の考えだった。

「また、会いにくるよ」

 ドアノブに手を掛けたシェリルに、レンがそう言葉をかける。彼女は目を丸くして振り返った。明るく柔らかく、深く黒く、意地悪に微笑む青年を視界に収める。

「君はもう、僕のものだ。その証は君の首にある」

 笑って言う青年。全身から血の気が引く少女。端から見れば、幽霊でも見ているかのような少女の視線。シェリルはゆっくりと、意識が飛ぶ前に、彼に襲われたところを触る。右側の首筋に、二つのザラついた感触。彼女はそれを確認すると、さらに顔を青白くした。

「簡単に言えば、君は僕の家畜。君の生命いのちはとてもおいしいからね。とっておかないと勿体ない」

 レンはそういうと彼女に背を向け、屋根の上へと消えていく。残されたシェリルは、侮辱感と恐怖心、そして、支配されるということに対する軽い快感の狭間で揺れていた。頭を軽く二、三度振り、マゾスティックな考えを振り切った。平静を装い、ドアノブを捻る。

「ただいま」

「あら〜おかえりなさい!」

 シェリルが家に入ると、途端に声が聞こえてきた。妙に高い声を発したのは、シェリルの親戚筋にあたる、ハンナという女性である。彼女は夫に先立たれ、二人いた息子も独り立ちしたため、一人暮らしをしていた。息子達が僅かながらに仕送りをしてくるので、生活には困ってはいなかった。そんなある日に、親族であるタカミヤ家が、幼い娘を一人残して他界したことを、親族を集めた葬式で知り、彼女の保護役を買って出た。そして今の生活があるのだった。

「ごめんなさいハンナさん、ちょっと寄り道しちゃって……」

 シェリルは言い訳をしつつ、時計を確認した。針は七時半を指している。ちなみに、あの現場に居合わせたのは二時半である。シェリルは申し訳なさそうに居間に入るが、ハンナはニコニコとした顔で迎える。

「いいのよシェリルちゃん。今頃の年なら、ちょっとくらい遅れて帰ってくるのが当たり前なのよ。お腹空いたでしょ? 待っててね、今温めるから」

 おばさんが若い頃は。シェリルちゃんももうそんな年ごろか。色々と楽しそうに喋るハンナ。しかし、シェリルはその話をほとんど聞いてはいなかった。思い出される、深緑色の髪と藍眼。危険で、深い瞳。甘い言葉。

「シェリルちゃん、どうしたの?」

 ハンナの一言に我に返る。ハンナは不思議そうに顔を覗き込んでいた。なんでもない、大丈夫。シェリルはそう言って、テーブルの上に置かれた箸を手に持ち、手を合わせて、いただきますと料理に手を付ける。年ごろの女の子はそんなもの。ハンナはそう割り切り、深くは追求しなかった。



 シェリルは湯ぶねに浸かり、右首筋を軽くなぞる。二つのザラついた感触。レンの歯の跡。これは、彼の家畜であるという証。それを再認識すると、涙が出た。なんでこんな事に……。流れる涙を拭う替わりに、湯ぶねに頭を沈める。このまま死んでしまおうかとも思ったが、その選択肢を選ぶ勇気はなかった。湯ぶねから顔を出し、再び涙を流した。

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