役立たずのメイド
敬愛するお嬢様は伯爵邸で軽んじられていた。妹のほうが優秀だからなどと伯爵夫妻は話していたけれど、そんな筈はない。ただ、前妻の娘である彼女が気に入らなかったというだけの話だったのだろう。
私は実家の商会の経営が傾いており、就職先を探していて、伯爵家はお嬢様に仕える使えない使用人が欲しかった。そんな酷い幸運のおかげで私は彼女に会うことができたのだ。
その時はお嬢様と王太子との婚約が決まったとかで、彼女を下げるための材料を探していたそうだ。出来が悪い所を王族に見せ、妹の方と婚約を結び直してもらう、という作戦らしい。馬鹿なんじゃないかと私でも思ったし、実際に愚かだったのだろう。
そんな裏事情を知ってもやることは変わらない。日々の暮らしのために仕事をするだけだ。そう、彼女に出会うまでは思っていた。
「本日からリリーお嬢様の専属となったセツナです」
叩き込まれた付け焼き刃のマナーを思い出しながら挨拶をした。きっと見苦しいものだっただろうに、お嬢様は優しく声をかけてくれた。
「顔を上げて、セツナ。今日からよろしくお願いしますね」
幼いながらも凛とした態度を見て、これが貴族なのだと分かった。同時に、世界一美しい少女かもしれないとも思った。
しかし、完全には隠しきれていない手の震えを見て急に親近感が湧いてしまった。彼女はまだ齢一桁の少女だ。敵かもしれない相手が目の前にいて怖くないはずがない。
「ありがとうございます、お嬢様。私はあなたの味方ですよ」
気がつけば、そんなことを口走っていた。私の言葉に彼女は驚いたような顔をしてーー困ったように微笑んだ。
「は〜!? 何なのよこのメモ! 伯爵令嬢への指示に思えないんだけど!」
顔合わせの日の夜、前任のお嬢様専属メイドから受け取ったメモを見て思わず叫んでしまった。
朝は九時に部屋に食事を届けに行き、食器はその場で回収して片付ける。部屋の掃除は勉強中にさっと行い、庭の花を見に行っている間は自由時間にしてよいとのこと。貴族世界に疎い私ですら、軽んじられていると感じるこの仕打ちを毎日受けていたお嬢様はどんな気持ちだったのだろう。
「伯爵たちに逆らいたくない気持ちは分からなくもないけど……いや、やっぱり分からない! やるからには完璧な仕事でしょ!」
私は紙をビリビリに破り、ゴミ箱に押し込んだ。
その翌朝、お嬢様の食事を取りに行き、料理人に声をかける。
「リリーお嬢様の朝食を頂きに参りました」
「あんたが新しい専属メイドか? リリーお嬢様の分はそれだ」
料理人が指さしたのはパンとサラダ、冷めたスープが載せられたプレートだった。材料は高級だろうが、庶民のような食事だ。
「大人しくしとけ。クビの最速記録を更新したくなければな」
私の不満が見透かされてしまったらしい。賢くあれとアドバイスされた。それでも、持っていかないよりはマシだとプレートをお嬢様の元へ持っていった。
「ありがとう、セツナ。あなたは初めてなのだし念のため私の予定を共有するわ」
「お気遣いありがとうございます」
「食事を摂ったら午前中は部屋で勉強。午後は庭で花を見てから、部屋で読書をするわ。いつもこの流れだから、あなたはその間別の仕事をしてもかまわないわ」
彼女はおそらく家庭教師すら付けられていない。その事実に胸が痛くなった。
「私に手伝えることがあれば何でもおっしゃってください」
「ええ、ありがとう」
頷いてくれたけれど、おそらく頼ってはくれないと思った。だから食事や環境整備でお節介を焼こうとこの時決めた。
当時は「自分は効率重視の利己的な人間なだけじゃなくて、お節介な一面もあるんだ」と思っていたけれど。今になって思う、きっとこの時には惹かれていたのだ。
午後、掃除を終えてから私も庭に降りた。先にいたお嬢様は花壇に植えられている植物に手を添え、優しく語りかけていた。花は褒められると美しく成長すると言うから、名前も知らないその花はきっと世界で一番美しく咲くだろう。そう、思った時だった。
「あら、お姉様。ドレスに土汚れを付けるなんて、本当にどん臭いわね。服を汚さないなんて基本も基本なのに、何故できないの?」
明らかに貶めようとしていると分かる嫌な言い方。お嬢様にそんな言い方をできる人物と言えばーー腹違いの妹であるローズお嬢様だけだろう。
「教えて上げなさい?」
ローズお嬢様が命じると、彼女の後ろに控えていたメイドの一人が前に歩き出し、リリーお嬢様を叩いた。
「泥汚れが付いていたから。どう? 取れたかしら」
ローズお嬢様は高笑いをしている。まるで、惨めなリリーお嬢様を見せ物にしているような。いや、まるでじゃなく、そうしていた。
(……手当しないと)
これ以上見ていられないけれど、仕事をクビになる勇気もない。私は道具を取りに屋敷に走った。たった一人のお嬢様を置いて。
「申し訳ございません。すぐに手当を……」
「ありがとう。でも、あまり私に構うとクビに……」
「私は専属ですから!」
平民出身の私はよく怪我をする弟のせいで手当には慣れている。手当が終わると、彼女は「早いのね」と笑った。
その笑顔に無理を感じてふと足元を見る。そこには踏まれてしまった蕾があった。
「申し訳ございません。お側におらず……」
「いいの。辞められては困るもの」
仕える相手に気を遣わせてしまった。私は守られる対象として見られていた。この時ほど自分が貴族であったらと思う瞬間はなかった。
朝食のスープを温かいものにしたり、ティータイムを用意したり、流行りの小説をこっそり渡したりと快適に過ごしてもらうためできる限りのことをした。けれど、私には根本的な解決は不可能だった。こっそり根回しをして中立的な使用人に隠れてお嬢様を助けるよう言ったけれど、その効果は微々たるもので、相変わらずローズお嬢様たちからの嫌がらせは続いていた。
そして、ある日私は「どうしてそこまで耐えられるのですか」とお嬢様に聞いてしまった。すると、彼女は婚約者がいるからだと答えた。彼の言葉が心の支えなのだと。
その婚約者ーー王太子は心底羨ましかったし、妬ましかった。それでも、お嬢様が彼の下で幸せになれるのであれば何も言わない。言えない。だって私は平民で女なのだから。この気持ちは死後の世界まで持っていくと決めていた。だから私は彼女の幸せだけを私は祈り続けている。
「明日はデビュタントなの。殿下とのファーストダンスのために可愛くしてもらえる?」
「畏まりました。王太子殿下が嫉妬されてしまうくらいとびっきりの美少女にーーっていつもそうでした。申し訳ございません」
「セツナはいつもそう言うわ。目が曇っていると思うけれど……」
「私以外の方が曇っているのです」
私は今日も彼女の一番側で見守る。この家さえ出れば幸せになってもらえると、そう信じて。
平民は会場である王宮に入ることができないため、私は屋敷でお嬢様の帰りを待った。疲れているだろうからとベットメイクとハーブティーの用意を済ませておく。
お嬢様は帰ってくるなり部屋に入り、切羽詰まったような表情で私に指示を出した。
「出ていって」
「……畏まりました」
ハーブティーは片付けて退出する。その後すぐ、お嬢様の声が聞こえてきた。
「やだ……。出来損ないの私じゃ、誰かに盗られちゃう……」
デビュタントで、何かがあったらしい。相手は王太子だ。他の令嬢だって話しかけたいことだろう。そしてお嬢様はそれに嫉妬している、こんなところだろうか。これだけならまだ可愛いで済むけれど、ただ一つだけ聞き逃がせない単語があった。
「殿下が居なくなったら、私……生きていけない……」
その瞬間、殺意が湧いた。そこまで思われる王太子が羨ましくて。そこまで思われているのに邪険にした王太子に対して。
「いや、これは憶測……。お嬢様が浮気されるはずなんてないし……」
そう呟いて殺意を沈ませ、自分の部屋に戻ることにした。
あのデビュタントから五年が経った頃、事件が起きた。
「リリー様はいつかやると思ってた」
「本当に性格が悪いわね」
「何の話でしょうか」
メイド仲間ーー個人的には敵だと思っているけれどーーがお嬢様の悪口を言っている気がしたため、圧をかける。一応専属メイドとして立場はある私はそれを利用して屋敷内でそこそこの地位を確立していたのだ。
「それは……その」
「噂です! 王宮で流れている噂があるんです!」
その噂の内容はお嬢様が留学先から戻ってきた公爵令嬢に嫌がらせをしているというもの。
「は?」
「ひっ!? で、でも王太子様は公爵令嬢に夢中だって聞きましたし、それに嫉妬したんじゃないかなあ、なんて……。しっ、失礼しました!」
噂を話し合えるとメイドは逃げるように仕事をしに向かった。
お嬢様は后教育が厳しくほとんど帰宅されないし、私は入城を許されていない。
「お嬢様……どうかご無事で……」
信じるものは金だけが口癖の商家出身の私にしては珍しく、本気で神に祈った。
けれど、神なんていなかったのだろう。お嬢様は処刑されることとなった。家の問題になるとはいえ、客観的に見てもやり過ぎなように思う。つまり、減刑を願う人が居ないのもこの極刑が下された一因なのだろう。
「クソ王太子が……」
お嬢様に仕えてから控えるようにしていた汚い言葉遣いが飛び出してしまうほど、私は怒っていた。そして、彼女の味方は私しかいないと信じていた。私以外の人物は味方することはできないだろうという確信すらあったためだ。だから、どんな行動も辞さないという覚悟を持って、実家ともあらかじめ縁を切った。
処刑までの数日は温情なのか傷口に塩を塗るためなのか、屋敷で過ごすことになったらしい。
お嬢様は心労のせいかとてもやつれてしまっていた。外に出ることは許されていないけれど、お嬢様は表面上はいつも通り過ごしていた。
「お嬢様。私と一緒に逃げませんか?」
「セツナと一緒に……?」
「はい。不自由な暮らしをさせない程度には蓄えがあります。それに……お嬢様がここで亡くなってしまうのは世界の損失ですから」
「あなたはいつも持ち上げすぎよ」
今までであれば困ったように笑ってくれていたけれど、今日は悲しそうに呟くだけだった。その姿から死ぬつもりだと察してしまう。
「私の手を取ってくださいお嬢様!」
死なせたくないと思うと語気が強くなった。けれど、彼女の心には届かない。
「私は、殿下のことが大好きよ。そのせいで処刑されるのだから、愚かに見えるかもしれないけれど」
「そんなことは……。王宮でサポートできなかった私の責任です」
「いいえ。これは私の行動の結果。だから、私は逃げないの。ーーだって、逃げてしまえば殿下への愛が嘘のようになってしまうから」
彼女のまっすぐな瞳を見てしまえば、止めることなんてできなかった。
「……畏まりました。最期までお側にいます」
「ありがとう、セツナ。こんな主でごめんなさい」
そして数日後、処刑を待たずしてお嬢様は命を絶った。崖の下のお嬢様の白いドレスは血に染まり、結った髪もぐちゃぐちゃになっていた。
「もしも来世があるのなら、お嬢様が素敵な家族に囲まれて、政争なんてない平和な世界にいきますように」
その理想の世界に私がいなくてもいい。彼女が幸せなら、それだけで十分だ。
罪人であるお嬢様に葬式は開かれない。ただ、事務的手続きが行われ、遺体は共同墓地に送られる。そのため、王太子に会うためには王宮に忍び込むしかないと思っていた。けれど、幸運なことに向こうからやってきた。
「御機嫌よう?」
「……! 誰だ!」
「そのままお返しいたします。こんな所で部外者が何をやっているのです?」
伯爵家の敷地内、お嬢様が命を絶った崖を覗き込む男がいた。
「俺は……」
「リリーお嬢様の元婚約者、でしょう?」
「……そうだ」
金髪碧眼のイメージ通りの王子様だ。彼女を捨てたくせになよなよしているのが腹立たしい。
「それで、何をしているのですか?」
「王太子と分かっても態度を変えないのだな」
「ええ。クソ野郎ーーおっと失礼。王太子殿下にわざわざ媚びへつらう理由などございません」
聞こえるよう罵っても大した反応は返ってこなかった。
「まさか、お嬢様と同じように飛び降りようだなんて思ってはいませんよね?」
煮え切らない態度からもしかしたらと思い聞いてみた。すると、図星だったのか露骨に反応した。
「ちっ」
聞こえるように舌打ちをして、王太子に近づき胸ぐらを掴む。
「裏切り者がッ! 被害者ぶって死のうとしてんじゃねえッ!」
火事場の馬鹿力というものだったのだろう。私は崖から遠ざかるように王太子を投げた。
「俺は許されないことをした。だから……!」
「死んでも許されねえよ、バーカ」
「バっ……?」
「死んでこの世から、責任から逃げるな。罪だと思っているなら、向き合い続けろ。寿命でくたばるまで」
もはや遠慮なんてない。連座になって困るような家族とは縁を切っているし、生きる意味も失っているからだ。
「お嬢様を捨てたのはお前だ。お前はお嬢様より公爵令嬢を取った。国のためにお嬢様を捨てたんだ」
「俺はリリーを愛してっ……!」
「なら捨てんなッ! お前がお嬢様を選ばなかったのは事実だろ!」
世迷言を言う王太子を殴りつける。大事に思っているというのであれば、お嬢様に寄り添ってほしかった。彼女のために彼女を止めてほしかった。
「お嬢様と国を天秤にかけて国を取ったなら、責任を持て……! 責任持って国を豊かにでもしておけッ! お前が死んだ所でお嬢様は戻ってこない! 戻ってきてくださらない……!」
気がつくと涙が溢れていた。ああ、私は彼女の死を一生忘れられないし、悲しみ続けるのだろう。
「私は明日の夜、この屋敷から出ていき、修道院へ向かいます。私の無礼を罰したいのであれば、どうぞそれまでに」
結局、私は罰されなかった。
修道院に入ると、俗世から遠ざかる。だから、王太子のその後は分からない。少なくとも自殺はしていないらしい。彼は良き王、良き夫として過ごしていたようだけれど、その内心は私には分からない。
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