4.御屋形様
ミウラは『わたし、待ってますから。お一人でどうぞ。ウヒヒヒ!』
と、嫌らしい笑い声を上げておった。それ、他の人は聞けぬ声にござるから、タチが悪い。
して――
昨日とは別の広間にて、でござる。
イマガワ館には幾つ、かような部屋がござるのだろうか? 日の本の半分くらいはイマガワ館が占めておるのではなかろうか?
おイネ婆様先導で歩いておったら、いつのまにか武装した男共に前後左右を挟まれて歩いておった。刀を腰に差して嵩張る屈強な男が前後左右に配置されて、なお、ゆったり歩ける廊下の、なんと広い事よ。ただし、男の背が邪魔になっておイネ婆様の姿が見えぬ。このまま横道に逸れられても判らぬままであろう。
広間に入ると、すでに御屋形様が待っておられた。御屋形様は雲の上の存在にござる。御屋形様より後に入室は切腹案件でござる。
しかも、おそらく、イマガワ家重鎮とおぼしきお歴々の方々がお座りになっておられる。
打ち首獄門ではござらぬか?
「おお、イオタの娘よ、巫女殿よ、よくぞ参られた。さあ、ここへ。近う寄られるがよい!」
御屋形様が手招きしておられる。御屋形様って、醤油顔の二重まぶたの美男子でござるな。お年は確か四十を超えたと聞いておるが、どう見ても二十代後半にござる。
して、御屋形様が招き指し示す場所は……、御屋形様の隣にござる。
え? そこは死地にござるよ? 某の父、イオタ サンザエモンは足軽小頭でござったよ。
イネのお婆が耳元でそっと囁いた。
「巫女様のお立場は、御屋形様と同等でございまする。同列に座られるのが正しき所作にございますが、くれぐれも無礼なことをなさらぬよう」
ゾクゾクゾクッ!
「はっ、失礼いたす」
ガチガチに強ばった体を無理に動かす。いかん、右手と左足が同時に出た。あ、これで良いのか!
どうにか、御屋形様の横、でもあきらかに下席へお尻を下ろし、土下座で挨拶にござる。
「イオタ家娘、マツにございましゅる」
噛んだッ! セプク?
「そう畏まらんで、気軽に構えるが良いぞ。さあ、面を上げよ。私に可愛いお顔を見せておくれ」
気さくなお方にござった。
「はっ、ははっ!」
言われたとおり顔を上げる。……上げていいよね? 不作法じゃないよね? でも、目は合わせない。視線は下に向けたまま。
「私の目を見よ」
「ははっ!」
見ろと言われたら見るしかない。お願いだから首斬らないでね!
「ほほう! ミウラの主が選ぶわけだ。美しい娘よな。どうじゃ、セナよ、美しかろう?」
「はっ、確かにお美しい。キリリとした美少女でござるな。さすが神獣様、良い趣でございます」
総白髪のお爺ちゃんが人の良い笑顔を某に向けて……え? セナ? セナって、御屋形様の御一族の? 相談役のセナ様?
ということは、ここにおられる幾人かは、やはり全てイマガワの重臣の方々。ここに武装集団を躍り込ませればイマガワ家全滅?
などと不埒なことを考えておるときに、御屋形様からお言葉を頂いた。
「巫女殿よ、此度の一件、礼を言うぞ。イネより聞いた。巫女殿はミウラの主の言葉が分かると。さっそく好物を聞き出したと聞き及ぶ。真か?」
「はい。ミウラ……の主と会話できますでございます」
小さく頭を下げて肯定の意味を表現いたした。礼儀作法、あってるよね?
「そうか、それは重畳!」
御屋形様は、口元に笑みを浮かべられ、ウンウンと何度も頷かれた。最強戦権力と意思疎通に目処が立った事を喜ばれておいでだ。某もお役に立てて嬉しい。
「して……聞きにくいのだが……」
御屋形様が某の目を覗き込むようにして、それでいて微妙に外しておられる。余程聞きにくいことでござろうか?
「えー、こほん! 神獣様、ミウラの主との首尾は、その、上手い具合であったのか? 或いは不首尾だったとか?」
「は?」
キョトンとする某。何を言っておられるのか、質問の範囲が広すぎて解らぬ。
「ほれ、アレだ」
アレと言われても?
「……あっ!」
思い当たったでござる! 目つぶしの一件でござる!
「それは、このようなところで申し上げることではございませぬ。ミウラの主の巫女を勤めるにあたり、問題は解決しつつあるとだけ申し上げましょう」
男共の目がギンギンに輝いておる。今なら京へ上がって天下を取ることもできそうな戦闘力でござる!
「ま、まあ良いではないか。目出度い事よ。巫女殿はミウラの主を受け入れたと――」
「失礼いたしますよ! ふんす!」
御屋形様の恥ずかしいお話の途中で、強力な圧を纏った綺麗な女性が入ってこられた。後ろにお綺麗な方を三人ばかり引き連れて。
「み、御台ではないか?」
「御屋形様。お声が外まで聞こえております。昼の日中から、うら若き女に対し、いったい何のお話をなさっておいでで? 巫女様がお困りでございましょう?」
御台様にござる。某含め、重臣の方々が平伏いたす。
「いや、あの……」
「お話がございます。ちょっとこちらへいらっしゃいまし」
むんずと御屋形様の襟首を掴む御台様。
滅多にない機会なので御台様のお顔を拝し奉ろうと、顔を上げたところ……
「うひぃ!」
御台様、満面の笑みでござったが、肉食獣が草食獣と仕留めんとしておるときの笑顔で、かつ、夕べ、某に覆い被さろうとするミウラの目に似た目をされておいでだ。
「そんなに色話がお好きなら、わたくしが続きを聞いて差し上げます」
ああなるほど。某の援軍でござったか。お子を作られるお話でござるなら、某らは犬に食われる損な役回り。
御屋形様が某を必死の形相で見つめられる。
「たすけて、巫女様!」
「――タツオウマル様がお生まれになって早二年。タツオウマル様お一人ではお寂しいでございましょう。家臣一同、次のお子様誕生を願っております」
「ですってよ! 御屋形様ぁー?」
「うひぃ! だれか、なんぞ一大事な話はないか? タケダは攻めてこぬか? だれか!」
「ご、ございませぬ!」
セナ老が決別のお言葉を述べられた。全員が深く平伏した。
こうして、御屋形様は我らの前から姿をお隠しになられた。
「それはそうとして……」
セナ様が小さい前にならえの様な形を取った手を横へ平行移動なされた。親方様の事は横に置いておいて、という意味らしい。
「イマガワの神獣様に選ばれた以上、イオタの娘よ、これより一生涯、神獣様に仕えねばならぬ。覚悟いたすように」
セナ様は悲愴な顔でそうおっしゃるが、それは願ってもないこと。
ヘイスケ殿には悪いが、婚約は解消でござる。ツモトの親父殿の魔手から逃げられるやほーい。
母上や幼い弟たちと会う機会が極端に減るが、イマガワ館より援助もあろう。イオタ家もこれで安泰にござる。
そして、なにより、また、某はミウラと一緒に暮らすことが出来る。
神様、ありがとう御座います。
「某、承ってございます。昨日よりすでに、ミウラ……の主にお仕えいたしております!」
危ない危ない。ついいつもの癖でミウラと呼び捨てにしてしまう。これからはミウラの主とよぼう。なにせ「主」とは神と同義語。ミウラの神、ツモト部長と呼ぶようなもので、様とか殿を付ける必要はない。
「うむ、その覚悟や見事! 健気であるな……」
セナ様がしんみりとされておられる。
知らぬ者からすれば、若い娘の人身御供でござるからな。某とミウラの関係はそんなのではないが。……面倒だし、不都合もないので誤解させたままにしておこう。
「……せめて、なんぞ願いを聞こう。何なりと申せ」
「ははっ、さすれば……先ず一つ……」
えーっと、先ず一番は……、
「某のことをよばれる際、巫女などと呼ばないでいただきたい。某、イオタ家の名を高めたく存じます。また、ミウラ、の主に仕える以上、過去の名を捨てとうございます。ですので、某のことを家名のイオタとお呼びくだされ」
「その心意気やよし! うちの孫にも聞かせてやりたいわ!」
セナ様が膝をポンと打たれた。
「えー、次ぎに、保障問題でござるな」
「お母上とご兄弟のことですな」
先に口に出していただいて助かるでござる。
「その通りにござる。我が父は、先年のシバ家への出兵で天晴れな討ち死にをいたしました。嫡男タケマルは五歳。ウメマルは生まれたばかりの赤子。十五『数えで15ですから、まだ14歳です』になる某が、女だてらにイオタ家の当主代行となっておりました。その某が抜けるのでござる」
台詞の途中、どこからかミウラの声が聞こえたが、某にしか聞こえぬので無問題にござる。
「なるほど。それはお家の一大事であるな」
セナ様は心配顔をされておられる。
「時期を見て、嫡男タケマルの元服のご許可を。それとタケマルが元服の暁まで、それなりの援助と後ろ盾をお願い申し上げる」
手を揃え、頭を深く下げる。
「心得た。儂が烏帽子親となってしんぜよう。充分な生活ができるよう、イマガワ館より援助も致そう。元服後の役職も約束しよう」
「イマガワ家ご親戚筆頭のセナ家が後ろに付いていただけるとなれば、イオタ家も安泰。思い残すことはござらぬ」
「任せられよ」
イマガワ家からの援助という言質を取り申した。ひゃほい!
「えー、さらに、厚かましい事ながら、某、ヨシダ家のヘイスケ殿と婚姻の約束を交わしておりまして、そちらの方も角が立たぬよう、上手い具合にヨシダ家の顔を立ててお断りいただけるよう伏してお願い申し上げる」
「うーむ、それはしたり。こちらで良きように計らおう。お任せあれ」
内々の話でござる故、セナ様は神妙な顔をしておられる。
「有り難き幸せ。マツの事は一日も早く忘れ、幸せを掴むよう心からお祈り申し上げているとお伝え下され」
よーし、これで後ろ髪引かれることなく結婚を回避したでござる! ひゃほーいでござる!
「健気じゃのう……」
セナ様の眉毛がハの字になった。
「あいわかった。それと頃合いを見計らい、ご家族の方々と面会の場を設けよう。期待して待っておれ」
「重ね重ね、感謝の言葉もございません」
「いやいや。イオタ殿の存在はイマガワ家百年の安泰に直結する。イオタ殿が考えている以上に、そなたは大事な存在なのですぞ」
でも、まあ、某の仕事は通訳でござるし。気楽でござるな。
「ではイオタ殿。イマガワ家のためミウラの主のこと、よろしくお頼み申す」
セナ様が軽く頭を下げられた。下座におられる重臣の方々も、頷くように軽く頭を下げられる。
「イオタ様」
廊下から、女性のお声が掛かる。
御台様のお付きだった女官でござるな。
「御台所様がお召しにございます」
ザッ! と空気に緊張が走る。さっきの今ですからね。
「も、もちろん、すぐにお伺いいたします」
セナ様の許しを得る前に即答にござる。
「すぐが良かろう。このまま案内してもらうがよろしかろう」
セナ様も、ビビっておられる。某なんかもっとでござるよ。
こうして、イマガワ館真の支配者、御台様にお呼ばれするのでござった。