3.ミウラの乱
イマガワ館の裏門の一つを潜り、本館へと急ぐ。
廊下を走ったらいけません、の決まりがあるので、小刻みに足を動かして歩く。端から見れば滑稽に写るでござろうが、作法を守らねば死罪にござる。たぶん。
して、大広間の方から、ミウラの威嚇声が聞こえてくる。
さらに足を速める。
すると、顔見知りが廊下に出ておられた。
クシマ様にござる!
「クシマ様! これは一体?」
「おお、イオタ殿! これぞ天の助け!!」
鍾馗さんみたいな武将が困り顔になっておられる。
部屋から色んな物が飛び出しておる。一大事にござる。
「理由は解りませぬか?」
「なんでも、イオタの主が屋根の上でお休みになっておられたところ、喧しく騒いだのでお怒りになっておられるとか」
……。
「ハァ?」
カタカナのハァ、でござる。語尾の持ち上がったハァ↑でござる。
「さすがにお怒りになった神獣様を……あれ? イオタ殿? なんすか、え? むっちゃ怖い顔!」
ミ・ウ・ラ・ァ・!
――三ΦωΦ三――
「セナ様、御屋形様の避難は終わりました」
「うむ、とにかく、イオタ殿の帰りを待とう!」
何と言うことか、年の瀬なのに最後の最後にイマガワ家の危機である。
キシャァァー! ンシャァー!
部屋の奥で、ミウラの主様が盛んに気炎を吐いておられる。
腕に覚えのある者が、ミウラの主の回りを取り囲んでおる。とはいっても、迂闊に近づくと命が危ない!
みな遠巻きにして、「お静まり下され!」「詫びを申し上げる故!」等と声を掛けておるが、一行にお怒りは解けぬ。
耳は後ろへ寝そべり、目が恐ろしいまでに吊り上がり、牙を剥かれ、髭袋は膨れあがり、髭が全部前を向いておる。毛は逆立ち、尻尾がパンパンに膨れあがり、盛んに床を叩かれておられる。
「セ、セナ様!」
「落ち着け!」
ミウラの主様がここまでお怒りになられたのは、二年ぶりでござろうか?
「イオタ様、ご到着でございます!」
「おお、待ちかねたぞ!」
ひたひたと足音が聞こえてくる。イオタ殿独特の足音だ。
さりとて、イオタ殿が来てくれたとはいえ、あの怒りをお鎮めすることは可能であろうか? いささか、不安である。
バン! と勢いよく板襖が開けられた。
「ただ今帰参い――」
「あっ!」
その板襖、油を差したばかりなので、勢いよく開けると……
バチコーン! と痛そうな音を立て、帰ってきた板襖がイオタ殿の脇腹にぶつかった。
「ぬおぉ!」
片膝を床に着き、脇腹を押さえるイオタ殿。見ているこっちも痛くなりそうでござる。
全員の目がイオタ殿に向けられている。
ミウラの主も暴れるのを中止し、イオタ殿を見ておられる。
「ぬぐぉう! ご、ご案じ召されるな。た、大したことはない」
ゆっくりと顔を上げられるも、目尻に涙が浮かんでいる。かなり痛そうでござるが?
「して、ミウラ……の主は? 何がござった?」
「ミウラの主が屋根の上でお休みとは知らず、下で大きな音を立てて掃除をしておりました。どうやらそれが原因で!」
「ほほう……」
あれ? イオタ殿の目が吊り上がった?
「つまり、日本全国毎年恒例ご存じ大掃除の最中に? 寝ていたのに起こされたからと? 機嫌が悪いと?」
イ、イオタ殿の右の唇がグリンと捲れ上がった。
ミウラの主に対し、余りにも不遜な……あれ? ミウラの主が、固まっておられる?
「ミウラの主、それはまことでござるかな? ほうほう、言い訳はよい。ハイかイイエで答えなされよ。ハイでござるな! ほうほう!」
ズイズイと歩を進められるイオタ殿。脇腹に手を当てて。
「昼寝を邪魔されたたから暴れたと? 某が宿下がりしておる間に? 後のことは任せ、家族水入らずで年末を過ごせと仰せになられたでござったなぁ、その渇かぬ口でぇ! そんな下らぬ事で、団欒の最中に呼び戻されたのでござるよ、母上とろくな別れの挨拶もせずに!」
ミウラの主は、尻尾を丸め、耳を後ろに寝かしつけ、何や盛んに口をパクパクさせておられる。われらは神獣様のお言葉が聞き取れぬ故、何を仰せか分からぬのが歯がゆい。イマガワに仇なす話では無かろうな?
「神獣様の立場? それは神聖なものでござるよな? でも、某、脇腹を打って苦しんでござる」
またミウラの主が頭を振りながら何かおっしゃっている。
「某、脇腹を打って痛いのでござる」
それはミウラの主とは関係なかろうと思ったが、口に出す勇気はなかった。
「なぁ、ミウラ、の主?」
とうとう、イオタ殿はミウラの主の眼前に立たれた。お座りしておられるミウラの主を見下ろしておいでだ。恐ろしい目で。
ミウラの主は顔を背けられた。
背けた顔をイオタ殿ががっしりとつかまれた。なんと! 神獣をも恐れぬ行為!
「人と話すときは、相手の、顔を見て、話しましょう」
正論だ! そして、力ずくで顔を正面に持ってこられた。
「某、脇腹が痛いのでござるよぉー!」
ミウラの主は逃げだそうと藻掻かれるが、イオタ殿にがっちり顔をつかまれ、身動きが取れぬご様子。
「ふむふむ、なるほど。力が余っているなら、某が相手になってやろう」
そう言って手を離された。ミウラの主はよろけて二三歩、後ろへたたらを踏まれた。
「さあ、付いて参れ、ミウラの主」
イオタ殿は、ミウラの主を見ることなく、スタスタと歩き出された。
廊下まで歩いて、後ろを振り向かれる。ミウラの主はついて行かれておらぬ。
「どうしたミウラの主? さあ、一緒に行こう」
ミウラの主は、儂らここに集まっておる者達に、視線を向けられた。耳を後ろに、目が見開かれ、口を半開きにして。
人である儂は、イオタ殿のように神獣様のお言葉は理解できぬ。されど、今回は声が聞こえたような気がした。「だれか助けて」と。
儂は視線を外した。広間に詰めていた武士共も、視線を外した。
ミウラの主は、これまで見たこともない顔をして、イオタ殿に連れて行かれた。
そのまま見送ることは出来ぬ。御屋形様へ報告を上げねばならぬ故。
儂と、オカベが付いていった。
イオタ殿がミウラの主の館へ入るなり、片っ端から雨戸を閉じられていった。
すんごく良い笑顔で。
「イオタ殿……」
「た、頼りになる」




