貴方と私では生きる世界が違うから。
お前は神様なのに、普通に働くとか頭おかしいんじゃないのー?
とよく、知り合いの神友に言われていた。
だって、人間たちの営みはとても面白いのだから仕方ない。
それに、俺らは人間に覚えて貰えなければいずれ消えてしまう程儚い存在だ。
例えば、有名な神社に祀られているような神ならば、
忘れ去られることはないだろうが。
名もしれぬような神など、こうでもしない限りある日突然消えてなくなる。
それを待っているくらいなら、俺は人の世に溶け込んで楽しみながらその時まで生きたいと思った。
気づけば、何十年も人間社会に溶け込みながら暮らしいていた。
ある程度、金は稼いでいるし自分の帰る場所も手に入れた。
そんなある帰宅ラッシュの満員電車内で、痴漢を目撃した。
しかも、目前での犯行。
痴漢魔の男の堂々たる犯行は、見ていて気色が悪かった。
大学生くらいの若い女の子のお尻を撫で回して興奮しているなんたる愚行。
神として、罰は下せずとも悪行をみすみす見過ごすことは到底許されない。
(下劣な人間め)
俺はその痴漢魔よりも背丈が高く、そいつの背後から
手首を鷲掴んで捻り上げた。
「イタタタタ!!何するんだ!!」
「それはこっちのセリフだろーが。あんた、痴漢してたろ?……おーっと、逃さねーよ」
タイミングよく停車した瞬間、逃げようとした痴漢魔を組み敷いてそこら辺に居た見知らぬ人に駅員を呼ぶよう促した。
* * *
そこから、警察官が到着し身柄を明け渡し
被害者の女の子へ情け心で声を掛けていた。
「あんたも、災難だったな。
まあ、捕まったみたいだし…その、身体お大事に」
お大事にって何だ。
病気してる訳でもあるまいに。
絞り出した精一杯の相手を労わる言葉は、カッコつかなかった。
女の子は、震えており鼻声で
「……ありがとう、ございます」
としっかり何度も何度も頭を俺に下げて御礼を言うのだ。
自身よりも大きな身体の相手からくる屈辱。
想像を絶する恐怖を味わったであろうに、その健気な姿に目が離せなかった。
けれど、俺がこれ以上何か出来ることは無い。
警察官が言うには、女の子の家族が迎えに来るようだから安心してこの場を後にした。
家に帰れた頃には、深夜を回っていたーー。
ふと、布団の中にようやく落ち着けた時。
痴漢に遭ってしまった女の子が気になって、また会えないかなと思っていた。
稀に見る、律儀な人間だったし、ちゃんと目を見てくれてたな…。
大人しそうなのに御礼はちゃんと言えるし。
俺の事を色目で見てなくて、何つーか本当に俺俺を見てくれているって感じだったな。
「めっちゃ良い子だったよなぁ…。
って、これじゃ痴漢ヤロウと同じか!?
イヤイヤイヤ、神として悪事が見過ごせなかったのであって助けただけだ!」
しかしそれからというもの、
同じ車両内で女の子をよく見かけるようになった。
別に、話しかける事も話しかけられる事もない。
ただ、元の状態に戻っただけ。
でも、俺は完全に女の子の事を意識していたことは間違いなかった。
我ながら、気持ち悪いとは思ったさ。
けれども、気になったから何かアクションに移すなどそこまでは至らない。
時間が経てば忘れるか、そう思って三週間程が経過した時だった。
再度、同じ悲劇が起こってしまったーー。
女の子が気になって何となく目で追っていると、また痴漢にあっていたのだ。
今度は俺が居る位置的に犯行場所から遠く、すぐに助けられない位置にいた。
その時、凄まじい怒りが俺を支配するのを感じた。
「おい!!!痴漢魔!!!クソやろう!!
今すぐその子から汚ねぇ手を離しやがれ!!!」
俺の怒号を聞いた瞬間、瞬く間に犯人は別車両に移動してそのまま停車した瞬間に姿をくらました。
息を切らしながら、追いかけたものの今回は捕まえられなかったこと。
そして、女の子がまたも悲劇に見舞われたことが許せなくてその憤りを壁にぶつけた。
女の子の元に戻って、逃げられてしまったことを話す。
「なぁ、なんで自分で助けを求めないんだ。
助けは求めるもんだ。一人で抱えちゃ駄目だ」
それと同時に、何故自分で声を上げないのかとつい、説教じみたことを言ってしまったのだ。
最悪だった。
別に女の子は何一つ悪いことはしていないのに。
俺がただ不甲斐ないだけなのに。
そうだ。
俺が、プライドなんか捨てて話しかけていたら……。
未然に防げたのではないか?
俺は、決めた。
この子を守れるのは、俺だけだ。
この子が、怖い日々を送らずに済むようにこれから仲良くなろう。
「……いや、すまなかった。
被害に遭ったあんたに言うべきことじゃないよな。
悪いのは、犯人だし。………よければ気晴らしにお茶でも……しないか?」
気晴らしになれば良いなとお茶に誘った。
もちろん、彼女と仲良くなりたい口実だ。
電話番号と彼女の名前を教えて貰った。
華子と言うらしい。可愛い名前だ。
乗り気ではなかったが、それでも俺が華子を守るためだ。
自分の顔やスタイルには自信がある。
たぶんそれが、逆に華子が気が引ける原因なのかもしれない。
と、ふと思った。
なら、髪色を黒に染めよう。
* * *
次の日。
華子との、お茶をするという名目のデートでは
髪を染めて服装もシックで落ち着いた色味のものを選んだ。
「お待たせ、華子。
………え?俺の姿が?あーー、イメチェンかな!はは」
早速、食いついてくれた。嬉しい……。
やはり、狙い通りか華子はなんだか居心地が良さそうだった。
それが嬉しくて。
他の女の子とつるむ事が一切なくなった。
その代わり華子と、週一回はお茶をするようになった。
あぁ、可愛い俺の華子。
多分、今日はめかし込んで来てくれたんだろう。
唇には、淡いピンクの口紅が塗られており際立って色気を感じた。
白に紺色の花柄が散りばめられたワンピースは、一段と大人っぽさと女性らしさが強調されて美しいと思った。
笑顔で会話するのに、精一杯だ。
こんなこと初めてで、話ながらもずっと頭の中には華子に触れたいという気持ちが胸を埋めた。
けれど、それでは彼女の脅威と同じになってしまう。
それだけは、避けるべきだと言い聞かせた。
* * *
出会って一ヶ月が経つ。
案外抜け目なく、華子とデートを何度も何度も重ねた。
これは、恋人同士であるに違いないと踏んだ。
だから、俺はついに華子と同意の上、初夜を迎えた。
そこから歯止めが効かなくなって、最初は週一だったのが気づけば週三、四回になっていた。
でも幸せだったからそれでよかった、そのはずだった。
ーーけれど気づけば俺はいつしか華子以外から見えなくなっていた。
人々から忘れ去られると消滅してしまう恐れがある。
そんなこと承知していたが、それでもやはり不安は拭えない。
畳み掛けるように不幸が襲いかかる。
それを知ってか知らずか。
一週間ほど前から、華子に行為を拒絶された。
なんなら、会う事すら出来ないと断られるようになったのだ。
ぽっかりと、穴が空いたーー。
彼女の代わりなんて居ないのに、縋り付くように他の女の子に声を掛けていた。
でも、気分が一つも上がらないんだ。
風呂に入った時点で、唆られるものがなければ
鬱々しくただ一点を見つめてぼーっとしていると
相手から平手打ちを喰らってベッドの上で一人になる。
そんな事が繰り返されてしまう。
最悪なのは、女の子が身体に触れてこようとすると、無意識に手を払いのけてしまう始末だった。
「どうして、こんなことに……」
そう全ての元凶は、華子から一切の説明なしに拒絶されたせいだ。
俺は、消えないためには誰かに強く愛されている事が先決であると認知していた。
だから、嫌でもこうして行動に移さなければ
華子のためにすら存在が保てなくなってしまう。
このままでは、埒があかないと思った。
俺は、華子を問い詰めるために彼女の自宅のインターホンを押した。
一度では出てこず、もう一度押したがそれでも出なかった。
ピンポーン。
ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン。
焦りなのか、怒りなのかわからない気持ちが先行して何度も何度もインターホンを押してしまう。
我ながら、正気の沙汰ではないなと薄々勘づいていたがもう止められなかった。
オドオドしながらも、玄関から華子が不安そうにこちらを見ていた。
(ドアチェーンなんか付けて、まるで俺は厄介物扱いか?)
大分警戒気味の彼女の前では笑顔を貼り付けて
出来る限り優しく促すように「開けて?」と言う。
なのに、一々彼女はビクビクしていた。
これじゃまるで俺は怪物か何かみたいだ。
まあ、神なんだけど。
もしかして、バレた?
まあ、何も不都合はないが。
それからは、華子の部屋で彼女を問い詰めた。
両親や家族は、今旅行中で居ないから
暫くは、居座っていいよね?と確認しても首を縦には降らなかった。
だから、思い切って聞いたんだ。
「俺が怖いのか?」
初めて、首を縦に振った。
「俺のどこが怖いんだ?」
まだ冷静に聞けた。
「………」
答えなかった。
頭がおかしくなりそうだ。
俺には、もう。華子しかいないのに。
俺は、このまま消えてなくなる運命なのに。
そうか、華子を俺のところまで堕とせばいいのか。
そうか………。
そんな簡単な事まで、わからなくなっていたのか。
それなら、きっと華子も幸せになれる。俺が幸せに出来る。
……そうだ、そうしよう。
最初から、そうしていれば良かったのだ。
「華子?俺と幸せになろう。
……な?」
首を横に振った。
泣きじゃくって、近寄る俺の胸板を押し除けようと必死だ。
これじゃまるで俺が、最低な奴みたいだーー。
「華子、俺と心も身体も一つになったのに。それでも俺を拒むのか?どうして。…………何でだ!!!」
息が上がった。
華子を怖がらせるつもりは一切なかったのに。
罪悪感に、苛まれた。自業自得なのに。
「……わ、私と貴方じゃ釣り合わないからッ」
華子が震えた声を振り絞って出した答えが、ソレだった。
ショックだった。
何にも、何にも伝わっていなかったらしい。
「………そうか。なら、釣り合えばいいんだよな?」
可愛い華子の耳元に、優しくキスを落としながらそう囁く。
久しぶりに口角が上がった。
釣り合う釣り合わないことを気にして、俺と一緒に居たこと。
きっと、華子からすれば辛かったに違いない。
だから、逃げられぬくらい強く強く抱き寄せた。
「ごめんな、華子。
お前の気持ちに、気づいてやれなくて。
でも、これでようやく俺たちは一つになれるんだ。もう寂しくないし、怖い思いもしなくて済む。だって、どこまでも一緒で、俺たちは一つなんだから……」
優しく瞼、額、頬、そして最後に唇にキスを落とす。
震える華子を抱きしめながら、華子を求めるようにその名前を囁いた。
「ぁぁ、華子。華子。華子。華子。
華子華子華子華子華子華子華子!!!」
ーーニュースが流れた。
それは、華子が失踪して一週間が経過するが、いまだに見つからないという内容だった。
事件性を疑い、警察が捜査を開始したのだとか。
そんなこと、華子にとって無意味なことなのにーー。
華子は文字通り、俺と一つなんだ。
心が通じ合う感覚に、喜びに全身が震えた。
「華子。愛してる。
これからもずっと俺たちは一緒なんだ。
………そうか、お前も嬉しいよな?
うん、うん。……俺も愛してる」




