8.キョウ・公方様
『公方様って、結構下の方のお席ですね? 何ででしょうね、フシミの主?』
うむ、なぜか立派に見えないのでござるよ。
『アレは見覚えがある。現の公方だが、色々やらかしていたようでここでの評価が低いのだろう。だから公方と言っても官位は低い。この中じゃ下の方だ』
『日本じゃ二番だ。一番は? ちっちっちっ「煩いぞミウラの主!」』
『ミウラの主が何を言っておるか理解しづらいが、官位身分方面の意味ならイオタにも分かるな?』
え? 全然わからない。公方様ってスゴイ級に偉いお方じゃなかったっけ?
「イオタよ。イズモの件は私の責任でもある。あらためて話をしたい」
公方様がにこやかに声をかけてくだされた。末代までの語りぐさに出来るでござる! 母上に良き土産が出来たでござる!
「後で使いを寄越すから、ムロマチ第へ来るが良いぞ」
「あ、は――」
ミウラの前足が某の目の前にトンと置かれた。
『そこまで! そこまでです、イオタの旦那!』
何でござるかな? 口を半開きにしたままミウラに顔を向ける。フシミの主も身を起こし、ミウラの横に来てお座りされた。
『イオタ! 公方相手に言質を取らせるな! あやつらはイオタを利用しようとしている。……なんらかに利用しようとしている! はず!』
『とかく、この時代、アシカガと名の付く者に気を許してはいけません。歴史物あるあるでございますよ!』
「よく分からぬが……そうなのか?」
特にミウラの気が立っておる。髭袋が膨らみ、髭が全部前に向いている。賢者の知恵が、なんらかの危険を察知したか? ……分かりやすいヤツ。
『だいたいからして、権威が失墜しつつあるアシカガは、武家同士の混乱を仲裁したり、討伐書を発行することで威厳を保つ方向に舵を切り変えかけているのです。後、何代か下がれば仲裁する為に世を混乱に陥れるというマッチポンプ、放火魔と消防の兼任役に闇落ちします。とにもかくにも、向こうからの接近は疑いの目を持って見るべし!』
『そうだぞイオタ。何を考えておるか知らぬが、アレだけには近寄るな! 人の身であるイオタは簡単に絡みとられてしまうぞ!』
「え、あ? お二方が、そう仰せなら」
チラリと公方様の顔を見る。
「……なにやら神獣様と会話をなされているようだが、私も武家の棟梁。私の申し出は受けるべきと思うが?」
公方様、にこやかに怒ってらっしゃる。某が公方様を怒らせたでござる。
『係わるな! 係わると面倒だから放っておけ』
「さ、されど、フシミの主。某も、元は武門の家の出。そう言うわけには……」
『旦那! 旦那の公方様、つまり征夷大将軍はどこのどちら様でございましょう?』
「はっ!」
そうでござった!
『まだ家康君はお生まれになられておりませんよ。それどころか、豊臣、徳川の名は、まだこの世に存在していません』
「そう言えばそうでござる」
『東照大権現様の時代……アシカガの名を聞いたことございましたか? 現在、天下でブイブイ言わせているのは、順不同でホソカワやロッカク、ハタケヤマ、ワカサのタケダあたり、それとアサクラ、ミヨシでしょうか? 旦那、これらのお家に対する印象は? この時代の大大名ですよ』
「う、うむ、記憶に浅い。というか……」
ここで口には出来ぬ。某はミウラほどではないが、おそらく百年は先の時代の生まれ。この時代のことは詳しくないが、大家の名前くらいは頭にある。その中に、ミウラが口にした家々は存在しないか、小領主でしか存在した記憶がない。
しかも、アシカガ家は家康公の関係者に滅ぼされておる。それは滅ぼす理由があったと言うことにござる。つまりアシカガは某の主家筋の敵。すなわち悪!
「た、たしかに……」
脂汗タラタラでござる。某の頭では理由の知りようはないし、目的も分からぬが、ここで公方様の招きに応じることは悪手でござろう。
「イオタ、如何した? まさか、私の招きを断るつもりではなかろうな? 私の顔に泥を塗るか?」
「まちゃれ、公方殿。斯様に巫女様を責めてはいかぬ!」
東風様が援護してくだされた。
「これは武家の習わしにございます。お口出しは無用に願います」
東風様、撃退の図にござる。誰か助けて!
『神獣様のせいにしましょう。神獣様に責任を押しつけましょう。神獣関係者は人の習わしに無関係を貫かねばならないという法律があります!』
おおミウラ! そなたは出来る子だとおもうておったぞ!
『わたしとフシミの主が公方様のことをイズモの一件で気に入っておられぬと言ってください。それを押してお呼ばれすると、イオタさんの顔が立たぬ。神獣様の顔に泥を塗るかって!』
「いや、そこまで公方様は仰せではない……」
『ひいてはイマガワの殿様に迷惑を掛ける。イマガワ様の顔に泥を塗るかと言ってやれ! それでも何か言ってきたら私がこの場で噛み殺してくれる』
「いやちょっと、フシミの主、歯を剥き出しにしてはいけませんよ!」
『ハッ! 世界初、神獣様のお怒りを招き、噛み殺された将軍! いいっすね! 日本人が滅亡するまでの語りぐさですよ、これは!』
「あー……」
某、さじを投げたでござる。どうでも良くなってきた。すると、ストンと落ちついたでござる。全部神獣様が悪いのでござる。
「申し上げます」
某は礼を尽くすため、頭を下げた。
そして、ミウラは横に置いておいて、フシミの主の仰せの通りに話をした。
「……これは全て、神獣様の決まり。今、ここでおっしゃったこと。某の所属は神獣様にござる。逆らうこと即ち死。まだ死にとうございませぬのでお助け下さい。こんな訳で、お察し下さい」
『ヨシ! 完璧です旦那!』
『これでもまだイオタに何か言ってきたら、殴り飛ばして後ろ足で踏みつけてくれる!』
「こ、これ! 公方様に危害を加えたりしてくれるな! 人の体はフシミの主が思うておるほど頑丈ではござらぬ。手足バラバラの流血事件にござる……はっ!?」
気がつけば、公方様は青い顔をして床を見ておられる。お公家様方は、公方様より視線を外していたり、笏や扇子に顔を隠してチラ見しておられる。
「えーっと、イオタ殿。神獣様の機嫌を損ねるのであらば、む、無理にとは申さぬ」
公方様が怯えておられる。……はっ! まさか、某の会話に不穏な……某の台詞だけを追ってみると、不安要素しかござらぬ!
「ほ、ほほほほ! ま、まあ、アレでおじゃろう? イオタ殿?」
東風様に、助け船っぽい泥船をこぎ出していただいた。
「いかにもアレでござる。えーっと、ほんの冗談でござる。神獣冗談でござる。じゃれ合いみたいなものでござる。神獣様のじゃれ合いは雷を落としたり、水で消えない火が着いたり、何でも溶かす毒液を……はっ!」
大したことないヨと言おうとして、大したことあるヨと言ってしまったでござる!
公方様の体が震えておるのでござる。
「おほーほっほっ! イオタ殿イオタ殿! どうやら酷くお疲れのご様子! キョウへ来ていきなりお歴々の方々との顔合わせにおじゃるからのう! 麿の屋敷に参られよ。そこでゆっくりなされるがよい!」
東風様がことのほか大きな声を出された。公家の方が殿上でこのような大声を張り上げて良いのでござろうか?
「大納言にまかせる。朕も些か疲れた。下がって良いぞ!」
帝も声が大きいでござる。
して――
某は、神獣二匹、じゃなくて二柱を引っ張り、逃げるようにして禁裏を後にした。




